溶けかけ。
2024-12-10 23:37:03
1577文字
Public ほぼ日刊
 

眠れぬ夜は

────手を取り合って。

元ネタ:六等星の夜(Aimer)

 しとしとと雨が降る夜。
 こんこんこん、と軽やかなノックの音がヌヴィレットの私室に木霊した。
「鍵は開いている。入ってくるが良い」
 こんな真夜中に自身を訪れる物好きは一人しかいない。
 読んでいた本から顔を上げるも迎え入れるなんて面倒な真似は一々しない。恐らく、訪問者の彼女も短くない付き合いでよく知っているはずだ。
 暫くして、蝶番が軋んだ音を響かせながら、躊躇いがちに扉が開かれた。
「こんばんは、ヌヴィレット」
 濃紺のネグリジェに身を包んだフリーナは、ほっとしたような笑顔を見せながら夜の挨拶をした。
「ごきげんよう、フリーナ殿。こんな真夜中に何の用だ?」
 とはいえ、彼女がこの部屋を訪ねる目的など一つしかない。彼女は曖昧な笑みを浮かべるとヌヴィレットの枕元に積まれていた本を退かし、抱えていた枕を置いて横になった。
「もうちょっと詰めてくれよ」
「断る。私もこれ以上、寝苦しくなるのは御免被りたいのでね」
「ちっ……しょうがない。ここはキミの寝所だしね。この僕が折れてやるんだ、光栄に思いたまえ」
「何故、君が偉そうなんだ……?」
「御託はいいからさっさと寝るぞ! 僕はもう眠いんだからな!」
 ここで自分の部屋に帰って寝ろ、と言っても帰らないことはよく知っている。ヌヴィレットは呆れたように息を吐き出すと、背中合わせになる形で横になった。
……………………
……………………………………ヌヴィレット、起きてる……?」
……寝るのではなかったのかね?」
「うっ……それは、そうだけど……
 それから少しの間、無言の時間が続き、背後でフリーナが寝返りを打った気配がした。
………………ヌヴィレット起きてるかい?」
……………………………………はぁ……起きている」
 ヌヴィレットの根負けだ。こと、持久戦においてはいつも彼女に軍配が上がる。
「こっちを向いて欲しいな……
 フリーナの指示に強制力はない。
 どちらかというと、小さな子どもが親の関心を引こうとしているときに近いのかもしれない。諦めたヌヴィレットが体を反転させれば、色違いの双眸と目が合った。穏やかな海面の瞳に映り込む己の姿は夜の海に見られる銀波のようだった。
「ふふっ……こっちを向いてくれたね。ありがとう、ヌヴィレット」
 フリーナが手を差し出す。その手に自身の手を重ねれば、ふわりと匂い立つ花の香りと温かな体温。
「キミの手は相変わらず冷たいね。海から生まれた者たちはみんなこうなのかい?」
「一概に海から生まれた生物全ての体温が低いとは言い難い。メリュジーヌもだが、人間も嘗ては海から生まれたものなのでな」
 一瞬──フリーナの顔から全ての表情が消え失せたように見えた。だが、それも瞬きの間のことで、彼女は先ほどと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。
 気のせいだったのかもしれない──ヌヴィレットの頭は考えることを拒絶した。踏み込んではいけない、気づいてはいけないと本能が告げている。
「そうだね。ならば、キミが特別なのだろう」
 フリーナが口元に笑みをのせる。いつもの傲岸不遜な笑みにヌヴィレットは知らずのうちにそっと胸を撫で下ろした。
 
 ふわぁ、とフリーナがあくびをしながら柱時計に視線を向ける。
「もうこんな時間……。キミとのお喋りは嫌いじゃないけど、神と最高審判官が裁判に遅刻した、なんて言われたら一生の笑われものだ。僕はもう休むよ。キミも、もう眠りたまえ」
 つらつらと一方的に言葉を並べたフリーナはヌヴィレットのことなどお構いなしに目を閉じる。ヌヴィレットも倣うように、目を閉じた。
…………ヌヴィレット」
 ぽつり、と暗闇の中で音が生み出される。




「明けない夜はないんだよ」

 

 傷だらけのキミに贈る精一杯の嘘。