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青海かなえ
2024-12-17 00:13:08
2388文字
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名的名
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キスをする名的名
・付き合ってない二人
一度だけ、名取周一とキスをしたことがある。
学生の頃だった。その日は朝から雲行きが怪しく、とうとう夕方から細い雨が降ってきた。おれと名取は、ふたりで濡れ鼠になりながら、バスの停留所に逃げこんだ。雨がトタン屋根を叩く音がする。隙間から雫がこぼれおち、名取の頬を伝う。白い滑らかな頬を滑り落ちていく水滴に、そっと手を伸ばした。それで、なんとなくそういうことになった。
他人とキスをしたのは、あれが初めてだった。人生の初めてのキスの感想は、人の唇って意外とつめたいんだ、だった。冷たくて、少し固い。想像していたものとはずいぶん違うけれど、心中は誤魔化し切れないほど高揚していた。しばらく目を開いて彼を観察していたが、ある程度のところで唇を離された。別におれはこの人のことが好きでもないのに、ああ、終わりか、と安堵のような、さびしさのような、得体の知れない感情が湧いてきた。キスとは、そんなものなのだろうかと納得しかけたあたりで、いきなり肩を掴まれた。グッと引き寄せてきたかと思うと、目を閉じろ、と囁かれ、気づいたときにはもう一度唇が触れ合っていた。おれは諦めて大人しく目を閉じた。
いま思うと自分の若さに呆れてしまうが、まあ、すべて初めてだったのだから仕方がない。
それにしても、どうしてそんなとんちんかんな状況になったのか、すべてが不明瞭だ。いや、場の流れや会話の内容はうっすら覚えているのだが、自分や相手の心中で、どのような化学反応が起きてそのようなことになったのかとんと見当がつかない。気でも狂っていたのだろうか。誓っておれはその瞬間までかれを邪な目で見たことはなかった。名取の顔が整っていることには流石に気づいていたが、他人の顔なんてただの識別タグにすぎず、顔の美醜にはさほど興味はなかった。顔立ちなんかより、あの気質のほうが気になっていた気がする。面白い男だと思っていた。張り詰めたような雰囲気のわりに、妙に無防備なところが、とくに。
けれど、それくらいだ。名取側も正直それくらいか、それ以下の認識しかなかっただろうに、どうしてあんな血迷ったことしたのだろう。ああ、でも、あの頬に手を伸ばしたのはおれだった。
ちなみに、この話題に触れないということは、いつのまにか二人の間で暗黙の了解となっていた。気まずいから、というのも理由の一つとしてなくはないだろうが、一番の理由は、お互いがお互いのせいにして自分の心に整理をつけるためだろう。その場にあった面倒な責任のようなものを押し付けたいだけだ。お前が先に手を伸ばしただの、お前が先に目を閉じただの、なんだの。
そんな不毛なやりとりは、自分の内側だけで十分なのだ。
そう、だからもう二度と名取周一とキスなんかする訳ないと思っていた。まさに今この瞬間まで。
ふたりとも、ひどく酒に酔っていた。体に力が入らず、着物を掴んでいた指が、彼の身体の上を滑るように落ちてゆく。高校時代にしたものとは全く意味合いを含んだキスに、思考が掠め取られてゆく。こんなの前戯だ。このまま、この男と寝てしまったらどうなるんだろう。ずるずると押し倒されながら、そんなことを考える。
名取と、寝る。おかしな話だ。足りないピースを探していて、違うパズルのピースを見つけ出したような。そもそも、こうしてキスしていること自体、はまらないピースを無理に押し込んでいるようなものだ。ぎゅうぎゅうに押し込んで、壊れてしまったらどうするんだろう。名取は、このことについてどう思っているのだろうか。名取周一は、的場静司と寝てもいいと考えているのだろうか。
名取周一という男のことを、昔馴染みなので、それ相応に把握しているつもりではあるが、なんでもかんでも知っている訳でもない。知らないことは、知らない。だが、何故かわかりたくもないが、この男のキスの仕方は知ってしまった。不意に、口が解放される。顔が近過ぎて、表情が伺えない。目の奥を見て答えを探すけれど、いくら瞳孔や虹彩を見ても、うつくしいばかりでなんの答えもくれやしなかった。じっと見ていると、眉根を寄せた彼が、なんだよ、といった。
「周一さんってさ、キスうまいよね」
名取がおれの首筋を指の腹でなぞっている。酔っているのか、皮膚から伝わる体温が熱い。鎖骨に届いたあたりで、赤い目がすぅと細められた。
「いきなりなんですか」
声が、いつもより甘い。この人の、酔っている時の声が好きだ。熱っぽくて、吐息まじりで、どこか投げやりなところに色気がある。そうこう考えているうちに、名取の指が着物の襟に触れている。欲をチラつかされると、どうしようもなく心臓が跳ねる。やめてほしい、とは言えない。そういえば抵抗するのを忘れていたことを、今更思い出した。
「ただの感想ですよ」
どうしてこの人に触れられると、こんなに息苦しくなるんだろう。足りないピース。おれは(そしておそらく彼も)、関係の中にある足りないピースを探していた。それが、キスやセックスではないことは明確だった。恋人はもってのほかだ。それでも、おれはこの人に触ってほしいと思っている。だからキスをされても抵抗はしないし、体に触れられることはうれしい。無理矢理嵌め込もうとしたピースがギチギチと音を立てている。酔っているせいか脳がうまく働かず、思考が同じところを堂々巡りしている。
「おかしな顔をしないでください」
着物の襟に触れていた指が、頬を掠める。はっとして見上げると、おかしな顔をした名取がいた。あなたのほうがおかしな顔だ、と茶化しても良かったが、おれが口を開く前に、唇が耳元に寄せられた。
「
……
あなたとは寝ませんよ」
名取が囁く。なぜだろう、なにもかも正解なはずなのに、彼の吐息が触れた耳が、じくじくと痛む気がした。
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