○○しないと出られない部屋と媚薬でころっとなったレオくんが書いてみたかったのですが、なぜかこうなりました。スティレオ付き合ってません。ちょっとした無自覚両片思い…の何歩か手前…くらい。
2021.4.28 たまごのお粥pixiv投稿作品
「俺だけは指に染みつく新聞のインクみたいなきみの厄介さに巻き込まれないとタカを括ってたんだよ、だって興味深く触れさえしなけりゃ指は汚れないし、内容が知りたけりゃ今は紙じゃなくって電子ですぐだしな。分かるか? きみはいま厄介なアナログの新聞、俺の指を真っ黒にした」
「つまり……スティーブンさんは……好きで巻き込まれた?」
「印字技術どころか内容もひどいな。もう少しまともなことを言いなさい。誰が好きで巻き込まれたって?」
「指が汚れるアナログの新聞よく読んでるじゃないすかぁ、だから……」
「そうかポジティブに考えさせたのなら悪い。ちゃんと聞けよ、俺だけはきみのトラブルに巻き込まれないとタカを括ってた、なぜならきみは俺が好んで手にする新聞ほど近くにないし、興味深いこともそれほどない。バッドニュースに近い。手に取らないんだから指は汚れない。つまりこんな状況、想定外だ」
「泣きそうす」
「もう泣いてるだろ」
めっそり、清潔なベッドの上でまだ年若い部下が抱えた枕を濡らした。
ドアを開けたら必ずどこかに繋がっているもので、ドアだから繋がっているのか、繋がっているからドアなのか、とかくHLにおいてドアというのはそれだけで特別な価値がついて回った。単純に術をかける上であらかじめ施しやすい形をしているのが主な理由だろう。出入口があるというのは初心者には易しく、ドアとドアの間の時間を歪めたり、新たな空間を増やしたり減らしたり、悪戯好きな者や術師見習いなんかはそれでよく遊んだり練習したりしては些細なトラブルを起こすものだった。日常茶飯事だ。
新聞にも載らない日常茶飯事が大きなトラブルに発展するのは、大体、別のトラブルが連鎖して取り返しがつかなくなるというのがお決まりである。
この場合、別のトラブルというのが分かりやすく目の前に転がっていて、しかもどういった具合にトラブルが大きくなったのかも予想に容易く、それでついつい冷たい言葉を吐いてしまったのだけれど全くもって悪いとは思えなかった。めそめそ泣いている部下をこのまま放っておきたい気持ちが一位、以下同列“早く寝たい”。
事務所詰めの案件がようやく終わって、車のドアを開けたはずが、今日は早めに帰らせたはずの少年がベッドに蹲る謎の部屋に繋がり、そして脇にあった唯一のドアは消えた。
代わりに現れたのはけばけばしい電光掲示板の、極彩色に光る文字。
――『射精 をしたら出られないし無精 をしたら出られる部屋』
なんだこの下手くそで下品で下愚極まりない言葉遊びは。
心中ではそれ以上のスラングを吐き散らしながら、革の硬い車の座席から柔らかなベッドへとなったせいで深々沈みかけた腰を持ち上げ、傍で蹲ったまま動こうとしない少年に声をかけつつ部屋中を目視していく。
「大丈夫か?」
名前を呼ばなかったのは、まだ本人かどうか確認していなかったからだ。取り出した端末は起動可能、GPSは場所はバグがかかっているが二人ともが本人であることを示していることにひとまずは良しとする。靴音も正常、空気の澱みは感じられず、どうやら仄明るい橙色の天井照明からして電気か魔術的な何かが通っている。白い床に、白い壁、極彩色の電光掲示板、紺色のキングサイズベッド。五歩もすれば部屋中を回れる狭さ。
「レオ、おい。サッパリなんだが、きみも急にこの部屋に繋がった口か? 災難だったな、せっかく早上がりだったのに。いつからここに?」
ここまでは、俺にも人道的な優しさが備わっていたと思う。
また何かしらのトラブルに巻き込まれただろう部下を呆れながらも不憫に感じていたし、自分たちの知らないところで感知できない危機に見舞われるよりよっぽどいいと、過去の失敗からちょっとばかし安堵している節もあった。部下の様子を間近で見て、トラブルはこの部屋だけでなく目の前に分かりやすく転がっていることに気がついた数瞬後までは、そう、確かに。
弱々しく振り向いたレオナルドの顔には汗が滲んでおり、頬は熟れ、張りついた前髪との差を明確化していた。
