Dr.ギャップ
2024-12-09 19:24:12
30105文字
Public 二次創作短歌オンリー歌会
 

2024二次創作短歌オンリー歌会(季語の部)

2024年秋(冬)に開催した二次創作短歌オンリー歌会(季語の部)の参加作品とコメント一覧です(敬称略)。

企画詳細→ https://privatter.me/page/670fce968d6aa
企画用ハッシュタグ→ #二次創作短歌オンリー歌会

瞳刺す朔の空気を抱きこんで毛皮のコートのブルースよ鳴れ  米田
コメント

● 「朔の空気」は「瞳」を「刺す」。「朔」には「ついたち」と「新月」の意味があるらしいのですが、自分は「ついたち」で取りました。気分を新たに踏み出した「朔」の新鮮な空気が「瞳」を「刺す」。「コート」は冬の季語ですから、自分は冷たい向かい風を想像しました。作中主体が逆境に負けず、新しい世界へ踏み出していく場面です。作中主体の前に立ちはだかる「朔の空気」さえ包み込んでしまうのが下の句の「毛皮のコート」です。
 「コート」「ブルース」の長音、助詞の「の」「よ」が韻律を生み出しています。「ブルースよ鳴れ」とあるように、歌のなかに実際に音楽が流れていると感じました。「ブルース」とは「孤独や悲しみなどを表現する哀愁のある曲」とのことですが、もの悲しいブルース・ジャズや軽快なブルース・ロックなど様々なジャンルがあると思います。作者がどのような音楽を「ブルース」として想定しているかが気になります。──おかのきくと

● 歌を読んで浮かぶ景がとてもかっこいいなとまず思いました。真冬の新月の夜の真っ暗な街で毛皮のコートを着て歩く。寒い中で歩いていくと涙が反射で出てくると思うのですが「瞳刺す」はそういった寒さからの涙だけでなく「ブルース」から悲しみ、悲しいことを目の当たりにしたのかなと涙の想像しました。また「抱きこんで」いるのは空気ですが自分自身ごと毛皮で包んでいる痛手を負った獣のイメージも湧きました。ブルースよ「鳴れ」で終わる所に悲しみとこの暗闇から立ち向かう心が音楽と共に響いてくるようです。──山と森と街

● 元日の冷たく引き締まった空気感が伝わる上の句、コートの音が伝わる下の句の対比が好きです。
コートの音を「ブルース」と表現したところが気に入っています。──海月雪夜

● 「朔の空気」という表現が素敵だと思いました。冬の季節の朔日でしょうか。神社では朔日参りがあるように、月の変わった凛とした空気が感じられました。──水川怜

● 「毛皮のコートのブルース」という表現がとても好きだな、と印象に残りました。「瞳刺す」「朔」という言葉から何となく冷たい暗闇を想像するのですが、その空気を抱き込んで、静寂を物ともせずに気ままに毛皮のコートを鳴らしながら歩く主体の、どこか底知れないかっこよさを感じます。──古月もも

● キンキンに冷たい冬の空気から、毛皮のコートのあたたかさ、ブルースの熱気へと変化していく空気感が素晴らしいと思いました。冬のマンハッタンのイメージです。──ゆの

● 毛皮はかつて生き物だったものなので、それらがブルースでもって語りかけてくるって結構こわそうな感じがします。 朔という語の静けさや冬のひんやりした空気からも緊張感のある気配を感じるようです。──池田いくら

● 個人的に蓮っ葉なお姐さんをイメージした歌です。毛皮のコートが毛皮のマリーを連想したのかもこちらはシャンソンですが。ブルースはもともと悲哀つらさの歌。ハードボイルドにひとり生きる姿が浮かんできます──萩野すい

● 歌に込められたものを受け取れている自信があまりなく、でも格好いい歌だー!という気持ちははっきりあって、格好いい歌を受け取れずにいるのが悔しいという……自分にとってそんな歌です。
〈朔〉は朔月(新月)の頃、〈瞳刺す〉は冷たさの形容として読みました。〈毛皮のコートのブルース〉は寡聞ながら存じあげなかったのですが、THE YELLOW MONKEYというバンドに同名の楽曲があるとのことです(はじめ寺山修司を連想したのですが、これは寺山の『毛皮のマリー』という戯曲と、彼の短歌のなかに〈ブルース〉を含むものがあったはずだという記憶によります)。
〈毛皮のコートのブルース〉が楽曲から来ているとしても、歌の景色には〈毛皮のコート〉というアイテムがちらつくように感じました。季語として使われているのが〈毛皮〉〈コート〉だろうという推測による部分もあります。
 音楽に〈鳴れ〉と並置される動詞が〈空気を抱き込んで〉というのが不思議で、音楽なら空気に拡散していきそうなのに……と印象に残りました。染めあげる、に近いような、〈朔の空気〉をもブルースの一部にしてしまえというニュアンスで読んでいます。一首を通じて語彙が格好良く、大人の余裕のような独特の美学を感じました。──Dr.ギャップ

★作者コメント
『ゴールデンカムイ』尾形百之助
月の見えない夜に、ひとりでいる彼のことを詠みました。狙撃手にとって、月の光のない夜は獲物を狙えない。撃つことができない、殺すことができない、ただじっと待っているだけの時間は彼は嫌いだろうなと思います。
ただ、月は見えないだけでそこにあることには変わりはない。そこにあるのに見えない、感知できない愛と同じように。と思いながら詠んだ歌です。
冬の季語「毛皮」「コート」を使ってみました。
THE YELLOW MONKEYの『毛皮のコートのブルース』という曲がありまして、とても尾形っぽいので歌詞を読んでいただけたら嬉しいです。
この曲を知っていた人は握手をしましょう。──米田

腕に縒り 支度をされた闇汁のその滋味として謎は煮込まれ  山と森と街
コメント

● 「謎は煮込まれ」の言い回しに惹かれました。季語「闇汁」は闇鍋のことでしょうか。その滋味として謎の物体が煮込まれていると。とても楽しい場面が想像できてほっこりします。闇鍋を囲うくらいですから主体と相手(この場合複数かも)の仲の良さも感じられてそれもほっこりしました。寒くなる時期に相応しい温かな歌だと思います。原作はほのぼの日常系かギャグ漫画かなと推測しています。──アサコル

● 闇鍋の歌……?なにがあったんだ……?と初めて見たときに二度見しました。原作が気になりすぎます……!──月ノ華

● 作中主体の前には誰かが「腕に縒り」をかけた「闇汁」があります。「謎」とは「闇汁」の中身のことでもありましょうが、背後にもっと大きなものを感じます。
 「闇汁」は作中主体の前にぐらぐら煮込まれて「支度をされた」状態で存在しているということは、当然「支度を」した誰かがいるということ。その存在との関係性が気になります。自分は探偵と犯人・怪盗のような謎を解く存在・仕掛ける存在と読みました。
 『名探偵コナン』に「怪盗はあざやかに獲物を盗み出す創造的な芸術家だが、探偵はその癖を見て難癖つける、ただの批評家に過ぎない」という台詞があります。作中主体はこの場合「闇汁」という「謎」を解く方。つまり「難癖をつける」探偵としての役割を背負っています。
 「闇汁」は誰かが作中主体に仕掛けた「謎」。作中主体はそれを食べて、「批評」する他ないのだと思いました。短い中にミステリ色を感じる謎めいた一首です。──おかのきくと

● 闇汁は季語だということをはじめて知りました。謎が深まる面白いお歌だと思いました。──水川怜

● 謎の煮込まれた闇汁、という発想が面白いです。何が入っているのか分からないことを楽しむ冬のエンターテイメント。美味しさの秘密が謎だとも知らず鍋を囲む人たちを、主体はほくそ笑んで眺めているのでしょうか。──ゆの

● 季語の題で〈闇汁〉が出てくるのとっても好きです! 〈支度〉をしたひとに当てた季語かなと思うのですが、ただの闇汁ではなく〈腕に縒り〉をかけて支度をしてくれるんですね……最高だ……
 この歌の視点は闇汁制作者ではなく、それを供された立場の誰かだと思うのですが、〈腕に縒り〉〈滋味〉とありがたく受け取っているところにこの歌の、彼らの味を感じます。本当に美味しいのか(闇汁=闇鍋のすべてがゲテモノとは限らない)、いつものことと諦めているのか……ただ〈腕に縒り〉のかかる〈支度〉の対象は〈滋味〉でもあり〈謎〉なんだろうなあと思います。
〈闇汁〉は本来参加者がそれぞれ具材を持ち寄るもので、この歌でも〈腕に縒り〉は参加者それぞれが腕を振るっている、〈支度〉も皆でしたと読むことができます。ただどうにも初読でゲーム《文豪とアルケミスト》に登場する江戸川乱歩を想像し、そのために〈腕に縒り〉も〈支度〉も彼一人でしているように思えてしまったのでした。
 みんなで支度した闇汁と読めば、仲間同士で楽しそうにしている気配がいっそう強く立ち上がり、〈その滋味として謎は煮込まれ〉も「ただの鍋にはない滋味=謎がこの闇汁には煮込まれている」という「闇汁というみんなで楽しむものだからこそ」というニュアンスを感じます。──Dr.ギャップ

