さもゆ
2024-12-10 03:35:28
26291文字
Public 吸死
 

【真ロナ】じじいvsじじい ~500年越しの初孫~

B級映画みたいにしたかった。内容はポールくんを孫にしようとしている敵性吸血鬼を、最強のおじいちゃんがメッてする話。にはなってないかも。
※真ロナじみた何か。
※ドラロナじみてもいる。ウスも出てくる。
※強い敵性吸血鬼と、あとムカデも出てくる。

2024.7.2 たべものpixiv投稿作品

 孫が欲しいな。
 娘や息子はいらないや。いい加減、増えすぎたし、血の繋がりは面倒だ。
 だから時々会いに来てくれて、その時にめいっぱい可愛がれるような、そんな手のかからない孫が欲しいな。

 

 起



 随分と古い血の吸血鬼らしい。
 資料による初出は約五世紀前だ。記録される前から存在しているのだとしたら、少なくとも五百歳は優に超えていることになる。
 通称“ビッグ・グランパ”
 それがおポンチどもが集う魔都・新横浜にて目撃された危険度Aオーバーの吸血鬼の名称である。そんなに長い間人々を脅かしてきた吸血鬼のわりには、いまいち緊張感のない通り名ではあったが、血筋だけは由緒正しい高等吸血鬼であるドラルクがその名を聞き顔色を変えた程度には、あちらも確かに由緒正しい敵性吸血鬼ではあるということだ。
 吸対からギルドと俺へ送られてきた資料のPC画面から目を離し、同じく隣で目を通していたドラルクに訊ねる。
「そんなに凶悪なのか。この“ビッグ・グランパ”ってやつ」
「私は会ったことがないが」
 と前置いてから、同居吸血鬼は腕の中の使い魔をひと撫でした。「きみらで言う、鬼や蛇みたいなもんだ。むかしよく言われたよ、『いい子にしていないと、ビッグ・グランパに孫にされるぞ』ってね」
 俺は顔をしかめた。日本で子どもを諫めたり、しつけるために使われる鬼や蛇、泥棒などは、歴史学や吸血鬼研究家によるとその正体は吸血鬼である、またはその関連である、という解釈が多い。つまり、その吸血鬼を諫めるものとして引き合いに出された“ビッグ・グランパ”もまたそれと同等の存在というのは、あんまりピンとこない。
「人が鬼を、なら分かるけどよ。吸血鬼が吸血鬼を怖がるのかよ。資料によりゃ、やってることは人攫いが主だろ」眉根が寄る。反吐が出る。五百年も長い間、この敵性吸血鬼は人を攫っては姿を眩ませているという。「いくらお前の一族が人間に友好的っつっても。こいつ、吸血鬼にゃ無害なんじゃねーの」
「そうだね。ビッグ・グランパが吸血鬼を攫ったという話は聞いたことがない」
「じゃあなんで?」
「ロナルドくん。我が一族の最強無敵の御真祖さまを知っているか?」
「ふざけてんのか。あんな台風じーさん、忘れるわけねーだろ。じーさんの中で一番怖え」
「そう。私にはその宇宙一怖いおじいさまがいる。もちろん、私が生まれたときからだ。意味、分かる?」
 一等小さな赤い星と目が合う。
 茶化さずに、真面目に頷いた享楽主義者の言葉に、多少なりとも声が引きつった。「つ、つまり、なに。あのじーさんより厄介ってことか」
「たぶんな。だってそうじゃなきゃ、愛くるしい悪戯っ子だった幼い私に言うべきは『いい子にしてなきゃ御真祖さまに遊んでもらうぞ』の一言で済むはずだし。何せ御真祖さまは鬼より力が強く、蛇より執念深く、どんな月光よりしぶとく陽の光より加減知らずだから」ドラルクはどこか無垢な表情をして言った。「ビッグ・グランパか。まさか本当にいたとは……
 自分の家の祖父が最強故に、それと同等か、あるいは以上の存在が現実にいたことに呆けている様子だ。俺にとったら、まさしく、鬼が鬼として存在していたことと同義なんだろう。それをいつもの通り娯楽で済ましていないのは、やはりどんな生物にとっても子どものころの記憶というのは大人になっても影響を与えるのか、軽率に探しに行こうとは言ってこないようだ。
 シンヨコでの目撃情報は三件。
 全て“ビッグ・グランパ”と名乗る吸血鬼に声をかけられ、『孫にならないかい?』と誘われる、ただそれだけの変質者情報だ。三件とも被害者は断っており、断ったからといって何かされたわけでもない。何百年も前から同じ手口らしい。気に入った一人を探して、攫う。
「お前の一族なら、何か知ってるってことだよな」
「もしくは、私より年上の高等吸血鬼だな」
「この街で言ったら?」
「へんなくんのお父さまか、Y談おじさん」
「却下。ドラ公、とりあえずお前の親父さんに連絡してくれ。今すぐにだ」
「御真祖さまじゃなくていいの?」
「あのひとは最終兵器だろ」
 私のお父さまもあれでいてちゃんと最強ではあるんだよ、と珍しく身内に対してフォローしたものの、まあ御真祖さまが強すぎるから仕方ないんだけどねえ、と一瞬で余計なことを口にしたドラルクは、それでもちゃんと自分の親を頼りにしているらしい、すぐさま携帯を取り出した。そのとき腕の中のマジロがヌ、と鳴いた。小さな耳がひくりと動く。門番であるメビヤツの目が開く。ややあって、事務所のドアが外側からノックされた。

 コン、コン。

「はい、どうぞ。開いてます」
 反射的に返事をしたあと、ギイ、ドアが開いていく。
「ッ」
 俺とドラルク、ジョンはそれぞれ同時に息を呑んだ。PCの画面にちらと目をやる。画面に映っているイラストと──当時まだカメラはなく、古い新聞の切り抜きから再現したらしい──そっくりな姿をした男が、腰を屈めて事務所内に入ってきたからだ。パッと見は恰幅の好い紳士然としているが、ひょっとすると俺かサテツより、かなり背が高い。古の高等吸血鬼が好んで着ているイメージのある上下揃ったスーツに、黒のマント。髪はなく禿頭だが、そこまでは本当に、よく見る紳士 ・・だ。
……こんばんは」俺が真っ先に口を開き、立ち上がった。「外は雨でしたか? 傘立てを出しましょうか」
 男は雨傘を持っていた。赤と紫の毒々しい色をした、取っ手が曲がっている雨傘だ。
 そして長靴を履いている。左右で色の違う、俺が好きな派手な模様をした長靴で、きゅ、と事務所の床を踏みしめている。
 男は小太りの顔の両目を隠すように小さな丸いサングラスをかけており、その目から表情を読み取ることは困難だった。だが少なくともたるんだ皮膚に埋もれた口を引き上げ、笑みを浮かべて言った。
「いいえ、今宵は雲一つない夜でした。お気遣いどうもありがとう。僕は吸血鬼“ビッグ・グランパ”といいます。退治人のロナルドさんでお間違いないですか?」
 
