いを
2024-12-16 21:13:08
4270文字
Public 刀神
 

きみの海を踏みしめた

青嵐
・紫垂月さん【Metol_P】
お借りしています。

 甘いにおいがする。嗅いだことなどいくらでもある、刀遣いであれば多かれ少なかれあるだろう。血液の、においだ。
 下緒院の刀遣いが数人、倒れている。死んではいない。中度の生気不足だろう。中度といっても、このまま放っておけばどうなるか分からない。地面に置いた左の手のひらがジリジリと痛む。封印されていた物体が、地面の奥に漏れ出た証だろう。このままではこの辺りの土地は草木どころか人間さえ住めなくなってしまう。
……
 この物体――妖魔ではなく、刀神でもなく――どちらかといえばカミ側の――堕ちた神、とでも言えばいいのだろうか。禍々しい気を放つそれ・・は、ただどす黒く、目鼻口もない。ほころびはじめた結界の中で、うねうねと蠢いている物体は結界の外に出ようとしている。知能はないが本能で生きるものを恨み、穢そうとしているのだろう。
 あと数人、いや、3名ほど下緒院の刀遣いがいればよいのだが、残ったのは青嵐ひとり。傍に紫垂月頼宗が控えてはいるが、今はその時ではなく、試す価値がある策はあるものの、ここに押しとどめることに手一杯なのが現状である。
 こめかみから汗や血液が滲み、土に染みこむ。〝これ〟から発せられる淀みで草木が枯れ落ちるむっとしたにおいが広がり、辺りは少しずつ穢されはじめていた。
……大丈夫かい。主」
 囁く言葉に頷く。穢れた土は泥のようになり、青嵐のからだごと呑み込もうとしている。一声でも返せればよかったのだが、こみ上げてくる液体で言葉は出ない。この、体たらく――
 ずぶ、と指がぬかるみに埋まっていく。埋まった指先が蠢くなにかを感じた。〝これ〟が土の中に侵入している感触だ。
「紫垂月殿。ひとつ、お願いが……
 呼吸音がひどいが彼は聞き遂げようとしたのか、顔を寄せる。
「酒を?」
「ええ。できたら……日本酒を」
 最低限の言葉でも伝えられたのか、彼はそっとその場から立ち去った。〝それ〟は触手のようなものを伸ばし、かれに掴みかかろうとしたが右手に持った紫垂月頼宗妖刀で一閃する。
 斬った一部は霧散して消えた。だがもう、大立ち回りをできるほど生気は残っていない。そもそも斬ったとしても〝これ〟はまた生まれるだろう。怨念として。だからこそ、封じなければならないのだ。ふう、と深く息を吐く。
「さぞ……さぞ、憎んだでしょう……恨んだでしょう。生きとし、生けるもの、を……
 ぼこぼこと湯が沸騰するように〝それ〟のからだから腐臭が吹き出た。人間たちを何人も喰った臭いだ。憎み、恨んだものは見境なく喰ってきたのだろう。喉の奥からせり上がる液体を咳き込みながら吐き出した。――血か。ならば、僥倖だ。吐いた血を手のひらで広げ、ぬかるんだ地面のなかに擦りつける。
「こんななりでも一応……刀遣い……です……その血液は……神気をわずかでも――帯びる」
 下緒院のものならなおさらだ。
 たとえ呪いを溜め込んだとしても、天照にいれば自然と中和される。天照には刀の神がおり、神気で満ちているのだから。――と、青嵐は考えている。
 が、実際のところは分からない。自分のからだの中がどうなっているかなど、分かってはいる。自分のことだからだ。中和しきれないのか、それとも神気がそもそも「呪い」という概念自体を嫌い、ふれないものとしているのか。だが下緒院に籍を置いておおよそ二十年がたっても、まだ刀を振るえるということはおそらく幸運なことだ。
……ッ」
 咳き込みながら、血液をゆっくり地面に湿らせていく。目の前の〝それ〟はわずかに苦しみ、藻掻いているように見えた。効いているのか。少しでも。
 だが、同時に出血が多ければ人間である青嵐の体内は痛んでいく。その見極めを、今回の任務で成しえなくてはならない。
 ふいに藤の香りを感じた。出血のしすぎか、あるいは単純に生気不足か、または両方か――霞む視界で、日本酒の瓶――おそらく感覚からして、御神酒だろう――を持った紫垂月頼宗をとらえた。
……し、だれづ、きどの……そ、れを」
 今にも泥の中に沈み込みそうな片腕でからだを支え、もう片方の手で瓶を受け取る。封は切ってあり、その瓶の口側を地面に突きつけた。どっ、という音がからだの中まで響く。心臓は奇妙に脈打ち、脈さえ軋ませる。
 目の前の〝それ〟は奇声を上げ、身もだえた。
「弱っている……。主」
「はい」
 かれは幻影を見せ、昏倒させる異能を持つ。他の下緒院の刀遣いたちの力、そして青嵐の血液で弱まっている今なら〝これ〟を押さえられるかもしれない。幻影を見せつつ気を失わせ、後に再度封印を施せるなら――上々だろう。
 頷き、刀の柄を握りしめた。ふわりと辺りに蜃気楼のような煙が漂う。耳朶の奥に金属同士を叩きつけるような音が鳴り響き、頭痛が強まってきたがじきに、終わる。
 弱った〝それ〟は周りにぐるりと突き立てられている垂がついた木の柵に触れようとするも、弾かれて更に甲高い悲鳴を上げた。
 ひたいから滲む脂汗を拭いもせず、土に埋め込んだ左手で触手を探るがすでに動きは止まり、木の根のように静まりかえっていた。
……アハリヤ アソバストマウサヌ……
 この「カミであったもの」を根へ鎮める・・・・・。根の国に、送らなければならない。
與言産霊神ヨコトムスビノカミ モトツミクラニ カエリマシマセ……
 異能が濃くなるごと、青嵐がことばを吐くごとに、徐々に悲鳴は収まっていく。喉がごろごろとするが、無視をする。〝これ〟が元でも「カミ」であったならば送神の秘言は有効だろう。絶え間なく呟き続け、やがてプツリと声が止んだ。残ったのはわずかな煙。それもじきに消えていった。
 右手には紫垂月頼宗が握られ、左手はすでに手首の骨のあたりまで泥に浸かっていた。
「主」
 肩で息をしながら、重たい頭を持ち上げる。藤の香りが濃い。血液のにおいと混じり、朦朧とする。泥から左手を抜き、着物で泥を拭ってかれを鞘に収めた。美しい意匠を泥で汚れてはいけない。
「預かるよ」
 顔を寄せてかれが囁く。一度うなずき、妖刀を差し出した。
「じきに緋鍔局と凪鞘班がくるからね」
 腹を押さえてぜいぜいと呼吸をする。せめて意識を保っていなければならない。胃の中に黒々とした重たい何かが蠢いている気がして、吐き気がした。
……いまの、カミは……やはり、この、土地、の……
 この土地の守り神だったのだろう。土地開発で山々や清らかな川は抉られ埋められ、存在意義を人間に奪われた哀れなカミだ。だが――これも、よくある話のひとつである。くすぶり続け、神上りする力さえないカミの呪いは、一定期間で周辺を全て無に帰す。人間もこの辺りに住んでいるから、たちが悪い。木や草がおおい茂るこの場所は、周辺ではここしかない。他は高級住宅街になっている。――このカミを鎮めるため、結界の役割を果たしているこの森も、いずれ――消えてしまうのだろうか。
 人間に喚ばれ、人間に鎮められるカミもまた、この世に定められた物事の一部でしかないだろう。
 青嵐の口もとに白い指が触れた。ぬるりと血液がすべる感覚を覚える。
「青。喋らなくていいよ。もう大丈夫」
 目を細めて見下ろしてくる紫垂月頼宗の口もとに血液がかすかに滲んでいた。


