「シャレムさん、今日がお誕生日なんですよね? おめでとうございます。ささやかなものではありますが、こちらをどうぞ。お口に合えば良いんですが」
定期検診の終わり際、シャレムは医療部と作戦とですっかり顔なじみとなったエーギルの青年から、祝いの言葉とともに小さな紙袋を手渡された。
―――誕生日。
咄嗟に受け取ったシャレムは、しかし、馴染みの薄い単語に少し戸惑い、手のひらに乗せた紙袋を見つめて、反応に困ってしまう。
「どうかしましたか? も、もしかして、ご迷惑だったでしょうか? 他の方からもきっと、受け取っていらっしゃいますよね。荷物になるようでしたら、」
シャレムの小さな困惑が伝わってしまったのか、青年が慌ただしく謝罪を始める。慌ててシャレムも思考を働かせ、いまだ残る小さな戸惑いを、努めていつも通りの態度で覆う。
「あ……すみません。お恥ずかしいことに、今日がそうだと、すっかり忘れていました。ありがとうございます、ミスター・ルーメン。中身は……ビスケットでしょうか? いい香りですね。あとで紅茶と一緒にいただこうと思います」
「よ、良かったです……。シャレムさんもお忙しいですからね。今日は非番だとも、ドクターから聞いています。ぜひゆっくりと休養をとって、その時にでも召し上がってください」
それではまた、とにこやかに医療部から送り出されて、シャレムは自室へと足を向ける。
別段急ぐ用事もないため、ひとけのない通路を選んでゆったりと歩を進めながら、先程の会話をさらう。
(そうでした、誕生日……今日、ということになっていましたね)
あまり実感のわかないその日付を思い、果たして自分にとって意味の希薄なそれが、誰かに祝われるに足るものなのか……と思考に影がさした時。
「シャレムさん、見つけましたわ!」
「良かった……今日は、ちゃんとお会いできました」
前方の角から飛び出してきた小柄なふたつの人影に、声をかけられた。
待ち伏せをするような形でシャレムを出迎えたのは、馴染みのあるフェリーンの少女たちだった。少女たちはシャレムの姿を見つけると、彼が反応する前に軽やかに駆け寄って来る。
「やっとつかまえましたわ。あなたと来たら、お茶会の時以外はなかなかつかまらないんですもの」
「ドクターから、シャレムさんが今日ここを通るだろうと教えてもらったんです」
「その〝遠慮がち〟なところ、あなたのお友だちとそっくり……いえ、今は勘弁してさしあげます。今日は、私たちからこれをお渡ししたかったんですの」
「こちらも、一緒にどうぞ」
めいめいに差し出される愛らしいラッピングの施された包みを、少女たちの控えめながら年頃らしい勢いに押されて受け取る。
「あ……ええと。お探しいただいてしまったようで、失礼いたしました、ミス・アイリス、ミス・メランサ。かわいらしい贈り物をありがとうございます、大切にいただきますね」
透明な包みの中身は、片方はうすい藤色と白色の花をかたどったティーシュガー、もう片方は小さいメレンゲの焼き菓子の詰め合わせだった。
「本当は、いつもおいしいお茶をいただいているので……茶葉を、と思ったんですが」
「それは他の方にとられてしまいましたの」
「そうなんです。でも、アイリスさんと一緒に選んだので、きっとお茶に合うと思いますよ……あっ、そうでした。あの、改めて……シャレムさん、今日はおめでとうございます。いつもおいしいお茶をありがとうございます」
「おめでとう、シャレムさん。今日くらいは、他の方にも見つかりやすいところにいてさしあげるのがいいと思いますわ」
「そうですね……きっと、お祝いしたい人が多いと思います」
「ですので、ほら、行きますわよ」
アイリスに導かれるように袖を引かれ、メランサに控えめに背中を押され、少女たちが通ってきた通路へ連行される。
「あ、あの、お嬢様方……?」
「こうでもしないとあなた、このままこそこそとお部屋へ戻ってしまうでしょう。レディを振り払うような野蛮な方では、ありませんわよね?」
「そのようなことは、いたしませんが……」
