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千代里
2024-12-20 08:26:48
11303文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その21
羊飼いの宿に到着した頃から続いていた好天は、幸いなことに翌朝からの旅路にも変わることなく残っていた。
イシュガルドは晴れ間が続くことは少なく、良くても曇り空がほとんどなので、昼間でも薄暗い場合が多い。
それを思えば、グリダニアの青空に比べると薄い、まるで氷を空に貼り付けたような色味であったとしても、太陽が雲間から覗くとホッとするものがあった。
そうして、大きな天候の崩れもなく、ノエたちは二日をかけて街道を行きつつ、時に魔物の討伐をしながら先に進んでいた。
今回の目的地は、騎士団の管轄ギリギリのところにある要塞である。そこに続く街道のうち、一つの街道の治安を守るために魔物を討伐、ならびに宿泊施設の管理者の確認をするというのが此度の任務だ。
街道沿いの旅となると、宿が常にあるとも限らない。
初日の羊飼いたちが用意してくれた宿は例外中の例外であり、休息を取ったのは二日とも旅人の休息所として置かれた仮宿の建物だった。このような宿泊所自体は街道沿いにいくつか点在しているが、管理人のいない宿は暖炉や最低限の設備こそあれど、人気もなくシンと冷え込んでおり、泊まれるように準備するだけでも一苦労だ。実質、洞穴で過ごす夜とさして変わらなかったのである。
「それに、暗がりから何か出てきそうでしたから
……
うう、思い出しただけでもゾクゾクします」
昨晩の夜営を思い出し、オデットはチョコボをおりながら、背筋をなぞる寒気に身慄いする。その寒気は、単に外気温が低いだけが原因ではない。
ぶるぶるとかぶりを振り、オデットは顔をあげる。彼女の視線の先にあったのは、小さな村落だった。
これまで見てきた廃墟となった村とは異なり、小さい家々からは人の生活の気配がする。イレーナから聞いた話では、猟師が多く住んでおり、そのために寒冷化の影響を比較的受けずに済んだ村らしい。
この村こそが次の宿であり、オデットたちは昼前に到着してから、村の入り口で入村の許可を待っていた。
イレーナはこの村に何度か来たことがあるようで、早速チョコボを入り口に停めて様子を見にいっている。彼女一人に任せておきたくないからとノエがその後に続き、若人を放っておくと面倒に巻き込まれるかもしれないと、ルーシャンがさらにその後に続いていた。オランローやサルヒなど外見が目立つ者や、オデットたち年少組が残った形である。そして、暇を持て余した挙句、さっきのように独り言を漏らしていたのだ。
「今日は、暗い部屋で泊まることはなさそうですね。よかった
……
」
「オデットは、暗いところが苦手なの?」
オデットの後ろから顔を見せたのはゲルダだ。
騎士や冒険者と同じスピードでついていかねばならないというのに、彼女は疲れた様子も見せず、騎士の巡回に同行している。もしかしたら、食後に飲んでいるヒューイが渡した錬金薬が彼女の体に良い効果をもたらしているのかもしれない。
「暗いところが苦手なわけでは
……
でも、昨晩はヤルマルさんがすごく怖い話をしたので、そのせいで本当にお化けが近くにいるような気がしたんです」
「えーっと、どの話だっけ。首が落ちたのに動き回る人の話?」
「そ、それです」
普段なら何てことない怪談話と笑って流すこともできる、如何にもな内容だったのだが、いかんせん昨日は状況が状況だった。
薄暗い石造りの建物は音がよく響き、臨場感を何倍にも増してくれる。寝ずの番でそのような話をされれば、いくらオデットといえども平静ではいられなかった。おかげで、交代の時間になってからも物音が気になって妙に気持ちが昂ってしまい、なかなか寝付けなかったほどだ。
