さもゆ
2024-12-10 02:59:33
5342文字
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【P飯】キュートアグレッションってヤツ。

ぐずる一児のパパと厳しいお師匠。

2023.2.17 たべものpixiv投稿作品

 着地に失敗し、悟飯は湖に激突した。激突したというか、墜落したという表現が正しい。
 そこらの湖ではなく、目指していたピッコロの家のそばにある湖だっただけ、まだ幸いだ。これが北エリアの最近溶け出しているらしい氷山浮かぶ海だったとかなら確実に死んでいただろう。
 普通ならたとえ荒野にひとり残されても氷海に叩き落されても火山に放り込まれても死なないが、悟飯はいまほとんど理性がなく、知能が低下している状態だった。武空術ですら制御しきれず、湖のなか、げぼげぼと何とか畔まで泳いでそうしてやっと飲み込んだ水を口や鼻から出して息ができている、そんなていたらくだった。
 沈みかけていた自分の体を必死に動かし、ざばり、水面から力なく這い上がる。
 這い上がったところで力尽き、草地に突っ伏す。ぜえはあ、肩で息をする。酒に酔った以上に悪いことが起きている、と思った。だから家には向かわず、愛妻と愛娘から遠ざかったのである。いま悟飯は危機的状況だった。

 父親にも頼れない。紛れもない危機だ。

 そういうとき、いつも助けてくれるのは誰か、幼いころからの絶大な信頼はほぼ理性のない悟飯をここへ導いたのだった。

「ぴ、ピッコロさん……

 呟き、意識を手放す。遠くからこちらへ全速力で向かってきてくれる、その絶大な信頼を感じ取りながら。






 湖のそばで倒れ伏している悟飯を目にしたピッコロは、その目で敵を探り眼力で射殺さんばかりに周囲を睨めつけたがいくら気を探ろうと自分と悟飯のものしか感じられず、舌打ちを零しながら地面に降り立った。
 また人造人間か? いい加減辟易してくるぞ、感じられない気に冷静に思考しながら「悟飯、大丈夫か」とまず弟子の無事を確認する。膝を折り、肩を掴んで仰向けにさせると、悟飯は身じろいで薄目を開けた。全身が濡れそぼり、かかっているはずの眼鏡もない。意識が朦朧としているのもあるだろうが、弟子はよく見えない視界のために何度も瞬いた。「ぴ、ぴっころさん」
「何があった。新手の敵か」
 起き上がろうとする悟飯の体を制し、簡潔に問うと、簡潔に答えが返ってくる。「ちがいます」
 それでピッコロは周囲の気を探り警戒するのをやめ、悟飯の背を支えて上体を起き上がらせた。「敵襲でもないのに、なんだこの様は」
「ど、どんな様に映ってますか」
「無様だぞ」額にかかる濡れた前髪を掻き上げてやり、それだけでなく「洟が垂れている」と躊躇いもなく鼻の下をぞんざいに腕で拭ってやる。「泣いてるのか?」そう訊ねた声はいささか困惑気味だった。この弟子が昔のように途方に暮れて泣き出すなんて、成長してからは滅多にないことだからだ。

 鼻の下を蛇の腹のように冷たくざらついた緑の皮膚で擦られた悟飯は、ぐず、ピッコロの腕についた鼻水を戻す勢いで啜った。ぐず、ぐす。めそっ。せっかく啜った鼻水と、我慢していた涙が噴出してしまう。

 それでもまだ下唇を噛み、泣き言は言わないでいる悟飯を、ピッコロは眉間に皺を寄せて観察する。何を泣いている? なぜ湖に落ちた? 気が乱れているのは確かだ。だが敵襲ではないと言った。ということは、病気か? そうか、それが一番合っている。脈拍、呼吸ともに正常には聞こえない。水に濡れたくせに、体温も高いような、たぶん、おそらく高い気がする。
 ピッコロは寒暖差に鈍く、そして悟飯の正常な体温も知らなかった。子どものころなら知っているが、大体平和になったこの世では、血潮の熱さはもとから知っていても肌の温度を知れるほど近い距離で触れ合ったりしない。大抵の人間は成長すると、そうなるらしい。甘ったれたクソガキから、制御する大人へ。
 悟飯はいま何を必死に制御しようとしているんだ?

