さもゆ
2024-12-10 02:57:42
11854文字
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【DB】一生かけて殺しに来い

たぶん超時空。ベースは悟チチ。戦うチチさんが見たかった。あとピンチには必ず来てくれるピッコロさん。
※流血表現、捏造あり。

2023.1.26 たべものpixiv投稿作品

 おっとう、おらたたかいたくねえだよ。
 いたいのはこわいし、だれもきずつけたくねえ。
 それなのになして、おっとうはおらをつよくしようとするだか。
 こんなヨロイ、おもいし、おらいやだべ……
 おっとうは、なしておらにぶじゅつをおしえてくんねえのに、なして……
 いったいなにから、おらをまもろうとしてくれてるだ?
 なあおっとう、おしえてけろ。おしえてけろ……



 懐かしい夢を見た。
 フライパン山が赤々と燃えていた、まだチチがうんと幼いころの夢だ。
 大きな父親にくっついて回って、なしてなしてと世界の全部を知ろうとしていたころの話だ。
 そのときのチチの一番知りたかったことは、牛魔王がなぜチチに武術を教えずに身を守る装備だけを与えていたかということだった。チチがもう少し大きくなり、悟空の嫁になるため武術を教えてほしいと言ったときは喜び勇んで教えてくれたが、そのときの牛魔王の嬉しそうな顔は今でもしょっちゅう思い出す。そして、そのときに幼いころの疑問の答えを知らされた。すまねえ、と言われた。
 大きな大きな背を丸めて謝る父親の姿を見て、チチは覚悟したものだ。
 その覚悟は、決まったまま、まだずっとチチの胸のなかに固く結ばれている。それは母親になろうと武術から遠ざかろうと、決して結び方を忘れない道着の紐のようなものだった。

 その紐をとうとう再び締め直すときがきたらしい。

 チチは目を覚ましたときからそう感じていた。
 これは敵意だ。ぴりぴりとした空気が肌を刺している。チチがそれに気づき窓枠に寄ったところで、その気配は掻き消えた。なるほどな、と思った。思って、息を吐く。どうやら相手に常識はあるらしい、待ってくれているのだ。
 チチは寝間着のまま部屋を出ると、子ども部屋に向かった。かつて兄弟が使っていた子ども部屋はいまは弟しか使っていない。その部屋に入りベッドに近づく。そうして、まだ陽も昇りきっていない時間帯に相応しい寝相の悪さでぐうぐうと安らかに眠っている悟天の肩を揺すった。
「悟天、悟天ちゃん。起きるだ」
「ん~……おかあさん? もうあさごはん……?」
「すまねえな、おっかあちょっと体調悪くてよ。朝飯作れそうにねえんだ」
「えっ」
 夢現だった悟天が跳ね起き、「大丈夫なの?」と悟空そっくりの目で心配してくる。チチは手を伸ばし、悟天の頬を撫でると「大丈夫だ」としっかり答えた。「けんど、風邪だったらおめえに移しちまうかもしんねえ。今日は兄ちゃんのとこに行ってくれるけ」
「え? で、でも、それなら僕お医者さん呼んでくるよ」
「お医者様にかかるほどじゃねえだよ、安心してけろ」
「そ、それなら、せめて僕と一緒に兄ちゃんとこ行こうよ」
「いや、ビーデルさんたちにそう迷惑はかけらんねえ。パンちゃんも小さいしな」
「なら僕、ピッコロさん呼んでくる」
「悟天」
 名を呼ばれた息子は弱々しく顔をしかめた。「お母さん、ヘンだよ。何か隠してるみたい」
「そうだな」
 言われたチチは素直に白状した。
「隠してることが、ある。でも誰にも教えらんねえだ。おらだけの、まあ、秘密みたいなもんでな。その秘密を守るために、おっ母をひとりにしてほしいだ」
……お父さんにも?」
「んだ。悟空さにも、知られたくねえ」
「兄ちゃんにも? 兄ちゃんもだめなの?」
「おめえたちには特に知られたくねえだよ」
……わかった」
 敏い子だ。悟天は渋々頷くと、それ以上は訊かずに「今日は兄ちゃんとこ行ってる」と起き出して準備を始める。チチは「ありがとな、悟天ちゃん」と礼を言って息子の温もりの残る手をひっそりと握りしめた。