「ゲルダは、あの話、怖くなかったのですか?」
「そんなに怖いって思わなかったかなあ。だって、そのお化けが私の目の前にいるわけじゃないんだもの。私は、よくわからないお化けより、私を攻撃しようとする人の方が怖いな」
それは心理的な恐怖ではなく、現実的に傷つけられるかどうかというものではないかと思ったが、オデットは反論はしないことにした。
どのみち、自分が首なし男の話に震え上がったことには変わりない。
「じゃあ、今度から暗いところで寝るときはゲルダのそばにいますね」
「うん、いいよ。あ、そうだ。オデット見ていて思い出したんだけど」
「はい、なんでしょう」
「オデット、羊飼いのおじさんの家を出た後から、ちょっぴり元気になったね」
オデットが思わず自分の頬を両手で挟んでいると、ゲルダもあわせて朗らかな笑顔を浮かべる。
「街をでたときよりも、オデットがいっぱい笑ってるなあって。何かいいことがあったの?」
ゲルダの質問につられて、オデットは自分にあった『いいこと』を思い返す。
山小屋でノエと二人きりのときに話たことを思い出し、彼が最後に口にした言葉まで思い出した瞬間、寒さで薔薇色に染まった頬がさらに赤く染まった。
「いいこと
……
は、あったかもしれません」
「ご飯が美味しかったとか?」
「そ、そういうのじゃありません!」
「そうなんだ? てっきり、私がヤルマルと作った木の実の蜜漬けが美味しいのかと思った」
ゲルダが言っているのは、羊飼いの家でヤルマルと家事の手伝いをしているときに、家人である女性から作り方を教えてもらったお菓子のことだ。
彼女は作り方を教えるだけでなく、ゲルダたちが実際に作ったお菓子を持っていっていいと言ってくれたのだ。
「あれは、確かに美味しかったですよね。外は甘くて、中は木の実の味がしっかりと残っていて、お腹にも溜まってくれたので大助かりでした」
「でしょ? あ、でも、その感じだと、それ以外でもっといいことがあったんだよね?」
「う
……
はい、そうです」
どうやら自分は誘導尋問を受けているようだと、オデットは口角を緩めているゲルダをじとっとした目で睨む。彼女の目には「面白そう」という気持ちが、しっかりと表れていたのだから。
「あの
……
実は、兄さんが、わたしに自分の考えを話してくれたんです」
ノエは今、村の中で今夜の宿について話し合いをしているはずだ。だからこそ、ここでその話をしても問題なかろうと、オデットは声を潜めて数日前の夜の出来事を思い返す。
「兄さんが、ミラベルさんに会ってどんな気持ちになっていたのか。兄さんがわたしのことで何を考えているのかってことを、教えてくれたんです」
「私はノエとあまり付き合いが長いわけじゃないけど
……
ノエって、ただお話をするだけで、そんなにオデットが喜ぶほど、自分のことを話したがらない人だっけ」
秘密を共有するように、はにかみながら話すオデットに対して、ゲルダは至極もっともな疑問を口にする。
傍目から見れば、ノエは自分の願望を素直に口にする、人当たりのいい好青年に見えるだろう。サルヒやオランローのように、口数が少ないわけではなく、かといってヤルマルやルーシャンのように多弁で言いくるめるような人物でもない。
だが、オデットはその意見はノエの一面しか見ていないと感じていた。
「確かに、兄さんは自分の考えを隠すような人ではありません」
「そうだよね。イレーナにも、今回の巡回について、いくつか意見を言ってたもの。そういうのとは違うの?」
「はい。えっと、何といえばいいんでしょう
……
兄さんは、お話はしてくれるんですが、自分の中にあるいろんな自分の気持ちの中から、ほんの一部しか普段は見せてくれない人でもあるんです」
彼が口にする言葉のほとんどは、ノエ自身の心情の中でも、彼自自身が良しと思えたものに限られる。とはいえ、その『良し』と思えた部分もノエ自身であるので、決してノエは自分を偽っているわけではない。
