lNjd1m
2024-12-13 19:15:40
32184文字
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カブライ+ミスライ

現パロ
大学生のカブルーと院生のライオス、社会人のミスルン

どっちとも出来てないし出来ない

カブライ要素が強いけど、美味しいとこ持ってくのはミスルンって感じです。
Twitterで続けてた話に加筆修正したものです。

カブルーって自分と生きる世界が違うなと思ってカブルーを遠ざけたくなっちゃったライオス、ライオスの気を引きたくて行動した結果空回って失敗するカブルー、その隙にうまいことやってなんやかんやライオスと仲良くなってるミスルンの話
ライオス視点とカブルー視点で交互に続きます
ミスルン視点はちょっと書けなかった…………


 あ。カブルーってすごく遠い世界の人かも。ライオスがそう思ってしまったのは、カブルーの誕生日会でのことだった。

「友人が誕生日会を開いてくれるらしくて。良ければあなたも来てください」
 そう言われて素直に行ってみれば、そこには高そうなスーツを颯爽と着こなし、大勢の人に囲まれて楽しそうに笑うカブルーがいた。普段は気付けば自分の側にいて、とても身近に感じていたはずのカブルーが、なんだかすごく遠い。

 カブルーの友人が主催したというそれはどこかのホールを貸し切って行われていて、とても盛大だった。どこかのレストランからケータリングしたらしい食べ物や酒がたくさん並んでいて、ステージには芸能人らしき人まで呼ばれている。
 誕生日会というとせいぜいホームパーティのようなものしか知らなかったライオスはかなり驚いたし、自分が場違いな気がしてなんだかとても帰りたくなった。

 カブルーは割と最近知り合った友人だった。ライオスの研究に理解と興味があるらしく、その本俺も借りたいんですと話し掛けてきたことがきっかけでよく話すようになる。あまり人付き合いが得意ではないライオスは最初、毎日のように自分に話し掛けてくるカブルーを内心鬱陶しく思っていた。だが、気付けば段々と慣れていたのか今では彼のことを良い友人だと認識している。
 カブルーいわく、ライオスの家は非常に良い場所にあるらしい。カブルーのバイト先とアパート、そして大学のちょうど中間地点あたりにライオスの家があるため、アクセスが非常に良いとのことだった。それも手伝ってか最近のカブルーはライオスの家に入り浸りで、「家賃とか食費光熱費もろもろ半分払うんで俺もここに住んでいいですか? 合鍵くださいよ」などと冗談で言われる程度には仲良しだとライオスは思っていた。
 でもそれは何かの間違いなのかもと思うほど、今カブルーの周りにはライオスの知らない友人がたくさんいる。
 ライオスは急に現実に引き戻されたような気分になった。直接そう言われたわけでもないのに、カブルーと友人だと思っていたのは自分だけのような気がしてしまう。だってこんなにたくさんの人に祝われるような凄い人が、自分のことを友人だなんて思うはずがない。
 ライオスはプレゼントの山に自分の持ってきた本をそっと置くと、カブルーに挨拶しないまま会場を後にすることを決めた。

 主役に挨拶もしないまま帰るなんて失礼だと理解はしていたが、自分の知らない人に囲まれて楽しそうにしているカブルーを見ているのは何故だか辛かった。
 プレゼントにライオスは自分の名前を書かなかったし、後でカブルーに会えた時にでも、用事ができて会場に行けなかったと謝ればいい。そう思いながらライオスは足早にホールを出る。

……帰るのか?」
 扉を開けたところで、ライオスはようやく知っている顔に会ってぎょっとした。ミスルンだ。
 ミスルンはカブルー経由で知り合った友人(と呼んでもいいのかわからないがライオスはそう思っている)だった。
 カブルーの義母と昔馴染らしいミスルンは一度会ったら忘れられないような個性的な人だったが、博識で、ライオスの研究分野にもある程度精通している。一度研究のことで話を聞いて以来、たまに連絡を取るようになった。意外と面倒見が良く、困ったことがあれば言えと言ってくれている。
 気付かないうちに人を怒らせたり不快にさせてしまうことが多いため、人と接することに苦手意識があるライオスだが、不思議とミスルンに対してはそういう感情は湧かなかった。彼はいつもフラットで、良くも悪くもあまり他人に興味がないのだろう。一緒にいても話が盛り上がることは無いが、一緒にいて気楽に感じるという不思議な存在だった。
「うん。ミスルンは今から?」
「あぁ」
「そうか。じゃあ、どうか楽しんで」
 ミスルンもカブルーの誕生日会に呼ばれていたらしい。きっと彼なら気後れすることなくカブルーに挨拶できるのだろう、と考えながら彼に手を振り、外に出ようとすると、ミスルンは不意にライオスの腕を引く。
「主役に挨拶くらいしたらどうだ」
 今度こそライオスはぎょっとする。え、どうして知ってるんだ? と思っている間にライオスはホールに逆戻りしていた。
 瞬間移動でも使われたのかと思うほどミスルンの動きは早く、細身なのに力も強い。ライオスはぐいぐい引っ張られながらミスルンの後に続く。
 ホールの中央にいるカブルーに近付くにつれ、ライオスは自分の身体が強張るのを感じていた。

 ……いや、そんなに緊張することじゃないのはわかっている。一言挨拶して帰ればいい。ライオスを呼んだのはカブルー本人なのだから、来たって怒りはしないだろう。
 だが、ライオスの脳裏には過去の失敗が浮かんでいた。
 社交辞令で誘われた飲み会や合コンに参加した結果、途中で撒かれたり、主催にそれとなく「帰って欲しい」と伝えられた苦い思い出達が。
 何度かそんな経験をして、人が集まる場所は避けようと心に誓ったはずだった。
「ミスルン、あの、俺は……
 やっぱり帰る、と言い掛けたところでもうカブルーがすぐ側にいることに気付く。
「おい」
「え?」
 ミスルンはアイドルのような可愛い女性と談笑しているカブルーに普通に話し掛けた。グラスを手にしたカブルーが振り向き、ライオスと目が合う。カブルーは一瞬嬉しそうな顔を浮かべたものの、ライオスと目が合ったかと思うとその視線はすぐ下に向かった。
 ……やはり自分なんかが来てはいけなかったのかと思うと、手に力が入る。ライオスは思わずぎゅ、とミスルンの手を握っていた。何だか心臓が痛い。周りの人がこっちを見ている気がする。
「え……、何で、手」
「まず言うことがそれか」
「いやいや、そりゃそうでしょ。何してるんすか」
「こいつが挨拶もせず帰ろうとしていたから連れてきた」
「は?」
「ちょっと、ミスルン!」
「事実だろう」
 カブルーはあからさまにムッとした様子だったのでライオスはますます居た堪れなくなる。何で俺なんか誘ったんだろうと思っていると、カブルーはいらいらしたように2人の手を引き離した。
「いつまで繋いでるんですか」
「え? えーと、ごめん?」
「何が悪いかわかってないくせに謝られても」
「悪い……?」
「わからないなら謝ってくれなくていいってことです」
 さっき遠目に見たカブルーはずっと楽しそうにしていたのに、きっと自分がここに来たせいで彼を怒らせてしまっている。せっかくの誕生日だというのに。
 焦りで頭が真っ白になりかけたが、それでもライオスは何とか言葉を絞り出した。
……ごめん。誕生日おめでとう。俺はもう帰るから、えぇと、良い1日を」
「え? ちょっと、もう帰っちゃうんですか? せめて乾杯くらい……
 カブルーはそう言ってくれたが、とてもそんな気分にはなれなかった。どうしよう、とライオスが思っていると、隣から助け舟が出される。
「誕生日おめでとう。私も帰る。こいつを送っていく」
 カブルーの言葉を遮るようにミスルンはそう言ってくれた。それを聞いてカブルーはまた顔をしかめる。
「は? じゃあ俺も、」
「主役が何を言っている」
…………
 カブルーは苦虫を噛み潰したような顔になった。そんな顔をさせてしまって申し訳なく思う。やっぱり来るんじゃなかった、と思いながらライオスとミスルンは会場を後にした。

 路上に出たところで、ライオスは大きく息を吐き出した。来なきゃ良かった。せっかく楽しそうにしていたところに水を差すような真似をしてしまって申し訳ないし、ああいう場にふさわしい振る舞いが出来なかった自分が恥ずかしい。改めて、今後は社交辞令で誰かにこういったイベントに誘われても絶対に行かないようにしようと心に決めていると、ミスルンに話し掛けられた。
「駅までで良いのか?」
「え?」
 どうやら本当に送ってくれるらしい。近いし歩くからいいと言ったが、ミスルンはついでだから良いと言うので素直に甘えることにした。駐車場に停めてあった高そうな車の助手席に乗り込み、気になったことを尋ねる。
「あの、ミスルンはあのまま帰って来てしまって良かったのか? 全然楽しめなかっただろう? やはりあなただけでも戻ったほうが……
「いい。おかげで良いものが見れた」
……? そう? ならいいけど……
 ミスルンは珍しく口角を上げながら車を走らせる。
 釈然としない思いはありつつ、大人しく助手席に座っていたライオスは周りの景色を見ながらあることに気付いた。
「あの、駅は反対方向なんだが……
…………
 大丈夫かなこの人。よく会場まで無事に辿り着けたな、とライオスは思った。
「家まで送る」
「ありがとう。実は家も駅と同じ方向なんだが……
……
 ミスルンは黙って車を転回させた。

