ねぶくろ
2024-12-12 18:51:29
12817文字
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籠の中では踊れない 本文サンプル

コミティア151にて頒布予定の創作BL小説「籠の中では踊れない」
本文サンプルです

 三人組男性アイドルグループ、『いろはアニマルズ』。
 結成から四年、メジャーデビューから半年のこのグループは、関東近郊を中心にライブを行う弱小アイドルグループだ。メンバーは全員同い年の二十一歳。アイドルとしては遅咲きだが、事務所が立ち上げたアイドル部門の一期生ということもあり、手厚いフォローを受けて活動をしている。
 リーダーはセンターを務める遊馬大樹 あすまだいき。赤く染めた髪の毛がトレードマークで、メンバーカラーも同じく赤色。王子様系の甘い顔立ちと、ライブ中に振りまかれるファンサービスにより、ファンからの人気は高い。歌唱力やダンスは月並みだが、同規模の男性アイドルの中では顔がいい部類に入るので、相対的に見て優秀な人材と言える。
 SNS運用の濃やかさや、惜しげなく愛嬌を振りまくことで誰よりも目立つことが彼の特長であり、実際、遊馬をきっかけに『いろはアニマルズ』を知るファンも多い。客寄せパンダとして、彼は非常に優秀な人材だった。――過去形なのは、その人気が今は地に落ちたものだからである。

『「いろはアニマルズ」リーダー ファン女性に暴行未遂』

 それまでほとんどメディアに取り上げられることのなかった『いろはアニマルズ』が、初めて特集を組まれたのは、そんな不名誉な醜聞 スキャンダルによってだった。
 弱小とはいえ、男性アイドルがファンの女性に性的暴行を働いたとなれば、週刊誌は黙っていない。
 出版各社はこぞって遊馬の事件を取り上げた。週刊誌の報道は、良くも悪くも移ろいやすい。そんな中、遊馬の事件が「よくあるアイドルの不祥事の一つ」で片付かなかったのは、被害女性を名乗る人物が次々と現れ、それぞれに異なる告発を行ったからだろう。それまであまり知られていなかったグループの名は、民放テレビがその事件を取り上げたことで爆発的に知名度を上げた。
 告発を行った被害女性はいずれも遊馬のファンであり、寄せられる証言は大なり小なり様々だった。
 『出待ちをしていたら「連絡先を交換しよう」と声をかけられた』だの、『ファンを公言していたらSNSのDMで誘われた』だのと、犯罪にあたらないような行為すらも数え上げればキリがない。
 ワイドショーでは、遊馬の行動をまとめたボードを見上げて、訳知り顔のコメンテーターが彼の軽率さを腐した。似たり寄ったりの番組を各社が放送し、遊馬大樹の名を聞かない日はないほどだ。
 遊馬は強制わいせつ未遂の疑いで警察に逮捕された。それまでの間にコメントなどは一切発信せず、逮捕後も容疑の否認を続けている。その態度が更にマスメディアを刺激して、遊馬についての報道は激化の一途をたどった。
 事務所は早い段階で声明を発表し、世間に迷惑をかけたことを詫びた。記者会見に先立って事務所がSNSに謝罪と遊馬の退所を伝える文章を投稿すると、今度は遊馬のファンたちから非難のコメントが殺到した。彼を客寄せパンダにしていたツケが回ってきたようなものである。批判の矛先は事務所へ向けられて、SNSを中心に大変なバッシングが巻き起こった。
 そうした世間の反応を受け、『いろはアニマルズ』は無期限の活動休止を余儀なくされた。