 イラストは白黒で、目許に至ってはハッキリと描かれていない。しかしその体躯とちぐはぐな格好は記載されている特徴そのものであり、何より本人が名乗りを上げた。間違いはない。
 俺とドラルクは一度だけ視線を交わし、各々動き出した。ドラルクがさりげなくブラインドを閉めるついでに、窓を少し開けていく。
「はい、ロナルド本人です。どうぞ、お掛けになってください」
 俺は意識を自分に向けるよう殊更明るい声を出し、ソファを勧め、自分も向かって相手と対面する。──でかい。たぶん、ドラ公のじーさんぐらいはある。あのひとはわりと細身に見えるから縦の威圧感があるけど、このひとは横にもでかいから正面に立っただけで圧迫感が倍はある。俺は片手を差し出し、握手を求めた。「お話伺いますよ、どうしてここへ?」差し出した手を、躊躇いなくぎゅ、と握られる。その大きく太い手にも、左右で色と模様の違う手袋が嵌っていた。
 背後でリビングへと繋がる扉が開き、閉じられる音がする。アイコンタクトだけだったが、意思の疎通はできている。俺は退治人ロナルドで、あいつはそのムカつくが相棒を兼ねている。やることはひとつしかない。
 手が離れる。お互いソファに座り、男が傘を床に置いてから口を開いた。
「あなたにお願いがあって来ました。聞くところによると、あなたは人間同胞問わず、様々な依頼をこなしていると」
「そんなことは」
「ご謙遜を。噂になっていますよ。あの“真祖”と遊戯をし、勝ったそうじゃないですか」
「偶然です。それに、色んなひとの協力がありました。俺だけの力じゃない」
「しかし真祖のお孫さんはあなたのもとにいる」
 俺は曖昧に笑って続きを待った。相手の出方次第ですぐさま殴る心積もりだったが、今のところは、会話を優先するべきかもしれない。敵意がない。胡散臭さと得体の知れない不気味さは感じるものの、この年老いた吸血鬼からは、こちらに害為そうとする意志が見受けられない。
「私にも、孫がいましてね」
「“ビッグ・グランパ”ですものね。お孫さんがたくさんいるから、そういう名前に?」
「ええ。ですが、全員死にました」
 吸血鬼はにこやかに言った。
「そこで、あなたにお願いがあるんです。僕の新しい孫に、あなたがなってはくれませんか? なるべく丈夫で、可愛げがあって、そして遊び甲斐のある子がいいんです。あの真祖とも遊び、退治人なのに吸血鬼を受け入れるあなたなら、ぴったりだと思いまして。依頼を受けてくれますか?」
 まだ、だ、と思った。
 まだ、こいつが本当に悪いやつなのか、確証するには早い。
 俺はただ、孫になるか誘われただけだ。それも奇抜な状況ではあるが、まだ、実害はない。
「残念ですが」俺は眉を下げて言った。「俺の家族は生まれたときから兄妹だけなんです。見ず知らずのあなたを、急に祖父とするのは難しい。そもそも、どうして孫を? 先ほど全員亡くなったと言いましたが……お孫さんたちは、吸血鬼では?」
「ありません。全員人間でした」
……吸血鬼は血で一族を増やすのでは?」
「一族でもありません。僕の孫は、拐かした人の子です」
「同意のもと?」
「そういうときもあります」
「そういうときじゃ、ないときは?」
「こうします」
 男がサングラスを外すより、俺が銃を引き抜いて撃つ方が速かった。はずなのに、弾丸は当たらなかった。
 ひとりでに開いた派手派手しい傘が、銀の薬莢を防いでいる。めりめりと布地に飲み込まれ、ぐきゃぐきゃ、ひどい音を立てて咀嚼されている。ツクモ吸血鬼だ。銀の成分は毒だろうに、一生懸命食べきり、やがて静かになる。男が「いい子だ」と言い、皺のある手首のような傘の取っ手を掴んだ。組んだ両手に持ち、手の甲の上に顎を乗せる。指先にはサングラスがぶら下がっている。
…………
 目と目が合っている。
 白目があまりない、赤々とした丸い目だった。
 体がぎしりと硬直している。撃ったままの体勢から、動けない。
「きみみたいな子もね、好きですよ。やんちゃで、退屈しない。口は動くでしょう? まだ依頼の返事を聞いていません」
「断る、と言ったら?」
「ほかを当たりますよ。ご兄弟がいらっしゃるのでしょう。あなたに似ていたらいいのですが」
「妹に手ぇ出してみろ、殺すぞ」
「ほう、妹さんでしたか。あなたに似ている?」
「似ていない。妹も、兄貴もだ」二人とも俺と違って賢く、優秀で、こんなヘマはしない。「俺だけだ。お前が探してるようなやつは、俺だけ。分かってんなら目移りすんなよ。いいか、テメーの、孫は、俺だけだ」
 俺の言葉に男が牙を見せてぐつぐつと笑った。
「まだ催眠にもかけていないのに。素晴らしい自己犠牲だ。ところで、」
 赤い瞳が真っ直ぐ俺を射抜く。
「真祖のお孫さんは、どこへ? お茶を淹れるには、時間がかかっている」
「どうかな。あいつ、そのへん手間かけんの好きだから」
「ふむ。僕も美味しいお茶はいただきたいのですが」
 言いながら男が立ちあがる。マントの裾を揺らし、長靴をきゅ、きゅ、と鳴らしながら俺に歩み寄る。視界の片隅、先ほどドラルクが開けた窓から何かが入り込むのが見えた。俺だけを見つめている男はそれに気づいていない。跪き、まだら模様の右手を俺の前にかざそうとしたところで、その背後に音もなく舞い込んできた無数の蝙蝠が人型を作るのを認めた。
 
「ならば俺がもてなしてやろう。とっておきのブラッド・ワインはいかがかな」

 そう言った蝙蝠がドラルクの親父さんの姿となり、ワインボトルを振りかぶる。刹那、とんでもなく重鈍い音がし、目の前で男が倒れた。禿頭の後頭部が凹んでいる。周囲には砕けた硝子が散らばっている。
「すまない。うっかり ・・・・、空だったようだ」
 手に残った割れたボトルを、それで殴ったわりには丁寧にテーブルへ置き、彼はフンと尊大に鼻を鳴らした。
 俺は、は、と笑いとも吐息ともつかないものを吐き出し、動くようになった体で銃を仕舞い、親父さんを見上げた。
「め、めちゃくちゃ物理攻撃じゃん。なに? なんで? なんかもっとほかに、あるんじゃねーの」
「う、うるさい。仕方ないだろうが。ドラルクになるはやで頼みますと言われて……こっちだってなあ、吸血鬼らしいバトルをしようと思ったらそれなりに準備がいるんだぞ。何年平和に暮らしてると思ってるんだ、そりゃ武器も空瓶になるわ」
「や。アクションスターみたいでカッコ良かったぜ、うん」
「そ、そう? ふはは、存分に感謝し畏怖したまえよ危機一髪ポールくん」
「畏怖はしねえ。感謝はしてる」
 アンタってほんとにあいつの父親なんだな、そっくりだわ、似てはいるがさすがに殴って砂になるテンポは持っていないので、呆れて言うだけに留める。すると居住スペースへの扉が開き、その息子がちょうど姿を現した。「終わりました? お父さま」床に倒れている男と散らばった硝子を見て顔をしかめて言う。「めちゃくちゃ物理攻撃。せっかくなら掃除しないで済む方法を取ってくださいよ」
 奇しくも俺と同じ感想を放った愛息子に、父親はウエーンと慌てて駆け寄った。
「だって急に呼び出されたから慌てて素っ飛んで来たんだよ~! ごめんねパパ今度はもっと上手くやるからね! テイクツーするかい!?」
「しません。で? 何なんですか、この男は」
「“ビッグ・グランパ”」瞬く間に親父さんの顔つきが鋭いものになる。「私も本名は知らない。大昔から人の子を攫っては自分の孫にする、変態だ」
「それは知っていますよ。それ以外の情報は?」
「通り名がもうひとつある。……“一族殺しのグランパ”」
 俺とドラルクは顔を見合わせた。
 親父さんが苦々しげに続ける。
「そいつには、むかし、三世紀ほど前だ。かなりの数の血族がいた。そいつは当主だったが、一族郎党、全員自分の手にかけた。あまりいい話を聞かない下種な一族だったからな、特に驚きはしなかったが……殺した理由は、おかしかったよ。“手のかからない孫だけが欲しかったから、全てリセットした”だと。およそ理解できない。同胞ではあるが、俺たち竜の一族とは別の生き物のようにすら感じる。まあ、昔はそんな輩ばかりだった。こいつはその時代遅れさ。……それがなんでここに?」
「私も聞きたかったところです」ドラルクは俺を見つめて方眉を上げた。「そんな悪名轟く吸血鬼なら、自分が退治対象だと理解しているだろうに。なぜわざわざ若造の事務所に。……おいまさか、新しい孫を一緒に見つけてくれとか、そーいう依頼をされたんじゃないだろーな。危険で高度なおポンチだ、充分にあり得る」
「い、いや」
 親子揃っての視線と、変わらず腕の中にいるジョンの視線が突き刺さる。俺は観念して答えた。
「ま、孫に。ならねーかって、誘われた……

 は!?
 という声は、見事に親子揃っていた。ドラルクが先に言う。
「そ、それできみ、何て答えたの」
「ポールまさか、そのまさかとは思うが」親父さんが引きつった顔で後に続いた。「な、なると、答えたわけじゃないだろうな。もしそうなら、いくら俺と言えども」
 
