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ナスカ
2024-12-19 19:31:47
7058文字
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千寿菊に誓う⑨
前回の続きです。
銀色の髪の奥から、ぎろりと深紅の瞳がこちらを睨んでくる。椅子に座り、腕を組み、彼は明らかに威嚇していた。
緊張はある。彼と会うのは年単位ぶり。真っ当に会話をするのは初めてだ。
「
……
よう。久々だな、おっさん」
低く這うような声に、私は気圧された。だがここで押されては彼のお眼鏡にかなうことはできないだろう。硬くなりすぎないよう、私は気さくさを軽く纏った。
「お久しぶりですね、ルベル君」
私は、これから義弟となる予定の
……
リンクさんの弟君と二人きりで対面していた。
✽✽
二度目のデートの際、リンクさんから「弟が貴方に会いたいと言っている」と聞かされた。世の男性は愛する女性を妻に迎える折、ご実家に赴いてご両親に挨拶をするのが礼儀だ。私の場合、ご両親に相当するのはリンクさんの唯一の肉親である弟君である。いつか彼に挨拶をすることになるとは思っていたが、まさかこんなに早くそれが訪れるとは思わなかった。
互いの都合を鑑みて、改めて日程を決めることにした。
その日が来るまで、私は弟君に何を話すべきかを考え続けた。お姉様であるリンクさんとの出会いや、騎士学校で生徒として見守っていた時のこと、婚約者候補として彼女と再開した時の驚きと申し訳無さ、お付き合いさせていただくことになってから感じた喜びと愛しさ
……
。伝えたいことはたくさんある。弟君が聞き入れてくれるかどうかは別として。彼にだって私に言いたいことは山ほどあるはずだから。
ぐるぐると考える内、ついにその日はやって来た。私は最大限の敬意を示すため、礼服を着て面会に臨む。リンクさんとのお付き合いは国王陛下からの御命令が根幹にあるので、面会会場は向こうが用意してくれることとなった。そこは城内の大きな塔から生えるようにある小塔。私としては通い慣れた王城にある一室に過ぎないが、弟君にとってはそうではないはず。城の雰囲気にきっと緊張していることだろう。そう思っていた。
しかし、面会会場であるその部屋に入った途端、その予想は大きく裏切られた。
ジャガード生地が張られたソファに弟君はふんぞり返ったようにどっかりと座り込み、足を組んでいた。服装は私同様、礼服だ。だが私への敬意と言うよりかは、城に対する礼儀でしか無いように思えてしまう。
「
……
まあ、座れよ」
弟君は、自分に向かいにある同じソファを顎でしゃくって示した。
「
……
失礼致します」
私は頭を下げてから、ゆっくりと腰を下ろした。
「
……
で、おっさんは姉貴と結婚するつもりなのか?」
早速本題に入られた。前置きもなし。これを無礼と思うか、当然の対応だと思うか。私は当然の対応だと思わざるを得ない。
「
……
はい。リンクさん
……
貴方のお姉様の夫になりたいと望んでおります」
「あんた、自分の年齢わかってんのかよ?」
痛い指摘だ。リンクさんは今十八歳。私は四十六歳。二十八歳も差がある。愛に性別も年齢も関係ない
……
とはよく言うが、五十近い男が二十代にも満たない若い女性を伴侶に選ぶなど、現実的に考えて良いこととは言えない。事実、見合いの席を設けられるまでそんな男に良い印象を抱いたことはなかった。
自分がそうなっていることへの嫌悪感も、あることにはある。
「
……
元々、結婚するつもりなど無かったのです。独身のまま生きて死ぬことに、何の疑問も持っていませんでした」
「国王陛下に命じられたから、だったな」
「えぇ
……
」
その点に関しては、弟君も私のことを非難するつもりは無いらしい。陛下の命令は絶対。逆らってはいけない。
「けど、なんでよりによって姉貴を選んだんだ。あんたは、姉貴の教官だっただろ」
「長いお話になりますが、してもよろしいでしょうか?」
言われっぱなしは私としても癪だ。こちらにだってそれなりの経緯と理由がある。声色穏やかに、しかし決してナメられないように、私は弟君に訊ねた。弟君君はそっぽを向いて答える。
「別に、良いけどよ」
「ありがとうございます。
……
お姉様との出会いは、騎士学校の特別科編入試験の解答用紙が始まりでした」