「おい、悟飯」
「う゛っうぐ」
「泣いてないで、さっさと説明しろ」
「ひっぐ、うぐ、うぐぐ……
「喉を裂けば言葉も出やすくなるか」
 ニヤ、ピッコロが口の端を上げて言うと、悟飯は益々目に涙を溜めて唇を噛みしめた。おもしろいな、とピッコロは思った。かなり愉快な気分だ。分かりやすい脅しを使うのも、その脅しに素直に怯えられるのも。ただ、中々に面倒な事態になっていることは直感している。悟飯はもうピッコロの脅しに泣くような子どもじゃないのに、これは一体どういうことだ。
 口を開かない悟飯の喉元へわざとらしく四本指を添えると(元大魔王の脅しなど、本当に形ばかりだ。あれほど尖っていた爪はすべて、悟飯の娘の世話をする上で不要だと判断し引っ込めている。何せ切ると面倒な頻度で再生する)ずっと噤んでいた悟飯の鼻水と涙に濡れた唇がぱかりと小さく開いた。だが、やはり嗚咽を漏らすばかりで何も話さない。
「悟飯」
「うっうう、う、ひっく」
「せめてそれがどういう感情からくる涙なのか教えろ。絶望か? 怒りはではあるまい。悲しみか? それとも体が悪いのか。誰かに何かをされたというなら、俺に言え。大抵のことはお前がどうにかするだろうが、お前の甘さでできないことは俺がやってやる。どいつだ? 俺がぶっ殺してやる」言ってから、ピッコロは言葉を間違えたな、と思った。「……場合によっては、だ。それより素晴らしい解決法もあるだろう。だが、問題が何か分かっていないと解決もできない。何があった、悟飯」
「うぶぶ、ぐ、ぐ……
 真摯な態度だからこそちょっと恐ろしく思い、場合によっては本当に躊躇いもなく誰ぞを殺せる師匠を知っている泣き虫弟子は、唸り声をあげたあと、添えられた四本指を濡れた手で掴んだ。両手だった。両手でぎゅうと握っても、師匠の四本指の方が広かった。

「ぴ、」

 悟飯はピッコロを見上げた。たとえ二人とも地に座っていても、この差が逆転することは日常においてさほどない。ピッコロも悟飯を見下ろす。濡れた黒目は湖面のようにさざめき、もし音がするなら大層うるさそうだった。悟飯は言った。

「ぴっころさん、ぼく、だきしめてほしくてたまらないんです!」

 目の前の情けない面した弟子と甘ったれたクソガキだったころの弟子がダブって見えた。
 ピッコロがその弟子を湖の方へ叩き落すのと、弟子が自分からウワアアアと真っ赤な顔して叫んで湖の方へ飛び込んで行くのは同時だった。つまりかなりの勢いがかかった。悟飯の体は広い湖のほぼ対岸近くまで吹っ飛び、水面に激突した。ピッコロのもとまで津波がきた。津波を被る前に、悟飯のもとまで飛び立ち湖に足を突っ込む。そして沈んでいる悟飯の体を引き上げた。
「すまん。つい」
「うっげほっだ、だからっ言いたくなかったんですよお」
 再度草地に倒れた悟飯は、やはり本調子じゃなさそうだった。ぐったりと体の力を抜き、めそめそと泣いている。「ぼくがあまえたらぜったいこうなるっすもん、でもだってこんなことビーデルさんに頼めないよ、なさけないし、かっこわるい……」めそめそ、ぐすぐす。泣いている弟子を見下ろし、師匠は腕を組む。「その情けなくて、かっこ悪いと思っていることを俺に頼む原因は何だ。ガキじゃあるまいし。だきしめてほしいだと?」
「ぐすっ」悟飯はヤケクソで白状した。「知り合いの手伝いで、薬の研究、してたんです。そしたら誤ってある種の感情を抑えられない薬を飲んでしまって……
「おいちょっと待てお前、そいつは大丈夫なやつなんだろうな」
「大丈夫じゃないですよお! 僕の場合どうやら“寂しさ”が我慢できない状態になっちゃって、僕もうとにかくさびしくって仕方ないんです! どうしたらいいか分からない、まさか母さんに泣きつくわけにもいかないでしょう!? ピッコロさんどうしましょう、寂しくて寂しくて仕方ないんですよお!!」
「喧しい! 引き裂くぞ!」
 うわあああん、悟飯はとうとう号泣して草地に丸まった。ピッコロには尻尾の幻影が見えた。そしてそうじゃない、と言いたかった。いやそうでもあるが。ピッコロが確認したかった第一事項は悟飯が言った知り合いが善良な人間かどうかだ。いや、人間が善良かそうでないかの二極化でしか分けられないとは思っていないが、それでも善人かどうか確かめずにはいられなかった。
 薬を誤って飲んだだと?
 戦闘民族サイヤ人とのハーフであるこの悟飯の感情を惑わせるほど効力のある薬を?
 飲まされたの間違いじゃないだろうな。