 昨日の夕餉の残りをいくつか持たせた悟天を見送ってから、チチも身支度を始める。といっても、顔を洗い、普段着に着替え、ちょっと迷って髪を昔のように一つ結びにしただけで終わる、簡単な準備だ。団子に結い上げる時間ですら惜しい。相手をこれ以上待たせたくはなかった。

 外に出ると早朝の冷気が身を包んだ。
 息すら白く凍りつきそうなのは、それほど、自分の血の巡りが良いからだろう。
 山の向こうで陽が昇り、チチの顔をほのかに赤く染めあげる。

「とっくに分かってるだ。……隠れてねえで出て来い」

 声を張り上げたわけではないが、呼び声に応じるように陽の射さない森影からひとりの男が出て来た。
 身に纏う装束は武闘家のそれであり、腰には刀が差してある。長男の悟飯と同じ年くらいだろうか? それよりは少し若いかもしれない。とにかく、チチにとっては子どもと同じ年齢に見えた。
 チチはそうと気づかれないように、そっと息を吞んだ。若すぎる、と思ったからだ。てっきり、いつかこんなときが来るだろうと想像していた相手は、自分と同じ年くらいの人間で、そうして厳めしい顔してチチに襲い掛かって来るものだと思っていた。
「俺の名はシギ」
 青年は凛とした態度で名乗った。
 チチの前まで来ると、若さがより一層目立つようだった。しかし黒々とした目はつり上がり、そのうえ静かな闘志で燃えているのがハッキリと分かる。その瞳でチチを真っ直ぐ見つめ、シギは言う。
「あなたは牛魔王の娘のチチとお見受けする。勝手ながら祖父の仇のため、我が刃の犠牲になってもらう」
「そうけ」
……まるでこうなることが分かっていたような落ち着きだ」
「そうでもねえだ。ただ、おめえさが生きてきた時間よりもっとうんと長い間、ずっとこのときを覚悟してたからな」
 だから、こんなに若え子が来るとは思わなかっただよ、チチはそう言って腰を低く落とし、構えた。「けど話の通じるお人で良かっただよ。おらの子どもを巻き込まねえ配慮も、感謝する。確認なんだけんど、おめえさはおらを殺しにきただな?」
「そうだ。憎き牛魔王に、俺の祖母と同じ悲しみを味わわせるため、あなたを必ず殺すと決めている」
 淡々とした事実確認の声音だった。
 青年は本気だ。腰に携えた刀に手をやり、彼もまた低く構えている。
 チチは目を伏せ、思いのほか小さく訊ねた。
「おらのおっ父が、おめえのじいさまを殺しただか」
「ああ。俺が生まれる前だ。俺は祖母に育てられた。その祖母も先日、死んだ」
「そうけ」
 伏せていた目を上げる。
 覚悟はできている。とっくの昔に。十代のころに。
 締め直した覚悟の紐は固く結ばれ解けていない。ただ、戦うための道着を着る暇もない時を過ごせたのは、本当に幸せだったと思う。この青年が長いときを経て復讐の誓いを決めた時間を、チチはどれほど幸せに暮らせただろう。大変なことも多かったけれど、それでも、結婚し、子をなして、孫もできた。戦わずに過ごせた。その代わり、子どもたちが戦に赴くこともあったが、……いまは概ね平穏だ。その証拠に、家事をする服でこの若者と対峙できている。
 充分だ。
 この復讐に、今更、などという言葉など使ってはいけない。
 チチは受け入れている。
 悟空の嫁になるため父に武道の教えを乞うたあの日あのとき、下げられた父親の頭を見て自分はすべてを受け入れたのだ。牛魔王はひとを殺した。だから。

