
*
まだ夏の暑さが尾を引いて半袖でも十分に過ごせてしまう、九月某日。
待ち合わせ場所に指定した、駅前にあるたからハンバーガーに入店すると、涼しい風と共にどことなく胸の内で懐かしい感覚が目覚める。
店舗は違くとも接客マニュアルや運営の仕方は基本的には変わらない。だからたとえ違う店であったとしても懐かしいと思うことは必然とも言えて。
そのままレジに向かって、ひとまずアイスコーヒーだけ注文をして、グラスが乗せられたトレイを受け取る。
店内を見渡すと、昼時よりも少し前に来ているからか比較的空いている。
と言っても狙ってこの時間帯に待ち合わせをしているのだからこの状態は狙い通りと言えるわけで。
これからする相談
――と言っていいかはわからないが、俺としてはこの手の話を誰かにすることは相談以外の何物でもない
――の内容的に相談相手以外に聞かれることがなんとなく恥ずかしいのと、今や声優ですらちょっとしたことでネットニュースのトップを飾るような時代もあって、周囲にそれとなく気を配りながら店内奥の隅の席に腰を下ろす。
トレイをテーブルに置いて、グラスにストローを挿したちょうどその時。
「お待たせ」
柔らかくも色気のある声が降ってきて視線を上げると、そこには待ち人である櫻井の姿があった。
「待ってないぞ。俺もいま来たところだしな」
「帝くんとこんな会話しても楽しくないんだけどなぁ」
まあ、いっかと櫻井は苦笑して俺と向かい合うように座り、「それで? 相談ってなに?」と、世間話はおろか近況すらすっ飛ばしていきなり本題に入ってくる。
この後に予定を控えているのか、それとも単に俺の相談に大した興味を持てないのか、はたまた別の理由か。
まあそれは櫻井の事情であるしここでその部分を深く突っ込む気もないし、しなくてもいいかと思う。
一拍間を置いて、俺は相談内容を言葉にする。
「なあ、櫻井。デートってどう誘えばいいんだ?」
「
…………え、なに、帝くんいまデートって言った? 俺の聞き間違いじゃなく?」
長い間を空けて櫻井は眉根を寄せて問い返してくる。余程俺の口から出た単語が信じられなかったらしい。心外だな。
……いや、そうでもないか。
「デートと言ったし聞き間違いでもないぞ」
櫻井の問いにそう答えて、一度視線を流す。
なんとなく素面でこういう相談をするのは恥ずかしい。
二十歳を超えて何を言っているんだと思わなくもないが、それでも生まれてこの方こういう方面の話をした経験なんて殆どないのだから仕方がない。
「ついに帝くんにも春が来たんだね」
「人を遅咲きの桜みたいに言うな」
「実際そうでしょ」
櫻井のそれに確かにその通りだと思ってぐうの音も出ない。
「それで、デートの誘い方ねぇ」
「というかどこへ行ったらいいんだ?」
「そこから? どこに行こうかすら決めてないの?」
「こういうのはよくわからんからな。だから櫻井に訊いた方が早いと思ったんだ」
櫻井の表情が思い切り歪む。漫画みたく書き文字をするならうわぁ、だろう。
「ちょっとは自分で考えようよ。ていうか特
――ひかりちゃんなら帝くんと一緒ならどこだって楽しいって言ってくれるし思ってくれるだろうから、帝くんが行きたいところとかでいいんじゃない?」
「俺の行きたいところか
……。スー」
「スーパーはだめだからね」
言い切る前に却下されてしまった。早くないか?
