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吾妻
2024-12-14 23:49:03
6633文字
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アークナイツ
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葡萄は互いを見て熟す【4】
4.
「例の地主がこのへん一帯の土地を買いたいと言い出したのは、三年ほど前のことだ」
しばらく逡巡したのち、パーカーが重い口を開いた。
「はじめは親切な顔で近づいてきた。俺たちの所有する土地を適正価格で買い上げ、国と交渉して我々が得をできるように売る
……
ってな。この辺に国道を通したいってんで、国からの立ち退きの打診も始まった頃だ。俺たちは代々ここで果樹を育ててきただけで、難しいことはまったくわからんから、交渉事を肩代わりしてくれるなら助かる
――
そう思っちまった」
書斎を舞う埃が陽光を受けてキラキラと光る。パーカーはその輝きに目を細めながら、足跡を辿るように訥々と言葉を選んだ。
移動都市での華やかな生活を夢見、町を出て行く若者たちも増え、地域全体の高齢化も進んでいた。後継者問題に頭を悩ませる者も少なくなく、どの道土地を手放すくらいなら、うまい話に乗っておいたほうがマシなのではないかと考える者も出始めた。
実際、土地を売った者の懐にはまとまった金が転がり込んできた。それでも、本来国に直接売り渡すよりも安く買い叩かれていたことに気づくまで、そう時間はかからなかった。
「文句を言っても、一度売った土地の話だ、こっちには契約書があると取り付く島もない。腹は立ったが、連中を信用した俺たちが馬鹿だったんだと飲み込むしかなかった。だが今度は、この町自体を売れと言い出したんだ」
「国道自体はもう完成しているのにですか?」
「お前さんたちと会った店があるだろう。どこまでが本当かはわからんが、国道沿いにああいった飲食店や宿泊施設を増やしたいらしい。移動都市への移住も面倒を見ると言われたところで、俺たちはもう手放しで奴らを信じることはできん。何度も話し合いが行われて、そのたびに決裂してきた。だが、ある話し合いの帰り道、俺たちが通る道の真ん中に
――
感染者の死体が野晒しにされてたんだ」
テキーラは思わず舌打ちをしそうになって、なんとかそれを堪えた。傍らに立つドクターが痛ましげに目を伏せる。
あまりにもむごく、悪意に満ちたやり口だった。
つまり〝地主〟は、感染者の遺体の崩壊にパーカーたちを巻き込み、鉱石病に感染させたのだ。
「治療のためには高い保険料を払わなきゃならん。払えないなら開拓地行きだ。今はまだ土地を売り払った金でなんとかなってるが、いつまでも続くわけじゃない。遅かれ早かれ、俺たちは町を出ていかなきゃならなくなる」
クルビアは感染者への差別意識が他国に比べて薄いと言われる。しかしその文面には「金さえあれば」という前置きがつく。
金が払えなければまともな治療は受けられない。治療費を払えなくなれば開拓地に送られて肉体労働を強いられる。
そんな社会構造が本当に感染者に寛容なのかどうか。
「
……
最初に我慢できなくなったのは、キースたち、町の若い連中だった」
非人道的な手段で家族を傷つけられ、若者たちの怒りは爆発した。直談判では埒が明かないと判断した彼らは、各地で破壊工作を行うようになったのだという。
パーカーは目頭を押さえ、項垂れる。
「自分たちは町を出る。なにか聞かれたとしても、知らぬ存ぜぬを通せばいい。息子たちはそう言ってここを出ていったが、そんな生ぬるい言い訳が通じるわけもなかろうに。通信基地を壊したり崖崩れを起こした程度で、何かが変わるわけもない。馬鹿者どもめ、あいつらのやっとることは、ただの憂さ晴らしに過ぎん」
「でも兄さんは!」
父親の言葉を遮るように、セルマが声を上げた。
「兄さんたちは、町のことを考えてるのよ! このまま黙っていたら私たち、何もかも取り上げられてしまうわ! だから兄さんたちは