 いつかきっと、その報復がおまえに来るかもしれない。

 すまねえ。

 それから、幼いころの答えをようやく教えてもらった。
 武術は簡単にひとを殺せるようになる、と牛魔王は言った。その術をチチに教えたくはなかったのだと。強さは、時に過ちを犯す。そしてその過ちは、いつか絶対自分に返ってくる。牛魔王はそれを危惧し、チチに守る装備だけを与えて武術を教えなかった。
 けれど夫となる悟空のため、強くなりたい、と言ったら父親は泣き笑いで了承してくれた。その笑顔を見たチチは自分ひとりだけ、静かに胸に誓った。おっ父はむかしひとを殺した。もしその報復に誰ぞがきたら、おらはそいつをぜんぶ受け入れよう。

 それが牛魔王のたったひとりの娘である、おらにできることだ。
 
 おっ父の過ちは、おらで終わらせる。

 いつか生まれるおらの子どもには、ぜってえ同じ覚悟を決めさせない。

 これはおらたち親子だけの秘密だ。

「来い」
 チチは言った。

 それは戦うことを覚悟した者の声音だった。だが殺すことも、死ぬこともしない。
 戦って、勝つ。それ以外はゆるされない。

 チチの物言わぬ覚悟を見抜き、静かな殺意を完全に制御している若き復讐者は応じて鞘から刀身を引き抜く。これは全くもって礼儀のある、正々堂々とした復讐だった。男はわざわざ言った。「行くぞ」

 白刃が昇ったばかりの朝日を浴びてきらりと光る。
 そして鳥や恐竜の鳴き声をのして、地を蹴る音と、刀が空を切る鋭利な音だけがパオズ山に響いた。





 悟天は真っ直ぐ悟飯とビーデルの住む家に飛んで行こうとしたが、軌道を変え途中寄り道し、ピッコロの家へと向かった。困ったことがあったらすぐに兄に助けを求めるが、その兄にも秘密だと念を押されてしまえば、むかしから、頼れるあてはもはや身内同然のピッコロしかいない。
 悟空が破壊神のいる遠い惑星で修行していなければ、きっとすぐに悟空に言っただろう。秘密だと言われたが、口を開かなければならない秘密があることも悟天は知っている。これは黙っていたらだめな秘密だ。
 家を出て、飛び立つ間際、家のそばにたしかに誰かいなかったか?
 思い返せば返すほど、そんな気がしてくる。
 引き返すことはできなかった。母親の言いつけを破れるほど、いまの悟天にその力はない。まるで兄や父が大切な者を守るときのような、母親はそれと同じ目をしていたのだ。何から守ろうとしているのだろう? ただ守られていることを感じ取った悟天には、せめてピッコロに相談しに行くことしかできない。

