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ももせ
2024-12-08 17:10:51
4492文字
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ゆめ
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お疲れさん
明治軸/短編/「尾形と街に行ってきなさい」
義眼の経緯に捏造あり
「尾形と街に行ってきなさい」
というのが、今朝、雇い主である土方さんから言付かった指令だった。白髪をさらりとなびかせた土方さんは、そのすぐあとに大事なご用があるとかで、旧知の仲の永倉さんと連れ立って出かけている。
ここに、と渡された紙切れを見ると、そこには趣味の俳句と同じ縦書きの要領で、とある眼科の住所と名前が記されていた。
お尋ね者の一味としては厄介な、人通りの多い札幌の市街地だ。なるほど、眼科とあるから尾形さんの用件に違いない。
最近樺太から戻ってきたという傷痍軍人の尾形さんには、右目がなかった。
もっとも、失くしたという経緯はおろか、あったという時代すら私は知らない。出戻りの尾形さんを除けば、一番最後に加わったのが私なのだから。
斜め巻きの包帯に覆われたそんな痛々しい右目も手伝って、薬品臭い用件を少し気の毒に思いながらも、私は火鉢の前に座る尾形さんに声をかけた。
「あの
……
」
土方さんからの言いつけです。街へお供したいのですが。
そこからどう展開しようかと試みる私に、尾形さんは意外なほどあっさりと承諾する。
「いいぜ」
だから、用意した反論の持って行き場がなくなってしまった。
「え、どうしてお前なんだ、とか聞かないんですか?」
「聞いてほしいのか」
「いや、そういうわけではないですけど
……
」
女である私と夫婦〈めおと〉ぶって歩くほうが人目を忍べる。さすがにそれを理解できないはずはないのだけれど、まさにそれが嫌ではないのだろうか。嫌がりそうな男なのに。
ところが、なんの素振りも見せないままに、出発してもうすぐ街が見えようとしていた。尾形さんが普段どんなことを考えて生活しているのか、私にはますますわからなくなった。
「土方さん、字うまいですよね」
と、紙を見ながら私が言って、結局宙に浮かんで、空に消える。会話らしい会話だってその一度きりだった。
眼科は、大通りの突き当りの道に面していた。
がやがやと商店が居並ぶ入り口に立って、ようやく尾形さんは口を開いた。声は、その軍服や外套に見合うほどに落ち着いている。
「脇道を選べばかえって目立つ。このまま行くぞ」
「はい」
けれど私は、もしも敵
——
それは第七師団や不死身のごろつきたちといった物騒な輩なのだけれど
——
に見つかれば、という不安にとらわれ、身の毛もよだつし、声も震えた。
そんな町娘の小心がよほど可笑しかったのか、フン、と元上等兵さまはせせら笑った。
「なんだよ、怪しまれんように蕎麦屋の二階にでも寄るか?」
ニヤニヤしながら訊いてくる。蕎麦屋の二階といえばつまり、男女がそういう遊びに興ずるところだ。
いいえ結構です、と声をひそめるくらいの気概は私にもあった。
「これは遊びじゃなく、通院ではないですか。お気遣いには及びませんので、急ぎましょう。さあ」
すると、険も棘もない言い方で、思いのほか尾形さんが知らせてくれた。土方のじいさんになんも聞いてねえのかよ、と。
「あの酔狂なじいさん、俺に義眼をくれるらしい」
「ああ
……
義眼」
まさか、そのような事前の取り決めがあったとは。
通院しているなんて聞いたことがないので、おかしいと思った。けれど、義眼なら眼科も納得がいく。そこにはピンからキリまで、ドイツ製だとかフランス製だとかの義眼があるのだし。
と、いうことは。いま私をぎろりと見下ろしているのとは反対の、斜めに巻かれた包帯の下を初めて拝む権利もあるのだろうか。
昔の尾形さんを思い浮かべたら、なぜだか項のあたりが急に粟立った。
たとえ目玉一つ足りなかったとしても、尾形さんは妖しくて厄介な男なのだ。いよいよ蕎麦屋の前を通るとき、ゆったりと持ち上げられた口端だけで、私を俯かせるくらいには。
やっとのことで休診日の診療所にたどり着くと、先生は訳知り顔で私たちを迎え入れた。
「やあやあ、お待ちしておりましたよ。ご夫婦のふりというのも大変だったでしょう」
丸眼鏡の奥で先生は笑う。
「あの、失礼ですが、土方さんからどのようなご伝達を受けておいでなのですか?」
「若いお二人が仲睦まじくも人目を忍んでおいでになる、と仰せつかっておりますよ」
先生は、はっはっは、とおおらかに付け足しながら私たちを案内した。
なんだ。この人にもそこまで話しているのなら、初めから私にも全容を伝えてくださればよかったのに。
「尾形と街に行ってきなさい」
だけだなんて、土方さんも人が悪い。
とそこまで考えて、今朝ほのかに湧き上がってしまった高揚感だとか、尾形さんを誘う前の胃の重たい感じだとかがまとめて恥ずかしくなった。
「こいつがいちいち照れるので、なかなか真実味がありましたよ」
などと言って、尾形さんまでもが私をおちょくっている。
「こちらです」
