千代里
2024-12-10 12:47:29
13029文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その18


 身を切るような冷たさを肌で感じ、オデットは手綱を握る手に力を込める。指先の感覚はぎりぎり生きているが、手袋がなければ早晩オデットの指は麻痺していただろう。
 クルザスの冷たい空気に乗った雪の粒は、旅人だろうが巡回に出ている騎士だろうがお構いなしに吹き付ける。
 自分が騎乗しているチョコボは寒くなかろうかと、オデットは眼前の羽毛に包まれた首筋をぽんぽんと叩く。
 毛皮や羽毛を持たない人間と比べて、チョコボの体は手袋越しでもわかるほどの熱が残っていた。ふわふわの羽に包まれた体と防寒具のおかげで、風に煽られる以外で障害に感じていることはなさそうだ。
 そんなことを考えていると、一際強い風に自分の体が流されそうになる。
「オデット、大丈夫か」
「は、はい。平気です」
 ふと、吹き付ける風が弱くなる。声をかけつつ風に対して壁になるように位置取ってくれたのは、オランローだ。
 一行の中で最も大きな体躯の彼は、隊列の真ん中にいるオデットやゲルダを守るため、自分の体の影に二人を隠してくれた。
……騎士の方々のお仕事って、こんなにも大変なことなのですね」
「街や土地の守護を任されている者にとって、巡回は当然の仕事だ。……もっとも、さすがにこの天候には同情する」
 一行は今、かねてから予定していたように、街を守護する神殿騎士の巡回任務に付き合ってクルザスの雪原をチョコボに乗ってかけていた。先日の街道の戦いで宿場に残してきたチョコボは無事にシュガーグレイヴに到着し、ノエたちとの再会を果たしていた。
 隊列の先頭を行くのは、急襲に対応可能な戦い方を身につけているサルヒ、ノエだ。そのすぐ後ろを巡回ルートを記した地図を持つ引率の騎士がついている。
 騎士の後ろに前衛後衛どちらの戦い方も可能であるルーシャン、続いてオランローやゲルダ、オデットが塊となって続く。
 ヤルマルは、飛竜の追跡の時と同じく、殿を受け持っている。大きな耳を持つ彼女は、遠くの音まで拾うことができるので、チョコボの足音に消えてしまう物音を拾う役割を請け負っていた。
「今日はとりわけ風が強い。風に煽られそうになったら、すぐに言ってくれ」
「ありがとうございます、オランローさん――
「だから、そんな子供は連れてくるべきではないと言ったのだ!」
 前方から聞こえてきた叱責に似た女性の声に、オデットは亀が首を引っ込めるように、ぎゅっと襟巻きの中に顔を埋めた。
 聞き慣れないその声は、此度の巡回の案内人だ。正確には、ノエたちが彼女の巡回の手伝いをする立場なのだが、人数の差もあってお目付役という側面が浮き彫りになってしまう。
「子供たちは無理についてこなくてもいいと、隊長もそう言っていただろう!」
「そっちの言い分は分からんでもないが、別に伊達や酔狂で連れてきたわけじゃないからな!」
 騎士の指摘に、ルーシャンが声を張り上げる。
「オデットは治癒魔法が使える。ゲルダは、俺たちが面倒を見るって形で契約しているお嬢さんなんだから、街に置いていくわけにもいかない! 最初に説明しただろ!」
 ルーシャンは怒鳴り声と思うほどの声をあげているが、これは怒っているわけではない。雪風に声がかき消されそうになると、どうしても少しの距離でも声を張り上げないと言葉が聞こえないからだ。
「わたし、皆さんの足を引っ張るようなことはしませんから! 危なくなったら、ちゃんと後ろに下がります!」
「オデットは、竜と遭遇して戦った経験もある魔道士だ。ただの子供じゃないことは、ボクが保証するよ!」
 オデット自身の言葉とヤルマルの援護もあって、最終的に騎士は沈黙を選んだようだった。勝手にしろという小さな声は、雪風に潰されながらオデットの尖った耳に流れ着いたが、それ以上の口論には発展しなかった。
