初音
2024-12-15 15:19:25
5449文字
Public 雑談感想考察など
 

侍タイよかったーっていうただの感想(ネタバレ注意)

タイトルのままです。ふせったーで書いていたものをここにも移しました。
ひたすら好きだなって言ってるだけです。ネタバレ注意。

あーとっても良かったなー面白かったなーってことを延々垂れ流すだけの感想というか呟き散文です。ネタバレしかないです。
ちょっとでもこの映画を見る可能性のある方はマジでこれ以降の文章は読まないで回れ右してお戻りください。まだまだ全国公開広がってます、お近くの映画館でも公開するかもしれませんので、ぜひ。劇場へ。
映画「侍タイムスリッパー」は、何の事前情報も無しに浴びてほしい楽しくて心にぐっときて「面白かった!!!」ってなる最高な活劇映画なのです。斜に構えたり穿った見方とかしたり、そういうこともせず心のままに素直に受け取ってほしいなと思います。
だから細かいネタバレもふわっとしたネタバレもできれば触らない方が絶対良いのです。
これ以降はマジでずっと「あそこ良かったよね~」を垂れ流すだけの散文です。くそほど無駄に長いです、引き返すなら今!!!


映画の種類って色々あると思うんですよ。社会性の深い、こう、問題点を詰め込んで考えさせるようなものとか、心にずどんと来るものをあえてエンタメのオブラートに包むことで提示するっていうのも映画のすごさの一つなんだけど、それとは別に、泣いて笑ってハラハラして、そうして最後に終わった時に「あー面白かった!!」ってなるような、そいういう娯楽大作も映画の醍醐味の一つだと思っていて。
「侍タイムスリッパー」はまさに後者の見本のような映画だなと思いました。めっちゃ笑ったし泣いたし固唾を飲んだ、でも最後に心に残るのは「面白かったな~」っていう温かい気持ち。こういう映画を見るのはすごく久しぶりだったので、私はめちゃくちゃ楽しめてハマりました。2スリッパーしたのにもう見たいもん。

面白い映画って、やっぱり「脚本」と「役者」が両方揃わないと駄目だなと当たり前のことを再確認しましたね。どんなに良い「脚本」があっても役者の演技力がなかったら中身が正確に伝わらないし、めちゃくちゃ素晴らしい「役者」がいたとしても肝心の中身「脚本」がくそつまんなかったら面白くもなんともないわけで。
侍タイはまさに、その両輪がかっちりと(過不足なく)揃った稀有な映画だなあと。
なんと言ってもこの映画の肝は「過去から現在(とはいえ2007年ごろですが)に侍がタイムスリップした」の部分で、そこが嘘っぽかったりそれっぽく見えなかったら全部台無しになるわけなんですけど、この部分で主演を山口馬木也さんにしたことで成功が約束されたというか、勝利したなって勝手に思ってます。
私は基本的に人の名前が全然覚えられないダメ人間なので、役者さんのお名前を存じ上げなかったのですが、この方自身はめちゃくちゃ良くドラマや時代劇でお見掛けする方でお顔はすっごく知っていたので笑、「あーこの人よく見る人だー、目立つ演技しないけどなんか良い役者さんだったはず」くらいの認識だったんですが、いやー初主演すっごい良かったです。もうとにかくすごい良かった(語彙力)。
変な話、私たちは『本物の侍』なんて知らないわけですよ。当たり前ですが会ったことないので。だから我々が思う本物の侍っていうのはぼんやりとした勝手な共通イメージで幻想で事実は誰にも分からない、それをまるで本物のように見せるっていうのは至難の業だと思うのですが(映画内で優子殿が言っていた『リアリティ』の部分ですね)、その実在感・存在感がすごかった。高坂殿が実際にいて、ドキュメンタリーでも撮ってんのかと錯覚するような心地まで感じました。

