ふみかぜ@壁打ち
2024-12-07 20:53:02
8851文字
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【12/1無配web再録】オーブン後付けトレーラー【Δドラロナ】

12/1のドラロナオンリー会場で無料配布したΔドロ(ド→ロ寄り)短編のweb再録です
吸対の監督下に置かれたロくんがド隊長所有のトレーラーハウスで暮らすことになる話

「さて、これからロナルド君が我々の監督下へ置かれるにあたって、君に住居を提供する必要がある」
「別にその辺の公園で野宿でもいいんだけどな」
「却下だ却下。善良なご近所の方々が腰を抜かしかねんわ。私が持っている物件でちょうどいいのがあるから、そこを使ってくれ」
……お前が持っている?」
「あぁ、そう大したものじゃないよ。祖父から引き継いだちょっとしたものさ。ま、見た方が早いから説明は着いてから」
「はぁ」

「という訳で、今日からロナルド君はここに住むこと」
「へ」
 到着した高層マンションの広々とした駐車場で目にしたものに、吸血鬼ロナルドは呆けた表情のまま固まった。
 バスケットボールの試合ができそうなほどの面積があるエリアの一角に、小屋が建っている。サイズは正面ドア側から見た横幅が約十メートル、奥行きが二メートル余り、高さが三メートルちょっとといったところ。全体が赤煉瓦のような色で塗られ、屋根は傾斜が緩やかで平べったい。窓もドアもあるので小屋と称したが、遠目に見れば直方体のコンテナに近い形だと感じるだろう。
 加えて、ロナルドが一番気になったのは小屋の下部分。大きな車のタイヤ四つと杖のような支柱四本で支えられており、地面からは浮いている状態になっていた。
……何これ、家? 車?」
「トレーラーハウスだよ」
 浮かんだ疑問をそのまま口にすると、小屋の扉へ歩いていくドラルクから簡潔な答えが返ってきた。
「日本の規定だと車の扱いになるな。キャンピングカーと違って自走はできないが」
「へー……え、俺ここに住むの?」
「不満かね?」
「いや、その」
「まぁまぁ、文句は内装を見てからでも遅くはなかろう。ほら、入った入った」
 鍵を開けてドアを開けたドラルクが手招きをする。彼の肩に乗ったアルマジロのジョンも同じジェスチャーをするのを見て、可愛いものに弱い吸血鬼はやむなくついて行くことにした。
 玄関で靴を脱いでフローリングの床へ上がると、その先に地続きでリビングが設けられている。ぱちんとスイッチが押される音と共に天井のランプが白い光を点し、眩しさにロナルドは赤い目をぱちぱちさせた。
 淡いクリーム色の壁で囲われた室内をぐるりと見回してみる。横幅が広く取られたソファに薄型のテレビ、壁面に取り付けられたクローゼットやローテーブルなど、家具が整然と配置された空間を進むのはちょっと落ち着かない。うっかり蹴飛ばしたり壊したりしないように、ロナルドは気持ち肩を縮こまらせながらドラルクの後を追った。
「電気もガスも通っている。経費として落とせるのは常識の範囲内だから考えて使うように」
「お、おう」
 リビングを横切った彼らは、続いて台所のスペースへ足を踏み入れる。一方の壁にシンクとコンロが一体となったシステムキッチンが取り付けられており、反対側には人間向けの保存食が収納された戸棚と、ロナルドの半分くらいの背丈だが冷凍庫付きの冷蔵庫も置いてあった。冷蔵庫の上には操作パネルがシンプルな電子レンジが鎮座している。戸棚の上はまっさらだが、見た目頑丈そうなのでこっちも何かを置くことができそうだった。
