【アサカイ】恋に覆われる

北の国のとある村で依頼をこなした二人だったが、突然思い詰めたようにアーサーがカインに告白してきて…という話。続きます。

 彼に抱いた気持ちは、ずっと隠してゆくものだと思っていた。
 だってあの人は俺の主君で、こんな思いは許されるはずがなかったからだ。それにどこかで、自分が勘違いしているのではないかと思うところもあった。尊敬の念を恋と勘違いして、焦がれているのではないかと思うところもあった。
 でも、それでも雷に打たれたみたいに、恋は俺を覆い尽くした。もう、俺はあの人しか見えなかった。たとえこの心が許されなくたって、構わないと思った。ただ恋をして、そして自分で身を滅ぼすくらい、誰かに認められなくたっていいと思っていた。俺は騎士で、あの人は王子で、そういったさだめみたいなものに、俺は囚われていたから。
 だからこそ俺はあの時驚いたのだった。北の国で異変が起きたと聞きつけて依頼に向かい、簡単な事件を解決し、雪深い村の小屋で催されたさざめく宴で、村人たちに勧められるままホットワインを飲んで暖をとっていた時、彼がざわめきの中で思い詰めたように、俺に向かってこう言った瞬間に。
「なぁ、カイン。私のものになってはくれないか」
 真剣な青い瞳、それは俺を射抜き、動けなくした。俺は自分を覆い尽くす恋情と、彼の告白に動けなくなってしまった。返事すらできずに、村人たちのざわめきばかりが耳に入った。まだ年若い青年の声に、俺は何も出来なくなってしまった。
 
 
 俺たちに寄越された依頼は、ごく簡単なものだった。旅の騎士に恋して姿をくらました村娘の幽霊が出るので、それを祓ってほしいというのだ。賢者様がそんな手紙を読んだ時、俺たちは暖炉にくべられた木がぱちぱちと鳴る談話室にいた。アーサー、オズ、そして俺。北の国に縁があったり、そんな魔法使いに縁がある者たち。
「出来たら、幽霊を祓うのではなく、思いを叶えてあげられませんか。あまりにもかわいそうです、恋が叶わなかったのにまださ迷っているなんて」
 賢者様は少し辛そうにそう言った。そして俺たちはそれを引き受け(主にアーサーが太鼓判を押し)、北の国に向かったのだった。
 娘の幽霊、いや、村から姿をくらました少女はなかなか見つからなかった。でも、俺たちは調査の末に彼女をついに村外れの凍ってしまった池の底に見つけ(オズはきっと身投げしたのだろうと過去を見て言った)、彼女の遺体を引き上げて、魔法をかけて弔った。その時、騎士である俺に彼女の思念が語り欠けてきたのだが、それはまだ誰にも言っていない。言う気にもならなかった。
 ――あなたにも私みたいに、大切な人がいるのですね。
 ――でも、その人にはもっと大切なものがあるのですね。
 ――だからあなたは思いを告げないのですね。
 ――ただ苦しい思いをするのが分かりきっているから。
 ――でも、私たちはいっときは恋をしたわ。それは叶わなかったけれど。
 ――結ばれなくたって、私は後悔をしなかった。
 そう囁いて、彼女は消えていった。村娘が恋をした騎士とは、一体何者だったのかは分からない。果たして、彼女がどうやって騎士に思いを打ち明けたのかどうかも分からない。二人がどうやって恋をしたのかも分からない。なぜ別れねばならなかったのかも分からない。けれど池に身を投げて死んだ村娘が、騎士と心を通わせていたことだけは分かった。そしてその騎士には、恋をした誰かより、ずっと大切なものがあったことも分かった。
「カイン?」
 アーサーが声をかけてくる。俺たちは娘を粗末な集団墓地に眠らせながら、村人たちにもう怪異はおさまるだろうと告げた。だがアーサーは俺をじっと見つめ、まるで恋をした娘のように熱心に俺を見つめた。北の国の厳しい景色が、人肌を恋しくさせたのかもしれない。アーサーは中央の国の王子だったが、長らく北で育ったし、雪の中にいる方が似合ったから。
 でも、俺はそれに少しの恐れを抱いて、やはり俺はこの男に恋をしているのだ、と思った。俺は恋というものに覆われているのだと思った。
「何か聞こえたのか?」
 真剣な表情で、アーサーが近づいてくる。俺はそれに無理に笑って、「何も」と答える。娘の最後の言葉を聞いたからって、俺には何も出来ないから、そんなふうに答えたのだ。