* * *

 カーテンを閉め切った室内に、テレビの光だけが明滅している。
 窓を叩く雨の音がノイズとなって、小さく絞ったテレビの音声は曖昧にふやけていた。輪郭のぼやけた議論に耳を貸し、床に寝転がった姿勢で画面に視線を放る。鷹田恒生 たかだこうせいはやることもなく、代り映えのない野次馬報道を眺めていた。
 五月中旬に始まった報道からひと月が経過し、梅雨を迎えた今でもなお、報道陣は遊馬の事件に固執している。更なる情報を求めてか、同じグループのメンバーである恒生の自宅マンションには、常に数十人の報道関係者が張り込んでいた。
 遊馬は節操がなく余罪も多いが、犯罪として立件できるような悪質なものは逮捕された一件だけだった。そのことがむしろ記者たちを燃え上がらせているらしく、彼らは何としても遊馬の失点を見つけようと躍起になっている向きがある。
 そして、そうした狙いを抱えた彼らにとっては、事務所の公式声明やファンの証言だけでは刺激が足りないのだろう。お茶の間に報じる話題として間が持たないという事情もあってか、記者たちはマンションに出入りする住民を捕まえては、遊馬や恒生についての意見を求めている。
 管理人が注意をしてもまるで悪びれた様子がなく、むしろ「報道の権利を侵害するのか」、「遊馬のことを擁護するのか」と強い調子で詰め寄ってくる始末だ。手に負えず、マンション内の掲示板には「決して取材陣を敷地内に入れないように」と注意喚起の張り紙がなされた。
 彼らはコメントをとるためならば手段を問わない。報道を盛り上げるためには、取材対象の反応が過激であればあるほど望ましいのだろう。報道陣による迷惑行為は後を絶たなかった。
 オートロックの玄関口に詰めかけて、片っ端から住民に聞き込みを行う。管理人に電話をかけて、合鍵を入手しようとする。郵便ポストに溢れるほどDMを詰め込む。昼夜を問わず、恒生の部屋にカメラを向ける。――おかげでカーテンを開けることができず、恒生はもう一週間も外の景色を目にしていない。
 プライバシーなど欠片も守られず、事務所に助けを求めれば「外出せず、耐えろ」という指示を与えられた。わざわざ事務所に言われずとも、『外出する』という選択肢は端から存在しない。レッスンはおろか食材を買いに出ることさえも出来ない状況に置かれ、恒生は空気の淀んだ室内で茫洋とした眼差しをテレビ画面に向けていた。
 ワイドショーでは、グループのデビューがクリスマスだったことが槍玉に挙げられていた。女性客を意識した日取りであるだの、性的な印象を抱くだの、何の根拠もない言いがかりが耳朶を打って、顔をしかめる。寝転んだ姿勢のまま腕を伸ばして、リモコンを手元に引き寄せた。
 テレビの電源を落として、恒生は深く息を吐きだした。連日の寝不足のせいか、鈍い頭痛がしている。瞼を閉じて、体を休ませようと呼吸だけに意識を向けた。ストレスの影響で、もう何日もまともに睡眠がとれていない。浅く短い眠りを断続的に繰り返し、明け方にとろとろと眠りかけても悪夢にうなされてすぐに飛び起きる。食欲も失せ、報道が始まってひと月で体重が五キロほど減った。
 変わってしまった自分の姿をアイドルとしてのプライドが許せず、鏡を見るのが憂鬱になった。それでも、現状から目を背けることは敗北のようで気に食わない。これ以上体重を落とさないように、無理やり味のしない食事を飲み込み、室内でできるストレッチをして筋力を維持する。
 現状に抗うようにできることは尽くしているが、一日中部屋に閉じ込められて外界と遮断されることのストレスには底がなかった。行動を極端に制限され、カーテンを開けることさえできない状況は耐え難い。
 周辺の住民もマスコミ関係者にはほとほと参っていて、恒生に同情的な態度を示しているが、それもいつまで続くかわからないのが実情だ。言わないだけで、恒生さえ退居すれば、と思っている住民は少なくないだろう。そのこともまたストレス源となり、寄る辺ない心細さに膝を屈しそうになる。
 軽いため息をついて、二酸化炭素濃度の高い一室で息をひそめる。どれだけ煩悶としていても、事件の当事者でない恒生に状況は動かせない。遊馬は依然として黙秘を続けている。ただ黙って耐えるしかできない状況にため息をつき、恒生はフローリングに転がったまま浅い眠りに引き寄せられた。