 キッチンの奥にあるドアからトイレやバスルーム、物置代わりの予備室へ行けることを一通り説明したドラルクは、そういえば、とこちらを振り返る。
「ロナルド君は人間の食事も摂るようだが、自炊は?」
 問われたロナルドは「できる」と答えるか一瞬迷ったが、結局は素直に首を横に振った。
「いや、あんまり……基本買って食べるかみんなが作ったのをお裾分けして貰ったりだな。あっ、カップ麺にお湯は入れられるぜ! 電気ポットで!」
「赤ん坊よりは文明の利器が使える、と喜ぶべきなのかね。電子レンジもあるけど、使い方は分かる?」
「もちろん知ってるぜ! この前おでん温めようとしたら何故か卵が爆発したけど」
「なるほど、つまり五歳児レベルか」
 額を押さえて溜め息を吐いたドラルクはぶつぶつと何か呟いていたが、やがて諦めたように苦笑いを浮かべる。
「ま、ある程度は許容するしかあるまい……ロナルド君、くれぐれも一人でコンロは使うんじゃないぞ」
「おぅ……いやそもそもの話、俺ここに住むの?」
 改めて、この物件を紹介された時からの疑念をぶつけてみると、ドラルクの眉が不機嫌そうにつり上がった。
「何だ何だ、まだ文句があるのか? 間取りが極端に縦長とはいえ、署員寮の部屋と比べてよっぽどスペースがあるし、設備も充実していると自負しているがね」
「逆だ逆、文句がないから困惑してんだよ。こんなに広いとこ俺一人が使うのは気後れするっていうか……それこそ、安いアパートとか倉庫の空いてる場所を寝床にすれば」
「君の能力や自制心が未知数な以上、集合住宅に置く訳にいかんだろう。ドアとか窓とか吹っ飛ばしてご近所さんに危険が及ぶ可能性がある」
「うっ」
 ロナルド自身に人間への害意がないといっても、最初の大侵攻で道路を叩き割ったり電柱をへし折ったりして町を滅茶苦茶にした前科がある以上は否定できない。
「倉庫など論外だ。君のような恐ろしく強い気配の吸血鬼を人間の出入りのない閉じた場所に住まわせてみたまえ。たちまち変異が起きて下等吸血鬼やツクモ吸血鬼の温床が一丁上がりだ」
「そ、そうなのか?」
「嬉しそうにするんじゃないよ単純バカチョロルド君」
 ロナルドが気配を褒められたことに喜ぶのに対し、一息で悪態を吐いたドラルクが気を取り直すように咳払いする。油汚れ一つないコンロを骨張った大きな手で撫でながら、彼は含みを持たせた笑みを浮かべて言葉を続けた。
「その点、このトレーラーハウスの中で騒ぐ分なら周囲に迷惑をかけることも少ないだろう。防火素材を使い、防音加工もしているからね」
「へー……でも、条件的には倉庫とあんま変わらない気がすんだけど」
 駐車場自体はドラルクが住んでいるマンションに近く、人通りもあるだろう。ただ、この家で暮らすのがロナルドとメビヤツだけの場合、変異する可能性は大して抑えられないと思うのだが。
 しかし、そんな疑問にドラルクは軽く頷き、
「うむ、それは私が出入りするから問題あるまい」
「へ」
 思いも寄らなかった言葉を返してきた。キッチンの台にもたれかかる痩躯の男をまじまじと見返したロナルドは、また困惑が深まるのを感じながら首を傾げる。
……まさか、ドラ公もここに住むのか?」
「は? そんな訳ないだろう」
 違うのか。ほっとしたけど拍子抜けな気分。
「ベテランの飼育員でも虎の入った檻で寝泊まりする筈があるまい。時々見に来て、異常がないか点検するだけさ」
「なーんだ、そうなのか。ん、ならやっぱり倉庫でも」
「変なところ食い下がるな。定期的にチェックするとなれば、ここが自宅からも署からも近くて楽なのだよ。ついでに休憩や気分転換もできるし」
