森永
2021-10-11 20:26:31
3613文字
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江ノ島エスカーどこへゆく

無限×風息/先日のイベントにて参加したペーパーラリー企画に寄せたSSです


「こんなはずではなかった…………
橋の手すりに手をついて、無限はがっくりと項垂れた。こぼれた髪を海風がさらい、はたはたと頬を打つ。重苦しい溜息を長々と吐き出して落ち込む無限の背中に、風息はのんびりとした口調で「まあまあ」と声をかけた。
「こうなるかなって予感はしてた」
…………
「そういう星の元に生まれきたってことだろ」
……でも、せっかくの旅行なのに」
そう。今日は旅行だ。風息と無限、ふたりっきりの、海を越えた旅行のまっさなかだった。執行人の任務を完全に休みにして、仲のいい友達と遊びに行くという小黒に見送られて、見慣れない街並みを肩を並べて歩いて。穏やかな非日常を満喫していた。――――出かけた先で、現地の妖精が起こした事件に巻き込まれさえしなければ。

評判の水族館と、海橋で繋がった島での散策が有名な街へ降り立ったところまでは順調だった。そこに着くまでも、どこかおもちゃじみたローカル電車にごとごと揺られて、木の床やふかふかの座席をめずらしがってはしゃぐ風息に負けず劣らず無限だっていつもより表情が緩んだ自覚があった。
並んで腰かけ、家々の隙間をくぐり抜けるように電車は進んだ。湾曲した線路をゆっくりと揺れながらたどる電車が、面した斜面の影を抜けた途端にぱっと景色が青色に切り替わる。周りの乗客がわっと感嘆の声を漏らすのと同調して、無限と風息も広がる光景に目を見開いた。
電車の窓はこの景色を堪能するために大きく作られているのだろう。そこから望む一面の海は、日差しを光の粉にしてまぶしたようにかがやいて、ウィンドサーフィンの帆がぽつぽつと景色にオレンジやグリーンの彩りを添えている。さらに水平線の先の方には、橋でつながれた小島が青々とした山肌に展望塔を抱えてしっとりと鎮座していた。
「きれいな景色だな」
「うん」
無限はちらと風息の顔を盗み見る。窓の向こうに釘付けになる瞳がきらきらとかがやいて見えるのは、よく晴れた秋の陽光のせいだけではないだろう。最近とみに忙しく、二人の時間もなかなかとれなかった。休みを取るために無茶をしたところもあったが、龍游にいるときは弟分や小黒に構いがちな風息を独り占めできるのは、この上なくうれしかった。休みは今日を入れて五日間、思う存分風息と食べて、遊んで、あとは恋人らしく睦みあったりなんかできたら最高の幸せだ。
喜びを噛み締めながら、無限は景色を楽しむ風息を蕩けた目で見つめていた。
こんな具合で、そこまではとてもいい、恋人との楽しい行楽だったのに。