「契約を破棄するのは難しい。吸血鬼のものを許可なく奪い取るのは、ご法度ですからね」

 床に伸びていた男が重力を無視するように起き上がった。さっさと拘束しときゃあ良かったのに! 俺は一瞬で自分に腹が立ち、その立った腹にぐいと回された派手な手を掴んで重心を移動させた。背負い投げしかけた耳に、むしろ、抱き込むようにして声を注ぎ込まれる。
「きみは、僕の孫だ。きみが言ったんだ。自分から、僕の、孫になると」
 全身に勢いよく巡っていた血液が惑い、頭にのぼっていた血が下がるのを感じた。視界の焦点が合わなくなる。ドラ公と親父さんが何かを叫んでいるが、上手く聞き取れない。そのくせ、“ビッグ・グランパ”の声だけが鮮明に聞こえる。
「きみから僕を受け入れてくれたんだ。あれは間違いだった?」
「ま、……」舌が縺れ、勝手に動く。「間違いじゃ、ない。俺はあんたの……孫だ。おじいちゃん」唇が不自然に震えた。言い慣れない単語はそれだけで自分の顔をしかめさせるに充分だった。
 おじいちゃん。
 そんな存在、今までいたことない。
 俺の家族は兄貴と妹だけだ。
 だけ、なのに、なのにどうして。
「おじいちゃん……
 すり、自分より大きく分厚い存在に擦り寄る。ぐつぐつと笑う声が頭上で聞こえる。「家に泊まりに来るかい、我が孫よ」俺はうん、と頷いていた。意識が薄れていく。最後に目にしたのは、砂と、転がり跳ねるジョンと、なぜか白銀の狼、それに光線だった。情景にこんなこと言うのもなんだが、混沌としていて、うるさい。目を閉じる。後は広がる暗闇に身を委ねるだけで良かった。俺は気を失った。



 承



 ムカデのように事務所の窓の隙間からロナルドくんを攫い出て行った“ビッグ・グランパ”を、窓をぶち破って追いかけて行ったお父さまが戻ってくるまで、そう時間はかからなかった。あの吸血鬼が掻き消える寸前に光線を放ち、今なお憤然としているメビヤツと、体当たりをしようとして交わされ、今は泣いているジョンをどうにか宥めているうちに、お父さまは窓から帰ってきた。
「お父さま、どうでしたか」
「見失った」ぐるる、この時代ではとんと見なくなった白銀の狼が、鋭利な牙を見せて唸りながら言った。「すまない、ドラルク。パパはとんでもない役立たずだ。いっそ犬皮にでもなってお前の防寒具になった方が、まだマシかもしれない。ごめんよ」
「その姿で弱気なこと言わないでください。それに、あなたのせいじゃない。確実に若造が悪い。自分から孫になると言っただと? 何考えてんだ。大方、人の好さを付け込まれたんでしょうが。軽率すぎる」
「ドラルク。彼に祖父は?」
……知りません」私は自分の眉間に皺が寄るのを感じた。「おそらく、いないかと。いたとしても関係は希薄でしょう。彼が正月や盆休みに、我々以外の──家族に、会っている様子はありませんでしたから。兄妹を除いて」
 人間にとって分かりやすい“家族”という名称を使ったことによって、自分の顔が益々不機嫌になるのを感じた。何がおじいちゃんだ。そんなもの、いないくせに。私と同居しておきながら、いいや、我々竜の一族と懇意にしておきながら、ほかの同胞を“家族”とみなしたのか、あの馬鹿は。敵の策略だとしても、それ含めてまるごと腹が立つ。
 人の姿に戻ったお父さまは、「マズいな」と危なっかしい手つきで荒ぶるメビヤツの頭を撫でた。
「彼にかかった催眠を解くには、同じだけの繋がりがいる」
「しかも、きちんと手順を踏んで契約を破棄しなければならない、ですよね」
「ああ。さもないと、吸血鬼間の戦争になりかねない……昔のように」
「つまり、若造の祖父が、自分の孫だと正当性を示さねばならない?」
「しかしあの子に祖父がいないとなると……
 
「決まっているでしょう」私は携帯を取り出し、画面を見せた。「じじいには、じじいをぶつけるんですよ。あのファッキン・グランパ、私のファッキン・ファニーなおじいさまの手にかかればただのクソです。そうでしょ?」

「ドラルク」お父さまは微妙な顔をして言った。「そうだけど。少し口がお悪いぞ……

 そりゃ口も悪くなります。
 あのクソじじいに、若造が一体誰の孫なのか、思い知らせてやる。


 ※
 

 煙草を喫いたいな、目覚めてすぐそう思った。
 無意識にも尻や胸のポケットを探っていたが、こんな状況じゃなくとも、とっくの前から自分は煙草に手を出すのをやめていて、前なら手慰みに持っていた少しも減っていない煙草の箱もライターも今は何ひとつ所持していないんだったと改めて思い知り、やたらと気分が滅入ってしまった。
 家に暮らすようになった小さなマジロと、金魚と、ほんのついでにひ弱な吸血鬼のため、煙草は全て捨ててしまっていた。そういえば、とひとり笑う。小学生のときだったか、祖父母について作文を書く授業があって、誰かが「俺が生まれたときに俺のおじいちゃんは大好きな煙草をやめました」と書いていたのがそれなりに記憶に残っている。あのときは分からなかったが、今なら分かる。彼のおじいちゃんは、孫を大事にしていたんだろう。煙草の煙は、有害だ。俺、まだ子どももいないのに、やってることおじいちゃんと一緒なのかよ。
 俺はあの作文、なんて書いたんだっけ。
 全く思い出せない。書く対象がいないため白紙で出した可能性が高い。先生に怒られたんだっけ? そんな気もする。何にせよ。
 俺におじいちゃんはいないし、いたとしても、孫を攫って城に閉じ込めるような祖父はこちらから願い下げだ。作文にも、書けやしない。

 視界がクリアになってきた。
 
 周囲の輪郭が薄明りに照らされ、影を揺らめかせている。この建物はどうやら石造りのようで、壁や天井に装飾じみた明かりを灯している蝋燭の火を脅かすだけの風もない。退治人衣装は夏用だったが、じっとりとこもった水気の多い空気は重く、暑苦しかった。
 窓を探すが、窓はなく、俺が寝かされている豪奢なベッドが部屋の真ん中にある以外には、どうにも牢獄のようなつくりをしている。扉は木製の閂がかかったものがひとつだけ。
 銃はある。
 煙草より安心するものだ。あの“ビッグ・グランパ”は没収しなかったらしい。あっても構わないということだろう、一度は狙撃に失敗している身だ、あちらとしてはもう俺を警戒に足る人物だと思っていないわけだ。
 俺をひとりにしているのも、おちょくっているからだろうか。
 催眠をかけられ、気を失った。目が覚めたら見知らぬ部屋で寝ていた。敵はいない。あいつはどこで何をしている? 攫ったくせに、俺を自由にしている理由は? そもそも。
 孫になるって、なんだ。

 いつまでもベッドの上で考えていても埒が明かない。
 床に足を下ろし、扉まで突っ切る。閂を外し、心中で三を数えて外に飛び出した。銃を構えたまま、左右に目配せする。薄暗い廊下だ。左は行き止まりだが、右は間遠に灯る壁の燭台が、この廊下が真っ直ぐ続いていることを知らせている。相変わらず窓はない。
 壁を走るムカデを見かけ、思わず感嘆した。同じ吸血鬼でも、城の好みとはこうも違ってくるらしい。俺が爆破したドラルク城とはえらい違いだ。もちろん、いい意味で。
 俺の目の横の壁を通り過ぎていったムカデが、ぴたりと動きを止めた。そしてあろうことか、首──か尾か俺には判断つかない──をもたげ、くいと廊下の先を示す仕草をして見せた。見間違いかと思った。くい、くい──少し進み、また動きを止め、尾を捻る。嘘だろ、でもたぶん、合っている。
 案内されている。
 同じ吸血鬼でも、とまた思った。そしてほんの少し涙ぐむ。ああ、どうしよう。これほどジョンに会いたいと思ったことはないかもしれない。俺は目頭を押さえ、意を決して足を進めた。ムカデが進路を開いていく。俺の靴音だけが石壁に響いてはこだましていった。