「気分転換?」
「コーヒーやお茶を淹れたり、軽食やお菓子を作ったり。署にも簡易キッチンが設けてあるが、こちらの方が周囲を気にしなくて済むから自由に料理ができる」
「料理……
 ドラルクの趣味と特技の一つがクッキングであることは吸対の面々から聞いている。自分が捕まる直前に食べた例のケーキも、彼が作ったものだそうだ。
「それって、俺の分もあるのか?」
 思わず口にした瞬間、目の前に佇むドラルクがにやりと笑う。かかった、と言わんばかりの勝ち誇った顔だ。
「もちろんだとも! 腕前については君の味わった通りだ、存分に期待してくれたまえ。……さて、ロナルド君がここで暮らすことについて、お互いに利があることを理解して頂けたかな?」
「それは……わかった、ような……
「じゃあ住んでくれるね?」
「お、おう」
「よーし決まりだ! ではこちらの書類に署名をよろしく。本名でも棺名でも、何なら通り名でも構わんから」
 勢いに流されるままに頷くと、ドラルクが満面の笑みを浮かべて調理台の上へ契約書的なものを広げる。手に押しつけられたボールペンで『ロナルド』と書いてる最中、胸に釈然としない思いが込み上げてくるが、まぁ別にいいかとそのまま最後まで記名をした。都合がよすぎて胡散臭いのは否定しないが、美味いものが食えるならそれに越したことはない筈、多分きっと。
「書けたぞ」
 名前と本日の日付を書いた書類を突き返す。
 ドラルクはそれを受け取るとざっと目を通し、満足げに頷いて隊服の中へ仕舞った。
「おめでとう、これでロナルド君は晴れてこのトレーラーハウスの住人だ」
……ありがとう?」
 言いながらわざとらしく拍手する彼に、嫌な奴だなぁと思いながら一応の礼は言う。実際、雨風をしのげる場所を提供して貰ったことに感謝はしているのだ。風邪の心配はなくとも、びしょびしょに濡れたり服や髪がぐちゃぐちゃになったりするのは畏怖くないので避けたいところだったし。
 一方のドラルクはというと何でか妙に上機嫌な様子で、抑揚のない奇妙な鼻歌を奏でながらコンロを手の甲で軽く叩いた。
「ようし、ではこれから入り用のものを買いに向かおう。店が閉まらんよう急ぐぞ、ロナルド君」
「へ、仕事はいいのか?」
 颯爽とした足取りで玄関へ向かうドラルクの言葉に首を捻りながらついていく。まだ夜明けまで遠いし、てっきりロナルドをここへ落ち着かせたら署に戻るものだと思っていたのだが。
「残りは提出待ちだし、帰った後にリモートで済ませればいいから構わんさ。それより、君に何処で何を買えるのか教える方が大事だろう。血液パック自販機の場所も覚えて貰わなくては」
「な、なるほど」
 それは、実に尤もらしい理由だ。こいつ仕事したくないだけでは? と正直思わなくもないけど、町を改めて案内して貰えるのは助かる。
 いつの間にかリビングのソファで丸まっていたジョンをそのままに、ドラルクと一緒に外へ出た。アルマジロの彼が残ったということは、隣を歩くダンピールが買い物の後で別れることなく戻ってくることを示唆している。それを考えたら、不思議と身体の奥が温まるような心地がした。変なの。
「さて、美味い蕎麦が残っていると嬉しいが……
「そば? おそば作んの?」
「そのつもりだが。君、例の野菜以外は大体食べられるのだろう」
「例の……ぁ、ああ。セ……じゃなきゃニンニクだろうがネギだろうがいけるぜ。でも蕎麦って年越しに食べるものじゃなかったっけ」
「別に何でもない日に食べたっていいんだよ。それに」