「ピッコロさーーん!!」

 森が拓けた湖のほとりに建っている、岩肌を滑らかに砥いだ外観の家へと辿り着く前から堪らずそう叫んだが、はたと気が付き速度を落とす。陽はもう昇りきっている。鳥は鳴いている。ならピッコロは家にはおらずどこかで修行しているのではないか? 兄夫婦にパンという子どもができてからは、あの滅多に居着かない家主不在の家によく居着くようになったようだが、本来ピッコロは悟空までとは行かずとも地球のどこへでも飛んで行き鍛錬を欠かさない自由なひとだ。連絡もなしに家へ出向いて出迎えてくれることは滅多にない。だからポストなんてものがあるし、携帯なんてものも持たされている。
 悟天には手紙も携帯も必要ない。気を探ればいいからだ。
 だが悟天は気を探るよりも、もう一度叫んだ。これが手っ取り早いと分かっている。
「ピッッッコロさあああああああん!!!!」
 大声は森を震わし、湖を波打たせ、鳥は一斉に飛び立ち、そうして悟天の頭に拳骨が降ってきた。
 ガツンッ! と同時にざらついた怒声も飛んでくる。
「やかましい! 朝っぱらから騒ぐなクソガキがッ」
 もちろんピッコロだった。
 思惑が当たった悟天は頭を押さえるよりも落としそうになった弁当箱を抱え直しながらへへと笑う。「ご、ごめんなさいピッコロさん、一番早いと思って……」ピッコロは耳がいい。もし家の近くにいたら悟天の呼び声が聞こえていたはずだし、聞こえていたら飛んで来てくれるはずだ。だから二回叫び、それで来なかったら気を探ろうと思っていた。
 まるで悪びれていない笑みを浮かべる悟天の前で、耳を押さえたピッコロは不機嫌を隠しもせずに「一番早く来てほしかった理由は何だ」と早速訊いてくれる。悟天は空中で居住まいを正し、「お母さんが、」と言った。
「お母さんが、なんか、ヘンなんだ。朝起きてすぐ僕を兄ちゃんのとこに行かせようとして……
「それのどこが、ヘンなんだ。何か用事でもあったんじゃないのか」
「違うんだよ、聞いて、ピッコロさん。お母さんは僕に秘密だって言ったんだ、兄ちゃんにもお父さんにも。秘密があるから、今日は僕に出て行ってほしいって……
「人間に秘密はつきものだろう。なぜ俺のところへ来た」
「お母さんを助けて」
「なに?」
 悟天の胸の内側がざわざわと居心地悪く騒いでいる。
 心臓も常より速く、悟天を急き立てている。予感のようなものだ。その予感のままに口を開く。
「お母さん、体調が悪いんだって。それがほんとか嘘か僕には分かんない、でも、誰かいたんだ。家のそばに。空気が震えてた。ああいうの、殺気って言うんでしょ? 絶対そうだ。お母さんはそれを分かって僕を行かせたんだ、ねえピッコロさん、僕どうしたら……
「落ち着け」
 涙ぐみはじめた悟天の肩を掴み宥め、ピッコロは逡巡ののち「分かった」と言った。
 悟天にとっては早朝すぎるこの時間帯に、文字通り飛んで来てピッコロを呼んだ時点で、何かが起こっているに違いないと構えていたのだ。それがチチのこととはさすがに予測つかなかったが、少ない情報で最善を叩き出したピッコロは「お前は言われた通り悟飯のところへ行け」と続けた。「たぶんあの仕事部屋で寝こけているか、夜通し目を酷使しているかのどっちかだ、窓を開ける様子がなければ爪で硝子を引っ掻いて開けさせろ」
「僕ちゃんとインターホン押して玄関から入るよ」
 ピッコロは押し黙った。家とは本来玄関から出入りするものだという知識はあっても認識は弱い。それを見た悟天は気遣うように付け足した。「……朝早いし、迷惑そうだから、やっぱり窓から入ろうかな」そっちの方が迷惑では、と一般的感覚で突っ込める者はこの場にいない。ピッコロはそうかと頷いて話を続けた。「俺がチチの様子を見に行ってやる。お前は安心して悟飯のところへ行け。いいな?」
「分かった。ありがとう、ピッコロさん」
「チチはお前や悟飯、悟空のやつにもこのことを隠したいらしい。くれぐれも悟飯に悟られるんじゃないぞ」
「任せてよ、ピッコロさん」悟天は涙の残る目で力強く笑った。「人間に秘密はつきものだもん。でしょ? だからピッコロさん、お母さんのこと、よろしくね」
 人間ではないピッコロに全幅の信頼を寄せてそう言った悟天は、また弁当を抱え直し今度こそ兄の家へと飛んで行く。頼まれたピッコロはしかめ面でその軌道を見送り、そしてすぐに自身も飛び立った。気を探る。実は悟天と話しているときからその気を探ってはいたが、なるほどこれは一大事らしい。ピッコロは舌打ちをして自分が出せる最高速度で空を横切った。くそ、孫の野郎は何をしてやがる。瞬間移動ならば、こんなに焦ることもあるまいに。

