のから
2016-05-30 09:08:56
2008文字
Public 死神と少女 - text
 

花の残り香(七紗夜)

七紗夜 気が向くまで公開

 ―― 遠野さんって、ホント、キレーだよな。
 何気ないクラスメイトの雑談。実のところ耳に引っ掛ける価値もなかったかもしれない。けれど。そのときはまるで、その言葉だけ室内の喧騒から切り離されたが如く、奇妙なほどはっきり聞こえた。
 桐島七葵は、その性格―― あるいは性質からか、異性への関心の強いほうとは言えなかった。しかし、そんな桐島でも、さすがにその女子生徒の名前は知っていた。遠野紗夜。その美貌は、彼女が入学したその日から盛んに取り沙汰された。……同時に特例でもあった。およそ桐島の隣にいる、他人には見えぬ、長年の友だ。彼女に対して千代が並々ならぬ関心を示していたことも大きいだろう。
 ゆえに。廊下あるいは窓辺から、不意にでも見かけることがあれば、その黒髪がなびく先まで目で追うこともままあった。それほどとも、その程度とも言える。さまざまな要因あって、桐島は、大なり小なり遠野紗夜へ関心を払っていた。
『あそこまでキレイだと却って近寄りがたい』
『でもお近づきになれるならなりたい』
 などなど。……ありふれた下世話な噂話。すげなく断じて、昼下がりの窓の向こうへ視線を投げたとき。何というタイミングだろうか、中庭にくだんの彼女が現れた。クラスメイトたちも気づいたらしく、複数の眼差しが階下の遠野紗夜へとそそがれる。
『噂をすればってやつかな』
『絵になるね』
 五月の花壇を飾る花は、真紅の薔薇だった。緑の黒髪、抜けるような雪肌、艶やかな紅唇の美少女と、赤い薔薇のならびを、みな口を揃えて賞賛した。その賞賛をどこか遠くに聞きつつ、桐島は遠野紗夜になんとなく視点をとどめつづけ、ふとあることを思った。……遠野紗夜と赤い薔薇のとりあわせに対する、小さな違和である。
(俺には、浮いて見えるがな)
 彼女に薔薇は強すぎやしないか。桐島の目には、どの風景のなかで真っ赤な薔薇ばかりが浮いて見えた。遠野紗夜は、ともすれば晩春の白色の陽射しに、今にも紛れて消えてしまいそうな風情ではあるまいか。そこまで考えたところで、(ガラでもない)と首を横に振り、意識を机の上に引きずり戻す。
 ―― ずいぶん前のことになる。それこそ、彼女が入学してきて間もないの頃。職員室へ向かう途中、桜の香りが淡く薄く鼻先をかすめたことがあった。ひとによっては気にかからないほど薄弱で、開け放たれた窓から、春風がいたずらに運んできたものと思った。けれど、その際、思わず振り返った先にいたのが遠野紗夜だった。そう、
(彼女には、――


 その先を明確な言葉にしたことは未だにない。彼女―― 紗夜が身に着け、彼女を飾る衣服に、淡い桜色の数が増えても。彼と訣別したことをきっかけに、彼女が隣にいる時間が増えても。彼女を、その腕の中に閉じ込める時間が増えても。……それに、いくら抱き締めても、肌に触れるほど近づいても、紗夜から桜の香りはしなかった。
「七葵先輩」
 美しい呼びかけに、七葵の回想は果敢なく弾けた。
「これ、どうしたのですか」
 白い手のひらに、桜を模したヘアピンが載っている。先日、部活動の遠征先で目について、人目を憚りつつ七葵が購入した一品だった。
……おみやげだ。目についたからな」
 ぼそりと言えば、紗夜はくすくすと笑みを含んだ。おかしそうに小さく肩を揺らすさまに、居心地のわるさとくすぐったさを感じたものの、そっぽを向くことだけは耐えた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
 ほのかに染めた頬をゆるめながら、紗夜は両手を使って大事そうにヘアピンを握り込んだ。その嬉しそうな様子に、嘘のないことを確認して、内心ほっと胸を撫で下ろす。安堵から浅く溜息をつくと、桐島は身を乗り出した。ヘアピンを握り込む手を包み、そっと撫ぜるように指を解いて、手の内のものを優しくうばった。そして、艶やかな黒髪のこめかみあたりをかき上げる。そこに自分が贈ったヘアピンを挿し込んだ。金に縁どられているとはいえ、決して派手ではなく控えめなつくり。プラスチックパールが花芯に見立てられ、樹脂の膜に覆われた花弁が淡く透けるのもなかなか小洒落ている……と思う。
 さして値の張る代物ではないし、本当に、何となく目についたから買ってきたもの……とはいえ、ふたつの組み合わせは、桐島の目にはふしぎなほど馴染んで視えた。―― いつか見た五月の薔薇の赤とは違う。
 桜飾りのために露となった膚に、桐島は唇を寄せ、口づけを落とす。
「綺麗だ、――
 耳元で囁かれ、深夜色をした瞳が瞠かれる。頬から耳のさきまでほの赤く染め上げ、紗夜は悩ましげに七葵を睨めつけた。ずるい、と零れた声は、青年の耳に届くには細すぎる。いつになく凝と見つめてくる深海色の瞳に、紗夜は呆気なく観念して瞼を閉じた。腕を差し伸べ、自身の肢体のうえに深く翳る、もう一対のからだを受け容れた。