 駐車場を出たところでドラルクはトレーラーハウスの方を振り返り、楽しげに言った。
「引っ越しといえば蕎麦だからね」
 そうのたまったドラルク隊長が買って茹でた十割蕎麦は香り豊かで喉ごし爽快で、付け合わせの野菜天、かしわ天と合わせてとても美味しかった。

 そんなこんなで、ロナルドがトレーラーハウスで暮らし始めて一ヶ月が経った頃。室内には砂糖と小麦粉の甘くて香ばしい匂いが立ちこめていた。ソファ前のローテーブルにはつい先程空になった大皿一枚と二枚の小皿、フォークとナイフに、メープルシロップのボトルとバターケースが置かれている。
……あいつ、何枚焼く気なんだ」
「ヌー」
「ジョンも分かんないのか、そっか」
 リビングへ持ち込んだ己の棺桶に腰を下ろしたロナルドは、キッチンで忙しなく動く男をぼんやりと眺めている。隣ではメビヤツが単眼をぱちりと開けて、その滑らかな頭の上ではアルマジロのジョンが寛いでいた。
 皆の視線の先にあるのは、キッチンに立つドラルクの姿である。彼は今、コンロの上でフライパンを動かし、大量のホットケーキを焼いているところであった。
 くるりとひっくり返されたホットケーキが、コンロ近くに置かれた皿の上に乗せられた。これでちょうど六段重ね。先程リビングへ持ってきた第一陣の十段重ねと合わせると、十六枚目になる。
 どうしてこんな状況になったのか、ロナルドも正直よく分かっていない。今日はチームデルタとしての出向要請もなくドラルクも夕方時点で別行動を取っていたので、午後の九時頃まで時間を持て余していたのだが。
 ――ロナルド君、キッチン借りるぞ。
 ――へ?
 何の前触れもなく、ぱんぱんに膨れ上がったエコバッグを引きずってきたドラルクが上がり込んできて、これまた何の説明もなく調理を始めてしまったのである。ふんわり厚みのあるホットケーキはいくらでも食べられそうなほど美味しいけれど、どうにも理解が追いつかない。
 ジョンが言うには、ドラルクはストレスが溜まると時々こうなるらしい。積もり積もったフラストレーションを、料理に打ち込むことで発散するんだそうだ。
 パターンとしては大量に作る場合、とにかく凝った品をつくる場合の二つに大別され、今回は前者でストレス解消を行っているらしい。
「お、」
 ロナルドの視線の先でドラルクがコンロの火を一度止め、こちらを振り返る。金色の目と視線が合うと同時に手招きされ、ロナルドは棺桶から腰を上げてキッチンへ向かった。第二陣を受け取るためである。
「はい」
「ん」
 最終的に十段のホットケーキが積み上がった皿を両手でしっかりと持ち、リビングへ引き返した。ローテーブルの上ではバターナイフを持ったジョンが期待に身体を揺らしながら待ち構えている。可愛い。
 ホットケーキをテーブルの上に置いてから何となく後ろを振り向くと、ドラルクは作業台にボウルを置いて下がりかけた袖をまくり直していた。またホットケーキの生地を作るのだろうか。
……ん?」
 ジョンと一緒に食べながら何となくキッチンの方を観察していたロナルドは、途中で首を傾げる。
 ボウルに入っている材料がさっきと違う気がする。全部見ていた訳じゃないが、今みたいにバナナを入れて泡立て器で潰すなんてことはしなかったような。
 不思議に思いながら一枚食べきったところで、玄関からチャイムの音が鳴る。
「おっと……ロナルドくーん、ちょっと出てくれるかね?印鑑はいらないから」
 心当たりはないが、どうやらドラルクが何か頼んでいたらしい。何で宛先がここなのか引っかかったが、配達の人を待たせるのも悪いのでロナルドが出ることにした。
