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森永
2022-11-24 00:02:02
6283文字
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春の嵐に紛れて泣いた⑦
無限×風息/くたびれ大学講師×訳アリDKの現パロ続き/さよなら編 風息は出てきません
七日目
嵐のあとのお見送り
次の日、風息はとうとう一度も姿を見せなかった。
つけっぱなしにしたスタンドライトの眩しさで無限が目を開けたとき、腕の中にいたはずの少年は跡形もなく消えていた。いっそ夢かと思ったけれど、ふと見下ろした自分の腕に引っかき傷が赤い線を引いているのを見つけて、あの号哭は現実なのだと無限に知らしめた。
風息が去ってしまったことを、やっぱりなという気持ちもあったが、それよりも彼が心配でならなかった。涙も流せないくらい混乱していて、昨晩おそれたように無限の部屋どころか家も飛び出していたらどうしよう。そう不安に駆られた無限が風息の祖父母に詳細を伏せて「風息はどうしているか」と尋ねると、意外にも「ずっと部屋に籠っている」と答えがあった。
「具合が悪いわけじゃないみたいなんだがね。何に臍を曲げているのか、ちっとも部屋から出てきたがらん」
風息の祖父はそう言って深々とため息をつき、
「やっぱり、無限さんと離れるのが寂しいんですよ。またいつか遊びにきてやってくださいね」
祖母はやれやれというふうにそう言った。どちらにも、無限は曖昧な返事をするので精一杯だった。昨夜、お孫さんと一悶着ありましただなんて、口が裂けても言えるはずがない。何より風息にとって、そんなことをすれば何より重い仕打ちだろう。どうやら昨夜の嵐が物音も全てかき消してくれたようで、祖父母は宿の一室で小さな騒ぎがあったことなどちっとも知らないようなのが救いだった。
ただ懐かれて、別れを惜しまれるくらいならどんなに良かったことだろうか。無限だって、初めはそのくらいの気持ちで風息との残った時間を過ごそうと考えていたのだ。ただ、その想像は自分で思う以上に甘ったるいものであったらしいと、一夜明けた頭で無限は思い知った。
風息と話す中、接する中で、何かを間違えていたのかもしれない。風息の人生に干渉しすぎないようにと、不用意に彼の内部まで触れないようにと気をつけていたはずなのに、少年が無限になけなしの期待を全霊でぶつけてしまうようなことを、してしまったのかも知れなかった。手を繋いだことか、勉強を見てやったことか、自分の過去を話したことか。それとも、初めて会った日に通知表を拾ってしまったことか。最初から、選択を決定的に間違えていた可能性だってある。
重い後悔が無限の胸のあたりで重くつっかえる。小黒のことで悩んでいた時と似て異なっていて、もしかするとそれよりもずっと、無限の心にまでのしかかっていた。どうにかあの少年と話して、そして謝って、何か言ってやりたい、と思うのに、肝心の言うべき言葉も見つからない。まして、本人がずっと人目を避けるように篭っていては、どうにもならないことだった。
朝が過ぎ、昼を超え、夜になっても風息は出てこなかった。何も言えないまま、六日目は砂の城を崩すみたいにして、あっけなく終わった。
最終日。無限がこの町を出て、都会へ帰る日が来た。
朝食の席を用意したのはやっぱり祖母で、彼女は孫の異変のためか少し表情を曇らせて無限に「何時にここを発つのか」と尋ねた。精算しなければならないからだろう。無限は内心で焦ったく思いながら少し思案して、最終のバスでこの町を出ることを彼女に伝えた。
「風息はどうしていますか? 最後に話したくて
……
」
「すみませんねえ
……
あの子ときたら本当に、昨日からなんにも言わなくって。もしかしたら本当に具合が悪いのかも
……
」