「やれやれ、同行する騎士様の頭は、クルザスの凍土より硬そうだ。先が思いやられるな」
 少しチョコボの速度を緩め、ルーシャンがオデットへと近づく。先ほどのやりとりで槍玉になった少女が落ち込んでいないか、気を遣ってくれたのだろう。
「振る舞いを見る限りは、職務には忠実そうだがな」
「さあ、どうだか。大体、冒険者が六名に対して正規の騎士の引率が一名ってのはどうなんだ?」
 ルーシャンの発言に、オランローは口を噤む。
 彼のいう通り、先を行く面々の中で騎士の甲冑を纏った者は一名だけだ。
 今回の巡回遠征――二、三日かけて砦や城塞に物資を運ぶついでに、あわせて街道の魔物を退治したり、付近の村落の状況を確認しにいくという、実に多岐にわたる内容が詰め込まれたものと聞いている。
 その任務に参加するのは、ノエたち六名とおまけのゲルダ、そして神殿騎士団に属する騎士一名だけだった。
 まさか同行する騎士が一名とは思っていなかったので、任務について説明を受けているときに部隊長のピヌヌに文句の一つでも言いたかったが、肝心の彼女は取りつく島もなく、一行の指摘を無視したのだった。
「しかも、まさかその騎士様が……なぁ。俺は別に差別したいわけじゃないが、相当あれも珍しいだろ」
 そこまでルーシャンが言いかけるとほぼ同時に、目の前を行く騎士が片手を上げるのが見え、後続の面々はチョコボの手綱を引く。腕に巻いた赤いスカーフは、停止の合図が見えるように結ばれたものだ。
「おい、そこの者たち。後ろでこそこそと何を話している」
 チョコボが巻きたてていた雪煙が収まり、代わりに姿を見せたのは先頭と中衛の間に挟まる位置で走っていた女性騎士だった。今でこそ頭部を覆う重厚な兜を身につけているものの、彼女の特徴までは完全に隠しきれていない。
 甲冑の後頭部に、後方へと伸びる形状として作られた三角耳。防具代わりのマントの隙間から伸びる、藤色のふさふさとした長いしっぽ。
 それが指し示すのは、
「隊列を乱すんじゃない。先行している者の偵察が終わったら、すぐに出立するぞ」
 凛とした声を放つ、しっぽと同じ色味をもつ女性。その人物は、ピヌヌ同様イシュガルドでは非常に珍しいミコッテ族であった。縦に鋭い瞳孔を持つので、エオルゼアでは太陽を追う一族――サンシーカーと呼ばれる一族の血が流れているのだろう。
 リムサ・ロミンサやウルダハ、アラミゴなどエオルゼアの中でも温暖な地域に集落を作ることの多い種族が、どうしてこのような寒冷な土地で騎士をしているのか。そんな軽率な質問ができるほど、一行と彼女の関係は親しいものではなかった。
「ノエたちはどうしたんだい?」
「前方に不審な影があった。偵察をすると向こうから申し出たので、先行して様子を見に行ってもらっている」
 彼女の説明を聞いて、ヤルマルは「ノエらしい」と口の中でつぶやく。
 出かける前は、どこか落ち着きのない様子を見せていた彼ではあったが、戦闘がいつ起きるか分からない場面で惚けているほど、呑気に構えてはいられなかったようだ。サルヒもいるのなら、滅多なことにはならないだろう。
「向かう先について、変更はなしでいいか」
「ああ。出発前に地図で示した通りだ。今晩は、このさきにある旅人の小屋にて休息をとる予定だ」
「たしか、羊飼いの家族が住んでいるという話だったか」
「ああ。ありがたいことに、いつも我々や行商の者に宿を貸してくれている。行き先が不安なら、今なら時間があるから地図の確認もできるが……そもそも移動中に地図を見るほどの余裕がお前たちにあるのか」
「行軍中の経路確認は、経験がある。出発前にざっと写しておいたが、念のため確認をしておきたい。オレの地図を見てもらえるか、騎士イレーナ」
 オランローに名前を呼ばれ、イレーナはぱちりと大きな瞳を瞬かせる。
