山並みの向こうから投げかけられた、今日一日の終わりを告げる太陽の光。今日の宿に着く頃には、雪雲が一時的に退却して晴れ間が覗いたのは、まさに僥倖だっただろう。
ささやかな夕日の灯火をかき抱くようにしながら、オランローたちは壊れかけた柵の修繕をしていた。羊飼いから宿を借りる代わりに、設備の壊れた部分を直すこと――そのようにイレーナにも命じられていたからだ。
「だと言ってもな。これは、なかなかの、重労働だ……な!」
声で弾みをつけつつ、オランローは柵のために用意された木を組み合わせ、縄でキツく縛り上げる。あとで、朽ちかけた柵を撤去して、代わりにこちらの新品を木槌で打ち込むのだと聞いている。単に木を組み合わせたものであっても、羊たちは障害として認識するので、その外側に迷いでることはないという話だった。
また、木そのものにも獣が嫌がる薬を塗りこんで乾かしたものらしく、薪などとは異なる匂いがかすかに樹皮から漂っていた。
「この後、こいつを地面に打ち込む作業もあるんだろ。騎士様の仕事ってやつは、便利屋みたいなのも混ざっているんだな」
話をしながら、ルーシャンは並べられた新品の柵たち――その先端を、風を放つ魔法で削っていた。後で杭として打ち込むときに、苦労をしないための細工だ。通常ならば手で削り取るところを魔法でできると知り、作業の手順を教えてくれた羊飼いの男は目を丸くして驚いていた。
「雑用みたいなことを頼むのは、悪いと思ってるんだがなあ。でも、最近は人手がどうにも足りなくて、一夜の宿の代わりに頼むしかないんだよ」
男は、オランローが作り上げた柵の隣に自作の柵も並べ、ふうと息を吐いた。
歳の頃はもう四十を超えて五十か六十かと言った年頃の男だ。肌に皺が浮かび、髪にも白いものが混じっている。
「この規模の牧場なら、普通は人を雇うものじゃないのか」
「そういうわけにもいかんのだよ、そちらの角の方。五年前のあの日から冬が終わらなくなっちまったせいで、若くて動けるもんはできる限り街に出て仕事を探すようになっちまった。それが無理でも、村から遠出してここまで来るってやつは早々いない」
「ドラゴン族が活発化していることも、理由にありそうだな」
「ああ。行き帰りで竜に襲われちゃ敵わねえって話だな」
羊飼いはオランローに向けて、やれやれと首を横に振って見せる。彼はオランローやサルヒの容姿を見ても、最初こそ驚いていたが、説明を聞いてすぐに受け入れてくれた。
保守的な思考の人物が多いイシュガルドでは珍しい思考の持ち主のようだが、今はその革新的な思考が仇となって苦境に立たされているらしい。
村の外で大量の羊を養うのは、かつてのイシュガルドならそこまで大変なことではなかったのかもしれない。しかし、人が土地から離れ、竜すら闊歩するようになった現状では、大量の家畜と人里から離れた街道沿いの立地は自らの首を絞めるばかりのようだ。
「ともあれ、ここ最近は騎士様がいてくれて大助かりなんだ。宿のお礼にってこうして手伝いをしてくれるのもあるが、羊毛をたくさん買い付けてくれるからな」
「さっきも、そんな話をしていたな。騎士がここのカラクールの毛を買っているのか?」
「七割がたはそうさ。この寒さのせいで、行商人も街から街への道を急いでるみたいでな。五年前の寒冷化からずっと、俺たちみたいなちょっと街から離れて仕事をしているやつの所には、なかなか寄ってくれないんだよ」
かといって、重たい荷物を抱えて、街まで売りに行くのも歳をとると一苦労だと男は語る。
町に常連だった織物屋がいた頃はまだよかったが、そちらも寒冷化のせいで売り上げが落ち、店を畳んでしまった。
そうなると、町に行っても売れる可能性は格段に下がる。新たな客を探して途方に暮れているときに、それなら幾らか安い値段にはなるが買い取りたいと申し出てくれたのが、町に派遣されてきた神殿騎士団の隊長だった。