 白銀の髪、青い瞳、高潔な精神。それらは俺が憧れ恋していたもので、それがごく近くにあることに俺は慄いた。アーサー・グランヴェルという王子は、魔法使いということがバレて、騎士団長を追われた俺に今もよくしてくれる。でも、それは中央の国をより良い国にするための、協力者を求めてのことだった。俺たちはいい友人だったが、それ以下にはならないものの、それ以上にもなれなかった。
「それより、村人たちが感謝の宴を開いてくれるらしい。行こうぜ」
「何もないんだったらいい。せっかくの宴です、オズ様も行きましょう」
「酒も出るらしい。楽しみだな!」
 俺は笑って、気が進まないであろうオズの背中を叩いた。しかしやはり彼はそれを喜ばず、用意した宿に戻って行った。だから俺たち二人だけで宴の席を訪れたわけだ。
 そして話は冒頭に戻る。大きなざわめきの中で、アーサーが俺に言った言葉がよみがえる。
「なぁ、カイン。私のものになってはくれないか」って、まるで悪夢みたいな言葉がよみがえる。
 
 
「何言ってるんだ、俺はとっくにあんたのものだよ」
 窓の外は冬ということもあって暗く、俺はそんな景色を眺めながら、今夜も吹雪くのだろうか、と思った。エレベーターにまでゆくには、結構な距離を飛ばねばならなかったから、多分今日はここで泊まるのだろうと、そんなことをぼんやりと思った。
「俺は騎士だ。あんたに仕えた時から、この身はあんたものだよ、アーサー殿下」
 俺はそうからかうように言って、雪ぶどうのワインを飲む。するとアーサーは不服そうな顔をして、ホットワインをテーブルに置き、小屋の中で腹を震わせて踊る村人を背景にこう言った。
「そうじゃない。それに、あの時本当は何か聞こえていただろう」
 アーサーのその言葉に、俺はどうすべきか悩んで、結局は全てを話すことにした。村娘の最後言葉を伝えることにした。けれど、どうやってあの言葉を伝えたらいいのかよく分からなかった。だから俺はその途中で言い淀み、アーサーはますます強く俺を見つめた。
「カイン。私は……
「酔っ払うには早い。もっと飲めって。なぁ、あんたたち、おかわり!」
 俺は娘の全てを語った後、話を切り上げて湯気の立つゴブレットを持って回る女たちに笑って声をかけ、彼女らからワインを受け取った。二人分のそれをテーブルに置き、俺たちは向き合うこともないまま、静かに酒を酌み交わす。アーサーは視線を落とし、ゴブレットの水面を見つめている。そこから立つ湯気が銀色の髪を濡らし、青い空の瞳に赤い色が映る。それは複雑な色味になって、俺は胸が締め付けられるような気分になる。
 アーサーは俺が欲しいのだろうか? でも、どうして今? 騎士と結ばれなかった村娘に同情して、それを自分に重ねたから? なら俺だって、この村を去らねばならなかった騎士に自分を重ねているじゃないか。もちろん、俺が恋をしたのはただの村娘じゃない。目の前に座る、愛しい王子だ。国中の誰からも愛される、そんな王子だ。でも、この人には俺よりもずっと大切なものがあり、それは決して覆ることはない。俺はこの人が北の国で過ごしていた頃のことを知らないし、何なら王子としての顔しか知らない。俺たちは友人だったが、それはあくまでも、王子と騎士としてのそれだったから。
「カイン、私が言いたいのは……
 あの村娘のように、後悔をして死んでいきたくはないんだ。アーサーがつぶやく。私なら、どんな雪の夜にもきっと駆け抜けてお前を追いかけるだろう。それくらい、私はお前を愛しているんだ。
 その言葉は、ざわめきがかき消してしまった。でも、俺の耳にはちゃんと入って、愛しい男の言葉とは、こんなにも強烈なものなのかと思った。
……あんたが望むんならなんでもしよう。本当に何だってするつもりなんだ。でも、俺はそんなの望んじゃいないことも分かってくれ。俺はあんたと友人でいられるだけでいいんだ」
「私は違う。あの娘のように後悔はしたくない。私は北育ちだ。手に入れたいものは、力ずくで奪い取るくらいには、北に染まってるんだ」
 アーサーがじっと俺を見つめる。強い瞳で俺を見る。俺はそれに言葉を返せない。宴の歌、誰かが手を叩く音、ゴブレットで乾杯する甲高い音、暖炉の炎が放つ光が、まだ幼さの残るまろみを帯びたアーサーの頬を照らし、俺はそれには決して触れられない、と思う。だって無理なのだ。俺はこの人を敬愛している。そこに自分の情を持ち込んだが最後、俺のそれは不純なものになってしまう。騎士道精神ってやつに反する。確かに俺は魔法使いだとバレて騎士を追われた男だ。でも、アーサーだけは俺を今も変わらず騎士として扱ってくれる。だとしたら、俺はずっとこの人の剣となり盾となりたい。愛なんていらない、ただ、この人のために自分を使いたい。愛されたくないわけじゃない。そうなってしまったら幸せだろうと思う。でも、そうなってしまったら、俺はきっと、欲でいっぱいになってしまうだろう、この人と友人ですらなくなってしまうだろう。