 彼の運転は何というかスリリングだった。一応交通法規を守っていないわけではないし、送ってもらっている身でこんなことを思うのは申し訳ないが、単純に怖い。
 ライオスは道案内と周囲の安全確認に集中することにし、しばらく無言が続く。大通りを抜けたところでようやくアパートが見えて来た。
「ありがとう、あの緑の屋根のアパートだ」
「そうか」
 そう言うとミスルンは手前で右折し、コインパーキングに車を停めようとする。
「え、わざわざ停めるのか」
 この人に今日何回驚かされればいいんだろうと思っていると、そつなく駐車を終えたミスルンは運転席のドアを開けながら言った。
「お前は1人で大丈夫なのか」
「えっ……
 そんなに自分はショックを受けているように見えたのだろうか。というか、ミスルンにもそういう人の心の機微みたいなのわかるんだ。てっきりそういうのに関心がない人だと思っていたのに。

 そんな失礼なことを思いながら、ライオスは気付けばミスルンを部屋に上げていた。普段この家にくる人といえばカブルーとファリンくらいなので、ミスルンがいるのは何とも不思議な感じがする。
 お茶を出すとミスルンはそれを一口飲んで、それからずっと黙っていた。何をするでもなく、ただ時折部屋を見回している。
 植物のように静かなミスルンを見ているうち、ライオスは自然と話を始めていた。
……その、わかってるつもりだったんだけど」
「何がだ」
「カブルーには友達が多いってこと。俺にとって友達って言ったら彼とあと数人しか思い付かない。でもカブルーにとっての俺はたくさんいる友達のうちの1人だと、わかってはいたんだけど」
「うん」
「なんか実際見たら思ったよりびっくりしたんだ。あんな大きいホールを貸し切って、何人もの人が誕生日を祝うために集まるような人なんだって思い知らされたよ。カブルーはすごいよなぁ」
 友人だと思っていたカブルーにも「社交辞令を真に受けてノコノコ来やがって」と思われたことがショックだったなどとは気取られぬよう、ライオスはなるべく軽い口調で言った。ミスルンはライオスが過去に何があったのかも知らないし、興味もないはずだ。
 ところが、ミスルンの返答はライオスの思いも寄らない方向から来た。
……あの場にいた全員が、心からあいつの誕生日を祝うために居るとは思えないが」
「え、そうなのか? じゃあ何のために皆集まってたんだ?」
……さあ」
「ミスルンもカブルーを祝うために行ったんだろう?」
「そうだ。だが、ただ騒ぎたいだけの奴もいるだろうし、他の目的がある奴もいるだろう。大勢の人が集まる場所には、人の数だけ思惑がある」
「ふうん……
 わかるようなわからないような気がする。そういう色んな人の企みとか、感情を読むのは昔から苦手だ。それ故にライオスはこれまで人間関係に苦しんできたのだから。
「カブルーはそれ、知ってるのかな」
「ああ。むしろそういうのはあいつの得意分野だろう」
……それもそうか」
 そう言われてしまうと頷くしかない。よく考えなくても、カブルーは初めからライオスにとって遠い存在だったわけだ。
 あの会場でカブルーを見掛けた時にそれを強く実感してしまって、寂しかったのかもしれない。仲が良いと思っていた友達を遠い世界の人間に感じてしまったことが。不思議な感覚だった。
 不思議といえば、ミスルンこそカブルーよりよほど遠い世界の人間なのに、一緒にいても寂しくならないのも不思議だった。

 ミスルンはなんでもすごいお金持ちの家に生まれたらしい。きっと彼の誕生日も盛大なパーティが催されるのだろう。もし自分がその場に招待されたとして、今日のような寂しさを覚えるだろうか、とふと疑問に思った。

「何を考えている?」
 ぼーっとしていたライオスは、ミスルンに質問されてはっとする。
「えぇと、あなたの誕生日会にもし自分が招待されたらって考えてた」
 ミスルンは一瞬目を丸くした……ような気がしたが、ライオスの気のせいかもしれない。
「それで? 想像の中のお前はどうした?」
「え? うーん、普通にあなたに声をかけて、誕生日を祝って……あ、きっとすごい料理も出るだろうから、それを食べてるかな……。何だか楽しそうだ」
「あいつの誕生日会は楽しくなかったか」
……どうだろう。俺がもっと社交的な人間だったら楽しめたかも」
「だろうな」
「カブルーには悪いことをしてしまった。もっとちゃんとお祝いの言葉を言いたかったけど」
 自分が近づいた時の、カブルーの苛ついた顔が頭から離れない。
 社交辞令を本気にしてのこのこ来たライオスのことを不快に思ったのだろう。あんな顔をするくらいなら初めから呼ばなければいいのに、という思いももちろんあるが、カブルーはライオスがもっときちんと場に馴染むことが出来る人間だと思っていたのかもしれない。
「お前は、あいつを祝うために行ったのだろう?」
「うん……
「それならば気に病むことなど1つも無い」
 ミスルンはサラリと言った。きっと彼は、ライオスがどれほど場違いな服装をしていて、場にそぐわない挨拶をしたとしても、今と同じように無表情でいるのだろう。そう思うと何だか気が楽になった。
「心配かけて申し訳ない。慰めてくれてありがとう」
 ミスルンもちゃんとカブルーを祝いたかっただろうに、ライオスを心配してついてきてくれたのだ。それは素直にありがたいと思った。いい人なんだなと。

 心が少しだけ軽くなったと同時に、何だかお腹が減ってきた。そういえば会場で何も食べていなかったということに気付く。
「ミスルン、ご飯は食べた? もしまだなら何か作るよ。何が好き?」
……好き嫌いはない」
「そう? じゃあ適当に」
 ライオスはそう言って立ち上がる。キッチンに向かう姿をミスルンがじっと見ていたことに、ライオスは気付かなかった。


--


 こんなのってあんまりじゃないか。そう思いながらカブルーはタクシーの中で悶々と考え事をしていた。
 頭に浮かぶのは先ほどの、何故かひどく傷付いたようなライオスの顔と、いつもと変わらないミスルンの顔。そして2人が連れ立って自分に背を向けて歩いていく姿ばかりだ。

 カブルーがライオスを認識したのは、彼が大学卒業時に総代を務めたと風の噂で聞いたときだった。優秀な人なんだろうと、たまに構内で見かけるたびに気付けば目で追っていた。彼はいつも1人で本を読んでいて、その姿がやけに印象的だった。

 最初に話し掛けたのもこの頃だ。変人としても有名だったライオスは、話してみれば別になんてことのないただの人だった。そう思って興味を失いかけたカブルーだが、次にライオスに話し掛けたときに目を剥くことになる。

「えっと……、ゼミの子だっけ?」

 気まずそうにそう言うライオスを見てカブルーは真剣に驚いた。まず自分のことを覚えていないことにも驚いたし、その言葉が出るということは同じゼミの学生すらまともに覚えていない可能性がある。そんなことありえるのか? と思いながらも、カブルーの心は確実に火がついた。カブルーが望んで、相手と友人になれなかったことなど一度もないのだ。

 それから何度も話し掛けたが、そのたびにカブルーは心が折れそうだった。彼は全然、全く、1つも自分に興味がない。初めて話した時に少しだけ会話が弾んだのは奇跡だったらしい。ようやく彼がまともな返答をしてくれたのはライオスの研究に興味のあるふりをした時のことだった。
 その後もしつこく話し掛け続け、同志だと認めてもらえたのか何なのかわからないが、カブルーはやっとライオスにとって友人と言えるポジションに収まることができた。向こうから話し掛けて来て、名前を呼んでくれた時は感動して思わず泣きそうになったほどだ。
 そこでカブルーの目的は果たされたはずだった。だが、その頃のカブルーは知ってしまっていた。ライオスが一度身内だと判断した相手にどれだけ甘く、彼の側にいることがどれだけ心地良いのかを。
 いつの間にかカブルーは、ライオスともっと一緒にいることを望んでいた。ただの友人じゃ嫌だ。この人の唯一特別だといえる地位にいきたいのだと自覚し、それがどうやら恋とか愛とかいう名前がつく類の感情だと気付く。
 その日から頑張ってアプローチを続けてはいるものの、正直言って状況はさほど良くはない。友人からの脱却がこれほど難しいのは初めてだった。どれだけあなたが好きですと匂わせてみても、ライオスは笑顔でそれを受け取り、純粋な友情を返してくる。嬉しいけれど、焦りもあった。ライオスの魅力に他の誰かが気付いたらどうしよう。ライオスが誰かに取られたらどうしよう。そう思うと、不安で仕方がない。

 そんな折、話の流れで金持ちの友人が誕生日パーティを主催してくれることになった。もちろん、素直に嬉しい気持ちもあるのだが、どうやら友人はカブルーの人脈が目当て……というか、主に女性達とお近付きになりたくてそれを計画したらしい。だんだんと話が大きくなり、誕生日パーティとは名ばかりの人が集まるイベントと化したときには苦笑したが、そのときカブルーにある考えが浮かんだ。

 ――そうだ、ライオスも招待しよう。

 あんたが掃除機をがこがこ当てたり、容赦なく布団を剥いだりしている男は、実はこんな盛大なパーティが開かれるくらい人気者なんですよと知ったら、ライオスも自分を少しは意識してくれるかもしれない。そんな友人がいるという優越感でも、何でもいい。何か取っ掛かりがほしかった。

 それに、ライオスがカブルーの誕生日パーティに来るとなると、周りへの牽制にもなる。一石二鳥だと思った。

 正直、カブルーの誕生日パーティはライオスにとってそれほど楽しいものにはならないだろうとわかってはいた。カブルーとライオスの共通の知り合いも多少はいるが、ほとんどの参加者をライオスは知らないだろうし、あまりああいう大勢の人が集まる場が好きなタイプじゃないことは理解している。
 興味がないパーティにさっさと飽きて帰ってしまう可能性が6割、意外と図太いライオスが1人で食事や酒を楽しんでいる可能性が3割、所在なさげに1人でいる可能性が1割といったところだとカブルーは踏んでいた。
 どのパターンでもカブルーは、ライオスが自分のところへ挨拶へ来たタイミングで彼を引き止めて、周りにさりげなくライオスは特別な友人であるとアピールするつもりでいた。
 ……いたのだが。

 ライオスがミスルンに手を引かれてやってくるとはさすがに予想外だった。しかもライオスはカブルーに挨拶するまでもなく、興味が引かれないと気付くやいなやさっさと帰ろうとしていたのだと明かされ、ささくれだった感情がつい表に出る。途中、2人が親密そうにしていたのもムカつく。普段のカブルーならそういうマイナスな感情を綺麗に隠すことくらい容易に出来るはずなのだが、あのときは何故かそうすることができなかった。

 結局、来てくれたお礼も言えず、ライオスはカブルーとろくに目も合わせないままさっさと帰っていった。
 一度も振り返ることなく。
 しかも、ミスルンと連れ立って。
 自分がいなければ話すこともなかったはずの2人なのに。
 まだカブルーは、ライオスの手を握ったことすらないのに!