(そこでも値段交渉はきっちりしている辺り、恐らくは行商人から買うより安く済むから買ったってことなんだろうが……)
嬉しそうにしている羊飼いの男に水をさすのも気の毒だからと、ルーシャンは自分の考えは胸にしまっておくことにした。
経緯はどうあれ、地元で作られたものを地元の者が消費し、金銭の循環を行うのは悪いことではない。たとえ、そこに異なる事情が幾らか挟まっていたとしても。
「あんたたちのように、町から離れている人は他にもいるのか?」
オランローが次の柵に手をつけつつ、男に問いかける。
「多くはないが、昔からそういう生活をしていた人は今も続けているそうだ。羊を飼っていたら、羊を連れて町に行くわけにもいかんからなあ。畑も同じような理由で、通いで面倒見ているやつもいるらしい。畑のそばに家を建てるよりも、できる限り町から通うようにってことだな」
「町から出るのを、皆が嫌がるようになってしまったということか」
「簡単にまとめると、そういうことさな。昔は、そうでもなかったんだが……」
「それも、やっぱり寒冷化と竜の影響か?」
男の言う通り、かつてはそのようなことはなかったはずだ、とルーシャンは内心で呟く。
畑のそばに建てられた家が増え、それが村となる。そうやって生まれた小さな共同体の中で生活する者たちは、数こそ多くないものの確かに存在した。
だが、この五年のうちに、この地では住み慣れた家を捨てても、町を囲む壁の内側に入りたいと望む者が増えたようだ。
シュガーグレイヴに来る前に立ち寄った廃村もそうだったが、集落の名残と思えるものこそあれど、今も生活の場として使われている村落は、この近辺では殆ど見かけていない。
「寒さと、あとはやっぱり、最近目を覚ましたっていう邪竜のせいってことは、間違いないだろうなあ。あいつが起きてから、こんな辺鄙な土地ですら、前よりも竜を多く見かけるようになっちまった」
ニヴェール領に入ってから今まで、一行は竜と邂逅するような場面に出くわさずに済んでいたが、それは単に運が良かっただけのようだ。
「騎士様が見かけたら、追っ払ってくれてはいるようだが、被害の報告はこんな田舎の羊飼いの耳にも入ってくるんだ。邪竜の声に呼応して他の竜も目覚めたって話は、きっと本当だったんだろうな」
「寒さだけでなく竜の問題もある、か……。少なくとも、どちらかが解決しなければ、あの町の流民が減ることもないだろうな」
話をしながら、オランローは今朝目にしていた詰所でのやりとりを思い出していた。
町に流れ着いた子供が行方しれずと訴えられても、騎士団はその捜索に手を割いてやる余裕がない。
町に住まう者も、流民とそれ以外の人の間では薄い壁があるかのように、妙なよそよそしさがあった。
オランローたちの目から見たら、皆揃って同じ町に住まう者に見えても、実際にそこで暮らす者にとっては違うのだろう。
(積極的に外に追い払ったりはしないが、何でここにいるんだと思ってはいるんだろう。あの視線には……オレにも覚えがある)
旅人に向ける好奇心まじりの視線とも異なる、冷たい拒絶の視線。さっさとここから出ていけばいいのに、という敵意を凝縮したそれは、オランローにとっても馴染みのあるものだった。
オランロー自身、かつては帝国の兵士となる道を選んだ両親を持つ、という理由で故郷で排斥された身であるからだ。
「最近は町の方には行ってないんだが、そんなに流れ着いた連中が増えているのかい」
「ああ。オレたちも町に着いてまだ三日だが、裏路地に集まって火をおこして暖をとっている姿を見かけた。比較的若い連中が多かったから、町に行けば何か仕事があると思って故郷を出てきたのかもしれない」
「そうか……。若いもんなら、尚更竜のことを知らない分、少しでも安全な場所にいたいんだろうなあ……」
長らく竜に付き合っていた年を経た者は、竜という災厄がどんなものかを知っている。