みんな大好きおにぎりとショートケーキのシーン、良いよね。私も漏れなく大好きです。特にショートケーキのシーン、あれはなんかこう、妙にぐっときてちょっと泣きました。抑揚の抑えられた良い話し方で。全体的に馬木也さんの演技が大げさすぎずずーっと真面目に真っすぐに演じてらして、その感じがおかしみと哀しみをうまく表現されていたなーと思います。
どなたか他の方がご感想で言っていた言葉がすごく印象的で。『ずっとおかしくてずっと可愛くて、ずっと哀しい。』あーそれだーっ!!!てすごい膝を打った。
全体を通したら喜劇的なコメディ色の強い映画ではあるんだけど、主人公そのものはずっとこう、哀しみが薄っすらと漂っていて。その辺は実は序盤も結構あるんですよね。
例えば高坂殿が頭を打って目が覚めて、世界がどうも自分の知っている場所とは違うらしい、と気が付いてから後の場面。彼は街を彷徨い歩き、ついにここがどうやら「幕府が滅亡してから140年経っているらしい」と気づいてしまって。密命を受けて山形殿と相対した場所と同じ門を見つけて、それは確信に変わって。
あの後の、腰からすっと脇差を抜き取る一連の流れ、毎回心臓がぎゅっとなるんですよ……だってあれ自害しようとしたシーンですもん。ひえって思った、あそこ。あの直後に雨が降って、そのおかげ(?)で彼はその動作を中座してそのあとそれはうやむやになるわけだけど。優しい人々に助けられて恩を返さなければっていう方向に心が動いたからだと思っているのですが、逆に考えるとあのとき雨が降らなかったら……と思うと心がぎゅうっと苦しくなります。
あ、そういやあの黒船来航ポスターを普通に読めるのはどうなんだいっていう突っ込みが少なからずあるようですが(それは私もちらっと思った)、細かいことは良いじゃないかという思いと(笑)、実際のところ高坂殿が鍛錬と勉学に励んだ会津若松の『日新館』というところは相当なエリート集団の学び舎だったらしく、蘭学もやったらしいって話があり、そしてアラビア数字が日本に入ってきたのは幕末から明治にかけてらしいので、ギリギリ高坂殿が読めてもおかしくないようにはなってんだなーと知ってちょっと驚きました。文章の右から左と左から右も、まあ日本語的に読んでておかしくて(ん? ああ逆から読むのか?)ってなんとなく察するくらいはできるだろうしなあ。監督そこまで考えてるのかしら。聞いてみたい。
全体的に主人公の地頭が良い設定も良いですよね。タイムスリップあるあるの時代感ギャップネタは当然ありますが、それがくどくないというか、高坂殿もそこまで何でもかんでも全部には驚いてない辺りの塩梅がいいなと。わけわかんないことが多いと人間最終的に「なんかこういうもんなんだろうな……知らんけど」っていう境地になるんだろうなーっていう。その辺リアル。

あと私は別にタイムスリップモノに明るくないのでこの辺はふわっとしてますが、ありきたりな設定のようで結構細かく見ると斬新なタイムスリップ設定だったのではないかなーと勝手に思っています。
まず、タイムスリップモノって結構、「現代の人間が過去or未来に飛ぶ」の設定のが多い気がするんですよね。それでもちろん「過去or未来の人間が現在に来る」もあるとは思うんですが、その場合って来た人間が主役というよりも、それに巻き込まれて世話を焼いてあげる現在の人間が主役のパターンが多いんじゃないかな、と。過去から来た人はあくまで異邦人であって、彼らは最終的に元に戻る、っていうパターン。
それを踏まえると、「過去から来て現在に定着し、特に元には戻らない」って何気に珍しいなーと。しかも重要なのは、「その事実を誰にも言わない」ところ。この辺は監督さんが福本清三さんをイメージしていらっしゃって、その性格の反映でもあるとお話されていらっしゃいましたが、でもそれって結構リアリティ感的にも大きかったのかななんて思いました。
よくよく考えてみれば、「実は俺、過去から来たんだ」ってマジで言ったら頭大丈夫かって言われるよなって思いますもん。そんなシチュエーションになったことないですけど(笑)、タイムスリップしてしまったとしてそうそう簡単にそんな話するかな、という視点はありだなーと。しかも高坂殿は現在の人間が当たり前に知識としてある「タイムスリップ」概念もないですし、なんかどうも戻れないらしい、と自覚してからはたぶん実際の境遇を言う必要性を感じなかったんじゃないかなーと。
だからこそ、後半に現れるもう一人の「理解者」との関係性が爆上りもするわけで。二人だけがその境遇を知っていて、分かち合える、というあの関係性が。たまらん。

そう、そしてその後半ですよ後半。物語の前半はずっとこう、現代に馴染んでいく高坂殿を描いていて、なんかこの話お侍さんが元の世界に戻る展開じゃなさそうだな?どうやってお話を終わりにするんだろう?と疑問に思い始めた頃に現れる起承転結の「転」と「結」の展開の怒涛さがすごい。急に物語のスピード感がぐっと上がって、あのあたりから前のめり感が増した感じがしました。
風見先生の冨家さんも良かったですよね……いやもうメインの役者がこの二人そろったのほんと奇跡……品格と包み込むような優しさと心に秘めた葛藤とかこう。どちらの役者さんも自主製作だからとか関係なく「脚本が面白いからやりたかった」と言っていて、マジでありがとうございますとしか言えません。