ただ、オデットの目から見ても、ノエはあまりに真っ直ぐすぎた。言い方を変えれば、彼は自分の中の清廉な部分しか外に出さないようにしていると見えてしまうのだ。
強い信念のもとに立っているのだとわかっている。だが、いつか彼が折れてしまうのではないかと不安な気持ちはきっとこの先も続くだろう。
「でも、前よりはずっと自分が感じたことを話そうと思ってくれているみたいです。だけど、やっぱり、兄さんは『良くない自分』の話をするのが、すごく苦手なんです」
「苦手? 自分のことを話すだけなのに?」
「兄さんが話せない自分は、兄さん自身が好きじゃない自分のことですから」
「でも、オデットには話してくれた。だから、オデットは今喜んでるってことかな」
ゲルダの要約に、深々と頷く。
自分が喜んでいる理由はどこか曖昧な状態だったが、こうして口にすると、ノエが普段外に見せまいとしている自分を打ち明ける人に選んでくれたのが嬉しかったのだ、と己を見つめ直すこともできた。
それに、オデットが喜んでいるのは、ノエがただ自分のことを打ち明けてくれたからではない。
「
……
兄さんは、ミラベルさんのもとに私が行ってしまうじゃないかって、そう思っていたみたいです」
あまり大っぴらに話すことではないと分かっていても、オデットはことある度に弾んでしまう自分の気持ちを誰かに共有したかった。
(兄さんは、わたしと一緒にいたいって思う気持ちが、いつかわたしを傷つけてしまうかもしれないって言っていました。それほどまでに、わたしの手をとることに執着してくれたんです)
執着されることを望むのは、本来な不自然なことなのだろう。けれども、オデットにとってノエの執着は、単なる「そばにいたい」というだけの気持ちとは一線を画していた。
「
……
兄さんには、ごめんなさいって言わないといけないんですけれど。わたしは、兄さんが悪い人になってでもわたしと一緒にいたいと話してくれたとき、すごく嬉しかったんです」
「ノエが悪い人になるのは、オデットにとって嬉しいことなの? 私は、ノエが優しい人のままの方がいいと思うけど
……
」
「それは、もちろんゲルダのいう通りなんですけれど
……
でも、兄さんは
……
誰に対しても優しい人なんです」
本当ならば、自分を求めてくれる人は優しい善人であってほしいと思うべきなのだろう。
だが、オデットにとって厄介なのは、ノエの優しさはあまりに平等であることだった。
「誰に対しても優しい人の特別になるのって、とてもすごく
……
難しいんです。少なくとも、わたしはそう思っています」
今なら、オデットはオランローが自分に語った言葉ががわかるように思えた。
目の前の相手が一秒でも長く生きられるなら、我が身を擲ってもいい。その発想は、優しすぎる人の目には、自分であろうと特別な形で留まることはないと、ある種の諦めを得たが故のものだったのだ。
「兄さんは、わたしに優しくしてくれます。出会った時から、とても親切にしてくれました。でも、他に困っている人がいたら、兄さんは同じように優しくするっていうことも、側にいたわたしには分かってしまうんです」
それは、ノエの持ちうる美徳の一つだ。そんなノエのことを、オデットは見守っていたいと思うようになった。
それでも、思うのだ。
「だけど、わたしは悪い子ですから。兄さんは、わたしにだけ優しくしてほしいって思う時もあるんです。そうしたら、わたしへの優しさはわたしへの『特別』なんだって思えますから」
内緒ですよというと、オデットの新しい友達は神妙な顔で頷いてくれた。
もっとも、実際ノエがオデットのためとはいえ、周りをまったく顧みない悪人となったら、オデットはノエを軽蔑してしまうだろう。自分のせいで彼が変わってしまったと、己を責めてしまうに違いない。
(わたしのお願いは、とても自分勝手なんですよね)
できるなら、この話はゲルダと自分だけのものであってほしい。
