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のから
2022-10-12 09:11:27
4205文字
Public
月影の鎖 - text
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告白する薄明(理めぐ)
みっくすぼっくすTKYに際して書きました。純愛後ですが、少し暗め。
「
……
め、」
――
めぐみさん。呼びかけようとした声を思わず呑み込んだ。レモネードの冷たさばかりがのどから胸へと下っていく。
窓から差す夕暮れの陽射しが、やわらかく店内を染める。ふだんであればほっと息をつく光景に、かすかに胸の奥がざわめいた。
(どこを見ているんだろう)
ちかごろ、ふとした瞬間に目にする、彼女の瞳のゆきさきが分からない。ぼうっとして、窓の外でもない、どこかも見えない遠くを彷徨うような。そんな薄暗い色が映される一瞬がある。不意なもので、だいたい瞬きのあとには凛とした女将の顔がある。
湖面のような蒼い瞳の、ほんの僅かな変化。気付いている人間はほとんどいないだろう。神楽坂ほどであえば分からないが
――
それこそ、自分ほど彼女を見ている人間が他にいなければ。彼女の恋人(あいて)である自分だけが気付いているような、ささやかな変化だ。
そもそもあれを変化というのか、理也には分からなかった。もともとあったかもしれない彼女の“癖”に気付くようになっただけで。今さら見つけた、その“癖”に今更ひとりで動揺しているだけかもしれなかった。
彼女は働きものだ。小料理屋「月の畔」を営む傍ら、合間あいまにお遣い業まで引き受けている。ゆえに、ふとした瞬間に疲れが出るとかは自然なこと、と思う。けれど、恐らくそういう類じゃない。
何故なら、それは決まって
――
(俺と何か話したあと、なんだよな
……
)
頭を抱えるようにテーブルに突っ伏す。手紙と電話が支えだった本土留学を経て、ようやく日常的に会えるようになった。教員として目まぐるしく働く中、月の畔をおとずれる、ゆっくりとした夕暮れ時が楽しみなのに。
――
楽しい、嬉しいのは、俺だけなのだろうか?
“瞳”に気付いてからというもの、脳裏から消えない疑問が理也の中でくすぶり続けている。つきそうになった溜息を呑み込むのも、初めてではない。
「
……
理也さん、」
美しい呼びかけにはっとする。カウンターの向こうから、めぐみが気遣わしげにこちらを見ている。これ以上、月の畔(ここ)で考えるのは、避けるべきだ。不用意に彼女の心配を惹起しかねない、と、理也はおもむろに身を起こす。
「お疲れですか?」
「今日の子どもたち、ちょっと落ち着きなかったから
……
、すこし疲れたのかもしれません」
思いつきで口をついて出た言葉だったが、あながち嘘でも無かった。めぐみがカウンターを出て、理也の座る席のそばに近寄ってくる。そっと目の前に差し出されたのはみたらし団子だった。
「今日、ちょうどおやつどきに神楽坂さんがいらしたんです。理也さんも
……
いかがですか?」
「
……
いただきます」
団子を一つ頬張ると、こっくりとした甘さが口の中に広がった。濃い甘味が脳に染み入るようだった。そもそもめぐみの眼差しの行方がこんなに引っ掛かるのも、新学期のあわただしさが過ぎた五月という季節柄が為せるものかもしれない。
みたらしの後味を口腔に感じながら、店内を見回す。入店したときには二、三あった影はない。
「変わらず、すごく美味しいです。沁みますね」
「ふふ、ありがとうございます」
理也の言葉に頬を淡く染めながら、めぐみが微笑む。彼女の手指が、その胸の前で何やらまごついている。問いかけたい気持ちを抑えて、素知らぬ顔で理也は彼女の次の行動を待つ。蒼色の目がわずかに泳ぐさまに、一瞬ぎくりとする。
……
が、その瞳に“例”のような翳りはなく、胸のうちで安堵の息を吐いた。
めぐみの指がそろりと頭上へと差し伸べられる。
「毎日頑張っていらっしゃるんですね」
「!」
ほそい手指が亜麻色の髪に触れる。そのまま、労わるように、めぐみは理也の頭をすっと撫でた。
「理也さんのことですから、少し無理をしていないか、心配してしまいます
……
」
控えめに彼女は云った。「
――
いや、それを言うなら貴方もでしょう」と、理也は苦笑を禁じ得ない。髪を梳くように優しい手つきで、めぐみは理也の頭をやわらかく撫でつづける。
――
めぐみに頭を撫でられる。基本的には遠慮しいな彼女の、思わぬ行いに少し驚く。まして、まだ店を閉めてはいない。義母のみちびきに拠らぬ、“冬浦めぐみ”の心に由るものだった。照れくささに目を伏せつつ、好いた女(ひと)に撫でられる心地よさに、理也は素直に身をゆだねた。
みずから恋人に触れようとする彼女を、嬉しいとも、可愛らしいとも理也は想う。それは春先、ひっそりと路端に咲くスミレの花に、ひとり気付く歓びにも似ていた。
彼女と恋を結ぶには、その生まれから枷がやまほどあった。けれど、その枷の全てが、彼女と生きていくこれからとは、引き換えにもならぬものとして思い出された。この得がたく手放しがたい幸せを前にしては。
(そうだ、)
――
これから。
(俺は
……
)
――