「なら、観念してくださるかしら」
「ごめんなさい、シャレムさん……でも、他の皆さんにもシャレムさんをお祝いしてほしいんです」
そうしてやや強引に丸め込まれたシャレムは、せっつかれながら人通りの多い通路へと誘導され、無慈悲にもそこへ放り出される。少女たちは自分たちの仕事に満足したのか、駆け寄ってきた時と同じくらいの軽やかさでシャレムの傍を去って行ってしまった。
(とりあえず、早く部屋へ……)
とは言え、さすがにこれ以上自分に用のある人物はいないだろうとシャレムは高をくくっていた。
しかし、その目算はあまりにも甘かったようだ。
「シャレムさん、いつもありがとうございます」
「あっ、シャレムさん。お誕生日なんですってね、おめでとうございます」
「フィディアのおにーさん、いつもお話ありがとう!」
作戦を何度か共にしているオペレーター、顔見知りの内勤職員やトランスポーター、絵本の朗読会でよく会う小さな子……通りすがりに様々な人から声をかけられ、その度に小さな贈り物を手渡された。どれもひとつひとつは断るには大げさなささやかな品で、しかも声をかける誰もが、シャレムが普段のように穏やかにさりげなく断りを入れる前に、ぽんと渡して、じゃあまたと離れていくものだから、シャレムには彼らにお礼を言うのが精一杯だった。
そうして、区画を進むごとにシャレムの腕の中は贈り物でいっぱいになっていく。
片手でおさえているとは言え、いい加減ひとつふたつ落としていまいそうで、シャレムの歩幅はだいぶ狭くなっている。それでも、自室のある区画まではもう少しだった。居住区にほど近いここは、行き交う人もまばらで静かなものだ。さすがに、もう本当にさすがにプレゼントの猛攻はおしまいだろう、とひとつ息をついたところ。
「やあシャレム。今日はお疲れさま」
横の通路からひょっこりと現れたドクターに声をかけられ、油断していたシャレムは誇張ではなく飛び上がりそうになる。幸い、長い尻尾がぴんとのびただけで、ひとつも包みを落とすことはなかったが。
「ドクター……! 急に声をかけるのはおやめください、落としてしまうところでした……」
「すまない、君が真剣な顔でお菓子や愛らしい包みを抱えてるのが何だか微笑ましくてね。つい、いたずら心が擽られてしまった」
抗議の声に対してまったく悪びれない様子で片手を振るドクターは、シャレムが落としそうだと言った片腕いっぱいのお菓子や小物を見て、また笑う。
「ずいぶんたくさん祝われたようだ。驚かせたお詫びに、これをあげよう」
片手でごそごそと懐を探り、コートの内側からそれなりの大きさの紙袋をずるりと取り出し、器用に開いてシャレムに向ける。
その用意の良さと、ドクターのもう片方の手に提げられている取っ手つきの小さな紙箱を見て、祝われるなかで何度か耳にした言葉を思い出す。
『ドクターに聞いて、』
つまり、今日シャレムが定期検診のために艦内を移動すること、そのルートも道中の顛末も、全て目の前の上司の手のひらの上……いや、はからいだったのだろうと、すぐに思い至ってしまった。
「はあ……。ドクター、今日のこれは、あなたのしわざなのですね」
シャレムは小さなため息をついたが、その色も少し下がった眉尻も、穏やかなものだった。まるで子供のささやかないたずらを優しく咎めるようなシャレムに、ドクターは小さく肩をすくめてみせる。
「しわざなんて大げさな。私はただ、君を祝いたいと言う人たちに、君が通るかもしれない場所を教えただけだよ」
「ミスター・ルーメンは、今日が何の日かあなたから聞いたとおっしゃっていましたよ。お嬢様方に私の使用する通路を教えたのも、あなただと。その後のこともきっと、お見通しだったのでしょう……作戦は成功のようですよ、ドクター」
ドクターが持つ紙袋に抱えた贈り物を少しずつ移動させながら、シャレムはドクターのフードの中をちらりと覗き見る。バイザーの奥の素顔は相変わらず読み取れないが、心なしか満足そうな気配が伝わってきた。