 体の痛みと共に目を覚ます。時計を見上げれば、時刻は夕暮れを指していた。雨はまだ降り続いているらしい。窓を叩く軽い音を聞きながら、緩慢に思考を回す。
 昼食を抜いてしまった。これ以上体重が減ってしまうと、今後の活動に差し障る。体型維持は芸能人の職務の一つだ。摂取カロリーを調節するために、夕飯は少し重たいもの食べるべきだろうか。しかし、記憶が確かなら、この家にはもうほとんど食料の備蓄がない。
 軽く顔をしかめて、いつもより強い重力に抗って身を起こした。キッチンの冷蔵庫を開けてみても、予想の通り中身は空っぽだ。テーブルの上に放り出してあるスマートフォンに視線を向ける。もう一週間以上は電源を切っているその端末を見つめ、恒生は頭を掻いた。
 報道が始まった直後から、恒生のスマートフォンへの着信は激増した。
 報道を知った家族が心配の電話をかけて来たり、付き合いの長い地元の友人が慰めのメッセージを送ってくれたり、と初めは心温まる連絡が多かった。しかし、遊馬の余罪が追及されるようになり、グループメンバーとして恒生の名前がテレビに登場してから状況は一変した。
「お前もグルだろ?」――はじめにそんな電話をかけてきたのが誰だったのかは、覚えていない。
 その連絡が堰を切ったのか、恒生のスマートフォンは昼夜を問わず耳が壊れるほどの通知音を鳴らし続けるようになった。
 どこで番号を知ったのか、恒生が顔も名前も覚えていないような同級生からの着信が絶えなくなり、チャットアプリは通知に埋もれ、誰も彼もが似たり寄ったりの野次馬根性でメッセージを送ってくる。
 親切ごかして恒生の懐に入ろうとする者がいるかと思えば、正反対に、謂われない暴言を吐くことでこちらを怒らせ、反応を引き出そうとする者もいる。どこかに個人情報が掲載されてしまったのか、どれだけの番号を着信拒否しても電話は鳴り止まなかった。常に通知が増え続けるのでろくな操作も出来ない。仕方がないので、親族やマネージャーなどの一部にのみ電話が取れないことを説明し、電源を切ることで対処した。
 沈黙を守る端末を手に取り、逡巡しながら電源ボタンを撫でる。
 食料を確保するためには外部に連絡を取るしかない。しかし、出前にしろ何にしろ、素性の知れない相手に連絡を取るのは避けたかった。端末の電源を入れないまま、眉根を寄せて考える。
 最も信頼できるのは両親だが、彼らは遠方に住んでいるので頼れない。付き合いの長い友人も、ほとんどが地元に残っている。都内に呼び立てるのは現実的ではない。
 次いでマネージャーに連絡することを考え、首をひねる。彼はあくまで仕事で恒生と関わっているのであり、個人的な困りごとを解決させるのは気が引けた。
 個人的な付き合いがあり、都内に住んでいる、現在の恒生が頼れる相手。
 考えても、そんな都合のいい人間は存在しない。しばらく考え、ふと気がついてノートパソコンを引っ張り出した。検索バーに大手スーパーマーケットの名前を入れて、キーを叩く。恒生は、すぐに表示された公式ホームページのリンクをクリックした。画面の上部に並んだ項目の内、『ネットショップ』と題されたひとつを選択する。ネットスーパーのページを開いて、恒生は買い物のためにアカウントを取得した。
 実店舗と遜色ない品揃えの画面を眺めながら、当座の食料をカゴに放り込んでいく。肉や野菜などの生鮮食品、娯楽のない生活に彩りを添えるためのアイスや飲料、他にも、あれば便利に使える卵や乳製品など。献立を頭に浮かべつつ、買い物を終了して支払い画面に移行する。
 カード情報の入力を求められて、一瞬手元が怯えに鈍る。よぎったのは、どこかから漏れた電話番号だ。嫌な記憶が次々と思考を阻害し、呼吸が知らず、浅くなる。この個人情報は守られるだろうか。ここにプライバシーはあるのだろうか。迷い、躊躇い、それでも息を吐いてキーを叩いた。
 大手スーパーマーケットが個人情報を漏らしたら、それは大きな問題だ。――それこそ、遊馬のスキャンダルが霞むほど。
 そんなことは起きない。ここに悪意は発生しない。ネットスーパーの履歴を辿ってまで恒生を害そうとする者はいないし、画面の向こうのシステムは粛々と為すべきことを実行するだけだ。
 大丈夫、と自分自身に言い聞かせながら入力内容を確認して、支払い確定のボタンをクリックした。ローディングの間をおいて、決済が完了する。お届け日時は数時間後だ。恒生はふぅと息を吐き出して、脱力した。やけに凝った肩を回して、宅配を待つ。
 チャイムが鳴り響いたのはそれから二時間後のことだった。
 インターフォンの画面には、配達会社の制服に身を包んだ若い男性が映っていた。手には大きな段ボール箱を抱えており、彼が伝票を片手に『鷹田さまでお間違えないですか?』と声を発した。首肯して、緊張しながら言葉を絞り出す。
「そこに置いといてもらえますか? 今ちょっと手が離せなくて」
『かしこまりました。ではこちら、冷凍食品も含まれておりますのでお早めにご開封ください』
 男性はそれだけ言うと、画面外に屈みこんで段ボール箱を置いた。会釈を残して次の配達場所へと向かっていく。小さな画面で起きたその出来事を眺めて、恒生は深く息を吐きだした。変装用のメガネをかけ、ドアスコープを覗いて周囲を確認してから、そっとドアを開く。
 誰にも気付かれないようにと急いで部屋の中に荷物を引っ張り込み、何事も起こらなかった事実に安堵して強張っていた体を弛緩させる。どきどきと動悸の続く心臓を落ち着けるために深い呼吸を心掛け、配達員に言われた通り、冷凍食品をしまうためにそれを冷蔵庫の近くまで持っていく。
 かくして、恒生の食料問題は呆気ないほど簡単に解決へと至った。

