森永
2024-12-10 23:36:54
7645文字
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おろかものの祝祭日

傀暮/大遅刻シャレムくんお誕生日おめでとう2024/付き合ってるっぽい二人のへたくそお誕生日/ロドス環境捏造


 そろそろ年季の入ってきた鞄の奥底からそれを見つけた時、シャレムにはそれがなんなのか思い出す一瞬の時間が必要だった。
 ロドスの無機質な宿舎の一室、見慣れない壁に囲まれながら、大して量のない荷物をまとめた鞄から取り出しては収納に移す作業の合間のこと。底にあった、だいぶ前にどこかの都市で買った詩集を取り出して、その下敷きになっていた小さな布袋を見つけたシャレムは、おや、と不思議に思ってそれを掬い上げた。
「これは……?」
 青年の掌でちんまりと萎れた、小さく粗末な布地に、はてこんなものを持っていただろうかとシャレムは首を傾げる。少なくとも、ロドスに身を寄せてからの見覚えはない。やけに軽くちっぽけなそれを、何が入っているのかとなんの気なしにシャレムは袋の口を開いた。そして、転がり落ちてきたそれを見た途端、彼の口から「あっ」と声が漏れる。
 そのくすんだ鈍い銀色を、自分が忘れていたことに驚いた。
 知らないうちに片付けの手を止めて、シャレムは掌をじいっと見下ろしていた。思いの外時間が経っていたのを知ったのは、無防備な背中をコンコンとささやかなノック音が叩いた時だった。ぴく、と肩を跳ねさせて振り向いた先、それを見とめたフェリーンの眉もちょっぴり跳ねた。
……シャレム、手が必要か?」
「いいえ、ミスター。片付けはほとんど終わっています……
 シャレムは慌てて、しゃがみ込んでいた床から立ち上がった。殺風景にも少しばかりの生活感が添えられた部屋を背景に立つフィディアを見て、開け放った入口に佇むファントムは頷いた。聡いその目がシャレムの左手に注がれているのに気づき、ちょっと苦笑する。
「少々、懐かしいものを見つけたものですから」

 オペレーターの共通スケジュールを端末から見れば、今日の日付に「宿舎お引っ越し日」と表示されるのが誰でも確認できるだろう。人員の増加と設備の改修を理由に、宿舎に部屋をもつオペレーターは皆、揃って引っ越し作業に勤しんでいる。任務に割り当たらなかったシャレムとファントムも例外ではない。とはいえ、どちらもそう私物の多いたちではなく、壁を隔てた向こうにどたばたとにぎにぎしい気配を感じつつ、二人の青年は二人部屋の共用スペースに腰を落ち着けていた。
 これまで手狭な個室住まいだったシャレムの引っ越し先は、二人用の相部屋だ。同居人はこのファントムその人である。どうしてそうなったのか、シャレムにはよく分かっていない。何週間か前、任務から帰ってきた直後にドクターから宿舎の移動について聞かされ、それに頷いたと思ったら次の瞬間にはこの同僚と相部屋になっていたのだ。「引っ越しだよ」「わかりました」「ファントムと相部屋にしたけど、良いよね」「はい。…………はい?」「じゃ、準備お願いね」こんな感じで。理由は全くなにも聞かされず、その直後に顔を合わせたファントムに聞いても同じだった。
『我々が相部屋になると聞いたのですが』
『ああ』
…………どうして?』
…………さあ』
 元々、自室を使っているんだかいないんだか微妙なラインのファントムは、シャレムほど気にしていないらしかった。シャレムに尋ねられて初めて、「そういえばどうしてだろう」という声音をしていたので、本当に思うところがないのだと思う。いや、ないことはないのだろう、とシャレムは思っている。同室になるということは、二人の青年にとっては都合のよい部分もある。少し人目を憚る理由で。
 今のシャレムとファントムの関係を表現するのなら、とても広義的に見た友人、というところなのだろうか。ただの同僚ではないのは確かだった。二人はこのロドスで複雑な出会い(もしくは再会)をした時とは違い、顔を合わせればちょっと軽快に話したりもするし、なんなら顔を合わせるために約束をしたりもした。食事をすることもあるし、並んで座ることもあれば、手を重ねることだってある。少し飛ばして、キスもその先も。
 恋人、というのも違う気がしている。そういう手続きを踏んだ覚えがないからだ。そう事実を並べるとすこし不自然な二人の関係は、けれど当人たちにとってはごく自然な流れでつくってきたものだ。特に咎められるようなことでもなし、不都合はない。シャレムもファントムも、そうしたいと思うままにしているだけだ。
