haru_haru0704
2024-12-10 22:46:56
10457文字
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あなたを待つ

哥忌もしくは忌臨 全年齢
※この2人は恋人ですが、えちしてないので左右不詳です どちらでもお好きな方でお楽しみください

忌と漂が鳴式を倒してから1年後、再び鳴式が復活して・・・みたいな話です
あんまり細かいことは考えずに読んでください

鳴式を討伐したあの日から、一年が経った。
この一年間、今州はずっと平和で。
北落野原にて時折発生する残像潮も、大した脅威ではなくて。
何より、あの人が帰ってきてくれて。
すべてが上手くいっていた。
だからこそ、だろうか。
もう大丈夫と、すっかり油断していたのかもしれない。

腹からどくどくと、命の熱が漏れ出している。
忌炎は地に倒れ伏し、降り注ぐ雨を見つめながら、あの人の名前を呼んだ。
「・・・、・・・・・・」
声が出ない。
でも、あの人ならきっとすぐ、ここまで来てくれるはずだ。
そして、闘って、食い止めて、今州を守ってくれる。
きっと、大丈夫。
俺がいなくなっても、きっと、今度こそ──

*
破陣基地で雑務をしていた哥舒臨は、基地内に緊急警報音が響くや否や、戦略モニタのもとへ走った。
「何が起こった!」
モニタの近くには既に何名かの兵士がいた。
彼らに向かって声をかければ、皆一様に縋るような視線を哥舒臨に向ける。
「北落野原にて、大規模な残像潮が発生したらしく──」
哥舒臨に状況を説明しようとした兵の声を遮り、北落野原の観測所からの通信が入る。
『北落野原第二観測所より、第一報。大規模な残像潮発生。怒涛級とみられる周波数を二つ観測。溯洄雨らしき雨を観測。忌炎将軍、第二観測所付近で戦闘中。第三観測所は残像潮により全壊。以上です』
モニタの端に報告内容が列記され、北落野原のマップに目印が表示されていく。
残像潮発生地点、残像の分布、怒涛級の位置、忌炎の位置。
それだけ分かれば十分だ。
哥舒臨は後ろを振り返った。
そこには、破陣基地に詰めている数十名の共鳴者たちが集っている。
「時間が惜しい。5分後に出陣する。今すぐ装備を整えて、溯洄雨対策薬を飲め」
指示を飛ばすと、彼らはすぐに準備に取り掛かった。
哥舒臨もデバイスを手に取り、各方面に連絡を行う。
指揮系統を切り替え、臨時的に己が将となることを全軍および今州首脳陣に通告。
伏波陣地の兵と軍医の7割、補給物資の3割を破陣基地に移動させるよう命令。
連絡先を知っている共鳴者に応援要請メッセージを送信。
そこまでやったところで、5分が経過した。
「さて・・・行くか」

*
哥舒臨が第二観測所付近にたどり着いた時、2体の怒涛級は既に倒されていた。
おそらく忌炎がやったのだろう。
先に戦っていた踏白たちに加勢しながら、忌炎の姿を探す。
・・・いない。どこにも。
青龍の姿も見えないし、遠くまでよく響くあの龍吟すらも聞こえない。
「あいつ、どこに行きやがった!」
残像をまとめて斬り捨てながら叫ぶ。
嫌な予感がする。
いや、もうこれは予感ではない。確信だ。
将軍である忌炎が、何の理由もなく最前線から遠く離れるわけがないのだから。
哥舒臨は大きく舌打ちをして、頭をよぎった最悪の想像を打ち消した。
あいつはそう簡単に死ぬタマじゃない。きっとまだ生きている。信じろ。

