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史加
2024-12-13 23:55:20
8972文字
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原神(鍾タル)
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本物の花の香はお姫様だけが知っている
鍾タル/きれいなものに惹かれてしまった少女の話
※先生もタルも女体化
※先生の一人称が「私」固定
※モブ視点のにょたゆり
瑞々しく咲き誇る色とりどりの花。
丸く削って磨かれた翡翠や瑪瑙、紅玉、藍玉、夜泊石に石珀。
星螺を使って螺鈿細工を施した簪や小物入れ。
細工師の父と母の間に生まれた少女の身の回りには、物心ついた時からきらきらと輝く美しくてきれいなものがあふれている。だから自然と少女もそういったものに惹かれる心を育んでいた。
同世代の友達と遊ぶのも好きだけれど、最近ますます忙しくなった母の代わりに庭の花の世話をしたり、父を手伝い砂浜へ星螺を拾いに行ったりする時間のほうが、少女の心を弾ませる。丹精込めて育てた花の蕾が膨らんでほころぶ瞬間も、白い砂浜の上で陽の光を受けてぴかぴか光っている星螺を見つけた瞬間も、どれもが幼い心臓をとくとくと高鳴らせるのだ。
少女はきれいなものが好きだったし、自分もきれいなものが似合うひとになりたいと、まだ幼いながらにそんなことを思いながら日々を過ごしていた。
「あ
……
」
霓裳花のしとやかな香りが鼻腔をくすぐったのは、そんな少女が母から頼まれたお使いの帰りに街を歩いていたときだった。
ほのかに香る程度の、大人びて落ち着いた花のにおいは、おそらく璃月に住む女性たちの多くが使っている香膏のものだ。母も毎朝手首に薄く塗り広げているのを見たことがある。けれど母が使っているものはもっと甘いにおいがして、主張がちょっと強い。嫌いなにおいではないけれど、今少女が嗅ぎ取ったもののほうがはるかに上品で、良いにおいだと思った。
すれ違った誰かが身につけているものなのだろう。そう思ってぱっと振り返ると、人混みに紛れて揺れる長い黒髪が目に留まる。毛先へかけて黒から金へと変わる不思議な色合いをしたそれはつややかだ。美髪の持ち主の背はすっと伸びており、焦げ茶色を基調に、細やかな模様の描かれた上着の裾がひるがえると、鮮やかな山吹色の裏地が見えて視線を奪われる。腰から腿へとかけて女性特有の丸みを帯びたくびれがあり、ぴったりとしたスカートがそのラインを際立たせているのに、露骨だと感じることもない。
後ろ姿だけでも十分にひとの目を惹く、美しいひとだ。
少女はしばらく立ち尽くして、小さくなっていくその背中をじっと見つめていた。霓裳花の香りは間違いなく、あのひとが纏うものだろう。
今までに見かけたことはなかったけれど、おそらく璃月に住んでいるひとだ。旅行客にしては軽装だったし、璃月港を歩き慣れているようで、混雑している道をすいすいと迷いなく歩いていた。だからまたいつかどこかですれ違うことがあるかもしれない。お使いの後は抱えた荷物を落としてしまったり、人にぶつかってしまわないように歩くのに必死で、なかなか顔を上げて辺りを見ながら歩けずにいたけれど、次からはもう少しすれ違うひとのことも見てみよう。
そんなことを思いながら、少女は帰路に着いた。
春先に植えた庭の花が満開を迎えた頃だった。
母からいくつか摘んで好きにしていいと言われたので、その日少女は特にきれいで香りが良いと思うものを選んで小さな花束を作ると、こっそり貯めていたお小遣いを手に「春香窯」へ向かうことにした。
鶯の作る香膏は璃月中の女性に人気で、憧れの品のひとつだ。少女にはまだ早いと言われてしまうかもしれないけれど、この花で香膏を作ってもらおうと思っての行動だった。ただ、少女は父や母の作る装飾品や、その材料として使われる鉱石の値段は知っていても、香膏の相場には詳しくない。だからお小遣いだけではモラが足りないと言われたら鶯に花だけをプレゼントして、もう少しモラを貯めたら新しい花と共に持ってくるから香膏を作って欲しいとお願いをする算段でいる。
母が使っているような、手のひらに余るくらいの大きな缶に入ったものまではまだいらない。小さくていいから、お使いのときにほんの少しだけ身につけて楽しめるものを買えたら、より素敵な日々を過ごせるようになるだろう。
ささやかな夢を見る少女は、普段よりも軽い足取りで石畳の道を歩いていった。その、「春香窯」まで続く道の手前に差し掛かったときだ。
ふわ、とまたあの霓裳花の香りがした。思わず足を止めて、少女は辺りを見回す。そうしてすぐに、「解翠行」の前に立つそのひとの姿を見つけた。