 嫉妬で頭がおかしくなりそうだった。

 2人が帰った後、ミスルンのことを知っている知り合いから「あの2人は付き合っているの?」と聞かれ、思わず強く否定してしまった。
 二次会まで連れて行かれたせいでもうだいぶ遅い時間だ。とっくに日付は変わり、もはや既に誕生日ではなくなっているが、それでもカブルーはライオスの家に向かっていた。
 ――まだ大丈夫。まだ焦る時間じゃない。
 カブルーはこれでも用意周到な方だ。ライオスを引き止めるのに失敗したときのことや、そもそもライオスがパーティに来なかったときのことも考えていた。それを実行すればいいだけだ。

 どうにか苛立ちを抑え、考えをまとめたところでタクシーはライオスの家の前まで辿りつく。まだ電気はついているので起きているようだった。
 カブルーは大量に飲まされた酒のせいで少しふらつきながら、ライオスの部屋の呼び鈴を鳴らす。

 しばらくして、少しだけドアが開いた。
……カブルー。どうかした?」
 おずおずといった様子でライオスがドアの隙間から顔を出す。心做しか頬が赤い。風呂上がりなのだろうか。正直グッと来た。
「あの、さっきはお礼も言えなくてすみませんでした。せっかく来てくれたのに」
 湧き上がる下心を押さえ付けて殊勝な顔を作ると、ライオスは何度かぱちぱちと瞬きをしてから独り言のように言った。
「あぁ、わざわざそれを言いに来てくれたのか。律儀だなぁ」
……それもあるんですが、ええと、上がっても?」
 いつもならこんな風に玄関で立ち話などしない。そう思って言ったのだが、ライオスはわずかに戸惑ったようだった。
「あー……いや、もう遅いから、帰ったほうがいいんじゃ?」
……えっ」
 断られると思わなかったのでカブルーは一瞬言葉に詰まる。それを悟らせないように甘える後輩の顔を作った。
「えー、何でですか。いつもみたいに泊めてくださいよ。こんな状態じゃ帰れませんし」
……その……
 妙に言い淀むライオスに嫌な予感がしてカブルーは玄関を覗き込んだ。そこにある高級そうな靴を見て表情がなくなる。
「いつまで話している」
「あっ……ミスルン」
 部屋の奥から現れたのは案の定ミスルンだった。
 以前ライオスがカブルーのために買ってくれた部屋着を着ている。寝るときは上裸だというカブルーに、「部屋の中に原始人がいるのは嫌だ」と言ってライオスが買ってきた黒いスウェットだ。
 その姿を見た瞬間、カブルーは自分の内臓が燃え上がったのではないかと思うほどの激情を覚えた。間男と対面した時の夫ってこういう気持ちなのかもしれないなと思った。
「なんだ、ミスルンさんもいたんですね。……ライオス、上がってもいいですよね?」
「え、……うん」
 明らかに笑えてない自信があったが、せめて口角だけは上げていたつもりだ。勢いに気圧されたのか、ライオスが頷く。
「大丈夫なのか?」
「うーん……
 そんなカブルーを差し置いて、ミスルンがライオスを気遣う素振りを見せるのも気に食わなかった。

 勝手知ったるなんとやらだ。カブルーはライオスの家に上がり込むと、じとりとミスルンを眺め、それからライオスに視線を向けた。あれは俺の服だろ!? と問い詰めたくて仕方がない。リビング兼寝室に入ると、普段カブルーが使っている簡易マットレスが敷いてあり、口元がひくついた。まさか、本当にミスルンはここに泊まるつもりなのだろうか。
……ええと、とりあえず風呂に入ったらどうだ。きみ、すごく酒臭いぞ」
「ええ、そうします。あの、着替えを借りたいんですが」
「あー、……ごめん、俺の服でもいいかな」
「もちろんです。下着は前置いてったのがありますよね?」
「うん、いつものとこに」
 ライオスはカブルー用の物が置いてある小さい衣装ケースを指し示す。
 その中に今ミスルンが着ているスウェットも入っていたはずだ。そう思うとどうしてもイライラする。
 明らかに普段から入り浸ってますという会話をしたつもりだが、ミスルンは一切表情を変えずにいる。……いや、この人はいつも無表情だが。
 それにすらカブルーにはない大人の余裕を感じ、苛立ち紛れに浴室へ駆け込んだ。

 風呂でわざと冷たい水をかぶり、カブルーは一度冷静さを取り戻したつもりだった。だが、風呂から出たところでキッチンの水切り台に2人分の食器があるのを見かけ、イラつきが再燃する。同時に空のトマト缶が洗って干してあるのも見つけてしまい、「これは2人で買い物に行った時に、ライオスが俺のために買ったやつじゃないか」と子供っぽい独占欲まで湧いてくる。

 その感情を引きずったままリビングに戻ると、ライオスとミスルンの距離は嫌に近かった。何やら書類を覗き込み、2人で話し込んでいる
……で、このときの行動が……
「威嚇ではなく、えーと……求愛行動になる?」
「そうだ。飲み込みが早いな」
…………お風呂ありがとうございました!」

 カブルーに気付きもせず話し続ける2人を見て、わざとカブルーは割り込むように大きめの声で言った。
「あぁ、カブルー。もう出たのか」
「ね、キッチン良い匂いでしたけど、何食べたんですか」
「ミートソースのパスタだよ。きみも食べたことあるやつ」
 あれか、とピンと来る。ライオスはけっこう料理上手というか、食べることにこだわりが強くて自炊をしているタイプだ。ミートソーススパゲティも何度か食べたことがあるが、いつも美味しかった。酒ばかり飲まされ、あまり食べることが出来なかった身体が空腹を訴える。ケータリングの食事は見た目は豪華だが、好きな人が作ってくれる料理ほど美味しいものもないだろう。それが好物を使っているともあればなおさら。
「いいなぁ。俺も食べたかった。やっぱりライオス達が来てくれた時に一緒に帰るんでした」
「はは……
 半分以上本気で言ったが、ライオスは曖昧に笑うだけだった。
「ライオスともっと一緒にいたかったです。すぐ帰っちゃって寂しかった」
「ええと……ごめん」
 ライオスの反応はいつも以上に鈍い。……何か嫌な予感がして、話を逸らす。
「ところで2人は何してたんですか? っていうか、あれからずっとここにいたんです?」
「論文を読んでいた」
……論文?」
「うん。最近発表されたやつなんだけど、共通語じゃなくてエルフ語で書かれてて。俺、あんまり得意じゃないから訳してもらってるんだ」
「へぇ! 相変わらず熱心ですね。こんな遅くまで。ところで、俺もエルフ語はネイティブ並にペラペラだってご存知ですか? 俺を頼ってくれれば良いのに」
「もちろん知ってるけど……。それにしてもこんな時間になってたって気付かなかったな。寝る前に少し読んでもらうだけのつもりだったのに。すまない。出来ればこの一節は読み切りたいんだが……
「ああ、構わない」
「ありがとう、助かるよ」
「うん」
…………
 なに、俺を差し置いて何度も良い雰囲気になってんだこの2人は。青筋を立てながらもカブルーは小さく咳払いをする。
……あ、ごめん、俺達もうしばらくかかるから、カブルーはベッド使ってていいよ。なるべく静かにするから」
 今度は仲間外れだ。さすがにひどい。ミスルンが一瞬、愉快そうに口角を上げたのが目に入り、カブルーはとうとう言ってしまった。