それは、ある種の諦めから生じた結論なのかもしれないが――ともあれ、『慣れ』があるかないかの違いは大きい。邪竜の覚醒そのものを知らずとも、竜の被害をまるで知らないままに歳をとることは、この地では難しいことだ。
一方で、若者たちはまだ竜の直接的な被害は知らない。だからこそ、いつにも増して響く竜の声に耐えきれず、せめてそれから遠ざかろうと壁のある町の中に逃げ込むのだろうと、羊飼いは語った。
「……もし、領主が違っていたら」
不意に、今まで黙って話を聞いていたルーシャンが声を発する。
どうしたのだろうか、と話をしていたオランローと羊飼いの男の視線が、揃ってそちらに向けられる。
「この地を治めている者が違っていたら、何か変わっていたんじゃないか。町を治めているルグロの連中は、寒冷化の後も税の金額を変えてないって聞いたぞ」
「ああ、それはこちらでも聞いているよ。貴族様には、長く雪が降り続ければ何が起きるかってことが、よくわかっておらんのだろうなあ」
羊飼いの男は苦笑混じりで、何度か頷いてみせる。その仕草もまた、竜と同じく、ある種の慣れから生じた諦念が混じっているように見えた。
「それこそ、若い連中は騎士団になんとかしてくれって訴えるぐらい、困っているみたいだったぞ」
「そうなのかい? 若い子たちは、何か変えられるんじゃないかって頑張りたくなるんだろうなあ。だが、そういう陳情を聞いてもお貴族様は動かないだろうさ」
「でも、ここには前は違う領主が治めていたんだろう。もし、そっちの領主だったら、事情は違っていたんじゃないか。寒冷化も、竜のことも」
ルーシャンは、瞼の裏に今も焼き付いている懐かしい背中を思い出していた。
あの人なら、自分が父と呼んだ彼なら、この悪夢のような天気の変化に対しても、何かできたはずだ。
あの人なら、ドラゴン族の動きが活発になっても、なんらかの策を立てて人々を助けたはずだ。
ノエの父ができたのだ。ならば、あの人なら、もっとすごいことをしていたのではないか――。
「いやあ、それはどうだろうねえ……」
だが、羊飼いの男の苦笑混じりの言葉が、ルーシャンが一瞬胸に宿した願望を砕いた。
「私は、貴族様の細かい事情は知らないからね。ただのしがない羊飼いさ。だもんだから、前に治めていたって方とも、もちろん今の領主様とも顔も合わせたことはない」
柵を作る手を止めず、男は言う。
「今も昔も、お貴族様に何かしてもらったって覚えはないもんですから。何か期待しようなんざ思いもしませんよ」
「――――」
男の言葉は、とても自然なものだった。
嘲笑も憤激も悲哀もそこにはない。
そもそも、そんなものに頼ることなど一度も考えたこともない、と言わんばかりに、とてもあっさりとした物言いだった。
それだけで、はっきりと分かった。
この男にとっても――そして、他の多くの者たちにとって、前の領主も今の領主も、さして変わらない存在なのだ。
(……分かっていたことじゃないか)
昔の領主にも今の領主も、いてもいなくても同じである。そう言っているようにも捉えられる発言を聞いて、ルーシャンは一瞬めまいを覚えたような気がした。
だが、同時に納得もしていた。
(俺だって、昔はそうだった。教皇様が何をしてくれる。騎士たちが何をしてくれる。誰も助けてくれはしない。そういうもんなんだから仕方ないって……そう言い続けていただろ)
町の人々を苦しめる悪い領主様がいるせいで、罪もない無辜の民が傷ついている。そんな御伽話のような筋書きにしがみついていたのは、自分だけだ。
それでも、一瞬だけでも夢のような物語にしがみつきたかったのは、たまたまこの地を治めていた前の領主の顔を、人となりを、彼からもらった思い出を自分が知っていたからだ。
「ルーシャン、どうかしたのか?」
急に黙りこくったルーシャンに、オランローが怪訝そうに尋ねる。彼は、すぐさま軽く首を横に振ると、