ノエに聞かれていないだろうかと急に不安になり、イレーナと村の中に行ってしまったノエを、ここからでは見えないと分かっていながらも探してみる。
「お嬢さんたち、暇してるのかい」
だが、ノエの代わりに聞こえたのは待ちぼうけになっている少女二人の背後から姿を見せたヤルマルの声だった。
村に入るための準備は万端といったようで、二日ぶりの屋根のある宿が嬉しいのか、ヤルマルの耳は常より細かに動いている。口角がくいっと持ち上がっているは、暖かな宿を恋しく思っているからだろう。
「ヤルマル。あのね、オデットがヤルマルの怖い話を聞いて本当に怖くなっちゃったって」
「ちょっと、ゲルダっ!」
先ほどの話は内緒と言っていたので話すつもりはないようだったが、代わりにゲルダはオデットが怖がった件について話題にした。
「おや、そうなのかい。まあ、首が落ちても動きまわる怪物がいるなら、もう一度停止するまで体を破壊すればいいだけのことさ」
「そ、そうですね
……
」
「そうそう。お化けなんて、自分の魔法と矢で全部やっつけちゃえばいいんだよ」
それはそれで、随分と直接的な解決法だとオデットは口元を引き攣らせる。
常の気さくな態度で忘れがちだが、ヤルマルは長らく冒険者として過ごしてきた熟練の先達だ。そんな彼女にとって、首なしお化けなど、怪談としての恐怖よりも先に現実的な対処が頭によぎるのだろう。
「それで、ゲルダ。君の方はどうなんだい」
ヤルマルが言外に何を言いたいのか察して、ゲルダはこれまでの少女らしい微笑みを引っ込め、首を横に振った。
「
……
お母さんの気配はする。声も
……
少し感じる気がする。でも、お母さん自身の姿が見えないの。それに、お母さんの声も私を呼んでいる感じじゃないみたい」
「君の目算では、君がいなくなれば母親は『彼ら』から離れるだろうってことだったね」
ヤルマルは明確な言及を避けたが、母竜が異端者に協力しなくなるだろうかと、彼女は尋ねていた。
ゲルダは、どこかおずおずと頷いたものの、以前と比べるとその顔には困惑があった。
「
……
そのはずだよ。お母さんなら、もっと私を早く見つけられるって、思ったんだけどな」
「ともあれ、見つからないなら仕方ない。気配がするなら、今は様子を見ているのかもしれないな」
ゲルダは母親が近くに来たら必ず言うとヤルマルに約束したが、彼女の顔が晴れることはなかった。
彼女の目算では、母親の気配がしたらすぐにでも自分の元に姿も見せてくれると思っていたのだ。なのに、肝心の母竜は沈黙を守っている。予想に反した行動に、娘であるゲルダ自身も面食らっていた。
「さて、そろそろノエたちの交渉も終わったかな。ほら、三人が戻ってきた」
入り口に向かって戻ってきたイレーナとノエ、そしてその後ろから姿を見せたルーシャンに、オデットたちも表情を緩める。
だが、近づく彼らの表情を見て、三人は眉を顰めた。彼らは、単に宿泊の許可をもらってきたとは思えないほどに険しい顔つきをしていたからだ。
「ノエ、ルーシャン。それにイレーナさん。何かあったのかい」
「月並みだが、良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースってのは、無事に宿として用意していた施設を使っていいって話がまとまったことだな」
ルーシャンのもたらした吉報にヤルマルは耳をピンと立てたが、同時に彼は聞き捨てならない一言も添えていた。
「それで、悪いニュースって?」
「疲れているところ、言いにくいのですが
……
村民の方々から、魔物の討伐の依頼がありました」
ノエの齎した凶報に、ヤルマルたちは揃って剣呑な顔つきになる。
「竜の眷属を目にしたという報告だ。村の猟師が今朝方見つけたと言っていてな。ドラゴンフライの群れらしい」
「そんでもって、到着早々で悪いがそいつらを討伐してくれと頼まれたってことだ」