「・・・?」
残像を屠っていると、不意に何かうっすらとした気配のようなものを感じた。
交戦は兵に任せ、少し後ろに退がる。
すると、どこからか青龍が現れた。
「お前・・・!」
それは、よく見知った忌炎の青龍だ。
しかし普段の雄大な姿とはまるで違い、小さくてひょろっこくて、今すぐにでもかき消えてしまいそうなほど頼りない。
青龍はふよふよと力なく飛び、突然墜落しそうになった。慌てて受け止める。
「本体はどこにいる?無理に飛ばなくてもいい、方向だけ教えろ」
哥舒臨の言葉に反応し、青龍は難儀そうに首を動かした。
青龍が示した方向には岩石や瓦礫が多く、見通しが悪い。
悪路だからか、残像すらあまりいなさそうだ。
「分かった、向こうだな」
哥舒臨は兵たちに「夜帰の旗を拾ってくる」と大音量で告げ、すぐさま駆け出した。

*
哥舒臨は、岩と岩の隙間に隠れるようにして横たわる忌炎を見つけた。
彼の腹に空いた穴からは、どくどくと血が流れている。
「おい!忌炎!」
「・・・・・・」
意識はないが、息はある。だが、出血しすぎている。
早く止血しなければ、失血死は免れないだろう。
哥舒臨は忌炎の体を抱き起こして、腹の傷に手をあてた。
瞬く間に黒炎が盛り、ジュウ、と音を立てて血液が蒸発する。
やがて黒炎は、肉と皮膚を焼き焦がし始めた。不快な臭いが鼻をつく。
「ぃ゛っ・・・え、なに・・・」
いつの間に意識を取り戻したのか、忌炎が掠れた声で呟く。
その顔面は蒼白だ。どう見ても、血が足りていない。
「止血中だ。他に手がなかった。痛いだろうが、我慢しろ」
忌炎は小さく頷いた。
まさか、己が忌炎の手当てをする日が来ようとは。皮肉なものだ。
そろそろ血が止まった頃合いだろうかと、手をどけてみる。
「よし、傷は塞がった。次はこれを飲め」
懐から栄養液を取り出し、忌炎に飲ませてやる。
こんなものでは大した回復にはならないが、気つけ薬くらいにはなるはずだ。
忌炎は眠たそうにしながらも、なんとか栄養液を飲み干した。
褒めるように頭を撫でてやり、雨に濡れた唇に触れるだけの口づけを落とす。
「死ぬなよ。破陣基地で、俺の帰りを待っていろ。いいな?」
「・・・は、い」
それは細く掠れた声だったが、忌炎は確かに返事をした。
哥舒臨は頷く。そして、忌炎の体を抱き上げた。

*
後衛で戦っていた兵に忌炎を託した哥舒臨は、再び最前線へと戻った。
滾る憎悪と怒りを炎に変え、残像を焼き払う。
「夜帰の旗を穢した奴らだ!一匹残らず殺せ!!」
殺せ。殺せ。殺せ。悉くを。
哥舒臨の発破に、兵たちは雄叫びを上げる。
武人としての本能が、哥舒臨を興奮と熱狂に追い立てる。
それと同時に、将として戦況を俯瞰し、冷静さを保ったままだった理性が苦笑する。
忌炎であれば、こんな物騒な物言いはしない。
だが、あいにくと哥舒臨にはこのやり方しかできなかった。
忌炎には忌炎の、哥舒臨には哥舒臨のやり方がある。両者とも優れた将ではあるが、まったく同じように指揮を執ることなどできないのだ。
だから、彼は叫ぶ。かつての大戦時と同じように。
殺せ。殺せ。殺せ。余すことなく。
──そして最後に、一言付け加える。
それは、以前の哥舒臨であれば絶対に言わない言葉だった。
「殺せ!殺し尽くして、無事に帰還しろ!」
そうでなければ、忌炎が悲しむ。
そして、不甲斐ないと自身を責めるだろう。
ああ、まったく。甘っちょろい考えだ。
だが、あいつは甘っちょろい自分のままで、夜明けの光を見たのだ。
あいつにはできて、自分にはできないなど、プライドが許さない。
だから。
殺せ。殺せ。殺せ。殺すために。
そして。
殺せ。殺せ。殺せ。守るために。

*
夕方頃に出陣した哥舒臨たちは、深夜になってから破陣基地へと帰還した。
今回の残像潮は物量こそ多かったものの質はさほどでもなく、戦死者は数人に抑えられた。
哥舒臨も、かすり傷程度の傷をいくつかこさえただけで済んだ。
結局のところ、手強かったのは怒涛級2体のみだったのだろう。忌炎は、そいつらにやられたらしい。