 その名前もイシュガルド風ではあるが、ミコッテ族の名前としては一般的ではない。ミコッテ族の名前は、もっと短くはっきりとした発音のものが多いからだ。おそらく、彼女自身はイシュガルドで育った者なのだろう。
「傭兵というのは、もっと自由気ままに行動しているものと思っていたのだがな」
「オレたちは傭兵ではない。それに、オレ自身は以前は組織に属していた身だ。自由に動くよりも、目的地が決まっている方が落ち着く」
 イシュガルド人にとって、冒険者も旅人も傭兵もどれも似通ったものだ。武装していたので、イレーナはノエたち一行を傭兵であると思い込んでいたらしい。
「ほう。傭兵が組織を作っていたのか」
「傭兵とて、組織に与することもある。それに、エオルゼアには、冒険者部隊というものもあるからな」
 オランローがそのように説明すると、イレーナは軽く目を見開いた。
 実際、オランローの言うように、エオルゼアの主要三都市には冒険者を主戦力とした軍隊――グランドカンパニーと呼ばれるものが存在する。
 もっとも、オランローは彼らと敵対するガレマール帝国軍の所属だったのだが、それを正直に言うような真似はしなかった。
 イレーナは、オランローが広げた地図を見て、数度頷く。目的地は問題なしと呟いたあと、
「この付近には雪崩が頻発していると報告があった。地形が変わっている可能性がある。それと……
 出発前に伝えきれなかった注釈を聞きながら、オランローはそれらの言葉を頭に叩き込んでいく。この小休憩の間では、ペンとインクを取り出す余裕はない。リーダーの命令を頭に入れるのも、オランローがかつて兵士だった頃に身につけていた技術だ。
 二人が地図を見ながら話をしているのを横目に、オデットは見るともなしにノエたちが向かった前方の雪景色を眺めていた。すると、
「オデットは、街に残っていた方が良かった?」
……いいえ。わたしは、兄さんのそばにいたいですから」
 チョコボを操ってそばにやってきたゲルダからの質問に、オデットは首を横に振る。
 シュガーグレイヴに到着するまでは他のメンバーと相乗りをしていたゲルダも、今回の出立の際にチョコボを新たに借り受けて、今では長年の相棒のように乗りこなしていた。
「出発する前に、ミラベルが私たちに声をかけてたでしょ。あの時のオデット、何か言いたそうだったから、残りたいのかと思った」
「あれは……もしお兄ちゃんを手伝えるなら、手伝ってあげたい。そう思ったというだけです」
 答えながら、オデットはちょうど二時間ほど前にあった出来事を思い返す。
 それは、出発のために詰め所に集まっていたノエたちの元に、ミラベルがやってきたことから始まったやり取りだった。
 
 ◇◇◇
 
「お忙しいところすみません、騎士様。今、少しお時間をいただけないでしょうか……!」
 それは、まだ日が昇ってからさほど経っていない時間のことだった。
 早めの朝食をとり、神殿騎士団のリーダーであるピヌヌからの言伝通り、詰め所に集まったノエたちは、ちょうど、彼女や同行するイレーナと共に玄関先で任務の最終確認を終えたところだった。
 同行する騎士の紹介も済み、チョコボの厩舎に向かおうとしていた一行は、揃って声の主を見やった。入り口に残っていたピヌヌも、同様に現れた人物を目にして、大きな瞳を一度瞬かせる。
「ミラベル司祭……? いったい、そんなに慌ててどうしたのですか」
 ピヌヌが周りを代表し、怪訝そうに尋ねる。
 ピヌヌが怪しむのも、無理もない。ミラベルはいつも着用している司祭の装束ではなく、私服同然のシャツとズボンにコートを羽織っただけの姿だった。昨日会ったときは乱れなく整えられていた銀髪も、走ってきたせいであちらこちらに撥ねてしまっている。
「隊長様、カーター氏を見ていませんか。アンディの父親の、街の外れに住んでいる赤毛のヒューラン族の方です」
……カーターさん、ですか? いえ、そのような方は僕は見ておりませんが」