 いくつかの部屋を通り過ぎ、やがて辿り着いたのは、大広間のような開けた空間だった。丸くくり抜いたほぼ円錐形の広間だ、天井は高く、遥か上空でぼんやりと光るいくつもの点が見える。あれはひょっとすると星かもしれない。距離からしてここは地中深くに違いなかった。そして遠い星々の真下、俺の目の前には円卓があり、香りのいい紅茶が置かれている。道案内をしてくれていたムカデがするすると円卓の影へと這っていく。
 這った先には、ビッグ・グランパが座っている。
 サングラスを外した皺と贅肉に埋もれた丸い目は、赤々と輝き、俺を見つめていた。
「やあ、愛しき孫よ。よく眠れたかな?」
 石造りに響いて聞こえるその声が、ぐわん、と脳みそを揺らせた。頭を押さえ、目を伏せる。「止せ」俺は頬の内側を噛みしめ、痛みで対抗しようとした。「俺に、催眠をかけるな。まだあんたと、まともな話ができてない」
「まともな話?」
「退治人と、吸血鬼としての……だから俺をあんたの孫にするな」
「しかしきみは僕を撃てなかった。あれが結論ですよ」
「俺はあんたの孫じゃない」
「では誰がきみの祖父だと?」
「俺に祖父はいない。誰のことも。そんなふうには呼べない」
「僕がきみの、おじいちゃんですよ。ロナルド」
 頬の内側に食い込んでいた歯の力が弱まる。名前を呼ばれると、意思とは裏腹に体が緩慢に動いた。悪趣味だ。中途半端に、俺の意識はある状態で催眠をかけている。俺はうん、と頷き、男の隣へと歩み寄った。
 そばまで来ると、あの派手な両手が俺の手を握り、「よく来てくれたね。さあ、荷物は置いて、楽にして」とにっこり笑って俺に銃を手放すよう促し、俺の手は言われた通りに銃をテーブルに置いた。ひとりでに動いた椅子に座らされ、隣同士、体ごと向き合う。
「ロナルドはいつまでここにいてくれる? ここにいる間は、好きなことをしていい」
「好きなこと?」
「ああ。壁に落書きをしてもいいし、お菓子もたくさん食べていい。欲しいものがあったら僕にお言い、おじいちゃんが何でも叶えてあげよう」
「家に、」まだ、口は抵抗できる。抵抗するのを、許されている。ムカつくが、体が不自由な今、武器は言葉しかない。「帰せ。シンヨコに。俺は大人だ、もとから壁に絵も描けるし、菓子もいっぱい食べてる」賃貸だからしようとは思わないし、あんまり食べると同居吸血鬼に怒られはするが。そんな子供騙しが通用するような年齢ではない。
「じゃあ欲しいものは?」
 俺は座っていて、男も座っている。背は相手の方がでかい。なのに男は俺の手を握り上体を屈め、下から覗き込むようにして「あるだろう? 欲しいものぐらい」と瞳を怪しく光らせた。
 今度は言葉が勝手に出てきた。「ない」
 男が丸い目を瞠る。「ない?」
「ない。特に、思い浮かばない」
 俺が意識の外で言い切ると、男は明確に顔色を変えた。
……そんなはずはない。何でもいいんだ。おもちゃでも、食べ物でも、何でも」
「必要なものは、揃ってる」
「お小遣いは? お金は、言いづらいものね」
「いらない」男が瞬いた隙に、意識が戻る。口が脳からの伝達のもとしっかりと俺の意思で動いた。「アンタの金だろ。アンタが使えよ。俺に欲しいもんはない。勝手に貢ごうとすんな、俺はアンタの、孫じゃない」
「きみは、」
 男は惚けたあと、堪えきれないように、またぐつぐつと笑いだした。
「きみは、とても手のかからない子だね」
「そうか? 兄貴や周りの大人にはじっとしてらんねーやんちゃ坊主として有名だったけどな」
「そうだとしても。欲しいものがないだなんて! いいな、非常にいい。今まで、こんなことはなかった。無欲な孫か。盲点だった。手がかからない分、僕からはめいっぱい可愛がれるわけだ。随分と長い間、僕は思い違いをしていたようだ」
「おい、催眠を解いたのならさっさと俺を帰せ」
「これで殺さずに済む」
 男が立ちあがる。
 つられて目線が一気に上へとあがる。俺を見下ろす赤い目は、爛々と輝き、いっそ何かの冷たい鉱物のようだった。うなじの毛がぞっと逆立つ。本能が、こいつはやばいと逃げを訴えている。
……殺したのか」
 けれども、ふつふつと煮える感情が腹の底を熱くしているのも事実だった。ぎちり、握っている男の手を、思い切り握りつぶす。
「殺したのか。死んだって言ってた、アンタの孫、全員」
「五百四年の間に、二千八十七人」
 吸血鬼が言った。
「名前はもう思い出せない子もいるが、一人一人のまつ毛やほくろ、そばかすの数なんかは、未だ覚えているよ。そして、飲み干した血の味も。皆、僕の可愛い孫だった。欲しいものは何でも与えた。望みは何でも叶えた。けれど、駄目だった。……そのうちに飽きるか面倒になって、餌としか見られなくなった」
「同意のもと?」
「催眠にかけてしまえば、あるいは」
 椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、拳を突き上げる。
 殴った。
 殴れてしまった。
 拳は確かに相手の顎にめり込んだが、ノーダメージだということは、相手の歪んだ顔が笑みをたたえていたため嫌というほど理解できた。冷静に二撃目を繰り出そうとしたが、捻った体に何かが絡みついたせいで動けない。ぎりぎりと足から胴、腕までを絡み取ったそれは、俺の身の丈以上はある巨大な、ムカデだった。数多の節足が蠢き、首や頬の皮膚を掠めている。それでもなお睨みつける俺に、敵性吸血鬼は愉快げに口を開いた。
「驚かないんだね。人間は足の多い生き物が苦手だろう」
「ほかにもっと苦手なものがあるんでね」
「いいね。どんどん、きみのことが可愛くなってきた」
 俺を拘束したくせに苦しめようとはせず、巨大なムカデに何事かを囁くと、ムカデが俺に重心を傾けさせた。またひとりでに動いた椅子へと座らされれば、するすると拘束が離れ再び影へと溶けていく。赤い目が俺を見つめた。
「欲しいものがないのなら、せめて、きみのささやかな望みを叶えてあげよう。話をしようか、吸血鬼と退治人としての」
 体は動かない。
 だが意識も口もハッキリしている。
「訊きたいことはひとつだけだ」俺は端的に述べた。「朝日を浴びれば、テメーも塵になるのかどうか」
「もちろんなるとも。でなければ、こんな地下に城を築きはしない」
「それを聞いて安心したぜ」
 どうにかすれば俺でも退治できるってことだ。
 心の内を見透かしたのか、それとも単に俺が分かりやすい顔をしていたからか、吸血鬼は「無駄なことだ」とぐつぐつ笑って天井を指差した。「この城の出入り口はあそこだけだ。もちろん、ここまで陽は落ちてこない」赤い目から、派手な指先が指し示す暗く遠い夜空を、追って見上げる。確かに、朝が来ても陽の届かなそうな深さだ。さて、どうする?
 孫のふりをして油断させても良かったが、俺がそれをできるとは思えない。何せ、誰かの孫になったことなんかない。慣れない役をしてどうにか外に誘導させる手口は、俺の手腕じゃ確実に失敗するだろう。この腕は殴るか撃つかに向いていて、そしてこの口は喚くか泣くかしかできない。言葉巧みに誘惑できる器用さもない。
 万が一それができたとしても、俺たちは、吸血鬼と退治人としての会話を交わしてしまっている。お前を退治対象に見なしていると宣言したようなものだ。甘言を操れたとて騙されてくれるはずがなく、そもそも、相手には催眠能力がある。俺を“孫”にしてしまえば、この城から出すような真似はしないはずだ。
「さて。もういいのかな? 心優しき退治人よ。ここからは、私の孫としての時間だぞ」
「待て、まだ」
 お前を退治する方法が浮かんでいない。

 ところがそれは浮かぶのではなく、遠い夜空から落っこちてくるものだったらしい。

 見上げていた点のような星がきらきらと近づいてくる。瞬く。最初は、気のせいかと思った。
 しかしどうにも、円錐形の壁にかかる蝋燭の灯りをきらりきらりと反射して、徐々に、遠い夜の星が近づいてくる。
 目を眇めて天井を見上げる俺を訝しみ、敵性吸血鬼もつられて首を上向けた。

 と、体のそばにガシャンとけたたましい音を立てて星が墜落する。その欠片が俺の頬を掠め、火傷を負ったように皮膚が痺れた。
 しかし星ではない。
 床にぶつかったのは、枠のひしゃげた窓で、頬を切ったのは砕けて飛び散った硝子だ。

 そして真夜中がすぐそこまで迫ってきた。
 星の次は、夜空が落ちてきたのかと思ったが、今度こそ俺は正しく理解した。真夜中は真夜中だ、その通り。けどあれは。
 あれは吸血鬼の御真祖さま ドラルクのじーさんだ!