★作者コメント
魔人探偵脳噛ネウロ 松井優征(集英社)
人の悪意の中に棲みつくエネルギーを栄養とし、そのエネルギーを得るため悪意の作り出した謎を解く魔人ネウロと巻き込まれるようにして探偵業を始める高校生桂木弥子の謎と食欲に満ちた不可思議な探偵娯楽漫画です。
今回の季語というお題。コミックスのおまけページに闇鍋のシーンがありました。闇鍋……闇鍋は季語にないよね?と調べてみるとまさかの闇汁が!しかも汁だと物凄くネウロ感があります。こんな面白い季語もあるんだなぁとこちらを選びました。
原作は面白く奇抜な画面構成がたくさんあります。歌自体にも妙な引っ掛かりみたいなものを作りたくて初句を「腕に縒りをかける」の「腕に縒り」だけにしてみました。登場する犯人たちは腕前を発揮する意味でも肉体的に負荷(表情の変化や犯行についてなど)をかけているイメージですので。少し前の作品ですが機会がありましたら読んでみてください。全23巻。──山と森と街

草葉かきわけるかいなも同じ腕 溽暑むせかえる血達磨の汗  トラネ
コメント

● 江戸川乱歩「柘榴」を思い出す、艶やかなグロテスクさ。「草葉」をかき分けて「腕」にも血が滲んでいるのでしょう。「溽暑(じょくしょ)」の響きが「血達磨」から滴る血を思わせるのが妙です。また「腕」のリフレインが、作中主体の身体性を浮き彫りにしています。使われている言葉全てでもって、作中主体の体がそこにあるというリアリティを盤石なものにしていると思いました。──おかのきくと

● 浮かんでくるイメージの対比がすごく強い1首です。「草葉かきわける腕」からは自然の中を遊び回る子どもの姿が浮かびます。それに続き浮かぶのは「むせかえる血達磨の汗」の腕です。大人で人を殺めている場面でしょうか。溽暑を真ん中に前半も後半も草いきれのじっとりとした蒸し暑さを感じますが草葉の緑、血の赤との色彩対比も含め浮かんでくる景の差に胸が苦しくなります。キャラクターの人生が見える1首だと感じました。──山と森と街

● 暑さと迫力が伝わってきました。「血達磨の汗」がすごく強い表現ですね。──水川怜

● 蒸し暑い真夏の草むらを、必死に逃げる人の姿が思い浮かびました。戦争の記憶でしょうか。凄絶な様に胸が痛みました。──ゆの

● 〈溽暑〉が〈むせかえる〉〈血達磨の汗〉にこの上なくぴったりで、取り合わせにうっとりしました。湿気や血の匂いの絡みつく嫌な感じと、むせかえるような血の匂いや草いきれの濃密さ。光景としては血なまぐさいのですが、描写の筆致が素敵です。
 上の句の状況がつかめている自信がないのですが……〈血達磨の汗〉からは血みどろになるような戦闘の後を想像するので、たとえば「いま自分が草葉をかき分けているこの腕も、先の戦闘で自分が切り落とした誰かの腕も、同じ腕という物質である」という意味での〈同じ〉かなと想像しました。〈草葉かきわける〉という行為を通じて自分の腕の存在を確かに感じているような、逆に言えば、一歩間違えれば自分の腕も「あの腕」のようになっていたのだと振り返っているような手触りを感じます。──Dr.ギャップ

★作者コメント
メイン歌会と同じく、「キングダム」より桓騎の歌を詠みました。
これまで季語に触れたことに乏しく、どんな季語があるのだろうと調べている時に出会った「溽暑」(じょくしょ)があまりにも彼にピッタリな季語だ、と感じました。
桓騎は作中でも屈指の残虐非道な人物です。溽暑は蒸し暑い夏の季語ですが、この湿度には血液や人間の体から立ち上ったものを多分に含むであろうという、彼を取り巻く気配のことを読み込もうと思いました。──トラネ

髪洗う 火花のようなありふれた奇跡の中で逢えたとしたら  せいら
コメント

● 季語「髪洗う」から夏の夜に主体が髪を洗う場面が思い浮かびました。「ありふれた奇跡」を「火花のような」と比喩してるのが素敵だと思います。主体が逢いたいのは想い人でしょうか。逢うのに奇跡が必要ということは既に亡くなっているからだと推測します。髪を洗いながら想い人への想いを募らせるのにとても色気を感じました。──アサコル

● きらめきのある歌だと感じました。「髪洗う」と「火花のような」の取り合わせが面白いと思います。髪を洗う爽快さ、爽やかさと火花の激しさと眩さは正反対のようにも思えますし、不思議としっくりもきます。「火花のような」は「ありふれた奇跡」に繋がりその一瞬を運命的な出会いを想像します。結句の「逢えたとしたら」は初句へ呼応し出会うための準備や予感のような物語を伝えてきます。すてきな1首です。──山と森と街

● 夏の「火花」といえば花火や線香花火を連想します。作中の「火花」は「ありふれ」ていながら同時に「奇跡」。正反対の言葉の取り合わせが奇妙な落差を生んでいます。
 初句の「髪洗う」で暗示されているのは「今までのものを水に流してやり直したい」という願いではないでしょうか。二句以降は「髪洗う」とは無関係な情景が展開しますが、その間「あの髪洗うは何だったのだろう」という謎が残ります。そして、結句の「逢えたとしたら」に続く言葉を考えた時に再び「髪洗う」が伏線として立ち現れてきます。
 「奇跡」が起こるのだとしたら、誰かと「髪洗う」ように関係性をやりなおしたい、しがらみを振りほどきたいと願っているのではないでしょうか。清涼感のある季語の使い方だと感じました。──おかのきくと

● 水辺で花火に祈っているような場面が思い浮かびました。とてもきれいな情景なお歌ですね。──水川怜

● 夏の季語である「髪洗う」から、「火花のようなありふれた奇跡の中で逢えたとしたら」と続けることによって、洗い髪の艶めかしさが際立っていると思います。一夏の淡い恋を思わせる歌に感じられ、胸がときめきました。しかし、仮定で終わってることから逢えなかったのだろうかと思うと切なくもあります。──雪宮斎希

● 髪を洗っているときって色々思いを巡らせるのに最適な時間ですよね。一日の汗を流して、体も思考もクリアになるときに願っている。汚れのないきれいな願いです。誰かと出逢うことはそれ自体が小さな奇跡で、ありふれたこと。出逢った先の未来をとりとめもなく思考している感じもリアルでいいなと思いました。──ゆの

● 洗髪のシーンと火花の語の取り合わせがすごく好きな歌です。火花はぱっと燃え上がって消えてゆくものだから確かに奇跡と呼ばれるにふさわしいなあと納得感がありつつ、消える定めのあるものをありふれていると表現されるとさみしい感じがします。
一世一代の奇跡によって会えたふたりはたぶん天に定められし運命なのだろうけど、ありふれている奇跡で巡り合えたふたりがいたとしたらそれは運命のいたずらで引き合わされた感じがしてそれもいいなあと思いました。──池田いくら

● 洗うために下ろした髪の、火花のようなきらめきと日常への優しい眼差しが感じられます。でも「逢えたとしたら」ということは現実の二人はそんな状態にないんでしょうか。──萩野すい

● 〈髪洗う〉は夏の季語。夏は汗をかきやすいので洗髪も頻繁になることから、とのこと。日常的な行為ではありますが、季語として選ばれたことを思うと、なおさら夏の汗を流した後のさっぱりした感じが想像されます。〈逢えたとしたら〉という願いの歌でありつつ重たさを感じないのは、〈ありふれた〉という語ともにこの季語の力だと感じました。
〈火花のようなありふれた奇跡〉という形容が素敵でとても好きです。火花は確かに珍しいものではないけれど、ぱっと散ってすぐ消えてしまう儚さがあるけれど、一瞬であれ美しく輝くものでもあります。光っては散る小さな火の群れのなかで、奇跡として出逢えたならという願いは、特別でもあるしささやかでもあるし、どうだとしても確かに光をまとっているのだ、ということを思います。
 そう願う相手はまだ見ぬ人なのか再会を願っているのか、どうして逢うことを望んでいるのか、その背景が気になります。〈髪洗う〉が似合うキャラクターとてもいいな~どんなひとなんだろうとワクワクしています。──Dr.ギャップ

★作者コメント
季語は『髪洗う』、原作は『ヒプノシスマイク Division Rap Battle』より「Once Upon a Time in Shibuya」という曲です。夏祭りで友と出会い、一緒に祭りを楽しむという内容なのですが、祭りに向かう前の「行ったら会えるかな、いるかな、一緒に見て回れるかな」というようなワクワク感を歌にできたらと思いました。──せいら

彼岸花 どの道をけどもう二度と会えぬと告げるように揺れをり  Dr.ギャップ
コメント

● 季語「彼岸花」から秋のうら寂しい道端に彼岸花が一輪咲いている情景が思い浮かびました。主体には会いたい人がいるのでしょう。けれど彼岸花は二度と会えないと告げるように揺れている。「どの道を行けど」が切なくて好きです。主体とその会いたい人は道を違えてしまったでしょうか。何故違えてしまったのか想像をかきたてられました。──アサコル

