青海かなえ
2024-12-13 22:18:12
3068文字
Public 名的名
 

同棲できない名的名

・付き合ってる二人
・突然始まる

「こうしてると一緒に暮らしてるみたいだ」
 そんなことか、と名取の口から出ることはなかった。ケトルから水が溢れ出し、名取の手を濡らす。的場が横からそっと蛇口を捻る。名取の手から水滴が落ちた。
「冗談です」
 的場はいつものように微笑んでいた。一緒に暮らす。名取は、そんな普通の恋人みたいな言葉が的場の口から出てくると思わなかった。
「ははは、動揺してる」
「するだろ……
 名取は、ケトルのスイッチを入れた。食器棚からマグカップを二つ取り出し、並べる。お互いを探るような沈黙が二人の間に横たわる。名取が口を開こうとするのを制するように、的場が口を開いた。
「あなた、現実的に考えて一緒に住めると思います?」
……いや」
「ですよねえ」
 的場の表情は変わらない。残念がってもいないようだ。今まで、名取が仕事のついでに的場の家に立ち寄ることや、的場が名取の家にふらりと来ることはあったが、今まで一緒に暮らす提案をお互いにしたことはなかった。
「考えてみましょうか」
 名取の気持ちとは裏腹に、的場の声は楽しげだった。まるでクリスマスプレゼントを決める子供のような声色に、名取は呆れた。
「一緒に住む、するとまずあなたとの関係性が界隈全体に知れ渡る」
……ああ」
「名取の若様と的場一門の頭首のスキャンダルは流石に界隈の均衡にも影響ある。実際はどうであれ、あなたと一門の癒着が疑われるし、軋轢がある名取を吸収するならまだしも、恋仲なんて的場一門で面倒ごとが起きるに決まってる」
「びっくりするくらい最悪だな」
 起こりうる出来事を想像するだけで頭痛がしてくる。田舎の狭い界隈の中で男と男の恋愛というだけど煩わしそうなのに、家同士の対立も加わると地獄を見るのはわかりきっていた。
「まあ、手っ取り早いのはあなたを的場一門に入れてしまうことですが」
「は⁉︎」
「おや、嫌そうですね」
 名取はあからさまに顔を顰めたのが的場にも伝わったのだろう。ケラケラと笑い出した。
「正直、考えたことがないというのは嘘になりますが」
「考えたことあるんですか……
「それはそうでしょう。あなた、まあまあ便利ですし」
 最悪な物言いに名取は呆れた。的場は得意げに笑う。
「ある程度使える人材は誰でも欲しい」
「それだけ?」
「公私混同はしない主義なので」
 公私混同。的場の言葉に名取は驚いた。的場は、極端に生活と仕事の境目がない。至極当然のように己の人生を的場一門に捧げている男の、パーソナルな部分に自分がいるのだとしたら恋人冥利に尽きる。
 名取の心中を知らない的場は、言葉を続けた。
「ただ、反的場がいる以上中立で空気が読める人間が失うのは惜しい。都合よく便利でいてもらうのが一番政治上利があると判断しました」
 舞い上がっていた気持ちが、急に地面に叩きつけられた。
「恋人を便利扱いか」
「もちろん。使えるものは何でも使いますよ。恋人だろうが、親だろうが、子だろうがね」
 本当にそうなのだろう。的場との短くない付き合いで嫌というほどわかりきっていた。かといって名取自身が的場を利用したことがないとは言い切れない。恋人であると同時に同じ業界の同業者だということは切っても切れなかった。
「まあ、色々言いましたが、個人的にはあなたは的場一門に入らないでほしいですね」
「は?」
 散々言ってきたのにすごい言い草だった。的場の口から名取を的場一門に入れるという話を聞いたのはこれが初めてだった。これだけ長い付き合いでただの一度も勧誘を受けたことがなかった。
「そんなのつまらない」
「つまらない?」
「だってそうでしょう」
 的場は小首を傾げた。
「そういうあなただから好きなんです」
 名取は思わず面を食らった。的場の言葉には他意がない反面、少々唐突なところがある。ここまで唐突だと照れよりも驚いてしまう。
「的場一門に入らないおれが好き?」
「難儀でしょう?」
「そうだな」
 名取は自分が的場一門に入る想像なんてできなかった。あまりにも思想が違う。目指している方向も合わない。ただ、恋仲であることだけを考えると、一門に入るのが手取り早いのだろう。特に、組織に所属している的場からすると。
「正直」
「はい」
「一緒に住むことより、恋人でいることより、あなたがあなたでいることを優先したい」
 名取は口をつぐんだ。まるで的場が自分との関係を切りたいかのような口ぶりだった。
……それは別れ話か?」
……いや?」
 的場は、横目でちらりと名取を見た。的場の目に自分が映る。名取は自分が今どんな顔をしているか、皆目検討がつかなかった。不安気な顔をしていたのだろうか、的場の右手が名取の頬を撫でた。
「愛ってそういうものでしょう」
 愛。さっきまで便利だの、使えるだの言われていた名取は思いがけない的場の言葉に目を剥く。だが、どうだろう。確かに、そうなのかもしれない。
「そうだな」
 的場が自分と恋人でいることによって、的場が的場で居続けることが出来なくなるなら、きっと名取は別れを選ぶ。それはおそらく、名取が的場を愛しているからだった。 
「おれには祓い屋を辞める選択肢はない」
 名取がはっきりと口に出すと、的場は、どこか慈しみを感じる笑みを浮かべた。
「あなたはそれでいい」
 的場が満足気に目を細める。強くあれと声をかけられるばかりで肯定をされたのは初めてだった。
「あなたはなにひとつだっておれに譲らなくていい」
 名取は自分が思っている以上に、的場は祓い屋でいる名取周一を買っていて、そして愛しているのだと初めて知った。
「おれもそう思うよ」
「そう、とは?」
「お前がおれのために何かを手放すのは違うってことだよ」
 答えはわかりすぎていた。 
「これは無理だな」
「諦めましょう」
 ケトルのスイッチが切れた。的場はぶくぶくと沸騰するお湯を、マグカップに注いでいく。
「粉から先に……
「どっちでも一緒ですよ」
 名取は的場の乱雑さに呆れながら、棚からココアの粉を取り出した。的場が家にくるようになって買ったものだ。思えば、的場が家に来るようになって、色んなものが名取の家に増えていった。例えばココア、例えば飴、例えばスーツ。一緒に暮らさないと結論は出たものの、やはり自身の生活に的場がいるのは悪くないように思えた。
「的場一門の頭首を引退したら転がり込め」
 的場はティースプーンでココアをかき混ぜていた手を止めた。
「は?」
「お前一人くらい養うから」
 頭首を引退するなんて、いつになるのかもわからない。これだけ仕事を優先する二人だ。。のっぴきならない事情があって別れているのかもしれない。それでも、的場一門の頭首ではない的場静司くらい欲しがってもいいだろう。
「それはプロポーズ?」
「ちが……いやそうなのか?」
 的場はパチパチと瞬きをしていた。こんな昼過ぎの台所で言うことでもないと気づいた名取は、急に顔が熱くなってきた。的場は耳が赤くなった名取を見て吹き出した。
「じゃあ婚約者にわがままを言っていいですか」
「なんだよ」
「ココアは牛乳から作ってください」
 牛乳を切らしていたことを根の持っていたらしい的場は、お湯で作ったココアを啜った。はいはい。脳内の買い物リストに牛乳を足しておく。ココアやら飴やらスーツやらの他に、牛乳まで常備しておく必要があるようだ。ああでも、それも悪くないような気がした。