 こういう二人の関係を、ドクターが関知しているかどうかはさておき。しばしば二人にとって必要となる、お互いのテリトリーへの行き来がたいへん省略化されたのは、ひとまず良いことだとシャレムは思考を完結させた。あんまり気にすると、よくない予感もしたので。
 共用部は簡単な書き物や一服のために使えそうな狭いテーブルと椅子が二脚、多少の収納スペースがあるくらいの簡素な部屋だ。ティーセットがあればな、とシャレムはぼんやり思った。シャレムがたびたびお嬢様方へお茶を振る舞う時には、オペレーター共用スペースの陶磁器を使っている。自前のそういったものを、シャレムは持つことをこれまで考えたことがなかった。
 新しい部屋にも支給されたステンレスのカップがあり、シャレムが持ち込んだケトルだってあるが、それだとお茶を淹れても野営の任務とそう変わらない雰囲気だ。自室で落ち着くために、質素で良いからきちんとしたカップやポットが必要かもしれない。
「それで」
 隣から聞こえてきた声で、シャレムの思考はふっと途切れた。見ると、小さなテーブルを挟んだ向かいで、ファントムが天板に視線を落としている。それを辿るまでもない。小さな布袋の上に転がった、一枚のくすんだ銀貨を、シャレムは彼を倣って静かに見下ろした。
「きみが気を取られていたこれは」
「見ての通り、銀貨です。古ガリア銀貨なので、今は使えませんけれど」
「何か思い入れが?」
 シャレムは眉を下げて笑った。
「劇団にいた頃」
 少し慎重な口調になったことを自覚しながら、シャレムはちょっと目線をあげてファントムの顔をうかがった。そこに疑念や嫌悪感がないことをみとめてから、再び視線を落として続ける。
「舞台出演の前払いとして渡されたものです。結局、公演は中止となったので、残りを手にすることはありませんでしたが」
……そうか」
「はい」
 シャレムはあっけらかんと聞こえるよう意識して話したし、ファントムもなにか冗長な言葉を返そうとしないようだった。これまで二人は度々、あの狂った居場所について話したことがある。そうして苦しみを吐露したり、決然とした意思の理由にしたりした。けれど、相部屋での同居が始まるこの時には相応しくないだろうと、多分二人とも考えている。
 シャレムは机上の銀貨を拾い上げる。今はもうアンティーク品としてのほかに価値のないコインをくたびれた布袋のうちがわに落とし、紐を引いて口を閉じる。結び目をつくりながら、ついぽつんとシャレムは呟いた。
「忘れても捨てられない。未練がましいと、自分でも思います」
 ほのかに自嘲したような言葉をファントムは否定しなかったけれど、肯定もしなかった。ただ彼は静かな目で、シャレムの指先を眺めている。
 話題を変えよう、とシャレムは微笑んだ。
「そういえば、再来週にはホリデーですね。ロドスでもパーティをやるとか。あなたも誘われたのでは?」
 ファントムはきちんとその話題にのってくれて、ちょっぴりうんざりしたような顔であさっての方を向いた。肯定。この後の返事をシャレムはありありと想像できた。
「私には遠い出来事だ」
「不参加、と。あなたらしいですね」
 肩をすくめて笑ったシャレムを、ファントムは顔を戻して見やった。ジ、と金眼がもの言いたげに見つめてくるので、首を傾けて彼を促す。
「その前に、きみの誕生日だろう」
「まあ。祝ってくださるんですか?」
「きみに祝われる気があるのなら」
 静かにやさしい声音で、ファントムは突きつけるように言った。遠い出来事、ではないのだ。シャレムの誕生日は、ファントムにとっては。それにまごついて、結局シャレムは「あなたが決めてください」なんて答えた。煮え切らなくてみっともないと思われただろうか、とシャレムは恥ずかしくなったけれど、ファントムは特段表情も変えずに「わかった」と頷く。
 どうやら今年は彼に祝われることが決まったらしい。祝われることが前提の誕生日は、シャレムが自分で覚えている限りこれが初めてだった。


 十二月九日。外勤帰りのシャレムは、小包を携えてロドスに帰投した。
 自室にもどる道すがら、共用スペースを飾りつける子どもたちを見かけて声をかける。医療部で治療を受けている子どもたちで、よく語り聞かせをしてくれるシャレムを見つけた彼らも親しげにわらわら近寄って口々に話しかけてくれた。聞けば、来週のパーティに向けて艦内のあちこちを飾り付けて回っているらしい。自分たちで作った紙細工やリボン飾りを掲げながら、「ケルシー先生のおへやもきれいにしたんだよ!」なんて誇らしげに言うのがかわいくて、シャレムは頬を緩ませる。
「シャレムさんもプレゼントもってるの?」
「だれかにあげるの?」
