溶けかけ。
2024-12-08 12:26:05
3618文字
Public ほぼ日刊
 

雪訪ひ

水の龍王と雪の女王

「寝物語……ですか?」
 女性が首を傾げた。彼女はこの宿屋の店主であった。
 彼女を取り囲むのは、各地から集まった流浪の旅人たち。
 志を同じくし、共に旅を続ける同志もいれば、旅をするなかで知り合った顔見知り、あるいは、今ここで知り合った者同士であったり。
 関係性もばらばらな彼らの共通点は、長い夜に飽きてしまった者たちであるということであろうか。彼らは眠れぬ夜の共として一杯の白湯と寝物語を彼女にねだった。
「うーん……困りましたね。私が知っているのは皆様も知っているようなありふれたものばかり……ああ、あれがありました」
 女性は、ぽん、と手を打つと、そっとカーテンを開けた。旅人たちも彼女の手の動きに合わせて、体を揺らす。
「あそこ……そう……あの厚い雲に覆われたお山が見えるでしょう? あそこには氷の女王さまが住むと昔から言い伝えられているんです。いえ、雨の女王さま、と言った方が良いでしょうか? ……え? 雨と雪は違うものだろう? ふふっ……せっかちな方ですね。それを先に言ってしまったらつまらないじゃないですか」
 女性はカーテンを元に戻すと暖炉の前へと向かい、横座りになった。
 暖炉の中では真っ赤な炎がごうごうと音を立てて燃え盛り、彼女の肌を半分だけ橙色に染め上げる。
 旅人たちも倣うように暖炉の前に集い、彼女を取り囲んだ。彼女は確認するように視線だけを左から右へと流し、白湯で唇を濡らす。

 これは私がお祖母様から聞いたお話です。


  
「おや、また来たのかい?」
「きゃう……!」
 小さな龍が嬉しそうに鳴いた。フリーナは龍に触れようとしてその手を引っ込める。
「きゅう……?」
「あ、ごめん。キミに触ったら凍らせてしまうと思って……
「きゅう! きゅう!」
 龍はフリーナの行動に小さな目を吊り上げると抗議をするかのように鳴いて、細い尻尾でべしべしと窓枠を叩いた。
「きゅい!」
 小龍は窓枠からするりと城内に侵入するとフリーナの首に巻きついた。そして、「大丈夫だろう?」とでも言いたげな目をして彼女を見上げた。
「ごめん、ごめん。キミには僕の氷は効かないんだったね」
「きゅう」
 そうだ、というように龍は同意の鳴き声を上げるとフリーナの首筋に顔を寄せた。
「ふふっ……温めてくれるのかい? キミは優しい子だね」
 フリーナが龍の小さな頭にキスをする。
「きゅっ……!」
 驚きで氷像のようになってしまった龍に気づきもせず、フリーナは話を続ける。
「今日から初雪が降るから僕の出番だね」
「きゅう! きゃう!」
「えー……『無理はするな』って?」
 一人と一匹は眼下を一望できる場所まで来た。
 すでに高い山々には雪が降っていて、もうすぐこの雪雲たちも村や街へと降りて行くのだろう。
 フリーナは青い宝石のついた白い杖をぎゅっと握ると呪文を唱える。多すぎる雪は人にも動物にも害になるため、こうして雪雲を制御して、降雪量を調節しているのだ。
 彼女の足元には幾何学模様の魔法陣が浮かび、淡い光を放っている。────成果は上々のようだ。

「きゅい……!」
 しばらくの間、静観していただけだった龍が突如としてフリーナの首から杖へと絡みつく。
「ヌヴィレット……! 何を……ッ!?」
 杖が手から離れたことにより、強制的に魔法が解除される。足元の魔法陣は光を失い、粉々に砕け散った。
「残念ながら、時間切れだ。フリーナ殿」
 龍が人の言葉を話し、銀の光を放ちながら人の形をとると、フリーナを横抱きにした。
「僕はまだ……
「その状態で、かね? 冗談なら笑えないが?」
 フリーナの体には薄っすらと霜がつき、白い頬はさらに白さを増していく。
「寒い……
「少し、待っていたまえ。すぐに温める……フリーナ殿?」
 ヌヴィレットとの会話もままならず、うとうとと微睡むフリーナに彼は舌打ちをして、城内を駆ける。
 城の一番奥にあるフリーナの寝室まで来ると手早く暖炉に火を起こし、腕の中の彼女を毛布で包む。
「フリーナ殿、目を開けてくれ。でないと君は死んでしまう」
…………
 もっと早く止めるべきだった。
 冷たい体を抱く腕に力を込める。
 フリーナは無慈悲な氷の女王と呼ばれているが、その実、どこにでもいる年相応の人間の少女だ。妖精の祝福によって、氷と雪の魔法を与えられただけで、無慈悲でもなければ、こん な山奥に幽閉されるように生きていかなければならないような罪のある存在でもない。
 暖炉の中で爆ぜる炎を見つめながら、ヌヴィレットはフリーナから聞いた話を思い出していた。

