Kishie
2024-12-18 12:14:20
4931文字
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一二一四

4年前に頒布した千神本「一二一四」からアクアラインの話を抜粋しました。

12月18日を海ほたるで過ごすちばかなのふたりの話です。

 ずっと、こうなるような予感はしていた。
気持ちなんて、ある時唐突に気づいてしまうものだけれど、それには前段階がある。じわじわとゆっくり浸透していくように、心の端から徐々にひろがっていって、分かっていても止めることはできない。
 自分の意志でどうにかできたら楽なのにね。冷静である自分と、お前のことを想ってどうにかなってしまいそうな自分とが同時に心の中にいて、常にバランスをとっている。
 理性的な方の俺は、常に感情的な俺を管理しているから、表向きにはわからないかもしれない。でも、ふとした瞬間に後者が勝ってしまうことがある。そうなると、もう自分ではどうすることもできないんだ。
 そうならないように、いつも自分を律しているの、気づいているのかな――いないよね。だってわからないように、俺が自分でそうしているんだもの。
 仮面をつけるのは得意だ。俺は、俺と周りが望む俺を演じることができるし、どうあるべきか分かっているのだから。
 お前もそうやって俺の表面を見ていてくれれば良かったのに。たまに見透かされているのかもしれないと、突きつけられる時があった。そういう時、何も言わないで見つめられると、どうしていいのかわからなくなる。
 でもお前はそのまま、少しだけ間隔をあけて、隣にただ立っていてくれるから。俺はそれをとても心地いいと思ってしまう。なんとなく、わかってくれているんだなって。ちゃんと確認したわけじゃないから、本当はどうか知らないけど、こういうのって俺がどう受け取るか、が重要だからね。俺が勝手に、お前の存在に救われていることがあるって話だよ。
 ねえ、俺が手を伸ばしたら、躊躇いなく受け止めてくれるのかな。それとも――



 ぐるりと、周りを海に囲まれた人工島。一方から伸びた橋は、緩やかにカーブを描きながら、対岸につながっているのが見える。反対側に目を凝らすと、海上に浮かぶ円錐形の建造物を視認することができるが、空中から俯瞰した場合、孤立した巨大建築物、という感想以外は得られないだろう。実際は、その円錐の塔を中心に、海中をトンネルが繋いでいる。一般的に橋側はアクアブリッジ、海中トンネルはアクアトンネルといい、海上にポツンと立つ塔は、風の塔。そしてここは海ほたると呼称されている。東京湾を横断するこの道路は、神奈川と千葉を隣接させる、唯一の接点だ。

 冷たい風が吹きすさぶ海上デッキに、神奈川は立っていた。夜の十時を回っているからか、はたまたこの寒さのせいなのか、周囲には誰もいない。
 巨大な船型の建造物を囲む海は黒く沈んでいて、その上を航行する船舶が、ぽつぽつと星のように光る。それぞれ工業地帯を形成している対岸同士は、工場特有のオレンジから黄色を基調としたあかりをズラリと灯し、海との対比がとても美しい。
今日はここ数日で特別寒さが厳しいようで、神奈川は無意識に腕をさする。十分防寒対策はしているつもりなのだが、僅かに露出した肌を、刺すような寒さが容赦なく体温をさらっていった。