「ハロー、昼の子。迎えに来たよ」 

 そうやって俺を覆い隠すような真っ暗闇が音もなく降り立ち、言った。



 転



 ドラルクのじーさんは俺と“ビッグ・グランパ”の間を割るようにして佇むと、椅子に座る俺へとその手を伸ばした。
「元気?」
 なんとなく、立てる? と同義の質問なんだろうなと思い、反射的に首を横に振る。すると白手袋の手がそのまま肩へと滑り、ぐ、と少しの力を加えた。それからすぐに離れる。「頬、怪我してるね。どうしたの?」
 これはアンタが、と言おうとして、やめる。「……どうもねーよ。ンなことより、本当か?」
「何が?」
「俺を迎えに来たって」
「本当」こくり、頷く。「息子と孫、両方に頼まれた」
 遅くなってごめんね、と俺に謝罪したのち、吸血鬼の御真祖がこの城の主を振り向く。振り向かれたビッグ・グランパは、俺からは見えなかったが、幾分か焦燥を滲ませた声音で言った。「ようこそ我が城へ、御真祖さま。しかし些か不躾ではありませんかな? 僕はあなたを招いていません」
「一応、ノックはしたよ。居留守を使われたから、窓を押した」天井を指差し、そのまま指先を窓の残骸へと下ろす。「開いちゃった。もっとしっかり戸締りした方がいいよ」
「ええ、肝に銘じます。大事な孫を取られかねませんからな」
「大事な孫?」
「ロナルド。こっちへ来なさい」
 俺はまた自分の体が勝手に動くかと身構えたが、少しして、そうじゃないと気づいた。自分の意思で立ち上がる。ドラルクのじーさんの横に並んだ。「悪いけど」対峙したビッグ・グランパの両目は激しい怒りでぎらぎらと揺れていた。「だから俺はアンタの孫じゃねーっての。誰も。もう誰のことも孫にはさせねえ」
「だそうだよ」
 じーさんが俺の肩に手を置く。「この子、連れて帰っていい?」
「僕に許可を取る必要など、ないのでは? あなたにはそれができる」
「そうしてもいいけど。吸血鬼の執着は、厄介だからね」
「ならば簡単に返すはずなどないことは、お分かりでしょう」
 ビッグ・グランパの影からいくつもの尖った足が蠢き出した。かりかりと床を引っ掻き、抉り、今にも破裂しそうなほど闇が膨れ上がる。それを眺めていたドラルクのじーさんが、仕方がないね、と軽い調子で呟いたのが聞こえた。きっと、おそらく、このじーさんのことだ、指を振るだけでこんな状況はピンチじゃなくなるんだろう。じーさんの指先が動き、俺の予想が現実になる前に、俺は「待て」とその持ち上がった指先を掴んで止めていた。ぱちくり、静かな瞳が見下ろしてくる。「アンタは手を貸してくれるだけでいい、ほんの少しだけ」俺は言った。「あいつは、俺が倒す。退治人の仕事だ。アンタがやることじゃない」
 それに、と思う。それに、本当にやろうと思えば、ビッグ・グランパとの問答などせずに俺を連れ去ってシンヨコに帰ることぐらい、この元祖・真祖にして無敵の高等吸血鬼にならあっけなく可能なはずなんだ。なのにそれをせず、わざわざ話をし、連れ帰ってもいいか許可を取るような真似をした。ということは、やはり少なくとも、俺が自ら「ビッグ・グランパの孫」だと口にしてしまったのが影響を及ぼしているのだろう。吸血鬼という生き物には独自のルールやマナーが存在しているのは、そのほとんどが同居吸血鬼によって嘘ばかり教えられてきたが、それでも確かに人間が解せない規律があることを俺はきちんと分かっている。その規律を、俺のせいでこの由緒正しい古の吸血鬼に破らせたくはなかった。
……いいね」じーさんは持ち上げていた手を下ろした。「面白そうだ。何か、策が?」
「あると言えば、ある。アンタがノッてくれるのなら」
「ノるよ。ワクワクしてきた」
 責任重大だな、俺は引きつった笑みを見せる。ああ、ちくしょう。やっぱり煙草、捨てなけりゃ良かった。「な、アンタさ」目の前でとうとう膨れ上がったビッグ・グランパの闇が弾ける。俺はじーさんの手を掴んで引いた。
「鬼ごっこ、好きだよな? 日の出までの時間、分かる? ……さすが。じゃあそれまでサポートしてくれよ。簡単だろ?」



 作戦は至ってシンプルだ。
 城の中を逃げ回る。これに尽きる。
「日の出まで残り三十三分。大丈夫? 交代しようか?」
「いい。さっきしてもらったばっかだし」
「人間の二時間前はさっき ・・・の範疇だっけ?」
「そーだよ。二十年前くらいまでは適用される」
「じゃあきみは、さっき生まれたばかりってこと。凄いね、もうこんなに走り回って」
 よく言うぜ、俺はカラカラに乾いた口で笑った。生まれた瞬間からタップダンスを踏み星ひとつ遊具にしていそうな吸血鬼の御真祖が、随分な適当こいてくれる。まあ先に適当こいたのは俺だが。さすがに二十年前をさっきとは言わない。
 しかし、だだっ広い石廊の中をでたらめに駆けずり回って、そうか、もう四時間は経つってことだ。体力と持久力、ついでに我慢強さには自信があったが、さすがに襲い来るムカデと敵の気配に神経を使いながらの隠れ鬼は疲労が募る。帽子をメビに預けていて良かった。被っていたら、汗臭いどころの騒ぎじゃなかった。
「今から、三十分かけて元いた広場に戻りたい。ナビ頼める?」
「目的地検索中」俺の周りを飛んでいる無数の蝙蝠が何匹か離脱する。ほんの数秒後、一匹が俺のそばまで降りルート確保と短く言った。「五十メートル先、右方向。左からの追突注意」
「オッケー、頼りになる!」
 走り続ける俺の周りを飛ぶ無数の蝙蝠が、一体どれだけのサポートをしてくれているのか、正確には分からない。ただ分かっているだけでも、こうしてナビの役割を果たしてくれたり、敵の動向を知らせてくれたり、二時間前には俺を休ませるため俺を抱えて走るまでしてくれたのだ、もう「ほんの少し」の手助けの域を超えている。
「帰ったら何か礼するよ。何がいい?」
 言われた通り右に曲がると、左からでかいムカデが襲い掛かってきた。躱して殴り倒す。
「何でもいいの?」
 飛び回る蝙蝠がドラルクのじーさんを形作り、ト、と長身のわりには軽く靴裏を地につけそのまま俺と並走した。二時間ぶりの人型が妙に懐かしく見え、まじまじと眺めながら「ああ」と答える。「何でもするぜ」そうつい答えてしまってから、脳裏でこちらを煽り馬鹿にしてくる同居吸血鬼の像が鮮明に過り、唇を曲げる。“軽々しく何でもとか言うんじゃないぞ。そんなだから騙されるんだ、お人好し馬鹿ルドくんめ” ……まあでも確かに。相手はあの遊びのためならシンヨコ中を巻き込むハリケーンじいさんだ。俺は咳払いをする。
……で、できたら短期的なやつで。人命に関わらない程度で。あと、他人を巻き込まないやつ、で。俺にできる範囲内のことなら、なんでもする」
「了解。考えとく」
 これで圧倒的な無茶ぶりは回避できたと思う。たぶん。おそらく。
「足下注意」
 じいさんが言いながら、俺の後ろ襟をぐん、と掴んで引っ張った。首が締まってぐえっと間抜けな声が出る。そうやって後方へ跳んだ直後、踏もうとしていた床から何本も針が突き出した。着地した無事な床に踏みとどまり、解放された首元を拭う。「助かったぜ、ありがと」ド、ド、と頸動脈が暴れている。一度意識をしてしまうと途端に疲弊し震えている膝だとか痛みを発する肺だとか汗や風が染みて目に滲んだ涙だとかが無視できないほど不快に感じる。壁に手をつき、とりあえずは充分な呼吸を確保しようと鼻水の出かかった鼻を啜った。
「そろそろ限界?」
「んなわけ、」あるが、まだいける。額とうなじにかかる鬱陶しい髪を掻き混ぜて払い、滴る汗をぐいと拭う。「……さっきの広場に戻ってからの作戦なんだけど」 
 掠れた喉と乱れた呼吸じゃまともに聞こえなかったのか、じいさんは腰を曲げて俺の顔を覗き込んだ。そして俺が口を開く前に、しい、と長い人差し指を口許で立てる。“聞かれてるよ”
 口を噤んだ。マジかよ。気づかなかった。
 壁に揺らめく蝋燭の影や自分の足下、天井の暗がりなどに意識を向けてみるが、ただそこにのっそりと闇を広げているのみで虫の気配もない。だが、じいさんが聞かれていると言うのなら、そうなんだろう。こちらの情報は全て筒抜けというわけだ。一体いつからだ? まさか最初から? 四時間前、広場を出て城の中を駆けずり回り、二時間経って休憩のためじいさんに抱えられたり囮になってもらったりしていたあの時間も、つまりは、全て敵の掌の上だったってことか? じゃあこの隠れ鬼は、本当に、彼ら吸血鬼にとってはただのお遊戯──「あー。あのさ、煙草ない?」──吸血鬼と人間の能力の差に脱力しかけたものの、段々と腹が立ってくる。なんだそれ。しかしちょっと考えりゃ分かるもんだ。敵には、余裕がある。何せこの城の出入り口はあの広場の上空だけだ、いくら逃げ回ろうとも、最終的にはもといた場所に戻ることになる。俺を追いかけ回すことにも、ひょっとしたら全力を出していないのかもしれない。クソ、舐めやがって。
……ドギツイの。銃ぶっ放したら吹っ飛びそうなくらいのがいい」
 聞かれているなら、そうと気づかれないように会話をするしかない。
 じいさんと目を合わせ、伝われ、と念じながら慎重に言葉を選んだ。
「体に悪くない?」
「アンタなら作れそうだ」
「火薬の量間違えるかもよ」
「いいぜ。手足が吹っ飛んでも喫いてえ」
「ヤケになってる?」
 赤い瞳が念入りにこちらを見てくる。直感だったが、かち合う視線は確かに意思の疎通が取れていた。俺は言った。
「マジだ。で、どう?」
……肺をつぶさない程度のものなら。孫がかわいそうだ」
「何でドラ公?」
「きみの肺はきみだけのものじゃない」
……それ、学校で習った。むかし。似たようなことを誰かが作文に書いてた」
「何の作文?」
「『祖父母について』」
「いいね」じいさんは僅か、夜の瞳を輝かせて言った。「ドラルクにも書いてもらおうかな」
「いいんじゃね」あのドラ公が机に向かって作文用紙と鉛筆を持って頭を抱えている姿を想像し、笑う。「アナログで書いてもらえよ。アンタ方にとっちゃ、それこそ一生残るもんだし。額縁にでも入れて飾っとけば」 
「ポールくんのも飾ってあるの?」
「いや俺は、」たとえばそれが『きょうだいについて』だったら今も実家にありそうなものだが。「ないよ。だって家にじじばばがいねえもん」 
「ふうん」
 あ、その相槌、と思った。ドラ公に似ている。自分から聞いたくせに何かを考えているのか実は何も興味がないのか、どっちつかずのとぼけた吐息。無性に殴って塵にしてえな、と思い、思ったそばから握っていた拳を意識的に解いた。コンビを組んだ最初の方は鬱陶しくて仕方がなかったのに、今やあのすぐ死ぬ体質がひとつの安心材料になっている。笑える。いま隣にいるのは、あんな貧弱吸血鬼よりよっぽど頼りになる正真正銘、真祖で無敵な吸血鬼だと言うのに。俺の相棒はあいつじゃなきゃ駄目らしい。
 この吸血鬼親子三代は大体の髪型と声質が似ているせいで、話していると、こちらが惑わされそうになる。つまり、俺が殴っていいのは、あいつだけだ。もたれていた壁から手を離す。
「待たせたな、行こうぜ」
「大丈夫?」
「アンタが煙草を用意してくれるなら。それだけでいいんだ」
……分かった。とびきりのものを用意しよう」
「サンキュ」
 作戦は決まった。そうして再び走り出す。じーさんの姿がまた無数の蝙蝠に変化する間際、俺はかねてから気になっていたことをついでに訊いておいた。
「なあじーさん。アンタも若いころはサリーちゃんのパパみたいな髪型だったりした?」



