riririnf
2024-12-06 20:50:47
3398文字
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水の都は今日も雨

ヌヴィフリ逃亡書いてみた②
プロローグ、ヌヴィレット視点。

「好きだ、ヌヴィレット!僕と付き合ってくれ!」
 フリーナが五百年に渡る役目から解放されて、二年目の秋のこと。
 大事な話があるからと呼び出された彼女の自宅で、ヌヴィレットは愛の告白を受けた。
 最初に感じたのは疑問だった。
 何故自分のようなつまらない男にと、その理由が分からなかった。
 けれども耳まで赤く染め上げて、震える肩に気付いてしまえば、拒絶の選択は浮かばなかった。
 その日一晩考え抜いて、誤想であろうと結論が出た。
 フリーナが人間として歩み出して、やっと二年目。慣れない環境の中抱えているであろう様々な感情を、恋情と置き換えて埋めようとしている。ヌヴィレットを選んだのは、数百年を共に過ごした甘えゆえ。
 そうと気付けば、とことん迄付き合おうと腹は決まった。期限は彼女が飽きるまで。彼女は聡い。ヌヴィレットが諭さずとも、いずれ自身の勘違いを悟るだろう。
 割り切ってしまえば、恋人という関係は悪くないものだった。街に出て買い物をしたり、外食をしたり、時折彼女の家に招かれたり。
 市場調査にもなるし、何よりフリーナが楽しそうであったから、自身の選択は間違っていなかったと自惚れた。
 考えが揺らいだのは、二ヶ月目のことだった。自身を見つめるフリーナの色違いの青い瞳が、眩いくらいに輝いているのを見た時だった。
 これは本当に勘違いであるのかと、そんな恐ろしい疑念を抱いてしまったことが、終わりの始まりだった。
 もし向けられる感情が、真実恋情であったなら。ヌヴィレットは同じものを返せない。恋情など、理解の外の感情だ。
 恋人という仮初の関係を軽く考えた、己の不実を悟ってしまった瞬間だった。
 三ヶ月目以降は罪悪感しかなかった。その頃彼女も何故だか少しよそよそしくなったので、これ幸いと仕事に逃げた。這い寄る恐れを振り払うように仕事に没頭した。
 そして恋人となって二年目の秋。久方振りの誘いがあった。この頃は殆ど会うこともなくなっていて、声が掛かって初めて、一ヶ月振りの逢瀬であると気が付いた。
 逢瀬の予定も内容も全てフリーナが決めていて、ヌヴィレットはただ従うだけだった。気の利いた提案など出来よう筈もなかったから、実に楽で有難いことだった。
 午後から歌劇場で待ち合わせて観劇し、言葉少なに浜辺を歩いて、日が暮れる前には帰路に着く。そんな流れが常例になったのは、いつからだったか。
「別れよう、ヌヴィレット」
 疑問の答えも出ない中、静かに別れを告げられた。
……理由を聞いても?」
 驚きはしなかった。問いかけながらも理解していた。仕事にかまけてばかりの不精な男など、愛想を尽かされて当然だ。遂にその日が来たのかと、安堵をすら覚えていた。
「だってキミ、僕のこと、別に好きじゃないだろう」
 次の言葉は衝撃だった。
 取り繕うことも出来なかった。無言の白状に、可憐な顏がフ、と歪んだ。
「キミは優しいから、僕を傷付けたくなくて、今日まで僕に合わせていてくれたんだろう?」
 見抜かれていた。己の不実を。卑怯な行いを、全て。
……すまない」
 澄み渡る海のように美しい青い瞳に、下等な男が映されることが忍びなく、視線を外した。
 求められても、嘘も言い訳も出来ない。
 そしてようやく思い出した。逢瀬の流れが定まったのは、恋人になって三ヶ月目を越えた辺りからだった。その頃から、買い物も外食も自宅への訪問もなくなった。
 短い時間でヌヴィレットが──ヌヴィレットだけが楽しめるようにプランが組まれていたのだと、悟りを得てしまった瞬間に、突き付けられた。
 フリーナを甘やかしているような気になって、その実甘やかされていたのはヌヴィレットの方であったのだと。
「別れのキスのひとつくらい、くれてもいいんじゃないのかい」
 彼女の真意が読めないながらも、応えるべきだと言い聞かせた。甘やかされてばかりの男に出来る、唯一の償いだと思われた。
 硝子細工に触れるような心地で、真白の頬に手を添える。ゆっくりと顔を近づけた。
…………ダメだよ」
 いよいよ薄紅色の唇に届こうかという時、それとは異なる感触に遮られた。
 男性体の自分とは異なる、柔らかで細い指。
「好きでもない女に、キスなんてするものじゃない」
 有難くも耳に痛い授業だった。謝罪の仕方まで言われるがまま従うだけで、己の頭で考えようともしない愚鈍者だと、胸の深くに突き刺さった。
「じゃあね、ヌヴィレット。機会があったら、また会おう」
 後を追うことなど、待てと声を掛けることなど、そんな資格などある筈もない。
 この胸の痛みは何なのか。きっと探ってはいけないものだ。ヌヴィレットは直感に伴う警告に従った。
 彼女から望んでくれなければ、一歩足を動かすことすら出来ない情けない男なのだと、ヌヴィレット自身初めて知った。
 結局彼女の想いは真実恋情だったのか。答えの分かりきった問い。それに向き合う勇気すら。