くびれた腰元まで伸びるつややかな黒髪が潮風に揺れている。先日見かけた時には堂々としていた背中が、どうしてかほんの少し落ち込んでいるように見えた。
まさか石商に意地悪をされたのだろうか。よく通りゆくひとに石当てゲームを持ちかけて小遣いを稼いでいるとはいえ、悪いひとではなかったはずだけれど。もしかするとあのひとがあんまりにもきれいだから、気を引くためにわざと良くないことをしたのかもしれない。
もしそうだとしたら、石商と母は懇意にしているので、母に言いつけて石商を叱ってもらわなければ。少女はきれいなものが好きだし、きれいなひとに憧れているから、そういったものを悪く言ったりぞんざいに扱ったりするひとのことは許しておけない性分だった。
まずは話を聞かなければと、石商の元へ歩いていく。と、長い黒髪が大きく揺れて、そのひとが振り返った。
「
……
!」
瞬間、少女は息を呑んだ。
すっと通った鼻と、薄桃色をした唇。少女と同じバター色の肌はなめらかできめが細かく、街の中で見かける女の人たちのような粉っぽさがない。きっと、ほとんど化粧をしていないのだろう。金色のひとみは、母が丁寧に削って磨き上げた石珀よりもよっぽど輝かしい色をしていて、赤い臉譜がその色とかたちを際立たせている。それら一つひとつのパーツが整然と小さな顔の中に並べられていて、今まで見てきたどの女性よりも美しい顔立ちをしていた。
背丈は少女の倍はあって、女の人たちの中でも高いほうだと思うが、男の人たちのような威圧感はない。窮屈そうにシャツの中に押し込められてやわらかな曲線を描く胸と、くびれた腰からつま先に至るまでのラインがそのひとの女性らしさを際立たせているからだろう。けれどやはり、花街の近くを通ったときにすれ違う女の人から感じるような妖艶さや、けばけばしさといったものはない。露出の少ない格好と霓裳花のほのかな香りが、そのひとの清純さと誠実さを醸し出している。
こんなにきれいなひとが、本当に璃月にいたなんて。
後ろ姿だけでも美しかったそのひとは、真正面から見てもすてきだった。少女の中の憧れの女性像として居座っていた母が容易く追いやられて、そのひとが座に着いてしまうくらいに。
「
……
うん? 私に何か用だろうか」
すこし低めの、落ち着きのある声が響いて、少女はどきりとする。
すっかり目的も忘れて、そのひとのことをまじまじと見つめてしまっていたのだ。
初対面の人をじろじろと見るのは失礼だと母からも父からも教えられているのに、なんということをしてしまったのだろう!
不躾なことをしてしまったと自覚するなり、少女の頬は羞恥でかっと熱くなった。黙り込んでしまうと、そのひとは不思議そうに首を傾げたあと、静かに膝を折って少女を見つめる。
「そう緊張しなくていい。別に取って食べたりはしないのだから」
――
目の前で花が咲いたと、少女は思った。
視線を合わせたそのひとが、特徴的な虹彩を持つ金色のひとみをやわらかく細めて。薄桃色の唇をほころばせ、しとやかに微笑んだのだ。
慈愛に満ちたまなざしはあたたかく、不思議と母のことを思い出す。毎晩、少女が眠る前に「おやすみ」と言って頭を撫でてくれる母も、こんな優しい顔をしていた。初対面の人に母を重ねるのも失礼なことかもしれないが、少女の胸に安堵が滲んでいく。
「
……
あの、ね」
少女が口を開くと、うん、とそのひとは静かに頷いた。
「お姉さんが、少し元気がないように見えたから、石商のおじさんがいじわるをしたんじゃないかと思って、気になったの。それで、お話を聞きに行こうと思ってたんだけど
……
ごめんなさい、お姉さんがとてもきれいだったから、ついじっと見つめちゃった」
素直に思っていたことを口にすると、そのひとは金色のひとみを丸くして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
やっぱりじろじろと見られるのはいやだったのかもしれない。これだけ落ち着きのあるひとなのだから、石商に意地の悪いことをされたって上手く対処出来るだろう。少女の考えたことも、やろうとしたことも、余計なお世話だったという可能性は大いにある。
悪いことをしてしまった気になって、心臓がどきどきとした。唇を引き結ぶと、はっと我に返った様子のそのひとがおもむろに手を伸ばしてくる。
思わずびくりと肩を跳ねさせて、少女は目を瞑った。
けれど、ぽん、と頭の上にかすかな衝撃が走っただけで、その後に続く叱責の声はない。
「すまない、心配をさせてしまったんだな」
やわらかな声音に目を開けると、穏やかな顔をしたそのひとが少女の頭をゆっくりと撫でる。
「欲しい鉱石があったのだが、手持ちが少し足りなくてな。取り置きも難しいというので、次に足を運んだときに誰かに買い取られてしまったら惜しいと思っていただけなんだ。何か意地悪をされたわけではないので安心してくれ」