部下からの報告を聞き、何枚かの書類にサインをして、シャワーを浴びる。
服を着替えて医務室に向かうと、有無を言わせず怪我の手当をされた。
「忌炎は」
腕の傷の処置をしている軍医に尋ねる。
「向こうの個室におられます。傷からよくない菌が入り、発熱症状があります」
「そうか」
「お見舞いに行かれますか?」
「・・・ああ」

暗い部屋の中で、忌炎は苦しそうに息をしている。
ふぅふぅと荒い呼吸を繰り返す口元に手をやると、かなり熱く感じた。
「・・・忌炎」
静かに名前を呼ぶ。
龍を思わせるその瞳は閉じられたまま、開かない。
サイドテーブルに置いてあった手ぬぐいを取り、汗が浮いた額を拭ってやった。
「・・・俺もついていくべきだったな」
思わず、らしくない後悔の言葉が口をついた。
第三観測所の視察に行ってきますと出ていく忌炎を捕まえて、同行させろと言っていれば。こんなことには。
「・・・・・・」
哥舒臨は無言のまま、しばらく忌炎の顔を眺め続けた。

*
忌炎が大怪我をした日から、2日後。
破陣基地に数十名の傭兵たちが到着した。
「遅くなった。状況はどうなっている?」
カカロは、腕を組んで戦略モニタを見つめる哥舒臨に問いかけた。
哥舒臨は彼をちらりと見ると、再びモニタに視線を戻す。
「大規模な残像潮と溯洄雨の発生。それから、雲閃のウロコと雷刹のウロコの顕現。おまけに、鳴式とよく似た気配がする。まるで、数年前に戻ったようだ」
「なるほど。では、幽霊猟犬は再び夜帰と契約を結ぼう。以前と同じ内容で構わないな?」
「・・・2倍の金額を出す。このふざけた戦争をさっさと終わらせるぞ」
カカロは肩を竦めた。
どうやらこの男は、相当に機嫌が悪くて気が立っているらしい。
モニタを見つめる背から、びりびりとした殺気が伝わってくる。
「太っ腹なことだ。貰えるものはありがたく貰っておこう」

哥舒臨との短いやり取りの後、カカロはまず忌炎の執務室に向かった。
ノックをするが、返事はない。
試しにドアノブを捻ってみたが、開かなかった。施錠されている。
それは、ほとんど予想していた事ではあった。
まず、哥舒臨の苛つき具合。
そして、幽霊猟犬との契約書にサインしたのが哥舒臨だったこと。
その二点から、忌炎の身に何かがあったのだろうとカカロは察していた。
彼は執務室を離れ、今度は医務室へと向かう。
適当な軍医を捕まえて「忌炎は?」と問えば、「あちらの個室でお休みになられています。ぜひお見舞いしてあげてください」という答えが返ってきた。
軍医に礼を言い、示された個室へ向かう。
控えめにノックをして、数秒待つ。返事はない。
執務室でやったのと同じように、ドアノブを捻る。今度は扉が開いた。
「忌炎?」
忌炎はベッドに横たわっていた。眠っているのだろうか。
ベッドに近付く。
「・・・ぁ・・・か、かろ・・・」
忌炎は薄く目を開け、掠れた声でカカロの名を呼んだ。
「大丈夫か?ひとまず水でも飲め」
腹に怪我をしているようだから、あまり体を動かさない方がいいだろう。
忌炎のうなじのあたりに腕を差し込んで、ほんの少しだけ抱き起こしてやる。彼の体は、とても熱い。
サイドテーブルに置かれていたコップを口元に持っていってやれば、忌炎は少しずつ水を飲み込んでいった。