「はは……やはり、ばれてしまうか」
「ふふ、やられてしまいました、私」
「確かに私も大いに関わってはいるけどね。それでも、皆が君を祝いたいと思っていたことは本当で、もちろん、私もそのひとりだ。そこで、私からはこれを贈らせてほしい。両手も空いたことだし、受け取ってくれるよね?」
紙袋とともに、片手に提げていた紙箱をシャレムに押し付けるドクターの声は、やけに楽しそうだ。
「ありがたく、頂戴いたします……、?」
紙箱の中身は刻印されたロゴから見てケーキだと推測できたが、シャレムが受け取ったそれは、彼の想像より幾分ずしりと重かった。
「あの、ドクター? この箱、少し重くはありませんか? 中身はケーキとお見受けしましたが、私ひとりでは、ちょっと……」
「うん、ひとりでは多いだろうね」
しれっと、何でもないような声でドクターが応える。
「せっかくだ、誰かを誘ってみるのはどうだろう」
「……そうおっしゃるならドクター、あなたでは……いえ、きっとだめとおっしゃいますね」
楽しそうだったのはこれか、とシャレムも納得し、諦めたように笑う。
「よくわかっているじゃないか。そう、私はこれから用事があってね。残念ながら君のお誘いを受けることはできないんだ。でも、そうだな、私は留守にしているけど、執務室には誰かしらいるんじゃないかな?」
ドクターはまるで用意されていたような、いや、実際用意してあったのだろう言葉をつらつらと並べて、シャレムの返事も待たず、さっさとその横を通って居住区を後にしてしまった。
(ドクターの口ぶりからすると、きっとお待たせしてしまっているのでしょうね……)
紙袋と紙箱を提げてドクターの執務室へ向かう道すがら、シャレムはドクターに待機を命じられた人物の苦労に思いを馳せる。誰、とは追って聞かずとも何となく、予想はついていた。
「失礼いたします……おや、あなただけですか?」
静かにドアを開けたシャレムを出迎えたのは、艷やかな漆黒の毛並みを纏ったロドスいちの淑女、黒猫のミス・クリスティーンだった。ソファを玉座として優雅にくつろいでいる彼女の他に、室内に人影は見えない。見えないからと言って居ないということではないとシャレムは知っていたが、まずは麗しのレディに挨拶をすることが最優先事項だった。
「ごきげんよう、ミス・クリスティーン」
目線をなるべく近づけるようにしゃがみ込んだシャレムの、素直な恭しさに満足そうに目を細めたレディは、彼の頬に小さな鼻先でちょんと触れ、そのまま、すり、と頬を擦り寄せる。いつになくご機嫌なミス・クリスティーンの様子と、肌を擽るあたたかな毛並みの柔らかさに、シャレムの表情が穏やかに緩んだ。
「ふふ……ありがとうございます、レディ。それで、彼はどこに?」
その問いに、くふんとひとつ鼻を鳴らして、ミス・クリスティーンはシャレムの背後を見やる。青くミステリアスな彼女の瞳にならって振り返ると、そこには先程までは気配すらなかった真っ黒い人影が立っていた。
「ドクターから、ここで人を待つようにと言われた。君のことだろう?」
以前はおそろしかった音も気配もない出現だったが、今のシャレムには慣れたもので、その出現に驚くことなく、むしろ馴染みの顔に安心したように微笑む。
「ええ、おそらくそうかと。すみません、お待たせしてしまいましたね、ミスター・ファントム」
シャレムの謝罪に、影から現れた大きなフェリーン、ファントムは横に小さく首を振る。
「君が気にすることではない……それで?」
じ、とマントのフードの奥から金色の瞳がシャレムを見ている。
「ええと……ドクターから聞いていらっしゃるかもしれませんが、皆様のご厚意で、ご覧のとおりでして……。ミスター・ファントム、急なお願いで申し訳ないのですが、その、お茶は私が淹れさせていただきますので……少し手伝っていただけませんか?」
そう言いながら、シャレムは手に提げた紙袋と紙箱を少し持ち上げてみせる。いつの間にかソファを降りていたミス・クリスティーンが、紙箱からほのかに漂う甘い香りにつられてふんふんと匂いをかぎ、尻尾をぴんと立ててファントムの足元へ身を寄せた。
