さもゆ
2024-12-10 01:11:30
4738文字
Public 狂戦士
 

【セルファル】この世の中でひとりだけ

従者が「もしも」を考える話。妖精島にて。

2021.5.25 たまごのお粥pixiv投稿作品

 もしぼくらが兄妹じゃなかったら、なんてことを考えるのは、きっとこの世でぼくだけだ。
 ヴァンディミオンの当主がまさかそんなことを考えるわけがないだろうし、ほかにぼくらが兄妹だってことを知るひともいない。
 母さまは想像していただろうか? ほかの女が、自分が愛した男の、娘を生んだこと。ぼくに異母兄妹ができるってことを。まあ、ヴァンディミオン家には先に三兄弟が生まれていたし、少しは四人目ができてもおかしくないって思っていたかもしれない。それとも、自分が最後の子を身籠ったと期待を? あのひとの夢を決して短くない間そばで見ていたけれど、そこのところは分からないままだ。ただ、母はぼくを夢の証としてそばに置いていた。それだけは分かっている。
 
 もしぼくらが兄妹じゃなかったら、と考えたところで、それはぼくの誕生から話が違ってくるので考えるだけ無駄だ。もし母が別の男と結ばれていたら、もしぼくが聖都に生まれなかったら、もしヴァンディミオン家がもっと家族思いの貴族だったら――この世の中にはたくさんの「もし」があって、降りしきる雪のようには積もって踏み躙られている。自分がどこを踏んだかなんていちいち構っていられない、構っているうちに吹雪に遭ってお終いだ、だからぼくもほとんどその「もし」を考えることは実はそれほどなかった。それを考えられるたった一人だというのに、お得意の適応力でいまを充分に楽しめるたちだった。

 幸い、周りからそんな質問を投げかけられることもなかったし、ぼくが彼女を腹違いの妹だと知っているだけでその事実が露呈することもない。ぼくはただ知っているだけで良かった。それより大事なことがあって、彼女はぼくの命を救ってくれたこと、あの聖都の外れのあばら家じみたお化け屋敷よりももっとうんと大きく寂しいお化け屋敷でぼくと二人一緒にいてくれたこと(いさせられた、と言うにはあまりにぼくは彼女に執着しすぎている)、そして、親殺しの罪の片棒を担がせてしまったこと。彼女がぼくの主であるということだった。
 親を殺すことは大罪だ。王さまとて許されない。たとえ邪教徒でも、そうじゃなくても、……ぼくはあれをきちんと罪として目の奥に焼きつけている。共に握った松明の感触は、いつまでも忘れていない。
 彼女はぼくなんかよりずっと泣き出しそうな顔をしていた。怒りと、悲しみと、そして恐れを抱いていた。お前は私のものだから、もう一度誓え、あれがお前の親ではないと証明してみせろ。そうして赤々と燃える松明を、縋りつくように差し出してきた。
 あのとき手を振り払わなかったのは、目の前で泣いている女の子の方が、よっぽどぼくにとって重要だったからだ。
 母さまはぼくにとって怪物だった。小さなお化け屋敷の恐ろしい生き物だった。
 けれども焼いたそれが本当に怪物だったかどうかは、本物の怪物を殺すようになったいまでもどっちつかずだった。わたしたちは一体何を焼き払ったのだろう? 二人してお化け屋敷に長年住みながら、片や怪物の世話をするもの、片や怪物になりきるもので分かれてしまって、それが本当に怪物だったかどうかはよく見ていなかったのだ。わたしたちはバランスが取れていた。