● 初句に彼岸花が置かれぱっと一面の赤い花のイメージが広がります。その彼岸花が揺れることがさよならの手の動きと重なり「もう二度と会えぬと告げる」になるのがすごくいいなと思いました。彼岸花の道はどう進もうとも離別、死の気配を歌全体に感じます。初句から結句まですっと1首で立っているすてきな歌だと思います。──山と森と街

● 情景としては「彼岸花」が「揺れ」ているだけですが、作中主体はそこに意味を見いだしています。彼岸花がこちらに語りかけているように感じているのです。作中主体がどれほど感傷的になっているかが分かります。「彼岸花」は句切れという境界によって鮮やかなイメージとして立ち現れますが、同時に意味のうえでも「どの道を行けどもう二度と会えぬ」相手との境界線としても描かれています。
 ただ「揺れ」ているだけで「どんな彼岸花なのか」の描写がなく、自然と私たちの心のなかにあるそれぞれの「彼岸花」が投影されることになります。色や形だけでなく、一本だけで寂しく揺れているかもしれませんし、川辺に群生しているものかもしれません。──おかのきくと

● 彼岸花から続く二句以降が、美しいけれどもまっすぐに茎が立ちこの世と死後の世界のきっぱりわけるような彼岸花のイメージにぴったりで主体の寂しさ切なさがとてもよく伝わってきました。──水川怜

● あぜ道に咲く彼岸花の情景が美しい一首。初句の彼岸花で区切られることが、その情景をよりイメージさせるように思います。──萩野すい

● 今は亡き愛しい人の面影を追っていこうとするけれど、道端に咲く彼岸花はそれは叶わぬことと無言で教える。美しくも切ない、幻想的な世界が脳裏に浮かびました。──ぱるき

● 鮮烈な別れの光景です。彼岸花の赤があまりに鮮やかで胸がつまりました。二度と会えない別れだとわかっていても口にできない人間の代わりに彼岸花が揺れる。悲しく、残酷で、そして優しい歌だと思いました。──ゆの

● 冒頭の彼岸花から二度と会えない切なさが伝わってきます。
「どの道を行けど」「会えない」切なさを揺れる彼岸花が強調するところが好きです。──海月雪夜

● 赤い彼岸花が一輪目の前に咲いていて、それを見た時にもう二度と会えない、ということを直感として確信する、そんな場面を思い浮かべました。心の奥底でもう知ってはいたこと、でもどこかまだ飲み込みきれずにいたことを突きつけられる、というか瞬間的にきちんと理解する時の感覚には、そうでなかった時の自分が目を逸らしていたことの意味を含めて、心に迫るものがあることを、実感として感じるような歌だなと思いました。──トラネ

● 彼岸花が終わりをイメージさせてくるのは分かる感じがします。ここでの彼岸花は一本ではなくて道沿いにわっと咲いている状態を想像しました。──池田いくら

● どうにもならない、取り返しのつかない決裂の歌だと思いました。個人的には彼岸花かつ決裂といいますと、魔道祖师の夷陵老祖が浮かびます。護りたいもののために、本当にどうにもならず、全てを敵に回すしか、袂を分かつしか無かった彼の歌なのかな、と。引き裂かれるような感情とある種諦観じみたものを、彼岸花の情景描写でもって表現した素晴らしい歌だと思います。──雪宮斎希

★作者コメント
原作はアプリゲーム《ディズニー ツイステッドワンダーランド》で、使用した季語は〈彼岸花〉になります。2022年のハロウィンイベント《グロリアス・マスカレード》に登場するロロ・フランム視点で作りました。
 紅蓮の花という植物がこのイベントのキーアイテムになる(ロロはそれを栽培することでとある目的を果たそうとした)のですが、彼岸花は紅蓮の花と色などのイメージが重なること、ハロウィン時期の秋の季語であることから選びました。またロロは弟を亡くしており、そのイメージも重ねています。
 彼に合わせる季語として他に候補にしていたのは、寒椿(冬)・埋火(冬)・炎風(夏)・炎昼(夏)・花の兄(春)でした。
#twst短歌 #ツイステ短歌──Dr.ギャップ

麗々と夜をくらま照射ともしせよ嘘も痛みもすべて戯れ  ゆの
コメント

● 独特の世界観やコンテクストを孕んでいて興味深いと感じます。
 上の句:景、下の句:情の構成になっています。「照射せよ」とありますので、作中主体は狩猟を行う側であることが分かります。鹿に例えている相手とは命のやりとりを行う血なまぐさい関係なのだろうと思います。作中主体は「嘘も痛みもすべて戯れ」としていますが、言い訳くさいと言うか、自分の行いをどうにかこうにか正当化しようとしているように感じます。本当は鹿を殺したくないのかもしれません。肉体は生きている間の仮住まいであり、命のやりとりも、策謀の張り巡らせ合いも「戯れ」でしかない。肉体を懸けて戦うからこそ、精神的な世界に救いを見いだしているような印象を受けました。──おかのきくと

● 夜の森で火をつけ、その火を映す鹿の目を目掛け矢を射るという景色が「麗々と」で始まるのが美しいです。照らし出して狩りをすることが「嘘も痛みも」に続くことで嘘や痛みもちりちりと浮かび上がる、自分(がつかれた、自分がついた)嘘や痛みを思い出しているのかな。「すべて戯れ」は浮かぶそれが狩りの目眩まし、狩りをする手を鈍らせることはない戯れのようなものという感じかなと読みました。物語を感じる1首だと感じました。──山と森と街

● 夜を赤々と照らし突き進んでいく軍隊の風景が思い浮かびました。嘘も痛みも戯れとしていまう軍人、軍隊でしょうか。戦うものの宿命のような切なさ、痛ましさを感じるお歌ですね。──水川怜

● 照射を「ともし」と言っているところに意味があるのだろうなと思って調べました。
ともしとは、夏の夜にかがり火を焚いたり松明を灯したりして鹿をおびき寄せて射殺すこと。
なるほどだから夜という語も出てくるのだな、と理解しました。
鹿を射殺す狩りをせよと号令をかけている主体が、同じ口で言う「嘘も痛みも全て戯れ」という言葉に、冷酷であると思いつつもとても惹かれました。
嘘も痛みも全て戯れ、いいですね。かっこいいですね。
主体の残酷さと、それに付随するこちらが見た時の痛々しさみたいなもの。どこか、主体に対しても憐憫の情を抱いてしまう。
主体がどういう属性の、どういう育ちの人なのかがとても気になりました。──米田

● 季語は〈麗々〉が春、そして〈照射〉が夏とのこと。〈照射〉は昔の鹿狩りの手法で、篝火を焚き、それに鹿の目が反射するのを狙って狩りを行うそうです。
 光の季語である〈麗々〉を昼に置くのではなく〈夜を晦まし〉としたのが印象的で、明るい春の光が夜をぱっと染め上げるイメージが鮮やかでした。その先で〈照射せよ〉と思わぬ展開を見せるのも鮮やかではっとしました。
〈嘘も痛みもすべて戯れ〉について、〈嘘〉は夜に光を重ねて昼のように明るくしていることを指している、また〈痛み〉は獲物である鹿に向けてのものかなと読みました。ただ、〈痛みも〉を狩の獲物にわざわざ持ち出すだろうか……という印象もあり、自分自身やその周囲のことを重ねているのかもしれないとも思いました。鹿のことと思えば〈痛みもすべて戯れ〉は偽悪的な印象も受けるのですが、“私”自身を重ねると「戯れであってくれ、本当ではあるな」という願い含みにも見えてきます。
 一首を通してとても端正で素敵だなと感じました。──Dr.ギャップ

★作者コメント
漫画『まじっく快斗』より、主人公・黒羽快斗を詠みました。幼い頃に亡くなった父を超えるマジシャンを目指す明るい高校生と、二代目・怪盗キッドの二つの顔を持つ人物です。
使用した季語は「照射(ともし)」。夏の季語で、闇夜に火串(ほぐし)と呼ばれる松明を燃やし、鹿をおびき寄せて行う狩りのことです。
彼が怪盗をする目的は、初代・怪盗キッドであった父を殺した組織を一網打尽にすること、そして父が殺される原因となった宝石を見つけ、破壊すること。そのため彼は初代を装い、自身を囮として、盗みを繰り返しています。
大切な幼馴染みを騙しながら、命の危機にさらされながら、華やかなショーで人々の目をくらまし、子どもの戯れのように夜を駆ける姿を、自らを火串にして狩りをする様子になぞらえて詠んでみました。──ゆの

この国は夢のゆりかご夢の墓所忘れ去られる花が咲く場所  雪宮斎希
コメント

● 夢の原点であり終着点で咲く忘れられた花、切なくて美しい映像を思い浮かべました。
花を桜とすると、現代のソメイヨシノで固定されたイメージの中、忘れられた種類はありそうですし、春の花の解釈であれば「忘れ去られた花」とは何だろうと考えてしまいます。
個人的には知られざる場所で密かに咲く桜の風景を思い浮かべました。
幻想的で素敵な歌です。──海月雪夜