しかし、話を振られた当のファントムはと言うと、ちらりとシャレムの手元に視線をやったきり返答がない。何やら思案しているようで、指先で薄い唇を数度撫でている。
「あの……ミスター・ファントム?」
シャレムが再度問いかけると、フードの下でぴくりと片耳が動くのが見えた。そうしてようやく、その重い口が開かれる。
「光栄なことだが……今日の君は非番だと聞いている。プライベートな時間を共にするならば、私のような一介のオペレーターではなく、もっと親しい人物を誘ったほうが良いのでは?」
「えっ……!? で、ですが、あなたに断られてしまえば、私……」
まさかドクターから話を聞いてここまで来て待っていたファントムに、遠回しに誘いを断られるとはまったく予想しておらず、シャレムは困ってしまう。ファントムの足元のミス・クリスティーンも、信じられないと言うような目で弟分を見上げ、ばしばしと彼の長い脚にパンチを繰り出している。
しかし、ドクターが呼び出したのも、シャレムが思い浮かべたのも、目の前にいる仏頂面のフェリーンであった。他の人選は、少なくともシャレムには、思いつかなかった。そこをなんとか、と期待を込めた視線でファントムの顔をちらと見るが、そこにはいつものすんとした顔があるばかり……と、思ったが。
むい、と引き結ばれた唇も、寄せられた眉も、あれほどひたと据えられていたのに今はさっぱり合わない視線も。どうにも、何か他に言いたいことがあるように見える。
言いたいことがあるのに、言わずにむすりとしている。
つまり、今のファントムは、拗ねているのだ。
何故、とは聞くまでもなかった。理由を察してしまえば、その子供っぽいとすら言える動機に、シャレムは呆れてしまう。それと同時に、何だか微笑ましくもなり、つい小さく笑ってしまった。
「あなた、そんなに……いえ、そうですね。せっかくのプライベートですから、もっと親しい知人を誘うことにいたしましょう」
一度言葉を区切り、今度はシャレムの方からファントムへ視線を据えた。
「では、私と一緒にお茶の時間を過ごしてくださいませんか? ……ルシアン」
先ほどよりも親しみと砕けた雰囲気を纏ったシャレムの声に、ファントムは満足そうに頷き、顔全体に重い影を落としていたフードを取り払う。よく見えるようになった表情には既に不機嫌は痕跡もなく、ごく薄くではあるが口の端に微笑みすら浮かんでいた。
「ああ、君の誘いであれば喜んで受けよう、シャレム」
澄ました顔で誘いを受けるファントムだったが、頭の上の三角耳が本人の表情よりも素直にぴんと立っているのを、シャレムは見逃さなかった。
不自然なほどひとけの無い通路を通り、ふたりはシャレムの居室へとたどり着く。
「君はそこで、その両手のものを整理するといい。今日の紅茶は、私が淹れよう……君のような手腕が披露できる自信はないが」
居室に入って早々、ファントムは有無を言わせずシャレムを椅子に座らせ、テーブルの上に荷物を置かせる。そうして、自分は空いている椅子にマントを掛け、勝手知ったる足取りで簡易キッチンへと向かってしまった。
「あっ、ちょっと、ルシアン……私が淹れると言いましたのに」
シャレムは客人にお茶を用意させるのは忍びない様子だったが、ひとまず貰い物の山を整理したいのも事実だった。
「……それにしても、たくさんいただきましたね」
紙袋から小さな包みをひとつひとつ取り出していくと、あっという間に簡素な備え付けテーブルの上が賑やかに彩られた。改めて、今日はこれほどの人に声をかけられ祝われたのだと思うと、背筋がむずむずするような、少し申し訳なくなってくるような、不思議な心地がシャレムを包む。
シャレムが落ち着かない様子でテーブルの上を眺めていると、脚に軽い衝撃を受けた。足元を見ると、ミス・クリスティーンがそのふにふにの肉球で、たしたしとシャレムの脚を叩いている。