……というか櫻井はなんで俺が天音のことをデートに誘おうとしてるのを知ってるんだ? 誰にも
――それこそ立夏やコスモにすら言ってないのに。
考えていることが思い切り表情に出ていたのか、目の前から小さく吹き出す気配を察する。
「帝くん、こういうところは隠すの下手だね」
「櫻井こそなんで俺が天音を誘おうとしてるのを知ってるんだ?」
「最近色々と誰かさんから聞かされてたんだよね」
その誰かさんは十中八九俺の知ってる奴だろう。だけどそれが誰かを詮索することはひとまず横に置いておく。なにせ、そいつのおかげで話が通りやすくなっているのだから。
「帝くんさ、宝石が丘にいた時からずっとひかりちゃんのこと好きでしょ。やっと踏ん切りがついたんだね」
「
……俺ってそんなに分かりやすかったか?」
「自覚なかったの? 多分うちのクラスで気づいてなかったの葵だけだと思うよ? コスモなんていち早く気づいたし」
「そんなにか?」
「そんなにだよ」
何を今更、と言いたげな櫻井の視線。
そうか、俺そんなにわかりやすかったのか
……。
上手く隠せてると思ってたんだがな
……。
自分の天音に対する想いが周囲に筒抜けという状況だったことに気まずくなってアイスコーヒーを一口含む。
「それで話は戻るけど、場所は帝くんが行きたいところにしなよ。あ、スーパーは絶対ダメだからね」
「わかってるよ」
「あと誘い方ね。そういえばこの間水族館とコラボとかやってなかった?」
「ああ、あれか」
櫻井の言葉をきっかけに一週間前のとある現場を思い出す。
それは十王子市内に新たにできた水族館のことで、他にはない目玉を作りたいというコンセプトで若手声優に館内の音声を任せるという類のものだった。
館内案内や説明パネルなど文言が変わらないものは全て対象となっていて、膨大なページ数の台本を渡されたのだ。
こういうのは立夏の方が適任なんだが、と思いつつ既に先方からは俺が指名されていたし、収録メンバーの中には卒業以来会っていないような顔見知りも何人かいて同窓会のような雰囲気で収録したのを覚えている。
「コラボというか館内案内と説明パネルを音声化しようって話だったんだが
……」
「それ、蛍も一緒だったでしょ?」
「そういえばそうだったな」
「その時、蛍が水族館のペア招待チケット貰ったって言ってたけど、帝くんは貰わなかった?」
「貰ったな」
「じゃあそれしかなくない?」
ピッと人差し指を上げて、櫻井はにやりと口の端を上げる。
全然それを使おうとすら思っていなかった上に今の今まで記憶からも消えていたからか、目から鱗もいいところで。
そうか、考えてみればそれしかないな。
自分の声がそこかしこから聞こえてくることに若干の気まずさはあるだろうが、このままチケットを使わないのは勿体ない。
それに屋内だから天候に左右されることもないし天音と一日ゆっくり展示動物たちを見ながら歩き回るのも楽しそうだ。
「そうだな」
「はい、それじゃこの話はおしまいってことで!」
パチンと両手を叩いて、櫻井は物理的に話題を終わらせる。
なんだかその様子を見ていると、そんなに俺との会話を切り上げたかったのかとさえ思ってしまう。
まあ、男二人で恋バナなんてしたところで寒いだけか。
「相談料として昨日から始まったこの時期限定のデザートご馳走してよ」
「櫻井、ああいうの好きなのか?」
「女の子との話のネタにしたいからね」
「そうか」
そうだな、そうだよな。櫻井ってこういう奴だよな。
まあ、相談料としては格安か。
注文をすべく席を立つ俺に、果たして櫻井は全種類シェアしようよなどと言い出すのだった。
*
「ええっと、ここで合ってる
……よね?」
白い七分丈のシャツに空色のキャミソールワンピース、足元は歩きやすいようにとヒールの低いサンダルを履いた女性
――天音ひかりは待ち合わせ場所に到着するなりそんなことを呟く。
場所自体は間違いないだろうが、当の待ち合わせをしている人物がまだ来ていないことでひかりは微かな不安を覚えてしまう。
万が一にも遅れることがないように、と早めに家を出た為に待ち合わせ時刻の二十分前に到着してしまったのだからそれも仕方のないことと言える。
時計で時刻を確認して、どうしようかと考えた末にひかりは今日も燦々と降り注ぐ日光から逃れるためにひとまず日陰に入る。
今年は残暑が厳しく、未だに薄着で出かけられてしまえることにどことなく危機感を覚えながら、ひかりは鞄からスマートフォンを取り出す。
lineを起動して何も連絡がないことを確認してから画面を上へスクロールし、あるメッセージのところで指を止める。
それは数日前に帝から送られてきたものだった。
『市内に新しく出来た水族館の招待チケットがあるんだが、天音がよければ一緒に行かないか?』
帝からこんな誘いを受けたのが初めてだったのと、声優が音声を担当する珍しい水族館でずっと行ってみたかったという思いとでひかりはすぐさま行きたいと返信を打った。
メッセージを送信してしばらくしてからそういえば、とひかりはあることに思い至った。
場所が場所であるし、メッセージの文言からしておそらく二人で行こうということなのだろう。それはつまり
――、
「デートってこと?」
言葉にしてみれば急に頬が熱を持つのがわかった。
単語一つで浮足立っているとさえ思えるくらいふわふわとした心地になることは、落ち着かないけれど嫌ではなくて。むしろ嬉しいとさえ思えて。