――
」
衝動に任せて言い募ったセルマは、はっとした様子で口を噤む。
しかし彼女の父は、娘の発言を聞き逃さなかった。
「お前、やっぱりキースたちと連絡を取って
……
」
父が一歩踏み込むと、娘は怖じた様子で一歩下がった。今にも泣き出しそうに顔を歪めたセルマは、更に数歩後退ったのち、身を翻して部屋を飛び出していった。
「セルマ、待
――
、ゴホッ、ゲホッ
……
!」
パーカーは娘を追おうとしたものの、激しく咳き込み、その場に膝を突いてしまう。老父の傍らに屈み込んだドクターは、セルマが飛び出していった扉をじっと見つめているペッローの青年に気がついた。
「
……
ドクター」
扉を見つめたまま、テキーラが呼びかけてくる。
彼が猟犬めいた眼差しで扉の向こうを見つめる理由を、ドクターは既に察していた。
「わかった。君に任せる」
テキーラの意図を汲んで首肯すれば、あっさりと許しを得られたテキーラのほうが戸惑った様子で目を瞠った。その後にゆっくりと眉を下げ、苦みを混ぜた笑みを浮かべる。
「ありがとう、ドクター」
短く礼を告げ、テキーラは足早に書斎を出てゆく。その背を見送ってから、ドクターは苦しげに喘ぐパーカーの背に手を当てた。
「
……
セルマ
……
、に
……
」
浅い呼吸の合間に、男の声が途切れ途切れに混ざる。
「どうか
……
あの子に、ひどいことは
……
」
哀切な懇願だった。ドクターは労りを込めて、パーカーの背中をさする。
「ご安心を。娘さんに危害を加えるつもりはありません。おそらく彼は、ただ話をしたいだけです」
「話
……
?」
テキーラが浅慮な振る舞いをするはずがない。
ここ数年、誰よりも傍で彼を見てきたからこそ、ドクターには確信がある。
そして、誰よりも傍にいたからこそ思い至ってしまうのだ。この街の抱える問題が、彼に
――
エルネスト・サラスに何を想起させるのか。
「彼にとっては、他人事ではないんです。きっと」
パーカーの背を撫でながら、ドクターは独白のように呟いた。
*
セルマは果樹園の手前の坂道で立ち止まった。
息を切らして俯く娘の肩は、小刻みに震えている。
「セルマさん!」
「
……
これ以上」
追いついたテキーラが、立ち尽くす娘の背に声を掛ける。
セルマは、体の両側に垂らした腕の先で拳をきつく握り締め
――
「これ以上どうしろっていうんですか!?」
勢い良くテキーラを振り返った。
その瞳からは大粒の涙がこぼれ、頬を伝って落ちていく。しかしセルマは、頬を濡らす雫を拭うことすらできず、必死に嗚咽を噛み殺している。
「わ、私たちだって、他に方法があるならそうしたかった! 兄さんにも、他のみんなにも、これ以上罪を重ねてほしくなんてない! でも
……
だったらどうすればいいんですか!? 私たちには農園を買い戻せるだけのお金もないし、悪巧みであいつらに適うわけない
……
! もう力でどうにかする以外に方法なんてないんです!」
飽和した感情が涙と共に溢れ出し、濁流となって押し寄せる。
テキーラは、自身がセルマの本質を見誤っていたことに気がついた。彼女はどちらかといえば内向的で、兄たちの行いに嫌悪感を抱いているに違いないと思い込んでいた。
だが、今こうして向き合っている彼女からは、堪え切れぬ怒りをひしひしと感じる。不条理に翻弄され、家族を傷つけられ、父と兄との間で板挟みになりながら、セルマは必死に激情を抑え込んでいたのだ。
涙を零しながらも毅然と見据えてくるその眼差しに、テキーラはふと、義妹の顔を思い出した。
「どんなに酷い目に遭わされても、我慢するしかないんですか? このまま、全部取り上げられるまで黙って耐えていろと? 家族や大切な人を守るために力を振るうのはいけないこと? 不当に奪われたものを取り返すために武器を取るのが、そんなに悪いことなんですか!?」
――
俺たちがやろうとしていることは、正義だと言っていいと、二人にならわかってもらえるはずだから。
テキーラはふと、あの夏のことを思い出した。
陰謀と呼ぶには粗末な計画に足を取られて、必死にもがいていたあの頃を。