 結



「やあ、おかえり」
 紅茶のカップからは湯気がのぼり、細く揺蕩っている。
 数時間ぶりに戻った広場では、ビッグ・グランパが優雅に腰かけ、小さなカップから紅茶を飲んでいた。姿を現した俺に笑いかけ、かちゃり、ソーサーに置く。
「城の探索はどうだったかな? きみがこれから住む城だ。中々いいところだろう?」
 俺は円卓の前まで歩み寄り、テーブルに置かれたままになっている愛銃に内心ほっとしながら、躊躇いなくそれを手に取った。俺に座れと促してくる動く椅子を悪いと思いながらも踏みつけ、銃を構える。
 銃口を向けられても肉に埋もれた笑みが消えることはなかった。
「鬼ごっこは楽しかったかい。途中トラップも作動させたが、本気じゃあない。きみを損なうつもりはないのでね」
……ここにいたら俺の全てが損なわれる。俺は出て行く。お前を倒して」
「どうやって? 逃げながら考えていたんだろう。その結果がこれなら、残念だろうが、失敗だよ」
「テメーの催眠はもう効かねえ。俺は退治人ロナルドだ。ひとに害為す吸血鬼は、撃って倒す」
「ならば僕もそうしようか」
 ズガンッ! 
 銃声が轟いた。
 俺はまだ引き金に指もかけていない。俺の銃じゃない。瞬きをする暇もなかった。
 ビッグ・グランパはあの趣味のいい派手な傘を開き、俺の背後にその先端を向けていた。振り返る。背後の壁際、闇に同化して待機していたはずのじーさんが、暗闇から融解するようにマントの端を現し、肩を押さえていた。白い手袋の表面をさらさらと塵が流れていく。
「じーさん!」
 叫んだ俺に、じーさんは眉ひとつ動かさず目を合わせ、手を掲げて見せた。「平気だよ。いい弾を使っているね。ビッグ・グランパ、きみの?」
「いいえ、さすがの私でも銀製のものは手に余りますので」左右で色と模様の違う手袋が嵌った手を広げて笑う。「ロナルドからひとつ、受けましてね。それを吐き出したに過ぎません」
 ギリ、俺は歯軋りした。事務所での一発か。あのとき撃って傘に食われた弾丸が、今じーさんの肩を貫いたのか。俺のせいじゃねーか。クソ。椅子からテーブルに乗り上がる。座ったままの敵性吸血鬼を睨み見下ろした。
「テメーの相手は俺だろうが。じーさんに手ェ出すな」
「どうかな。僕たちは同じものを欲している。むしろきみが大人しく引き下がるべきだ」
「欲しがってんのはテメーだけだろ。そんで俺は拒否している。いい加減引き下がりやがれ」
 銃の安全装置を外す。
 引き金に指をかける。
 あとはこの指を引くだけでいい。
……今まで従順な孫が一番だと思っていたが」
 ビッグ・グランパがぐつぐつと笑う。「間違いだったようだ。気づいていましたか? 御真祖さま。増えすぎた一族も集めた孫も、本当はすべて退屈だった。このきらりと光る面白い人間が、たった一人いれば──あなたもそう思ったことがあるのでは?」
「おい」俺はうんざりして敵性吸血鬼の意識を自分に向けさせた。「その話、長くなるか? じーさん怪我してんだぞ。それから、あのじーさんはアンタとは全然違う。じゃなかったら、こうして撃ってない」そして頓着なく引き金を引いた。
 しかし空振った。
 腕に伝わる反動もない。発砲音もしない。カチッ、カチッ。二度、三度、指を引いても結果は同じだった。
 ぐつぐつとした笑い声がとうとうこだまし、城中の影を揺らめかせた。派手な手袋がまた開き、すると今度はいくつもの薬莢が床に落ちて転がっていく。あれは俺の銃の銀弾だ。それを長靴で踏み潰し、気色の悪い老吸血鬼は立ち上がった。
「ここまで見事に罠に嵌ってくれるとはね。少し馬鹿なところも可愛げがあるよ、ロナルド」
 テーブルに乗っている俺の方が背は高い。だが下から覗き込まれれば、仰け反るほどには威圧感があった。顎と踵を引いた俺の前で腕を広げ、奴は高らかに言った。
「また逃げるか? 可能だろうさ。きみの後ろにはこの世で最も強い吸血鬼がいる。しかし逃げてどうする? 僕は地の果てまできみを追い、何年かけようとこの手にしてみせる。それとも戦うか? 生身じゃあ無理だ。御真祖さまに僕をやっつけてもらう? いいね、そうしてみるかい。僕は負けるだろう。そして塵となり魂魄となってもきみを追う。吸血鬼の執着とはそういうものだ。それほどまでに、僕はきみが欲しい。きみは僕の孫になるしかないんだよ」
「ならねえっつってんだろ」後退る。できるだけテーブルの中央へ。天窓の真下へ。「……これだけは言っとくぜ。アンタは勘違いしている。俺は少し馬鹿って程じゃない」銃をホルダーにしまう。ああ、煙草が喫いたい。「馬鹿の値で言ったら青天井だ。ドラルクによく言われる。馬鹿は、数えらんねえって。──じーさん!」