それがどうしてなのか、もうひかりは気付いていた。
甘くて。
柔らかくて。
愛おしくて。
それと同時に泣きそうになるほど苦しくて。
だけど手放してしまうことは絶対に出来ないと確信している。
そして
――帝が卒業する際に渡したカードに三文字付け足したことも。
借りたハンカチをどうして半年も返せなかったのかも。
帝に嫌われてしまったかもしれないと考えた時に胸が痛んだことも。
自分が抱く、帝への淡い想いを自覚したことではっきりとした理由が付けられる。
そしてこの想いは、一般的に好意と呼ばれるものであるということもひかりは理解していた。
「
……でもなぁ、あの青柳先輩だしなぁ」
ひかりの独り言は思考をふわふわとした夢心地から急に現実へと引き戻す。
帝は宝石が丘学園に在籍中、授業と仕事の合間を縫ってアルバイトをしていたというイメージが強く、ひかりが知る限りデートはおろか浮いた話の一つも聞いたことなどなかった。
それどころか恋愛をしている暇はないと帝自信がひかりへそう言ってのけた。
そのイメージが強く残っている為に、ひかりは帝とデートという組み合わせがどうにも想像できない。
単に予定が合う人間がいなかった、だからひかりに声をかけただけなのかもしれない。むしろその線が濃厚なんじゃないかとひかりは考えてしまう。
誘ってもらえて嬉しいのは本当だ。
わくわくとドキドキが入り混じった精神状態であることも本当だ。
けれどこれは自分だけが抱いているもので、帝からしてみればそんな意図はなく、招待チケットが勿体ないから、ほかに適当に誘う人間がいなかったから、たまたま声をかけただけなのかもしれない。
浮かれた気持ちで行って、当日に勘違いで恥ずかしくなるくらいならこの気持ちは心の奥底へとしまい込んでしまった方がいい。
そう自分に言い聞かせて、ひかりは甘くなりそうな思考を無理矢理振り払った。
それから何度かメッセージのやり取りを重ね、日程と待ち合わせ場所と時刻を決めると時の流れは驚くほど早く流れ、いよいよ約束した当日が訪れた。
デートではないと自分に言い聞かせはしたものの、やはりというべきかどうしてもその意識は抜けず、一応それとなくおしゃれをし、化粧もいつもより丁寧にしてひかりは家を出た。
そうして待ち合わせ時刻よりも二十分早く到着し、現在に至っている。
足元がふわふわとしているし、待ち合わせ場所に到着してからというもの、鼓動は早くなるばかりだ。
「デートじゃない。デートじゃない」
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、心を落ち着けようと何度目かの深呼吸の後、待ち人はやって来る。
「すまん! 待ったよな?」
慌てたように駆けてくる帝を視界に収め、ひかりは「いえ、私も今来たところです」と返す。
今日の帝の服装は以前立夏が一式見立てたものを着ている。
着慣れたダークトーンの服にしようか迷ったが、せっかくのデートなのだし、ひかりにも似合うと言ってもらえたのだからとこの服を選んだ。
示し合わせたわけではないというのに、偶然服の色合いが同じになったことに帝も、そしてひかりも驚く。
「なんだかリンクコーデみたいですね」
「みたいというかそのものだな」
「お互い示し合わせたわけでもないのに凄いですよね」
「そうだな」
互いに思っていることを率直に言っている為にその後が続かない。
少しの沈黙の後、どちらからともなくそれじゃあと入場口へと足を向ける。
道中も互いに何を話したらいいのかがわからなくて静かなもので。
若干の気まずさを感じながら歩く十数メートルは実距離よりも遠く思えて仕方がなかった。
帝がボディーバッグからチケットを取り出し、それを係員に差し出すと、笑みと共に半券とパンフレットが二組返ってくる。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
一組をひかりに渡し、半券を財布にしまうと帝はもらったパンフレットを開く。
敷地内は大きな公園をイメージしているのか緑と遊具、メインの館、そして館から少し離れたところにショップエリアがある。
館内は淡水展示エリア、海水展示エリア、海獣ショーエリア、館直結のレストランに分かれており、順路通りに行くならばまずは淡水展示エリアだが、見たいショーがあればそれを目指して早めに席取りをした方がいいのかもしれない。
もしくはショップの下見をして買いたいものの目星を先につけておくか。
どうしようか、と帝が悩んでいるとひかりが小さく声を上げる。
「あの、青柳先輩」
「ん?」
その声に帝はパンフレットから視線を上げ、それをすぐさまひかりへと落とす。
「どうかしたか?」
「ここって声優が館内音声を担当したっていう水族館ですよね?」
「ああ、そうだな」
「青柳先輩は参加されたんですか?」
「
――――、どっちだと思う?」
悪戯心から出た帝の問いにひかりはうーんと首を捻る。
どっちだろう、と本気で考えるその様子に緩く笑みを浮かべながら、帝は内心緊張しながらもひかりの手を取る。
「それじゃあ、答え合わせといこう」
自分よりも少し熱い手のひらはまだ尾を引く暑さのせいか。それとも
――。
頭の隅の方でそんなことを考えながら、二人の背中は館内へと吸い込まれていった。
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