◇◆◇◆

 フリーナに別れを告げられてから、一週間が経った頃。彼女がフォンテーヌを出たことを知らされた。
 話を振ってきたクロリンデは、聞いていなかったんですか、と気の毒な程に驚いた顔をした。聞けば、別れ話をした次の日には旅立ったらしい。行先をお教えしましょうか、と少しの逡巡の末に発された申し出は断った。
 一時の衝動などではなく、緻密に練られた計画的な行動であることは明白だった。
 自分だけに伝えられていないこと。それは間違いなく意図的で、つまりは追ってくれるなというメッセージであるのだと、ヌヴィレットは正しく読み解いた。
 ならば選ぶはあの日の浜辺と同じこと。追わない。追える訳がない。そんな資格はない。
 けれどもフリーナの出奔を知ったその後は全く仕事にならず、やむなく休暇届を提出した。
 以前なら彼女に出すものだった。今はヌヴィレット自身が承認の印を押す。それだけ。それだけで済んでしまう。
 今更な事実を復唱した思考回路。振り払うように外に出た。
 あてどなく歩く。
 あの店は、以前フリーナと立ち寄った雑貨屋。使い途の分からない全自動伸縮式のナイフとフォークを衝動買いして、可笑しそうに笑っていた。
 この店は、個室があるのが便利だからと、何度かフリーナと通った大衆向けのビストロ。隠れた名店だと満足そうに舌鼓を打っていた。
 先日のフリーナ様の舞台は素晴らしかった、フリーナさんがこの間子供を撫でてくれた、と彼女の名前がそこかしこから聞こえてくる。
 気付けばヴァザーリ回廊まで来ていた。何度か招かれたアパルトマン。部屋の灯りは消えている。今はもう、誰もいない。

 ……もう、会えない。

 ずしりと身体が重たくなった。喪失の事実が伸し掛かってきた。
 ぱたぱたと雫が石畳を打つ音がして、人々が屋根下へと消えていく。
 しとしとと静寂の満ちる空間の中、秋風になびくかの人の姿が浮かんだ。
 あの日の心情を問うことは、もう出来ない。もう二度と、理解の機会は与えられない。
 切なげな微笑みの裏側も、微かに震えていた指先の意味も、触れることさえ赦されなかった唇の感触も。
………………
 知らず人差し指を自らの唇に添えていた。
 あの日、薄く色付く小ぶりな唇の温度を知りたかったのだと、今更ながらに気が付いた。
 そして生憎と、その感情が示す意味が分からない程、暗愚にはなりきれなかった。
 気付いた時にはもう遅い?──否、逆だ。
 もしも、もっと早くに気付いていたら。あの日の浜辺で、気付いていたら。
 自分本位に駆け出して、華奢な身体を腕に閉じ込めてしまっていただろう。
 己の欲の赴くままに、唇の温度を求めただろう。
 ヌヴィレットは罪人だ。彼女の真心を信じなかった。散々不実を働いた。どうしようもなく罪を重ねた。
 愚かで救いようのない罪人に、艶やかな甘露を味わう資格など、あろう筈がない。
 気付きは今で、よかったのだ。

 フォンテーヌ廷に雨が降る。 
 ざあざあと落ちる雫に支配された街は、ヌヴィレットにとっての癒しの空間だ。身を委ねることこそが、水龍としての在るべき姿だ。その筈だ。
 なのに、どうして。

 ──どうしてこんなに、息が出来ない。