 ただの人間にしては大きいが、それでもやはり小さなチチの気は、今とてつもなく乱れている。これは血を流し、呼吸を荒げている者の気だ。戦いのなかでしか生じない掠れたエネルギーだ。

 あの女は戦いを好まなかったはずだ。それが、なぜ。ピッコロはまた舌打ちをし、空を急いだ。





 力の差は歴然だった。
 最初、刃は腕を掠めた。次に頬を、足を、皮膚一枚切り裂いていく。浅い傷だ。しかし血は滲み五感を痛みで支配していく。チチは防戦一方、何とか躱していくしかなかった。
「なぜ反撃しないッ」
 刀を扱う青年の手は迷いがなく、確実にチチを追い詰めていく。後方に飛びずさりながら、チチは追いかけてくる刀の切っ先を体を捻って避ける。首の代わりに、髪が数本、はらりと斬れて落ちていく。
「このときを覚悟していたと言うのならば、相応の準備はできたはずだ!」
 首を掠めた刃がそのまま肩を斬り落とそうと動くのを、チチは手元を蹴り上げることで防いだ。追撃は可能な体勢だったが、それをせずまた飛んで距離を取ったのを、シギは憎々し気に見つめてくる。
「質問に答えろ。戦えないわけではないだろう、知っているぞ」
「おら、戦うのは好きじゃねえ」
「牛魔王の娘が何を言う」
「戦って、血だらけンなって、そんで一瞬で大事なひとが殺されるくれえなら、もう強くなくてもいいって思っただ。武力は戦を呼ぶ。戦は人を殺す。おら、そんなのはもう耐えらんねえ。人が殺されたら、生まれんのは復讐だ」
「そうだ、俺はそのために生まれてきた。だからお前は俺に攻撃しないのか。新たな復讐を生み落とさないために?」
「んだ」
「俺にもう身内はいない」シギは苛立たし気に言った。「戦え、牛魔王の娘。俺を殺しても、お前が危惧していることは何も起こらない」
「駄目だ」チチも譲らなかった。そしてもしかしたら、この若者は本当は殺されに来たのかもしれない、と思った。思って、悲しみを通り越して腹さえ立ってくる。「おめえはまだ若い。この先、家族が増えるかもしんねえ未来を、おらは奪えねえ」
「ふざけるなよ」
 刀を持つ手が震えている。
 このとき初めて表に出るほどの激情を見せた青年は、己の感情を制御しようと俯き、呼吸を努めた。その口から発される声はチチにとって子どもの泣き声にも聞こえた。「……ふざけるな、お前はじいちゃんの仇である牛魔王の娘なんだ。諸悪の根源であるあの男が、そんな普通の人間じゃだめなんだ。お前たちは復讐される側の人間なんだ。そんな、そんなくたびれた普通の爺みたいなんじゃ……
「その口ぶり、今のおっ父を見ただな?」静かに構えを取る。「すまねえな、夢に見る悪者じゃなくて。むかし恐れられていた牛魔王は、今じゃただの孫やひ孫に優しい好々爺だ。でも、おめえはそれを知ってもここに来た。相当な覚悟だべ」
……ああ。俺を育ててくれた祖母が、死の間際に、俺に頼んだからな。俺はそのために……
「育てられたって? まるで呪いだな」
「何だと?」