自分で言葉にする内、懐かしくなった。あの頃はリンクさんとこんな間柄になるなんて、思ってもみなかった。
「まさか、筆跡を見て惚れたとか言うんじゃねぇだろうな?」
弟君は長い事放置された生ゴミでも見るような目でこちらへチラリと視線を向ける。相当な嫌われっぷりだ。だが妙な憶測を根拠にそうされては困る。
「とんでもない。素晴らしい解答に感心したのですよ。騎士の職を自分の飾りだと思うような者が増えている中、この方は本気で民と王家に仕えたいのだと、とても嬉しくなったのです」
「
……
姉貴は、そういうヤツなんだよ」
弟君はぶっきらぼうにそう言う。頬杖をついて、窓から見える外の風景を見ていた。
「いつも自分のこと後回しにして、周りのことにばっか気ィ使って
……
。昔っから利他的っつーか、自分を疎かにするっつーか
……
」
その語り口は、愛しさやもどかしさに溢れながらも愚痴っぽく、しかし敬いが込められていた。彼がこの世で一番長くリンクさんの側にいるのだから、思うことは色々あるのだろう。
「だから、オレには姉貴が夢を諦めてることがわかってた。その諦めてた夢ですら利他的なんだから、笑っちまうけどよ」
微かに弟君の口角が上がる。それにつられて思わず微笑みかけてしまい、そんな私の顔を見た弟君はバツが悪そうにする。
「
……
ワリィ、話が逸れたな」
「いいえ。貴方のお話も聞きたかったので、嬉しいですよ」
弟君はやはりブスッとしている。彼の態度にも少し慣れてきた。
「その試験の採点が終わった時でしたね。夜遅く、リンクさん御本人にたまたまお会いしたのです。複数の男子生徒に囲まれていて、よもやという場面でした」
弟君は鬼のような顔をしてガタッと勢いよく立ち上がった。今にも過去へ飛んでいって、あの不届きな生徒たちに殴りかかりそうだ。
「落ち着いてください。何事も起きぬよう、男子生徒たちは追い払いました」
「わかってねぇな! 絡まれた事自体がオレにとっちゃ最悪なんだよ! 姉貴がつえぇからって、数で何とかしようなんて
……
卑怯なヤツらだ!」
そう叫ばれて私は自分の発言が迂闊だったことに気づく。そうだ。事は起こっていた。ただ、途中で止めただけ。
「
……
すみません、失礼なことを言いました」
私が頭を下げると、弟君が纏っている怒りの覇気が引いていく。座り直す音がして、彼が冷静さを取り戻したことがわかった。
「
……
いや。あんたがいなかったら、もっとひどいことになったかもしれねぇし
……
。話を続けてくれ」
「わかりました。
……
念の為、宿舎まで送ることにしました。部屋の前に掲げられた表札を見て、私は初めて彼女がリンクさんだということを知ったのです」
「じゃあ、あんたは姉貴だって知らずに?」
「そんなところですね」
私の答えに弟君は「ふーん」と言いながら脚を組み直した。出会いを話すだけでこの長さだ。果たして私は彼とどのくらい会話することになるのだろう。
「その時から目ェ付けてたってわけか?」
ふんぞり返っている弟君は、私よりも背が低いはずなのに見下されているように感じる。それにしても目を付ける、なんて人聞きの悪いことだ。
「目をつけるというか
……
目にかけていたというのが正しいでしょう。書類に目を通すと、少なからずともご家庭の事情を知りますからね。苦労しつつも立派な騎士になろうというリンクさんの姿勢に、むしろ私が励まされたのです」
あの日の気持ちは今でも思い出せる。どれほど教授しようとも考えを変えない愚かな生徒が増えていく中で、気高い信念を持つリンクさんは私にとっては希望だった。
「リンクさんの事は気がかりでしたが、己の立場は弁えております。教官とは言え、四十過ぎの男が若い女性に甲斐甲斐しく接することが周囲からどう見られるかは
……
理解しているつもりでしたから」
「んで、どうして『こういう仲』になったんだよ?」
そうだ。今の弟君から見れば、私の行動は矛盾している。周囲に対する考え方が、自分の所業を咎めるのに使用されていないとなれば、『お前が言うな』ということになってしまう。
「
……
ある日、お姉様から告白されてしまったのです」
「それは
……
姉貴からも聞いた」
弟君は顔を片手で覆い、呆れから来る深いため息をついた。これに関しても、反論する余地は無いらしい。
「
……
断ったんだよな?」
「はい。私と交際してしまえば、リンクさんの未来が潰えてしまうかもしれません。教官として、それは許されざることですから」