● 「忘れ去られる花が咲く場所」が美しくて好きです。きっと素敵な国なのでしょう。ただ「墓所」とも書かれているので天国のような所を想像しました。絶えず桜の花びらが舞い散る夜の墓地のような、そんな情景が浮かびます。忘れ去られる花もここなら安心して咲き続けられそうです。自信ないですが原作はツイステッドワンダーランドではないかと推測しています。──アサコル

● 大きな3つのリフレインで構成されています。歌で語られるのは「場所」がどういう「場所」なのか、ということのみ。空間に音が反響するように、「この国」が「ゆりかご」であり「墓場」であり、「忘れ去られる花が咲く場所」であると描写されます。「この国」は夢の終わる場所でもありながら、鮮やかな「花」が「忘れられる」墓場でもあります。「場所」が終点としての「墓場」だけでなく、生まれたものが揺られる「ゆりかご」も兼ねていること、「花」が生物が生まれる季節である春の季語であることから、輪廻転生というか、ある循環のようなものがあるのかもしれません。
 「ゆりかごから墓場まで」という閉じたクリシェから、下の句で「忘れ去られる花が咲く場所」と開けたイメージになるのが好きです。
「場所」がどのような「場所」なのか? 「ゆりかごから墓場まで」以上のことは何も語られず、だからこそ謎があり、想像を掻き立てられると感じました。──おかのきくと

● 「ゆりかご」と「墓所」という人生の始まる場所と終わる場所があるのが印象的でした。夢の、ということはこの国で夢が産まれ忘れ去られた夢が息づいているのかな、と思いました。幻想的でありつつも寂しい歌ですね。──月ノ華

● 声に出して読んだ時のリズムが好きです。「夢のゆりかご/夢の墓所/花が咲く場所」のリズムの良さ、またそれぞれが「この国は」に呼応しています。「この国」の背景を読みきれていませんが夢が生まれて、死に眠る。どことなく現代的な世界でなく昔話やファンタジーな世界感を感じます。人がいない廃墟などの景色や森や丘陵が広がるイメージのなか「忘れ去られる花が咲く場所」はさみしいけれど花は咲いていて不思議なあかるさのある歌だと感じました。──山と森と街

● 「この国」は夢の産まれる場所であり死ぬ場所であるのですね。しかし夢の追いかける人々には忘れ去られる花、目にも止まらない花が咲いているのでしょうか。花の切なさとそれでも咲き誇る生命力を感じました。──水川怜

● この歌全体に流れるメロディの切なさみたいなものが好きです。
夢を育むゆりかごでもあり、夢の墓所でもある国。現実にある世界ではなさそうと思いながらも、どんな場所だろうかと思いを馳せました。
忘れ去られる花が咲く場所、というので、黄泉の国でもいいなと思いましたが、身近にあった方が嬉しい、と思いながら読みました。
好きなバンドの曲に「ガーデン」というものがあって、それが頭の中に流れました。
歌を呼び起こす歌というのは得難く、美しいと思っています。
個人的な感慨ですが、大切にしたいと歌だなと思いました。──米田

● さみしさがあふれる歌です。「忘れ去られた」ではなく「忘れ去られる」とすることで、現在進行形で忘れられていることが分かります。現実世界では生きられなかったはかない夢がたどり着き、永久保存される国。人間には決して手の届かない場所にあるのでしょうね。──ゆの

● 31音の中にリズムも構成もギャップも、全てがあって、「この国」が指すところを早く知りたいなと思わせてもらえた短歌でした。何のジャンルか早く知りたい。──しまおかさよ

● 季語で〈花〉といえば桜の花。〈忘れ去られる花〉が桜という具体的な品種でイメージされることになるのは、この歌が季語という題のある場に出ているからこそだなと思います。そして〈花〉を桜で想像することで、映画《鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎》を思い出しました。
「忘れ去られた」という過去形ではなく〈忘れ去られる〉とあることにいっそうの切なさを感じます。今はまだ忘れられていなくても、いずれそうなるだろうことが予感されているというのは、実際どうなるかということをさておき切ないことだと思います。
〈夢のゆりかご〉と〈夢の墓所〉の〈夢〉は別の夢かなと読みました。新しく生まれ、これから育つ夢もあれば、もう育つことも顧みられることもない夢もある。それはいつどこでも同じだとは思うのですが、《鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎》を重ねて読むと、敗戦によってイデオロギーがまったく塗り替えられてしまって、それだけ新しく生まれた夢/死んでいく夢が一度にたくさんできたんだろうなと。そしてそれが敗戦によるものだということを思うと〈この国は〉という限定の仕方に納得感があるというか、深く息を吐きたい気持ちになります。だとすれば〈花〉=桜は、物語に登場したあの桜であり、また日本軍のイメージを引くものだろうと思いました。
 美しくも物悲しい印象の歌なのですが、韻律の口馴染みがよいので口遊みたくもなります。──Dr.ギャップ

★作者コメント
原作:原神
原作紹介
7つの元素が絡み合う幻想世界「テイワット」。主人公は連れ去られた双子の片割れを探すため、相棒のパイモンとともにテイワットの国々を巡る旅に出る。広大な世界を自由に冒険するオープンワールドRPG。
テイワットにはそれぞれの元素を司る神のもと7つの国がある。雷神が治める国・稲妻、草神が治める国・スメールなどがある。

季語の花は、通常、桜を指すものとして使われます。桜で意味を取ると、桜が代名詞ともいえる稲妻の歌にもなります。しかし、この場合の花は作中に登場するインテイワットやパティサラであり、その他諸々です。スメールには過去に置いていかれたものが色々あるよね(ネタバレ防止のぼやかし)という歌でした。
過去の記憶の断片をなぞりながら、夢がキーワードとなるスメールを舞台とした、全てのストーリーを想って詠みました。──雪宮斎希

ジャズバーの階段を出るかたわれの手套に落ちる雪のひとひら  おかのきくと
コメント

● 「ジャズバー」からお洒落な雰囲気が醸し出されていて素敵だと思いましたし、主体はジャズバーに通い慣れているイメージを持ちました。客としてなのか奏者としてなのかは定かではありませんが、きっと粋な人物なのでしょう。ジャズバーの入口から漏れ出るジャズの音色をBGMに主体がひとひらの雪に気付くのがとても格好良いです。原作は音楽が題材ではないかと推測しています。──アサコル

● 静かで美しい冬の景が浮かぶ1首だと感じました。冬の街並み、ジャズバーの階段、雪ととてもドラマチックです。「かたわれ」は手套にかかっていますが何となく「ジャズバー」のバンド/音楽がいてお客がいてという場からこぼれ落ちたような対になる相手から一人になったというようなイメージも連れてきます。「雪のひとひら」に寂しさがありますががどことなくこのキャラクターには体温・熱があると感じました。(ジャズ、雪からBLUE GIANTの沢辺くんも浮かんだりもしました)──山と森と街

● ジャズバーから出て日常に帰っていく切なさが下句の光景によく表れていると思いました。原作はわからないのですが、日常は戦いに身を置いているのでしょうか。そんなイメージが湧きました。──水川怜

● 読んだ瞬間、P5だ!となりました……!(間違っていたらすみません)
情景やその場の温度が手に取るように伝わってくる歌だな、と思います。ジャズバー→手元の手套→一粒の雪というように徐々にズームしていくように描写されているのがなめらかで印象的です。
どうしてもP5のキャラクターに引き寄せて読んでしまったのですが、3学期の夢か現かわからない相手の儚さが「雪」という単語と重なりつつも、確かに彼がいた証拠として、彼と会っていたジャズクラブも渡された手袋もそこに存在するのだ、と切なくなりました。──古月もも

● ジャズバーというと、何となく地下にあるイメージがあります。なのでこの歌も、演奏が終わり、人いきれや煙草やお酒の匂いのこもった地下から地上に出た場面を描いていると想像しました。ジャズに浸った非日常の空間から、雪の降る日常の空間に戻ってきた、空気と意識の切り替えが映画のワンシーンのようで素敵だなあと思いました。──ゆの

● 初冬のワンシーンを一枚の写真のように描写した歌で、ジャズバーという背景の建物から人物→手套→そこに落ちた雪とどんどんズームしていく構成になっています。お洒落で格好良くて、無駄な部分がなにもない洗練された構成がとても好きです。この「かたわれ」は一対の手套の片方という意味ではなくて人物を指している(歌に存在が示唆されている登場人物が主体のほかにもう一人いる)と読んだのですが、ふたりぐみの片方を指すための呼び方として、関係性に主観的な味つけをせずに説明している絶妙な言葉だと思います。恋人とも友達とも知人とも違うし、または、そうであるかもしれないし。乾いた親愛を感じるすごく素敵な三人称で、この呼び方いいなあと噛みしめています。──池田いくら