 ――あの日のことを思い出す。
 私は、名付けという行為こそ真に古い呪いだと思っていた。モノやヒトに名をつけ、それを縛り、思考や言動の自由を奪う呪い。私にとって、名をつけるということはそういうことだった。できるだけ、避けていた。自由を奪わざるを得ない式神には名こそ必要だが、胸中に生まれた感情に名付けることも、恐ろしかった。下緒院に人生の半分ほどいたからか、ことばの重要さ、言霊の恐ろしさは身に沁みている。滅多なことを言えない。いや――言う必要がないのなら、それでよかった。が、私は人間という存在の不自由さをひしひしと感じていた。自由があるなら不自由もある。だから規律があり、倫理がある。それがなくなればいいなどとは思わない。人間の自由を謳うことも、私はしない。ただ生まれたからには何かを得なければならない、と思った。刀神とともに妖魔を斬ることも、「得る」ことのひとつだろう。それでも――それでも、私はもっと、と欲張ってしまった。
 そこに、かれがいた。
 紫垂月頼宗。美しい太刀だった。この世にふたつとない唯一の月に花。
 そのかれが、私の名を呼んでくれた。「せい」と。呼ばれたことのない音色で。
 これが呪いであってはいけない、と思った。たとえ私の自由を奪う言霊であっても私にとって、大切な。
 ――あなたの声で、私の名を呼んでほしい。


「青」
 気付けばうっすらと消毒液のにおいがする部屋にいた。頭を動かすと、やわらかい声が返ってきた。病室のようだった。だが、他にはだれもいない。
「ああ、主。気付いたんだね」
 起き上がろうとするも、手で制される。
……ええ。あの場はどうなりましたか」
「しかるべき場所に封じられたよ。死傷者もない」
「そうですか。よかった」
 かれの口もとにはすでに血液の付着はない。胸中に不可解な思いを抱く。残念なような、それでいて、よかった、ような。さらりと赤茶色の長く美しい髪がゆらめいた。首をかしげたようだった。
「どうされましたか」
 そっと背中を曲げ、青嵐の目を見下ろした。ああ、と察して、くちびるの端をゆるやかに上げる。
「どうぞ。今はすこし、味が悪いかもしれませんが」
 あれから数時間ほどしか経ってはいないらしいが、刀神にとって生気は食事だ。腹が減っていてもおかしくはない。
 くちびるにあてがわれたやわらかいものが数秒後、すっと引いていく。
「どうですか?」
「うーん。まだ少し、残っているみたいだね」
「そのうち戻るはずです」
 体内の黒々としたものの残滓が、生気にも影響しているのかもしれない。だが時間経過でいつもの味に戻るだろう。ふふ、と笑い、紫垂月頼宗を見上げる。
「人間は、やはり欲深いですね」
 かれもふとほほえみ、目を細めた。藤の香りが近い。消毒液のにおいすら打ち消すほどに。
「私もまだまだ……がんばらなければね」
 独り言のように呟き、薄暗い空を見上げた。夕日に照らされた橙色の雲が眩しい。

 
 いずれくる私の最期の日も、こんな美しい色に満ちていてほしいと欲深くも思った。