 そう答えたピヌヌの顔は、いささかバツが悪そうなものだった。
 街の者の話が本当なら、騎士たちは街の巡回に人を割いていないはずだ。見かけたかどうか判るわけがない。
「カーターという名前も、聞いたことがない名ですね。この街に赴任する際に住民の名を記した帳簿には目を通したつもりなのですが……
「カーター氏は、おそらく流れの一家です。街の外れには、彼のように城壁を何らかの方法で潜り抜けた方が集まっているのです」
 ノエは、先日自分が目にした流民と思しき人々の姿を思い出す。寄る辺を持たない彼らは、空き家に勝手に住み着いて、寒さを凌ぎながら、その日暮らしを続けているとミラベルは説明した。
「それで、その件のカーター氏に何かあったのですか」
「いないんです、どこにも。あの辺りに住んでいる方々にも聞いてみたら、もう一週間ほど家に戻っていないと」
「待ってください、ミラベルさん。昨日僕らと探していたアンディという少年は、自分の親のもとに帰ったという話ではありませんでしたか」
 様子を見守っていたノエは、思わず口を挟む。もし今の発言が本当なら、アンディは行方しれずとなった親の後を追うように姿を消した、ということになる。
「私も、そのように考えていました。今までも、似たようなことはあったので、それと同じかと思ったのです。カーター氏とは面識があるのですが、外のものが家庭の話を口を出すとひどく……感情的になるので、昼間に様子を見に行こうと思っていたのですが……
 ミラベルは言葉を濁したが、カーター氏は流民であると同時に乱暴者としても有名であったらしい。だからこそ、アンディをミラベルは孤児院に留め置きたかったのだろう。
 しかし、夜更けに家を訪問して、下手に不興を買うのも危険だ。表向きの訪問は、父親がまだ落ち着いているであろう昼ごろを狙い、朝は在宅の確認だけに留めようとした。
 だが、ミラベルは家に誰もいないことに気がついてしまった。
「それも、昨日今日の話ではないようでした。周辺の人々の話では、もう一週間ほどこの建物には人が出入りしていない、と」
「では、その方はどこに行ったのでしょうか」
「外から来た方については、僕らも管理ができていない部分があります。他の方と共に出て行ったのかもしれませんし、あるいは……
 よからぬ事件に巻き込まれたのではないか。ピヌヌは、暗にそう言いたいようだった。
……アンディの父親が何をしていようと、彼は大人だ。責任は自分で持てばいい。でも、アンディはまだ十歳にもなっていないような子供なんだ。何か問題に巻き込まれてしまったのなら、大人が手を貸すべきだ」
 今までの丁寧な言葉をかなぐり捨てて、ミラベルはアンディへの心配を吐露する。それは、孤児院に一次的に滞在しているだけの者とは思えないほどに真剣な祈りが混ざっていた。
「騎士のあんたたちなら、もしかしたら何か知っているんじゃないかって……思ったんだが」
……申し訳ありませんが、僕たちもその子供の所在については検知しておりません」
「じゃあ、あんたちはこの件も知らないのか。流民の連れてきた子供たちが、これまでも何人か姿を消しているってことも」
「初耳とまでは言いません。子供たちを見かけなくなったという市民の声は聞いています」
 だが、その言い方は、子供たちの失踪はさしたる問題ではないと捉えていると言っているのと同じだった。
 ピヌヌが特段冷たいわけではない。どこから流れ着いてきたかも分からない者たちが、この街を去ったのか、それとも残った上で事故や事件で姿を消しているのか、把握するのが現状では不可能だと彼女も悟っているからだ。
 まして、住民簿に登録されている家の子ならいざ知らず、街に流れついてきた子供が消えようが消えまいが、探してくれと頼んでくる者自体がいない。街の者は流民に目を向けている余裕などないし、流民自身は己の肩身の狭さを理解しているので、公権力である騎士を嫌厭してしまうからだ。