水分を含んで束になったまつ毛を震わし、妙に腫れぼったいその唇が泣き言を漏らす。
「すてぃーぶんさん、なんか、アムギーネから出たら、ここに。そんで、なんか、あの、」めそめそ。「変なんです、あの、からだ」
彼はそう言ってぎゅっと丸まった。その際とっくりから垣間見えたうなじまでもが熱を帯びていることをありあり知らせ、おおよそ全てのことを悟らせた。
ほぼ徹夜明けの眼球にちかちかと電光掲示板の光が突き刺さり、そうしていとも容易く導き出された経緯の割にとんでもないトラブルになってしまった眼前の少年へと瞼を半分下ろす。
「……俺だけは指に染みつく新聞のインクみたいなきみの厄介さに巻き込まれないと、タカを括ってたんだよ」自分でもどうかと思うほど抑揚のない声が出た。
こういうことに巻き込まれるのは普段からべたべたと触り合っているザップ、次いでツェッド、自ら突っ込むクラウスだろう。俺の確率はゼロに等しいはずだったのだ。
「だって興味深く触れさえしなけりゃ指は汚れないし、内容が知りたけりゃ今は紙じゃなくって電子ですぐだしな。分かるか? きみはいま厄介なアナログの新聞、俺の指を真っ黒にした」
「つまり……スティーブンさんは……」汗の滲む真っ赤な顔で考える。「……好きで巻きこまれた?」
「印字技術どころか内容もひどいな。もう少しまともなことを言いなさい。誰が好きで巻き込まれたって?」
「だってぇ」
冒頭の流れに合流。
続いて出てくる人道的な優しさと感情が削ぎ落された言葉に、可哀相な部下はめっそり泣いて枕に縋りついたが、同情が湧いてこないあたり、俺は本当に冷血漢なんだろう。構わない。早く帰って寝たい。勘弁してほしい。
ベッドに脱力して腰かけると、枕を抱きしめべそべそ泣いている部下が憐れがましく濡れそぼった糸目で見上げてきた。
「おれっていま怒られてるんすか、どうして」
「怒ってるわけじゃない。これはきみのせいじゃないからな」
「ええ……? なのに今あんな……っええ?」
「この部屋がどういう部屋か理解してるか?」
「……『射精をしたら出られない部屋、無精をしないと出られない部屋』。ライブラから出たら、急に、で、義眼で見たら術式が張り巡らされてて、体が変になって」ここまでです、理解してるの、レオが呼吸をしづらそうに言った。
上出来だと思う。俺には見えないが、この部屋内に施されているという術式のせいで肉体的に(精神的にもだ)異常をきたし、喋るのも辛いだろうに何とか端的に報告できるのは上司として大変助かる。レオナルドというやつは亀はもちろん立てばペンギン座れば子犬、歩く姿は格好の餌というどうしたって被食者側なのに口を開けば中々に良い動物になる人間だ。うるさいことも多いが。
しかし今はその口を開けるのも億劫そうなのが困りものだった。巻き込まれたのが味方でなければ、既にいいように扱われているだろう。
「そうだな。きみの理解通りの部屋にそうやって巻き込まれた理由は、たぶんだが、単純に運のなさだ。一回エイブラムスさんに診てもらった方がいいかもしれん」
「それでもし何か診断を下されたら……待ってぼくいま、通常のスピードでツッコミできないす。時差が……」
「状況を理解してくれたらそれでいいよ。ゆっくり言おう。きみってついこの間までハイスクールの生徒だったよな? 九月入学? 八月卒業。術師にもそういう学校じみた施設があってね。学校年度は五月~四月、卒業したら晴れて公認の術師ってことになる。就職に有利だ。ライブラもそこから何人か雇っててさ、今年も新しく雇ったんだ、新卒。きみも経験があるかもしれないけど、新卒って右も左も分からないだろ、社会に出たてでストレスフル。けど術師学校は学校にいる間がストレスフルなんだ、規則通りのつまらん堅苦しい術やマナーを徹底的に叩き込まれるらしい。だから卒業するとある程度遊び心があって危険性のない魔術で練習や憂さ晴らしをすることが多くて――ところでいま何月か覚えてる? そう、四月後半だね。ちなみにライブラの術師就業規則には『施設内であれば人命を脅かさない限りに魔術的鍛錬可』とある。着いてこれてる?」
「…………、さいあくだ……」
「分かるぜ、エイブラムスさんに運がないって診断されるのは絶望だよな」