そう言われてしまえば、お大事にと伝える以外に無限にできることはない。結局、それ以上は何も聞けないまま、朝食を終えた無限は部屋へ戻った。荷物の片付けといっても、ほとんど持ってきたものがないからすぐに済んでしまう。手に取ったスマートフォンで経路案内のアプリを立ち上げる。検索履歴にはいくつも入力の痕跡があり、それは昨日から無限が何度も帰りの算段を立て直している証だった。老婆には最終のバスで出ると言ったけれど、実を言えばその時間にここを発つと、自宅の最寄りに着く前に終電が行ってしまう。昨日は何本か早く出て帰るつもりでいたが、しかしどうしても風息のことが諦められず、咄嗟に終電を手放すほうを答えてしまった。
最終のバスに乗った場合の帰宅ルートも、一応調べてはいた。あのバスで新幹線の通る駅の方まで出れば、その近くに夜行バスの発着場があることを昨日確認していたのだ。座席の空きを調べてみると、帰省にも休暇にも外れたシーズンなのが幸いして、一席を取ることができた。これでギリギリまでここに留まれるだろう。
問題は探している少年の方で、昼過ぎに階下に降りたとき、ちょうど通りかかった風息の祖父が「孫ならいつの間にか出かけたようだ」と教えてくれた。ひとまず本当に具合を悪くしているわけではなさそうだ、と安心する。そこまでは良かったのだが、それならと最後の散歩を名目に外へ出ても、風息の影さえ見つけられずに無限は途方に暮れた。
虚淮の店(今日は壮年の女性が店番をしていた)や無人のコインランドリー、一緒にワークを解いた神社、そして初めて出会った海沿いのコンクリ敷きまで、思いつく限りの場所をめぐった。しかしそのどれにも風息の姿はなく、最後に訪れた海辺で無限は深い溜息をこぼした。いない。どこにも。小さな漁師町といえど、旅行客の無限が知る範囲などその一部でしかないだろうから、きっと他にも隠れ場所はあるのだろう。それならばどうしようもない。
天気は順調に回復していて、曇り空には晴れ間がのぞいている。ポケットを探って、スマートフォンを取り出した。時間を確認すると、もうそろそろ宿に戻って準備しないと最終のバスにさえ間に合わなくなる。無限の唇から、もう一つ湿った溜息がこぼれた。それは打ち寄せる波に落っこちて、海水に溶けて消えていく。風息の捨てた通知表も、同じように海底に沈んでいったのかもしれない。無限はしばらく青い海面を眺めていたが、海の中に風息がいるわけでもない。あきらめた男は踵を返して、宿への道を辿った。
身支度をすっかり終えて部屋を出る前に、最後にと無限は部屋の窓越しに海を見やった。灰がかって鈍く青い海を、最後に風息と見られなかったことが、彼にきちんと感謝やいろんな話を伝えられなかったことが心残りだった。後ろ髪を引かれるのを、なんとか断ち切りたくて障子を静かに閉める。がらんと寂しい部屋に一週間分の愛着を覚えながら、無限は部屋を後にした。
受付で精算をする時、無限の手渡した金額をきっちり勘定した老爺は無限の顔を見てしばらくじっと黙った。彼には言えない風息とのあれこれがあるので、無限がしぜんと緊張して「あの
……
?」と老人の顔を窺い見る。真一文字の口を開いた老爺から出たのは「お世話になりました」という言葉だった。
「え? いえ、それは私のほうで」
「いやいや、孫のことだ。この何日か、あんたが来ている間は珍しく機嫌よくしていてね。仕事も張り切ってたもんだから、よほどあんたを気に入ったんだろう」
吊り目がちの老人は、その深い皺の刻まれた目元を緩ませている。無限はちょっと目を見張った。気難しそうなこの老爺からもそんなふうに言われると、やっぱり風息は無限に心を寄せてくれていたのだと実感が湧いてくる。それと同時に、風息をこの人の預かり知らぬところで傷つけてしまったことがたまらなく申し訳なかった。
「それなのに見送りにも出てこんで、気ままな孫ですみませんね」