「ありがとう・・・もう、大丈夫だ」
先ほどより随分マシな声になった忌炎を、再びベッドに寝かせてやる。
「カカロ、ひとつ頼みが、あるんだ。相応のシェルコインを、払う。だから、契約を」
彼は荒い呼吸を繰り返しながら、途切れ途切れにそう言った。
「夜帰との契約なら、もう哥舒臨からサインをもらった」
「違う、個人的なものだ。あの人、を・・・哥舒臨さんを、生きて帰らせて、ほしい。頼めるか?」
忌炎は縋るような目でカカロを見つめた。
彼とは数年来の付き合いだが、こんな目を向けられたことは初めてだ。それだけ切実ということだろう。
「・・・必ず。引きずってでも、何をしてでも連れて帰る」
カカロが頷くと、忌炎は安心したように笑った。
「ありがとう・・・」
「それより、自分の心配をしたらどうだ。随分と具合が悪そうだが」
「ああ・・・そういえば、さっきから、寒くて・・・毛布が、もう一枚ほしい・・・」
「わかった。すぐに持ってくるから、待っていろ」
カカロは部屋から出ると、すぐさま戦略モニタの元へと走った。
クライアントの要望以上の働きをしてみせるのも、有能な傭兵たりえる条件のひとつである。
「忌炎が寒がっている。毛布を持って行ってやれ」
相も変わらずモニタを睨んでいる哥舒臨に声をかけた。
彼はじっと前を見据えたまま、やはり不機嫌そうな声で言葉を返す。
「・・・なぜ俺が」
「愚問にも程があるな。いいからさっさと行け。そんなものを見て何になる?」
彼はただ、焦燥と怒りを抑えるためだけにモニタを眺めているにすぎない。つまり、大した意味のない行動だ。それがカカロの推測だった。
その推測はどうやら当たっていたようで、哥舒臨は反論もせず黙り込んだ。
・・・まったく、何を渋っているんだか。面倒な奴だ。
カカロは哥舒臨の体を押しのけ、戦略モニタの目の前に陣取った。
「そんなに気になるなら、俺が見ておいてやる。早く行け」
哥舒臨はチッと大きな舌打ちをしてから、ようやく医務室の方へ歩き出した。
忌炎が寝てしまう前に、間に合うといいのだが。

*
「あ、れ・・・哥舒臨、さん・・・?」
「・・・お節介な犬が、行けと言うから」
言い訳めいたことを言いながら、持ってきた毛布を忌炎にかけてやる。
ついでに、真っ赤な頬に手を当てた。まだかなり熱い。
だというのに、忌炎は一切汗をかいていなかった。
「ありがとう、ございます・・・多少、マシになったかも・・・」
「そんなに寒いか」
「すごく・・・」
忌炎は弱々しく笑って、毛布を口元まで引き上げた。
哥舒臨は苦虫を大量に噛み潰したような顔で忌炎を見下ろす。
こういう気分になるから、見舞いに来るのは嫌だったんだ。
忌炎が弱っているところなど見るのは今回が初めてで、そのせいか胸がやけに騒がしくなって堪らない。今すぐにこの部屋を出たい。これ以上そんな姿を見せるな。
そもそも、医者でもない俺がこんなところにいたって、忌炎のためにしてやれることなんて何ひとつ──否。ひとつだけ、あるかもしれない。
「・・・俺があたためてやる。大人しくしていろ」
「はい・・・、?」
右手を掲げ、黒炎を纏わせる。
普段と同じ出力では、忌炎が火傷をしてしまう。哥舒臨はある程度高温でも耐えられるのだが。
右手に意識を集中させ、繊細に温度を変化させていく。40度くらいがちょうどいいだろうか。
思ったより難しい。自然と息が詰まる。
大きく息を吸い込んで、そのまま息を止めて、そっと忌炎の頬に指を這わせた。
「あ・・・あったかい、です・・・」
忌炎はうっとりと目を細める。どうやら丁度いい火加減のようだ。
ちりちり燃える黒炎と忌炎の微睡む顔は、まったく似つかわしくない。
だが、見てくれなどどうでもいい事だ。忌炎の苦痛が少しでも紛れるのなら、何だって。
哥舒臨は呼吸を最小限に抑えて集中を保ち、忌炎が寝付くまでずっと彼をあたため続けた。