「はい、ご苦労様でーす……え、わ、デカッ⁈」
 ロナルドの両腕に余る程の大きさをした段ボールの箱に驚きつつ、住所もドラルクの宛名も合っていたので荷物をそのまま受け取る。
 一体何を注文したのかと呆れながら段ボールの印字へ目を向けたロナルドは、思いがけない文字にぱちぱちと瞬きした。
「オーブン、レンジ?」
「ふぅ、やっと届いたか。悪いがこっち持ってきて、設置もよろしく。ジョン、指示を頼むよ」
「ヌン! ヌヌヌヌヌン、ヌンヌヌーヌ」
「そ、そうだな!」
 ジョンに頑張ろうねと言われてしまっては拒否する訳にもいかない。そのまま戸棚の上に段ボールの中身、結構なサイズのオーブンレンジを置いた。ジョンの指示に従ってコンセントを挿し、内部へ天板をセットする。一八〇度で余熱させるところまで何とか無事に終えたロナルドは安堵の息を吐き、ボウルに砂糖と割り入れた卵を混ぜ合わせている男を見遣った。
「終わったぜドラ公。これでまた何か作るのか?」
「あぁ、まあ見ていたまえ。これを導入しただけの価値があると実証してあげよう」
「ふーん……?」
 やって来た直後より随分と機嫌良さげに笑うドラルクに、ロナルドは曖昧に相槌を返す。ここにオーブンがないことについて度々不平を漏らしていたが、それが解決するのがそんなに嬉しいのだろうか。
 何にせよ、もっと色々なものが食べられるのはロナルドにとっても喜ばしい。それに、先程みたいな鬼気迫る様子より、今みたいにヘッタクソな鼻歌を奏でながら調理するドラルクの方が安心するし好きだ。
「ん?」
 今変なこと考えなかったかと首を捻るが、ジョンに残りのホットケーキを食べて待とうと誘われ、疑念はすぐ霧散する。結局、次は何が食べられるのかという期待ばかりがロナルドの中に広がるばかりだった。
 ――忘れられようもない香りのバナナケーキを目にしたロナルドが呆然とし、ドラルクに間抜け面を笑われるまで残り一時間。

 ベテランの飼育員でも虎の入った檻で寝泊まりする筈があるまい。
 そんなことを言ったのは何処の誰だったかな。〝虎〟が眠る棺桶が置かれた部屋で目を覚ましたドラルクは、ふと思い出した過去の己の発言を自嘲していた。ここから徒歩五分もかからないマンションへ帰らず、それなりの質だが自宅のベッドよりは格段に寝心地が劣るソファで眠るなど、いよいよ言い逃れができないではないか。
 腕を伸ばしてローテーブルへ置いてあったスマホを掴み、現在時刻を確認する。午前八時過ぎ、通りで窓から明るい日差しが入り込んでいる訳だ。今日も業務は夜からでゴミ収集の日でもないから、ここで二度寝しても支障はない。実際、共に寝ていたジョンは未だ夢の中だ。
 毛布を被り直そうとしたドラルクだが、ふっと思い立ちソファから降り、すぐ傍に置いてある棺桶の前にしゃがみ込む。なるべく音を立てないように慎重に蓋を開け、そこで眠っている存在が目を覚ましていないことを確認し、身を乗り出して中を覗き込んだ。
 ――棺桶が暴かれたことを気に留めることなく、吸血鬼ロナルドはすやすやと眠っていた。窓から差す光が銀色の髪と傷一つない端整な面を照らす光景は幻想的に見えるが、アグリーセーターみたいな派手なパジャマが見事に神秘性を打ち消している。
 無言で手を伸ばし、前髪を一房摘まんでみる。反応なし。続けて指先で耳の先端を突っついてみる。眉が僅かに寄るが、起きる気配はなし。
「本当に無防備だな……強者の余裕、というやつかね」
 感心と呆れが混じった溜め息が出る。「吸血鬼らしい」死とやらを追い求める彼のことだ、寝床に誰がいようと命の危機を感じたことなどないのだろう。例え眠っている間に胸に杭が突き刺さったところで、起きる前に肉体が再生されて自然と抜け落ちてしまいそうだ。