「街に残っている騎士には、子供とカーター氏という方を捜索するように伝達しておきましょう。その少年の容姿と最後に確認できた時間帯と場所について、聞かせてもらってもいいでしょうか」
 ピヌヌに促され、ミラベルは焦燥を隠しきれないままに勢いよく頷いた。
 彼女に連れられ、ミラベルの姿が詰め所の中に消える。彼は最後まで、オデットやノエの方を見ようとしなかった。
 
 ***
 
 オデットと再会しても、彼女を気にかける様子すら見せなかったミラベル。
 いなくなった子供と、その親の消息を求める姿は、幼子を憂う司祭としての当然の振る舞いである。
 だが、その振る舞いを目にしてなお、ノエの思考は更なる意図を汲み取ろうと回転する。
(やっぱりミラベルさんは、オデットのお兄さんじゃないのか? だから、あんな風に素っ気ない態度がとれたんだろうか――
 そこまで考えた最中、自分に向かって躍り掛かっていた、翼の生えた蜥蜴のような魔物が視界を埋めた。
 咄嗟に体と魔物の間に盾を割り込ませられたのは、これまでの間に培ってきた技術があってこそだ。もしそうでなかったら、魔物――ヒッポセルフの細く鋭い爪は、ノエの顔を切り裂いていただろう。
「ノエ!」
(いけない、今は戦いに集中するべきだ)
 共に戦っているサルヒの声に、ノエは強制的に思考を今へと引き戻す。
 騎士イレーナと共に街を出立し、数時間経ったころ。途中、休憩を挟みながらも一行の先頭を走り続けていたノエは、現在ヒッポセルフとドラゴンフライが混じり合った群れと会敵していた。
 本来なら、このような大量の敵と正面から戦うのは危険なため、群れを見かけたら刺激しないように距離を取り、迂回路を探すのが旅人の鉄則だ。
 しかし、此度の任務には街道近くの魔物の数を減らすことも含まれている。むしろ、群れを見つけたなら、率先して狩りに行かねばならない。
「だからって、この量は……どこかで、異常繁殖でもしているんだろうか」
「あの敵は、竜の眷属にもなる魔物だって、さっきの騎士は言っていた」
「では、どこかにドラゴン族が潜んでいるのかもしれませんね」
 少なくとも、最後に目撃したときは十を超えるドラゴンフライが飛び交っていた。ノエに襲いかかっているヒッポセルフは、ドラゴンフライの群れに襲われてこちらに逃げ込んできた被害者でもある。
 幸いなことに、群れの半分はオデットやルーシャンがいる方向に向かっているので、ノエとサルヒはもう半分を倒すことに集中すればよかった。そのはずなのだが、
「ノエ」
 再び、サルヒに呼びかけられ、ノエは回答代わりに自分に飛びかかってきていたヒッポセルフから半歩距離を置き、敵の攻撃を誘う。予想通り、大ぶりの攻撃を空振りさせられたヒッポセルフの胴体を、ノエの剣が薙ぎ払う。真っ二つに引き裂かれた細い胴体からどす黒い血が飛び散り、雪原を汚していく。
――――
 自分がイシュガルドに辿り着いてから、屠ってきた竜――あるいは、竜と化した人の最期が、ふと網膜の裏側から浮かび上がり、一瞬集中が乱れる。懐に飛び込んできたヒッポセルフの攻撃を盾で防げたのは、やはり条件反射が身についていてくれたからだ。
「ノエ!」
「何でしょうか、サルヒさん」
「さっきから、攻撃に集中できていないことが多い。悩み事を引きずるなら、後にするのを勧める」
…………
 ノエが答える前に、サルヒが振るった斧が飛来したドラゴンフライをまとめて叩き落とす。
 ヒッポセルフもドラゴンフライも、大きさは狼などに比べれば小さく細身だ。だが、その細身の体を活かして、俊敏な動きをするので、大振りな重たい一撃を得意とするサルヒにとってはやりにくい相手でもある。
 それがわかっているのに、ノエはサルヒと呼吸と合わせるための努力をしていない。普段なら意識せずともやってのけるのに、集中が乱れているせいで思考がそこまで辿り着けていない。その原因は、ノエもよく知っている。