「俺も、他に方法がないなら暴力で解決するしかないって考えていたことがあるよ」
「
……
?」
テキーラが口を開くと、セルマは訝しげな表情で身構えた。
聞こえのいい言葉には騙されたくないという、彼女の警戒心が見てとれた。
「俺の故郷には、同じような人たちがたくさんいてさ。物心ついた頃から武器を握って、生活をするために戦場に出て。奪われたら奪って、傷つけられたら傷つけて、誰だってそんなこと望んでなんかいないのに、生きるためには他に方法もなくて。そんな停滞した状況を変えるためには、痛みを伴う必要があるんだって。
……
いや、そんなに細かいことを考える余裕もなかったかな。俺たちはみんな、それ以外の方法なんて知らなかったから」
涙を湛えたままのセルマの瞳に、戸惑いの色が揺れた。
激情に飲まれかけていても他者の言葉に耳を傾けようとする。そんな彼女の善性をテキーラはとても得難いものだと感じる。
暴力の只中に飲まれた人々の耳に、倫理や綺麗事はほとんど届かない。彼らの生きる環境には存在しない言葉だからだ。
今日を生き残るため、暴力には暴力をぶつけ、憎悪と復讐心を糧として、底なし沼でもがいている。彼らが望むのは慰めや思想ではなく、一切れのパンと暖かな寝床だ。
そんな光景をテキーラは
――
エルネストは掃いて捨てるほど見てきた。
嫌というほど。見飽きてしまうほどに。
それでもまだ彼女が他者の呼びかけに足を止める理性があるのなら。
希望はあるのかもしれない。
「何が良くて何が悪いのか。何が正しくて何が間違いなのか。正直今でもわからないよ。でも、ある人に言われたんだ。『人を恐怖に陥れる行いで、正義を名乗れるものなんて一つもない』
――
って」
「
……
」
「それを聞いて、俺の中で迷いが生まれた。勿論それは綺麗事だし、受け入れられない人も多いだろうけど、少なくとも俺は、そのまま進んでいいのかわからなくなった。君だって迷いがあるから、お兄さんたちと一緒に街を離れられなかったんじゃない?」
セルマは目を伏せ、自身の爪先を見つめる。
彼女を包んでいた激情が鳴りをひそめ、ぶるぶると震えるほど握り締められていた拳も、今では力無く体の両側に垂れ下がっている。
「
……
私にだって、怒りや憎しみはあります。私たちはただ、これまで通り静かに暮らしていきたいだけなのに、どうしてそれが許されないんでしょう? 悪意を向けられて、大切な人を傷つけられて、少しでも報復したいという兄さんたちの気持ちも痛いほどわかります。でも
――
」
俯いた娘の瞳から、涙が一粒、地面に落ちる。
「憎しみのままに相手を傷つけて、踏み躙って
……
そんなの、あいつらと何も変わらない。私は兄さんたちに人でなしになって欲しいわけじゃないんです
……
。だけどもう
……
どうしたらいいのか
……
」
「あなたは、お兄さんたちの計画についてどこまで知っているのかな?」
女の声が割って入った。
テキーラとセルマは弾かれたように顔を上げ、声の方を見た。
「ド
――
、■■さん」
テキーラは、いつも通りに彼女を肩書きで呼ぼうとして、横目で睨まれ、結局名前で呼び直した。まだそこにこだわるつもりなのか。夫婦のフリをして街に溶け込みやすくするという方針は、もうすでに破綻していると思うのだが。
(ああ、でも
――
)
彼女の姿を見て、テキーラはどうしようもなく安堵している自分に気がついた。張りつめていた緊張の糸がほぐれ、奇妙な高揚が生まれる。
ドクターがいてくれたら、どんな苦境も乗り越えられるんじゃないか。そんな万能感を抑えきれない。
たとえどれほど有能な人物であっても、たった一人の肩に全てを委ねるべきではない。ドクターは全知全能の存在などではなく、笑いもすれば泣きもする、ごく普通の人間なのだ。それを誰よりも知っているはずの自分が、彼女を「神様」のように盲信するべきではない。
常日頃から自身にそう言い聞かせているのに、泰然とした彼女の振る舞いを目の当たりにすると、足元が揺らぐ。支えになりたいと願う気持ちと同じくらい、頼りにしたい欲が出る。