「せっかくの新婚旅行に、よくも水を差してくれたものだ」
「そんなことも言ってたなあ」
風息はまた穏やかに言っているが、その穏やかな様子にまた無限はむっと口を尖らせた。いつもの二人とまるで真逆である。
さて早速水族館にでもいくかと海沿いを歩いていたとき、事件は起こった。なんの因果か、妖精が起こした盗難事件に行き合わせて、現地の執行人に要請されるまま、成り行きで犯人の妖精の捕縛を手伝うことになったのだ。さほど時間はかからずに対処できたものの、事前に調べていたイルカショーの時間はとうにすぎていたし、すっかり恋人どうしの空気をぶち壊されてしまい、正直言って無限は不機嫌だった。
対して風息は、至って落ち着いた様子だった。飛行機に乗っている時から、「あそこに行こう」「こんなのがあるらしい」とぽつぽつ話しかける無限にも「へー」「うんうん」とちょっぴり薄味の反応を示していたことを思い出す。事件に巻き込まれた時だって、否やもなく協力的だった。
旅行が決まった時から、その態度は一貫して変わらない。感情表現が下手な無限でさえ浮き足立っているのに反して、とくに楽しんでいるわけでもなさそうな様子に、無限はちょっと不安になってその横顔に向かって尋ねた。
……風息、楽しくないか? 旅行」
「んー?」
生返事である。歩きながら、きょろきょろとあっちこっちを眺めていた風息はある一点に目を留めると、「あ、あれ食べよう」と言って歩調を上げて行ってしまう。
「おい、風息」
まだ答えてもいないのに、目についた道路端のキッチンカーに向かっていく風息を呼ぶ声にすこし不満が滲んだ自覚があった。それを機にする様子もなく、風息はさっさと硬貨を支払って、買い物を済ませてしまう。無限の隣に戻ってくると、首を傾けながら顔を覗き込んでくる。その口元は、やさしく微笑んでいた。
「お前が『新婚旅行に行こう』って言ってくれたときからずっと機嫌いいよ、俺」
「え」
「だって、任務でもなく小黒も抜きで出かけること、あんまりないだろ。けどお前のことだし、なにかしらトラブルはあると思ってた。でもまあ、いつも通りだろ。気にするほどのことじゃないさ」
それよりできることで楽しもう、と言ってのける風息に、虚をつかれた無限はぱちぱちと目を瞬かせた。
嬉しいと、思ってくれていたのか。楽しいのか。嬉しさと驚きと、よくわからない感情の渦に襲われて混乱する無限を見て、風息はいたずらっこのようにニヤっと笑った。
「知ってた? 俺、お前といればたいてい楽しいんだぜ」
その言葉でもう、喜びは無限の許容量を超えたのだ。
「わ、私も」
「うん、知ってる」
なんでもないように笑う恋人に、無限は勝てないなあと敗北を認めざるを得ない。
ほれ、と風息が差し出した串餅を、無限は呆然から抜け出せないまま受け取った。平たい円形の餅がふたつ、焼き目もよく醤油と海苔の香ばしい匂いをほんわり漂わせて仲良く串刺しにされている。
「結局昼からなにも食べてないだろ。美味しいよ、これ」
ひと足先に齧り付いた餅を咀嚼しながら、風息は目元を緩ませている。まぐまぐと動く頬を見ていると、たしかに忘れていた空腹の感覚がからだに戻ってくる。昼は海沿いの食事処に行こうと話していたのに、騒動に巻き込まれたせいで食いっぱぐれていたのだ。湧いてきた食欲に動かされて、無限もあ、と口を開けて餅を頬張った。焦げた醤油のしょっぱさが、一仕事終えたあとの舌に突き刺さるようだ。。
「うまい」
「だろ?」
早くもふたつ目の餅に歯形をつけながら、風息はにっこり笑う。本人のいった通り、自然体で、それでいて心からこの旅行を満喫している様子だった。それを見ていると、こだわっていたのがなんだか馬鹿らしくなって、無限はやっと肩の力を抜いた。とくべつなことをしようとしなくてもいいから、ただ風息とめいっぱいのんびりして楽しもう。そう思って、餅を飲み込んでから口を開く。
「気を取り直して水族館でも――――――
ばさっ。
行こうか、と言おうと風息のほうを向いた瞬間、二人の間をなにか大きなものが派手な羽音をたてて通り抜けた。
………………えっ?」
一瞬、何が起こったのか分からず無限は目を点にした。同じようにびっくりして目をまんまるにしている風息を見、鳶が飛び去った方を見、空っぽになった自分の手を見た。つい数秒前まで手の中にあった串餅は影も形もない。一口齧っただけの餅が。ふたつもついていた餅が。
無限はもう一度、通り魔の消えていった空を呆然と見上げてつぶやいた。
…………鳶に餅取られた…………
ぶ、と横で風息が噴き出す。
「あっははははは!」
堪えきれずに大きな声で笑い始めた青年と、その横でショックを受けた顔を晒す男を、道ゆく観光客やキッチンカーの店員がなんとも言えない目で眺めていたが、二人ともそれどころではない。
……ええ……?」
「ショック受けすぎだっはは……ッ! おま、餅っ、執行人のくせに鳥に餅とられるって……フフッ」
…………一口しか食べてないのに」
「ほぼ丸ごとじゃないか、かわいそうすぎる! あっはっはっは!」
腹を抱えて笑い続ける風息を見てようやく、茫然自失から戻ってくる。どれだけツボにはまったのか顔を真っ赤にして大口を開けて笑う恋人を見て、だんだん笑いが伝播してきて無限は口の端を引き攣らせた。
……風息、笑いすぎじゃないか……フフ」
「お前も笑ってんじゃん……ヒヒッ……
「クッ……ふっふっふ……鳥に、鳥に食べ物取られるなんて、何百年ぶりだろうと思って」
「アハ、よりにもよってそれが今かよ、ハハッ!」
一度笑い出すと、もう自分が笑っているのすら面白くなってしまい、無限は額に手を当てて低く笑った。プルプル震えながら笑う無限に、風息もさらにツボを刺激されるのか、笑い声は途切れず厄介な永久機関になってしまう。
笑いすぎて腹筋が痛い。風息も同じらしく、二人は互いにもたれかかるように肩をぶつけながら歩き出した。面白くて、楽しくて仕方がない。これならどこに行っても何を見ても、何をしたって面白いに違いなかった。

無限と風息のふたり旅はこうして、転がるような笑いで幕をあけた。