* * *

『そろそろ誕生日だよね』
 メンバーのひとりである永熊弘 ながくまひろからそんなメールが届いたのは、六月も下旬に差し掛かったある日のことだった。
 メディアは、人気女優が第一子の妊娠を明かしたことで盛り上がっていた。しぶとく粘り続ける梅雨前線の陰鬱さを打ち砕くほどのインパクトはないものの、その吉報でわずかながら遊馬への過剰報道が陰りを見せている。このままなんとなくフェードアウトしないかと望む恒生の気持ちを見透かしたように、今日も今日とてマンションの入り口には十数名の報道陣が張り込んでいた。
 恒生は画面をスクロールして、メール本文の続きを追った。
『みやびが、もしよければお祝いさせてほしいって。どうする?』
 その文章に、目を瞬く。無言の室内に、窓を叩く軽い雨音が跳ね返った。
 みやびというのは、永熊の幼馴染の男性だ。フルネームは白狼 はくろうみやび。恒生たちよりも五つ年上の二十六歳。詳しいことは知らないが、『いろはアニマルズ』のことをデビュー当初から応援してくれている、貴重な男性ファンである。
 ライブ後に差し入れをくれたり、折々にお祝いの花を送ってくれたりと、こまめに気を配ってくれているので、永熊以外の関係者とも交流がある。一言で言えば社交的な人物で、恒生自身も何度か顔を合わせたことがある。連絡先こそ交換していないものの知り合いよりは少し距離の近い相手だ。
 ココアのような色合いのウルフカットが特徴的で、温厚そうな垂れ目と、いつもゆるく笑っている表情が印象に残っている。祝ってもらえるのは嬉しい、と考えつつ、恒生は一旦返事を保留して、当初の目的であったネットスーパーのページを開いた。
 最初の利用から一週間。恒生は数日に一度の頻度でネットショッピングを利用していた。
 配達員は若い男性が中心で、グループのファン層から外れているからか、今のところ恒生の素性に気付いた者はいない。ネットスーパーを利用していることが外の報道陣に気取られた様子もないので、安心して利用を続けることができている。栄養バランスの整った食事を安定して摂れるようになったことで、落ち込んだ体重は回復に向かっていた。
 今日の主菜を見繕おうとサイトを見れば、画面の中央にお知らせのポップアップが表示された。見れば、色とりどりの食材や新商品のパッケージを背景に、『システムメンテナンスのお知らせ』という文字が素っ気なく横たわっている。
 表示された文字を目で追いかければ、どうやら七月上旬――ちょうど恒生の誕生日にかかる日程で、大規模なシステムメンテナンスを行うらしい。お知らせを前に、恒生は眉根を寄せてキッチンを振り返った。そこに鎮座する冷蔵庫は単身用の小ぶりなもので、到底一週間分の食材を詰め込めるとは思えない。
 ご迷惑おかけします、と丁寧に結ばれた文章を読み終えて、恒生はお知らせ画面を閉じた。いつも通りに商品をカゴに放り込み、決済を完了する。
 見慣れてしまった画面を見つめて、恒生は軽く息を吐きだした。もう一度メールボックスを開いて、永熊からのメールに目を滑らせる。思い浮かべたみやびの顔は、自己採点で再現率七十パーセントといったところか、ぼんやりとふやけた印象を思い返して頭を悩ませる。
 しばらくPCの縁を指で叩いて思考を巡らせ、恒生はマネージャーにメールを送った。