後頭部の丸みを確かめるように撫でる手はあたたかく、少女の心身の強張りをじわじわと解いていく。このひとが意地悪をされた訳ではないのならよかった。だけど鉱石の価格はある程度知っているから、少女のお小遣いでは助けになってやれそうにない。そもそも金銭に関わることで、自分よりもうんと歳下で初対面の子どもにあれそれ言われるのは、いくら心優しいこのひとだって快くは思わないだろう。
優しくしてくれたひとには優しさを返しなさいと、細工を掘りながら教えてくれた父の言葉が不意に脳裡に蘇る。
欲しいものを買えなくてがっかりしているはずなのに、逆に少女を気遣ってくれたこのひとに、ほんの少しでも返せるものはないだろうか。
自分の持ち物を確かめた少女は、ずっと手に握ったままの小さな花束に気付いた。幸いにも握り締めてしまったりはしていないので、花は萎れておらず、瑞々しいままだ。
「じゃあ
……
これ、お姉さんにあげる」
庭で育てた花は、花屋に並ぶものに負けないくらいかたちも香りも良いものだから、家に飾ったら少しは目と鼻を楽しませてくれるだろう。本当は鶯に渡す予定だったけれど、また新しい花が咲いたら母に確認してから摘んで、もう少し増やしたお小遣いと一緒に持っていけばいい。
花束を差し出すと、そのひとはきょとんとした。少女の顔と花束とを交互に見てから、控えめな声で尋ねてくる。
「その様子だと、どこかへお使いか、買い物に行く途中だったのだろう。誰かに渡すものではないのか?」
「そのつもりだったけど、お花はまた育てればいいし、お買い物も次で大丈夫。だから今日はお姉さんにもらってほしいの」
夢見た香膏には手が届かなかったけれど、代わりに少女は新たな憧れと対面して、心温まるひとときを過ごせた。だから十分に満ち足りているし、このひとにほんの少しでも返せるものがあるのなら、それは少女にとっての誇りにもなる。
迷う素振りを見せていたそのひとは、少女の真っ直ぐなまなざしを受け止めると、そうか、と品のある笑みを浮かべた。
「では、ありがたく受け取るとしよう。
……
うん、良い香りだ」
受け取った花に顔を近付けて香りを確かめる姿すら、様になっていて美しい。
けれどなによりも、その美しいひとの唇からこぼれた呟きひとつで少女は無性に嬉しくなって、その日一番の笑顔を浮かべた。
そのひとの名前は、鍾離、といった。
少女が新たな憧れのひとの名を知ったのは、花束を渡した数日後、なんとそのひとが両親の客として店に現れ、契約書に名を綴ったときだった。
先日買いそびれた鉱石を無事に手に入れることが出来たそうで、鍾離は小さな髪留めと、それを入れるための箱を作って欲しいと両親に注文した。髪留めのつくりや素材、それをしまっておくための小箱に施す意匠まで事細かに指示し、完成を楽しみにしていると微笑んで去っていった彼女を前に、母も父も大変張り切っていた。
なんでも、彼女は往生堂の客卿で、璃月では大変有名な知識人なのだそうだ。少女は今の今まで彼女のことを知らなかったけれど、大人たちは皆彼女のことを知っていて、ひそやかに尊敬し、慕っているのだという。先日庭で育てた花をプレゼントした話をすると、両親はひどく驚いた顔をしたあと、ますます気合を入れて製作に取りかからなければと意気込んでいた。
それから、鍾離はたびたび店を訪ねるようになった。その目的はモラの支払いだったり、髪留めと小箱の細かな装飾についての確認だったりと、両親との打ち合わせがほとんどだ。ただ、少女のことも覚えてくれたようで、会うたびに挨拶をしてくれるし、時間に余裕のあるときは世間話に付き合ってくれたりもする。いろんなことを知っている彼女は、少女が庭で育てている花の手入れについてもいくつかアドバイスをくれたので、一生懸命メモをとって次の日からそれを実行した。
憧れのひとと会える日々はきらきらとしていて、夢のように楽しいものだ。一方で足繁く店に通って打ち合わせをする鍾離の、真剣な横顔を何度も眺めていると、あの髪留めを贈られる相手が気になるというものである。丸く削った紅玉を中心に、蝶と花をあしらった銀の装飾品なので、きっと親しい友人にでも渡すのだろう。あのうつくしいひとの友人なら、同じくとてもきれいなひとに違いない。
「鍾離さんは、この髪留めを誰にあげるの?」
あるとき、少女は思い切って尋ねてみた。両親からはお客さんのプライベートな話を根掘り葉掘り聞いてはいけないと咎められているし、きっと彼女も内緒だと言って教えてくれないだろうと思ったが、それでも好奇心に勝てなかった。
問いかけを受けた金色のひとみが、きょろきょろと辺りを見回す。今は少女の家の庭にいるから、ほかに人の姿は見当たらない。それを確かめた鍾離は身を屈めると、少女の耳元に唇を寄せた。
「大切なお姫様に贈ろうと思っているんだ」
お姫様!