「オーケー」

 肺をつぶさない程度にね、背後で確認のように呟かれた言葉が心底からゾッとさせたが、何より頼もしかった。
 俺の体は吹っ飛んだ。
 予備動作もなく、どうやったか知らないが、あのじーさんにはそれができた。急激な圧力と浮遊感が全身を襲い、広場の上空を弾丸のように真っ直ぐ突っ切る。見開いた目から溢れる涙ではなく、きらりと光るものがすぐそこまで迫った。



「いいの」
 目の前でひと一人吹っ飛んで行った光景を目の当たりにしたビッグ・グランパは、呆然と天井を見上げていたが、一寸の光も届かない暗闇に問いかけられ、我に返った。御真祖さまが言う。
「きみなら分かるだろう。あっけなく死んじゃうよ」
 その赤はどこまでもどこまでも深く、そして恐ろしいことに、ひとつも嘘を吐いていなかったのだ。
 ビッグ・グランパは悲鳴にも似た音をあげて巨大なムカデに変身し、五百年間欲していた孫を追いかけた。


 
 迫った空は白かった。
 早過ぎたかと思ったが、疑うな、あのじーさんが計算を間違えるはずがない。夜明けはすぐそこだ。尖った天井の穴からぶわりと体が浮き出る間際、穴の底から自分の名前を呼ぶ声が轟いてきた。
 体が空中へと投げ出される。地下の城なら天窓は地面スレスレにあったりするのではと抱いていた淡い予想は、まあ、外れた。地上は遥か遠く、自分が飛び出してきた天窓は煙突のように地から高く突き建つものだった。窓枠の外れた縁に足先が触れかけたが、俺の目的は城の中に落ちることじゃない。
 どんなドギツイ煙草よりも肺を圧迫していた空気が喉からひゅ、と溢れ、勢いがなくなった重力は、ぐらりと傾き、強風に煽られる。掠った縁を蹴り、自分から地面へと身を投げた。間髪容れず破れた天窓からムカデが這い出てくる。
 すべての脚が俺を掴もうと蠢く。そのとき、視界の端で、星や月より眩い輝きが地平線を染めあげた。
「あ。あ、ァ……
 脚の先から胴の内側、頭から尾まで、ムカデが震える。
 空は高く、地は遠い。陽を浴びたところからさらさらと見覚えのある、けれど毎日見るそれとは全く違った汚い塵が零れ、風に吹かれて散っていく。俺は落ち、塵は高く舞い上がった。

「──朝日……ッ!!」

 それが奴の最後の言葉になった。
 ビッグ・グランパは弾け飛び、灰塵となって消えた。

「ハッ、二千……八十七人……! 仇を討ったぞ……!」
 じいさんに頼んだ通り ・・・・・手足が吹っ飛びそうだったし、轟々と風が耳を打ち、肺がつぶれそうな落ち行く中じゃ満足に叫べやしなかったが、俺は叫んで拳を突き上げていた。
 じいさんとの探索中、城の中には子ども用の古いおもちゃや衣服、写真をたくさん見つけていた。夥しい数の棺桶があり、そして血のボトルがあった。あの陰湿で悲惨な城の中のすべてを白日の下に晒せるのなら、二千八十八人目になったとて、構いやしなかった。今度は地面が迫ってくる。見上げた遠い朝日を、なぜか、過ぎ去ったはずの夜が覆い隠した。
「バ……ッ」
 バカ野郎!
 太陽の下に飛び込んできたその夜に、肺の酸素を全て使って怒鳴り声を上げた。
 