「待たせて悪い」
 待ちわびていた声が背後から聞こえて、ふっと息を吐く。白く煙る呼気は、海風に溶けてすぐに消えた。
「遅いよ。ここ、お前のテリトリーなんだから、移動なんて一瞬でしょ?」
「そりゃそうだけど、四日後に備えて俺も忙しいんだって。ここは式典会場にもなるし」
「言い訳はそれぐらいにしてね。そのために、待ち合わせを今日にしたんじゃない」
忙しいことくらい、百も承知だ。千葉の言う四日後は、一二月一八日。東京湾横断道路――東京湾アクアラインの開通日だ。節目の年になる本年は、ここ木更津人工島で記念式典が開催される。
「当日は、俺もお前も体があかないだろうから、前もって会おうって言いだしたのは、どこの誰だったかな」
「だから悪かったって」
「悪いって気持ちが全く伝わってこないよ」
 神奈川が体をデッキの手すり側にふいとむけると、千葉が横に並ぶように身を寄せてくる。その際に、腰に手を回された事には言及しなかった。
「あっという間だったよなあ」
 しばしの沈黙を破り、真っ暗な東京湾を見渡しながら、千葉が独り言のように呟く。
「計画が立ち上がってからもう数十年は経つんだけどね。建造中は初めての試みが多かったから、何をするのも手探りだったし」
 つい昨日の事のように感じるのにね。頭をよぎるあれそれは、懐かしく思う感覚と一緒に、あまり楽しくない思い出も連れてくる。竣工までものすごく大変だったが、完成してからも色々な事があった。
「通行料の問題とか? それ俺のとこの話だけど」
「全部ひっくるめて、じゃない。まあ、それも今の俺たちにとっては、当たり前のものになっちゃったね」
 ないと困るからさ、と続けると、千葉は手すりから手をのけて、それも主に俺にとってだけのような気がするけど、と白い息とともに吐きだした。
「よく言うよ。俺のとこと繋がってること、普段忘れてるんでしょ、お前」
 にっこり笑ってそう言ってやると、少々投げやりな口調で返してくる。
「まだ、その話引っ張るのかよ」
「俺の気が済むまではね」
 あっそ、と顔を背けた千葉は、そのまま背中を手すりに預けて、遠くを見つめるように目を細めた。そちら側には京葉工業地帯の工場夜景が広がっているのだろう。溶けて視認できなくなっている、空と海の境界線付近をなぞる様に連なるその光は、そのまま東京湾沿岸を円環し、神奈川の方に繋がる。
 千葉が視線の先に何を思っているかを尋ねる事もこのまま愚痴のように言葉をつづける事も、どちらも野暮な事だろう。神奈川は口をつぐむことにする。

 神奈川が黙ると、ふたりの間に沈黙と共にチラチラと白いものが舞い落ちてきた。あっと、同時に小さく声を上げる。手のひらを上に差し出せば、小さな結晶は皮の手袋の上で溶けずに残った。時間経過とともに下がり続ける、凍えるような寒さの行き着く先はこれだったのかと、納得してしまう。
「このタイミングで雪か。すごいな、なんかロマンチックな台詞でも言ったほうがいいのか」
「ロマン……? 俺とお前の間に、そういうものってあるの?」
「その言い草な。ほんと酷いな」
「なら何か言ってみて」
 肩を落とす千葉に向き直り、そう言ってやると、顎に手を当てて考えるような仕草をする。
……貴方は、この雪のように、冷たくて白くて綺麗だ」
……お前に期待した俺が悪かった」
「ちょっと待って無理だろ、この流れで。鬼かよ、お前」
「いや。もうなんか、それ以前に言葉にセンスがないね」
「目の前の神奈川お兄さん曰く、語彙力シンプルな俺にそういうの求めないでくれねえかな」
「でも、俺は今のお前との関係が、気に入ってるよ」
 軽い言葉の応酬に乗せるように、言ってしまった。ずっと思っていて言えなかった、神奈川のその一言は、想像以上にあっさりと口をついて出た。なんだ、とっくにこの空気に絆されていたんじゃないか、と自分で驚いた。
「そうなのか」
 お前は違うの? 動揺している表情を千葉の前に晒したくなくて、下を向く。ペースを乱されるのは、いつものことだった。慣れはしないが、それすらも心地良く思ってしまっている事にも、とっくに気付いている。

 神奈川の言葉に答える代わりに、背中に回された腕に体を引かれた。神奈川の方がわずかに身長が高いため、腕の中に体が収まるはずがないのに、千葉の厚みのある背中に腕を回せば、全部を包まれているような気分になった。
 千葉の体は、太陽の匂いがする。体温が高くて、腕の中で熱を抱きしめているようだ。冬物の分厚い服越しでも感じられるそれに、胸の奥をぎゅうっと掴まれたような心地がして、神奈川は目を閉じた。
「俺も、こうしてお前と一緒に居られる今の感じ、好きだけど……。だけどもう少し、というか」
 うまく言えねえな、と言葉を切る千葉の顔が見たくて、体を少しだけ離す。視界に捉えるよりも先に唇が触れた。体を押し返そうとして、千葉の胸に添えた手から力を抜く。背中に回された腕はしっかりと固定されてしまったので、それを逃れられない自分への言い訳にして、受け入れた。
「お前が求めてんのはこういうことじゃないと思うけど」
 唇同士を触れ合わせただけで、そのままどれだけ経過しただろうか。ほんの数秒だったかもしれないが、もっと長くも感じた。やっと拘束を解いてくれた千葉が、言い訳めいた言葉を探している途中で、今度は神奈川からくちづける。下くちびるを食むように、より深く触れてみれば、頭の後ろに手のひらを回してもっと強く抱き締められた。