……俺、誕生日なんですけど」
「? ……うん」
「もう終わっているが」
 ミスルンが余計な一言を挟んできたが完全に無視する。
……誕生日パーティの後に、色々誘われたけど、切り上げてわざわざこっちに来たんです。何でかわかりますか?」
……えーっと……、ごめん、わからない。あ、パーティでは不快な思いをさせてしまって申し訳ない」
 ……そこじゃない。ライオスはまた申し訳なさそうな、……というか傷付いたような顔になる。さっきも思ったが、何故ライオスがそんな顔をしているのかわからない。想い人が別の男と手を繋いで現れて、そのまま2人で消えていくのを見せ付けられたこっちの方がよほど傷付いている。
「俺、まだあなたからプレゼントもらってないなって思って。だから、この部屋の合鍵ください」
 にこりといい笑顔で言ってやった。合鍵。この部屋の鍵。それがあればいつでもライオスに会える。ライオスにその気がなくても、外堀を埋めるのにこれほど有効なアイテムもない。今、カブルーが一番欲しいもの。
…………
…………」 
 そう思っての発言だったが、それを発した直後、部屋の温度は2度ぐらい下がった。
「渡したんじゃないのか」
 ミスルンの問いに対し、ライオスは気まずそうに答える。
……実は、会場に置いてきたんだ。前にきみが読みたいって言ってた本の改訂版が出ていたから、それを。でも、確かに差出人の名前は書かなかったし、きみが気付かないのも当然だ」
…………
 ……まずい。これは確実に墓穴を掘った。てっきりライオスは会場をちらりと覗いて帰宅しようとしていたものだとばかり思い込んでいた。
 というか、ライオスがプレゼントを用意してくれているとも思っていなかった。誘ったのはつい昨日のことだったし、プレゼントなんて用意しなくていい、来てくれたらそれだけで最高に嬉しいと言って招待したのだから。
「あー……、そうだったんですね。まとめて後日送ってもらうことになっているので、気付かなかったな。すみません」
「誕生日会なら当然プレゼントの開封式をするだろう? その時に気付かなかったのか?」
 余計なことを言わないでくれ。カブルーは心底そう思った。
「えーっと……、大きいやつとかは開けたんですけど、なんせ数が多くて」
 大きいもの、有名ブランドのショッパーに入ったもの、その時カブルーの近くにいた人がくれたものなどはあの場で開けたが、なにせあの数だ。一つ一つ開けていたら夜が明けてしまう。
 でも、ライオスからのプレゼントがあると知っていたら全部開けただろうと思う。そもそもカブルーの誕生日に本を贈ろうとするのなんてライオスくらいしか思い付かない。差出人の名前がなくてもすぐにわかったはずだ。
「そうだよな、すごい数だった」
「あの……本当にすみません。絶対大事にしますから」
「気を遣わなくても大丈夫だよ。俺も積まれたプレゼントを見てさすがに場違いだと思った。あんなものを送ってしまって申し訳ない」
 そう言って自虐的にライオスは笑う。まるでカブルーが最初からライオスのプレゼントに興味がないと決めつけているかのように感じ、慌ててフォローを入れる。
「あんなものって言わないでくださいよ。俺が読みたいって言ったの、覚えててくれたんですよね?」
「うん、でも……
「嬉しいな。俺、ライオスからのプレゼントが一番嬉しいです」
 そう言うと、ライオスはあからさまに怪訝な顔になった。
「いちばん、嬉しい……?」
「え?」
……あぁ、きみはそうやって喜ぶのが本当に上手なんだな。よくわかった。無理しないでくれ」
 口の中が段々と乾いてきているのがわかった。ものすごく嫌な予感がする。
……無理って何ですか? 本当にそう思ってますよ」
「もういいよ。ミスルンに聞いた。きみ、俺の研究テーマに興味があるどころかむしろ苦手で、生理的に嫌悪してるって。……言われてみれば確かに、最初は熱心に勉強してるみたいだったけれど、最近じゃ本を開くことすらしていないものな。言われるまで気付かない俺も俺だけど、……ショックだった」
 今度こそ血の気が引いた。慌ててミスルンに視線を送るが、ミスルンはどこ吹く風といった様子だ。このやろう、と内心毒づきつつ、何とかこの場を打開する言葉を探して脳をフル稼働させる。
 しかし。
「う、わっ!」
 テーブルに例の生き物の標本が乗っているのを視認した瞬間、カブルーの頭は働きを止めた。反射的に大きく飛び退いてしまい、机が大きく揺れて標本が床に落ちる。はっとしてライオスの方を見ると、彼は静かに標本を拾い上げてケースにしまった。
「あ……、すみませ、」
「ごめん。論文を読みながら確認していたんだった」
 ライオスはケースの蓋を閉じ、それからゆっくりとカブルーに視線を向ける。その目がひどく冷めきっているのを見て、カブルーは真っ青になった。
「嫌な贈り物をしてしまって申し訳ない。もうしないよ。……あの本は、俺もまだ読んでないから、捨てるくらいなら返してもらえるとありがたい」
「ら、イオス、話を、」
「あぁ、そうだ。さっきまで、何で嘘をついてまでわざわざ俺に話し掛けてきたのか理解できなかったけれど、やたら合鍵を欲しがるきみの言葉で納得は出来た」
……納得?」
 喉がカラカラで、声が掠れる。
「都合の良い宿が欲しかったんだろ? ここ、すごくアクセスが良いって言ってたじゃないか。それにきみ、意外と片付けとか出来ないタイプだもんな。友人が出来たと思って俺も浮かれてたし、せっせと家事に勤しんでいたから、……まぁ多少は便利な家政夫くらいには思ってくれてたのかもしれないけど」
「なっ……、それは、違う! 違います!」
 とんでもない誤解だ。確かにライオスに近付くために嘘はついたが、こんな悪い方向に捉えられるとは思わなかった。ミスルンは一体何を吹き込んだんだ。
 ライオスにミスルンを紹介する前に、彼にはきちんと自分がライオスに懸想していることを伝えている。だから成り行きを面白がっているだけだと思っていたが、どうもミスルンも本気でライオスのことを気に入っているように思う。……ふざけるなよ、そっちのほうが許せない。
 とにかく誤解を解かなければ、と思っているのに、次に続いた言葉に頭が真っ白になった。
「きみの言葉は嘘ばっかりで信用出来ない。今まで俺にいくつ嘘をついた? 今日だって、きみは俺の姿を見たら不快そうにしていたじゃないか。誘ったのが社交辞令なら俺にも分かるようにして欲しかった。お互いのためにね」
「いや、それは、違うんです。あなたが、」
「カブルー」
 ライオスがカブルーの名前を呼ぶ。いつもなら暖かい心地よさを感じるその声に全く温度がないことに気付いた。
「俺だって普通の人間だ。嘘をつかれたら傷付くし、人に不快な思いをさせていたら申し訳無く思う。きみは相手を喜ばせるために嘘がつける人なんだろうけど、俺にはそれが理解出来ない。……今日はもう遅いから、泊まっていくのは構わないけれど、今後は、あまり家には来ないで欲しい」
 ヒュッと喉から音が鳴る。心臓が変な風にバクバクしていて、とても苦しかった。
「え、ちょっと、ライオス、そんなのあんまりです。俺の話を聞いてください」
「ごめん、今は聞きたくない。きみを嫌いになりたくないんだ」
 ライオスはそれきり会話を打ち切ると、カブルーとは目も合わせないまま部屋の電気を消してベッドに潜り込んでしまう。それを見ていたミスルンが何食わぬ顔でライオスのベッドに入り込もうとしていたので必死に止め、廊下に引っ張って小声で問い詰めた。

「ライオスに何を言ったんですか?」
「私の知っていることを話した」
「あんな捉え方をされるなんておかしいでしょう。悪意がある伝え方をされたとしか思えないんですが」
「悪意? お前が嘘をついてあいつに近付いたのは事実だろう。誤解を解いた」
 ミスルンはいつものように堂々としている。その姿に、どうしようもなくコンプレックスを抱いた。ミスルンは自然体でもライオスに覚えてもらえるのだ。カブルーと違って。
「誤解!? ……俺がライオスをどう思っているか、あなたには話しましたよね?」
 ミスルンはそれには答えなかった。
「お前は、あいつがああいう場所が苦手なのを知っていてわざと招待したんだろう。周りへの牽制のために」
「それの何が悪いんですか」
「良い悪いの話ではない」
……何が言いたいんです?」
「これ以上話しても時間の無駄だ。今日はもう帰れ。私も寝る」
 そう言ってミスルンは踵を返し、浴室へ向かっていく。
……寝室はあっちです!」
 カブルーはそう吐き捨てて、ヤケクソでライオスの家を飛び出した。