 もし妹でなければ、半分血が繋がっていなければ、こうもくっついて立ってはいられなかっただろう。バランスはあっけなく崩れていたに違いない。

 だから結局、ぼくらは異母兄妹で良かったのだと思う。
 
 そう思って、いたんですけれど。
 


「はあ、キスですか」

 それはそれは、随分メルヘンな。ひとごとのような感想を漏らしたあと、イバレラさんにアンタってば全くつまんない反応を寄越すわねと頭を叩かれた。イテッと形ばかり呟いておく。
 しかし表面上は顔の筋肉のどこも大きく動いた気はしなかったが、自分のなかでは面白いほど動揺したのがはっきり分かった。それに気づいたのはいつも優しくそばにいてくれる風の妖精さんたちだけで、わたしの心境を表すかのように一度びゅうと強く吹き荒れる。桜の花びらが舞い、近くで各々練習をしていた魔女見習いさんたちがきゃあとローブやとんがり帽子を押さえた。頭の上で同じく悲鳴を上げたイバレラさんを素早く手で覆う。彼女は遠慮なくわたしの指にしがみつきながら「全くやんなっちゃうわ、ここの妖精ったらみんな悪戯好きなのね」と悪戯好き筆頭のパックさんを思い浮かべたのか苦々しく言った。良かった。申し訳ないが、わたしのシルフェのせいだとは気づかれなかったようだ。こういうときそこら中にいる風の妖精さんたちには本当に助けられている。妖精島では突風など誰が吹かせたか分からない。
 早くもそういう風に慣れてきたイバレラさんも、帽子を直しているシールケさんの肩に飛び乗って、ちょっとアンタもどーにか言ってやりなさいよぉとつまんなそうに急かした。急かされた少女は、跪いているわたしとその前を交互にちらちらと伺いながら、せっかく直した帽子を目深にかぶっておずおず口を開く。
「その、本当にごめんなさい。わたしはロデリックさんを呼んで来るべきだとは、あの、思ったんですけれど」
「シールケさんが謝ることじゃないですよ」
 これに関してはもう一連の謝罪を、少し離れたところでこちらの様子を窺っている子どもたちから幾度ともらっている。曰く“魔術の練習をしていたらうっかりファルネーゼさんにかけてしまった”――シールケさんにも「わたしがそばにいながら、すみません」と涙目ながらに言われてしまったし、まあそりゃこっそり見守っていたファルネーゼさまが急に倒れたときは肝を冷やしたが、命に別状はないし解決法もあると聞いたからそれほど大事ではないと判断し「謝るのは止してください」と言ったのだが。
 魔法をかけたれたファルネーゼさまは、いま、シールケさんの膝元に頭を乗せて眠っている。かけられたのは眠りに誘う魔法であり、子どもにとって初歩的で簡単な術らしい。
 魔法の解き方も簡単で、目覚めさせるには、眠っている相手にキスをする、ただそれだけ。
 いまはつまんなそうにしているイバレラさんがつい数分前嬉々として告げてきたその内容に、胸のうちだけとは言え、わたしはひどく戸惑っていた。気取られないよう「そうですね」とそのときそのときの最適解を生み出す口がまた自然と答え始めていた。「シールケさんの言う通り、彼を呼んできましょうか」
「いいわけ、アンタそれで」
「イバレラ」
 わたしとは違って感情に素直な小さな口を塞ごうとシールケさんが帽子に手を伸ばす。羽を持つ彼女はそれをひょいと躱し、わたしの目の前、鼻先まで迫った。桜の花びらより濃く丸い瞳がじれったそうに眇められる。「こんなシチュエーション、早々ないのよ、乙女にとったら一大事、これがシールケならアタシが三日三晩かけて相手を吟味してやるところだわよ。けどそーじゃないからこーやってアンタに訊いてんのヨ。分かる?」
……ファルネーゼ様には婚約者殿がいらっしゃいますから。そりゃ吟味する必要はないですね」
「そんなくそつまんない模範解答を望んでんじゃないの!」
「そうは言われましても」
「アンタにとってファルネーゼが特別だなんてこと、アタシじゃなくったってみーんな知ってンだから! だのにあの航海王子が王道の道筋にいるからっ、わざわざいつだって脇道にひっそり佇んでるアンタに言ってるんじゃない、ちょっとピコいいから早く下克上しちゃいなさいよそしたらどんだけこの恋模様が面白いことにな」「イバレラ!」鼻先に帽子が振り下ろされる。シールケさん、有り難いですが遅いです。ほとんど言いたいことを言い終えたのだろう、胸に抱えた帽子のなか、邪魔されたイバレラさんは抜け出そうともしていないようだった。
 その帽子をぎゅっと抱きしめ、幼かったころのファルネーゼ様よりしっかりしている少女がまたすみませんと言い繕う。「あなたはファルネーゼさんの従者さんなので、やっぱりこういうことはお耳に入れた方がいいかと思って。ごめんなさい。余計なお世話でしたね」
「いえ……」従者というのは主が誰にキスをされるかなども知っておいた方がいいのだろうか? 「ええと、」それは、どうだろう。誰と婚約をするか結婚をするかしないかは知らされるだろうが、それ以上の詳細は知らされないだろう。現にわたしはファルネーゼ様が誰々とキスをしただのそういう事情は全く知らない。というか、そんな事情は今まで一度だってないと断言できる。
 だってファルネーゼ様は、…………ひとを好きになったことがない。
 