「ああ、いや……そうか。そうだよな。悪い。変な憶測を語っちまって」
「いやいや、あんたさんが話していたみたいに、偉い人に直訴しようって話は若い者の間では結構本気で考えられているみたいだってのも聞いてる。私ら年寄りでは考えもしないことを思いつくのは、いつだって若い連中だってことなんだろうな」
そこで話を一度区切り、男はオランローとルーシャンが話しあげながら組み上げていた柵を持って、壊れた柵を取り替えに行ってしまった。
残されたオランローは、先ほどから妙な感情の揺れを見せているルーシャンへと視線を送り、
「……何か、気になることでもあったのか」
「ああ、いや……そういうわけじゃないんだ。ただ、そうだな。直訴ってなると、きっと穏やかじゃない展開になるだろうな、と思ってな」
まさか正直に今の心境を語るわけにもいかず、ルーシャンは適当な話のとっかかりを見つけて、話題を逸らした。
「そうだな。まだ当事者であるルグロという家の者が顔を出していない分、直接的な被害は出ないだろうが……書面のやり取りで話が済むようにも思えない」
「平民の訴えだけで、貴族が町におりてくるかな。手紙を出したところで、握り潰される可能性が高いだろ。そのほうが、誰かが怪我しないからマシかもしらんがな」
ルーシャンは肩をすくめ、切り出された柵用の材木を組み上げる作業を始めた。
縄をない、きつく縛り上げるだけの単純な作業だが、何かすることがあれば、少なくとも気を紛らわせることはできる。
ルーシャンの思考は、ともすれば、先ほどの羊飼いの男が見せた反応をいつまでも反復してしまっていた。意識から外そうとすればするほど、自分の空回りを突きつけられた瞬間の衝撃がよみがえり、心の底にこびりついていく。
(そりゃそうだ。親父が、自分の領地に生きる民を訪ねていたわけじゃない。あの人は、領地に流れる地脈のエーテルを調整していたかもしれないが、それだって言われなきゃ誰だって気づかない)
この地で暮らす人々にとって、前の領主は――ルーシャンの父親は、良心的で尊敬するに値する人物であったはずだ。誰も彼もが、前領主の治世を惜しんでいるに違いないと、どこかで盲目的に信じていた。
だが、彼らにとっては、領主がルーシャンの父であろうと、現在の領主であるルグロ家の者であろうと、どっちでもよかったのかもしれない。
そもそも、比較の天秤にかけることすら思いつかないほどに、平民と貴族の壁は高いのだ。そのことを、貴族として生きる月日の間に自分は失念してしまっていた。父の信念を継ぐ者としての自負が、下町で育ち何もかもを冷めた目で見ていた自分の目を曇らせていた。
そのせいで、この領地に訪れたときから「きっと親父なら苦しむ人々を助けていた」と不満を抱き、闇雲に苛立ちをぶつけていた。
(くそっ。現実が見えていなかったのは、俺だけだったってことか……)
父――エヴラール卿を惜しむ者は、もう自分一人だけなのかもしれない。そう思っても、今は己自身が驚くほどに心が静まり返っていた。
(……だからって、最初からやることは変わらない。俺が成し遂げたいと決めたことは、死んだ親父のためにするんじゃない。親父が治めていた人のためでもない。最初から俺は、俺自身の証明のためにやると決めていた。……そうだろ)
思いがけず揺れた心を叱咤し、ルーシャンは柵を縛った縄の余りを、ナイフでぶつりと切り落とした。
***
「あなたとあの男は、どのような関係なのだ」
ルーシャンやオランローとは別行動をしていたサルヒは、羊飼いの敷地にて、獣よけの薬を撒いていた。今回の任務に同行していた騎士と二人きりになるのは正直気づまりする部分もあったが、元来無口なサルヒと余計なお喋りを好まなさそうな女騎士という組み合わせのおかげで、沈黙は想像していたほど重苦しいものではなかった。
その最中、唐突に突きつけられたのが先ほどの質問だ。あまりに脈絡のない言葉に、サルヒは黄金色の目を大きく見開いたまま固まってしまった。