……ええ、そうですね」
 シャレムが小脇に抱えた荷物を目ざとく見つけた子どもたちは、興味津々とばかりに質問してくる。たじろいだシャレムを救ったのは、部屋の中から子どもたちを呼ぶ医療部スタッフの声だった。「次はドクターのお部屋に行くんでしょ!」と聞くやいなや、子どもたちはそうだった急がなきゃとまた、わらわら部屋へ戻っていく。ばいばい、と手を振る何人かに同じように振り返してから、シャレムは荷物を抱え直して踵を返した。


 カードキーをかざす。ピ、と軽い電子音のすぐ後にドアがスライドして開いた。足を踏み入れて最初に目に飛び込んでくるのは共用スペースで、そこに同居人の姿はなかった。代わりに、椅子の座面に澄まし顔の黒猫がちょこんと陣取っている。手近な棚に持っていたものをしまうと、シャレムは腰をかがめて彼女に視線を合わせた。
「ただいま戻りました、ミス・クリスティーン」
「に」
「ルシアンはどちらにいるかご存知ですか?」
「ここにいる」
 クリスティーンが応えるまえに、低い青年の声が背中にかかる。振り仰ぐと、珍しく個室にいたらしいファントムがのっそりと出てくるところだった。外套を着ていないので、その姿はやけにこざっぱりとして見える。もともと部屋に居着かないひとだけれど、外勤に出る前にシャレムの本を貸していたからそれを眺めていたのかもしれない。
 シャレムは彼にも帰艦のあいさつをすると、洗面台で手を洗いに向かう。ついでにケトルに水を注いでそれを持って戻り、加熱のスイッチを押した。そばにファントムが佇んでいるので何か用かと向き直ると、特に何の前置きもなく目の前にすい、と何かが差し出されて面食らった。
 銀色のリボンがかかった、綺麗な包装の四角い箱。はし、と目を瞬かせたシャレムに向かって、ファントムは飾り気のない言葉をかける。
「おめでとう」
「あ、りがとうございます……
 やや呆然としたまま、シャレムは差し出されたプレゼントを受け取った。予告通り、シャレムはファントムに誕生日を祝われたらしい。だいぶ脈絡のない仕草ではあるけれど、かえって自分たちらしいのかもしれない、とシャレムは思った。
 じわじわと遅れてやってきた嬉しさが口の端をくすぐっている。丁寧にかけられたリボンの結び目を指先でつつき、シャレムは「開けてもいいですか」と零した。「ああ」とファントムが頷くのを待って、シャレムは机の上でプレゼントのリボンを解いた。破かないように気をつけながら包装紙を剥がすと、長方形の黒い化粧箱が顔を覗かせる。厚みや重さはさほどない。ペンか何かだろうか、と思いながら上蓋をそっと開ける。
 予想に反して、柔らかな紙の敷かれたうちがわに納められていたのは細い銀の鎖だった。少し長さのあるそれはたぶん、首に下げられるペンダントになっている。銀の線をたどった先には、繊細な鎖に反して少し大きな、丸い銀枠のガラス。すこし丸みを帯びているそれは、どうやら貝みたいに開くための細かな金具がついている。
 幸か不幸か、シャレムにはそれが何のためのものかすぐに分かってしまった。
「あの銀貨を入れるといい」
 瀟洒なコインケースに視線を釘付けにされたシャレムに、静かな声でファントムは言った。
「きみの手にあるものはきみのもので、意に反してまで捨てる必要はない」
 シャレムが、いつか捨てるべき未練だと言ったあの無価値な硬貨を、ファントムは否定も肯定もしなかった。彼はそれを、シャレムが持ち続けることを後ろめたく思うことだけを言葉少なに肯定してくれたのだ。それをシャレムはすぐに理解した。
 ――理解して、その瞬間に頭を「まずい」の感情が占めた。プレゼントを持ったまま硬直する。カチッ。ケトルが湯の沸いたことを知らせる音が青年たちの間で上がったところで、相手のただならぬ様子を察したファントムは、やや沈んだ声で言う。
…………気に障ったか」
「いいえ」
 間髪入れずにシャレムは否定した。なかなかの反射神経だったと思う。肩から力を抜いたシャレムは化粧箱から取り出したペンダント型のコインケースを掌に包み、噛み締めるような口調をして答えた。
「ありがとうございます、ルシアン。とても、……とても、嬉しいです」
 その言葉の端に滲むやわっこい感情を察してか、ファントムのかすかに寄った眉もゆるりと開いた。それに安堵して小さな笑みを浮かべたシャレムの表情が、次の瞬間にしゅっと神妙な顔つきに切り替わる。ここまで忙しない彼の表情を見るのは初めてかもしれない、と考えるファントムの前で、シャレムは幾分か声を低くする。
「それを踏まえて落ち着いて聞いていただきたいのですが」
「きみの方が動揺して見えるのだが」