『相手が男性なのであれば、二人で会うことを止めはしない』というのが、マネージャーからの返答だった。成人済みのタレントがどのような交友関係を築こうとも、事務所にそれを止める権利はない。報道が鎮火しつつある今の状況で異性と二人きりになるのは避けるべきだが、相手が同性ならば穿って見られることもないので、止める理由もないのだろう。恒生の好きにしていいとのお墨付きを得て、恒生は永熊に返信をした。
『お疲れ様。誕生日を祝ってもらえるのはすごく嬉しい。報道陣が張りついていてポストを確認できないので、何か送るなら宅配でお願いしたいです。それか、もし可能なら、みやびさん自身が俺の家まで来れないか聞いてくれない?』
 数時間後に永熊から、みやびが恒生の家に向かうことを快諾した旨と共に、みやびのメールアドレスが送られてきた。あとは勝手にやり取りしろ、ということだろう。恒生は呼びつけてしまう非礼を詫びつつ、俗に言うメディアスクラムによって家の外に出られないこと、代金を払うので買い物の代行を頼みたいことを書き綴った。
 メールを送信して、伸びをする。座り続けていたせいで腰がゴリゴリと変な音を立てた。肩もパキ、と何かが割れるような不穏な音を鳴らす。少し運動をするか、と席を立ってストレッチを開始する。雨足が強まったのか、カーテンに隔てられた外の世界からは何かを叩くような硬質な音が響いていた。
 こんな天気の中でも報道陣はめげずに張り付いているのだろうか。暗澹たる気持ちを振り払うように腕を伸ばし、首を回して、体をほぐしていく。
 みやびからの反応は、一時間足らずで返ってきた。
『こんにちは。白狼みやびと申します。買い物の件、了解しました。もしよろしければ、ケーキを差し入れしたいので、こちらのサイト内から希望のものを選んでいただけますか?』
 丁寧なその文面に微かな笑みを浮かべて、表示されたケーキ屋のリンクをクリックする。並んだ煌びやかなケーキを眺めて、恒生は、こうして普通に誰かとやりとりするのは一体いつぶりだろうかと感慨にふけった。
 あまり甘いものは好きではないので、あっさりしていそうなチーズケーキを選んで返信をする。心穏やかになりながら、恒生は薄く笑みを浮かべてカーテンへと視線を向けた。賑やかな雨の音に耳を傾け、肩の力を抜く。
 楽しみな予定が入るのは数ヶ月ぶりだ。心が弾むのを自覚しながら、恒生は目を瞑った。

