吾妻
2024-12-08 00:00:00
4243文字
Public グラブル
 

隣の芝生は今日も青い

甘さが全然ないのですがユスジタちゃん。つきあってる。
自分には見せてくれない表情について、なんとなく隣の芝生は青いするジータちゃんとローナンさんの話。

 豪奢な設えの洋間を横切り、ローナンはバルコニーに出た。
 手すりの向こう側には青々とした湖が広がっており、その湖面は日差しを受けてきらきらと輝いている。目の届く範囲には他に建物もなく、さほど広くもない島はひっそりと静まり返っていた。まるで、金を持て余した貴族が戯れに買った辺境の別荘地であるかのように。
 ――いや、実際そうなのだ。表向きは。
 
「こちらでしたか、ローナン殿」
 扉が開き、女の声が背にかかる。
「イルザか」
 顔を確かめずとも、ローナンは近づいてくる人物が誰か、既に察しがついていた。声を聞くまでもない。あの凛とした靴音は、彼女以外にありえない。
 バルコニーの手すりに片手をかけたまま、ローナンは少し前まで部下であった女を振り返る。
 かつては鬼教官と恐れられた彼女も今は教官服を脱ぎ、随分と身軽な格好をしていた。
「首尾は」
「島内の調査を行いましたが、特に不審な点も、荒らされた形跡も見当たりません。ここも『敵』の拠点ではなかったようです」
「そうか」
 『敵』、そして『月』との決戦を経て、『組織』と呼ばれていた集団は分裂し、その形を変えた。かつての同胞の多くと当面立ち向かうべき脅威を失い、しばらくの間は事後処理に追われていたが、ここ最近ようやく少しずつではあるが事態の外側へと目を向けられる余裕が生まれてきたのだった。
 ローナンはまず、各空域に点在する組織の拠点の調査を始めた。人目を避けるため、偽の名義で買い上げられ、私有地として外界と隔てられた孤島。『組織』は、本部や支部を置く島とは別に、そのような中継地点や訓練施設を多く所有していた。この島もその一つだ。
 今後『組織』がどのような未来に向かうとしても、足場を固めておいて損はないだろう。ハイゼンベルクたちがこういった小島を隠れ蓑にしていた可能性も大いにあるし、調査は無駄にならないはずだ。
 ……とはいえ、点在する拠点を虱潰しに調べるわけにもいかず、残存兵の一部を引き受けたイルザや、彼女が出入りする騎空団の手を借りることとなった。碌な報酬も支払えないにも関わらず、イルザ隊も件の騎空団も二つ返事で承諾してくれた。依頼した側が抱く感慨ではないとは思うが、どうにもお人好しが過ぎる。
「昨日は部下に訓練をつけてくださってありがとうございました」
「あの程度、訓練と呼ぶのもおこがましい」
 是非にと乞われ、報酬代わりに応じただけだ。勢い任せの新兵たちに遅れを取りはしなかったが、全盛期の動きと比べると明らかに衰えを感じた。誰しも寄る年波からは逃れられないということだろう。
 自らの技を陰りが見える前に後進に伝授できたのは幸運だったのだと、今になって思い知る。それがたとえ、復讐のための手段にしかならなかったとしても、憎悪以外に生きる糧を失っていた幼子の標にはなったはずだ。
 ……そう信じたいのは他の誰でもなく、自分自身なのかもしれないが。
(感傷に浸りたくなるのも老いた証、か……
 緩く首を振り、ローナンは雑念を追い払う。
 近頃どうにも余計なことばかり考える。暇になるというのも、一概にいいものとは言い切れない。
「ところで、例の騎空団の者たちは――
 一緒ではないのか、と問い掛けようとして、途中で言葉を切った。バルコニーの真下。屋敷の正面玄関あたりから楽しげな笑い声が聞こえてきたからだ。
「本日の調査は完了しましたので解散を。〝彼女たち〟は自身の艇に戻るようです」
「なるほど」
 例の騎空団も大所帯だ。全員が今回の調査に参加しているわけではないが、それでもこちらから提供できる寝床はさほど多くない。この屋敷の客間と地下に広がる訓練施設の宿舎を合わせても、元組織の兵士を収容するだけで精一杯だろう。
 停泊所があるほうへ視線を向ければ、この屋敷からも彼女らの〝家〟である巨大な騎空艇の威容が見えた。慣れ親しんだ寝床があるのなら、そこへ戻るのが一番いい。
「ユーステスさんもグランサイファーに帰りますか?」
 ふと、下方からあどけない少女の声が聞き馴染みのありすぎる名を呼んだ。
 わずかに身を乗り出し地上を見れば、小柄な少女がふたり、蒼髪の娘の腕に抱かれた赤い子竜が一匹、そして銃を携えた長身のエルーンの男がひとり、そこにいた。
 答える男の声は、バルコニーまでは届かなかった。はきはきとした少女の声に比べて、寡黙な男の声は響きにくい。だが、その表情を見れば、和やかに肯定の意を返しているのが容易に察せられる。
 やがて、蒼の少女と子竜とが先立って停泊所のほうへ歩き出し、その場には金の髪の娘と男だけが残された。娘が何かを問い掛け、男はゆるく首を横に振って応える。それに対し娘が少しだけ唇を尖らせ、男は苦笑を返して見せた。
 随分と表情豊かになったものだ。
 他人から見ればそれでも無愛想の仏頂面に見えるかもしれないが、ローナンからしてみればその変化は非常に顕著なものだった。少なくとも、ローナンが彼と――ユーステスと過ごした決して短くない年月の中で、あのような表情を見た記憶はない。
 随分と長い間、ユーステスは任務を完遂するための機構に過ぎなかった。内に秘めた煮え滾る憎悪すら他者には悟らせず、凍てついた氷塊のように静かで冷ややかだった。
 近頃、考えることがある。
 自身と彼の関係が決して親子のような温かいものではなく、ただの上司と部下であったのは百も承知ではあるが。
 もっと、武器の扱い以外にも伝えられたものが何かあったのではないだろうか。
 そこまで考えて、ローナンはいつも思考を止める。今更どうしようもないことだ。そもそも努力をしたところで、戦い以外を知らぬ自分が何かを伝えられたとも思えない。