--


 時は少し遡り、ライオスがミスルンに手料理を振る舞おうとしていた頃。
 ライオスは夕食のミートソーススパゲティを皿に盛り付けながらふと思い出した。
……そういえば、カブルーは俺のプレゼント、喜んでくれただろうか」
「何を渡したんだ」
「本だよ。以前彼が読みたいと言っていたやつ。何年も前に絶版になっていたんだけど、最近改訂版が出たんだ。元々俺が読もうと思って買ったんだけど、ちょうど良いからプレゼントすることにしたんだよ」
「お前の専門分野の?」
「あぁ。カブルーと俺が親しくなったのも、同じ作者の本がきっかけなんだ。俺の研究分野に興味があるんだって」
 皿を運びながらライオスは席に着き、粉チーズを振りかける。
 なかなか良い出来だと思いながら、ライオスはカブルーが本を手にとるところを想像した。
 カブルーは、ライオスが贈ったものだと気付いただろうか。誕生日パーティでは場違いな姿を晒して不快にさせてしまったが、あれ自体はカブルーが読みたいと言っていたのだからきっとそれほど悪いチョイスではないはず。読み終わったら自分にも貸してほしいな、などと考えると、また気分が浮上していく。
 しかし、ミスルンの反応はライオスの思っていたものとは全く異なっていた。
……興味? あいつが?」
 無表情ながら、ピンと来ていないのが伝わってくる声にライオスは手を止める。
「うん。珍しい生き物が好きって言ってた」
「それは嘘だな」
「え……、どうしてそう思うんだ?」
「あいつは昔から人間以外の生き物全般が苦手だ。お前の専門に至っては特に、生理的に嫌悪していると言ってもいいほど苦手に思っていたはずだ」
「え、本当に……?」
「逆に聞くが、あいつの言葉から研究への熱心さを感じたことはあるか? お前の研究室を訪問したことは? ある程度の専門知識は持ち合わせていたか?」
…………
 非常に驚いたが、今ミスルンにぶつけられた疑問はライオスも抱いたことがあった。ライオスが熱心に話しているところをやや引いた目で見ていたり、早朝のフィールドワークに誘ったら断られたり。そういえば彼は標本を触ろうともしなかった。
「あいつがお前の声をかけたのは別の目的があったからだ」
……目的? ミスルンは知ってるのか?」
「さあ」
 もしかしたら、もうその分野への興味を無くしたのかなとぼんやり思ってはいたが、嫌悪しているほど苦手に思っていたなんて知らなかった。それも最初から。
 何故そんな嘘をつく必要があったんだろうか。考えてもライオスにはわかりそうもない。
…………
 ショックで固まるライオスをよそに、ミスルンはもぐもぐとパスタを食べ続ける。口の周りが豪快に赤くなっていたのでティッシュで拭ってやると礼を言われた。
 見た目に似合わず気持ちの良い食べっぷりだ。美味しいのかな、と思って少しだけ嬉しくなる。ミートソースパスタは何度も作ってきた得意料理で、カブルーもいつも喜んで食べていた。
 ……そこでふと、カブルーはトマトが好きっていうのは本当なのだろうか、という疑問が頭に過る。
 以前、カブルーに食事を振る舞った際、ミートソースパスタが得意だと言ったら、カブルーは「俺トマト大好きなんですよ」と嬉しそうに言っていた。もちろん美味しそうに食べてくれたし、その後フレッシュトマトのパスタを作った時なんて大袈裟なくらい感激してくれていたが、それももしかしたら嘘だったのかもしれない。
 だって、ライオスの研究に興味があるというのも嘘だったんだから。
 つい昨日までいい友人だと思っていたカブルーの姿がどんどんぼやけてくる。
……ミスルン、それ美味しい?」
「ああ」
「正直に言ってほしい」
「美味い」
「それってレトルトに比べたらの話か? それともお店で食べるやつよりも?」
「比べてほしいのか?」
……いや、いい」
 ついめんどくさいことを聞いてしまったが、ミスルンの答えは簡潔で明瞭だった。
……お前が作ったものだから、金で買えるものとは違う価値がある。そういうものだろう」
「そうかな……
 そのとき、ミスルンが口に運ぼうとしたフォークからソースがぼとりと落ち、高そうなシャツにシミが出来た。
「ちょっと、ミスルン! シャツにシミが……
「問題ない」
 全く気にする様子がないミスルンに何故かライオスの方が慌ててしまう。
……ミスルン、それ食べ終わったら着替えようか。服洗うよ」
「ありがとう」
 素直に礼を言われて少しだけ可笑しくなる。
 ところで、ミスルンが着れそうなサイズの服は、この部屋にはほとんどない。華奢な彼にライオスの服は大きすぎて肩がほとんど出てしまうだろう。仕方なくカブルーが私物を置いているケースからスウェットを取り出す。これでも多少大きいが、この際それは仕方がない。それを手渡すと、ミスルンはスウェットをじっと眺め、ライオスにこう言った。
「今日は泊めてくれないか」
「エッ、……いいけど、どうしたんだ急に」
「私の予想が正しければ、あいつは今日ここに来る。その時お前は冷静に話ができるか?」
「カブルーが家に……? いや、来ないだろう」
「来ると思う」
「どうして?」
「あいつが来たら聞け」
「ええ……
 その後ミスルンの下着をコンビニで買ったり、風呂を貸したらずぶ濡れのまま出てきたせいで一悶着あったりしたが、ライオスはミスルンに振り回されながらも、いつの間にか感謝の心が生まれていた。1人でいたらカブルーのことばかり考えて逃げたくなってしまっていただろう。

 ライオスも風呂に入り、いい時間になったので寝ようとしたところで、ふと先日発表されたばかりの論文のことを思い出す。エルフ語は専門外で全然読めなかったが、グラフや表を見るになかなか興味深いことが書かれていそうだったのでいつか読みたいと思っていた。
 カブルーは語学を学んでいて、エルフ語はほぼペラペラだと言っていいほど熟練している。だから彼にいつか訳してもらおうと思っていたのだが、カブルーはライオスの専門分野が苦手らしいので付き合わせるのも申し訳ない。
 ミスルンにそれを言うと、彼はなんとエルフ語が母国語らしい。渡りに船だと訳してもらっていたところで、部屋のチャイムが鳴った。

 ミスルンの予想通りカブルーがやって来たのだ。

 カブルーが誕生日プレゼントのことに言及したとき、ライオスはしまったと思った。カブルーにとっては全く嬉しくない贈り物をしてしまった。そんなつもりは無かったが、嫌がらせと思われてもおかしくない。
 ……でも、それが認知も開封もされていないと聞いて、勝手な話だが少しだけガッカリもしてしまった。
 だって、ライオスはその本を読むのをすごく楽しみにしていたのだ。きっとカブルーも喜んでくれるだろうと思ってわざわざラッピングまでした。
 だが、イベントホールのプレゼントの山を思い出すと、もっと一目で高価だとわかるような包装のものや、ライオスでも見たことがあるような有名なブランドのロゴがプリントされたものなんかが多かったように思う。あの中でライオスが持ってきたのは良く言えば素朴、悪く言えば貧相なプレゼントだっただろう。
 ライオスはついそのプレゼントを自分と重ねてしまう。たくさんのキラキラした人たちの中で、一際野暮ったい自分の姿。だからカブルーは手に取りもしなかったのだろう。一度そう思ってしまうと、それが事実のように思えた。

「俺、まだあなたからプレゼントもらってないなって思って。だから、この部屋の合鍵ください」
 そしてカブルーは彼が要求してきたのは、この部屋の合鍵だった。それを聞いた途端、ライオスの中で点と点が線で繋がってしまった。

 ――なるほど、彼は都合の良い宿が欲しかったのか。

 この部屋は確かに便利なのだ。知り合いに口を利いてもらって相場より安く借りているこの部屋は、家賃の割に広くて築浅だし、きれい好きのライオスがこまめに掃除をしている。カブルーの言う通りアクセスも悪くない。食事だって彼が家にいたら当然のように三食提供していた。格安の宿にしては悪くない場所なのかもしれない。
 まぁ、嘘をついてまで手に入れたい場所なのかと言われると首を傾げたくなるが、カブルーの考えはライオスにはわからない。ライオスの持っているものでカブルーが欲しがりそうなものといえばそれくらいしか思い付かないのも事実だ。何だかなぁと思っていると、カブルーはまた一つ嘘をついた。

「俺、ライオスからのプレゼントが一番嬉しいです」

 そんなわけがない。だってライオスは今プレゼントの中身を言ったのだ。全く興味がないどころかむしろ嫌悪している生き物の詳細が書かれた専門書を贈られて喜ぶわけがない。
 きっとこれまでも、カブルーはライオスに気を遣って様々な嘘をついてきたのだろう。それは普通の人なら容易に看破出来る嘘だったのかもしれない。だが、ライオスにとって嘘を見抜くというのは非常に難しいことだ。今のカブルーの言葉だって、真実のように聞こえる。
 ということはカブルーの言葉はもう何一つ信用出来ない。それが例えライオスを喜ばせるために言った言葉なのだとしても、嘘をつかれることそれ自体が嫌だった。
 これまでカブルーに抱いてきた、親切で良い人というイメージがどんどん壊れていく。
 そしてカブルーがテーブルに放置された標本を見て悲鳴を上げた時、ライオスは「ミスルンの言っていたことは本当だったんだな」と強く実感した。
「カブルー。俺だって普通の人間だ。嘘をつかれたら傷付くし、人に不快な思いをさせていたら申し訳無く思う。きみは相手を喜ばせるために嘘がつける人なんだろうけど、俺にはそれが理解出来ない。きみの言うことはもう何も信用出来ない。……今日はもう遅いから、泊まっていくのは構わないけれど、出来れば、もうあまり家には来ないで欲しい」
 ライオスは気付いたらそう言っていた。
 もしかしたらミスルンはこうなることを悟って、それを阻止するために家にいてくれたのかもしれない。その心配りはとてもありがたいのだが、これ以上彼と一緒にいたくはなかった。

 その後ミスルンとカブルーが何やら言い争っていたようだったが、やがてドアが開く音がして、カブルーが出ていったことを悟る。もう彼はここには来ないだろう。でも、それでもいいと思った。元々彼は別世界の人間だ。ライオスの周りにいていい人ではない。
 それに、良い人だと思っていた相手に利用されるのも初めてじゃない。むしろライオスはカモにされやすいタイプで、だからこそ初対面の相手は特に警戒していた。知り合ってすぐの頃、ライオスはカブルーに対して全く心を開くつもりがなかった。でもカブルーは何故かめげずにしょっちゅうライオスのそばに来て、たくさん話して、笑ってくれて、嬉しかったのに。あの時間は全て嘘で、ライオスはただの便利なカモ候補と思われていただけだとしても、カブルーと過ごした時間が楽しかったのは本当だったのに。
 自分から突き放しておいて、ライオスはひどく傷付いた気持ちになっていた。やっぱり俺なんかに友人が出来るわけがないと諦観を抱いて強く目を閉じる。と同時に、ベッドが沈み込んで驚いた。
「落ち込むな」
 ミスルンがベッドに腰掛けたようだった。彼はライオスが潜っている布団を撫でている。慰めてくれているらしい。
……落ち込むよ。あんなこと言うつもりじゃなかった」
「そうか」
 そう言いながらもミスルンはポンポンとライオスの肩の辺りを叩く。
……嘘は嫌いなんだ。嘘を見抜くほどの洞察力もないくせに、騙されてたってわかると毎回傷付く」
「うん」
……自分が嫌になるよ」
 そう自嘲して目を閉じる。ミスルンの手はいつの間にかライオスの頬のあたりにあった。
「ライオス。あいつはお前を都合の良い存在として扱っていたか?」
 そう聞かれ、ライオスは少しだけ考えた。
「え……、いや、カブルーはそんな風に思わせたことはなかったよ」
「だろうな」
……でも、あれだけ友人がいる人が嘘をついてまで俺に近付いてきた理由がそれくらいしか思い付かない」
「そうか」
 ミスルンの口調はいつもと変わらない。だが、ミスルンは元々カブルーの友人なのだ。大切な友人にひどいことを言ったライオスのことをこうして慰めてくれる優しさが辛かった。
 カブルー経由で知り合った人とも、きっと縁が切れてしまうのだろう。ミスルンに会うのもこれが最後かも、と思うと何だか悲しい。せっかく仲良くなれたと思ったのに。
……彼はあなたの友人なのに、ひどいことを言ってしまった。申し訳ない」
「悪いのはあいつだ。お前が気にすることではない」
「でも、」
「お前はそうやって考えることが出来るのに、自分のこととなると途端にポンコツだな」
「ポンコツ!?」
「あいつが、お前自身に魅力を感じて近付いてきたとは思わないのか?」
 ミスルンの言葉に、ライオスは目を剥く。
「え……、だって魅力なんかないだろ?」
 自慢ではないが、ライオスは平凡な男だ。いや、平凡というには些か空気が読めず、友人は少なく、口下手で、自分の好きなことしかしない。見た目もそう褒められたことはないから恐らく十人並なんだろう。そんな自分のどこに魅力があるというのか。……本当に自慢ではないな、これ。
 ライオスが素直に思ったことを言うと、ミスルンは身体を震わせ、くつくつと笑い始めた。彼がこうやって笑う姿は本当に珍しい。ライオスが驚いて布団から顔を出すと、ミスルンは体勢を変えた。