 シギの頭のなかでは祖母の声が響いている。
 病床に着くまでは、やさしいひとだった。死期を悟ってからは、昔話が増え、恨み言が多くなった。そして永遠の眠りにつくまえに言った言葉が、若きシギの頭にこびりついては離れてくれない。牛魔王、決してゆるさない、お前にあたしと同じ目に遭わせてやる……
 祖母は別に、直接的に復讐を頼んできたわけではなかった。
 ただ、シギは、ただ悲しくなり、怒りが湧いた。祖母はやさしいひとだった。自分を育ててくれた過程は大変だったろう、それでもシギは祖母と二人で暮らした時間を大切に思っている。祖母もそうだと思っていた。けど、違った。最期はシギのことなど目もくれず、ただ暗い瞳に救いのない恨みを宿しているだけだった。
 じいちゃんとの思い出を胸に、俺と前を向いて生きていってくれてるんだと思っていた。
 俺はばあちゃんのことを何も分かっちゃいなかった。
 俺なんかじゃ、ばあちゃんの悲しみも怒りも癒せなかったんだ。

 それは育ての親にお前なんかいらないと言われた心地だった。

 そして唐突に理解した。ああ、そうか。ばあちゃんが俺を育ててくれたのは――

「呪いでも、何でもいい」
 再び、刀を構える。祖父が使っていた刀だった。祖母が大事に砥いでいたのは、このためだったに違いない。
「俺はそうやって生きていく。お前に説教される謂れはないッ」
 地を蹴り、たったの一歩で距離を詰め斬りかかる。チチは隙を見逃さなかった。感情の制御を一度失った人間は、そう簡単に理性を取り戻せない。そこには少なからず隙が生まれ、反撃のチャンスが訪れる。
 振り上げられた腕の下を掻い潜り、肘に手刀を叩き込んだ。
 刀が手から落ちる。チチはすぐさまそれを蹴り払い、遠くにやった。勝負あっただ、チチは確かにそう思った。思ってしまった。それも隙となるのに、チチの甘さが招いた事態だった。

 肩に激痛が走る。
 見ると、小刀が突き刺さっている。柄を握りしめ、更に深く突き刺した男は笑って言った。

「俺はあなたを殺しに来たんだ。武道会のようなルールは存在しない」

 小刀を引き抜く。
 チチは歯を食いしばり、悲鳴を飲み込んだ。冷たい切っ先が抜かれた傷口は、苛烈な熱だけを残し、血を溢れさせている。地面に膝をついたチチに向かって、青年は言った。
「牛魔王にお前の首をつきつけてやる。俺の祖父母の恨み、思い知るがいい!」

 チチは諦めなかった。
 目を見開き、相手の攻撃を躱せないかと体に力を入れた。
 血に濡れた小刀が振りかぶられる。切っ先が落とされる。けれどその切っ先が眼前に迫る前に、男の横面に緑色の足首が覗く靴底がめり込むのを、チチは見開いた目でしかと見ていた。

 豪風とともにシギの体が吹っ飛び、木に激突する。
 白刃ではなく視界いっぱいに白い布がはためいているのを、チチは呆然と見ていた。いま、何が起こった?