「おや、ご覧になりますか? ミス・クリスティーン。今、台を用意しますね」
んに、と上品に返事をしてちょこんと座っていたミス・クリスティーンは、シャレムが椅子より少し座面の高いレディ専用スツールを持ってくると、ひらりとそこへ飛び乗りテーブルの縁へ顔を出す。興味津々な様子のミス・クリスティーンは、中でもドクターから贈られた小箱の中身が気になるようだった。
食べ物とそうでないものをあらかた分け終え、食べ物のたぐいを紙袋に収め直していると、ファントムがキッチンから戻って来る。
「ありがとうございます、ルシアン。今、お菓子を出しますね」
ドクターからの紙箱の中には、洋酒が上品に香る小ぶりなフルーツタルトがふた切れ、それと、もうひと切れ、クリームで美しく飾られた小さなケーキが入っていた。
「これは…………ええと、ミス・クリスティーンの分、ですね」
「……そのようだ」
シャレムは誰も誘わないことができたし、ファントムは待たないことも断ることもできた。けれどそうはせず、こうして部屋で揃ってお茶をすることは、ドクターにはお見通しだったようだ。ややいたたまれない気持ちで黙ってしまった弟分ふたりをよそに、箱から漂う匂いで自分専用のケーキが用意されていると気づいていたミス・クリスティーンだけが、上機嫌で喉を鳴らしていた。
気を取り直し、シャレムがケーキ皿にタルトとビスケット、メレンゲ菓子を並べている間に、ファントムがカップに紅茶をそそぐ。ソーサーに添えたスプーンに花の形のティーシュガーを添え、ミス・クリスティーンの座るスツールの上に温めたミルクと専用のお皿にのせたケーキを供すれば、すっかり華やかなお茶会の席が整った。
ティーシュガーをひとつ溶かしたカップを持ち上げると、ふわりと立ち上る湯気が香りを運んでくる。深く、豊かなその香りに、しかしシャレムは小さく首を傾げた。どうにも、自分の棚にストックしてあるどの茶葉とも、香りが違うようなのだ。
(そう言えばお嬢様方が、茶葉は別の誰かが先に選んでしまった、と……)
ここにきて、その〝誰か〟がわかってしまった。
「ルシアン……この茶葉はもしかして、」
と、顔を上げたが、シャレムの問いはそこで止まってしまった。正面のファントムが、やけに神妙な顔で持ち上げたカップの水面を睨んでいたためだった。よく見ると耳もぺそりとしおれている。
「ど、どうしたんですか、ルシアン……?」
「いや……やはり、君の方が紅茶の味を引き出すのが巧みなようだ……」
「えっ? そんな事はないと思いますが……」
追ってひとくち、シャレムが紅茶を口に含む。シャレムにとってはそれも含めて美味しいと感じられたが、どうにも、ファントムの舌には少し渋かったらしい。へたれた耳の理由は、味そのものにもあるが、この茶葉を完璧に美味しく淹れられなかったと思っていることにもあるのだろう。
「ふふ、とても美味しいじゃないですか。ありがとうございます、ルシアン」
ふんわりと、あたたかなものに満たされたシャレムが微笑む。
「君が、いいと言うなら……」
ファントムは納得がいかない様子だったが、本当に嬉しそうにカップに口をつけるシャレムの様子に、それ以上は何も言わずに自分もカップを傾ける。
フルーツタルトのなめらかで上品な甘さ、ビスケットの素朴な小麦の香り、メレンゲ菓子のサクサクとした食感の楽しさは、どれも紅茶の風味を引き立ててくれた。
交わす言葉はほとんどなくとも、穏やかであたたかなティータイムはゆったりと心地よく流れていく。
「君は、皆からの信頼が篤いようだな」
ティーセットを片付け、本格的に贈り物の分類と整理のために再びカラフルになったテーブルの上を見て、椅子に深く腰掛けたファントムが言う。
「それは……私のものではなく、おそらく、色々と取りはからってくださったドクターのものですよ」
ファントムの指先で弄ばれている飴玉を見つめながら、シャレムが困ったように笑う。それを聞いて、ファントムは少し首を傾げた。どうやら、シャレムの自己評価と周囲の彼への評価には、大きな差異があるらしい。