事実、セルマの心情に寄り添うことはできても、具体的な解決策などテキーラは持っていないのだ。
「
……
兄さんたちは、地主を襲撃する計画を立てています」
やや戸惑いを残しつつも、セルマはドクターの問いに答えた。
普段は移動都市に暮らす地主がこの辺りにやってくるのは、町の人々との交渉時か、〝趣味〟に興じる際に限られる。だからこそ余計に町の若者たちも手を出しあぐね、大して効果があるとも思えない破壊活動に精を出さざるを得なかったのだ。
地主も、自身の〝交渉術〟がいささか乱暴で倫理に悖っている自覚はあるらしく、可能な限り外出を控えているようだが、それでも〝趣味〟に興じたいという欲は抑えきれぬと見えて、月に数度このあたりに通ってくるという。
「お二人と会ったダイナーの地下に賭博場があるんです。地主はギャンブルに目がなくて、兄さんたちがあちこちで騒ぎを起こし始めても、あそこに通うことだけはやめなかった。本人は予定をひた隠しにしているみたいですけど、ダイナーの店長は兄さんの友人で、こっそり情報を流してもらっているんです」
テキーラは、ダイナーの店主の顔を思い出す。なるほど。これで得心が行った。
店主の口ぶりにはどこか違和感があったのだ。何か隠し事をしているようだと思っていたが、読みは当たっていたようだ。
「そこを襲撃するつもりだと?」
「
……
そう聞いています」
「なるほど」
ドクターはしっかりと頷いた後で、細い指先を顎に当てた。難しい顔をして、何やら思案しているらしい。
「
……
それだと困るな
」
しばしの沈黙の後、ドクターがぽつりと呟いた。
テキーラとセルマは、ほぼ同時に目を瞠った。
確かにあまり褒められた行為ではないとは思うが、一体何が〝困る〟のだろう?
だが同時に、テキーラには予感があった。
もしかしたら彼女は既に、何らかの解決策を用意しているのではないか?
「
……
どういうことですか?」
まだドクターをよく知らないセルマは、困惑した様子で問いを発する。
「既にお父上には話をしたんだ」
「話
……
」
「この町がこれからも自由であるための方法を」
セルマと自分とを順番に見つめてくるドクターの瞳には、強い意志の光が宿っている。その眼差しを受けて、テキーラは確信した。
ドクターはもう、成すべきことを定めている。
「そんなこと、可能なんでしょうか?」
セルマは声を震わせる。
彼女はもう、甘い言葉で飾られた毒などまっぴらなのだ。
家族を傷つけ分断した劇毒が、再び牙を剥くのを恐れている。
「地主にこの町を諦めさせる。そのために、お兄さんたちの計画を潰す必要がある」
ドクターはセルマの疑念を真正面から受け止め、そして真正面から返してみせた。娘は今度こそ言葉を失った。
結論だけ聞けば荒唐無稽な話だが、おそらく彼女の脳内には既に道筋ができているに違いない。このような一見飛躍しているドクターの思考には、
直属の部下
オペレーター
ですらついていくには苦労する。
だが、テキーラは既に幾度も彼女と修羅場をくぐってきた。
共に過ごしてきた時間は、決して裏切りはしない。
「今回はどんな悪巧みをするの?」
「失礼だな。実に真っ当でクリーンな方法だよ」
場違いに軽い調子で問いかければ、ドクターはわざとらしく唇を尖らせてみせる。
「でもそのためには、君に少々ハードワークを頼む必要があるけど」
挑発的な言葉と、不敵な笑み。普段それほど表情が豊かとは言えないドクターにしては珍しい。それだけ機嫌がいいということか。
ドクターは不可能を可能にしろとは言わない。
手持ちのカードの価値を最大限に活かして勝負をする。
どれほど困難な役回りを命じられても、それは紛れもなく彼女からの信頼の証だ。
恐れる必要はない。できることをやるだけだ。
「何をすればいい?」
彼女の望みは全て叶えると決めている。
軽く尾を振ってお伺いを立てれば、ドクターは口の端を緩めて微笑し、悪巧みの内訳を話しはじめた。
【つづく】
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