中打ち上げの台本のシーン以降は本当にこう、辛くて……しんどくて……何度見てもひりひりします。漠然と理解していた「幕府の滅亡」に対しての、これでもかという無慈悲な現実。手を合わせて涙する高坂殿がつらくてつらくて。取り残されて「死にぞこなってしまった」「生き残ってしまった」彼が取る行動の果ての真剣での決闘。鍔が菊透かしだから「その刀が真剣である」と見て分かるのもにくい。
あそこの無音の数十秒間こそ、映画館で体験できる最高の体験だなと思いました。観客の集中力がぐっと画面に引き寄せられて、誰もがみんな固唾を飲んでその次の一手を待つあの空間。あれはサブスクや配信では体験できない。あの真の静寂は、おうち観劇ではなかなか再現できないと思うので。生活音、遮断するの結構大変。
前半部分で丁寧に丁寧に「時代劇としての見せる殺陣」をやっているからこそ、それとは違う殺陣の迫力。あれだってもちろん演技であって殺陣だと分かっているはずなのに、物語の構成と見せ方のおかげで「これは真剣である」の効果が絶大で、あの決闘シーンは手を痛いくらい握りしめて魅入りました。
キャラ造形として風見さんもすごく素敵なキャラクターだからこそ、安易な対・悪役ではなく、どちらも斬っても斬られても欲しくない、というあのハラハラドキドキ感も計算の上らしくて監督すごいよ……
血しぶき出た時会場で声上がりました、すごい気持ちがわかります。私も「えっ!? いや嘘だよね? この映画(劇中劇のこと)を高坂殿が台無しにするわけないし、いやそんなはずは」と思いながらめっちゃはらはらした。次のシーンで映画のカットになっててすごいほっとして、それくらいあの一連のシーンがあまりにも鬼気迫っていてすごかったんだなと実感しました。
あの重たいくらいの決闘からの、ふわりと浮かぶ収束のシーンも良いですよね。
侍は滅び、時代劇もいつかは滅びるかもしれない。絵に残したかったのは侍の姿なのか、「時代劇としての」侍の姿なのか、本当のところは二人も分からなかったのかもしれないなと勝手に思ったり(この辺は私の勝手な解釈です)。そこからの優子殿、がさすがすぎて好きです。

あ、あとめっちゃくちゃ細かい好きなところなんですけど、ラストもラスト、また日常に戻って高坂殿が『心配無用ノ介』で斬られ役やってるシーンで、カットが掛かった後に彼が他の斬られ役に「ごめん」みたいな仕草をして、それから関本さんとお話してる時に何か良かったよって言われて(多分)て、「ほんとっすか?」みたいに返してるとこ、この二つがめちゃくちゃすっごい現代語話してる高坂殿で硬い言葉じゃなくなってて、なんかこう、あーこの時代にどんどん馴染んでってる、みんなともっと仲良くなって言葉も移ってきたんだなって思ってすごい好きなんですよ。
そして安定のオチへ、と。この辺が見事にコメディに戻してて心を軽くしてくれて、あー面白かった!に繋がるんですよねー。あーまた見たい。
この文章書いてたらあれも好き、これも好き、がいっぱい出てきて収拾がつかなくなりました。関本さんとの斬られ役指導のシーンも大好きだよ。もう間が良いし関本さんが良すぎて毎回爆笑しちゃうよ。
どのキャラクターもすごく愛情があって、どれもがみんないい人で、ストレスなく見れたのもすごく良かった。みんなお延したくなる、そして何よりも応援したくなる主人公がずっと見ていたくて、だから何度も見に来たくなるんだろうなーと思います。見に行きたいというか、会いに行きたい。この感覚はブジャ(BLUE GIANT)に似てる気がする。
斬られ役でどんどん出世する高坂殿も見たいし、おいしいものを食べる高坂殿も、自転車を習得する高坂殿も、遊園地に連れていかれる高坂殿も、なんかそういうのをずっと見たいです……節子殿に母の日に贈り物する高坂殿とかさ……
続編が見たいというよりも、なんかそういうのをずっと見ていたくなる、みんなに会いたくなる、そういうあったかくて素敵な映画でした。
もうめちゃくちゃ脈絡なく筋道もなく書いたので本当にくそほど意味もなく長いただの感想の垂れ流し失礼しました。こんな長いの読んでくれたんですか……?ありがとうございました……!!