「卒業する時、もう一回アタックしたって聞いたけど」
「その時もお断りしました。私は恋愛経験ゼロで生きてきた故、誠意あるお付き合いができそうにないと、お話したのです」
私がそう言うと、弟君は黙り込んでしまった。なんと返事をしてくるのかどぎまぎしながら彼のことを見つめる。ようやく弟君は口を開き、ムッとした顔でこちらを睨みながら言った。
「
……
変なおっさんだな」
「
……
まあ、変人と言われたことはありますね」
弟君は脚を組み直し、右膝の上に組んだ両手を載せながら少しばかり威圧を緩めた声で言った。怒りよりも落ち込みが勝っている。何が彼をそうさせているのか、よく掴めない。
「結局、姉貴のことどう思ってるんだよ?」
「努力家だと思っています。それはリンクさんを生徒として見守ってきた頃から変わりません」
「じゃあ
……
、その、恋人としては?」
言葉にするだけで吐きそう、というレベルのしかめっ面をしながら訊ねられた。
「お付き合いさせていただく中で、お姉様は時々寂しそうなお顔をされていました。もちろん、それは私の杞憂かもしれません。けれど仮にリンクさんが心のどこかで孤独を感じているとしたら
……
、私は、あの子の側にいたいと思っています。どちらかが、死ぬまで」
そう言い終えて、私は唇を固く結んで弟君を見つめた。弟君もしばらく私のことを見ていたが、「おっさんと見つめ合うとか、ねぇわ」と言いながら天井を仰ぎ見た。
「それ、姉貴には伝えたのか?」
「
……
いいえ。不甲斐ないことに、まだ」
「本当に不甲斐ねぇな。まさに甲斐性なしだ」
「仰るとおりで
……
」
私の回答に弟君は不満タラタラな様子で片眉を吊り上げる。
「あのさァ」
「はい」
「オレのことはもう良いから、とっとと姉貴のところに行ってこい」
「えっ
……
」
弟君の言葉に私は僅かに促音を出すことしかできなかった。
「それを姉貴じゃなくて、オレに話してどうすんだって言ってんだよ」
弟君はむず痒そうな顔をした。物理的に痒みを催したのか、後頭部を掻き始める。
「
……
ったく、あんたも姉貴も、ヒトにばっか話して、なんで相手に直接言わねぇんだか
……
」
「ルベル君
……
」
「いいか、結婚を許可するわけじゃねぇぞ? もし姉貴を幸せにできねぇなら、あんたをぶっ殺すからな」
ビシッと人差し指を突きつけられた。だがそれを非難だとは思わなかった。むしろ彼なりに背中を押してもらったように感じる。私は深く頭を下げた。
「ルベル君、今日はありがとうございました。急いでリンクさんのところへ行ってまいります」
「ッ
……
、あぁ! さっさと行ってこい!」
弟君の舌打ちと叫びを背に受けて、私は小塔の一室から飛び出した。
リンクさんは、今日非番だったはず。
✽✽
「リンクさん!」
お掘りの際に佇むリンクさんの背中を見た私は叫んでいた。やっと見つけた。振り向いたリンクは心底驚いている。息切れしている姿を見せたことがなかったからだろうか。
「アルバート様?どうして
……
」
「あちこち探し回ったんですよ。宿舎に行ったらルームメイトの方に『図書館かも』と言われて、図書館に行ったら司書の方に『もう出られました』と言われて
……
」
「ルベルと話してたんじゃないんですか?」
「えぇ、話しました。弟君は、やはり貴女のことを大切に思っていらっしゃいますね」
「失礼なことを言いませんでした?」
リンクさんの問いかけにどう答えるべきか迷った。けれど嘘は言いたくない。
「相応のお言葉をいただきましたよ」
「やっぱり
……
」
リンクさんのため息は弟君によく似ていた。姉弟だから当然と言えば当然なのだが、共通点があることが羨ましく思えてならない。しかしその気持ちこそ、私が彼女の側にいたいと願う理由のひとつだ。
「けれど先程、弟君から貴女に会うように言われました」
「あの子が?」
「はい」
人目が無いことを確認してから、私はリンクさんの両手を握った。私が何を言わんとしているのか、リンクさんはジッとこちらを見上げてくる。息を呑み、覚悟を決めた。添い遂げたいという、一大事を。
「
……
私は、貴女の夫になりたいです」
「!」
リンクさんの目が、僅かに見開かれる。けれどすぐに顔を逸らされてしまった。
「私を見てください」