 ふと、ユーステスが顔を上げた。おそらく視線に気づいたのだろう。
 バルコニーに立つローナンを見つけ、露骨に渋い顔を作る。
 相も変わらず可愛げのないやつだ。だが、それでいいのかもしれない。
 暗闇から踏み出し、光を知って、今は復讐のくびきからも放たれたのであれば。
 それはおそらく、喜ぶべきことに違いない。
 傍らに立つ娘に名を呼ばれて、ユーステスはローナンから視線を外した。
 若き騎空士に向けられる表情からは棘が抜け、目元に柔らかな笑みが滲む。
 なんともわかりやすい。むしろ安堵するほどに。

 絶望や憎悪は全て、過去に置いて行けばよい。
 そして自分は間違いなく、過去の象徴に違いない。
 ならば、去りゆく背を惜しむ必要など、一体どこにあるだろうか。
 ローナンは口の端を苦笑で吊り上げ、バルコニーを離れた。


            *


「挨拶、していかなくてもいいの?」
 ルリアとビィが先立って歩き出したあと。ジータはそっとユーステスに問い掛けた。
 ユーステスは耳をひくりと揺らし、主語のない恋人の問い掛けの真意を探ろうとする。そして、すぐ意図を察したと見えて、苦笑と共に首を横に振った。
「いや、構わない」
「そうなの?」
 この館にはローナンがいると聞いた。
 今回の仕事の依頼も、彼から届いたものだ。
 しかし、グランサイファーと共に現地入りしたユーステスは、まだ一度もローナンと顔を合わせていないのだ。
 今日は仕事も早く片付いたし、夕食までも時間がある。挨拶をするなら良いタイミングだろう。自分が邪魔なら先に戻ってもいいし、遠慮しているなら背中を押そうと思った――のだが。
 一切迷う素振りもなく首を横に振られてしまえば、更に一押しするのも憚られる。
 ジータとて、彼とローナンが世間一般でいうところの親子らしい親子関係ではないことぐらい、きちんと理解している。むしろ周囲がどれほど彼らを家族のように扱っても、本人たちは頑なに首を縦には振らないだろう。
 複雑な問題に外野が老婆心を出して首を突っ込むと、大抵碌なことにならない。それは重々承知の上だが。
 それでもなんとなく、声を掛けたくなってしまったのだ。
 なぜなら――

 そのときふと、ユーステスが顔を上げ、館を見た。
 かつては貴族の持ち物であったという豪奢な造りの洋館には、湖を望めるように広々としたバルコニーが備わっている。
 そこに、壮年のエルーンがひとり、佇んでいた。
 隣に立つ男を窺えば、ユーステスは眉間に皺を寄せて渋面を作っている。その横顔を見て、ジータはある種の感情に囚われた。うまく言語化できないが、妙に羨ましい――ような。
 なぜならジータにとってユーステスは常に落ち着きのある大人の男性であって、あんな子どもみたいに拗ねた顔は見せてくれないから。
 いや、違う。ユーステスはたとえ同年代の仲間たちや年の離れた先達相手にも、あんな顔を見せたりしない。
 ユーステスがあんな顔を向けるのは、ジータが知る限りローナンだけなのだ。
 だから、たとえ当人同士がどれほど否定しようとも、かけがえのない何かが二人の根底には存在しているのではないか。たとえただのお節介だったとしても、そんなことを考えてしまうのだ。
……ユーステス、やっぱり挨拶してくる?」
 返ってくる答えなど、もう既に察しがついていたし、実際にユーステスはジータに視線を戻して「大丈夫だ」と否定を寄越した。
 自身に向けられるのは、いつもどおりの穏やかな眼差し。柔らかな声音。決して短くない年月をかけて築き上げてきた信頼の証。温かく、誇らしい絆。
 だから、〝子どもみたいに拗ねた顔をしてもらえるのが羨ましい〟なんて、本当は過ぎた願いであって、彼らには彼らが築き上げた、唯一無二の年輪がある。それだけのことなのだ。
 視界の端からローナンの姿が消える。どうやらバルコニーから室内に引き揚げたらしい。
(ないものねだり、しちゃだめだよね)
 自分の欲深さに、時々驚かされてしまう。
「じゃあ帰ろっか」
 雑念を振り払うように一度深呼吸をして、ジータはユーステスに手を差し出した。ルリアとビィの姿はもう見えないほど遠くにある。ならばふたりきり、手を繋いで家路についてもいいはずだ。
 ユーステスは、ジータが何かしら考え込んでいたのには気付いたようだが、特に言及はしてこなかった。
「そうだな」
 差し出された恋人の手を自身のそれで包み込んで、ユーステスは静かに頷いた。


【おわり】