「当然、騎士として私は民の要請を断るつもりはない」
朗々と告げるイレーナ。彼女の声を聞いて、ヤルマルも陽気な冒険者の顔から一転、魔物を討つ狩人の表情に切り替えていた。
「そういうことなら、休憩は後のお楽しみにしようかな」
「はい。わたしも頑張ります」
どうやら、もう一働きする必要があるらしい。オデットもヤルマルを見習い、腹の底にぐっと力を込めた。
***
「見た目は竜みたいだったが、ありゃ多分竜虫だな。たしか騎士様が前に話していた
……
」
「ドラゴンフライか?」
「そう。そいつだ。あれは一匹や二匹じゃない。まるで羽虫が腐った肉にたかったみたいに集まってやがった」
討伐の依頼について具体的な内容を話してくれたのは、この村で猟を生業にしている者だった。
そもそも、この村自体が農業ではなく狩猟を生業としている者たちで村人の多くが構成されている。依頼主も他の村人同様、猟師として普段から山野を駆け巡っており、朝の狩りに出かけた時に件の魔物の群れを目にしたのだと語った。
「つまり、簡潔にまとめると山中でドラゴンフライの群れを見かけたということだな」
「ああ。あの特徴的な影は、間違いない。一体二体なら俺たちでもなんとかなるんだが、あの数は流石にな
……
」
村の外で依頼の話をするわけにもいかないので、一行はまず目撃者の住む家へと案内され、話を聞いていた。宿泊小屋に腰を落ち着けるのは、この討伐の後になるだろう。
「しかもそれが群れとなっているってなると、竜どもがけしかけたんじゃないかって年寄り連中はいうわけだ。流石にそんなこたぁないだろうが、念には念をって言うだろ?」
「竜がけしかけるとドラゴンフライは群れをなすのですか」
ノエの疑問に、猟師は煮え切らない反応を返す。あくまで年寄りの経験則にすぎない、と言いたいようだ。
ドラゴンフライといは、以前ノエの父が治めていた町にも出現した小型の魔物だ。見た目は竜に少し似ているが、近くで見ると巨大な羽虫という印象の方が先走る。
オデットも一度戦ったことはあるので、彼らがどのような生態を持っているかはおおよそ予想がついていた。
「ドラゴンフライは、元々知性の低い魔物だ。本来の生態ならば、群れを成して行動するようなことはない」
「ただ、あいつらがたまに群れを作る時があるんだ。そういう時は、大体竜の声が近くでするときだって年寄りたちは言うんだよ」
イレーナの説明の後を引き継いだのは、目撃者の猟師だ。長らくこの地で住んでいる分、彼らは魔物の生態にも詳しいらしい。
「竜は魔法みたいな力で、魔物を従わせることもあるの。多分、そのせいで群れを作るようになったんだと思う」
猟師が口にした推測に対して明確な答えを示したのは、オデットの背後に控えていたゲルダだった。
彼女はいつもとは異なる険しい面持ちで、
「その魔物が群れを作っているなら、きっと本当に近くに竜がいる」
「そこの娘のいうとおり、近くに竜が潜んでいる可能性は高い。だが、だからといって、魔物の群れを放置しておくわけにもいかない。目撃した場所については、すでにそこの者から聞いている。速やかに討伐の任に就き
――
」
奴らを殲滅する、とイレーナが言いかけたときだ。
ドンドンドンと入り口の分厚い木戸を叩く音が室内に響く。ものものしい気配に、一行の間に素早く緊張が走った。
「誰だ?」
「開けてくれ! 今、騎士様が来てくださっているんだろう!? 至急、話したいことがある!」
「心配する必要はない。隣の家のマーカスだ。おい、どうかしのか」
魔物の報告をしていた猟師はいち早く警戒を解くと、イレーナの無言の問いかけに軽い説明を返し、すぐに扉を開いた。部屋に転がり込んできたのは、青い顔をしたヒューラン族の壮年の男性だ。
「どうしたんだよ、マーカス。そんな青い顔をして」
「何を呑気なことを言ってるんだ! で、出たんだよ! 奴が出たんだ!」