 飛んで来たピッコロが、シギを蹴り飛ばした。

 簡単な事実だが、どうにも追いつけなかった。
 地面に座り込み何も言えずにいるチチと視線を交わしたピッコロは、交わしたくせに、何も言わずに歩いて行こうとする。その行き先が凹んだ木の下で倒れている青年の元であると気が付いたチチは、咄嗟に視界の隅まで移動していた白マントを掴んだ。
「ま、待て、ピッコロさ!」
「何だ」
 ピッコロはむかし出会ったときのような剣呑な態度で立ち止まり、チチを見下ろした。
「な、な、何だって、そりゃこっちの台詞だべ。なしておめえさがここにいるだ、何しに来ただ!」
「悟天から頼まれてな」
「ご、悟天ちゃん……
「人間に秘密はあってないようなものだからな」
 ピッコロはあっさりそう言うと、掴まれたマントがチチの血でじわじわと赤く染まっていくのを眉間に皺を寄せて認め、それからついさっき自分が吹っ飛ばした人間の方へ目をやった。「それで、どうするんだ、あれは。殺せばいいか?」
 ピッコロとしてはわりと本気の提案だったのだが、チチは眦を釣り上げて「何てこと言うだ!」と血塗れにされといてお前こそ何を言ってるんだとピッコロが思うようなことを叫んだ。「冗談でもそったらこと言うんじゃねえ! あん人はおらを殺しに来ただ、誰にも手出しさせねえ!」
「何を言ってるんだ、お前は」思うだけではなく実際に口にしていた。「お前を殺しに来た? 孫に恨みのある奴か?」
「ちげえ。おらのおっ父だ。これはおらたち親子の問題だ、誰も巻き込ませねえ」
「分からん。何を言ってやがる。お前がみすみす殺されるのを、黙って見ていろと言うのか? できるわけないだろう、お前は悟飯の母親だぞ」
「そうだ。おらは母親だ。だからこの命を諦めねえ。おらとあいつの真剣勝負に邪魔立てするな」
「お前……
 ピッコロはとうとう牙を見せて唸りたい衝動に駆られた。聞き分けのない女だとは思っていたが、この聞き分けのなさには覚えがある。悟空だ。夫婦は似てくるとどこぞの知識にあったが果たしてこの夫婦は初めっからそうではなかっただろうか。「天下一武道会じゃないんだぞ」ピッコロは怒鳴りたいのを堪えて言った。「お前は傍目にも殺されかかっていて、今も血を流して簡単に死にそうだ。それでそうした相手をどうするって? 勝負など、お前が殺されて終わりだ。分かるか、分かるな?」
「おらは殺されねえ」
「チチ」
「ピッコロ大魔王」
 呼ばれたピッコロは一寸ののち口を噤んだ。そう呼ばれることは今やもうない。だが確かに大魔王と呼ばれていたピッコロを知っているチチは、意思の強い瞳で、かつて自分を未亡人にしかけあまつさえ息子を攫ったこともある旧敵を睨み上げた。
「復讐がどれほどかなしいものか、おめえは知ってるはずだな。なら、止めるな」
……無茶を言うな」
「おらは悟空さほど懐が広くねえからな。自分に復讐しに来たやつと仲良くなんて、できる気がしねえ。だからずっと、覚悟してきただよ」
 殺されるのをか、ピッコロが訊ねる前にチチはよろよろと立ち上がり歩いて行こうとする。歩くたびに血が流れ、草地を濡らしている。
「おい、」
 ピッコロの制止も聞かず、チチは青年のもとへ歩み寄った。止めても、無駄だろう。ならばとピッコロはその場に佇みいつでも青年を殺せるよう気を集中させる。この殺し合いの場で、どちらかを殺さなければならないのなら、ピッコロは迷わずあの悟飯より若そうな子どもを貫き殺す考えだった。

 骨の二本や三本、折れているかもしれない。青年のもとに跪いたチチは思った。
 加減はしてくれたに違いないが、ピッコロも悟空も、加減を知っているのならば怪我をさせない程度の力を出してほしい。チチは自分は傷だらけのくせに、そんな甘いことを思って青年の身を案じた。
 青年は痛みに呻いているものの、意識はあるようだ、歪んだ眼差しをチチに向けている。
「すまねえだな、邪魔が入っちまって」
 謝ると、シギはやはり顔を歪めて「殺せ」と応えた。「殺せばいい、俺を。あなたはそれができる」
「しねえ」
 チチはキッパリ、言った。それから乾いた血のこびりつく頬を不敵につりあげ笑ってみせる。
「おめえさの覚悟は、そんなもんなんけ?」
「なに?」
「一度殺しに失敗したからって諦める、そんなヤワな覚悟だったのかって訊いてるだ」
 若い瞳に怒りが燃える。
 全身を打ち付けた痛みを捻じ伏せ、シギは吹っ飛ばされても離さなかった小刀をチチに向かって振り上げようとした。ずっと後ろでピッコロが敵意を真っ直ぐ青年へと定めているのを感じたチチは、ほぼ覆いかぶさる形で小刀の刀身を掴んだ。シギが咄嗟に引こうとした手は、微塵も動かず、ぎちりと肉を抉る音がこもる。凄まじい力で握っているものは、それでも刃物だ、掌の皮膚が破け、鮮血が滴り落ちていく。チチは構わず言った。
「一生かけて殺しに来い」
 これも呪いじみた言葉だと充分分かっている。
 けれどチチにはそれで精一杯だった。
 ずっと胸にした決意で、覚悟で、道着の紐だった。
 誰が大人しく殺されるもんか、殺させるものか。
 ひとを殺す覚悟が本当にあるのなら、おらの一生をかけてでもそれに付き合ってやる。