と示された診察室の机の上には、虫の標本のように並べられた義眼があった。白い壁と水色の腰板を背にして、それは黒々と異様なほど目立っている。まさしく人体らしい。
「わあ
——
」
と咄嗟に感嘆のため息を漏らしたものの、義眼という特性上、素敵ですね、とそれこそ目を輝かせるのも違うし、本人を差し置いて駆け寄るのも違うし、どうにも続けられず息をひそめていると、普段通りに尾形さんが前へ進み出た。それから椅子に座って説明を受けるのを、私はただ立ったまま黙って待つ。
やがて、先生直々に包帯が解かれると、医学的ななにかの根拠でもって、尾形さん用にひとつが選ばれた。そうして、眼窩のあるであろう位置に今度は同じ手で義眼が装着される。気になるところはないですか、と尋ねられた尾形さんが、二、三回のまばたきを終えるくらいのあいだに、「ない」と答えて立ち上がった。
意外にも、それは振り向いて私に見せるため。柄にもなくこんなことを訊いてくる。
「どうだ。似合うかい」
私は神妙に頷いて、
「似合ってます、とても」
と答えるよりほかになかった。
どうにもその笑顔が尾形自身を食い殺しているように思えたからだ。
本当は尾形さんの眼窩と同じ分量だけ、私の心も抉れてしまったように感じていた。
お似合いですよ、と同調しながらにこやかに閉じていく先生は、先生であるだけにやはり包帯を巻くのがとてもお上手だった。
薄暗い診療所を出ると、外のほうがかえって眩しい。実はまだ夕方とも呼べない時間だった。暗いよりは安全だと、どちらからともなく帰路を急ぐことにする。それこそ、蕎麦屋の一階にも寄らずに。
「先生の丸眼鏡、お団子みたいでしたね」
と話したら、今度は「フン」と返されて言葉は消えなかった。
だんだん草混じりになっていく道を歩いて、私たちの寄り合う家が遠くに見えだしたころ、尾形さんが急に横から腕を出すものだから、私の上体は止むなくつんのめった。それを片腕で上手に支えながら、しーっと人差し指を立てて警戒する。
尾形さんの鋭い視線の先を辿れば理由は歴然。背広を着た何者かの怪しい影が、玄関の周りをうろうろと偵察しているのだ。
「どうしましょう、尾形さん
……
」
絶対に聞こえない自信のある声で囁きかけると、尾形さんも絶対に聞こえない声で何事か返そうとする。
ところが、謎の男が気まぐれにこちらを向いたせいで、私の視界は一気に変わってしまった。
尾形さんの硝煙にまみれた軍服と外套に額をこすらせながら、ひと言も話さないように釘を刺されたかと思えば、「軍服が見えるから動くんじゃねえぞ」とも脅される。
胸の底をひどくざわつかせる声だ。
「そうだな
……
人里を離れて睦み合っている夫婦の真似事をする」
という宣言のもと、どのくらいそうしていただろう。魂も滅びそうなほどの永劫に感じられたのに、実際にはそんなに経っていなかった。カチャッと向こう側に降ろされた長い銃に鼓動を激しくしているうちに、「なんだ」という気の抜けた声が届いて、あっけなくこの空間は終わりを迎えてしまったのだ。
「ブンヤだ。紛らわしいことしやがるぜ」
「ブンヤ
……
」
といえば新聞記者の俗称で、土方さんのところに出入りしている記者となると、ただ一人。石川啄木さんだった。
ああ、と私の口からも気が抜ける。
「おおかた下手な歌でもひねってるんだろう」
「歌詠みでもいらっしゃいますからねぇ」
なんて悠長に背広を眺めていれば、腕がまだ尾形さんの腰に巻き付いているという事実に、たったいま肝を冷やすのだった。
「すみません
……
!」
すみませんならばなぜ、と左目を細められたまま時間が過ぎる。あっと弾けそうになった手を、私が自分の意思で恐る恐る組み直してしまったものだから。
離れてしまえばもう二度と言い直せないことが私にはあった。特にこの距離でなければ。
言いそびれないようにしっかりと見上げ、さっきできなかったように食い入りながら、本当は診察室で言いたかった言葉を口にする。
「綺麗ですよ、とっても。どんな尾形さんでも」
失くす前も後も、どちらもきっと立派なのだと。
伝わっているかは、まったく自信がない。
伝わっていないことが濃厚なしるしに、「じゃあな」と特に言及されるでもなく部屋に放された。尾形さんが大きな舌打ちでもって石川さんを震え上がらせたあとのことだ。
ようやく生きた心地を感じた私は、疲れた、と声に出して畳に倒れ込んだ。
間違いなく一里は歩いていたし、尾形さんとの会話はやはり最後まで緊張感でいっぱいのものだったし、おまけに馬鹿正直な振る舞いをして、きっと変な女とまで思われてしまったに違いない。
もう夕餉の支度まで動かないぞ。
と、そんなふうに不貞腐れていると、足袋の裏を向けていた襖が急に動き出して、半間のさらに半分ほどの隙間からニヤァと尾形さんが顔を出した。
「俺も言い忘れてたんだがな」
と言うわりに、肝心のその台詞を言い終わらないうちに、顔を隠して去ろうとする。
あとには声の響きだけが残されていた。
「お疲れさん」
弾かれたように起き上がれはしたものの、ボッと湯気を立てられるほどの気力は残されておらず、低温で焚き付ける炎を抱えながら、よろよろとその場に座り込んだ。
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