「すみません。……言い訳させてもらえるなら、オデットのことを考えている自分を振り切れないんです」
「彼女が心配?」
「それも……あります」
 それは、暗にそれ以外もあると言っていた。
 ノエはサルヒの背中に自分の背中を合わせるように立ち位置を変え、彼女がカバーしづらい背中からの攻撃をフォローする位置につく。これなら、多少意識が乱れていたとしても、そこにいるだけでサルヒへの援護になる。
 サルヒの背中を狙っていたドラゴンフライの風魔法が眼前に炸裂し、即座にノエは自分の魔力を盾として彼女を守った。
「魔物と戦っているから不安……という風には見えない」
 なぜなら、それはあまりに今更な心配だからだ。今まで、ノエは何度もオデットを戦いの場に出てくることを許している。最初こそ渋ったものの、いつしか当然のこととしてノエは受け入れていた。
「オデットの記憶のこと、今も考えているの」
「はい。僕がこうして選んできた生き方が、オデットに影響を与えている。その考えが、拭いきれないんです」
 話しながらも、ノエは剣を振るい続ける。今までのように、集中して攻撃ができていないと分かっていても。幸い、ヒッポセルフたちはノエの無心の攻撃にすらも怖気付いて、距離を置いてくれた。
「どうしても振り解けなくて……こんな時に悩んでいる場合ではないとわかっているのですが」
「その通り。あなたは今、戦いに集中するべき。さもないと、足元を掬われる」
 忠告はしたものの、ドラゴンフライやヒッポセルフは平地で戦う分はさして強い魔物でもない。雪に馴染まない黒々とした体のおかげで、視認もしやすく、攻撃自体も単調だ。
 おそらく、サルヒが最初に言ったように、竜の眷属として支配されている影響で、臨機応変な思考ができなくなっているかもしれない。おまけに、最初こそ威勢のよかった彼らも、サルヒたちの徹底抗戦に臆病風に吹かれつつある。
「今の私が、ノエに一つ言えることとしたら」
 サルヒの斧の一振りで、ついに撤退を決めたドラゴンフライたちが背を向ける。
「言えるとしたら?」
 しかし、群れの逃亡をノエは見逃さなかった。
 彼が高めた魔力が光の輪となり、ドラゴンフライの大群をまとめて焼く。普段なら逃げる魔物に追い討ちをかけるような真似はしないが、任務の内容が街道の警備である以上、魔物を倒す――殺すまでが仕事だ。黙って撤退する彼らを見送るわけにはいかない。
「私があなたに言えることしたら、自分が生きてここにいるのに、誰にも影響を与えない……そんなことは、ないってこと!」
 言葉の最後が力強く跳ねたのは、やぶれかぶれになってまとめて食らいついてきたヒッポセルフを、サルヒの斧がこれまたまとめて断ち割ったからだ。薪を一刀両断するような一撃は、魔物を一塊にして地面へと打ち据える。
 骨を砕かれ、体を断たれた魔物の亡骸が、サルヒとノエの足元で一塊となって骸を晒していた。
 残心を続けながらも、ノエは呟く。
「ですが、昨日、ルーシャンさんとオランローさんに指摘されたんです。オデットの選択の指針の全てが僕である、と考えるのは自惚れではないかと」
 いかにも彼の言いそうなことだ、とサルヒはまぶたの裏に思い描き慣れた男の横顔を浮かべる。
「それは……確かに旦那様たちの言う通り。オデットは、きっと私たちに見せてくれている以上に、いろんなことを考えている」
 私と違って、とサルヒは小さく呟く。
 オデットは、周りの状況を目にして、そこに生きる人たちが幸せであるようにと祈れる優しさを持っている。本人は否定するだろうが、苦しんでいる人を前にして放って置けないと思えるのは、彼女の美徳の一つに数えられるだろう。
 サルヒとて、全く気にならないというほどの冷血さは持ち合わせていない。しかし、ノエやオデットのように傷ついた誰かのために命を賭けようなどとは、少なくとも自分では思いつかない。