「いえ。
……
私も、彼によくしてもらいました。お礼と、
……
また来る、と伝えてもらえますか」
「ああ。またぜひ来てやってください」
互いに頭を下げて挨拶をして、玄関を出る。外はうっすらと暗くなり始めていて、無限は一度だけ宿を振り返ると、バス停へ向かって歩き出した。
「よう」
「
…………
きみか」
バス停のベンチにどっかり座っていたのは、風息の幼馴染だ。相変わらず儚げな見た目を裏切るふてぶてしさで、彼は片手をあげて無限を出迎えた。
「風息じゃなくて悪かったな」
「そうは言ってない。
…………
風息がどこにいるのか、知ってるのか?」
沈みがちな気分のせいか、不遜な虚淮相手だからか、遠慮する気も起きずベンチの空いているところに荷物を下ろしながら、無限は彼に尋ねた。意外にも虚淮は座っている場所をずれて、無限の座るスペースを開けてくれる。古ぼけてペンキの剥がれかけたベンチに腰を下ろすと、それは微かに軋んだ音を立てた。
「知ってる」
「
…………
そうか」
そんな気はしていた。しかし、今知ったところでなにかをできる時間もない。虚淮の返答に頷いたきり、それ以上深く突っ込んで聞くつもりがない無限の様子を汲み取ったか、白皙の青年はふっとため息ともつかない呼吸をひとつおいて、腕を組み直した。お互いに、視線は前に向けたまま、どちらも目の前に広がる海を眺めている。嵐の後の濁った海面は、それでも静かに凪いでいた。
「あんたも、風息を連れ出してくれなかったな」
バスはまだこない。沈黙がしばらく続いたのち、口を開いたのは虚淮だ。平坦な口調の彼の言葉に、咎めるような色はなかった。
「その前はきみか?」
「店で聞いていた通りだ」
ふん、と虚淮は鼻を鳴らす。この町を出る、ということを体現してみたということにおいて、虚淮は風息の手本とも言えるだろう。本人にそのつもりがあったのかは無限の預かり知るところではないが、惜しむらくは風息と虚淮では置かれている立場が違ってしまっていたことだろうか。二人はきっと近すぎて、違いすぎたのだ。そんな虚淮だから、外から来た「遠い人」の無限に思うところがあったのかもしれない。結果として、その期待に応えるには無限は力不足だった。風息に無責任になれない近さまで心を寄せてしまっていたからだ。
「彼は、
…………
自分の力でこの町を出た方がいいと思った」
「願望か?」
「経験則でもある」
無限の答えに、青年はほう、と興味ありげな気配を漂わせたが、結局は何も聞いてこなかった。無限も今さら話せと言われても気が進まなかったので助かった、と思った。
「まあ、いい。どっちにしろ選ぶのは、風息だ」
自分に言い聞かせるようにも聞こえる口ぶりで虚淮が言って、それよりも、と一段低くなった声で続ける。童顔に似合わぬ低音に思わず視線を向けると、彼は横目でじっとり無限を睨め付けていた。ちょっと怖い。
「今晩みんなで集まる予定なのに、風息が来なかったらどうしてくれる」
「そう言われても
…………
いや、すまない」
無限にはもうどうしようもないことなのだが、原因を作ったことは事実なので素直に謝っておく。心なしか不満顔の虚淮がふんとまた一つ鼻を鳴らしたとき、エンジン音が近づいてくることに気がついた。音の方を見やると、ヘッドライトをつけたバスが悠然と走ってくるのが目に入る。無限は荷物を肩にかけ直して立ち上がり、時刻表の横に立つ。静かな海辺にがらがらと駆動音を轟かせながらバスが停まり、無限は一度だけ振り返って虚淮に会釈した。それじゃ、と声をかけると、彼も手をあげて応える。
乗車ドアが開き、ステップに足をかけたところで、虚淮の「おい」という声に引き留められた。
「せいぜい、首を洗って待っていろよ」
「え? なんだ怖い
……
」