「確かに、ドクターが方々に声をかけていたのは事実だが……君への皆の評価は、君が思っている以上に高い。皆、良い機会だと思っていたのだろう」
「そうでしょうか……そうであれば、嬉しいお話ですね」
自信ありげに言い切るファントムに押されてか、いまだに信じがたい雰囲気は残しているものの、シャレムは少し気恥ずかしそうに眉を下げて笑みを浮かべた。
しかしながら、それも束の間で、テーブルを見るシャレムの瞳がにわかに翳る。
「けれど、そうと記憶しているだけの……それが本物かどうかも最早私たちにはわからない日付を、こんなにあたたかく祝っていただけて、本当に良いのでしょうか?」
「それは……」
それは、ファントムにも嫌と言うほど覚えのある感覚だった。今ここに立つ自分が、すべて本物ではないかもしれない。ならばそのすべてに、意味も、人が気に留める価値も、ないのかもしれない。それは過去が2人に穿つ呪いだった。
けれど、その呪いを唯々諾々と受け入れてしまう事は、古城から救い出されたファントムにはもう出来なかった。願わくば、同じ呪いを背負わされた目の前の片割れにも、そう思ってほしい。その想いが、ファントムに口を開かせる。
「それでも、ここでは、その日付にも新たな意味が生まれるのだろう」
「え……?」
「先ほども言ったが、皆いい機会だと思ったのだろう。いつであろうと、それが真実ではなかろうと。日付は、君に感謝を伝えるための、きっかけに過ぎない。そのきっかけの存在が、皆には重要なのだ。それに……奥底の記憶がたとえ真実ではなくとも、君がここで君として……ロドスのシャレムとして過ごした結果、皆からその生誕を祝われるべき人だと思われていることは、紛れもない真実だ。君はそれを、もっと誇りに思って良い」
言うべきことを考えながら、それでも落ち着いた視線でシャレムから目を離さずに、ファントムは静かに語りかけた。君はここでただのシャレムとして受け入れられているのだと、そう伝えるつもりで、台詞ではない不器用な言葉を紡いだ。
「そんな、ことは……でも……いえ、そうであれば、どれほど……」
わずかでもファントムの想いが届いたのか、シャレムの瞳の奥に小さな光が揺らぐ。それに満足したファントムは、ふっと表情を和らげた。
「私も、君が居てくれたことは幸運だと感じている。まあ、私に追いかけられた君は、私に対してそうは感じないとは思うが」
努めて冗談めかして言うと、シャレムは一瞬驚いた顔をして、それでも、飄々としたものに変わったファントムの言葉につられて笑顔をこぼした。
「ありがとうございます、ルシアン。私も、あなたと今こうして居られることは……ええ、嬉しいです」
いまだ不安に揺れながらも、日向を前にしたような穏やかな笑顔だった。
「ふふ、きっと来月は、あなたもこうなりますよ」
すっかりいつもの落ち着きを取り戻したシャレムが、整理し終えた贈り物たちを前にしてファントムに笑いかける。
「私は、君のように社交的でもなければ愛想もない。君には残念かもしれないが、こうもあたたかい光景にはならないだろうな」
すやすやと眠るミス・クリスティーンを膝に乗せ、こちらもすっかりいつものふてぶてしさでくつろぐファントムが澄まして応えた。こちらもこちらで、シャレムから見れば、自己評価と周囲からの評価の差異が大きいのだった。
「今日お付き合いいただいたお礼です。もし贈り物が手に負えなくなったら……今度は私が、あなた好みのお茶を淹れてさしあげましょう」
ファントムの自己評価を気にも留めずに自分と同じようになると信じて疑わず、いたずらっぽく笑うシャレムに、何を言っているのやら、と呆れた視線を投げるファントムだったが。
「あなたがしてくださったように、私にもお祝いさせてくださいね、ルシアン」
晴れやかな声でシャレムにそう言われてしまえば、何だかそれも悪くないような気がしてしまったのだった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.