俺は、彼女と一緒に生きていきたい。
冬浦めぐみが頭を撫でるのは望月理也だけであってほしい。美しい声で名を呼ぶのも、また。
想いに駆られるまま、伏せた瞼を持ちあげる。仰いだ先で、蒼い瞳と視線がかち合った。
(バレないと、思ってるんですかね)
少し腹立たしくもあった。花あさぎの色をした瞳にかすめた愁いを、理也を見逃さない。
窓から広がる赤光が、いよいよ濃く壁を染め上げるころ、月の畔には冬浦めぐみと、望月理也の二人しかいなかった。
「ねえ、めぐみさん」
「はい?」
「めぐみ」
恋人になって年月を流れてもなお、彼が冬浦めぐみを“そう”呼ぶシーンは、限られている。だから、何年経っても、名を呼ばれるとどきりとしてしまう。思わず手を引っ込めようとしたが、叶わなかった。理也の手がめぐみの手首を掴んだからだ。
決して痛くはないけれど、強いて言うなれば、そこに離す意思が感じられない。
(何か、気に障っただろうか。それとも、)
頭を撫でるなんて、出過ぎた真似だっただろうか。出逢ったころ、年上とはいえ少年のふぜいがあった理也だが、このところはずいぶん精悍な顔つきになった。教職のしごとも順調で、お遣いのついでにそっと教室を覗いたことがある。壇上で教鞭をとる彼のすがたは、すっかり“大人”が板についたようで
――
こんな素敵なひとが、私の
――
そう思うと、めぐみの胸に言い表しがたい感情が去来した。言い表しがたい。
……
そう、めぐみは、その胸の裡に、言い得ぬ思いを飼い殺している。
桔梗色の瞳が凝っとめぐみを捉えて、外れない。めぐみは少したじろいだ。掴まれた手を引っ込めようと動かしたものの、存外強い力で掴まれてびくともしない。
「あ、あの、理也さん?」
「めぐみは、俺と一緒にいられて幸せですか」
「えっ」
「俺は、貴方と一緒にいられて幸せです。仕事帰りにここに寄るのも、貴方の作った料理を食べられるのも。もちろん、こうして貴方から触れてもらえることも。その相手が俺だけであることも」
唐突にも思える理也の告白にめぐみは瞠目する。急にどうしたのだろうとめぐみが困惑する間もなく、理也は言葉を続ける。
「貴方、最近何か考えていることがあるでしょう」
問いかけにもかかわらず、いいえとは言わせぬきびしさがあった。
「俺と話したあと、ほんの一瞬、目の色が変わるんです」
「目の
……
」
「たぶん、俺以外は気付いていないと思います」
理也にしては傲慢な言い回しをする。
「俺は、貴方をよく見ているから、気付いてしまったんです。これは、貴方を何か疑っているとか、そういうことじゃなくて」
手首を掴んでいた手をするりとほどき、そのまま流れるようにめぐみの手を包み込む。
「
……
俺が、欲しがりなんですよ」
理也は、みずからの五指を、めぐみの五指に一つひとつ絡ませ、ぎゅうと握りこんだ。
みずからの思いを語る望月理也の声はあくまで優しかった。いつも通りめぐみへの気遣いを滲ませた、温かいもの。しかし理也の瞳ばかりは、めぐみの秘めた憂いを射貫く鋭利さを湛えている。
「教えてください。貴方が今、何を考えているのか。あいにく、俺は貴方をずっと離す気がないんですが
……
」
夕陽が落ちたのか、室内は夜のけはいが濃くなっている。薄暗くなり、視界は悪くなっているにもかかわらず、理也のまなざしばかりが克明だった。観念という言葉が、めぐみの脳裏に過る。
「
……
幸せ、です。幸せなんです」
それは、追い詰められたけものの断末魔のようでもあった。絞り出した自らの言葉を後追いで認識し、次いで、胸の奥に突き刺すような痛みが走ったのを、めぐみは知覚した。
「理也さんといられて、幸せなんです。とても幸せで。でも幸せに思うほど、これは遠からずいつの日か喪われるものなんだと思われて、」
桔梗色の澄んだ瞳に、みぐるしく涙を落とす女のすがたが映っている。
「喪うことを思うと、怖くて
……
」
――
すっと消えたくなってしまうんです。
「消えるなんて、そんなことできるはずないのに。そういう惑い(ゆめ)を見てしまうんです」
ひどい裏切りだと思った。
めぐみは唇を震わせる。これほどに誠意と愛をそそいでもらっているのに。消えたいだの、しにたいだのを考えつづける女。
涙でぼやけているから、自分の手を離さぬ男(ひと)が、どんな顔をしているのか分からないことに、安堵するような女。
右手でめぐみの手首を掴んだまま、理也が立ち上がる。もう片方の手をめぐみの目元へと差し伸べる。溢れて止まらぬ、めぐみの涙を拭い、理也は微笑んだ。
「
……
大丈夫です。いいんです、貴方に、俺と添い遂げる覚悟がなくても」
「理也さん、」
「貴方に覚悟があろうとも、なかろうとも」
――
俺は貴方を離す気がないんですから。
涙を拭った手で理也はめぐみを抱き寄せた。耳元で囁かれる声が、やさしいのかつめたいのか、めぐみは分からぬまま、彼の胸に顔を埋める。その温かい感触が、自身の涙に濡れて冷たくなっていくことに罪悪感を感じながら。握られた手をようやく握り返した。
視線をうつろわせ、窓の外を見る。湖面のような蒼い瞳には、夜空にぽっかりと浮かぶ白い月のかげがあった。
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