「あの男……って?」
同族のオランローのことか。それとも一行のリーダーのような位置に収まっているノエのことか。どちらについて問われても、詳しく話すと長くなると思っていると、
「あのヒューラン族の男のことだ。お前は、あれを旦那様と呼んでいただろう」
なるほど、ルーシャンのことかとサルヒは納得する。
言われてみれば、他の面々はサルヒの『旦那様』という呼び方が、かつて主従関係であったが故に生じた呼称であると理解している。
しかし、見知らぬ者からしてみれば、その呼びかけは耳慣れないものだったのだろう。
「旦那様は、旦那様。あの人は、私の昔の主人でもあったから」
「昔の? 今は違うのか」
「今は、立場の上では対等。だけど、私はこの呼び方が慣れているから、そう呼んでいる」
「……つまり、お前は、落ち目の貴族の旅に無理やり付き合わされているわけではないのだな」
いきなり、そのような不穏当な単語を並べられ、サルヒはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
ノエといい、このイレーナといい、今日は驚くようなことばかり言われている気がする。
「私は、自ら望んでルーシャンという男の旅に同行している。無理に付き合っているわけじゃない。むしろ、旦那様は私に自由にしていいと言っているのに、私が無理についていっている」
ことあるたびに、自分を置いていっていいと言っている彼の薄情な発言を思い出し、サルヒは細い眉を少しばかり寄せる。
一方で、サルヒの物言いにイレーナは何か安心を覚えていたかのように、肩の力を抜いて小さくを息を吐いた。
「そういうことか。なら、いい。どうやら、私の杞憂だったようだ」
「……いったい、何を憂えていたの?」
話しながら、サルヒはイレーナの指している場所に薬を撒いていく。
薬草を数種混ぜたような独特の臭気は、すぐに消えるものではあると聞いているものの、臭いものは臭い。襟巻きを鼻の辺りまで持ち上げていると、
「お前が、他所の土地から無理にイシュガルドに連れてこられたのではないかと思ったのだ」
イレーナは、毛糸の帽子の中に押し込めていたはずの三角耳を振るわせる。帽子越しでも、今の発言と同時に彼女の心が大きく動いていることが見てとれた。
第一印象からして、イレーナは見ての通り生真面目な仕事人間に見えていた。たった一日の付き合いでも、彼女が秩序と規律を重んじる性分であるのは見て取れている。
だが、人は一つの側面だけでできているわけではない。
「私は、確かにイシュガルドにおいてはよそ者。でも、ここに来たのは自分の意思」
行商人の護衛としてこの地に到着したのは、もう何年前のことだろうか。その後、異端者と勘違いされたこともあったが、そもそもイシュガルドに足を踏み入れたのは自分の意思であるので、イレーナが言うように無理やり連れてこられたわけではない。
「……あなたは、違うの?」
問いかけていいか悩んだ末に、サルヒは質問する。
先ほどの質問も、取りようによっては無礼なものだ。なら、こちらが多少無礼を働いても文句を言われる筋合いはないと己に言い聞かせる。
果たして、答えはあった。
「私が、ではない。だが、私の両親は、それに近いものではあったのではないかと思っている」
一拍置いて、イレーナは言う。
「ウルダハという街を知っているか。砂と太陽が眩しい、非常に暑い地方にある街だと聞いている」
「いえ。旦那様は、立ち寄ったことはあるようだけど」
ノエに出会うまで、サルヒはルーシャンと共にイシュガルドの領内各地を巡っていた。その後、グリダニアにてルーシャンの帰りを待つことになったが、サルヒ自身は諸国を巡ったわけではない。
「でも、ウルダハから来たミコッテ族なら、冒険者ギルドで何度か見た」