咄嗟に出た言葉がそれだった。リンクさんは気恥ずかしそうに、そっとこちらを向く。頬が赤い。照れているようだ。私はリンクさんの右手を優しく握り、左手に重ね、彼女の両手を己の片手で包み込む。空いた方の手で赤みのさす頬にそっと触れた。
「ア、アルバート様
……
」
「貴女は時々、寂しそうな顔をされます。どうすればその寂しさが癒えるのか、私にはわかりません。けれど、もし貴女が
……
私、などを」
口を開け。声に出せ。言え。言うのだ。
貴女を愛していると。貴女の側にいられる人間でいたいと。
「
……
私などを求めてくれるならば、私は、貴女の側にいたい。居て許される存在になりたい」
「ッ
……
!」
「私は、貴女をお支えする人間になりたいのです」
薄氷色の瞳がうっすらと涙の膜に覆われる。けれどリンクさんは雫ではなく笑みをこぼし、その瞬間私に寄りかかってきた。すらりとした身体を抱きとめ、頭と背中に手を回す。触れ合った胸から、ドク、ドク、と鼓動が伝わる。きっとリンクさんにも私のそれが届いているはずだ。
「貴女を、愛しております」
ぴく、とリンクさんの体が震えた。更に脈が速まって体が熱くなっている。このまま抱きしめ続けていたら、リンクさんが融けて無くなってしまいそうだ。私は一度リンクさんを解放した。リンクさんは耳まで真っ赤になっている。
「アルバート様、その
……
」
「突然、こんなことを申し上げてすみません。けれど、この気持ちは、誰よりも貴女に伝えねばならないことに気づかされたのです」
「
……
あの子ってば」
リンクさんは自分の弟が私に何を言ったのかを察したのかクスリと笑う。
「本当は、自ら気づくべきでした」
「いいえ。私も、似たようなことがありましたから」
今度はリンクさんが私の背中に腕を回す。私はそれを受け入れ、陶然とした心持ちになった。彼女に抱きしめられると、妙に落ち着く。眠気すら催されてくるのだから、不思議でならない。
「アルバート様、私も大好きです」
「リンクさん
……
」
「ふふ、嬉しい」
ニコニコ微笑んでいるリンクさんに、思わず口付けたくなった。けれどそんな勇気は
……
と躊躇いが生まれる。
だが臆病風を吹かせていては、この想いが半分も伝わらない気がした。
「
……
口付けても、よろしいですか?」
「!
……
はい、喜んで!」
利き手でリンクさんの頬を撫で、顎を包むように固定した。リンクさんは逃げやしないだろうが、これで逃げることはできない。彼女は穏やかに微笑み、私が唇を落とすのを待っている。私は目を閉じ、そっと顔をリンクさんに近づけた。果実のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。リンクさんはこんな香りがしたのかと今更気づいた。
唇の膨らんだ部分が、僅かな面積だけ触れ合う。リンクさんが「んっ
……
」と小さく鼻先で呻いた。私は濃く色が出るようにじっくりと判をするかの如く、唇を押しつけた。
あたたかく、やわらかで甘美。人の身体に、これ以上優しい部位が他であるだろうか。
もっと口付けたい。そんな欲求が胸の中で急速に膨らんでいく。あぁ、なんという強欲。早くこの子の心と体が欲しいと、長年いないものとして扱ってきた感情が今にも溢れ出しそうだ。
だがここは城の敷地内。変な気を起こしてはいけない。私はリンクさんから唇を離し、紳士的に微笑みかける。するとリンクさんが問いかけてきた。
「初めてのキスですか?」
恋愛経験は無いと伝えていたが、リンクさんはそれでも気がかりだったらしい。不安にさせていたことが申し訳なくて、私は頷きながら「えぇ」と答えた。
「そして、今から二回目をするところです」
「へっ? ん、んぅッ
……
」
リンクさんの中にある良くない感情を吸い取るように、私は二度目のキスをした。後頭部を抑えれば、サラサラとした髪が指の隙間からこぼれ落ちる。遅咲きの花で私の心は満たされ、それと同時に『これでよかった』と強く思う。
初めても、二度目も、これからずっとその先も、私には彼女だけだ。
「
……
如何でしょう?」
唇を離してから私は問いかけた。リンクさんは自分の顔が私の胸元に埋まるほど強く私を抱きしめてくる。モソモソと何かを言っていたので「どうかしましたか?」と聞けば、リンクさんは顔を上げた。そして私の耳に唇を寄せ、一言囁く。
『お上手でした』
続く
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