溶けかけ。
2024-12-11 21:43:39
2335文字
Public ほぼ日刊
 

Shall We Dance?

ダンスを踊るフリーナとヌヴィレットのお話。


「フリーナ殿。そろそろ時間だが準備は……
 ヌヴィレットの言葉が途切れる。冷静沈着な彼にしては珍しく、朝焼け色の瞳を目一杯大きく見開いて、スイートルームから出てきた自身のパートナーを凝視している。
「お待たせ。さあ、行こうか。……呆けた顔をしてどうかしたかい?」
 フリーナが小首を傾げる。
 どうした、と聞きたいのはこちらの方だ、とヌヴィレットは額を押さえた。
 今日はフォンテーヌでも指折りの貴族から招かれたパーティーの日。ヌヴィレットは勿論、水神であるフリーナも招待され、二人で参加することになっていた。これは、非常に珍しいことである。
 水神フリーナは招待状が届いても、家格や人柄など彼女の中にあるらしい一定の基準を満たしたものにしか参加しない。故に、彼女が参加することはフォンテーヌでは一種のステータスとなっている。
……ドレスではないのだな」
 ヌヴィレットの言葉にフリーナは自身の姿を検めてから、ああ、と納得したような顔をした。
「新しい試みでね。どうだい? 似合っているだろう?」
 くるり、とヌヴィレットの前で一回転して見せたフリーナはドレスの代わりにモーニングコートの裾を靡かせた。首元には蝶ネクタイの代わりにジャボが巻かれ、普段の正装に近いが色は濃紺から漆黒へ。ショートパンツはロングパンツになり、膝下まであるロングブーツの中へと収まっている。
「ああ。実に君らしい装いだ」
 主催者が頭を抱えそうだが、という言葉はなんとか飲み込んで、手を差し出せばフリーナの小さな手が重なった。
「さあ、行こう!」

「慌てないで、一人ずつ並んでおくれ! ……っと、大丈夫かい?」
 男性のような装いのフリーナは大人気で、彼女と踊ろうという淑女が列を為した。その中で、夢中になりすぎた者たちに弾き出されて転びそうになった少女をフリーナが支える。自身よりも背の高い少女を軽々と支え、立たせれば黄色い悲鳴が上がり、鼻を押さえて倒れる者すら出るほどだった。
「あ、ありがとうございます……
 少女は赤面しながら、フリーナから目を逸らす。
「フリーナ様! この子、ずっと貴女に憧れていたんです!」
 横から少女の友人が躍り出て、フリーナに告げる。あわあわとする少女にフリーナがにっこりと笑って手を差し伸べた。
「それは光栄だ。…………よかったら、一曲どうだい? 素敵なお嬢さん」
「は、はい……喜んで……!」
 フリーナは少女の返答に手の甲のキスで答えると、少女の手を取って、ダンスホールの真ん中へと歩み出る。曲は基本的なワルツ。ある程度慣れている者なら誰でも踊れる簡単なものだ。
(うーん……。簡単、なんだけど……こんなに緊張していると難しいなぁ……
 少女の力量は上の下、といったところだろう。本来の実力ならば余裕を持って踊れる筈なのだが……

「ヌヴィレット様……?」
……ああ、すまない。何の話だっただろうか?」
 主催者の貴族に声をかけられて我に返る。無意識に彼女のことを目で追っていたようだ。
「こちらの書類についてなのですが……
「ああ。それはこちらで預かろう。そちらは……
 少女とフリーナの楽しそうな声が聞こえてきて、思わず耳を傾ける。音楽隊が最後の小節を演奏し終わり、ダンスホールは拍手で包まれる。そちらに視線だけ向ければ、少女と彼女が大勢の観客に取り囲まれ、拍手の雨を受けていた。

「今日は楽しかったね」
 二人きりの巡水船でフリーナは興奮冷めやらぬ様子で頬を染めたまま、ワルツの曲を口ずさんだ。その姿に黒ぐろとした雨雲が広がっていくような感覚がして、ヌヴィレットは胸を押さえる。嬉しそうな声に空もどこかぐずついたように雲が星々を覆い隠していく。
「それは何よりだ。水神としての仕事を放ってまで踊るダンスはさぞ、愉快なものであっただろう」
 口をついて出た嫌味にヌヴィレットは驚く。止めなければ、と思うのに、口は止まる気配が見えない。心と体がばらばらになったかのようだった。目の前のフリーナは彼を止めるでも怒り出すわけでもなく、ただ静かに見守っていた。
……ヌヴィレット。自惚れだったら指摘してくれ。キミは、僕と────踊りたかった?」
 不意を突かれて、もっと刺々しい気持ちになるかと思っていた。彼女に「自惚れるな」と返すつもりが、その言葉はすとんとヌヴィレットの中に落ちて、染み込んでいく。
……私は、君と踊りたかったのか……
 ガタン、と船が止まり、ヌヴィレットとフリーナの二人の体が船に合わせて揺れた。
「着いたみたいだ。今日も一日お疲れ様」
 フリーナは立ち上がるとヌヴィレットに手を差し出した。
「せっかくパートナーだったのに、キミとはファーストダンスすら踊っていなかったね。踊ろうよ、ヌヴィレット」
 迷っているヌヴィレットの手を引いて、船着き場のタイルを踏んだ。二人仲良く手を合わせると、フリーナが曲を口ずさむ。月明かりを頼りにステップを踏めば、フリーナがふふっと笑い声を上げた。
「やっぱり、パートナーはキミが一番だね!」
「私のパートナーは淑女にかまけてばかりだったがね」
「それは悪いと思っているよ。でも、キミが一番なのはお世辞でもなければご機嫌伺いでもない。正真正銘の本心さ。だって……
 次の瞬間、フリーナのハミングはテンポの早い曲に切り替わり、ステップもそれに合わせて複雑なものになった。ヌヴィレットはというと、顔色一つ変えずにリードを続けている。
 フリーナはいたずらが成功した子どものような笑みをヌヴィレットに向けた。
「本気の僕について来られるなんて、キミくらいのものだからね!」