* * *

 マンションに到着したみやびのために、一階のオートロックを解除してから数分。チャイムの音が鳴り響いて、恒生は顔を上げた。
 実に数週間ぶりに掃除機をかけ、うっすらと窓を開いた部屋には、久方ぶりの清々しさが満ちていた。吹き込む湿った梅雨寒の風が頬を撫で、生きている実感を伝える。まさか玄関先で追い返すわけにもいかないので、恒生は数日をかけて、長く籠城して散らかった室内を掃除していた。最後の仕上げにかけていた掃除機の電源をオフにして、壁に立てかけつつ玄関に向かう。
 恒生は無警戒に玄関ドアを押し開けた。「いらっしゃい」と、歓迎するつもりで用意していた言葉を発するより先、強い力でドアを引っ張られる。体を引き摺られ、廊下に倒れ込みそうになりながらもなんとか足を踏ん張った。何事かと顔を上げれば、――見知らぬ髭面の中年男性と目が合った。
 誰だ。何だ。何が起きた。
 混乱して硬直している隙に、相手が小型の機械を恒生に突きつけてきた。思わず身を引く、と同時に髭面が喋り始める。
「鷹田恒生さんですね? グループメンバーの遊馬大樹さんについてお伺いしたいのですが、」
 その言葉でようやく相手が記者の類であると察したが、既に手遅れだ。ドアは完全に開かれ、長期間家に閉じこもって鈍ってしまった恒生一人の筋力では彼を締め出せない。
 取材には応じるな。
 深く楔のように打ち込まれたマネージャーの言葉を思い出して、唇を閉ざした。一言も発してはならない。それは、恒生だけでなく、ファンや事務所や永熊や、これまで恒生を支えてくれたすべての人を守るために出来る、唯一の自衛だ。
 無言でドアを閉めようと足掻けば、彼は顔をしかめ、「だんまりですか? あなたも何か後ろめたいことがあるんでしょうか?」と丁寧さを装った口調で言い募った。至近距離に迫った口の臭いが鼻を衝いて眉根を寄せる。不快を飲み込み、恒生は会釈しながらなおも扉を閉ざそうと奮闘した。
 恐怖が頭のなかを駆けまわり、力が抜けそうになる。膝が笑うのを何とか堪えて、綱引きのようにドアを引っ張った。男性はなおも恒生を詰問し、家の中にまで上がり込まん勢いだ。あまりの恐怖に涙が滲む。どうしよう。誰か。霞んだ思考がそんなことを考えた、その時だった。
「トラブルですか?」
 揉みあっていた二人のすぐそばで声がした。
 弾かれたようにそちらを見れば、買い物袋を提げた背の高い男性がそこに立っている。温厚そうな顔立ちを警戒に曇らせて、彼は恒生と記者とを見比べると、静かに髭面の記者を見下ろした。穏やかな表情を浮かべながらも、有無を言わさぬ迫力で記者に問いかける。
「不法侵入ですよね?」
 言いつつ、返答も待たずにスマートフォンを取り出した。タップを三回。それの意味するところを考えるより先に、コール音が響き始める。記者は呆然とした顔で男性を見上げていたが、端末から『事件ですか? 事故ですか?』と聞こえてきたと同時に、泡を食ってエレベーターホールへ向けて駆け出した。男性が足を引っかけてそれを阻む。
 男性は、警察に不法侵入の通報を終えると、廊下に転がった記者を見下ろした。髭面の記者は果敢にも男を睨みつけ、「私はただ取材をしていただけだ!」と、聞いてもいないことを喚き始めた。その言葉に、男性が訝しむように眉根を寄せる。彼は、庇うように恒生と記者の間に立った。
 威厳を保つためにか、肩にかけたエコバッグをさり気なく恒生へ渡して、口を開く。
「マンションの敷地内へ不法侵入したことに変わりはないですよね? 警察はすぐに到着するそうなので、後ろ暗いことがないのなら、それまでここに留まっていただけますか?」
 圧力のある言葉に、記者が俯き加減に歯噛みする。
 十数分後に駆けつけてきた警官によって、記者は厳重注意を受け、マンションの敷地外へ放り出された。どうやら、彼は遊馬の事件を最初に報じた功労者だったらしい。進展がないまま報道が下火になりつつあることで焦燥感が爆発し、恒生の自宅まで乗り込んできたという。オートロックのエントランスに張り込み、住民が開錠した隙を衝いて押しかけて来たというのだから恐ろしいほどの執念だ。
 彼らが掲げる報道の自由も警察の前には『迷惑行為』の一言でやっつけられ、マンション前に張っていた報道陣も解散するよう注意を受けることとなった。
 警察が去った後の廊下に取り残されて、恒生は、折よく助けに来てくれた男性、――白狼みやびを見上げた。半ば呆然としたまま、彼に向けて頭を下げる。ありがとうございました、とお礼を述べれば、彼は恐縮したように両の手を振って「いえいえとんでもない」と苦笑した。
「記者の人には『不法侵入ですよね』とか言ったけど、僕も住民じゃないから偉そうなこと言えないし……。鷹田くん、怪我してない? もしあれだったら、出直そうか?」
 そんなことを問いかけられて、自分でも止める暇なく涙がこぼれた。驚いて目元を押さえるが、雫があとからあとから溢れ出して止まらない。恒生は嗚咽を堪えながら頭を振った。
 みやびは、玄関先で辛抱強く恒生が泣き止むのを待っていた。時折周囲を警戒し、誰も来ないことを確かめる。そんな気遣いに、声が零れないようにと息を詰めた。スン、と鼻を啜って最後の一滴を拭い去る。恒生は、俯き加減にみやびを自宅へと招き入れた。
