目を開けると眩い白い光が視界を焼いた。雪の止まないかの町では浴びることのない強い光。強い違和感を覚えて目を凝らした。一体ここはどこだろう。
「あ、起きた?」
光を遮る影に見覚えがあった。日焼けとは無縁の白い肌、雪に埋もれた白銀の世界ではやけに目立つ桜色の髪。そして私のターゲット。半死神の少年が私の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、ハーデイ」
「おはよう……?」
にこりと笑む少年につられて挨拶を返す。状況が分からない。どうして少年が目の前にいるのだろう。
辺りを見回すと白い壁に囲まれた部屋のような空間にいることが分かる。色が全て抜き取られたような目が眩むほどの一面の白。そして私はそこに置かれたベッドに横たわっているらしかった。私たちが過ごしていた教会でもなければ、その外に広がっていた町のどこでもなかった。死神である私ですら知らない場所だった。
昨日教会で少年と別れてからここで目覚めるまでの記憶がまるでない。元から何もなかったようにすっぽりと抜けている。
「ハーデイ? 気分が悪いのか?」
「ああ、いや……」
体を起こした後、この奇妙な現象に頭を抱えて混乱していると少年が不安げに首を傾げる。少年にことの経緯を訊ねようとした時、部屋の中に音声が響いた。
『ここは媚薬を十本飲まないと出られない部屋。条件を満たすこと以外に出る方法はない』
聞いたことのない声だった。機械的で人工音声に近いものだった。つまり、こんな悪趣味な状況を作り出した張本人への手がかりがないということだ。
「何が媚薬だ。馬鹿馬鹿しい」
不条理な状況に陥れられた上に犯人の目的が分からない不可解さに怒りが込み上げてくる。シーツの上に言葉を吐き捨てて、顔を上げる。媚薬を飲む以外に出る方法がないという言葉が気になって再び部屋を見回す。真っ白な壁は恨めしいほどに滑らかで、扉がありそうな隙間も溝も見当たらない。壁だけではなく床も天井も同様だった。
状況把握の最中、私たち以外色彩が視界に入って反射的に視線が移る。
ベッドから数メートル離れた部屋の中心に鎮座する小さなテーブルの上、そこに木材でできた木箱がある。
「空いている……?」
蓋が開いた木箱の中に小瓶が収納されているのが確認できた。あれが声の主が示す媚薬だろうか。しかし、十本あるはずの小瓶がいくつか足りない。数えてみると箱の中には七本しか残っていない。足りない三本はどこに消えたのかと視線を箱の中から外に移す。残りの小瓶は箱のすぐ傍、その外側にあった。数もきっちり三本ある。しかし、中身は空だ。
もしやと思い、少年の方に視線を移すとぱちぱちと瞬く瞳と目が合う。
「まさか、あれを飲んだのか?」
祈るような気持ちで訊ねたが無情にも少年はこくりと頷いた。
「甘くて美味しかったから……喉も渇いてたし。ハーデイの分も残してあるよ」
平然とした口調で告げられて頭が揺れた。あろうことかジュースか何かだと勘違いしているようだった。雪の町では砂糖のような甘味料は貴重で、物珍しさに手が進んだのだろう。喜ばしいことではないが、私の分だと取り置いていた彼の優しさが多少の救いだったとは言えるだろう。
「いくつ飲んだ?」
私の問いかけに少年は三本指を立てて示した。箱の中の瓶と合わせて合計十本。計算が合ってしまった。十中八九、箱の中の小瓶が媚薬なのだろう。もしかしたら小瓶の中身が媚薬でないかもしれないなんて一縷の望みも無惨に砕かれてしまった。
「ところでハーデイ。びやく、って何?」
こてんと首を傾げる少年の無垢がとどめを刺してくる。予想とは違わなかったが、こうも直球に突きつけられると、脱力して呆れるしかない。
「知らずに飲んだのか?」
「うん。だって飲まないと出られないんだろ?」
少年の素直さと無知がもたらす無謀さに気が遠くなる。私の方が早く目覚めていれば防げたのだろうか。