「オデットは、ノエのそばにいた時間が長いから、ノエに似た考え方をするようになったのかもしれない。私は、それがそんなに悪いこととは思えない」
「そう言っていただけるのは光栄ですが、やはり僕にも責任の一端があるということだと思うのです」
「でも、それなら、誰の影響も受けず、誰にも影響を与えずに生きるなんてこと、できない」
 話しながら、サルヒの脳裏にはルーシャンの姿が浮かんでいた。
 かつて、彼は貧民街で荒んだ生活を送っていたと語っていた。しかし、今ではどうか。貴族の父に見出されたおかげで、かつての父の領土に暮らす民を思い、今もどこかで消化しきれない思いを抱いている。本人は「そんなことはない」と言うだろうが、サルヒの目には下手な誤魔化しにしか見えなかった。
 そして、自分にはあまり関わるなと言い続けるルーシャンの主張が、サルヒにとって無意味である理由も彼が与えた変化の一つだ。
「私は、旦那様に助けられてここにいる。旦那様がどれだけ自分から影響を受けないでくれと願っても、それは無理な話。だって、旦那様が私に手を差し伸べた時点で、旦那様は私の中の何かを変えてしまっているのだから」
 ルーシャン自身、自分がどんな影響をサルヒに与えているか自覚しているのだろう。サルヒがルーシャンと共にいたいと願ってしまうような振る舞いを自分がしていると、ある程度は理解してくれているはずだ。
 だから、彼は本気でサルヒを見捨てるような真似をしない。一緒に来ない方がいいと言いつつも、彼が目的地も告げず急にサルヒの目の前から消えるような真似はしない。
「旦那様は、私に対して誠実であろうとしてくれている。……私があの人を心底から嫌いになるような言葉を口にすれば、そういう振る舞いを見せれば私はあの人を見限るのに、旦那様はそういうことは一度もしなかった」
 それは、サルヒの忠義を試すことであり、ルーシャン自身がサルヒに齎した変化を軽んじることでもある。そして、彼が悪ぶって見せても不必要な悪事を行わないのは、父親がくれた変化を裏切ることができない証でもあった。
……だから、さっきも言ったけれど、私たちがここにいる以上、誰からも何も受け取らず、誰にも何も与えないなんてことは……できないと思う」
 オデットが選んだことに、ノエからの影響があるのは必然だ。全てではなくとも、そこにはノエの与えた要素が混ざっている。言ってしまえば、もう手遅れということだ。
 わかりきっていた結論を改めて受け止めた上で、ノエは問いかける。
……僕は、どうしたらいいとサルヒさんは思いますか」
 その言葉に、ようやく残心を解いたサルヒは顕になっている方の金色の目を大きく見開いた。
「サルヒさん?」
「ノエが、そんなふうに誰かにはっきりと意見を求めるのは、初めて見た気がする。驚いた」
「そんなにも、僕は自分だけで何もかも決めるように見えますか?」
 即座に否定が返ってくると思っていたが、サルヒはひどく難しいことを聞かれたかのように顔を顰めてしまった。
「ノエは、自分はこうするべきだって決めたことは誰に何を言われても変えないから。いつも、私たちに意見を聞いても、自分の中で答えができた上で尋ねているように聞こえていた」
……確かに、僕は自分の定めた一線は守ろうと決めています。そのせいで、すでに自分の中で決定しているのに、もう一度質問しているように聞こえてしまっていたのかもしれませんね」
 自分が打ち立てた考え自体を、ノエは否定する気はない。
 英雄の安寧を守るために、どれだけ自分が傷つけられようと口を割らなかったこと。
 見返りなどなくとも、仲間を助けるために何度も命を賭けたこと。
 飛竜に攫われた人を見捨てないと決めて、助けに行こうとしたこと。
 相手が妖異であっても、その者の矜持を守るために、自死を求めていた騎士に生きるための契約を迫ったこと。