 掃除機は壁に立てかけられたまま、窓がうっすらと開いてすっかり外気温と同じ冷気に満ちた部屋に入る。紅茶を淹れて、恒生はテーブルをはさんでみやびと相対した。改めて、「助かりました。ありがとうございました」と礼を述べれば、みやびはわずかに眉を下げて「気にしないで」と口を開いた。
「鷹田くんは何も悪くないし、それに折角の誕生日なんだから。悪いことは忘れちゃおう」
 労わるような言葉に頷き、代理で購入してもらった食材の精算をする。雑務を終えて、今度はみやびが居住まいを正した。机上にケーキボックスを乗せ、それをこちらへと差し出して来る。
「お誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
 折角なので食べましょうか、と恒生が皿を取りに立てば、みやびはそれを押しとどめた。主賓を座らせておきたいみやびと、客人をもてなしたい恒生とで攻防が発生し、折衷案として二人で手分けして皿やフォークを用意する。
 要望通り、恒生のケーキは甘さ控えめのチーズケーキだった。みやびは季節のフルーツタルトで、桃をメインにカラフルなカットフルーツが盛り付けられている。
……ケーキ、お好きなんですか?」
 見るからに甘ったるそうなそれを見つめて尋ねれば、みやびはわずかに照れたような顔で頷いた。
「甘いものが好きなんだ。お店で頼むのはちょっと勇気がいるけど、ケーキ屋さんなら贈り物だと思ってもらえるから、せっかくだしと思って」
 言いつつ、彼がフォークを手に取る。
 恒生がチーズケーキの先を小さく切り分けて口に運べば、みやびが窺うように口を開いた。
「鷹田くん、もしかして甘いの苦手だった?」
「え、……まぁ、はい。そんなに得意ではないっすね」
 そんなに態度に出ていただろうかとどきまぎしながら首肯すれば、みやびは肩を落とした。
「そっか……、僕の悪い癖なんだよね。自分が好きなものはみんな好きだと思っちゃう」
「いやでも誕生日にケーキって当然の発想だし、嬉しかったっすよ」
 思わず執り成せば、彼は苦く笑って「ちなみに、美味しい?」と小首をかしげた。美味しいです、と頷きを返せば安堵したように彼が表情を緩める。恒生は、紅茶で喉を湿してボールを返した。
「みやびさんは、砂糖とかの甘さよりフルーツが好きなんですか?」
 何の気なしの問いかけに、彼がわずかに視線を逸らした。気恥ずかしそうに髪の毛の先をいじって、言葉を押し出す。
「甘いものは全般的に好きだよ。果物は見た目も華やかで、綺麗だから特に好き」
 その返答に、「あぁ」と相槌とも感嘆ともつかない曖昧な声が零れる。
「見た目も結構気にするタイプなんですね。……良いですね、なんかオシャレで」
 恒生が素直な所感を述べれば、彼が申し訳なさそうに「ありがとう」と苦笑した。どうやらあまり触れてほしくない話題らしい。深追いはせず、あっさりとしたチーズケーキを口元に運ぶ。話題を探し求めていれば、今度はみやびの方から口を開いた。
「そう言えば、鷹田くんがこの前配信でおすすめしてたゲーム、入れてみたんだけど全然先に進めないんだよね。コツとかあるの?」
 問われて目を瞬く。配信というのは、『いろはアニマルズ』が休止前に行っていた活動のひとつだ。最後の配信は遊馬のスキャンダルが報道される一週間ほど前に行ったので、二ヶ月は前のことになる。
「え、……おすすめしたやつってあのパズルのやつっすか?」
 二ヶ月前の記憶をたどって問いを返せば、みやびは頷きながら嘆くように息を吐いた。
「そうそれ。今、三面で詰まってるんだよね」
 三面、と言われたステージを記憶の中から掘り起こし、思わず目を剥く。
「いやめちゃめちゃ序盤じゃないっすか⁉ 二ヶ月で三面って……、どんだけ詰まってるんですか?」
「仕方ないじゃん! ゲームなんてほとんどやらないんだからさぁ……
 項垂れたみやびにお手本を見せようと、自身のスマートフォンに手を伸ばす。恒生は電源の落とされたそれを見つめて、ままよと端末を起動した。ロックを解除すれば、不在着信の通知が山ほど並ぶ。苦い顔でそれらの通知を削除して、――数秒。
 沈黙を貫く小さな機械を見下ろして、恒生はほっと息を吐いた。どうやら、野次馬たちの興味は他へと向いたらしい。長らく遊んでいないゲームのアプリを開いて、ローディング中に言葉を重ねる。
「そもそもこのゲームって時間つぶし用なんで、一面が短くてお手軽ってのが魅力なんですよ」
 タイトル画面をタップして、ステージ選択画面を序盤の方まで遡る。恒生は液晶から視線を持ち上げ、相対するみやびに向けて問いかけた。
……みやびさん、どんだけゲーム下手なんですか?」
「下手って言わないでよ! 僕だって一生懸命やってるんだから!」
 噛み付く彼を軽くいなして、三面を選択する。恒生がクリアしたのは随分前のことで、内容はおぼろげだ。ルール説明に目を通して、「あぁこれか」と解き方を思い出す。ゲームを開始しながら、恒生は意地悪い笑みを浮かべてみやびを見遣った。
「じゃあお手本やるんで、よく見ててくださいね?」