 彼女は生まれたその日に、妖精から祝福として氷と雪の魔法を授かったのだという。だが、与えられた魔法は人にとっては厄介なものでしかなく、制御もままならず、手を焼いた両親からこの山に捨てられ、氷の妖精に育てられたのだと教えてもらった。
 本来、妖精から与えられる祝福はちょっとした幸運を齎す程度のもので、魔法が使えるようになるなど前代未聞のことだ。いったい、祝福を与えた妖精はどれほど彼女のことを愛していたのだろうか。はたまた、ただの気まぐれか。

「うぅ…………
 フリーナの声でヌヴィレットは現実に引き戻される。腕の中の彼女が僅かに身動いだ。
「フリーナ殿……
 色違いの青い双眸がヌヴィレットを見上げた。
「あ、暑い……溶けちゃうよ……
 ふう、とフリーナが溜息をついた。その額には薄っすらと汗が浮かんでいる。
「す、すまない……
 慌てて暖炉から遠ざかり、彼女をその場に降ろす。
「暑かった……
「どこか溶けたりはしていないかね?」
……うん、大丈夫みたい。指も無事だよ」
 ヌヴィレットの目の前でフリーナが手を振ってみせれば、彼は安堵したように目元を緩めた。
「ならばよい」
 彼女は祝福の影響か、人でありながら熱に弱く、長時間熱源の近くにいると体の一部が溶けてしまうのだ。以前、魔法薬を作っていた際にそれを目撃して以来、作ることを禁じている。それでいて、自身の魔法で凍傷になりかけてはこうして命の危機に陥ることも少なくない。────祝福と呪いは紙一重とはまさにこのことだ。
 ヌヴィレットは奥歯を噛み締める。
「人々は君の魔法の恩恵を受けているにも関わらず、君を無慈悲な雪の女王だと呼ぶ。────礼すら言われず、街に降りれば石の雨が降る始末……。私には、君が命を賭してまで気にかけてやる価値があるとは思えない。君が自殺願望のある献身家だとでも言うのなら話は別だがな」
 魔法薬だってそうだ。
 自身の体の事情を知っている彼女が無理を押してまで魔法薬を作ったのは街で疫病が流行ったからだ。金を稼ぐのに丁度良かったからだと言い張っていたが、それならば、普段から商人に売っている商品をいつもより多く納品すれば済む話だ。わざわざ、溶けるリスクを冒してまで魔法薬を作る謂れはない。実際、彼女が設定した魔法薬の値段は二足三文で、とてもではないが儲けとは言い難い。むしろ、材料に使われていた薬草は彼女が丹精込めて育てていた貴重なものであったことを考えると赤字だと言えよう。
「君は人でありながら人とは相容れない存在だ。君がいくら心を尽くそうと、彼らが君を受け入れることはない。少女のような夢を見るのはやめたまえ」
 言葉にしてからどっと後悔が押し寄せる。
 人と触れ合ってこなかった彼女にとって、人とは憧れの存在だ。家族と食卓を囲み、友人たちと踊り明かし、誰かと恋に落ちる。────そんな当たり前の幸福でさえ、彼女には初めから用意されていなかった。
 ヌヴィレットでさえ、眷属から話を聞いていなければ、彼女のことなど歯牙にもかけなかったことだろう。
 誰にも顧みられず、一人で生きてきた彼女が同種に夢を見るのは当然だと言えた。

 それを今、真っ向から叩き潰したのだ。

 お前のやることに意味はない、と突きつけた。十代半ばの少女にとってその事実がどれほど惨いのかを知っていながら。

「────…………知ってるよ」
 ややあって、穏やかな声が返ってきた。
「ずっと……ずっと前から知っていたよ。街の人たちと仲良く出来ないことも…………君がそのことで気を揉んでくれていたことも」
 顔を上げれば、声と同じく穏やかな顔をしたフリーナがいた。ヌヴィレットと目が合った彼女は眉をハの字に寄せて笑いかける。──痛々しい笑みだった。
「でもしょうがないだろう? 勝手に体が動いてしまうんだ。疫病の時も……今だって。賑やかなのが好きなんだ。色とりどりの人や物で溢れる街から、色彩が消えるのが怖いんだ。でも、僕が彼らを大事にすると、キミが傷ついてしまう……難しいね。僕はどちらも大事にしたいのに、ちっとも上手くいかないんだ」