 それには答えず、シャレムは近くの戸棚から小包を取り出した。片手に携えて持ち帰ってきたものだ。ファントムから差し出されたプレゼントよりぐっと簡素な、しかし柔らかい白の薄紙に包まれた箱をまたシャレムは解いた。今度は指先に焦りがのったのか、金色のシールを剥がしたときに紙の端っこがかすかに縒れてしまう。それも気にせず、シャレムは厚紙でできた簡素な箱を開いて見せた。
 覗き込んだファントムは、つるりときれいな陶の曲線を見て意外そうに瞬きしている。
…………ティーセット?」
「ええ。せっかくの二人部屋ですし、自分たちのものがあってもいいと考えたのです」
 今回の任務で立ち寄った都市の、通りの片隅にひっそりと店を構える骨董品店をシャレムはたまたま見つけたのだった。待機とは名ばかりの自由時間を持て余していた彼は、何の気なしにふらりと店に足を踏み入れた。すこし翳った、しかし埃ひとつないアンティークたちを眺めるうち、彼の目を惹いたのが、棚に置かれた一式のティーセットだったというわけである。
 部屋で使える、支給品でないティーセット。それがあればな、と考えたことを、シャレムはすぐ思い出した。そのアンティークの茶器はほとんど絵付けのないシンプルな誂えだったけれど、陶細工が繊細でしっとりとした白をしていて、静かな青年ふたりの暮らしによく寄り添ってくれそうだとシャレムは思ったのだ。
「そう、考えたのはいいのですけど……
 だんだんとシャレムの顔がしょんぼりと暗くなっていく。うっすらとことの顛末を悟りながらも、ファントムはそのフィデアの一層青ざめた横顔に向かって尋ねる。
……銀貨は、どうしたのだ」
 シャレムは三拍ほどおいて、ファントムの方を振り向いた。その顔はよく見る困った風な笑顔ではなく、ほんとうに申し訳なさそうな、叱られることを理解したこどものような表情を浮かべている。手持ちが少しばかり足りなかったのだ、と彼は言った。それで、と。
……なんでもその地域では古ガリア硬貨はあまり出回らないらしく……骨董品店の店主がいたく気に入ってくださいまして……
 銀貨と引き換えなら、お代はけっこう。世話してきたコレクションの中でも肝いりのセットだが、シャレムが気にかけている銀貨となら等価だろう、と、店主は言ったのだった。
 それで、シャレムは古びた銀貨を手放し、新しい生活のための茶道具を手に入れたというわけである。
「すみません……
「謝ることでは……
 ほんとうに、どちらもちょっと悪くて、どちらも根本的に悪意がない悲しい事件だった。
 肩を落とすシャレムを傍目に、彼ほど動揺せずに済んだファントムは軽く嘆息する。呆れや苛立ちではもちろんなく、ただ場面転換のきっかけにするためだった。彼は箱の中へ手を伸ばすと、白いティーカップをそっと掬い上げる。ふむ、と矯めつ眇めつそのなめらかな陶器の肌を眺め、ファントムは正直に呟いた。
「きれいな意匠だ」
……よかった。せめて、あなたの気に入らないものでなくて」
「実は、冷蔵庫にケーキがある。それと、ドクターがきみにと寄越した新しい茶葉も」
 シャレムが落としていた視線をあげたのと、ファントムが陶器から視線をすべらせたのはほとんど同時だった。
「同居人の誕生日を祝うのに、無骨なステンレスのカップでは惜しいと思っていたところだ」
 ファントムは珍しく、彼にしてはほんとうに珍しく、口の端に気楽な笑みを乗せている。どこか面白がる少年みたいな。それで、なんだかシャレムのほうも気落ちしているのも勿体ないと思えてしまって、しまいにはいつもと同じ困ったような微笑みを浮かべるのだった。仕方ない、祝うのも祝われるのも不慣れな自分たちなのだろろうから。
 お茶にしましょうか、とシャレムは言う。ファントムはああ、と頷いた。片やお茶の準備をし、片や冷蔵庫から二切れのケーキを取り出して。青年たちはそうして、やっとこさ人並みの誕生日らしい雰囲気を取り戻していった。
 手狭な部屋にはすぐ、紅茶とケーキのあまい香りが満ちる。
「このコインケース……中に納めるのは、硬貨でなくともいいでしょうか」
「なんでも。きみの思うようにすればいい」
……はい」
 静かにカップを傾けるファントムの伏し目がちな表情を伺いながら、彼の誕生日の前にはきっと、欲しいものを聞き出さねばならない、とシャレムは思った。なめらかなカップの淵に唇を寄せて、甘い湯気を味わう。
 彼はきっとすぐには答えられないだろう。どうやら自分たちには今までよりもうすこし、話をする必要がありそうだった。暗い過去や当たり障りのない今の生活だけでなく、いくつか先の明日に贈るプレゼントについてだとかを。