 みやびが腕時計に視線を落としたのに気づいて、恒生は「そろそろお開きにしましょうか」と声をかけた。そこまで話し込んだわけではないが、記者とのひと悶着があったせいでだいぶ時間が経っている。帰るにはいい時間だ。
 立ち上がったみやびを自宅の玄関まで見送り、改めて礼を述べる。
「今日はご足労頂きありがとうございました。……本当に、色々助かりました」
「いいよ、気にしないで。こちらこそ、お祝いさせてくれてありがとう」
 穏やかに微笑んだ彼が扉を押し開けようと背を向ける。その背中を見送ろうとして、じわりと名残惜しさが胸を焦がした。最後にこちらを振り向いて、手を振る彼に「あの、」と声をかける。
 恒生は、勢い任せにその言葉を口にした。

* * *

 新しく登録したばかりの連絡先を開いて、まだ何もないチャット画面に『よろしく』と狼がお辞儀しているスタンプを送る。みやびはエレベーターが一階に到着するとともに、操作していたスマートフォンから視線を上げた。
 傘を差してエントランスから一歩を踏み出せば、やってきた時にたむろしていた報道陣は一人残らず消えていた。そのことに安堵して、手の中で震えたスマートフォンに目を落とす。
 恒生からは、『よろしくおねがいします』と礼儀正しいメッセージが届いていた。