 ベッドが2人分の重みにギシリと音を立てる。
「ミスルン……?」
 布団の上から乗っかられているらしい。軽いとはいえ大人の男だ。それなりに圧迫感はある。何故こんな体勢に? と思っていると、先ほどまで頬を撫でていた手がいつの間にか唇に触れた。そして、ミスルンは耳を疑うようなことを言う。
「お前は魅力的だ」
 ドキッと心臓が飛び跳ねた。唇に触れる指の感触に、鼓動が早くなっていくのを感じる。こんなにドキドキしているのがミスルンにも伝わってしまうのではないかと思いつつ、ライオスは震える声で否定した。
「え。……いや、そんなわけない」
「嘘ではない。私も、お前に魅力を感じている」
 そう言うと、ミスルンは顔を近付けてきた。

 え、え、とライオスが思っている間にミスルンに唇を重ねられそうになる。直前で首を反らしたおかげかミスルンの乾いた唇はライオスの口の端に触れた。それだけでも身体がビクッと震える。
 初めての感触にどう対応すれば良いかわからず、ただ困惑した。だって今、ライオスか避けなければ確実に……
「嫌か」
……冗談だろ? 俺が凹んでるように見えたから慰めてくれているんだよな?」
 そう言うとミスルンの目は少し鋭くなったように感じる。暗いのでよく見えないのだが。
「お前は、私が誰かを慰めるためにこういった行為をする人間だと思っているのか」
 ミスルンの言いたいことがわからず、ライオスは戸惑った。
「いや……あの……魅力を感じるって」
「言った。私は本心から、お前は魅力的だと思っている」
「ええぇー、そんな、嘘だろう」
 魅力的だなんて言われたのは生まれて初めてだ。どこへ行っても上手く馴染めず、周囲から浮きがちであるライオスに近付いてくる人間なんてこれまでいなかった。いや、正確にはいるにはいたが、それはライオス自身を好きになってくれたわけではなく、何か別の目的がある人間ばかりだったのだ。
 それが、魅力的だなんて。
 大人に、それも立派な社会人であるミスルンに言われてじわじわと顔が熱くなってくる。
「嘘? 私がお前にその嘘をついてなんの利がある」
……いや、ミスルンはいい人だから、俺を慰めてくれてるだけなのかと」
「違う。嘘が嫌いだと言っている友人に嘘はつかない」
 ミスルンは何のてらいもなくそう言ってのけた。友人……! と思わずジンと来てしまい、嬉しいと思ってしまう。
 と同時に、ライオスはある種の欲を抱いた。そういうこと全てに淡白そうな彼が、自分のどこに魅力を感じているのか知りたくなったのだ。
……あの、具体的にどのへんが……? そんなこと言われたの初めてなんだ」
 だから、ライオスはつい聞いてしまった。浅ましいことを聞いているのはわかるのだが、聞きたくてたまらない。

…………そうだな」
 ミスルンは気分を害した様子もなく、少し考えてから話し出した。
「お前の物の考え方は非常に独創的だ。私にはない発想をする。面白いと思う。お前は覚えてすらいないだろうが、お前が言った何でもない一言が結果的に私を救ったことがある」
「えぇ……そんなことあったのか……?」
「ああ。それに、お前の部屋は好ましいと思う。立地の話ではない。お前の部屋は物が計算された位置に置いてあり、整頓されている。空気がよく通っていて、居心地が良い。生活を大事にしていることがよくわかる。料理の腕もいい。味もそうだが、労を厭わずに誰かに与えることが出来るところが魅力的だ」
「や、そんな大したことは……
「清潔感があり、身体つきも立派な恵体。顔も派手なところはないが端正だ。特に心を開いた相手を見る時、目が普段より優しくて魅力的だ」
……ごめん、自分で要求しといてアレなんだが……もう、いいです……
「そうか」
 表情一つ変えずに淡々と紡がれたミスルンの言葉に恥ずかしさがこみ上げてくる。そんなふうに思われていたとは。顔が熱い。部屋が暗くて助かった。
「それで? 私に口説かせておいて何もさせないつもりか?」
「口説……、」
 言われて思い出す。今、ミスルンはライオスの上に馬乗りになった状態だ。顔もかつてないほど近い。これは友人の距離感ではないのかもしれない。
 ――あれ、どうしよう。少し怖い。
 ライオスが生唾を飲み込むと、それを見たミスルンはするりとライオスの上から降りた。
「寝る」
「エッ!? あ、うん、おやすみ!」
 どういうわけか急に興味を失ってくれたらしい。ライオス自身は心臓がばくばくしていて上手く寝れる気がしないが、それをミスルンに言うべきでないことくらいは理解できる。
 ミスルンはマットレスに寝転がり、布団をかけた。
「あいつにも同じことを聞いたら良い」
 そしてそんなことを言う。さっきまでとは別の意味で心臓がドキッとした。
……カブルーは俺のこと、そんな風に思ってくれてないよ」
「それは違う」
「何故そう言い切れるんだ」
「考えてもみろ。あいつにはあれほど豪華なパーティを主催してくれる友人がいる。高価なブランド品を惜しげもなく贈ってくる友人もいる」
「うん……、だから俺は居ても居なくても変わらないだろ?」
 たくさんの友人に囲まれて、遠いところで楽しそうに笑うカブルーの姿が浮かんだ。彼には山程友達がいるのだ。1人しかいない友人がいなくなったら大ダメージだが、100人が99人になったところで何だというんだ、と思う。
 だが、ミスルンはそんなライオスの考えを否定した。
「そんなあいつがわざわざ都合の良い宿を欲してお前の家の合鍵を欲しがると思うか。もっと条件の良い相手ならいくらでもいるだろう」
…………じゃあカブルーは本当に俺と友人になることを望んでたって言うのか? 何故?」
「知らん。本人に聞け」
「もうカブルーと話すことなんてきっとないよ。もしミスルンの言う通り、カブルーが俺に何らかの魅力を感じていたのだとしても、あんなことを言ってしまった後でどんな顔して話しかければいいんだ」
「お前から話し掛けなくても、あいつの方から話し掛けてくる」
……何でわかるんだ」
 ミスルンは、恐らく少しだけ笑っている。顔は見えないが、口調が少しだけ穏やかだった。
「内緒だ」
 ミスルンはそれきり黙ってしまった。もう寝るらしい。寝れる気はしないが、少しでも身体を休めなければと思い、ライオスもゆっくりと目を閉じた。
 結果的に、ライオスの方が先に眠りについたわけだが、ライオスはそのことを知る由もない。


--


 翌朝、……といっても早朝。あれから3、4時間が経った頃、カブルーはライオスの家の前にいた。
 躊躇いながらも呼び鈴を鳴らすと、ピンポーンと音が鳴る。5月のこの時間は既に周りは明るいものの、人気はほぼない。そんな中、カブルーは再度ボタンを押す。応答があるまでカチカチカチカチと連打していると、ガンッとドアに何か当たるような音がして、ライオスが起きてきたことを悟った。

 心臓がばくばくする。

 やがてがちゃんと鍵が開き、ゆっくりとドアは開いた。
「おはようございます」
…………
 髪はボサボサ、人相も最悪のライオスが裸足のまま玄関のドアを開けていた。
「おはようございます、って閉めないでくださいよ!」
 カブルーの顔を見るなり、ライオスは俯き、黙ってドアを閉めようとする。慌てて靴を挟み、それを阻止した。
…………帰ってくれ」
 ずき、と心臓が痛む。友人関係になる前にされた無意識の拒絶も辛かったが、きちんと認識された上でされる拒絶も辛い。だが、全ては自業自得だ。まず話を聞いてもらわないといけない。
「帰りません」
「帰ってくれ。迷惑だ」
「ごめんなさい」
……あぁ、俺の部屋に置いてある荷物を取りに来たのか。今すぐ渡すから待っててくれ」
「違います! 話がしたくて来ました。お願い、ドアを開けて」
「俺はしたくない。何時だと思ってるんだ」
……ごめんなさい。でも、あのままずっといるなんて耐えられなくて」
 カブルーは思っている通りのことを伝えた。なるべく、誠実に。ライオスが信じてくれることを祈りながら。
 ライオスはしばらくして顔を上げたが、カブルーの顔を見て少し驚いたようだった。
「きみ、寝てないだろう。ひどい顔だ」
「眠れなくて」
…………チェーン外すから、一旦靴を退けてくれないか」
「わかりました。そのまま俺のこと締め出したらめちゃくちゃ騒ぎますんで」
「脅迫じゃないか……
 呆れたような目を向けられる。素直に靴を退けると、一度扉が閉まった。