なんだか物騒な雰囲気を醸し出す青年に怪訝な顔をして見せるが、彼はもう用は済んだとばかりに腕組みをしている。おまけにシッシッと手を振って「早く乗れ」とジェスチャーまでしてくるのだから、最後まで不遜な男だ。バスを待たせるわけにもいかず、釈然としないまま無限は車内へ進んだ。人のいない車内で近くの座席に腰を下ろすと、バスは億劫そうにアクセルをかけて発進した。
窓の外を見る。仁王立ちする虚淮が少しずつ遠ざかっていって、だんだんと速度をあげていく。無限は、過ぎ去る町並みのどこかに風息の姿がないか、最後まで目を凝らしていたが、猫っ毛の毛先さえ見つけられないまま、バスは寂れる漁師町を通り過ぎていった。
市街地に着く頃には、日がすっかり暮れていた。発車時間まで適当に暇を潰し、無限は運転手による点呼を終えて夜行バスへ乗り込んだ。座席を取った時にはいくつかの空席があったが、乗ってみると案外、人が多い。指定の席へ腰を下ろすと、少し窮屈だった。
程なくしてバスが動き出す。それとほぼ同時に消灯となり、車内には気だるい空気が漂った。みんな、眠りに着く体勢を探ったり、天井や窓の外をぼんやりと眺めている。無限もそれに倣って背もたれに体を預けるが、どうにも眠る気になれずに瞼は開けたままだった。首を傾けると、カーテンの隙間から外の景色が見える。全開にはしないように、出発前に注意があったので、隙間が広がらないよう注意しながら外を窺う。
しばらくぼう、と知らない街の景色が流れていくのを眺める。窓ガラスに触れた額から、外気の冷たさが伝わってきた。どれくらいそうしていたのか、ふと信号待ちのために車体が停車した時、窓の向こう側に水滴が散っていることに気づいた。知らないうちに、雨が降っている。無限のいた町では、出る頃にはもう雨降りの黒い雲は見当たらなかったけれど、今いる地点ではこれから本降りになるのかもしれない。もしかすると、あの町の方から流れてきた雨だろうか。
気を抜いた途端、嵐の過ぎ去った町へと意識が引き戻される。目にみえる風雨がなくとも、あそこはずっと嵐に閉ざされているのだろう。結果として、無限はまた嵐から逃れてきてしまったことになる。それだけならまだしも、抜け出したいともがく少年を置き去りにして。ぎゅっ、と一度、強く目を瞑って、また開いた。窓ガラスを伝う雨粒がゆるやかな線状に引き伸ばされている。繁華街のネオンライトを反射して、蛍光色の線になるそれを見ていると、風の強い夜に弱い光の軌跡を描いた煙草の火を思い出す。苦い副流煙の匂いまで肺が錯覚して、無限の息が詰まった。
あの時、繋いだまま手を引いて、そのままどこかへ行ってしまえたらよかったのかもしれない。後になって思うのは簡単で、無責任なことだった。無限は少年の手を引かないことを選んで、そしてあの町を出たのだ。もうできることはない。気持ちに区切りをつけなければいけなかった。本当なら、旅の当初の予定では、七日目の朝かもっと早く切り上げて帰り、仕事に戻るのにいくらか猶予を設けるつもりだった。それを押して夜行に乗っているために、無限は明日の朝には職場へ行って、休んだ間に溜まったものを消化する必要がある。だから少しでも眠って、明日に備えないといけないのだ。
いけないのに、しかし、どうしてもできなかった。
低いエンジン音は波音にすり替わる。車内の人いきれは曇った昼下がりの湿気になり、耳の奥では少年が無限を呼んだ。無限さん、先生。少年から青年へと変わるちょうど中間くらいの、たまに掠れる軽やかな声。そつのない振る舞いに反して無邪気な笑い声が鼓膜に木霊して、わんわん響いたその末に、それは悲痛な号哭に変わる。拒まないでくれよ、その言葉が一際強く耳の奥で反響して、現実に聞こえたわけでもないのに無限は思わず上着の布地をぎゅうと握った。風息。
何も言えず、何もできなかった男を乗せて、夜行バスは淡々と夜を往った。
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