● 季語は〈手套〉に〈雪〉で冬。手袋ではなく〈手套〉であるところに、大正ロマンあるいはファンタジーのような、「今ここ」とは違うどこかが舞台である気配を感じます。
〈階段〉が上りか下りかは明示されていないのですが、〈ジャズバー〉は地下にあるというイメージや、〈雪のひとひら〉への視線の向き方は窓のない地下から出てきたからこそなのではないかと想像しました。〈階段を出る〉=階段を上がりきって建物を出るシーンとして読んでいます。
〈ジャズバー〉〈手套〉という組み合わせから〈かたわれ〉の手指に意識が向かいました。もしかしたらジャズバーで楽器を演奏していたのかもしれないし、そうでなくても屋内では素手でいたはずで、けれど今は〈手套〉に包まれている手、雪が触れることはできない(“私”が触れることもできない?)、と思うと奥行きが広がるようで素敵です。
〈かたわれ〉という描写にもドラマを感じて、“私”とどういう関係性なのか気になりました。“私”のかたわれという読み以外に、〈手套〉のかたわれ=片方しかない手袋という読み方もあるかなとは思いますが、ここでは“私”のかたわれと示された人物がいるものとして読んでいます。──Dr.ギャップ

● 古い洋画、または日本でいえば小津安二郎の作品にありそうなワンシーンです。「ジャズバーの階段を出る」のわずか12音の舞台設定がしびれるほど格好よく、しかも手袋にそっと落ちるひとひらの雪……。思わずほれぼれしてしまいます。「かたわれ」にはふたつのうちの一方という意味がありますが、これは手袋の片方と言うことなのか、それとも作中主体にとっての大切な存在の人間を表す「かたわれ」なのかは判然としませんが、前者として読むと、もう一方の手袋はおそらくまだ手に嵌めておらず、持っているのでしょう。その瞬間が、暖かいジャズバーの室内から出てきたばかりの作中主体を浮かび上がらせ、ああいつのまにか雪が降り始めていたんだと気付く一瞬を鮮やかに切り取っていると思います。──せいら

★作者コメント
「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」より 主人公&明智五郎
  季語 手套、雪(冬)
 ゲーム「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」より。
 主人公と明智五郎は、奇妙な運命の渦に翻弄され、ライバルでも相棒でもない、不思議な関係性を構築していきます。彼らはお互いに羨望し、敵対しながらも、どこか信頼しあっています。彼らの出会いは偶然ではなく、人ならざる者が定めた運命です。
 「ペルソナ5」のゲーム内では、東京の様々な場所(バッティングセンター、メイドカフェ、釣り堀など)を訪れることができ、それらの生活を通してパラメーターを上げ、バトルに備えることになります。
 その施設のうちの一つが「ジャズバー(原作では「ジャズクラブ」)」です。
 「ジャズクラブ」は、明智と一定ランク仲を深めなければ解放されません。パーティメンバーのパラメーターを上げるために必要不可欠な場所なのですが、そんな重要な場所が、明智無しでは開放されない事実に、ぐっと来ます。孤独な明智ですが、主人公と絆を結べているんだな〜という感じで。
 季語の「手套」とは、明智がいつも身につけている黒い手袋です。詳しいことはネタバレになるので避けますが、ある一定の条件を満たすと、明智の「かたわれの手套」を貰うことができます。それは、明智が主人公に残した再戦の証です。「手套」の片方をお前に預ける、だから腐ったり、死ぬんじゃねぇぞ、というメッセージです。両の「手套」が揃う日、明智に再びまみえる日を、主人公はずっと待っています。
 そういえば、明智がいつも手套を身につけていたのは「本音を隠す」ということの比喩だったのかもしれません。そうとなれば最後の最後に脱いだ「手套」は、彼が主人公に素の気持ちを曝け出したということなのかも……と今これを書きながら思いました。
 「手套」という季語、適度にシャレオツなので頻繁に使ってしまいます。夏井先生には「雪」との季重なりでバツにされますが……(汗)──おかのきくと

凍蝶いてちょうの舞う空見つめ神鳥かみとりの上で寂しく笑う群青  アサコル
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● 一読して好きです!と叫びたくなりました。
凍、空、群青と色味が違う青が印象的です。
凍蝶は動かない印象ですが、舞う風景が幻想的で美しいです。
「神鳥の上で寂しく笑う」が自分と世界の隔絶を想起させ、切なくなりました。──海月雪夜

● 「笑」っているのは群青。「神鳥(鳥の形をした神様)」より「上」にいるということは、「群青」色の空でしょうか。ともすれば「神鳥」は雲とも読めます。
 神様とは人々の願いを聞き入れるもの。根本には孤独があると思います。一方で「群青」は「神鳥」よりも「寂しさ」を感じています。そもそも神様は八百万もいると言われますから、大して「寂しく」はないのかもしれません。「凍蝶の舞う空見つめ」「神鳥のうえで」が大きなリフレインのようになっています。
 生命力を失った「蝶」を見つめるまなざしこそが、孤独に「凍」っているのではないでしょうか。──おかのきくと

● とても寒い冬の空は途方もなく広く遠く見える気がします。凍えうまく飛べずにいる蝶を神鳥は見つめる。その上の群青(空)は寂しく笑う(広がる)。1首全体に諦観の視線を感じました。その場所の景色と諦観を詠んでいるのかなとも思いますし、「寂しく笑う群青」は群青=空の色でなく群青=キャラクター(イメージカラー)なのかなとも思います。冬の空気感や寂しさが伝わってくる歌だと感じました。──山と森と街

● 己の意思と関係なくやがて蝶々を死に追いやってしまうような冬の抜ける青空の風景が浮かびました。──水川怜

● 冬の空を頼りなく飛ぶ蝶を見つめる眼差しの持ち主は、自分に重ねているのでしょうか。「神鳥」の神々しさとの対比が印象的だと思いました。──ゆの

● 透明感のある歌だなと思います。初読では群青は空のことかと思ったのですが、「空見つめ」とあるのに気づいたので、空を見つめているということは空ではなく別のものなのだなと振り出しに戻りました。神さまとか、何かしらの大いなる概念のこととかでしょうか。──池田いくら

● 季語は〈凍蝶〉で冬。〈神鳥〉は手元の辞書を引いても掲載がなかったので、この歌独自の造語、もしくは原作固有の単語かなと読みました。神様である鳥、あるいは神の眷属である鳥をイメージしています。
「凍蝶の舞う空を見つめ、また神鳥の上で寂しく笑っている群青(=空?)である」と読んでいます。〈凍蝶の舞う空〉とあるので〈群青〉は空とは異なる可能性も高いと思うのですが、〈神鳥の上〉に位置できる〈群青〉は御空かなと……冬晴れの雲一つない空の、明るいけれど寂しい様子を想像します。
 弱弱しく命の尽きそうな〈凍蝶〉と、神の形容を冠する〈神鳥〉が対比的に感じられつつ、一方でどちらも空を飛ぶものとしてイメージが重なるのが印象的でした。この歌では〈神鳥〉は飛んでいないかもと思うのでなおさら、単純に対比しきらない手触りがあるように思います。──Dr.ギャップ

★作者コメント
ゲーム「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」に登場する鳥の獣人であるリーバル(故人)というキャラと彼の相棒であるヴァ=メドーという巨大な鳥型機械について、冬の季語「凍蝶」を使って詠ませていただきました。ストーリーを進めるとリーバルは魂だけの状態でメドーと共に主人公がラスボスと対峙するのを寒空の下で待つことになるのですが、そんな中で蝶(作中には寒冷地に生息する蝶が存在する)に遭遇することもあったのかなと妄想を膨らませました。
歌の中の「神鳥」はメドーのことを、「群青」はリーバルのことを指して使っています。「寂しく笑う」で既に死にもう自由に空を羽ばたけないことを寂しく思う彼の心情を表現できていればと思ってます。──アサコル

晩秋の 頬刺す風も あたたかく 彼の告白に 体は火照り  ぱるき
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● 「晩秋」の冷たい「風」が「あたたかく」を境にぱっと明るいものになっていく展開が良いと思いました。「あたたかく」が平仮名になっていることで、その変化がよく分かります。百人一首的な王道感があり、ノスタルジーを感じました。──おかのきくと

● 恋の真っ只中のかわいい歌ですね。彼の告白によって鼓動が強く早くなり、頬を刺すほどの風もあたたかく変わる。歌の中の単語のチョイスが体感を連れてきてくれます。秋の終わりですが歌全体の秋冬感と相対するように恋の春の明るさを感じる1首です。──山と森と街

● 痛いほど寒い風の中、それでも想い人の言葉が主体を温めたのですね。二人の互いを想う強い気持ちが伝わってきました。──水川怜

● 告白された喜びがもたらす影響の列挙が、舞い上がる心の表現として楽しいです。全身ほかほかですね。「火照り」の後もいくらでも続きそうで、長歌でも読んでみたいと思ってしまいました。──ゆの

● 「頬を刺すほど冷たい風すらあたたかくなる/感じられるほど、彼の告白に私の体は火照っている」というシーンとして読みました。〈彼の告白に 体は火照り〉から、告白に驚いて嬉しくて体温が一気に上がる様子が想像されて微笑ましくなります。
〈晩秋の〉〈頬刺す風〉とあることで、空っ風の吹くような、木々の葉の落ちきったようなある種寂しい寒い季節だと想像されて、だからこそ〈彼の告白〉がくっきり鮮やかに見えるよう。〈晩秋〉〈頬刺す〉と文語風の語彙である一方、語の連なりや〈彼の告白〉に対する反応が素直で、中高生くらいの初々しい“私”をイメージしました。──Dr.ギャップ