*
忌炎は目を覚ました。
部屋には哥舒臨の姿はもうない。
彼が見舞いに来てくれたのが数十分前のことなのか、数時間前のことなのか分からない。それだけ深く眠っていたようだ。
腹の傷を刺激しないよう慎重に体を起こし、サイドテーブルのコップに手を伸ばす。中の水をごくごくと飲み干せば、頭がしゃきりとした。
「ふう・・・」
コップを置いて、溜息をつく。
かなり体調がマシになっている気がする。
部屋に体温計が見当たらないので熱を測れないが、おそらくもう高熱というほどの熱はないだろう。
枕元に置いてあったデバイスを操作し、軍医を呼ぶ。

「37.5度ですね。食欲はありますか?」
「少しなら食べられると思う」
「では、すぐに何かお持ちします」
そう言って部屋から出ていこうとする軍医を引き止める。
「今は何時だ?北落野原に何か動きはあったか?」
この個室には窓がなく、おまけに防音が完璧に施されている。
部屋の外でどれだけうるさく警報が鳴り響いていたとしても、忌炎の耳にその音は届かない。
「今は夜の8時で・・・今のところ、特に大きな動きはないようですよ。今日は警報も鳴っていませんし」
・・・嘘だ。
軍医の目線の僅かな揺らぎから、忌炎には分かってしまった。
「そうか。ありがとう」
軍医はぺこりと頭を下げると、今度こそ部屋から出ていった。
「・・・哥舒臨さん・・・」
小さく、彼の名を呟く。
きっと彼は今、北落野原で戦っている。
「どうか、無事に帰ってきてください・・・」
哥舒臨は強い。だから、並大抵のことでは死なない。
あの熾烈な湾刀の戦いで行方不明になりながらも、なんとか生き延びて帰ってきた人だ。
それでも、心配せずにはいられない。
あの時、北落野原の奥から感じた、鳴式らしき気配。あれがまた、彼を奪っていってしまうのではないかと不安でたまらないのだ。
肝心な時に、彼と並び立って戦うことができない我が身が口惜しい。
いつだって彼に守られてばかりだ、俺は。

*
哥舒臨とカカロ、そして率いられた兵たちは、北落野原奥部に向かって稲妻のような速さで進軍していた。
彼らが目指すは、北落野原最深部。そこには、未だ態勢整いきらず、無防備な状態の鳴式がいる。そう報告したのは、危険を顧みずに観測を続けていた第二観測所の者たちである。
広く散らばる残像の最も手薄な部分を一点突破し、ひたすら奥へ。奥へ。
しかし、先頭を走る哥舒臨とカカロを遮る影がひとつ。
雲閃のウロコだ。
「ここは俺に任せろ。お前は先に行け」
カカロの言葉に頷く。
雲閃のウロコと交戦を始めたカカロを背後に、哥舒臨は走る。奥へ。鳴式の元へ。

さしたる障害もなく、哥舒臨はやがて北落野原最深部へと辿りついた。
やや開けたその場所には、無妄者がまるで泣いているかのような姿勢で跪いている。
その背後には巨大な瞳のような姿をした鳴式がおり、この世の一切を等しく睥睨していた。
「随分と縮んだな、無相燹主よ」
哥舒臨が4年前に見た鳴式は、巨大に過ぎる威容を誇っていた。
ところが今はどうだ。
4年前の約半分、いやそれ以下の大きさになっているではないか。
「漂泊者の食べ残し、といったところか」
直接見たわけではないが、忌炎と漂泊者が鳴式を討伐した際の話は伝え聞いている。
なんでも、漂泊者の右手の甲から妙ちきりんなモノが現れ、鳴式を吸い尽くしたのだとか。
なかなか愉快そうな光景である。ぜひとも見てみたかった。
「さて・・・では、やるとするか」
哥舒臨は大剣を構えた。
無妄者はすぐさま反応し、その巨躯をもたげる。
哥舒臨は敵の元へと駆けながら、大剣に黒炎を迸らせた。
跳躍し、まずは一太刀浴びせる。
無妄者は鎌で大剣を弾き返し、その反動を利用してくるくると舞うように回転した。
お返しとばかりに繰り出される鎌の攻撃をいなし、反撃。
剣先が無妄者の羽を掠め、黒炎が燃え移ったが一瞬で消えた。
無妄者の突撃を躱し、横薙ぎの斬撃を繰り出す。
斬られた羽がぱらぱらと空に舞い、そして塵になっていく。
久々に味わう『本気の殺し合い』によってもたらされる興奮に、哥舒臨は目を爛々と光らせた。