 待つこと30秒。チェーンを開けるだけにしてはいやに長い時間だが、ライオスも開けるべきか否か迷っていたのだろうということにする。そろそろとドアが開き、カブルーは室内に通された。
「まだミスルンが寝てるから、なるべく静かにしてくれ」
「もちろんです」
 チリッと心臓に痛みが走り、嫉妬心が芽生えたのがわかる。リビングではミスルンが普段カブルーが使っている簡易マットレスで眠っていた。彼にしては珍しく、よく寝ているように見える。
 俺のマットレスなのに、という思いが湧くが、気持ちはよくわかった。だって、この部屋はすごく居心地が良いのだ。ずっと居たいと感じるくらい。
「話って?」
「あの……あなたに謝りたくて」
「謝られることなんて無いよ。ひどいことを言ったのは俺だ」
「でも、悪いのは俺です。嘘ついて、すみませんでした」
 カブルーはそう言うと鞄からシンプルな包装紙と麻紐でラッピングされた本を取り出した。ライオスの顔色がさっと変わる。
「あれから急いで会場に戻って探してきました。危うく配送に出される寸前で……止められて良かったです」
……そうか、届けてくれてありがとう」
 ライオスは硬い声でそう言うと、カブルーの手から本を取り上げようとする。慌てて強く掴み直し、しっかりと胸に抱いた。
「ちょ、何するんですか」
「いらないから返しに来たんだろう」
「違います! 俺がもらったんだからこれは俺のものです。誰にも渡さない」
……きみにこの本は必要ないじゃないか」
「それは俺が決めることです。俺はあなたにもらったものなら、丸めたティッシュだって、レシートだって、ゴミだって、何だって嬉しいんです」
「この本はそういうものと同列だと?」
「言葉の綾です。あなたにもらったものなら何でも嬉しいっていう話です」
「どうして?」
 間髪入れずに尋ねられて一瞬言葉に詰まる。やはり彼にはちゃんと言わないと伝わらないのだろう。カブルーは一度軽く深呼吸をしてから言った。

「俺は、ライオスのことが好きだから」

 思ったよりもスッと言葉が出た。声が多少みっともなく震えはしたものの、まぁ仕方ないだろう。
 本当は、もっと仲良くなって、ライオスにとって自分がそばにいるのが当たり前になって、ライオスからも自分への好意があると確信した状態で言うつもりだった。こんな、相手に嫌われて、縁を切られかけているタイミングで言いたくはなかった。
 それでも、ライオスをこのまま失うくらいならば言うべきだと思ったのだ。言ってしまえば、相手に全てを委ねることができる。こちらからの好意は言葉にした。あとはライオスが受け止めてくれるか否かだ。そう思ってまっすぐライオスの方を見ると、ライオスは全く響いてなさそうな顔でこちらを見ている。

 ……まぁ、脈がないのはわかっていたつもりだし、そもそも信用されていないのだろう。カブルーは苦笑し、それから言葉を続けた。
「俺の話、聞いてもらえますか」
「うん……
「俺、最初は、ただの興味本位であなたに話し掛けました。あなたが学部生の頃、総代を務めたと聞いて、話してみたかったんです。そのときは普通に話して、顔見知りになったつもりだった。でも、次に話し掛けた時、あなたは俺のことをすっかり忘れていました」
「えっ……
「覚えてすらいないでしょう? その後俺、何度も話し掛けたんですよ。それなのにあんたは全然、つれなくて……こっちを見てくれない。毎回『初めまして』です。だんだん俺もムキになってきて、俺のことを覚えて欲しくて、それで、……ライオスが読んでいる本に興味があるふりをしました。ライオスに認識してもらえたのは、あの時が初めてでした」
 ライオスは気まずそうに視線を逸らす。きっと彼は本当にカブルーと初めて話した時のことを覚えていないのだろうが、人の顔を覚えるのが苦手だという自覚もあるはずだ。カブルーの言葉を全て嘘だと思っているわけではないだろう。
……それでも、あんな嘘をつくべきじゃなかったと、今では痛いほどわかります。でも、じゃあ俺はどうすれば嘘をつかずにあんたと友人になれたんでしょうか」
 ライオスはしばらく黙ってから言った。
……あの……なんというか、ごめん。確かに俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。……でも、嫌いなものを好きなふりまでしてわざわざ俺なんかと友人になる必要はないんじゃないか。きみには他にも友人が山程いるだろ」
「俺に友人が多いのと、あんたと友人になりたいっていう気持ちと、何か関係があるんですか?」
……失礼なやつだと捨て置けばいいだろ。何故そこまでして俺なんかと友人になりたかったのか、わからない」
 カブルーは思わず吹き出した。
「そんなの、俺だってわからないです。始めは多分、意地というか。単純に俺、人に好かれることが多いから、箸にも棒にもかからなかったのって初めてだったんですよね」
 でも……、とカブルーは続ける。
「ライオスが俺のことを認識してくれて、家に行ける仲になれて、すごく嬉しかった。……自覚があるのか知りませんが、あなたは、一度懐に入れた相手にすごく甘いんです。最初あんなに冷たかった人が、だんだんと良くしてくれるようになったのがとにかく嬉しくて。あなたの側にいると心地良くて。もっとライオスのことを知りたいって思うようになりました。これは全部、嘘じゃないです」
…………
「信じてください」
…………
「あなたが好きなんです」
…………
 全部本心だ。信じてほしいと思う。
 ……確かに、カブルーは嘘つきだ。物事を円滑にするため、相手のことを思って、様々な理由はあるものの、嘘をつくことに躊躇いはあまり無い。
 それでも、これまでライオスと話している時、ライオスが自分に専門分野について教えてくれている時、ずっと心のどこかで罪悪感があった。ライオスが向けてくる純粋な友情を受け取りながら、これは本来俺が受け取ってはいけないものかもしれないと思っていた。それをやっと言葉にすることが出来て、もはや清々しい気持ちだ。ライオスが自分のことを許してくれなくても、自分はきっとずっとライオスのことが好きなんだろう。

 ライオスはカブルーの渾身の告白を聞き、しばらく逡巡してから、おずおずと口を開いた。
…………ミスルンがさ」
「はい」
「俺のことを魅力的だって言ってくれたんだ」
「は?」

 ――は? なに? それ今する話か?
 まさかミスルンと付き合うことになったとか言わないだろうかと、思わず言葉に詰まる。
 未だスヤスヤと寝ているミスルンをちらりと見やり、またライオスに向き直った。どうリアクションを返せばいいのか、反応に困っていると、ライオスは話を続ける。

「なんだっけ……、物の捉え方が独創的で面白くて、あと生活を大事にしてるところが好ましいって言われた。えーと、あと体格が良くて顔も悪くない? とか。……俺は、自分のことを魅力的だと思ったことなんてなかったし、褒め過ぎだともわかってる。でも、ミスルンにそう言われてすごく嬉しかったんだ」
 ひくりと口元が動いた。ライオスの魅力なんて語り尽くせないほどある。自分の方がいくらでもライオスの好きなところを挙げることが出来る。今までもそうしてきたつもりだ。だってカブルーの方が、ライオスと過ごした時間が圧倒的に長いんだから。
……ミスルンさんに口説かれたんですか?」
「え、あ、違う。俺が、どこが魅力的なのか教えてくれって言ったんだ」
「あ?」
 今度こそ柄の悪い声が出た。
 そんなの、「口説いてください」と言っているのと同義だ。少なくともミスルンはそう解釈しただろう。
「だから、その……
「なんで……っ、俺の方が、いくらでも言えるのに! 俺があんたのどこが好きで、どこに魅力を感じているか、俺の方がずっと鮮明に、正確に説明出来る! ずっとそうしてきたつもりなのに、俺の言うことは信じられませんか!? 何で俺には聞いてもくれないんですか!?」
 カブルーは思わずそう言っていた。これまでも折に触れ、ライオスの魅力について語ってきたつもりだ。それも全て嘘だと思われているのだろうか。ミスルンには口説いてくれと言っておいて、カブルーの言った言葉は全く響いていなかったのか。
 つい責めるような口調になっていたことにはっとしたが、ライオスの反応はカブルーの思っていたものとは違っていた。
……
……あの、ライオス、」
……聞いたら、答えてくれるのか?」
 ぐっ、と喉から変な音が出た。ライオスは目尻を赤く染めながら、こちらを見つめている。初めて見る表情だった。
「ミスルンが、カブルーだって俺のどこかに魅力を感じてるはずだから聞いてみろって言ってた」
…………っ」
「よかったら、教えてほしい」
 カブルーはまた言葉に詰まる。本当に、あの人はカブルーの予想を超えたことばかりしてくる。
 ライオスにただちょっかいをかけたのかと思えば割と真剣にライオスを気に入っている素振りを見せ、容赦なくカブルーとの仲を引き裂こうとするものの、でもこうやって仲直りのきっかけまで与えてくれる。
 完全に遊ばれている。経験値が違う。俺の負けだ。そう思いながら、カブルーはゆっくりライオスの魅力について語りだした。

 ライオスのどこが好きなのか。考えたことは何度もある。ライオスの考え方が、在り方が、声が、顔が、身体が、性格が、匂いが、全てが好きだ。一緒にいるときの笑顔が好きだ。興味の対象は理解出来ないが、好きなものについて話している時の瞳孔の開いた目が好きだ。美味しいものをたくさん作ってくれる手が好きだ。食事をしているときの幸せそうな顔が好きだ。掃除のときの器用に動く指先が好きだ。穏やかなふりをして意外と頑固なところが好きだ。人にも自分にも興味は無いのに、一度懐に入った人間に対しては際限なく甘いところが好きだ。普段はあまり人の目を見ないくせに、酔っ払うとじっと目を見つめてくるところが好きだ。