★作者コメント
映画「耳をすませば」のラスト、雫が聖司に告白されるシーンを詠みました。
吐く息も白い11月の早朝。頬を刺すような冷たい風も、聖司の告白に雫の体は一気に熱くなっていくそんなイメージです。──ぱるき

噛み締めるように言葉を練る人は名もなき鍋を夏でも作る  池田いくら
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● 見ている相手の人となりが浮かんでくる歌でとても好きです。「噛みしめるように」「言葉を練る人」という言葉のチョイスがすてきで、小説や詩歌や演劇を生業にしている人なのかなと想像しています。その言葉を練る人は「名もなき鍋」をしかも「夏でも」というところがすごく人間味を感じます。何か料理名があるわけではないけれど、鍋なのでそれだけでも栄養があってあったかくて、疲れた体をいたわれる人なのだろうな。噛み締める(ぎゅっ)から始まり鍋の湯気の中(ほわほわ)にたどり着く景がしみじみいいなぁと感じました。(ほんのりと違国日記の槇生ちゃんが浮かびました。好きな雰囲気のキャラクターそうなのでどの作品かなと発表が楽しみです)──山と森と街

● 「噛みしめるように言葉を練る人」とは歌人か文豪でしょうか。「名もなき鍋」という言葉から「文豪とアルケミスト」の坂口安吾(「安吾鍋」という闇鍋を作るそうです)を連想しました。「噛む」「練る」という歯ごたえのある言葉から想像できるのは、作中主体の「言葉」に向き合うひたむきさです。「夏でも」「鍋」を作るということは、食事にも頓着しないのでしょう。私生活を投げ打ってでも「言葉」と向き合っていたい、という作中主体の破滅願望にも似た悲願のようなものを感じました。──おかのきくと

● 「鍋」が冬の季語だと思うのですが、そんな鍋を夏でもつくる、ということに特別感を感じました。「言葉を練る人」が敢えて名前を付けていない鍋(あるいは名前を付けられなかった鍋)、どんなものか気になります。──月ノ華

● 「言葉を練る人」は「夏でも鍋を作る」という言葉から、主体はこの人をどこか尊敬しているのかなと感じました。──水川怜

● 夏に鍋。言葉を練るように何事も妥協しない人は、夏に好まれる簡素で喉越し重視の食べものでは満足できないのかもしれません。いつも何かを煮込み続けている、その執念こそが本質なのではないでしょうか。──ゆの

● 二次創作関係なく、短歌をすきな人間として「うわ、こうありてぇ〜」と思わせられた描写でした。言葉を大事にしてくれる人は、作品のいちキャラクターであっても、尊敬に値すると思っています。──しまおかさよ

● 闇鍋の歌が二首も!?  2番の歌と同じキャラクター!?と思ったのですが、〈名もなき鍋〉ということはもしかするとこちらは坂口安吾に寄せた歌でしょうか……? 坂口安吾は「安吾鍋」といって、そこら辺にある材料で鍋を作るのを趣味としていたとか。冬の季語にもなっている「闇鍋」ではなく〈名もなき(=世間に流通している名前のない)鍋を夏でも作る〉というのが、安吾鍋っぽいかなあと。なお、〈鍋〉単体では季語にはならないらしく、手元の歳時記に掲載がないのが衝撃でした。寄せ鍋やあんこう鍋といった各種鍋はいちいち載っているのに。
 上の句と下の句のつながりについて、〈噛み締めるように言葉を練る人〉だから、そういう人ならではのこだわりで〈名もなき鍋を夏でも作る〉なのか、〈噛み締めるように言葉を練る人〉は言葉を慎重に扱う一方で〈名もなき鍋を夏でも作る〉なのかどちらだろうと想像しました。ただ、どちらというよりは〈夏でも〉から前者のような神経質な拘りを、〈名もなき〉から後者のような大雑把さを感じて、「周囲から見るとちょっと理解できない拘りを抱えている人」という人物像を思い描きました。美食ゆえの拘りではなく、偏食ゆえの拘りという印象があります。
 また「名もなき料理」という言い回しは「○○炒め」などとしか言いようのない家庭料理に使われる、〈鍋〉はありものでなんとなく作れるなどのイメージから、文筆家としてもまだそんなに売れていなさそうな、美食にこだわれる立場ではなさそうなイメージが来ているように感じます。でも夏でも鍋を食べられるのは体力がありそうで、貧乏でひょろひょろしている文学青年でもなさそう。──Dr.ギャップ

● いきなり作品をあてに行ったようで恐縮ですが、もしかしてヤマシタトモコ『違国日記』の二次創作か、と思いました。作家の槇生があまり料理に頓着しない人で、ごった煮の鍋をいつでも食べていた記憶があるので……(ぜんぜん違ったらすみません)。上の句で緊張感があるのですが、下の句の様子に思わずほほえんでしまいます。こんなに言葉に対しては真剣な人なのに、こんなに抜けているところもあるのか、と。そんな作中人物に対して向けられる、詠み手の視点がまたやさしくて、魅力的です。──せいら

★作者コメント
高代槇生/違国日記
季語かどうかは諸説ある「鍋」を季語として据えて作ったつもりでしたが、思いっきり「夏」が入ってしまっているのに提出後に気がつきました。──池田いくら

朝露の窓に指先ひたしては君の名を書く何度でも書く  水川怜
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● 季語「朝露」で秋のちょっと肌寒くなった朝が思い浮かびました。そんな中窓に「君の名」を主体は「書く」を繰り返し「何度でも」と念を押してる所にどこか執念めいたものを感じて良い意味で背中がぞくぞくしました。君は主体にとってどんな存在だったのか、愛おしかったのか憎かったのか定かではありませんが大きな感情を抱えていたのでしょう。とても切ないですね。──アサコル

● 声に出して読むとすとんと収まってなめらかですてきです。結露とかでなく「朝露」なのが寒くなってきた季節感、朝一番に相手を思う心、清廉さを想像しました。「ひたしては」がただ窓にふれているだけでなく浸るほどゆっくり丁寧に名前を聞いているんだろうなと感じます。「書く何度でも書く」のリフレインと合わさり静かでひたむきなキャラクターを想像する1首だと思いました。──山と森と街

● 秋のしんとした朝、窓に「君」の名前を書く。恋する少女のようなロマンティックな情景です。しかし作中主体は一度では飽き足らず「何度でも書く」のだと言います。「君の名を書く何度でも書く」というリフレインは、作中主体の執念にも思われます。「君」と作中主体は恋人同士なのか、それとも別の関係性なのか。どちらにせよひどく執着しているようです。どのような関係性なのか、答え合わせが楽しみです。──おかのきくと

● 秋の肌寒くなってきた朝、結露した窓に想う相手の名前を何度も書く。とても素直で無垢な歌だと思いました。露、ガラス窓、ひたす、と透明なイメージが重ねられる上の句がきれいです。下の句の繰り返しに想いの強さが表れていていいですね。──ゆの

● 君との距離感にもよるけれど、名前をたくさん書くのはまじないのようにも解釈できる動作なので、人間対人間だったら執着の波動を感じてちょっと怖い歌かなと思いました。──池田いくら

● 「ひたす」の語彙チョイスがお上手だなぁと目を惹かれました。何度でも書くのは、切なさかもしれないし、愛しいからかもしれない。私に見えるものはまだその程度だけれど、そういう実直さがうつくしかったです。──しまおかさよ

● この歌の季語はどれだろう、と調べて〈朝露〉が秋の季語であることにまず驚きました。“私”に合わせられた季語なのか、あるいは〈君〉に選ばれた季語なのかもしれないとまずそこでワクワクしました。
 あくまでなんとなくのイメージなのですが、中高生くらいの“私”が誰もいない早朝の教室や他に乗客のいない電車の中など、一人きりの、でもプライベート空間ではない場所でそうしている様子をイメージしました。〈君〉に直接は告げえない思いなどがあって、それを託しつつ〈君の名〉を書いているのだろうと思います。〈何度でも書く〉とありつつ執拗さを感じないのは〈朝露の窓〉だからこそで、ノートや黒板に書くのとは違う感触があるなと感じました。
 ここからどう展開するか、どんな結末を迎えるかが絶妙に想像できなくて気になります。──Dr.ギャップ

★作者コメント
「千と千尋の神隠し」の歌です。季語は朝露です。結露した窓に忘れないようハクの名前を何度も書く千尋を想像して作った歌です。──水川怜

燔祭も愛もいのりも跳び越えた狼星よ希望を照らせ  萩野すい
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● 今回「燔祭」を改めて調べたところ「ホロコースト」と訳されたと知りました。
「愛もいのりも」や「希望」が胸に迫ってきます。
「いのり」のひらがな、シリウスの「狼星」が現実離れした印象を受けました。
シリウスは冬の星なので、絶望の中にいるのでしょうか。青白く輝くシリウスは希望となるのでしょうか。希望の春が来ることを願わずにはいられません。──海月雪夜