 ……我ながら悪趣味な想像に額を押さえる。必要な考察だとして、彼が死ぬ光景をあまり想像したくない。
 それよりは昨晩の、オーブンから取り出した焼きたてのバナナケーキに目を丸くし、頬を紅潮させて喜ぶロナルドの姿を思い出す方がよっぽど健康的だ。着々とドラルクに手懐けられている成果が見えるのは気分がいい。
「甘やかし、か」
 ここを訪れる前、ドラルクの機嫌をすこぶる悪くさせた原因を思い返し、小さく舌打ちした。どうやら吸血鬼嫌いで有名な陰険スカシ髭本部長殿はドラルク隊長のやり方がお気に召さないらしく、こちらが報告を上げる度に難癖をつけてくる。
 昨日は特にムカついた。何が、「アレはあくまでも利用価値があるだけの怪物であること、ゆめゆめ忘れるな」だ。ロナルドが吸血鬼の中でも規格外のモンスターであることなど初対面の時から、いや気配を一度捉えた瞬間からとうに分かっている。理解した上で厄介で面白くてチョロくて飽きない彼に構っているに決まっているだろうが。そうでなければ、いくら祖父のオーダーメイドで吸血鬼の攻撃に耐えうる頑丈さを持っているとはいえ、忘れ形見でもあるこのトレーラーハウスに力の加減もできないバカ吸血鬼を住まわせる訳があるまい。衝動でオーブンレンジを尼ヌンでポチることもなかっただろう。
 ――このまま、こいつで遠くへ行ってしまおうか。
 ロナルドの健やかな寝顔を眺めている内に、急に不穏な思考が頭をもたげていく。これから先、彼を不合理な思惑に巻き込むくらいなら、その方がずっといい気がする。
 吸血鬼事件の捜査で得たコネを使って牽引車を調達して、トレーラーハウスを引っ張って新横浜から脱出する。途中で追いかけてくる輩がいたらロナルドに蹴散らして貰って、何処か面倒事を考えずに暮らせる場所で料理とか映画鑑賞とかゲーム配信とかしながら自由気ままに過ごすのはどうだろう。
……無理だな」
 寝ぼけた頭で展開する妄想を冷静に俯瞰し、自分自身で冷淡に切り捨てる。移住してからたったの一ヶ月の間に、ロナルドはこの町や住民へ明確な愛着を持つようになった。躊躇いつつも彼の実兄妹から町を守ろうとしたところなどがいい証拠だ。
 ドラルクも、己が新横浜という住み慣れた魔窟を切って捨てられる程の割り切りはできない自覚がある。純然たる吸血鬼であったら可能だったかもしれないが、少なくとも今のドラルクはダンピールだ。人間が捨てきれない社会性や義理はこの身である限り切り離せない。
 切り離す方法も使う気がない。それは長き命と引き換えに、彼を傍に繋ぐ手を失うと同義なのだから。
「んぅ……どら、こー……?」
 悶々と考えながらロナルドの銀髪を弄っていたら、流石に違和感があったらしい彼が薄らと目を開ける。その幼気な表情に自然と頬が緩むのを感じながら、ドラルクはその両瞼に冷えた掌をそっと重ねた。
「寝てていいよ、ロナルド君。まだ朝だから」
「ぅ、ん……ぉやすみ……
「おやすみ」
 ロナルドが再び寝息を立て始めたのを確認してから手を外し、ドラルクもソファへ戻って毛布を被り直す。枕元のジョンを腕に抱え、優雅な二度寝を決め込んだ。
 まだ、何もかも始まったばかりだ。吸血鬼との共存計画も、ロナルドとの関係も。じっくりと煮詰めて、自分たちにとっての最良の結果を得ようではないか。

「ドラ公、大丈夫か?」
「ぐぬぅ、寝違えた……ロナルド君、このソファなんだが、ベッドに買い換えるとかどうかな」
「狭いだろ、流石に」