「そうか。あの街は、第七霊災が起きる前は、イシュガルドとも交易をしていたそうだ。ウルダハ独特の織物や金品は、イシュガルドにはないものだからな。その中に、私の両親もいた」
「二人は商人だったの?」
「いや。父も母も、商人が売りこむ商品だったのだ」
その言葉に、サルヒはなぜイレーナがルーシャンに従者としての言葉を向けた自分に固執したのかを理解した。
イシュガルドにという国を構成する種族は、他の都市国家と比べるとかなりはっきりしている。
長年、限られた交易以外では門を閉じていた国であるがゆえに、国の大半はエレゼン族で構成されている。グリダニアもエレゼン族が多いが、冒険者が立ち寄る都市国家であるがゆえに、イシュガルドほど種族に偏りはない。住人としては少なくとも、街の利用者はヒューラン族からヤルマルのようなヴィエラ族まで、実に多種多様だ。
だが、イシュガルドのように閉鎖的な環境において、他種族はどのように映るか。サルヒには、最悪の予想がいくつか頭によぎっていた。
単に奇異の目で見られるだけなら、まだいい。だが、時に人は自分と違う者に対してひどく残酷になれることを、サルヒはその身を以て知っている。
「お前たちの仲間の一人は、貴族の関係者を名乗っていたな。あの青年のように、私の両親はエレゼン族の貴族に連なる者に購入された」
「それは……その、召使として?」
「先に言っておくが、奴隷の売買というわけではなかったらしい。父も母も、半分は自らの芸を売り込む意図があり、商人もそれを承諾した上で話をつけた。母は店ではそれなりに名の売れた踊り手であったそうだし、父も歌い手としてウルダハでは名を馳せていたそうだ」
「では、貴族に芸を買われたということ?」
「……少なくとも二人は、そう思っていた」
尊き身分のものが、芸術家のパトロンになるのは珍しくない。思ったよりも真っ当な話のようだと、サルヒが安堵しかけたときだった。
「彼らは、確かに私たちに棲家を与え、食事を与え、芸を披露する機会を与えた。私の名前も、彼らがつけたものだ」
イレーナという名前はミコッテ族としては風変わりだと思っていたが、名付け親はイシュガルド人だったようだ。ならば納得するとサルヒが思うより先に、イレーナは言葉を続ける。
「だが、第七霊災より前に、私たちを養っていた貴族は、貴族同士の不祥事に巻き込まれてしまってな。土地の多くをを失い、家の者は私たちを養う余裕がなくなった」
投げ捨てるかのように、獣よけの薬の中身を全て雪原に放る。その軌跡に沿うように、凛とした声が後を追う。
「そうしたら、彼らはどうしたと思う。ある日、私たちを連れ出して、どこぞの村に置いて行ったんだ。もう私たちの面倒を見られないから、頑張って外で暮らしてくれと。それだけ言って、金も荷物も渡さずに置き去りにしていった」
まるで、世話ができなくなった飼い猫を野に放すかのようだったとイレーナは言う。
自分たちを慈しむ声ではあった。ごめんなさい、と謝罪もしていた。
――だが、それだけだった。
これまで芸で身を立てていた者だと分かっているのだから、別の貴族に紹介することもできただろう。もっと華やかな都市部の街に案内することも、伝手を探して紹介することもできるはずだ。
だが、彼らのとった選択肢は、どこぞの辺境にまだ幼い娘を抱えた一家を放置することだった。彼らは、伝手を紹介する手間すら惜しんだ。いや、最初からそのような扱いをする対象として、イレーナの一家を見ていなかった。
「その時、気がついたのだ。私たちは、ただ都合のいい時だけ可愛がるためにあった、愛玩動物の一種と変わらないのだと。世話しきれなくなったチョコボを野に放すのと同じように、彼らは私たちを捨てていった」
置き去りにされた家族の呆気にとられたような顔が、サルヒには目に浮かぶようだった。