……俺は友人でいい」
「カイン」
「これ以上何も望まない。あんたはいずれ国を継ぐだろう。その時、きっと俺は邪魔になるよ」
「カイン」
「だから……
 だから、何だろう? 俺はどうすべきなんだろう? 俺は思い悩む。彼の思いの答えられたらいいのにって思う。でも、答えたらもう純粋にこの人を敬愛出来なくなる。禍々しい思いが、きっと俺を覆い尽くす。恋ではない何かが、俺を覆い尽くす。
 アーサーは優しい。俺の騎士としての矜持を分かってくれるだろう。だからきっと、俺に無理強いはしない。
 ――私なら、どんな雪の夜にもきっと駆け抜けてお前を追いかけるだろう。それくらい、私はお前を愛しているんだ。
 その言葉だけで、俺はずっと生きていける。いつか国を継いで中央を素晴らしい場所にする彼の足枷にはなりたくない。人間と魔法使いが共に暮らせる国を作ってくれる、そんな彼の足枷にはなりたくない。
「カイン。言ってくれ。一言でいい。ただ受け入れると言ってくれ」
「俺は騎士だ。あんたがそうしてくれた。それが一番なんだ。それ以外に望むものはない」
 彼と心が通じ合っていることは、なんとなく理解していた。でもそれを受け入れてしまったら、何かが終わる気がした。言葉はぐるぐると頭を回る。どうしたら分かってくれる? 俺はあんたの騎士でいたい。同時にあんたのものにもなりたい。でもそうしたら、全てが変わってしまう。そして俺の思いも、あんたのそれも、きっと勘違いなのだ。だってそうでも思わなきゃ、辛すぎるじゃないか。
 俺たちはしばらく見つめ合う。村人たちは大騒ぎをして、俺たちに構うそぶりは見せない。
「私が、長く生きないかもと言ったら?」
……え?」
……いや、なんでもない、忘れてくれ。私も、忘れることにするよ」
 これじゃあ、あまりにも卑怯だ。そうアーサーが言う。俺は重いが涼やかな告白に何も言えず、ただ手の内のゴブレットの水面を見つめる。浅くなったそれに映るのは、ただ俺の瞳だけだった。
「このワインは美味いな。賢者様にも持って帰りたいくらいだ」
「あ、ああ……。そうだな」
 俺はぎこちなく笑って、さっきのアーサーの言葉を思い出す。忘れてくれと言われた言葉を思い出す。アーサーは自分が長く生きないかもしれないと言った。どこかさっぱりとした声で、そう言った。魔法使いの多くは、自分の余命を悟るという。それがもし、アーサーにも当てはまるのだとしたら。彼が死んでしまうのだとしたら、俺は愛される運命を捨てて、この男に求められる運命を捨てて、彼のたった一人の騎士でいて、それでいいのだろうか? 後悔はしないのだろうか?
 でも、俺には分からない。この人に愛されていいのか分からない。懇願されて、それを受け入れていいのか分からない。いっそ無理矢理に奪ってくれたらと思う。でもそれは卑怯な思いなんだろう。
 俺たちは友人だった。そして不器用に恋をしていた。お互いに譲れないものがあって、その次に自分たちがいた。
 ――俺も、あんたを愛してるよ。
 そう思いながら、俺はワインを飲み干す。それはぬるくなっていて、まるで恋から覚めたような味だった。なのに俺は恋に覆われていた。でもそれは、いつか消え失せるのだろう。彼には、俺よりも大切な民がいるから。俺はずっと彼の騎士でいたいから。だからいっとき思いが成就したとしても、いつかは消え失せるのだ。弔ったあの村娘はそれでよかったのかもしれないけれど、俺はまだこの人を失いたくない。ずっと、アーサーのたった一人の騎士でいたい。愛なんていらない。それが、俺の人生におけるたった一つの望みだったから。そのためなら、愛なんていらなかったから。
 俺は願をかける。どうか騎士として、この人を守れますようにと、吹雪の中で願をかける。そのためには何だって捨てますと、そんなふうに願をかける。いくら恋に覆い尽くされていても、それには知らないふりをしますから、俺からこの人を奪わないでくれって、願をかける。ただそれだけが、俺の願いだって。