ぼやけた視界に映るのが天井だと分かるまで多分五秒くらいだった。見慣れはしないが見覚えのある天井は医務室のもので、ゲーム後の処置を受けながらうたた寝をしたのだと思い至る。大なり小なり疲れもあったのかもしれない。どんなに圧倒的に振舞おうとも生身の人間だ。傷みもすれば疲れもする。
ゲーム後、叶が医務室の世話になるのは稀なことだった。数少ないその回数は賭場のステージ上で心浮き立つような相手と相対した回数とイコールだったりもする。
向かい合う相手が強者か弱者かよりも、魅せられるかどうかに価値があった。もちろん、弱すぎる相手は魅せるどうこう以前でお話にならないのだが。叶がどこまで踏み込みたい、踏み込まれたいと欲したかで払うべき代償の多寡も自ずと変わっていく。
支払いの都合上、身体へのダメージは抱えるものの、その過程を鑑みれば医務室自体にそこまでの悪い印象は持っていなかった。
ほんの少し喉の渇きを覚えるが起き上がるのも億劫で、叶は目に映る景色を眺める。視界に入るどこもかしこもが白かった。保健室みたいだな、と目覚めてすぐの頭で思う。横になっている叶の四方は壁とカーテンで囲われ、天井では蛍光灯の端っこが見切れている。違いはこの部屋に窓がないことだろう。記憶の糸を手繰れば窓から入る陽光が植え込みの木々に切り取られて投影され、グラウンドからは体育の授業で上げられた声がどこか遠くに聞こえていたような気がする。おだやかで少し退屈で眩しさも孕んでて。この場所とは程遠い光景だった。
目に違和感を憶え何度か瞬きを繰り返し、それでも解消されない乾きに叶の眉根が寄る。眼球に貼り付いたコンタクトを剥がすように外しながら叶は身体を横に向けた。ベッド脇にゴミ箱を探したが見当たらず、仕方なくサイドのテーブルに置かれていたティッシュを一枚とって包み載せておく。ちゃちな造りのベッドが叶の身動きに合わせてギシッと音を上げ、それに反応するようにカーテンの向こう側でも小さく音が上がった。
「敬一君、もう帰んの?」
叶が声をかけると、驚いたのか更に音が上がる。
「目、覚めたのか」
口ぶりから察するに、おそらくはカーテンのこちら側を少なくとも一度は窺ったんだろう。目を瞑りベッドに横になっている自分を見て、獅子神が何を思ったのかを叶は想像しかけたものの、観てない以上は分からないし意味の無いことだなと早々にやめる。
今回の毒は液体ではなく気体だったため、主な処置は胃洗浄ではなく酸素吸入だった。前回ここで世話になった時の毒と比べたら消化器系にはそこまで影響が無さそうで助かるななんて思う。食事にしろなんにしろ制限されるという状況はあまりよろしくない。指先を挟んでいるパルスオキシメーターに視線をやれば、そこには正常な値が示されていて帰宅にも問題なさそうだった。
「身体鍛えてると内臓まで強くなるわけ?」
自分以上にピンピンしていそうな男の丈夫さに叶は少し呆れて声を上げる。
「どっちかっつーと飲み食いしてるもんじゃねぇの? 関係してんの」
「あー、たしかにソレありそう」
体が資本とはよくいうものの、その辺りでは疑いようもなく獅子神に軍配が上がるなと納得する。
「……あのよ」
「ん? なに?」
その声が少しだけ改まったことに気付きながらも、叶は意に介さないように応じる。
「最後のアレ」
「あ、オレのアドバイス? 響いちゃった?」
「いや、そっちじゃなくて……ゲーム中の」
「ゲーム中の?」
本当は獅子神が何を指してるかなんて分かりきっている。それでも、それを汲んでやることはしなかった。さっき天井を認識するまでにかかったのと同じくらいの時間、二人の間に沈黙が流れる。空調の音が耳につく。
「やっぱ、なんでもねぇ」
獅子神の言葉に、それがいいと思った。少なくとも今は不用意にその一線を超えるべきでも掘り返すべきでもないと察したことを褒めてやりたい気持ちになる。おそらくは本能的に感じ取ったのだろうが、何の覚悟も心づもりもなく禁域に足を踏み入れた相手を丁寧に送り返してやる真似を二度三度とするつもりはなかった。ここが分水嶺だろう。
獅子神の帰り支度は済んでいるようで、それでも自分が起きるまでなんとなく待ちぼうけていたらしい友人の姿が叶にはありありと想像できてしまった。帰ったからといって別にどうということはないのに。ただ、そういうところだなと、そこに「らしさ」を感じてしまい思わず笑んでしまうのも事実だった。
「あ、そうだ。敬一君にもういっこアドバイス」
「あぁ? んだよ」
「グループ宛のメッセージ、少なくとも今日は見ないほうが良いかも」
「……それ言われたら、普通余計気になんねぇか?」
「開けるなって言われたものは開けない方が良いのは昔から語り継がれてるだろ?」