ささやかれた言葉の甘美さに、少女は声を上げてしまいそうになって、慌てて口元を押さえた。鍾離も人差し指を唇に当てて、誰にも言わないでくれと静かに微笑む。こくこくと少女は精一杯に頷きながらも、夢を見ずにはいられなかった。
このきれいなひとが「お姫様」と称するひとは、一体どんなひとなのだろう。お姫様ということは、鍾離のように「美しい」ひとではなく、「かわいらしい」という言葉のほうが似合うひとなのかもしれない。ただひとつ言えるのは、このきれいなひとが認めるくらいに愛らしくてすてきなひとだということだ。
小さな秘密を共有した少女は、それからしばらくの間、その「お姫様」とやらに思い馳せた。鍾離の贈り物を、見知らぬそのひとが喜んで受け取ってくれたらいいと思った。母と父の作る装飾品はとても細やかで丁寧なつくりをしたものばかりだから、きっと気に入らないはずがない。それに、あんなにも鍾離が熱心に、時間をかけて製作を頼んだ一品なのだ。はやく完成して、彼女が「お姫様」にそれを贈り、お互いが笑顔になれる日がやってきたらいい。
髪留めと小箱が完成したら鍾離は店に来る用事がなくなるから、また滅多に会えないひとになってしまう。それはほんの少し、寂しいことだ。だけどこれだけ有名なひとなのだから、璃月にいる限りはきっとまたどこかで出会えるだろう。
すべてが上手くいくことを、少女は健気に祈った。
それから、ひと月が経った。
憧れのひとは、両親の店に姿を現すことがなくなった。
最後に少女が彼女を見たときは、完成した品を受け取ってうれしそうに微笑み、礼を言って去っていく姿だった。そのときはとてもさびしかったけれど、お姫様の元へ向かう鍾離は幸せそうだったから、いつかどこかであの髪留めを身につけたお姫様と出会えたらいいなと少女は新たな夢を見た。
初めて鍾離を見かけたときのように、街の中を歩いていたら芳しい花の香りがして。
振り返ったら、見覚えのある髪留めを着けたかわいらしいひとが、鍾離の隣を歩いていたら。
きっとそれは、童話のようにすてきな光景だろう。
……
そんな光景を、見てみたかった。
唸り声を上げながら飛びかかってくる魔物を前に、少女は走馬灯にすらならないことを思った。
悪いことを、してしまったのだ。
ここ最近魔物が暴れているから、ひとりで浜辺へ星螺を拾いに行ってはいけないと母に散々止められていた。
だけど父が、螺鈿細工を施すのに必要な材料が足りないと、困った顔をしているのを見て。父に装飾品を注文したお客さんが悲しそうな顔をしているのを見て。
ちょっとだけなら、と少女はこっそり街を抜け出し、浜辺へ星螺を拾いに行った。
ほんの少し星螺を集めて、帰るだけだから。
美しいものやきれいなもの、そして優しいものがたくさんあるこの世界は、きっと今だけ目を瞑って、母の言いつけを破ることをゆるしてくれるはずだから。
そう思ったのに、世界は甘くなんてなくて。
星螺を拾って帰ろうとした矢先、全身が岩のようにごつごつとしていて大きく、仮面で顔を隠した恐ろしい魔物が姿を現した。
それは、少女を見つけるなり雄叫びを上げた。頭の中はあっという間に真っ白になって、立ちすくんでしまった。そのあとに、両親の顔がふと浮かんだ。今まできれいだと思ったものがひとつひとつ脳裡を過ぎっていった。そして憧れのひとのことを思い出して、恐怖の中に混ぜこまれた絶望と諦めが少女のすべてを支配した。
唇は震えるばかりで悲鳴すら上げられない。
ただ、見開いたひとみに、凶暴で凶悪な魔物の姿が焼き付いて
――
きらり、と。
絶望に染まる世界を塗り潰すように、何かがひかった。
磨き上げられた紅玉の輝きだった。
目の前でひらりと、赤が踊る。
瞬間、魔物の悲鳴が辺りにとどろいた。青い空に水飛沫が舞って、数秒と経たずに重たいものの倒れる音が響き、地面が震動する。
――
いったい、何が起こったのだろう?