「ウソでしょ、時差込みで喋ってくれてるんすか? いやいまの最悪は、いまの最悪、です。ちょっと、待って、じゃあぼく、ほんとに」
「ただ巻き込まれただけ。うちの職員に。一人いたんだよなァ、真面目だけど危うい感じのやつが……悪いなー少年、やつにはちゃんと言っとくから」
「じゃあほんとにぼく悪くないじゃな、な、なんでぼくさっきあんな詰られたんすかぁ!」
「きみの運のなさがとうとう僕にまで回って来たとしか思えなくて」
「……一緒にエイブラムスさんに診てもらいましょうね」
「よせよ。悪いことしか起こらないだろ」でだ、少年、と僕はなるべく慎重に口を開いた。「きみあとどれぐらい耐えられる? 条件からして、僕はどうやら無精をしなくちゃならんらしい。ハハ、無精しなければならないって面白いな。強制されたら無精じゃなくないか? これが仕事なら頑張って何もしないんだけど。正直なところ壁を蹴り砕いてさっさと帰って寝たい。でもそれじゃ出られないかペナルティがあるか……上手く作られてる」
「ああちょっと待ってくださいね、時差が、時差ですよ、つまり何……俺が射精したら駄目で、スティーブンさんが何をするにも面倒がらんと、この部屋出られないってことですか」
「ムカつくよな。両方とも精を出したらアウトなんだろ。意味は違えど」
「なーるほどそういうジョークがかかってるんすね。こなくそ。全然笑えねえ」
気力だけで会話しているらしい少年はそこでぜえはあ、肩で息をすると、真っ赤な顔をシーツに擦りつけながら寝返りを打った。ベッドの端、おそらく自分の体温が移っていない冷たいシーツの上でぎゅっと丸まる。
「ぼく、ちょっと、だめです。あんまり持たないっす。こんなこと上司の前で言いたくないけど、……スティーブンさんてどこまでの下ネタ許容してくれます……?」
「うちには最上級に下品な男がいるだろ」
「じゃあぶっちゃけるともうひたすらに射精したいです」
「きみは全然お上品だよ」
「助けてください。触りたい」
「絶対に出すな。出られなくなる」
「もうやだ。何時間ここでこーやって我慢してると思うんすか」
「確か帰らせたの三時間くらい前だったよな。我慢強いなー、もーちょっといけるな? 頑張れ」
「やだぁ」
めそめそしくしく、催淫効果に侵された体で三時間も人知れず耐え抜いていたレオナルドはこちらに背を向けぐすぐす鼻を啜り始める。俺はそれをそうだよなあこいつまだ十代だしこういうことに不慣れそうだし普段怖がってる上司が来るしで辛いだろうなあと内心で共感しながらも頓着なくベッドに横たわった。ジャケットも脱がず、ネクタイだけ緩めて。
「お休みレオナルド。悪いが僕にできることはない。何かあったら起こしてくれ」
家で眠りたかったが最高の無精は睡眠を貪ることだろう。まあライブラの敷地内だし、滅多なことはないはずだ。瞼を下ろす。僕は眠れる。
「スティーブンさあん」
だが隣から泣き声が二度三度と続いて、挙句に放り出していた腕の裾を引っ張られるとさすがに瞼を開けざるを得なかった。「何だよ、もう何かあったのか」
毛糸玉みたいなレオナルドが僕の腕に縋りついている。つむじが言った。
「ぼくの給料から、差し引いても、いいので。ネクタイ貸してくれませんか」
「あー……」何となく用途を察して一瞬押し黙り、しかし止むを得ないので襟元に手を伸ばす。「いいよ。別に差し引きゃしないさ」
「新しく買って、贈ります、ので」
「いいって。気にするなよ。請求するなら新卒くんにするから」
しゅるりと解いたネクタイを腕に張りついている熱源にやると、彼はありがとうございますと鼻声で返してまたもぞもぞと元の隅に戻っていった。考慮して僕も背中側を向け横臥する。瞼に電光掲示板の極彩色が突き刺さってくる。「僕は寝るから」「うぁい」ごそごそとサイズオーバーの服の衣擦れが聞こえるなか、再び目を瞑り、そうして僕は宣言通り寝た。
背中が熱い。
寝ている間にむかしの背中の傷が開いたレベルの血潮の巡った温かさ。しかし痛みはなく、自分の凍える血液が流れ出ている感覚もない。
訝しんで目を覚ますと、うるさい極彩色が目に突き刺さり思い切り顔をしかめた。瞬きしながら後ろを確認すると端で丸まっていたはずのレオがすぐ真後ろにいる。
