肝心なことは何も言わないけれど秘密主義というわけでもなくて、自分を規格外に置いているけれど人を避けているわけでもない。ひとりで考えるのが好きで、誰かといるのが好きで、表情と態度を隠すこともせず、特級だなんだと言われているあの男は至極わかりやすい男だと、家入硝子は思うのだ。
「だ! か! ら! なんであいつにあんなこと言われないといけないのよ!」
だぁん! と居酒屋のテーブルが大きく鳴って、卓上のありとあらゆる液体の表面が揺れた。波を押さえる様にして、硝子は刺身を醤油にかぶせる。あ、わさび忘れた。
「あ、あの、きっと五条さんも悪気があるわけでは……」
「そうね! 悪気じゃないのよ! あれはね、おもしろがってからかってんのよ!」
ごぉん! と鳴り響く音に、グラスが空だと音が違うんだな、と硝子はもぐもぐとまぐろを咀嚼しながら思った。
なけなしのフォローをあっさりと否定された伊地知は、両手で握りしめたグラスの烏龍茶をちびちびと飲んでいる。
「伊地知。飲んでもいいぞ」
硝子が自分のグラスを振って促しても、伊地知は苦笑いをしてから首を横に振った。
「いえ、大丈夫です」
硝子の隣で、飲んでは管を巻いていた歌姫は、今は隣のテーブルの若い集団となにやら盛り上がっている。
「お姉さん、彼氏と喧嘩したのぉ?!」
「彼氏じゃない! 喧嘩はした!」
酔っ払いの集団が、わっと盛り上がりを見せて、その中心では、硝子の先輩がビールをぐびぐびと一気に飲み干している。
ぷはーっ! と威勢のいい飲みっぷりに歓声があがり、歌姫が、今日は私の奢りよ! じゃんじゃん飲みなさい! と豪語して、隣の卓は最高潮の盛り上がりを見せた。
「七海、次何飲む」
メニューを振りながら硝子が尋ねると、顔色ひとつ変わっていない後輩は、見知らぬ若者と肩を組んで熱唱している先輩をちらりと見た。
「せんぱーい! 私たちもいいですかー?」
硝子が叫ぶと、歌姫からいいわよー! と返答がある。
「ほら、七海」
にやにやと笑う硝子に、七海が告げた銘柄は季節限定レア物の芋焼酎だった。
「いいな。私もそれにするか。ロックでいい?」
「水割りで」
すました顔できっちり自分の要求を通す七海に笑い、硝子はもうひとりの後輩に再度声をかける。
「伊地知は? ほんとにいいのか?」
人の金で飲む酒はうまいぞ~と硝子が笑うが、やはり伊地知は首を横に振った。
「庵さんを送り届けますので」
「そ」
伊地知の変わらない回答に、特に食い下がることなく、硝子は二人分のオーダーを通す。
新しいものが来る前にグラスを空けてしまおうと、飲みながら、店中を巻き込んで盛り上がっている集団を眺める。相変わらずいい声だ。遠くでお姉さん、歌手?! などの質問が飛び交っている。そこで、硝子は、く、と笑いをこぼした。
「なんですか?」
物静かな後輩に尋ねられて、硝子は顔を自分たちのテーブルに戻した。
「昔、五条のやつが先輩に、術師じゃなくて流しでもやれば? って言ってたの思い出した」
ギター片手に西から東へ、飲み屋街を陽気に歌い歩く歌姫の姿を想像して、硝子はふふふ、と笑う。グラスを煽って見えたふたりの後輩は、今にもうわぁと言わんばかりに顔を見合せている。
「なに」
「いえ、その……」
「烈火のごとく怒ったんじゃないですか、庵さん」
言い淀んだ伊地知の言葉を引き取った七海が硝子に尋ねる。
「ああ、まぁね。馬鹿にされた! って怒ってた」
怒りで真っ赤になっているだろう顔がところどころにしか見えなかったのは包帯のせいで、あれはいつの怪我のときだったろう、と硝子は思いを馳せる。耳を切ったときだったろうか。それとも頬の打撲? 右肩の脱臼と左腕の骨折はいつの組み合わせだったか。
そして、そのとき五条が言った次の就職先はカラオケスナックのママかボイストレーナーか、流しもいつのときだったか、はっきりとは覚えていない。アイドルは無理かぁ、などと笑って更に怒らせていたことは覚えている。
「あー、笑った……」
ふらふらになった歌姫が、けれどいい笑顔で卓に帰ってきた。
「おかえりなさい、先輩」
「飲んでる? 硝子」
「はい、いただいています」
新しくやってきた酒のグラスを振れば、歌姫はよしっ! と笑った。向かいでは七海も同じようにグラスを振っている。
「伊地知は~? 飲まないの~?」
「はい、大丈夫です」
「もう。あいつに気を遣う必要なんかないのに」
「そういうわけでは……」
困ったように笑う伊地知にはもう興味をなくしたのか、硝子の隣に腰を下ろした歌姫は、テーブルに残っているつまみを物色している。
「楽しそうでしたね」
「うん? ああ、あっち? そうね、元気な若者たちだったわ」
歌姫の目が緩んで、視線がまだどんちゃん騒ぎが続いているテーブルに飛んでいる。
「アイドルしますか?」
に、と笑った硝子に歌姫は一度、ぱちくりと瞬いて、それからふ、と笑った。
「ファンクラブ会員番号一番は硝子にあげるわ」
「嬉しいです」
「伊地知は二番で、七海は三番ね」
「は、はぁ……」
「遠慮します」
「なんでよっ!」
肝心なことは何も言わないけれど、秘密主義でもないから、隠そうともしていなかった。傍から見ていたらそれはよくわかったし、共感する部分だってあった。特に、先輩のことだったから。
規格外だなどと自分を別に置く割にこういう場にもよくいて、ただただ単純に好きでいるだけだったのだ。ひどく、わかりやすく。
「覚えてたんですね」
「だってむかついたもの」
「先輩が怪我するたびに言ってましたもんね」
硝子の言葉に、あ、という顔をした伊地知に、目を向ける。隣の後輩は相変わらずのすまし顔だ。
「ほんと、かわいくないやつ」
くるりと、歌姫の手元にあるグラスが回り、表面に渦が巻いた。
「心配の仕方が下手すぎなのよ」
「さすが。バレてましたか」
「知ってたわよ」
そうして、硝子の隣にいるここにいる全員の先輩は、笑う。
「私はあいつの先輩だもの」
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