 カブルーがつらつらと話続けていると、ライオスは顔を真っ赤にしてそれを止めた。
「ごめん、もういい」
「まだ序章も序章なんですが……
「嘘だろ……。きみは人の良いところを見つけるのが上手いんだなきっと……
「そうやって俺の長所にしないでくださいよ。あんたの魅力について離してるのに」
「魅力というか……なんというか……
「なんですか」
……すごく、口説かれてるみたいで……
「みたい、じゃないですけど。好きなんだから、そりゃ口説くでしょ」
「うん……そうだな……
 ライオスは僅かに言い淀むような仕草を見せた後で、静かに言った。
「さっきはひどいことを言ってすまなかった。その……、きみがすごく遠く感じて、遠ざけたくなってしまったんだ。カブルーの言葉が全部嘘だなんて、そんなわけないのに」
 ライオスにそう言われて、カブルーは先ほどのライオスの言葉を思い出す。この人は本当に自分に自信がないらしい。自分なんかに好意を抱く人がいるわけないと思い込んでいるから、近付いてくる人に対して心を閉ざしてしまうのだろう。
「ライオス……、良かった」
……俺は、カブルーと仲良くなれたと思っていたんだけど、きみが大勢の人に囲まれて、楽しそうにしているところを見て、なんというか……
「嫉妬してくれたんですか?」
「嫉妬……とはちょっと違う気がする。単純に俺とは住んでいる世界が違うんだなと思ったんだ。俺の知ってる誕生日会って言ったらもっと人も少ないし、家族とかごく親しい友人を集めて祝うものだったから、すごく驚いた」
 ……きみが誘ってくれて嬉しかったけど、会場についた時点で来るんじゃなかったと思った。どう見たって俺が来るところじゃないと。だからすぐ帰ろうとしたんだけど、ミスルンが挨拶くらいしろって言って引っ張っていってくれたんだ。
「でもきみは、すごく楽しそうにしていたのに俺が来た瞬間不機嫌になったろ? だからきみが誘ってくれたのは社交辞令で、真に受けた自分は愚かだったなと」
……いや、それは、……
 ライオスはそれからぽつぽつと過去にあった出来事について語った。昔、誘われて行った飲み会で「ホントに来た」と笑われたこと。合コンで隣の席の女性と話していたら(カブルーの推測だが、それが恐らく幹事の狙っていた相手だったらしく)帰って欲しいと言われたことなど。そんなことが数度あれば、元々他人への興味が薄いライオスが周りに諦観を抱くのも無理はないと思った。
 カブルーは自分が考えていた作戦が尽く裏目に出ていたことを悟る。先ほど、ミスルンが自分に言いたかったのはこれなんだろうと察しがついた。

 カブルーは、周りへの牽制や外堀を埋めることに必死で、肝心のライオスの気持ちを全く考えていなかったのだ。ライオスは苦手な場所にも関わらず、カブルーの誕生日を祝うために来てくれたのに、それに気付きもしなかった。ただ、子供っぽい独占欲をむき出しにして、相手が思い通りにならなかったことに怒っていた。なんて未熟なんだろうと恥ずかしくなる。

……俺はあの時、嫉妬したんです。あなたがミスルンと手を繋いでたから。俺だってまだあんたの手を握ったこともないのに! って。……ライオスが来てくれて嬉しかったのに、ミスルンにあんたを取られるんじゃないかって心配になったんです」
……そうだったのか」
「愚かだったのは俺の方だ。だって俺、少しでもライオスに自分のことを意識して欲しくて誘ったんです。俺は凄い、人気なんだよって知らせたくて。……でもそんなの、あんたにとっては何の価値もないことだったのに。あの誕生日パーティは、もちろん嬉しかったですよ。でもだんだん話が大きくなっていってしまって、もうあんなん誕生日を口実にしたイベントです。俺をダシにして集まった人たちで騒いで飲んでただけだ。俺が途中でいなくなっても成立してたでしょうね。あなたに理解出来ない人間関係かもしれませんが」
「えぇ……そんなのありなのか? 皆きみの誕生日を祝うために来たんだろ?」
「さぁ、どうでしょう」
……本当に理解出来ないな……
 心底不思議そうに言うライオスを見て、カブルーはふと思い立ちライオスの手を取った。両手でそっと握り、目を見つめる。
「あなたが、俺の誕生日を祝うために来てくれたことを、もっと喜ぶべきだった。俺、本当はごく親しい友人に祝ってもらえればそれで大満足できる人間なんです。……ね、来年の俺の誕生日は、2人っきりでお祝いしてくれませんか?」
「何でそんな話になるんだ」
「だって。俺の今年の誕生日は散々ですよ? 好きな人に縁切られそうになるし」
……
そう言うとライオスは少し申し訳なさそうな顔になる。なるほどこれは攻め込むのにめちゃくちゃ良い口実じゃないか、と考えたカブルーは手を握る力を強めた。
「俺、あなたに祝われたいです。他の、大勢の誰かじゃなくって、好きな人に。だめですか?」
ぽぽぽっと音が出そうなほど赤くなるラを見て胸がすく。あと少し押せば行ける、とカブルーがライオスにそろりと近付いた時だった。

「いい加減にしろ」
いつの間にか起きていたミスルンがカブルーの手を払い除けた。
「ミミミミスルン、おはよう、起きてたんだな!?」
「おはよう。こいつに会話のペースを握らせるな。お前は今洗脳されかけていた」
「えっ洗脳?」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。俺はただお願いしてるだけなのに。ね、ライオス?」
「相手の罪悪感を煽って言うことを聞かせる。悪質な手口だ。そもそもこいつを許す必要があるのか? 大して反省もしていないだろう」
「えぇ……
「ちょっと、本気で邪魔しないでもらえます? めちゃめちゃ反省してますけど? それに悪質なのはどっちですか。わざと俺の前でライオスといちゃついて見せたり、ライオスに俺の悪口吹き込んだりして俺たちの仲を引き裂こうとするなんて下品過ぎませんか?」
「悪口? 全て事実だろう」
「言い方ってもんがあるでしょう」
「言い方? あぁ、全て煙に巻いて肝心なことは何も言わず、謝罪に来た立場でいつの間にか被害者面する『言い方』か。上品で何よりだ」
「ライオスはそんなひねくれた受け止め方しません」
「ちょ、喧嘩は止めてくれ。きみたちの会話、何かすごく怖いぞ」
 困ったように成り行きを見守っていたライオスがあわあわと止めに入ってくる。だが、ミスルンもカブルーも止まらなかった。
「お前がそうやって無防備にしているせいで付け込まれるんだ。しっかりしろ」
「そうですよ、大して親しくもない相手を簡単に部屋に泊めないでください。っていうか、思い出して苛ついてきた。何でミスルンがその服着てるんですか!? これは俺のために買ってくれた服でしょう!? マットレスも布団も全部俺のために買ったやつですよね!?」
「見ろ。この太々しさを。簡単にこいつを許して良いのか? 反省したふりをすれば許されるとか学習したら同じことを繰り返すぞ。躾にならない」
「げっ、なんか矛先がこっちに向いてしまった……。えぇと、俺の服はサイズが合わなかったからカブルーの服を借りたけど……そもそもあれ俺が買ったやつじゃなかったっけ。あと、俺も色々勝手に決め付けてしまった部分があったから別に怒っていたわけじゃなくて……
あたふたと言い訳するライオスは正直可愛かった。ミスルンをちらりと見ると彼も同じことを思っているのか、口角が少し上がっている。
「とっ、とにかく、朝ごはんを食べよう! 何か作るから! 皆で食べよう!!」
誤魔化すようにそう言いキッチンに向かうライオスを見送りながら、笑みをたたえた顔でミスルンに向き合う。
「本当にライオスに手出してないですよね?」
「うん」
「まぁ……それならいいですけど……
「口説かされたから馬乗りになってキスしようとしたが顔を逸らされた」
「何してんすか!?!?」
「静かにしろ。まだ朝だ」
 カブルーはその様子を想像してしまい、かなり騒いだが、ミスルンはもう相手にしてくれなかった。

 ライオスの作った朝食はやはり彼の愛情が感じられて美味しかった。ぺろりと食べ終えると、一睡もしていないカブルーの瞼はどんどん重たくなってくる。それを見たライオスはベッドを使うよう言ってくれ、お言葉に甘えるかとカブルーは立ち上がりかけた。
「私は帰る」
「え、もう帰っちゃうのか」
「あぁ。今日は仕事だ」
「そうか……。またいつでも来てくれ。とても楽しかったし、論文を読み進められて助かったよ」
「またいつでも言え。すぐに来よう」
「ありがとう。……それに、カブルーとのことも、ありがとう。あなたがいてくれて本当に良かった」
……礼はこれでいい」
「え?」

あ。

カブルーは腰を浮かしかけた中途半端な姿勢のまま硬直する。ミスルンがライオスの口に唇を重ねていた。突然のことで反応できなかったらしいライオスは目を丸くして驚いている。
 ぺろりと唇が舐められ、一瞬の口付けは終わった。
「あーーーーーっ!?」
「静かにしろ」
「えっ、えっ!?」
口を押さえて赤くなるライオスを覗き込み、ミスルンは何事かを囁いた。さらに真っ赤になるライオスをよそに、ミスルンはそのまま立ち上がり颯爽と帰っていく。パタンとドアが閉まると、止まっていた時が動き出すようにライオスはカブルーの方を向いた。
…………ミスルン、スウェット着たままだったな」
「そこじゃねぇだろ!?」
思わず、今までライオスに使ったことのない乱暴な言葉で突っ込みをいれてしまった。


END