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森永
2024-10-23 21:29:45
4060文字
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シエスタの昼下がり、街角のこと
傀+暮/できてない2人/結実コーデと音律スパイ服の2人がニューシエスタでホットドッグ齧ったり、目が離せない話
パンと一緒くたにして歯を立てると、ぽっくん、と小気味のよい音を立ててソーセージの皮がやぶけた。途端にじみじみっ、と塩気のある肉汁が飛び出てくるのを、小麦の香りのする生地とまとめて咀嚼する。パンとソーセージの間に刻まれたピクルスが隠れていて、はりはりと噛み心地もよく甘酸っぱい。
辺りは見渡す限り人、人、人の波だった。観光客にビジネスマン、地元の商売人まで忙しなく行き来して、通りの端っこでスチール製の柵に腰をおろしたファントムと相方の前を通り過ぎていった。できたてのホットドッグに齧りつきながら、ファントムはがやがや賑わう観光地のメインストリートから視線をずらす。隣を見やれば、真昼間の喧騒から少し浮いた雰囲気の青年が、ファントムと同じような緩慢なまなざしでニューシエスタのごみごみした雑踏を見るともなしに眺めていた。シャレムだ。
ファントムもたいがい人のことを言えた義理はないのだけれど、今ばかりはシャレムの方がうんと浮世離れして見えるのだった。彼が纏っている、無彩色ながら主に合わせてよくデザインされた、普段と違った装いのせいかもしれない。
実用的でありつつ華やかないつもの服装は、どちらかといえばフィデアのシャープなシルエットがよくわかる。打って変わって今シャレムが纏っているのは、柔和なイメージをもつ彼の意外に角張った肩のラインをなだらかに見せるカジュアルなジャケット。ニューシエスタの爽やかな日の下に白がまぶしい。どこもかしこも白い彼だから、肩口のカラーが一層際立っている。
まるっきり普段のシャレムと違う装いだけれど、とても彼によく似合う。ただファントムの目にはどうも目新しすぎるというか、やっぱりまぶしいような、白く灼く日射しに紛れてどこかに行きそうな、そんな落ち着かなさを薄く覚えてしまうのだ。それは特に、広く開いた襟ぐりからのぞく頸が目に入る度に、顕著にファントムの胸をよぎる。
むきだしになった後ろ首。あの、流水のようにとろりと軽やかな銀糸を、シャレムは唐突にばっさりと切り落としてしまった。
今朝、滞在先のホテルのロビーで出くわしたときにはもうこれだったので、お互い任務で顔を合わせなかった数週間ばかりのあいだにどんな心境の変化があったのかは分からない。ニューシエスタで起こった騒動の経過観察という名目でファントムを引きずってやってきたドクターは、「提携ファッションブランドの仕事でシャレムも来るよ」としか言わなかった。
そのドクターはファントムを直々に護衛として選んで連れてきたくせに、「じゃ、自由行動ね!」と親指を立てて颯爽とヴォルケーノミュージアムに消えていった。火山学者のオペレーターと積もる話が山とあるのだろう。結果として、ファントムは真新しい衣装に身を包んだ微苦笑のシャレムとともに観光地のメインストリートに取り残されたのである。
シャレムの仕事というのは、提供された衣装を着て街中を歩く、というなんとも適当なものだ。度々、ロドスのオペレーターは複数のファッションブランドから提供を受けて、それを宣伝する仕事を割り当てられることがあって、その一環なのだという。歩く広告というわけだ。
ファントムは彼がこの仕事を引き受けたのが少し意外だった。決して人当たりも悪くない、親切で献身的なシャレムだけれど、目立つことは極力避けていたようだから。それが、しれっとした顔をして衣装の凝った服を纏い、丁寧に手入れをしていた髪まで切ってしまったのには、どんな意図があるのだろう。
じっと見つめていたファントムの視線に気付いたのか、気付いていたけれど気付いていないふりをしようとして気まずさが勝ったのか、シャレムはぎこちなく顎先をファントムの方へ向けた。
「何か、私の顔についていますか?」
ファントムは逡巡した。首を振って、考えていたことをそのまま尋ねるのは簡単だろうけれど、まだ、自分がそこまで踏み込んでいいものかという躊躇いがあった。少し考えたあとで、結局ファントムはこう言った。
「暑くないのか、と思って」
「あなたに言われるほどは
……
中は半袖ですし」
シャレムの目がちろ、とファントムの肩口から袖までをなぞる。ファントムもファントムで、いつだったかロドスの催しで映画を撮る、となった際にあつらえられた衣装を身に纏っている。いつもの服装は人目を忍ぶにはもってこいだが、ことニューシエスタの街中にはそぐわない、というドクターの苦言があったからだ。しかしかっちりとしたスーツは確かに、これも常夏のバカンスを楽しむにはいささか厚着だった。上司にほっぽり出されて、近しいようで微妙な距離感の同僚と二人、あてもないのでとりあえず観光客らしいことをするか、と買ったホットドッグを片手に道端で柵に寄りかかるには少々、フォーマルすぎるかもしれない。実際は、ファントムは暑さも寒さもさして気にならない性質なので、何でも変わらないのだけれど。