カーテンに遮られて見えないものの、きっと納得いかない顔をしているんだろう。叶は処置中に確認したスマホを思い出す。グループメッセージには今回のゲームを観戦していた筈の面々から食事への不平不満と錬成されたなんらかの物体の写真が送られてきていた。獅子神が目にすれば現場である真経津の家まで出向き、写真の背後に想像できるキッチンの惨状をどうにかしに行くかもしれない。頼まれなくても。
「まあ、どうするかは敬一君次第だけどね」
「ったく……オマエは? もう帰んのか?」
「んー、もう少し休んでからにしよっかな」
「そっか。じゃあ、またな」
「うん、またね」
そう言葉を交わしたあとで、獅子神がベッドから立ち上がったのかまた小さく音が上がる。足音と気配が遠のいていくのを感じながら叶は再び天井を見上げた。相変わらず小さく響く空調の音が耳について、静けさを際立たせる。
「よっ、と」
叶は上体を起こすと腕をぐいっと振り上げ背筋を伸ばす。横になっていたベッドはお世辞にも寝心地が良いとは言えない代物だった。
「あーあ、オレって思いやりに溢れすぎてるかも……なあ唯君もそう思わない?」
独り言みたいな呟きに続けてカーテンの向こう側に声をかければ、影が近づき無遠慮にカーテンが開け放たれる。
「どうだかな」
獅子神と入れ違いで現れた昼間は肯定も否定もしないまま、手に持っていた馴染みのある飲料缶を差し出してきた。受け取りプルトップを引くと、叶はそのまま半分ほどを一気に飲み干す。渇いていた喉には持ってこいで、今まさに叶が欲していたものだった。
「別にやりたきゃできただろ。生かすんだか殺すんだか心中だか知らねーけど、オマエがしたいように」
「心中は心中でも無理心中じゃ意味ないんだよ。そもそも別に死に急いでるわけじゃないし。わざわざそんなことしなくても、案外あっという間に終わっちゃうもんなんだよ」
そう言って缶の残りを煽る叶を昼間は心底めんどくさそうに一瞥する。
「知らねぇけど、好きにやればいいだろ。勝つならなんでも」
大して興味もなく吐かれた言葉に叶は小さく笑う。こうした話題を出すだけでも昼間にしてみればだいぶ歩み寄っていることが分かるから。
「そ。だから、やりたいようにやった。気に入ってる友達とやるのなんて初めてだったからさ。ダメそうなら終わらせちゃうしかないかなーって、ちょっとセンチメンタルな気分にもなっちゃったけど粘ってよかったよ。想像以上に魅せてくれた」
ゲームの光景を思い浮かべながらうっそりと笑う叶に昼間は呆れ顔だ。
「まあ、ちょっと惜しくはあったけどな」
叶は改めて今日のゲームを振り返る。別にあの幕引き自体に不満はなかった。獅子神は友達という枠組みを取っ払ってもなお魅力的になったし、そもそもゲームの目的は相手を殺すことではない。少なくとも叶にとって、生き死にはあくまで副産物みたいなものだ。
ただ、もしも、あそこで忠告をしなければ、後戻りできないフェーズまでいっていたかもしれない。今日初めて顔を合わせる相手であれば、わざわざ踏みとどまらせることなんてしなかった。互いの命をテーブルに載せた上で、魅せる対戦相手が世界最期の日を迎える様はなかなかに心惹かれるものがある。だから互いに支払いを重ね、大きな喜びを得ることに従事したはずだ。
そうしなかったのは友達としての獅子神と、あの男が秘めて自ら圧し潰しているものとに叶が自覚していた以上に魅せられたからだろう。今ここで迎える最期より、獅子神のこれまでとこれからに価値を見出してしまった。
結果的にはこれで良かった。それでも最後までいけなかったことをどこか惜しく思う気持ちも少しある。喪失感というほどでもないが、そうしてみたかったと思わせるほどに獅子神が成長したという事実の表れだろう。そそられるデザートを目前にしておあずけを食らったくらいの感覚で。
興味が無さそうに目の前でスマホを弄り始めた昼間に叶はクレームをあげる。
「唯君は冷たいな~。傷付いてるオレにもう少しかける言葉とか優しさとかあるだろ?」
芝居じみてそう訴えかける叶に昼間はスマホから顔も上げずに口を開く。
「オレが知るかよ。ソレはオマエの痛みだろうが」
その言葉に叶は思わず目を瞬かせる。そうして愉快そうに上げられた笑い声に、昼間の視線が怪訝そうに向けられた。
「解っちゃいないのに分かってるところが唯君のいいところだな」
「あ?」
「オレの担当が唯君で良かったなって話」
いよいよ隠す気もなく「何言ってんだコイツ」と顔一面に浮かべる昼間を叶は満足気に眺める。別に理解者が欲しいわけではない。ただ願わくば、望む望まざるに関わらず迎える終わりを愛するもので満たされていたい。ただそれだけのことだけど、それが案外難しいことを叶は嫌になるくらい知っている。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.