kaede
2024-12-12 13:23:50
2877文字
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一彩くんに突然「僕はおいしそうではないのかな」と言われるニキのはなし

ニキひい
⚠️付き合ってるので下の名前で呼ぶことがあります

「椎名さん。遠回しに言ってうまく伝えられる気はしないから、率直に言うね」

 突然、弟さんがそんなことを、本当に何の前置きもなしに言うので、僕はうっかり、あと二口で食べようとしていた菓子パンを一気に食べてしまった。味わって食べるつもりだったのに。まあ、たくさん頬張った方がおいしさもたくさんになるからいいけども。

……ええと、はい。なんす」
「僕はおいしそうではないのかな」
…………はい?」

 僕が返事を言い終わらないうちに弟さんが食い気味に言うから、聞く体勢を取る準備もできなくて、僕の意識は宙ぶらりんだ。
 ええと……とりあえず、どこにどう着地したらいいんすかね。
 おいしそう、という言葉の意味は、わかる。僕の大好きな言葉の一つだ。あとはお腹いっぱいとか満腹とかも好きだ。逆に嫌いなのはお腹が空いたとか空腹とか食料がないとか……
「僕はおいしそうではないのかな」
 話が脱線したっす。
 僕が返事をしなかったからだろう。弟さんが催促するように繰り返して、僕にぴったり身体をくっつける。さっきまでも、それなりに近くに座っていたけれど……何せ僕たちは恋人同士なんで……でも、ここまで近くはなかった。こんなの俗に言う、イチャイチャしている、ってやつだ。嬉しいけども。弟さんの焼きたてのパンみたいにほかほか温かいところも、芳ばしさの奥に甘さも感じる小麦みたいな匂いも、僕は大好きだから。
……すんません。言ってることがよくわからなくて」
 嘘をついたって何もいいことはない。僕の馬鹿な頭では話を合わせられなくてボロが出るのが関の山なのだから。
 わからない、と正直に伝えると、弟さんは申し訳なさそうな顔をした。僕が理解できていないことについて、がっかりしたのでなくてよかった。
「説明不足だったね」
「そっすね」
「ええと……その」
 弟さんが僕に触れる面積が、大きくなる。僕にもたれかかるような格好になったから。それは、これから言うことを笑わないでほしいとか、怒らないでほしい、呆れないでほしい、という僕への要求と、そういう感情によって受けるストレスから自分を守るための防衛本能みたいなもので、つまり、僕に甘えている、ということだ。と、思う。そう思っておく。その方が嬉しいし。
「はい」
 話すのはいつでも、君の気持ちがうまくまとまってからでいいですよ。
 そんな気持ちで、軽く相槌を打つだけにとどめておくと、弟さんは少し、安心してくれたらしい。僕にかかっていた圧が半分くらいに減った。
 ずっとくっついてくれててもいいんすけどね……
……椎名さんはマヨイ先輩のことを、おいしそう、とか、かじらせて、とか、言うよね。今日も、レッスン室の前ですれ違った時に、……言ってたし」
 あー、なるほど。
 確かに、あの時はお昼前までみっちりレッスンしていて食料も底をついてしまって(主に、勝手に食べてしまった燐音くんのせいだけれど)、目の前がぼうっとしているところにマヨちゃんのいい匂いが漂ってきて、思わず駆け寄って……こはくちゃんの言葉を借りるなら、襲いかかってしまった。だって、理由はわからないですけど、すごくおいしそうな匂いがするんですもん。
 弟さんが何を言いたいのか、早々に察しがついてしまったけれど、話の腰を折るのも失礼ですし。ここは黙って続きを聞きましょう。
 いや、決して彼の口から聞きたいとか、そんなことは考えてないっすよ。
「でも、僕には言わないから……僕は、おいしそうではないのかな、って」
 なはは……
 ここで口元を緩めるのは、真面目に悩んでいるらしい弟さんに失礼だ。という情緒くらいはあったので。頑張って耐えた。
 いやまあ、彼を抱きしめて、彼の視界に入らないところでニヤニヤしてしまったので、全然耐えられてないっすけど。
 だって仕方ないじゃないすか。
 かわいい恋人がかわいいやきもちを焼いてくれてるんすよ。これが嬉しくない彼氏なんているわけないっす。
「マヨちゃんのあの匂いには本能的に抗えない何かがあるんすよ」
「うむ……
 うーん、納得しようとしてくれてるけど、納得できてない。そういう返事っすね、今のは。
「一彩くんにはそういう、本能に訴える匂いがないってだけで、でも、僕は君の匂いが大好きっすよ」
…………
「えーっと……
 何て言えば納得してくれるんすかね……
 本当に、今すぐにでも食べたくなるくらいに君はいい匂いなのに。
 ていうか、僕が本当に食べたのは君だけだし、食べさせてくれたのも君だけなのに。
 ……ああ、それをちゃんと伝えればいいのか。
……マヨちゃんはちっともかじらせてくれませんけど」
 まあ、当然と言えば当然なんですけど。
「でも、一彩くんは、食べていい、って言ってくれましたし、僕が食べたのも、一彩くんだけっすよ」
 もぞり、と腕の中のパン……いやいや、一彩くんが身じろぐ。抱きしめる腕を少し緩めると彼が顔を上げて、僕をじっと見つめながらこくりと首を傾げた。
「僕はいつの間に食べられていたのかな……?」
 そこからっすか。
 もうわりと何度も説明したはずなんすけどね……
 でもそういう、いつまでも純粋なところが君のいいところで。

「最近だと一週間前っすかね。今日と同じで夜までは二人きりだったんで」

 とびっきりおいしいところなんですよね。
 
 ぽかん、と僕を見つめていた一彩くんの目が不意に、大きくなって丸くなって、さっと僕から逸れてしまう。

「あ、ええと、その、ウム。……理解した、よ」
「それはよかったっす」

 目の前で伏せられた顔を両手で挟んで上向かせて、珍しく動揺しているらしい彼のその唇に、味見よろしくキスをする。急にかじるのはお行儀が悪いですからね。
「気乗りしないなら遠慮しないで率直に、そう言ってくださいね」
 相手の意思を確認して同意を得るのも、おいしく食べるためのマナーだ。

「久しぶりに君を食べちゃってもいいっすか?」

 できれば君が、首を横に振りませんように。

 そんな僕の願いが届いた……いや、多分彼は最初から……いや、きっと届いたんすね。

……その、おいしくはないかもしれないけど」
「君はいつもすっごくおいしいっすよ」
「あ、そ、そうなんだね。よかったよ」
「それは、おいしくないから、って遠回しに断ってるんすかね」
「違うよ!」

 そう短く否定した一彩くんは、これが証拠です、とでも言うように僕の唇を甘噛みした。

……どうぞ、召し上がれ」

 彼流に言うなら、はしたなさで瞳をとろとろにとろけさせて。

 それがまるで、焼きたてのパンの上で溶けていくバターみたいで、あんまりにも僕の欲をそそるものだから、僕はついうっかり、いただきますの挨拶も忘れてかじり付いてしまった。



 お行儀が悪くてごめんなさい、一彩くん。
 でも、とびっきりとびっきりおいしかったっす。

 ごちそうさまでした♪