と、二人の間をゆる、と風が通り抜けた。シエスタの人工海水の匂いがかすかに漂う。風のやってきた方を見て、いい風、とシャレムが目を細めた。長く残った一房の銀糸が、剥き出しの鎖骨をくすぐっている。彼は肌で海風を感じているようだった。
「
…………
シエスタの気候に合わせたのか?」
「何を?」
「髪」
思わず問うと、シャレムはんー、と曖昧に喉の奥で言葉にならない音を転がした。答えが返ってこなくともいいとファントムは思ったが、シャレムは手の中の瓶を小さく揺らしてから「それも、一つの理由です」と答えた。今は、ここまでが自分の踏み込める精一杯の領域なのだろう。「そうか」と返して、ファントムはまだあたたかいホットドックを齧った。
もしかすると、この仕事を引き受けた時の彼は、断頭台に登る思い、だったのかもしれない。隠していた首筋を晒す心許ない毛先に、ぼんやりとファントムはそう思った。あの忌々しい劇団の残滓が蔓延っていた古城から、シャレムは何か変わろうとしているのかもしれなかった。もともとの彼を、同じ劇団員であったこと以外はほとんど知らないファントムなので、正確なことは定かではないけれど。
それでも、短くした毛先をちょっと跳ねさせるシャレムは常よりなんだかぐっと幼く、サイダーの瓶を片手に街中にいると、ストリート調の服もあいまってごくごく普通の青年にも見えた。本来そうあったはずの時期を悪夢と狂気に奪われ、型にはめられていた頃への何某かの反駁なのかもしれない。ほんの少しだけ踏み込んだ問いに、ほんの少しだけ歩み返した答えがあったことも、きっと変化なのだろう。そう結論づけて、ファントムはファストフードをもくもくと咀嚼した。
隣でシャレムが瓶に口をつけ、傾けた。彼の方は、案外ジャンクな食べ物が好きなようで、ファントムがのんびりと食べている間にいつの間にか包み紙を畳んでいた。瓶のラベルにはスチームサイダーの文字があって、ファントムは脳裏によぎったピンクのもこもこの幻覚を大急ぎで追いやらなければならなかった。最近、サルゴンで木を伐採し続けるだの、シエスタでサイダーの瓶を割り続けるだの、不可思議な労働ばかりしている。ドクターの導くままに敵を屠るだけなら否やはないのだが、あの上司はちょっと自分の使い道を見誤っていないだろうか。
どうにかサイダーの瓶から視線を逸らすと、視界の端で白い花がちらちらと揺れた。シャレムのスラックスには彼の脚を横切るようにラインが入り、そこから溢れるように花が顔をのぞかせている。服の無彩色に合わせたのか、真っ白な花弁に黒い萼と茎をしていて、てっきり造花かと思ったがよくよく見るとやけにみずみずしい。
「この花
……
」
「気をつけてください、これは生花で
……
あっ」
シャレムの注意も虚しく、深く考えずに触れたファントムの指の先で、白い花はほろ、と崩れた。やっぱり生花だったらしい。果たしてさっぱり実用的ではないが、デザインを宣伝することが目的のはずなので、コーディネートの世界観を表現することを優先したのだろう。とはいえ、街中を練り歩くことを依頼してきたのだから、多少の崩れは織り込み済みであるはずだ。
それでも律儀に花弁を拾うためにシャレムが身をかがめる。ファントムは齧りかけのホットドッグを持ったまま、なんとはなしにそれを見下ろしている。うつむいた青年の動きにしたがって、短くなった銀の襟足がさら、と流れ、シャレムの項を覗かせた。
白い。伸ばされた髪にいつも隠されていた首はいっそう色が薄い。案外青年らしくしっかりとした首筋には、頚椎の陰影がはっきりと浮かんでいる。ぽこ、ぽこ、ぽこ、と陶器の細工みたいに綺麗に並ぶそれを、ファントムの視線が辿った。いつもより開いた襟ぐりの、隠れたその先に続く骨の道を鈍金の眼が追いかけようとしたところで、シャレムは身体を起こした。
「ふう。どうしましょう、これは
……
」
「
……
ポケットにでも入れておけばいいんじゃないか」
「少しは悪びれたらいかがです」
ホットドッグにふたたび齧りつくことで返事を怠けたファントムに、シャレムはまったく、と小さくため息をついて諦めたようにまた雑踏へ視線を向け、ぬるくなっていそうなサイダーを煽った。
ファントムはというと、そのまなざしは変わらず隣へ向いていた。白皙のフィデアが上着の襟に隠した、その頸元を、じっと。不意に、空腹ではないのに犬歯が疼いた。ホットドッグを齧る。パンの断面はまぶしいほど白く、しっとりしてやわらかい。上着の下、半袖のシャツから伸びる腕も、きっとそんな白さをしている。青年の、みずみずしくきめ細やかな。歯を立てる。ソーセージのぴんと張った皮が歯を押し返した。かまわず力をいれる。
ぽっくん。齧りとった。咀嚼する。飲み下す。美味い。それを何度か繰り返す。けれどまだ、疼きは当分のこと収まりそうにはなかった。
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