 それがおらたち親子にできるせめてもの罪滅ぼしだ。

「おらはいつでもおめえを待っててやる。何度でも、いつでも、殺しに来い。そうやって生きて、いつか」

 こんなかなしいことを忘れて、おめえさはおめえさの幸せを手に入れるだ。

 そう言うには復讐を心の拠り所としている子どもにはあまりにも身勝手すぎた。チチは言葉をぐっと堪え、「……とにかく、勝負はおらの勝ちだ」と言った。「今回おらは殺されなかった。だからおらの勝ちだ。おめえは負けだ。とっとと出直してくるだ、分かったか」

 負けず嫌いな言葉を吐かれた子どもは、目を丸くしたあと、同じくぐっと唇を噛みしめ静かに頷いた。
 それ以上の言葉はなかった。
 シギは立ち上がり、来た時同様、森影に溶け込むように歩き去っていく。だが青年の背に陽が射しこむのを見届けたチチは、満足してその場に倒れた。

 いや、正確には倒れたつもりだったが、地面よりはいくらか柔い腕に抱き留められていた。
 ピッコロの腕だ。見上げると緑の肌をした厳めしい顔に濃く影が落ちている。チチは泣きたくなった。本当に勝手なことだが、なして悟空さじゃないんだろう、と思ってしまっていた。
 でもたぶん、悟空さだったらこんなに強がっていられなかっただろう。子どものように泣き出して、怖かったと心のままに喚いていたかもしれない。さすがにそれは、先ほど子ども相手に啖呵を切った手前みっともない。
「ピッコロさ」
「何だ」
「ありがとな。助けに来てくれて」
「なぜずっと気の強いままでいられない?」心底、不思議といった様子だった。「殊勝なことを言うな、調子が狂う」
「ほんとはおらか弱いからな。あんなもん、見せかけだべ」
「ほざけ。か弱ければ孫の嫁などやっとらんだろう」
「はは、言えてるだ……
 チチは目を瞬かせた。視界が霞んできている。ようやく緊張の糸が切れたのだろう。このまま、気を失いそうだ。「ピッコロさ」瞼を閉じきる直前、チチはそっと囁いた。「このこと、誰にも言わねえでけろな。約束だぞ……

 ふん、ピッコロは鼻を鳴らした。
 血だらけのチチをマントで包み、抱え上げる。意識をなくした体は抵抗もなく柄にもなく不安になったが、騒がれないだけマシかもな、と思い直して空を飛ぶ。向かうは神殿だ。人間の医者に診せるには事情が複雑すぎたし、約束を一方的に取り付けられた以上、神殿は隠し事には持って来いの場所だろう。何せ神とその付き人しかいない。
 ピッコロはチチのもとへ飛んで来た以上の速度を出しながら、白に滲む血に、やっぱり舌打ちを零した。瞬間移動ならば、すぐだろうに。孫の野郎。
 この女が誰のために強くなったかを思うと、やはりこの温もりを抱える役目は自分ではないのだろうと、眉間の皺は深くなるばかりだ。しかし知らず口端が上がる。一生をかけて殺しに来いだと?
「ハッ」
 全く馬鹿々々しいほど、似たもの夫婦らしい。その片割れを守るため、ピッコロは腕のなかの温もりをしっかりと抱き留め、限界速度を超えた。