茫然とする少女の前で、秋に見る木の葉のような色をした、緩やかにウェーブを描く髪が揺れた。
その髪には、いつか見た美しい意匠の髪留めが飾られていた。
「ふう。大丈夫かい、お嬢ちゃん」
ぱしゃん、と手に握っていた剣を溶かしたそのひとが振り返る。
少女とは違う、日に焼けることを知らない色素の薄い肌に、海と空の境界を切り取ったような深い青色のひとみ。ふわふわとしていてくせのある髪は、かたちの良い胸の下まで伸びている。丈の短いスカートから伸びる足はすらりと細くて、砂浜と同化しそうなほどにやはり白い。
ここが街の中だったら、道行く人が皆振り返って見るような、かわいらしい女のひとだった。
けれどそんな愛らしいひとが、あの恐ろしい魔物を、まるで豆腐でも切るみたいに簡単に、倒してしまった。
「怪我はない?」
屈んで目を合わせてくるそのひとの髪にはやはり、覚えのある髪留めが着けられている。
少女は訳が分からなくなった。
だって鍾離は「お姫様」にあげると、そう言ったのだ。確かに目の前の女のひとは璃月では見ない、かわいらしい顔立ちのひとだけれど。雪のような肌も、長いまつげに飾られた青いひとみも、まるで人形のようだけれど。出会ったのがこんな場所ではなく、日当たりの良い部屋の中で、彼女が手にしていたのが水で出来た剣ではなく絵本だったら、童話の中の「お姫様」だとすぐに認められただろうけれど。
「
……
か」
「か?」
「かっこいい
……
」
そのひとは、冒険譚の中に出てくる英雄みたいに、とっても強くて格好いいと思ったのだ。
格好いいお姫様、なんて、この世界にいるのだろうか。
衝撃のあまり困惑したままでいると、遠くから誰かが砂を踏み締めて近付いてくる音がする。
「公女殿、ここにいたか
……
おや」
響いたのは、憧れのひとの声だった。
「ああ、鍾離先生! 相棒が逃がしてしまった魔物は今やっつけたところさ。この子が襲われかけていたから助けたんだけど、もしかして知り合い? 俺
……
じゃなくて、私が声をかけても上の空みたいだから、知ってる子なら鍾離先生からも声をかけてあげてほしいんだけど」
眉を下げて困ったような顔をするそのひとの隣に、鍾離は自然と並ぶ。そうして茫然としている少女の前で屈みこむと、今までに見たことのない、妖艶な笑みを浮かべた。
「どうだ、素敵だろう?」
――
「私の」お姫様は。
少女はこくりと、頷くことしか出来なかった。
「
……
先生さぁ
……
あんな小さな女の子になんてことを
……
」
「うん? 何のことだ?」
「あの年頃の女の子っていうのは、かわいくてきれいなものに夢を見ているんだ。特にお姫様といえば、お人形みたいにかわいくて、みんなから愛されていて、か弱い女の子のことを指すのであって、俺みたいなやつは真逆の存在だっていうのに。俺を「お姫様」なんて呼んだら、あの子の夢が壊れてしまうじゃないか」
「私の前ではこうして「お姫様」になってくれるのにか?」
「
……
」
「ふふ
……
そこで頬を赤くする初心なところも、私が好きだと言った髪を伸ばし続けてくれているところも、私が贈ったものを律義に身に着けてくれているところも、本当に可愛らしいな」
「
……
悪食のババアめ」
「少しくらい口汚くなったところでお前の可愛らしさが曇ることはないから諦めるといい」
「クソッ! せめてあの子の中にあるあんたの印象だけでも壊さないようにしろよ!」
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