● 広義で「動物を燃やすこと」を意味する「燔祭」と動物である「狼」が対応しています。ギリシャ神話などでは神様に功績を認められた者は星座として空に上げて貰えると言うので、この「狼星」も元は供物として燃やされた動物だったのかもしれません。「ハンサイ」「アイ」、「も」の連続で、実際に何かを「跳び越える」ような強いリズムが生まれています。
 「燔祭」は神への愛情の一首でしょうが、「狼星」はその「愛」や「祈り」も飛び越える。狼星はあらゆる苦難を乗り越え、ようやく手に入れた夜空という安寧の場所で、次の「希望」となる存在を「照らす」。そんな力強さを感じました。
 単語の対応から生まれる世界観、韻律、そして歌に横たわるパワー、どれをとっても素敵な歌だと思います。──おかのきくと

● 燔祭は動物の生贄を捧げる儀式なんですね。「燔祭も愛もいのりも」は宗教や大勢の中で共通概念などかなと読みました。それを「飛び越えた」大きな意識体から自らのその足で新たな場所へと行く、それが狼星(シリウス)なのがすてきです。生贄の動物ではなくなり、暗い空の中明るく瞬く星に照らされて駆けていくのだろうなとその物語を強く感じました。──山と森と街

● 狼星、シリウスは長いことこの星の歴史を見つめてきた、というような壮大なイメージが浮かびました。今も各地では争いは絶えません。シリウスはわずかな希望を照らし道標となるでしょうか。太陽ではなく狼星という言葉にしたことで神秘性も増したように思います。──水川怜

● 「燔祭(はんさい)」は、「いけにえの動物を祭壇上で焼き、神にささげる古代ユダヤ教の儀式」のことであり、「ホロコースト」の語源にあたるものとのこと、初めて知りました。冬の夜空に輝くシリウスは、宗教を超えてどんな人にも平等に希望を感じさせることができるかもしれません。そうあってほしいという歌だと思いました。──ゆの

● 「もとの作品の推測全然できないなー!短歌がたくさん並んでて楽しいなー!」の楽しみ方をしているポンコツ私ですが、この短歌だけは「これかな?」があります。シリウス、夜の夜空に輝く、孤高の強さを感じてだいすきな星です。光あれ。──しまおかさよ

● 初句と二句目の振り幅が大きくて、そのダイナミックさが良いな~!と思いました。──池田いくら

● 季語は〈狼星〉でシリウスのこと。冬の大三角形を構成する星の一つ。手元の歳時記では「ろうせい」と読み仮名があったのですが、この歌では韻律に合わせて「おおかみぼし」と読みました。
〈燔祭〉は「古代ユダヤ教で、神へのささげ物として雄牛・羊などの動物を石造りの祭壇で丸焼きにして供えたこと。 また、そのようにして焼いた供え物。(コトバンク収録『精選版 日本国語大辞典』「燔祭」より)」。
〈燔祭〉の残酷さを伴うイメージと〈愛もいのりも〉の穢れのないイメージ(〈いのり〉と〈燔祭〉はある意味で同じグループにいるのですが)が対比的に感じられつつ、〈も〉でつながって〈跳び越え〉とされるところが印象に残りました。自らに捧げられる生贄の拒否、〈愛もいのりも跳び越えた〉から感じる孤高・高潔の印象。けれど〈希望を照らせ〉という明るいイメージで歌が閉じられること。〈燔祭〉は供物となる動物を介して〈狼星〉と響き合うと同時、〈愛〉と並ぶことで「一方的に捧げられるもの」への拒否を示しているのかなと思います。一方的に捧げられる何もかもを受け取らず、跳び越え、己の信じる〈希望〉のみを照らすという力強さ。
〈狼星〉は特定のキャラクター(たち)の象徴として置かれていると思うのですが、〈希望を照らせ〉と歌が閉じることで、実際の星としての狼星(狼星=シリウスは、星のなかでも明るく存在感のある)のイメージが大きく重なってくるように感じました。
 漫画『メダリスト』(つるまいかだ)に登場する狼嵜光の歌かなと思いつつ読みました。違ったら恐縮なのですが、『メダリスト』の主人公の名前が〈いのり〉で、光ちゃんはライバルの位置にいることを踏まえると、〈いのりも跳び越えた〉(飛ぶではなく跳ぶなのはスケートのジャンプのイメージ)が本当に巧みで、かつ〈狼星〉がイメ季語としてとてもぴったりで……!  原作発表をドキドキしながら待っています。──Dr.ギャップ

★作者コメント
原作:つるまいかだ『メダリスト』(講談社アフタヌーン連載中)より。
こんにちはスケオタです(自己紹介)(二度目)。ちょっと言い訳というかスケートもので2首も提出してしまった経緯なのですが、実はこの「季語の部」で『メダリスト』について詠みたい!というのが参加のきっかけでしてスケートは冬の季語に決まってますからねその後一般(?)の部で何を詠もうか考え、実は今回提出したのと全然違う作品で最初は詠んでいたのですが中々しっくりこず、ならいっそみんな同じ系統にしちゃえ!とYOIとSpringで詠むことにしたのでした。
本当はストレートにスケートとか氷を使おうとしていたのですが、冬の季語で「天狼星」を見つけて「これだ!」と思い主人公・いのりのライバルである狼嵜光(かみさき・ひかる)ちゃんの歌になりました。ちょうどその時本誌でも光ちゃんフィーチャーだったので。光ちゃんは同年代の中で不動のトップ、天才少女の呼び声高い選手です。
世界の舞台でメダルをとる選手でも、国内の小さな試合に出ている選手でも、それぞれに目標があり、試合に出るまでの決意と悩みと軌跡があります。それには優劣はなく、間違いも正解もありません。選手全員ひとりひとりの人生、闘いが尊いものだということが、メダリストの作中では徹底して描かれています。
フィギュアスケートは奇跡を見守るスポーツだ――スケートに親しみがあってもなくても、彼らの挑戦に熱くなること間違いなし!令和のスポーツ漫画の金字塔、メダリストをどうぞよろしくお願いします!2025年1月からアニメもスタート!OPはなんと米津玄師!しかも原作ファンの米津からの直々オファー!まじ!?──萩野すい

春空や 輝く世界の真ん中で、幸せの味を噛み締めてゆく  月ノ華
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● 「輝く世界」「幸せの味」からお祝いごとの真っ最中のイメージが浮かびます。季語「春空」がお祝いごとに花を添えていてあたたかな気持ちになりました。なんとなく物語の終わりを描いてるのではないかとも感じます。主体がこの幸せが長く続くように願っているようにも読めました。全体的にハッピーな空気が漂っていて、読んだこちらもハッピーになりました。──アサコル

● 空白ではなく、句読点でテンポを作っています。
 「春空」「輝く」「幸せ」とポジティブな言葉が続く一方で、「輝く」と「噛み締める」が対比の関係にあると感じました。晴れた空の下でひとり「幸せを噛み締める」作中主体。「噛み締める」のは、不幸を乗り越えてきたからではないでしょうか。それでも世界は、不幸を知っている作中主体を世界から追い出すことなく、受け入れ、「世界の真ん中」に誘います。まるでスポットライトを当てるみたいに。「春空や」という詠嘆は、そんな祝福を受けた作中主体の感嘆として漏れ出たものだと解釈します。──おかのきくと

● 「春空や」で始まるのが明るくて始まりの予感にあふれていてすてきです。続く結句までの流れも「輝く、真ん中、幸せ」と喜びにあふれます。「、幸せの味を噛み締めてゆく」の読点があることで一拍置いて実際に噛み締める時間もあり、これまで出来なかったこと、今の幸せを強く感じました。──山と森と街

● キラキラとした幸せなお歌ですね。世界の真ん中という言葉から主体の幸せな気持ちが強く伝わってきます。──水川怜

● 冬が終わりあたたかな春の日差しが降り注ぐ中、たくさんの花に囲まれ、その美しい光景が今の自分と重なっているそんなイメージが浮かびました。──ぱるき

● 多幸感とまばゆさにあふれた歌です。この瞬間がいつまでも続けばいいと思わずにはいられない。そう思えることの幸せも含めて人生の絶頂期であることを自覚したうえで、噛み締めているのだろうなあと思いました。──ゆの

● 春の明るく満たされた雰囲気が満ちているあたたかい歌だと思いました。──池田いくら

● 春空の白く霞んで見える様子は輝いているようにも感じられます。その中でしみじみと幸せな感情抱えながら街を歩く光景がありありと目に浮かびました。「真ん中で」と表現するあたりに、詠み手の主人公感が感じられます。空から人へと視点が滑らかに移動し、季語が引き立っていると思いました。好きです。──雪宮斎希

● 〈幸せの味〉も〈を噛み締めてゆく〉も慣用句として定着している言い回しではあるのですが、この歌ではそれを越えて強い実感を覚えるのが印象的でした。〈輝く季節の真ん中〉を進むイメージや、春の季節限定フレーバー(と表現すると歌の印象に比べて俗っぽくなるのですが)のイメージが重なるためかなと思います。ここでの〈幸せの味〉は、パステル系のピンクや緑でパッケージされるような、かつ春の植物がのびのびぴかぴかしているみたいな、そういう味のイメージです。
〈春空〉は見たまま春の季語で、『新版 角川俳句大歳時記 春』によれば「本意は、うららかに照りわたる春の空のこと。(略)天気の移り変わりも早い。」とのこと。でも、この歌の天気は移り変わらないだろうな~という気がします。うららかに照りわたる春の空が綺麗でまっすぐ素敵。──Dr.ギャップ

★作者コメント
原作:「文豪とアルケミスト」小林多喜二
「舞台文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)」のイメージです。
※以下舞台版のネタバレを含みます!