「……おはよう。どれくらい眠ってた?」答えは期待しちゃいなかったので呟きつつ腕時計を確認すると二十分ほどしか経っていなかった。しかし長年の癖みたいなもので、少し眠れただけで意識が覚醒しきってしまう。もう一度寝るとなると時間を要するだろう。「レオ。大丈夫か?」もうシーツの冷たいところがなくなったらしい、僕の寝たスペースは幾ばくかマシかもしれないが、熱を冷ますには足りないに違いない。
「すてぃーぶんさん」
もぞり。顔を見られたくないんだろう、背中に張りついていたレオはまた背中を向けて丸まると、(あげたネクタイは服のどこにも見当たらず、やはり予想通りの使い方をされているのが分かる)癖の強い髪から赤い耳たぶを覗かせながらまた僕の名を呼んだ。
「すてぃーぶんさん、お願いが、あるんすけど」
こんな状態の少年を放って眠ったのに心が痛まないわけが……ない……とは思うのだけれど、睡眠をとったおかげで人道的な優しさはきちんと戻ってきたらしく、半ば少年の方を向きながら「なんだい」と気遣わしく訊ねる。すると彼は(まさしく!)熱に浮かされた子どものように言った。
「なにかお話、してください。気が、まぎれるようなやつ」
「面倒だな。本当にしなきゃ駄目か?」
「無精ぅう」
「まあいいか。喋るのはセーフだろ。たぶん。何が聞きたい?」
「……萎える話」
「そーだなあ。OK、ちょっと失礼するぞ」
一応断りを入れてから寝返りを打ち、小さく熱い少年の体を無造作に引き寄せる。彼はひぎゃあっとひどい悲鳴を上げたが、俺の体温が低いと気づくやいなや大人しく腕の中に納まった。ものすごく熱いし汗ばんでいるしで良いことはないが、目の前で苦しそうだった息遣いがほうと安堵するのは悪くはなかった。何せ縛めているらしいとはいえ、限界になって条件を破られたら堪らない。
吐息が完全に落ち着くのを待ってから、こういう子守りみたいなことは僕も向いてないんだけどと困り眉で切り出してみる。
「お話ね。これは俺の実家の話なんだが」
「う、うそだ」
「噓判定早すぎるだろ」
「友だちの友だちが~とか、兄貴の知り合いが~とか、そんな嘘臭さでしたよ、いまの」
「きみまさか俺に実家がないと思ってる?」
「え? いや、え……ほ、ほんとの話するんすか、いまから? すてぃーぶんさんが……ご実家のっ? おれにっ?」
「どっちでもいいさ。お話なんだから」
「じゃあ絶対うそじゃん」
何なんだその疑い。まあ普段から自分の話はしないからそう言われても仕方がないけれど。嘘か本当かはこの状況において重要ではないので僕も正解は教えずに囁き始めた。
「僕の実家は葬儀屋でね。葬儀屋っつったってフランスの墓守みたいなもんで、エンバーミングだけじゃ素直に死んでてくれない故人さんを凍らすのも仕事なんだけど」
「待って待って待って、いまこそ時差を、時差を考慮してください。そ、葬儀屋?」
予想の外からやってきたお話に思惑通り食いついてきた少年をよしよしと思いながら、頷く代わりに彼の腹を叩きやる。彼はびくっとした。これは僕が悪い。あんまり触らない方がいいだろう。
「ぎょっとしたかい? まーいくら自由と芸術の国でも死者と関わる仕事は実際眉をひそめられやすい。身内や友人に奇形児や精神異常者、先天性の病気持ちの子なんかが生まれてくると、それまで『立派な仕事ね』なんて言ってくれてたやつがそっちこそ幽鬼みたいな顔して『お前のせいだ』とか八つ当たりしてきやがる。あれは参る。誰のせいでもないのに。ましてやただ仕事してるだけの僕から何がどうなって友人なだけの夫婦に難聴の子が産まれるってんだ」
「すてぃーぶんさん。……おれ、ばーちゃんを亡くしたことがあるんすけど、凄いんすよ。最初と最後じゃ、ぜんぜん、顔が違って。あんな穏やかな顔に……してくださって……あの、だから、ええと」
「お前ったら優しいやつだな。嘘の話に一々心を砕いてたら胸に穴が開くぞ」
「えっ? うそ、うそ?」