 そんなことはない。だが、それだけじゃ嫌だ、とも思う。神奈川の求めている関係とは、好きだから付き合う、というようなわかりやすいものとは少し違った。千葉に惹かれるこの気持ちを、恋愛という言葉で括ることに抵抗があった。漢字二文字なんかで終わらせることは、したくなかった。関係に名前がついてしまえば、それ以上のものにはならない。疑り深い神奈川は、千葉から向けられている想いがどの種類のものか測るのも怖かったし、自分が千葉に向ける気持ちを、既にあるものに限定するのが怖かった。――名がついてしまえば、いつか終わりが来てしまうかもしれないからだ。
 だが、それをちゃんと言葉にしたところで千葉に分かってもらえるか自信はなかった。だから行動で示したい。言葉を交わすのは大事だが、二人でつくりあげた繋がりの辿り着く先に待っているものを、神奈川は知りたいと思った。

「そんな事ないよ。俺にとってはどっちもあまり変わらないから、どちらでもいいよ」
 分からなくても構わない、でも特別な間柄でありたい。言葉に変えられぬ想いを胸に留めたまま、耳元で囁いた。
「どっちでもいいのか」
「うん」
「俺に選ばせんのか、ずるいな」
「ふふ、今更でしょ」
 それはそうだな。ちょっとだけ困ったように眉尻を下げる千葉に、微笑んで見せる。装わず、心の底からこみ上げる気持ちが表情に乗る。千葉と共有する時のなかで、自然とそうできる自分自身を好きだと、神奈川は思う。
「よし、ならそのうち、お前の方から付き合ってください、って言わせてやるよ」
 よくわからない決意に燃える千葉を見て、今度は声を出して笑ってしまった。そういう事じゃないんだけどね、と口にしようとして、むこうを向いた千葉の耳が赤くなっているのが見えて、止めた。ああ、なんとなく想いの一端を感じ取ってくれたのかもしれない。淡い期待を寄せてしまう。
「頑張ってね。俺手強いから」
「知ってる。精いっぱい頑張らせていただきます」
千葉の手のひらを受け入れれば、頭を撫でてくれた。
 ――ああ、好きだな。千葉の手が好きだ。臆面もなく、そういう事をできてしまうところが、好きだ。
 そう思った事はやっぱり口には出せなくて、応じるようにもう一度だけ微笑んでみせた。

「寒いな、そろそろ中に戻るか」
 気がつけば雪は止んでいた。海の側は温度が上がりやすいからか、チラついただけで終わったそれは、積もりもしなかった。まるで降雪自体が幻であったかのような不思議な感覚に、身震いする。
「体冷えちゃったから、あっためて」
 今しがたあった、千葉との間のやりとりを何もなかったことにしたくなくて、腕にしがみついてみせると、千葉は慌てて身を引く。
「えっと、それは」
「なに想像してるのさ。部屋のことだけど」
……だよな」
 はあっと息を吐いて頭を掻く千葉に、聞こえるか聞こえないかの声量で、神奈川は独り言のように続ける。
「冗談だよ」
「おい、神奈川それどっちが」
「ふふ」
ずっとこんな風にいられれば良いのに。行く先に待っているのは変わらぬ日常か、それとももう一歩進んだ何か、なのだろうか。今はまだ分からずとも、そのうちやってくるだろう未来を享受しようと、そう思った。

 ――佳節を経て、新しい一年が始まる。
 願わくは、ささやかな幸せに満ちた明日がありますよう。