yuiazetsu
2024-12-15 11:43:16
2008文字
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全身を強く打つ前に。

涌井庵室の妄想内では、織部さんは妻と死別した説を採用しています。

ふと気づけば駅構内にいた。

あたかもそれまでの記憶が抜けたような物言いをしたが、それは語弊がある。
自分は僅かな休憩に、コンビニに向かったはずなのだ。それは覚えている。

眼鏡越しの光景が僅かにぼやけている。
二徹目? 三徹目? どうだったか。
自分を慕ってくれている部下に、軽食の一つでもと思ったのだ。

職場から出た。
良く知る道を歩いた。
信号機の郭公が鳴いた。

自分はどこに向かっていたんだっけ?

ぼんやりとした足取りは進路を間違えたらしい。
視界が真っ白になった気がした。
イルカみたいに、半分眠っていたのかもしれない。
そして、そのまま自分は進み続けていたに違いない。

ふと気づけば駅構内にいた。

知らない駅だ。
職場の最寄りでもない。ましてや自宅の最寄りでもない。
そして、こんな駅は通りがかった事すらない。

戻らないと。

どこに?

乾いた涙が絡む目を擦った。
胃の辺りの気持ち悪さが、睡眠不足を訴えている。

やけにクリアな霧が脳を満たしたような。

屋内を歩いた。
革靴が床を踏む音が頭を反響する。

「お客様。お困りですか?」

軽く、低い、知らない声が聞こえた。
霞む視線の前には、黒い人影があった。

白と黒だけで出来た人型の誰かがいた。

知り合いの教え子。青い宇宙人。
普通なら出会うはずもない非常に、彼はいつの間にか慣れ過ぎていた。

……駅員さんですか」
「そう思ってくださって構いません」

目の前の見えない顔。
直接聞こえる声は、構内放送が人の形をしたような奇怪。

「どちらまで?」

耳に滑り込む声に、頭のネジがひしゃげた公務員の思考が止まる。

戻るべきは職場。
帰るべきは自宅。
行くべきは。

……どこに」

脳の回路が繋がらない。
いつもは考えに真っ先に浮かぶ常識的な考えのフィルターが、焼け落ちてしまって見つからない。

「お客様。お客様が行きたい場所は、ございませんか?」
……あります」

考えるより先に口が動く。

自分が行きたい場所は、ある。
ずっと胸の底にある欲。
いつもなら考えに浮かぶより先に、諦めと理性が蓋をする欲。

……妻のところまで」

直されないままのネクタイが揺れる。

「少々お待ちくださいませ」

こちらへ、と促されて近くにあったベンチに座った。

頭を抱えた。

会いたい。
行きたい。

それなら?

ベンチを立つ。

向かい方なら単純だ。
適当に切符を手に入れよう。
適当な切符で
適当な電車に
線路ならすぐそこに

「お客様」

目の前に、あの黒い駅員が立っていた。

「お客様の目的地へ向かう路線は、生憎こちらの駅には乗り入れておりません」
……いや、自分は」
「ですが、お客様が向かうべき場所へ向かう電車であれば、もうすぐ到着致します」
……

駅員が、自分の手を取る。

「目的地へのご案内が出来ません事を深くお詫び申し上げます」

自分の手に、切符が握らされている。

「間も無く、電車が到着致します」
……
「お乗り間違えのないよう、お願い致します」

頭の外れた歯車の代わりに、自分だけに向けられた構内放送が思考を回す。

……分かりました」

階段を、降りた。
一番線には、既に電車が停まっていた。

『垂削、垂削です。本日は高印鉄道をご利用くださいまして、誠にありがとうございます。この電車は、碑土肥線外回り──』




「織部さん」

背後から、聞き覚えのある声がした。

…………ぁ、二ノ宮君」
「織部さんも休憩ですか」

数回の瞬き。

ここはコンビニの駐車場?

……いや、そう……そう、だね」
「織部さん、あの」
……どうかしたかい」
「織部さん、後の仕事何とかしときますので、早退された方が良いですよ」
「そう言う訳には」
「顔真っ青ですよ。帰るって言うか、病院行くの勧めたいくらいです本当は」

大丈夫だよと言おうとして、酷く乾燥した唇がぴりと裂ける。
顔が痛みに歪む。
手の甲で口を拭うと、僅かな赤い線が残った。
ああ。血だ。
自分が赤く、
自分が、
ばらばらになって、
千切れて、

自分の足はどこに向かおうとしていた?

「織部さんが休むより、倒れた方が取り返しつかない事になります」
……

余りにもまっすぐ見つめてくる部下の目が、やけに鮮明に見えた。

……分かった。埋め合わせはちゃんとするから」
「いつも頑張って貰ってるので。寧ろこっちが返す機会出来て嬉しいですよ」
……すまないね」

鈍い頭痛。

「構わないですよ。早く休んでください」

申し訳なさを、きちんと顔に出せていただろうか。

「そうするよ」

努めて、明るくそう言って踵を返す。

街路樹が目に入った。
知っている道だ。

どうか、もう間違えませんように。