「ハハハ。面白いことにさ、いやこれは僕個人の感覚だけど、若い子の方がそういう仕事に対して偏見がない気がするんだ。若者に未来があるのってそーいうことなんだろうな。そのまま大きくなれよ少年、ならないか。それでさ、僕が一番その仕事やってて驚いたことがあって、なぜか『死んだら血が出なくなる』って思い込んでるやつが多くってさ。僕らの普通じゃ『死体でも血は出る』もんだからそれが何だかショックだったな。違う世界に生きてる人間って感じだ。納棺前の死後硬直や拘縮した故人さんの髭や顔剃り――本当に顔を剃ってるわけじゃない、女性には髭じゃなくってそう言うんだ――で最初のころうっかり本当に皮膚を切っちゃったことがあって。そしたら血がダバダバ。鼻血が止まらない故人さんもいたし。死んだらただの肉の塊だって思うかもしれないけど、どうしたって血の通った人間なんだよなあ。……僕の血は凍るけど。わはは」
「……ぼくまだ大きくなるっすもん」
「時差で突っ込んできたな。いいよ無理しなくて」
「むりじゃない。まだ成長期」
「そーいう無理じゃなくて。喋るなよ。しんどいだろ」
「だってすてぃーぶんさんの方が」
「俺が何?」
「なんか……しんどそう……」
「しんどいよ。リアリティのあるホラ話を自分の身に起こったように語って聞かせるのは」
「そーやっていっつも笑ってるから分かんな……エッうそ?」
僕の鼻から噴出された笑いが少年のうなじをくすぐり、「やだ」と身を竦められる。彼の皮膚はいま敏感で、赤く熟れている。滲んだ汗が産毛や毛穴を照らしているが、不潔ではない。むしろどこかいいにおいがしそうだった。
アウト、自分に思う。男はわりかし性的判断がズボラな生き物だが、僕はそっちじゃない。分別もある。利用することはあっても、飲まれはしない。
ただ普段は大口を開けて指の触れない距離で笑ったり泣いたり怒ったりしている、組織にとって極めて重要な一部下であり一般人の少年が、こうして腕の中でひたすらに困っているのは面白くてかわいいと感じただけだ。喜怒哀楽のハッキリした人間が見ていて好きなのだが、少年はそれに加えて我慢強く、純朴で、そのくせ適応力もあって、本当に好ましいタイプだろう。クラウスとよく似ている。
ならなぜ適切な距離を保って接していたんだっけ?
クラウスより弱く、触れたら穢しそうだから。
指が汚れているのは俺の方で、そして、指が真っ黒になるほど悪いニュースばかり持っているのも俺の方だった。
「……ハッ」
「すてぃーぶんさん?」
「いや。どう、萎えたかい? もっとエグイ話の方がいいかな」
「……お願い聞いてもらっても、いいすか」
「いいよ」
「もっと体温、下げることってできますか。それか、氷で……おれ熱くて」
「エアコン弄らずに血流操作で温度調節ってかなり無精だよな。おいで」
なるべく自分の手と足で触れないように更に抱き込み、凍える血を操作する。だと言うのに、そんな気遣いも無駄で、レオはもぞもぞ体勢を変えて冷蔵庫にでも引っ付くように全身で擦り寄ってきた。
「おれすてぃーぶんさんの氷、すきです。きもちい」
あ、溶けてしまう、危機感を覚えたので慌てて体温を引き下げる。益々レオが抱きついてくる。こっちが必死で、触れないよう違和感なくやってきたのにだ。だっていくら僕が悪いやつであろうが、この少年はトラブルそのものなんだから、やっぱりこの状況は苛立たしいほど仕方がない。誰のせいでもないし、いや、新卒術師くんのせいにしておきたいが、所為となすりつけるにはあまりにも僕は怒ってなさすぎた。気持ち的にはむしろ逆の。
「……今だけだろ、そんなの」
そんなことないす、いつも好きですって、もごもご言う少年の体温はこの上なく熱く、気を抜くと溶けてしまいそうで、それから、柔らかな紙のにおいがした。
俺は指が汚れる紙の新聞が好きだった。その新聞にも悪い知らせと良い知らせ、どうでもいい知らせがあって、つまり、この少年は。
「……グッドニュースだな」
「ぼくがすてぃーぶんさん好きなのが? へへへ、じゃあやっぱ、好きで巻き込まれたんすね?」
「時差が過ぎる。まだ気にしてたのかきみ。悪かったって」
あんなに泣いていたのに少年は真っ赤な顔でころりと笑った。それからしばらく、枕が僕に代わり、涙の痕が乾いて、お互いの体温のちょうど良さに動くのも喋るのも億劫になってうとうとし始めたころになってようやく、部屋にドアが現れた。
ニュースにもならないこの出来事は、確かに、この街においては些細なトラブルだったが、やはり何となく自分の中では大きなトラブルになっている気がした。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.