みずあめ
2024-12-20 00:25:29
2627文字
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久々綾

怪我したくくちを心配するあやべの話です。

校外実習から血の匂いをさせて帰ってきた久々知先輩に怒った僕はここ数日先輩のことを避けて過ごしていた。怪我はそこまで大きなものではなく順調に治っているらしいと、僕を探しに部屋に来た久々知先輩から滝夜叉丸が聞いて僕に教えてくれたから、久々知先輩不足もあと数日の我慢だ。
僕の意思で先輩のことを避けてはいるけれど、僕だって先輩に会いたいに決まってる。でも、もしその怪我が今回みたいに軽いものじゃなくて、命に関わるようなものだったら? もう一生会えないなんてことになったら、どうするの。
だから久々知先輩にはなにがなんでも怪我をしないで帰ってこなくちゃって、そうじゃないと僕に会えなくなるんだって、そう覚えてもらいたいから、僕は怪我をしている先輩を避け続けていた。あなたの血の匂いなんて、もう二度と嗅ぎたくない。
「ようやく見つけた」
「っ!」
たくさん掘った落とし穴のうちのひとつ、表面は綺麗に埋めた穴の底。暗くて静かで一人で気を鎮めるのにちょうどいいそこに突然光が降ってきて、焦がれていた声が優しく響いた。
パッと顔を上げた僕は太陽みたいにまぁるく空いた穴を覗き込むその人を見つけて咄嗟に踏鋤をすぐ横の土に突き立てたけれど、穴を掘り進めるより先にその人は穴の中に落ちてきて僕の腕を軽い力で掴んだ。「喜八郎」と、聞き慣れた声が僕の名前を呼び、少しも抵抗せずに僕は踏鋤から手を離す。
……お怪我の具合はどうですか、久々知先輩」
「もう治った」
……
「本当に。もうどこも痛くないよ。……あ、やっぱり嘘。喜八郎と全然会えなくて心が痛かった」
薄暗い穴の底に二人きり。もっと大きく掘ればよかったなと考えてしまうくらい久々知先輩がすぐ近くで、逃げようもなく僕は顔を俯けた。こんなことしたって意味がない。だって絶対このうるさい心臓の音は先輩にバレているから。
「心配かけてごめんな。でもこんなに避けなくても良かっただろう? せっかく任務を終えて帰ってきたのに、好きな子と会えないなんて寂しいよ」
……
「喜八郎、まだ怒ってる? どうしても、喜八郎のことぎゅーって抱きしめたい。だめ?」
無理に顔を覗き込んだりしないし、勝手に抱きしめたりしない。久々知先輩の思慮深いところを尊敬しているし好きだと思う時もあるけれど、今は何も言わずに抱きしめてほしかった。豆腐を前にした時と同じように、周りの意見なんて気にせず一直線に行動してくれたっていいじゃん。僕じゃ豆腐には敵わないのかな。
「いいよって言って、喜八郎。喜八郎が俺のことを大切に思ってくれているように、俺もちゃんと喜八郎のこと大切にしたいんだ。でももう、本当は今すぐにも抱きしめたいから、そろそろ我慢の限界」
……久々知先輩」
「うん」
……もう、怪我しないって、約束してください」
……約束は、できない。でもできる限り怪我をしないようにするよ。今まで以上に気をつける。俺が怪我したら喜八郎がこんなに心配するんだって今回のことでよく分かった」
…………怪我したとこ、見せて」
「え、いま? ……あとで、明るいところで見せるよ。お願い、喜八郎、もうイジワルしないで」
「ふ」
もう少しも我慢できないって甘えた声が穴の中で反響して僕のことを包み込む。まだ怒っていたかったのに、そんな声で名前を呼ばれたら我慢できなかった。
顔を上げて久々知先輩と目を合わせ、その瞳がパッと丸く見開かれるのと反対に僕はふわりと目を細めた。一歩も動くことなく、ただ重心を前に傾けるだけで僕は簡単に久々知先輩の腕の中に飛び込めて、先輩の背中に腕を回すと同時に先輩も僕の体をぎゅっと抱きしめる。耳を当てた胸からとくとくと心臓の音が聞こえて思わずほっと息を吐いた。
「久々知先輩、あったかいですね」
……喜八郎がいるからだよ」
「それじゃあ冬の寒さに耐えられなくなったら僕のところに来てください。ついでに僕もあったまりますので」
…………冬じゃなくても、喜八郎のところに行っちゃダメ?」
「ダメだと言われたら来ないんですか?」
……行きたい、けど」
「止めても無駄なら止めるだけ無駄でしょう」
「そうだけど、そうじゃなくて、……喜八郎も良いと思えることをしたいんだ。無理強いはしたくない」
……僕があなたが来ることを嫌だと思うと、そうおっしゃってるんですか?」
……嫌な時もあるだろう。たとえば、今回みたいに」
「久々知先輩、バカですね」
「は」
「本当にバカ。い組の先輩だなんて信じられません」
「な、なにを」
「嫌なわけないでしょう。僕はずっとあなたに会いたかった。何を素直に反省して諦めているんですか。たとえ僕が避けたって、先輩なら今日よりもっと早く僕のことを見つけられたでしょう」
「は? だって、喜八郎が会いたくない、会いに来るなって」
「だからそれを素直に受け入れるなと言っているんです」
「はあ!?」
「会いに来てよ、先輩。僕が怒ってても、拗ねてても泣いてても、会いたくないって言っても会いに来て。無理矢理に僕の顔を上げさせて「ただいま」って言って。そうしたら僕、「おかえり」って言うしかなくなるでしょう。それでいいんです」
…………ただいま」
「遅いです。帰ってきてから何日経ってるんですか。行ってきますって言ったのに全然帰ってきてくれないから、ぼく、……っ」
我慢してた涙が一気に吐き出した言葉と共にぼろっと溢れて、僕は慌てて俯き先輩の胸に額を当てた。薄暗い穴の底、冷たい地面に落ちた水分はすぐに土が吸い込んでいく。大丈夫、もう久々知先輩は僕の腕の中にいる。血の匂いは少しもしない。温かい手のひらが、僕の頬を包み込んだ。
「不安にさせてごめん。待っていてくれてありがとう」
カサついた指が頬を濡らす涙を拭っていく。無理矢理で良いって言ったのに、久々知先輩は優しい力加減で僕の顔を上に向かせた。何度まばたきをしてもボヤけていた視界は先輩が涙を拭い取ってくれて鮮やかになる。愛おしいものを見るような甘い瞳が僕だけを映して輝いていた。
「ただいま、喜八郎」
……おかえりなさい、久々知先輩」
もう、泣きながらあなたを迎えるのなんて御免ですよ。強く抱きしめたこの熱を一生手放したくなんてない。先輩も、僕のことを放さないでいてね。僕がその場で何を言おうと、本心では絶対、あなたと一緒にいたいんだから。