*
哥舒臨と無妄者が戦闘を始めてから、数時間が経過した頃。
雲閃のウロコを討伐し、兵たちに指示を飛ばし、雑魚敵をある程度間引いたカカロは、ようやく哥舒臨のいる最深部へと到達した。
「遅くなった。調子はどうだ」
「・・・まあまあというところだな」
そう答える哥舒臨は、荒く息を吐いていた。
数時間、強敵と戦い通しだったのだ。いかに共鳴者といえども、疲れるものは疲れる。
「怪我は?」
「多少。だが問題はない」
哥舒臨は腕や脚から血を流していたが、どれも軽傷のようだった。
対して無妄者はというと、片腕がなくなっている。あの様子では、まともに得物を持つことも叶わないだろう。
哥舒臨は額の汗を拭うと、大剣を握り直した。
「お前は俺の支援をしろ。やり方は任せる」
「承知した」
カカロが頷くと、哥舒臨は無妄者に向かって駆け、そして跳躍した。
カカロも彼の後を追い、無妄者の死角から攻撃を仕掛ける。
元々、哥舒臨ひとりでも押していたのだ。カカロが加勢したことにより、戦力差はよりはっきりとしたものになった。
無妄者は泣き叫ぶような声を上げ、成す術もなく前後からの攻撃を食らっている。
──倒せる。
そう確信した時だった。
空から地上を睥睨するのみだった鳴式が、唐突に行動を起こしたのだ。
「な・・・っ」
空気が振動する。
鳴式から、何かしらの力が無妄者に与えられた。
無妄者が腕を取り戻し、即座に鎌を振り抜く。
避けなければ。哥舒臨はそう思った。
しかし、距離が近すぎる。速度が速すぎる。もう間に合わない。

一瞬の後。哥舒臨は地面に尻餅をついていた。
腹からは、どくどくと血が溢れている。
無妄者の鎌で切られたのだ。だが、内臓までは達していない。
「っ、無事か!?」
カカロが叫ぶ。
彼の使役する影が咄嗟に哥舒臨を突き飛ばしていなければ、彼は臓物を撒き散らして死んでいたことだろう。
「は・・・恩に着るぞ」
哥舒臨は冷や汗を垂らしながら笑い、腹の傷を黒炎で覆った。
再び哥舒臨に襲い掛かろうとする無妄者を、カカロがなんとか抑えている。
今のうちに、この傷を塞いでしまわなければ。
「ぐ・・・っ!うぅ・・・!」
肉体が灼かれる痛みに呻く。
戦闘による高揚ですら、その苦痛は誤魔化せない。
しかしそれでも哥舒臨は不敵に笑い、やがて、立ち上がった。
──まだ動ける。殺せ。怨敵を。刺し違えてでも。殺す。
憎悪に、怒りに、責任に、重圧に、哥舒臨の黒炎が滾る。
殺せ。
殺せ。
殺せるのなら、この身がどうなろうと構わない。
恐れはない。
心残りもない。
・・・本当に?
本当にそう、だろうか。
忌炎に、俺の帰りを待っていろと言ってしまったのに?