きっと、置き去りにしていった側には、多少の罪悪感もあったのだろう。だが、それは、自分が可愛がっていた生き物を野に放すことに対するものであり、人に向けるそれとは違っていたはずだ。少なくとも、目の前のイレーナはそう感じてしまった。
「……あなたたちは、その後どうしたの」
「どうしたもこうしたもない。都市部に旅するための手段も金もなければ、どこに向かえばいいかもわからないのだ。おまけに、見慣れない見た目のよそ者を、村人は歓迎しなかった。だから、三人で手探りで農業の真似事をして……最初の一年は、常に腹を空かせていたよ」
ようやく耕作が軌道に乗り始めたものの、イレーナの両親は、自分たちが受けた仕打ちから立ち直れていなかった。
心のどこかで、自分の芸は雇い主に受け入れられていたと思っていた彼らにとって、この扱いは裏切り以外の何者でもなかったのだから。
「ただ種族として珍しいから、面白がられ、可愛がられていた。なら、物珍しいミコッテ族の女としてではなく、実力をつけてのしあがれる場所に行きたい。私はそう思って、剣をとり……騎士となったのだ」
「……私は騎士の事情には詳しくないけれど、それはそれで、難しいことではなかったの」
「ああ。私が、何度子猫扱いされてバカにされたことか。だが、幸い私は上司に恵まれた。ピヌヌ隊長は種族を問わず、実力のみで相手を測ってくれる方だ」
あの小さなララフェル族の隊長の姿を思い出し、サルヒは目を伏せる。
彼女は隊長になるまで、イレーナの語るような蔑みをどれほど経てきたのだろう。それは、サルヒには決して想像しきれないものであったに違いない。
「だが、隊長が今の地位に就任してからも、あのような子供の命令など聞けぬと任を外れる者は後を絶たぬ」
「まさか、そのせいで人手が足りないの」
昨日、ルーシャンから聞いていた閑散とした詰め所の様子。街の巡回に人手を回すのも難しそうだという話。
それらが、隊長がイシュガルドでは珍しい種族であるがゆえに排斥された結果だとしたら、事態は単なる人手不足では済まないものではないか。サルヒがその懸念を口にしようとして、
「……不足については、ルグロの家の者を通じて神殿騎士団本部に連絡していると聞いている。予算についてもだ。あなたが何を考えているかは知らぬが、傭兵が首を突っ込む話ではない」
サルヒがルーシャンに付き従っていることを案じてくれていたようだが、騎士団の人事や内部の事情そのものについて話題が移った瞬間、イレーナは言葉の気配を変えた。
これは、明確な拒絶だ。自分の生まれを話し、サルヒの事情を気遣うことはあれど、それはあくまで私的な感情に過ぎないということのようだ。
「ともあれ、貴様があの男に隷属しているというわけではないのなら、私の心配は無用だったというわけだな。要らぬ勘ぐりで不快に思わせたなら謝罪しよう」
「……いいえ。あなたは、すでに自分の身の上を話してくれたから」
本来ならば、語る必要などないことだ。それでも彼女が自主的に口を開いたのは、サルヒの事情に土足で踏み入ったことへの詫びと、理由を語るべきだという彼女の誠実さ故だろう。
その考え方は、シュガーグレイヴの街に訪れた直後に騎士たちから受けた印象とは異なるものをサルヒに与えていた。
(任務に忠実で、生真面目で……自分が所属する組織に敬意の念を抱いている。きっと、こんな形でなかったら、もっと親しくなれたのだろうけれど……)
だが、一方でイレーナが敬愛する隊長であるはずのピヌヌから向けられた一方的な通告も忘れられない。殊更に旅人や傭兵を毛嫌いする理由も不明なままだ。
「もう日が暮れる。室内に戻るぞ。さて、あの男は、ちゃんと宿の準備をしているのだろうな……?」
「ノエなら、必ず部屋を温めて待ってくれているはず」
なぜなら、彼は貴方と同じくらい生真面目な人だから。
サルヒは、そう言いかけた言葉を喉の奥にそっと押し込んだ。
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