 それを守らなければ、自分自身を否定しかねない――そう思える一線に対して、ノエは忠実であろうとした。それを守ることこそが、自分に対して最も誇れる生き方だと信じていた。
「でも……今回ばかりはそうはいかないんです」
 まるで、首に縄を絡めて両側から引っ張っているみたい。ゲルダの言葉は、的確にノエの心境を語っていた。
「なぜなら、僕のやりたいことを優先したら、それは……オデットの隣にいたい、ということになってしまいます」
「それは、ノエにとっては、『自分の定めた一線』を守ることにはならないの?」
「僕の願望についてはこの際考えるべきではない……僕は、自分にそう定めるべきだと知っています」
 願いと、矜持。欲と誇り。
 どちらもノエにとっては今までは同じ方向を向いていた。
 だが、今回ばかりは、その向き先が真反対の方向を示している。
「ノエは、自信がないの?」
 終わりのない堂々巡りの悩みに再び落ちる直前、サルヒの言葉に思考が浮上する。
 ちょうど、ルーシャンやイレーナたちの方に向かった魔物も掃討し終えたのだろうか。魔物の声の代わりに、チョコボたちがたてる雪煙が近づいてくるのが見えた。
「自信、というのは」
「自分がオデットの隣にいて、必ず幸せにするっていう自信。むしろ、自分がいなければ彼女は不幸せになる、とまで言い切れてしまう気持ち」
「それは、傲慢というのではありませんか」
「私は、私が隣にいることで旦那様を幸せにする自信は持っている」
 実際にそうなっていると言い切るのは、ノエのいう通り傲慢に値するので、そこまではサルヒは言わない。一方で、自分がいない方がルーシャンが幸せになる、とは思わない。
「旦那様に聞いたわけじゃないけれど。私がいなくなったら、旦那様は良くない方向に向かってしまうのは確かだから」
「ルーシャンさんは、サルヒさんは自由に生きていいと思ってはいるようでした。ですが、同時に、そばにいないのはやっぱり嫌だと感じているようでしたよ」
……それ、旦那様が言っていたの?」
「昨日のことですが、オデットのことを相談したときに、サルヒさんがいなくなったらやっぱり慌てたと話していました」
 そこまで説明して、ノエは心の片隅でルーシャンに謝罪する。てっきり、ルーシャンとサルヒの間で話が済んだことだと思っていたが、サルヒのこの表情の変化を見る限り、ルーシャンは自分の心情をサルヒには打ち明けていなかったらしい。
……旦那様は、そうやって他の人にばかり言うのがずるい」
「ルーシャンさんを怒らないであげてください。僕が口を滑らせてしまっただけで……
「ノエ。他人事みたいに言っているけれど、きっとオデットも同じ気持ちだと思う」
「オデットには、僕がまだ話せていないことがあることは伝えています」
 隠し事をしている、ということだけはノエは伝えていた。オデットは、ノエが待ってほしいという言葉を受け入れてくれた。
「それは、話さないことを許しているわけじゃない。あまり待たせるのは、オデットが可哀想。私なら、少なくともそう思う」
 何やら随分と含みのある物言いをしてから、サルヒは近寄ってくるルーシャンたちに向けて手を振ってみせた。
 その中にいるオデットのことを考え、彼女を自分は幸せにできるのかと問いかけてみる。
 そこで、胸を張って「もちろん」と言い切れるのなら、ノエはこんなにも迷わなかったのだが。
……ですが、僕は……きっとオデットが隣にいないのは、すごく……寂しいことだと思ってしまう」
 正しいか正しくないか、幸せにできるかできないのか。様々なしがらみを取っ払って見えた言葉は、自分でも随分と情けなく聞こえた。
(そう思う僕のわがままを許してほしい……というのは、甘えが過ぎるだろうか)
 自分が最もわがままを口にした相手――師匠であるウヴィルトータを思い出す。
 あんたは甘えるのが下手だからね。
 昔、そんな風に言われたことを、ふと思い出した。