一瞬の逡巡。
しかしすぐに、哥舒臨は大剣を強く握り直した。
俺がやらなければ、いったい誰がやる?
その問いに答えるように、頭上から声が聞こえた。
「ごめん。遅くなった」
やや小柄な黒い影が哥舒臨の前に降り立つ。
「・・・漂泊者・・・」
「大丈夫?後は俺に任せて」
それだけ言うと、漂泊者は無妄者の元へと駆けていった。
空に浮かぶ鳴式が、以前の屈辱を思い出したかのように鳴動する。
無妄者はカカロそっちのけで漂泊者に襲い掛かった。
鎌と迅刀が激しく鎬を削る音。
哥舒臨は己が身を強いて、大剣を大きく振りかぶった。
黒炎を限界まで燃え滾らせ、そして。鳴式に向かって投げ放つ。
強靭な筋力によって投擲されたそれは、鳴式の中央に深々と突き刺さった。
空気が震える。
悶えているのだ。あの鳴式が。
それとほぼ同時に、漂泊者とカカロは力を合わせて無妄者を下した。
無妄者はふらふらと後ずさり、地に倒れ伏す。
「2人とも、俺の後ろにいて。多分、最後に爆発すると思う」
漂泊者はそう言いながら、右手を前方に構えた。
カカロは哥舒臨に肩を貸し、忠告通り漂泊者の後ろに控える。
「アブ、もう一回あれを吸い込んでくれる?」
「え~、あいつマッズイのに・・・仕方ないな~」
漂泊者の予想通り、無妄者が、鳴式が、最後の悪足掻きとばかりに膨れ、その膨大なエネルギーで3人を叩き潰そうとする。
哥舒臨は、漂泊者の右手から妙なモノが現れるのを見た。
そしてソレが光り輝きながら、エネルギーを吸い込んでいく様子を。

*
鳴式はすべてアブに吸い込まれ、その姿を消した。
空に立ち込めていた暗雲が晴れ、本来の空が広がっていく。
いつの間に夜が明けたのか、遠方には美しい朝焼けが見えた。
哥舒臨は呆けたようにその光景を見つめ──そして、不意に笑い出した。
静かな北落野原に、彼の哄笑が響き渡る。
哥舒臨が追い求め続けた仇敵の最期があまりにも呆気なく、そして永年の夜の果てに辿りついた朝焼けがあまりにも美しかったから。
彼は笑う。笑う。笑う。
笑って、笑って・・・
そして、倒れた。

*
コンコン、とノックの音。
忌炎が「どうぞ」と言うと、ラフな格好をしたカカロが入ってきた。
「調子はどうだ」
「ああ、もうほとんど熱も下がったし、大丈夫だ。それより・・・」
それより、出陣した哥舒臨の安否は。
カカロは忌炎の焦りを察したのか、珍しく笑ってみせた。
「無事だ。腹に怪我は負ったが、お前ほど酷い傷でもない。貧血で少しふらふらしていたがな」
「そう・・・か。よかった・・・」
忌炎の肩から力が抜ける。
本当に、よかった。
彼がちゃんと戻ってきてくれて。
「鳴式らしきものも倒した。漂泊者が全部吸い込んだおかげで、今は綺麗さっぱり片付いている。また今回のような事が起こらないとは限らないが・・・少なくとも、しばらくの間は平和だろう」

カカロはいくつかの事柄を忌炎に伝えると、部屋から出ていった。
忌炎は、ふぅと息を吐く。
安心したせいか、眠気が襲ってきた。
昨夜は哥舒臨のことが心配で、あまり眠れなかったのだ。
「もう一度、眠るか・・・」
ベッドに横になり、毛布を被る。
その瞬間、バン!と大きな音を立てて扉が開かれた。
「!?」
反射的に飛び起きかけるが、腹の傷がずきりと痛んでベッドに逆戻りした。
「う・・・いたた・・・」
「忌炎、戻ったぞ」
戻ったぞ、じゃなくて。
もう少し丁寧に扉を開けてほしかった。
けれど、そんな文句も今回ばかりは飲み込もう。
「・・・おかえりなさい、哥舒臨さん。俺、ちゃんとあなたの帰りを待っていましたよ」
「ああ。えらいな」
わしゃわしゃと頭を撫でられる。
乱雑なその撫で方に、忌炎はむず痒い気持ちになった。
「さて。俺は疲れた。寝るから、ちょっと詰めろ」
「え?ここで寝るんですか?」
「何か文句でも?」
「いや、ないですけど・・・」
哥舒臨はベッドに潜り込むと、忌炎の肩に腕を回して早々に目を閉じた。
「おやすみなさい、哥舒臨さん」
「ん。お前も寝ろ」
「はい。そうします」
忌炎は哥舒臨の頬に軽く口づけると、そのまま眠気に身を任せた。