媚薬だなんだと言っているが、万が一毒でも盛られていたらたまったもんじゃない。こんなところで少年に死なれては私の仕事に支障が出る。
「とにかく君はこれ以上口にしない方がいい」
「どうして」
「あれは……薬だ。飲み過ぎはよくない」
「でも、ここにある分を全部飲まないと扉が開かないって説明が聞こえたよ。どうするんだ?」
「残りは私が飲もう」
「そんなのダメだよ。飲み過ぎはよくないんだろ」
「私は君より体格がいいし長く生きてる。少々飲んだところで影響は薄い」
「ハーデイがそういうなら……」
やたらと食い下がってくる少年を何とか説き伏せる。どこか不満げに唇を尖らせているがそれ以上の反論は出てこなかった。
「もしも、何か異変が起こったらすぐに教えるんだ。いいね?」
「わかった……。ハーデイも無理して飲んじゃダメだよ」
死神の体に仇なせる物質などそうそうないだろうが、少年の思いやりに「ありがとう」と返しておく。さっさと飲み干して一刻も早くこんな場所から出てしまおう。
小箱の中の小瓶を手に取り栓を抜く。一息に呷ると熱をもった液体が体内に流れてくる。液体自体の温度は飲料水などとほとんど変わらないのに、液体の通った場所が熱さを訴える。舌を滑る感触はこれまた私の知らないものだった。主成分は水だがそこに混じる不純物は今まで知った食物や飲料のどれにも当てはまらない。おおよそヒトが口にするものではないのだろう。含まれる成分は香水に似ているようにも感じた。少年はこれを甘いと表現した。甘くて美味しい、とも。彼の味覚と私の味覚とはどうやら異なるらしい。ヒトと死神なのだから当然といえば当然だった。
死神にとっては薬にも毒にもならないような液体を無感情に摂取していく。媚薬だと言っていたが、今のところ体に変化はない。三本空けたところで少年の方に目を向けると、その体がくたりと床に臥せっていて、目を見開く。
少年の体に媚薬の効果が出てきたのかと慌てて駆け寄り膝をつくと、少年は目を擦りながら体を起こした。
「ごめん、ハーデイ。なんか、眠たくなってきて」
少年は今にも閉じてしまいそうな瞼で、微睡む声で言う。まったく人騒がせだ。安堵だか肩透かしだかをくらった気分で、ほっと息を吐く。
少年にベッドで休むよう伝え、よろよろと拙い足取りでベッドに倒れ込む少年を見届けて、再び瓶のもとに戻る。残りは四本だ。一気に飲み進めてしまおう。
残り一本まで飲み終える頃には体が内側から燃え上がるように火照ってくるようになっていた。
「媚薬とやらの効果が回ってきたか……」
額に浮いた汗を拭う。量がかさむ毎に身体中に倦怠感に似た感覚が蓄積されていた。加えて、下腹部に渦巻く重たい熱はヒトの体に備わった本能の一つを想起させる。忌々しい感覚だ。
最後の一本を手に取りながら、ふと少年の様子を窺う。背中を向けて眠っていると思っていた少年の呼吸が浅く早くなっていることに気づく。静かだったことと自分の体の変容に気を取られて、少年の体にも変化が起こっていることに気がつかなかった。
「少年っ」
私は瓶を握ったまま、ベッドに駆け寄って横たわる少年の肩を揺らす。
火照って色づいた頬の上の瞼がゆっくりと持ち上がると、水の張ったライラック色の瞳が姿を現す。熱に浮かされたような姿に、媚薬が確実に少年の体を蝕んでいることを確信する。
「う……、ハーデイ?」
「少年、大丈夫かっ」
「ん~……あつい、……あつくて、のどが渇く」
ぷちぷちと自分の上着に手を掛けて緩めていく。時々焦点が合わなくなって、唇から熱をもった吐息が漏れる。ごろりと寝返りをうった弾みで、少年の眦からほろりと雫が零れる。
「んん……っ」
敏感になった肌は衣服が擦れるささやかな刺激にも反応して少年から甘い声がこぼれる。
下腹部に渦巻いていた熱が暴れるように膨張するのを自覚する。脳裏に少年の衣服を剥ぎ取ってその体を暴く、淫らな妄想が過って慌てて首を振った。