 脳裏に彼女の裸体が蘇りかけ、あれは違うと瞬きで消す。閉じられた空間で、しかもお化け屋敷のように恐ろしく寂しい巨大な屋敷で、いつも二人。年頃になれば、成長に伴う欲を恋や愛と早とちりすることもある。あれはそういう類いだった。

 もしわたしが彼女の兄でなければ、いいや、異母兄であると知らなかったら、わたしは彼女の体を抱きしめていたんだろうか。

 ただそばで、彼女の生きざまを守らせてくれたら、それだけで良いような気もする。

 でももし――『もし』を考えることが久しぶり過ぎて既に一度踏み躙った雪の泥が足元に飛んでくる感覚すら鈍い。“考えても仕方がないことなのに”――……ぼくがこのひとと血が繋がっていなかったら、ぼくはいま言われるがままキスをしてみるんだろうか?

 彼女の心はもうぼくだけに向いていないのに?

「シールケさん。これって、口にしなければならないんでしょうか」
「えっ」
 しっかり者の小さな魔女さんが真面目に、しかし慌てて首を振って答える。「いえ、キスと言っても、子どもがするようなものでいいんです。手でも、頬でも。何せ子ども用の魔法なので」抱えた帽子のなかでイバレラさんが何やらぎゃーぎゃー抗議し始めたのを黙殺し、わたしはそうですかと言った。言いながらも、眠っているファルネーゼ様のすっかり働き者の手となった細くかさついた左手に目を移し、(こういうとき糸目は便利だ。どこを見たか悟られない)この手を取って口づけるのも、いまのわたしでは主に対して失礼になってしまうなと従者らしく考え、次にも至極従者らしいことを飄々と提案してみせた。
「ではやっぱりキャスカさんを呼んできましょう。シールケさんでもいいですし。わたしとしては、主の意思なく男性が触れるのを容認できない。それがたとえ婚約者殿でも」
「セルピコさん」
「何かおかしなことを言っているでしょうか」
「いいえ、とても普通なことだと思います」
「光栄です」安心しました、心の中だけでつけ加える。魔法の閉ざされた森のなか、お師匠様と二人きり、短い人生のほとんどを悪意に晒されず生きてきた少女に普通と言われるのは、中々に誇りあることだと思えた。彼女の「普通」は善良だ。「キャスカさんを呼んできますね。少しの間ファルネーゼ様を見ていてくれますか」
「はい」しっかり膝枕になりますね、と律儀に膝に眠る主の頭を抱え直し、その拍子に緩んだ帽子の拘束から解かれたイバレラさんがワッと叫ぶ。「つまんないわ! どーしてこうも面白いことになんないのかしらね!」
  
 実はわたしとファルネーゼ様は異母兄妹なんですよ、口にしたら大変面白いことになるんだろうが、そんな「もし」を実行できるほどわたしは寛容ではなかった。

 まだそれを考えるのは、自分だけでいい。少なくともその間は、わたしはずっと彼女の従者でいられる、それくらいの執着を持ち合わせていたので。