「魔物の群れのことだろ? それなら俺も見たぞ。だから、こうやって騎士様に報告して
……
」
「魔物の群れ!? そんなものじゃない、あれは
――
あれは、竜だった!!」
悲鳴混じりの報告に、先ほどの時点ですでに引き締まっていた空気が、更なる緊張に張り詰める。
イレーナだけでなく、その場にいた全員がお互いに無言で視線を交わし合った。果たして、これは事実なのか。それとも混乱した男の誤認なのか、と。
「そいつは、本当に竜だったのか? 蜥蜴に似た魔物もいるだろ?」
「見間違えるものか。確かにあれは竜だった! 手のあたりがでっかい蝙蝠みたいで、空を飛んでいたんだ!」
猟師は大きく手を広げ、自らが目にした光景を何度も繰り返す。その説明を聞き、ルーシャンがぽつりと呟く。
「
……
飛竜だな」
「はい。恐らくは」
「まさか、また人を攫いに
……
?」
サルヒが相槌を打つ傍ら、ノエは父が治める町を襲った飛竜のことを思い出していた。
あのとき、竜は異端者の手先となり、街の人を攫う動きを見せていた。飛竜の全てが人攫いの命令を受けているとは思わないが、この領地はノエの父の領地と隣り合わせだ。ラペイレット領で活動していた異端者が、移動した可能性は無視できない。
「ねえ。このあたりに、飛竜ってよく見かけるの?」
マーカスという名前らしい目撃者に尋ねたのは、ゲルダだった。彼女は先ほどよりも厳しさの増した顔で、男たちを見つめている。
彼女のただならぬ気配を察したのか、マーカスはややたじろぎながらも、素早く首を横に振った。
「いや、飛竜はあまり見かけないんだ。この村のそばにある山は木々が多いからか、空を飛ぶでっかい魔物たちは近寄りたがらないんだよ」
「
……
そうなんだ。でも、じゃあ、どうして?」
「それじゃあ、やっぱり見間違いじゃないのか」
「俺が嘘をついているって言いたのかよ!?」
できるなら、何事もないという結論に至りたいのだろう。ドラゴンフライの目撃者は、マーカスの目撃情報については見間違いであってくれとどこかで望んでいるようだった。
「マーカス、といったか。すまないが、竜を目撃した場所を教えてくれないか」
「も、もちろんです、騎士様! 飛竜となれば、俺たちじゃ手も足も出ない。危ないことを頼むことになっちまいますが、どうかやつの討伐をお願いします!」
マーカスはイレーナが広げていた地図を睨み、さっそく竜を目撃した場所にペンで印を刻み始めた。
その位置を見て、一行はますます渋い顔になる。飛竜の目撃場所は、ドラゴンフライの目撃情報があったところとは真反対に位置していた。ちょうど、両者を繋げれば東西を亘る長い線を引くことができる位置だ。
「飛竜を後回しにするか?」
「ですが、その間に飛竜が移動してしまったら捜索は困難になります」
「そうなると二正面作戦になるか。二手に分かれる必要があるが
……
」
「なら、私が飛竜にあたる」
ノエとオランローが段取りについて話し始めた矢先、イレーナが真っ先に結論を口にした。
だが、それはイレーナが単独で飛竜に対処すると言っているも同然の内容だ。
「私一人で飛竜を倒し、お前たちがドラゴンフライを仕留める。お前たちはその後村に残り、警備につけ。飛竜なら、私は一人で仕留めた経験もある」
「だからって、単独で行く必要はないのではありませんか」
イレーナのいうとおり、飛竜自体は単独で仕留めることは不可能ではない竜だ。ノエも、父を襲った飛竜をほぼ一人で仕留めたことがある。
だが、だからといって単独で容易に仕留められる相手かといえば、そうではない。竜は竜だ。命を落とす危険はある。
「何人か、僕たちもあなたの支援につきます。ドラゴンフライの群れは残った者で対処する。それなら、戦力を均等に分けられます」
「では聞くが、ドラゴンフライの群れは何頭ぐらいいた?」
いきなり話を振られた猟師は、やや面食らいながらも「十以上は」と答えた。