「チッ」
 不審はあるが、優先順位は分かっている。ピッコロは泣き伏す弟子のそばに跪き、「それで俺はどうすればいい」と舌打ちしたわりには至極冷静に訊いた。何をしてほしいのかは先の発言で分かっているので、再度確認と念のためだ。「寂しさの感情が抑えられず、お前は俺のもとへ来た。ビーデルやパンのもとへも行かず、孫の……お前の実家にも行かず、俺のところへだ。寂しさだと? ハッ。お前はもう全て持っているというのに、何を甘ったれたことをぬかしやがる。ガキみたいに泣きじゃくりやがって」
「うぐぐぐ」
 悟飯は蹲ったままくぐもった声で呻いた。ピッコロは丸まった背に更に声を落とした。「しっかりしろ、悟飯。お前に寂しさなど感じる暇はないだろ」

 ピッコロとしては悟飯の意思関係なく湧き出る“寂しさ”を、それは間違いだと正しく導こうとしてかけた言葉だったのだが。
 少し見当違いだった。悟飯は薬によって寂しさの感情を植え付けられたわけではない。薬によって寂しさの感情を増長させられたのだ。
 つまり、もとからある感情だった。

「だってぴっころさんが、」
 悟飯はぐずぐずの涙声でぽつりと漏らした。
「ぴっころさんが、ぼくのことおひざにのせてくれなくなったから」

 何? ピッコロは聞き返そうとした。もちろん、聞こえてはいたが、聞こえることとは意味を理解することではなく、意味を理解するまでは悟飯のもごもごした喋りは何か別の言語を聞いている感覚だった。ぼくのことを、おひざに、のせてくれなくなったから? 単語を区切ってもいまいちよく分からない。意味は理解したが、それが何だって?

……そのひざはもう、パンちゃんのものですもんね。そんなことは知ってますよ、悟天が生まれたときから、ぼくはもうずっと知ってるんだ」
 
 めそっ、ずびっ。
 丸まった隙間から子どもがぐずる音がする。

「でもだって、仕方ないじゃないか、たまにすっごくさみしくなるんだ、ぼくはいつまでも……なさけない……

 ピッコロはそのままその背中を踏んづけてやろうかと思った。
 昔からそうなのだ。孫悟飯に対して、特に泣きじゃくるこの人間に対して時々ひどく泉のように湧き立つ攻撃性が元から厳ついピッコロの顔を更に仏頂面にさせてしまう。しばらくなかったから、忘れていた。そうだった。この子どもは強いくせして甘ったれて泣き喚く。だから苛々するんだった。そうだったか? 本当にそうか? ピッコロは首を傾げるが、傾げた首をすぐに元に戻した。今はそんなことはどうでもいい。この泣き虫をどうやって泣き止ませるか、それだけが重要だ。昔はどうしていたっけ。怒鳴って、どこかに放り出す。もう怒鳴った。もう湖に投げた。それで悟飯はどうしてほしいと言ったんだっけ?

「おい悟飯」
「ぐすっずびっ」
「悟飯!!」

 びくっ。律儀に肩を震わせた弟子は、ハイと小さく返事して顔を上げた。
 ピッコロはどっかり、草地に腰を下ろした。胡坐をかいて座り、鼻を垂らしているその顔面を片手でワシ掴んで己の方へ引き寄せた。また蹲られたんじゃ堪ったもんじゃないからとそうしたのだが、ぐきっ、悟飯の首が痛そうに鳴っても、まあ、構いやしなかった。泣き虫だが、それくらいでへこたれるような脆弱な弟子ではない。そのまま空いている方の手で悟飯の腰をまたもや鷲掴み、自分の膝の上に乗らせた。その間悟飯はえっとかウワッとか言葉にならない声を上げていたが、それも知ったことではない。そうやってピッコロは無言で悟飯の体をぐるぐるに巻きつけて自分の膝に置いた。
 つまり、伸ばした両腕でもみくちゃに縛られている孫悟飯はさながら宇宙人に捕縛された憐れな一般人のようだった。
 ピッコロはふと口の形だけで笑う。またなぜか大変、愉快な気分だった。もしかしたら懐かしさかもしれない。子どものときだってこの弟子を抱きしめて宥めたことなどなかったはずなのに、本当はずっとそうしていたような、いいや、まさか、記憶が美化され過ぎている。厳しくしごいてきた事実しかない。じゃあこの得体の知れない感覚は何だというのだろう。もうずっと自分はこの感覚と共に生きている。一体化しすぎて、最近じゃあまり認識しなくなったこの感覚は、やはりきちんとピッコロの中にあるらしい。こういうときばかり不思議なものとして主張してくる。ピッコロはしかめっ面で言った。

……寂しくなくなるまで、こうしててやる。さっさと泣きつかれて眠るんだな、クソガキが」
 
 ずびっ。
 真っ赤な顔で鼻を啜る悟飯から涙が引っ込むのであれば、そんな不思議、どうでもいいことだったが。