 ※


「バカ野郎はきみだろクソボケ退治人ロナルドこのアホ」
 ここは病院だ。
 命を助ける病院だ。
 だから相棒を殴って殺してはいけない。
「おい聞いてんのか自己犠牲モンスターロナ造、畏怖欲の塊である吸血鬼をドン引きさせるなんてさすがとしか言いようがないぞ。誉め言葉だと思ったかね? 残念これは高度な罵りだ。五歳児には理解不能かもしれんが、きみは、いいかいよく聞き給えよ、とても馬鹿だ。待ったもっと簡単な言葉で言ってやる。あー。バ・カ」
「殺した」
「ブェーッナースコールッ」
 拳で一発。あっけなくベッド脇で塵となったドラ公の前で顔をしかめる。「……ってェ。あんま殴らせんなよ、暴れたら怒られるだろ、俺が」
「ッたり前だ! 怪我人が暴力奮うな! 安静にしとけこのゴリラ! ほら見舞いのバナナでも食ってろ!」
「ウホッ!」
 バナナをふんだくりざま、もう一発。ドラルクは叫んでまた砂になる。拳を振り上げるだけで全身に激痛が走ったが、まあ、我慢できないほどじゃない。
 全治一か月。
 あのビッグ・グランパの城の天窓は地面から煙突のように遥か上空まで伸びていて、俺が落ちた高さはビル六十階建て相当になると後から聞いた。そこから落ちたわけだが、全身包帯ぐるぐる巻き、この通り。無事だ。
「ねえきみさ、本当に、おじいさまが助けなかったらどうするつもりだったの……
 ドラ公が低く呟いた。シンヨコの病院でこうして処置を受け、面会許可が下りて真っ先に病院に駆け込んできたドラ公の開口一番「バカ野郎はきみだろ」から一転し、戸惑った声色だった。じいさんからも事情を説明されているだろうに、先ほど俺の口からも説明させた同居吸血鬼は、病院内の誰よりも顔色が悪いように見える。そして情緒もいつになくおかしい。俺はなるだけ真面目に答えた。
「まあ叩きつけられてただろうな。地面に。俺は強いから何とかなるかと思ってやったけど、まさかあんな高いと思わんかった。びっくりしたぜ」
「ブワァーーーーカァッ!!」
「ウルセェェーーーーッ!!」
 殴るよりも、ドラ公自身の大声のせいで砂になる方が早く、振り上げた拳は空振って痺れた。「って、てて、……」俺は強いし、頑丈だが、痛みを感じないわけではないのできちんと呻く。ドラ公が「ナースコール」と即座に押そうとしたので、「バカやめろ」と殴って止めた。痛ぇ。だから殴らせるなって。
 マシな怪我だ。
 少なくとも、高所から叩きつけられていたら、たぶんさすがの俺でも、まあ、死んでしまっても仕方ないとは思っていたから、九分九厘死んでいただろう。それが全治一か月の怪我でおさまっているのだから、あんまり弱音も文句も言っていられない。
 俺はあのとき、地面に叩きつけられる前にちゃんと御真祖さまの手によって助けられていた。同じく天窓から飛び出してきたじーさんは、ビッグ・グランパの灰塵を吹き飛ばし、太陽を覆い隠すマントを広げ、そして俺へと手を伸ばした。そこで素直に手を伸ばし、掴んでいたら、ひょっとすると無傷で生還したのかもしれない。そう。俺はじいさんの手を掴まなかった。どころか、殴る勢いで払いのけ、バカ野郎! と叫んでいた。だってそうだろう、相手は真祖で無敵の、吸血鬼 ・・・だ。しかも古の、高等吸血鬼。現代に生まれたある程度日光に耐性がある変態吸血鬼ならまだしも、由緒正しいおじいさまなのだ。俺と同居し、今や相棒にまでなってしまったすぐ死ぬ吸血鬼の、大切な祖父。
 そのひとを朝日で焼かせるわけにはいかなかった。
 いま考えると分かる。冷静じゃなかった。
「御真祖さまが太陽になど負けるものか」
 一部始終を聞いてからというもの、ドラ公はずっとこの調子だ。怪我をしていない耳が痛い。反論できない。反論できないから、殴ったりウルセーと言うしかない。
 そうなのだ。あの伝説の退治人と戦ったこともある吸血鬼の御真祖さまが、ドラ公のように朝日を浴びて塵になるわけがなかったのに、俺はあのときそこまで頭が回らなかった。ただあれだけ不気味な存在だったビッグ・グランパが一瞬で粉々になったのを目の当たりにして、焦って伸ばされた手を振り払った。“じじいが死ぬ!”
「腹立たしい。躊躇いなく掴んでおけば良かったんだ。自分が絶体絶命なくせして、なに殺しても死なんじじい心配してんだ、お前はやっぱり馬鹿者だ若造」
……おまえ孫だろ。もうちょっと心配してやれよ」
 だってあのひと、俺のせいで肩撃たれたんだぞ、ぼそぼそ言うと「私のおじいさまにとったらそんなもん、屁でもないわ。どうせ受けた弾丸で折り鶴とか作って玄関に飾っとるに違いない」いいや棺桶に入れとるかもしれんぞ、ドラ公はそう付け足して「とにかく」と締めくくった。「今後同じミスはするな。自分の身だけ案じてろ」
「つってもな……
「なぜそんな簡単なことができない? 自分を大事にするだけだ」
「興味本位ですぐ死ぬやつに言われても」
「私ときみじゃ違う」
 と、どこか焦燥が滲んだその顔には、よくよく見覚えがあった。あのときのじいさんの顔と、表情筋の豊かさはまるで差があれど、やはり血の繋がりを感じるほど似ていた。
 一度じいさんの手を払いのけたとき、じいさんは明確に──と言っても分かりやすく表情を変えたわけじゃない。目を見開いた程度だ──その赤い瞳に驚きと焦りを宿した。そしてクソでかい手で俺を掴んだ。俺の体を、まるっと、頭から足の先まで、ガシリと掴んだ。ひとの手ではない、あれはきっと竜の手だった。力加減を間違えたらしい。もしかしたらそれほど焦っていたのか、単純に人間相手に能力を披露するのが久しぶりでミスったのか、そのでけえ手は俺をぎゅっと握りつぶしかけた。メキャッ。それで何本かの骨がイッた。目が覚めたらこの病院だった。地面に叩きつけられてぐちゃるよりは、よほどマシ、こうして俺は軽傷で済んだわけである。
「そもそもだ。ビッグ・グランパなどきみが退治せずとも、御真祖さまに任せておけば──」
「分かってるよ。うるせーな。俺の我が儘だったよ全部。攫われたのも巻き込んだのも怪我したのも全部俺のせいだよ、分かってる」
「分かってない!」
「でもそれでも、だからこそ、俺の手で仕留めたかったんだよ。まあ、ほとんどお前のじいさんのおかげだけど……
「あのなァ……!」
 ドラ公が更に口を開くよりも、個室の窓がガラリと開く方が早かった。カーテンがぶわりと翻り、冷えた夜気が流れ込む。
「お父さま!」
 響いた声が一瞬、誰のものか分からなかった。その声が騒がしく続ける。「いくらポールが頑丈と言えどまだ入院してるんですよお願いですから無茶なことだけは──」その声を押しのけ、俺に飛びついてくる影が二つあった。ヌー! ビー! その鳴き声は聞き間違えるはずがない。
「ジョン! メビ!」
 ドッ、あばらに泣きついてきた可愛いアルマジロと門番に、俺は泣きながら「何だよ来てくれたのか~!? 心配させてごめんな~!!」と折れた骨がみしみし言うのも構わず抱きしめた。「何でそれを私には言えないんだ」ドラルクが短く突っ込んでくる。うるせー。知らねー。お前が煽るのが悪い。
 ジョンとメビヤツだけじゃない。窓から床へ足を下ろした影はあとふたつあった。
 ドラルクの親父さんと、じいさんだ。
「ハロー、ポールくん。元気?」
「おいポール貴様間違っても元気だと言うなよ、言ったが最後病院に怒られる羽目になるぞ俺が」
「連帯責任で私にも飛び火するからな。おじいさますみません、ロナルドくんいま元気じゃありません」
「いや、おれは……
 ドラルクと一緒に来たはいいものの、病院の受付で止められたから、じいさんと親父さんが来るまで待ってこっそり窓から入らせてもらったとそれぞれの言葉で言うメビとジョンを撫で続ける。よしよし。ありがとな。心配かけてごめんな。俺は大丈夫だよ。ありがとう。ごめんな……
 俺には色々と言わなければならないことがあった。
 親父さんにも。じいさんにも。ドラルクにも。アンタ方のドンにまで首突っ込ませちゃってごめんとか、肩に銃弾ぶち込ませちゃって本当にごめんとか、俺が暴れたせいで要らん怪我負っちまってマジでごめん、これはじいさんのせいじゃないからとか。
 それら全てを押しのけてでも、言わなければならないことがあった。
「元気だよ」
 俺は言った。
「立てるし、歩ける。何して遊ぶ? 礼は思いついたか? 俺にできることなら、何でもするぜ」
 ドラルクと親父さんが絶句し、ジョンとメビまでもがピシリと硬直した。
 寸の間の沈黙のあと、親子が弾かれたように絶叫してそれぞれ動いた。
「──ッおじいさまあ! 言葉の綾です!! どうか真に受けませんよう!! いま遊んだらこの男間違いなく死んでしまいますよ!!」  
「そうですよお父さま! うっかり昼の子を死なせてしまうなどあってはならないことでしょう!? いま遊びたいなら私が付き合いますから!!」
 ドラ公が俺をベッドに押しこめようとして失敗し、反作用で死んでいる。親父さんはじいさんの前に立ちはだかり何をして遊ぶか捲し立てている。ヌー! ビー! ジョンとメビヤツまでもが震えながら俺の前で鳴いてくれている。いやおい、みんなして。嬉しいけど。「だ、大丈夫だって、俺は強い。借りをつくったまんまの方が身体に悪いし」
「黙っとれ若造!!」
 そのとき、す、と影が動いた。
 いつの間にか一番近くにいたドラ公をすり抜けるようにして、じいさんが傍らで佇んでいた。スナァ、驚いたドラルクが砂になっている。「ポール逃げろッお前に棺桶はまだ、」親父さんの叫び声は、しかし、途中で止まった。じいさんが俺に向かって静かに手を差し出したからだった。
 白い手袋の、骨張った大きな手は、片手で俺の顔面を掴めそうだった。みんなの息を呑む音がやたらと響く。俺も身構えたが、じっと高いところにある赤い目をただ見つめた。
「怪我させて、ごめんね」
 やがてじいさんが言った。
 さり、人差し指の背で、触れるか触れないか、俺の頬を掠る仕草をする。そこには赤い一線が薄っすらと残っている。硝子で切ったとこだった。切り傷の奥から、じわ、まさかそんなはずがないのに、血が滲んでくる感覚がする。
 それからパ、と。
 じいさんは手を引き、「お礼ね、思いついたよ」とあのワクワクを隠し切れない低い声で言った。
「お、おう。なに?」
「作文」
「は?」
 俺と、ドラルク、親父さんを順に見て、マントの内側から紙と万年筆を取り出す。
「テーマは“祖父母について”。ドラウスとドラルクも書いてね」 
「はい?」
「ま、待ってくれじーさん、他人は巻き込まないって、」
「家族だから無問題。連帯責任だよ」
「いっいやいや、それにだから俺、じーちゃんもばーちゃんもいねーんだってば」
「私がいる」
「へ」
……そうだぞロナ造」再生したドラルクが、打って変わって余裕くさった態度で座り直した。「ビッグ・グランパのような輩は塵になっても執念深いかもしれんからな。今度同じようなことがないように、偽でも自分が誰の孫かしっかりと証を残しといた方がいい。ね、お父さま」
「エッ? あ、ああ、ウン」親父さんは口では曖昧ながらも、確かに首を縦に振った。「抑制には、なるだろうな。奴の催眠の後遺症がないとも言い切れんし、まあ、賛成だ」
「マジかよ」
 俺は吸血鬼親子三代を見つめ、悩んで、がしがしと頭を掻いた。差し出されたまま微動だにしない紙とペンをおもむろに受け取る。
「まあ、アンタがそれで礼になるってんなら、書くけどよ……。期待すんなよ、小学生のときだってマトモに書けやしなかったんだから」
 言うと、じいさんは満足げに頷いて「はいこれ」と息子と孫にも原稿用紙セットを渡した。その様子を眺めながら俺はあーあ、とぼやき、痛む胸のあたりを撫で、呼吸をし、肺に酸素をおくった。
……もう一生煙草喫えねぇな、こりゃ」
 小動物に、すぐ死ぬ吸血鬼、強いが年寄りな吸血鬼まで揃ってしまったら、なるほど確かに、俺の肺は俺だけのものじゃない。最後に一本だけ、それこそ本当にぶっ飛ぶぐらいの一本を、ちゃんと喫っとけば良かったかな、俺は往生際悪く思って笑った。

 ちなみに作文は、全員揃って頭を抱えながら机と向き合った。
 締め切りギリギリで出来上がった三つの作文が、額縁に飾られているのかは、じいさんのみぞ知る。