「聞いたか。十以上の魔物だそうだ。少数で仕留めに行き、もし倒し損ねた魔物が出たらどうする。飛竜は、幸い一体しか目撃されていない。一対一なら、目を離した隙に見失うということもあるまい」
イレーナの言う通り、大量の魔物を一匹も漏らさずに倒し切るのは、少数の人員では難しい。
そして、この場合、倒し損なった魔物の向かう先が、山の麓にあるこの村である可能性は十分にある。
「ですが、それでも少なくとも一人は、あなたの加勢に回った方がよいはずです」
「
……
言い方を変えようか。私は、貴様らの戦闘の腕は買っている。だが、貴様らを信頼しているわけではない」
ぴしゃりと頬を打つような拒絶の物言いに、ノエは青銀の瞳を見開く。その言葉は、ノエの申し出を強固に拒む壁でもあった。
「貴様らが臆病風に吹かれて、飛竜との戦いの最中で逃げれば、私とて隙をつかれて苦戦を強いられるだろう。そのような不測の事態が挟まるぐらいなら、最初から貴様らの支援は不要だと言っているのだ」
「
……
僕は、味方を敵の前に置き去りにするような卑怯な真似はしません」
「言っただろう。私たちは、傭兵を信頼していない。それに、お前たちの味方になったつもりもない」
イレーナは「私」ではなく「私たち」と言った。それは、彼女がピヌヌ率いる部隊に集う総員を代表しての発言であるという意味だ。
彼らは、傭兵を毛嫌いしている。以前から聞いていた話ではあったが、ここにきてその言葉が単なる好き嫌いの感情以上のものであると突きつけられた。
「安心しろ。六人であたれば、問題なく魔物の群れは討伐可能だ。お前たちの戦闘力だけは、私も信頼している。それに、仲間同士なら敵の前で置き去りにすることもあるまい?」
暗に、自分はお前たち六人の仲間ではないと彼女は宣言した。
イレーナがノエたちの助けを拒否しているのは、ノエたちの戦力が原因ではない。自分が背中を預けたはずのものが、次の瞬間には味方を見捨てるかもしれないという不安。そんなものを抱えたまま、飛竜と戦いたくないと言っているのだ。それは、たった数日行動を共にしただけでは拭いきれない不審の感情だ。
イレーナは猟師たちに向き直り、
「この地に生きる貴方がたの安全を守るために、我々はこれより魔物と竜の討伐に向かう。念のため、村の警備をいつもより厳しくするように、長に伝えておいてくれ」
まだ討伐の知らせを聞いたわけでもないのに、安堵した様子の猟師たちに、イレーナを胸を軽く叩いて自信があるという素振りを見せる。
空元気であろうと、彼らが安心するなら彼女は騎士として不安な顔を見せるわけにはいかないのだろう。
「
……
ねえ、オデット」
どこかピリピリした空気の中、ゲルダがオデットの服の裾を引く。ゲルダは、まるで自分が竜の前に置き去りにされたかのように険しい顔つきになっていた。
「何か気になることでもあるのですか?」
「
……
うん。あのね、お母さんは、飛竜の友達が多かったの。だから、もしかしたら
……
」
もしかしたら、目撃された飛竜は母竜が差し向けたものかもしれない。ゲルダはそう言いたいようだ。
「ですが、それならお母さまはお友達をこのような場所に行かせたのですか?」
わからない、とゲルダは俯く。彼女が母竜の思惑が読みきれず混乱しているのは、傍にいるオデットにはすぐにわかった。
「きっと、何か理由があるのだと思います。もしかしたら、飛竜については見間違いかもしれませんよ」
「
……
そうだといいんだけど」
「どちらにしても、魔物も竜もゲルダにとっては危ない存在なのですから、ゲルダはこの村の中で待っていてくださいね」
「
……
うん。オデット、気をつけて行ってきてね」
自分の友人から少しでも不安を拭おうと、オデットは笑顔を見せる。だが、ゲルダの表情は、先に続く不穏な空気を感じ取ったかのように、依然として暗いままだった。
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