気を強く持たねば少年に手を出しかねない。意識を保つために強く唇を噛んだ。
早く最後の一本を空にしてここから出てしまおう。ベッドから離れようとした袖を少年の指先が引っ張った。
「まって。ハーデイ、あれ欲しい。甘いやつ。喉が渇いて、仕方ないんだ」
は、は、と短く息を吐きながらあろうことか少年は媚薬を欲した。
「ダメだ、少年。もう少しでここから出られるから待っていてくれ」
「いやだ」
駄々をこねるように首を横に振った少年は私の手を強く掴んだ。掴まれた手の中には中身が丸々残った瓶が握られている。温度の高い少年の手のひらに包まれて痺れるような熱が瓶を握る手全体に広がった。
しまった、と腕を引く前に、少年は握りしめた手ごと傾けて瓶の中身を一気に呷った。こくこくと美味しそうに上下する喉を唖然と見つめる。自らの手で少年の口に媚薬を注ぎ込んでいるような錯覚にめまいがした。
「おいし……♡」
瓶のフチを舌で舐めて最後の一滴までを味わった少年は恍惚に笑んで甘ったるい吐息をこぼした。見たこともないほど妖艶な花が花弁を咲いたような色気に頭が沸騰するみたいだった。薬の回った脳は少年の放つ色香にあてられて一気に淫靡な色に塗りつぶされる。心の奥の方でひっそりと芽生えていた少年への欲情を無理矢理引きずり出されてしまう。火傷しそうなほど熱が目の裏に溜まって視界が揺れる。
遠くの方で小さくガチャリと鍵の開く音がしたが、胸の騒ぐ音に紛れて気に留めている余裕もなかった。
「たりない……」
ゆっくりとした動作で少年の手が伸びてきて、蛇が絡み付くようにねっとりと首に両腕が回される。うっとりと微笑む少年の顔が近づいてきても少しも動けなかった。
ちゅうっと手始めに唇を吸われる。小動物がじゃれるみたいに、唇に張りついた媚薬の膜をぺろぺろと剥がしていく。
「ん、ふ……」
やがて表面をすべて舐め終わると、今度は舌が口内へ入り込もうとしてくる。唇のあわいを割り裂いた舌先が歯列をノックするようにつつく。望まれるままに力を抜いて薄く開くと、狭い隙間をこじ開けるように舌がねじ込まれる。
柔らかで熱い唇に口を塞がれて、口内は小さな舌が這い回る。
「んむ、ふ……、ぁ」
甘えるようにすりすりと壁を擦る舌を舌先でつついて絡めとると少年から甘ったるい吐息がこぼれる。首に回る腕に力が籠って、少年はとろりと目を細める。よほど気に入ったのだろうか、二人の間で生まれた唾液までも自分の方に傾けて、こくこくと嚥下していく。目の前の少年は自分が何をしているか分かっているのだろうか。親鳥から餌をねだる雛鳥のような幼い可愛らしさでは済まされない。粘膜を擦りあわせて生じる快楽に少年も酔い始めていることが、震える声と体から分かる。
少年の唇を受け入れているうちに少しずつ理性が融けていく。薄まってとっくに媚薬の味などしなくなっても唇を離そうとしない少年の体をベッドへと押し倒す。今までされるがままに沈黙していた舌で少年の舌を絡め取って愛撫すると、脱兎のように舌が口内から出ていく。
「え、な、はー、でい……?」
恍惚の熱の引かないライラック色の目を大きく開いて見上げてくる少年の無防備に開いた唇に、今度はこちらから口づける。
「ぁ、……っ、ふあ、っん……、ゃあ……っ」
自分の口内に相手の舌が闖入してくることを想像していなかったのか、じたじたと足をバタつかせて逃げようと暴れる。
狭い口の中で逃げ回る小さな舌を捕まえて吸い上げると、少年の体がびくびくと戦慄いて私の背中に指を立てた。
「まさか、自分だけ好きに味わって終わるつもりかな?」
「ひ、ゃ……っ」
服の中に手を滑り込ませて、しっとりと汗ばんだ肌を撫でると少年は声をあげて体を縮こませた。ゆっくりと開いて現れた黒々とした睫毛の下の濡れた瞳には欲望を剥き出しにした死神の顔が映っていた。
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