帝國図書館に転生する文アルの多喜二は雪国生まれで大食いで心優しい青年、というキャラクターになっています。しかし舞台版では転生できない状態で閉じ込められており、それを生前からの友人であった志賀直哉らが助けに行く、というストーリーになっています。雪国出身でずっと暗いところに閉じ込められていた彼の救出後のイメージとして、また私自身の解釈として「多喜二に一番似合う季節は春!」という確固たるものがあるので季語「春空」を選択。彼が大食漢なことや志賀が料理好きであることから「幸せの味を噛みしめる」という表現を選びました。彼が青空の下で大切な人たちと笑顔で生きていける未来を想像しながら詠みました。

追記(12/1)
本日多喜二の誕生日だったのですが、誕生日立ち絵として花束を抱えてはにかむ姿(フードキャストオフ)と「幸せ過ぎて隠れてしまいたい」というセリフが公開されて「好き……!」となりました。多喜二、実装当初は笑顔の差分とか本当に少なくて……!実装数年後に微笑み差分が出ただけで「今日は祭りじゃあ!」だったのに……!このまま笑顔で幸せに生きてくれ……!──月ノ華

手渡せるはずだったのにいつの間に虚しく育ちゆく袋角  古月もも
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● 袋角は皮膚で覆われたまだ柔らかい角のことなんですね。「手渡せるはずだった」感情は虚しく育ってしまう、相手へと渡せないものがあるというのが初夏の季語である袋角と合わせることで少し湿り気と熱を帯びた青春の屈折している行き場のなさのような心の動きを感じます。そして袋角なのでこの先、その感情が表面へと現れるかもしれない予感もあって。読んでいるとすっと読め、じわっと心に収まるような1首だと思います。好きな歌です。──山と森と街

● 誠に勝手ながら、「ゴールデンカムイかな?」と思いました。極寒の地が舞台だと聞き及んでおります。あるいは「ファイヤーエムブレム 風花雪月」の金鹿の学級かもしれません。世界観がしっかりしていて、どのジャンルのどの登場人物の心にも寄り添える、強度のある歌だと思いました。
 「角」を「手渡せるはずだった」ということは、作中主体は狩猟をしているのでしょうか? もう会えなくなってしまったのでしょうか。
 季節は夏。真冬の大地も、そこで起こった出来事も、全て過去のものになってしまった。その中で知らない間に「育」っていく「袋角」が「虚し」い。
 「虚しく育ちゆく袋角」で句を跨ぐことで、定型という意思に反して伸びてしまう角のイメージが鮮やかに見えます。
生命が逞しければ逞しいほどに、命や死の匂いが香ってくるような歌だと感じました。いっとう好きです。──おかのきくと

● 知らぬ間に袋角は育ってしまったのですね。主体の後悔のような思いを感じました。袋角としたことでより切なさが伝わってきます。──水川怜

● 「はずだったのに」「いつの間に」の韻が下降音型のようにきこえて、虚しさをさらに演出していると思います。──萩野すい

● 「袋角」という言葉を初めて知ったのですが、こんな言葉があったのですね。幼い角を主体は誰かにいずれ渡すのだ、と思っていたこと、それは叶わなかったのであろうことと、本来喜ばしいはずの成長を虚しいと呼称していること。その相手が、自身の角を手にしないままに居るところを少し遠くから見つめているような印象と、育った角を持て余してしまった印象を受けました。寂しさや虚しさと共に、持て余したそれをただ撫でてやっているような空気も感じました。──トラネ

● 季語は袋角だと思うのですが、短歌で見たのが初めてでめちゃくちゃいいな〜!と思いました。主体が本人(本鹿?)か、その鹿の角をプレゼントに良いかも!と狙っていた別の生き物かで印象が変わるように思います。──池田いくら

● 手渡せるはずだった角は春に落ちて失われてしまい、今はもう新しい角が育ち始めている。きっと新しい「角」はその相手のためのものではないのでしょう。渡すべきときに渡せなかった想いはどこへいくのでしょうか。後悔と未練が「袋角」という閉じ込められた兆しに込められていて、季語の使い方が素晴らしいと思いました。──ゆの

● 〈袋角〉は夏の季語で、毎年生え変わりを経る鹿の角のうち生えたての柔らかい角のこと。画像検索をしてみたところ、見た目が通常の角とはっきり違って驚きました。丸みがあって短く、いかにも幼い印象があります。
〈手渡せるはずだったのに〉は、生え変わりで落ちた角と重なっていると読みました。角そのもののことではないけれど、渡せず落ちて転がってそのままになってしまった何かがある、というイメージがあります。また〈袋角〉には生え変わり=再生のイメージがあるのですが、〈虚しく育ちゆく〉という形容があることで「望まぬ別れの後では再生があろうと虚しいものでしかない」という風に奥行きが一気に広く感じられました。〈袋角〉はまだ角として固まっておらず神経も過敏になっているというのも、虚しさの癒えていない感じ、いっそう深まる感じと響き合っているように思います。
 袋角はこれからしっかりとした角へ育っていくはずで、けれどそれもまた〈手渡せるはずだったのに〉という角が落ちるシーンへの準備でしかない……という予感はしつつ、春が来るたび何度でも角は生え変わるから、その中のどこかで整理がつくと良いなあとも思います。──Dr.ギャップ

★作者コメント
アプリゲーム『魔法使いの約束』のフィガロというキャラクターについて考えながら詠みました。──古月もも

手に取って時間ときを忘れた秋燈下しゅうとうか朝の気怠るさ楽しみに変え  海月雪夜
コメント

● 季語「秋燈下」、分からなくて調べたんですがとても素敵なチョイスだと思います。秋のやや肌寒い朝に本を読む主体それだけで絵になる人物を想像しました。主体がどんな本を読んでるかも気になります。なんとなくミステリー小説のイメージです。あと主体は朝が苦手なのでしょうか。そこで本を読むという選択をしているのが趣きがあって良いと思いました。──アサコル

● 上の句。タ行の連続でリズムを作っています。「秋燈下」は「涼しく長い秋の夜」として解釈しました。手にとるのは「時間」でしょうか? 普通は「手に取」れないものに触れて、眺めるような不思議な感覚があります。気を引き締めるような冷たい秋の長夜は、「気怠い」「朝」が楽しみになるほど素敵なものなのかもしれません。──おかのきくと

● 秋の長い夜の本を傍らに置く景でしょうか。読む以外にも小説を書くキャラなのかもと想像しました。本の虫という感じでかわいい1首です。秋の夜に灯りをつけて時間を忘れるほど本に没頭している、その集中は朝には少し気怠さも連れてきますが「楽しみに変え」と朝になってもどこかプラスの気持ちなところがすてきです。──山と森と街

● 本か何かを秋の夜長に楽しんでいるのでしょうか。そしてそのせいで朝が辛くなっても楽しい夜のひとときで上書きされたようなイメージが浮かびました。──水川怜

● 秋の夜長に、手仕事か読書かに耽ってしまったあとの歌でしょうか。夜更かしをした後の朝も後悔ではなく、その楽しみを思い出して余韻に浸っているのが良いですね──萩野すい

● 【何か】を手に取ることで朝の時間が楽しくなったよ!という歌かと思うのですが、その【何か】を仄めかす内容が読めたらもっとこの主体のことを知ることができるのでよかったなと思いました。──池田いくら

● 秋の夜長の灯りの下で、時を忘れるほどに夢中になれるものがあるのは素晴らしいことです。主体は何を手に取ったのでしょうか。寝不足の朝も楽しめる主体は、人生を楽しむ達人ですね。──ゆの

● 〈秋燈下〉は秋の夜長に火を灯して読書を楽しむことを指す季語。本を手に取って夢中になって、つい夜更かしをして朝が気怠くなってしまう。けれどそれすら〈楽しみに変え〉というのは、それだけ夢中になれる本があるということそのものが嬉しいということなのかなと思います。自分にもそういう夜は無数にあったなあという懐かしさと、この“私”が秋の夜長と読書とをめいっぱい楽しんでいる様子に嬉しくなる一首でした。──Dr.ギャップ

★作者コメント
季語:秋燈下(秋)
 アプリゲーム「ディズニーツイステッドワンダーランド」よりトレイ・クローバーをイメージしました。
 今年実装されたカード「くつろぎマイルーム」のパーソナルストーリーが好きで作りました。
 彼の誕生日が秋であることも「読書の秋」を意味する季語に合っていると思います。
 歳時記には「燈火親しむ」で載っていますが、類語に掲載されていた「秋燈下」の文字と響きが気に入り、選びました。──海月雪夜