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溶けかけ。
2024-12-05 19:21:29
2916文字
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ほぼ日刊
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影踏み鬼
ヌヴィレットガチ勢の女性と入れ替わられてしまったフリーナと姿が変わってもフリーナが判るヌヴィレットのお話。
入れ替わり、という言葉を聞いたことがあるだろうか?
小説や舞台の題材としては使い古された部類に入る。だからといって、現実に起こるとは思わないだろう。それも自身が当事者になるなんて夢にも思わなかった。
「フフフッ
……
あははは
……
」
女は手を結んで、開いてを繰り返す。何十回、いや、何百回失敗したのか分からないが遂にやり遂げたのだ。小さく華奢な手に、コルセットで締めたのかと思うほど細い腰。白い柔肌にはシミ一つなく、鏡合わせの瞳は宝石のようにきらきらと輝いている。────女は今、フォンテーヌの大スター、フリーナ・ドゥ・フォンテーヌになったのだ。
「お前たちのご主人様がどうなってもいいの?」
異変を感じた彼女の従者たちが現れて、臨戦態勢に入る。誰も彼も皆、目を三角に吊り上げ、女を睨みつけていた。
女はドレッサーから髪切鋏を取り出すと自身の──フリーナの首元に突きつけた。
「私は死んで体に戻るでしょう。でも戻ったお前たちのご主人様がどうなるかくらい
……
賢いお前たちなら分かるわよね?」
にたり、と女はフリーナの顔で不気味に笑んだ。サロンメンバーは顔を見合わせると悔しそうにしながらその姿を消した。
「フンッ
……
所詮は原海アベラントの模造品ね」
女は鼻を鳴らすと、もう一度鏡の前に立つ。ああ、羨ましい。妬ましい。あのお方の側にいられる唯一の人。小さくて、弱くて、煩いだけの癖して当たり前のようにあの方に大切にされて。
「今日から私がフリーナ様。大丈夫ですよ。あなたの体も、立場も私がちゃあんと有効活用致しますから」
まずはあのお方に会いに行こう。きっと、快く受け入れてくれるはずだ。
明日が待ち遠しい──女は愉快な気持ちになりながら、眠りについた。
こんな筈ではなかった。
女は自身の上に覆いかぶさるヌヴィレットを見上げながら思った。
「君は何者だ。その身体はフリーナ殿のものだが、中身は別人だろう?」
朝焼け色の瞳が訝しげに細められる。女が鞄の中からナイフを取り出そうとして、その腕を掴まれた。ミシミシと骨が軋む音がした。
「質問に答えてもらおう」
「身体はフリーナ様のものだと分かっていながら、ずいぶんと乱暴なことをなさるんですね」
「彼女はこれくらいのことで怒る人ではないのでな。君の危険性を説けば、多少の傷くらい笑って許すだろう
……
」
ヌヴィレットの瞳に浮かぶのは信頼。それと、少しの優越感。女はその瞳をよく知っていた。だって、ずっと彼だけを見つめてきたのだから。
「絶対、いや!」
「待て!」
女は火事場の馬鹿力もかくや、という力で拘束を抜け出すと、ナイフを取り出して、首に突き立てて線を引いた。
たらり、とフリーナの首から、鮮血が流れる。幸い、深くはなさそうだが、油断は禁物だ。
「ヌヴィレット様、取引をしましょう」
「取引、だと
……
?」
女は頷く。
まさか、フリーナのことでこの男が取り乱すなど思っても見なかったのだ。女の苛立ちは募る一方だが、フリーナを逆手に取れば、ヌヴィレットでさえ、言う事を聞かせることが出来るのだ。
「私以外、私の正体を知る者はいません
……
つまり、フリーナ様の生殺与奪は私が握っているんです。それが分からないヌヴィレット様ではないでしょう?」
ヌヴィレットが苦々しげに頷く。この世の全てを支配した気分になりながら女は歌うようにして述べる。
「私の恋人になってくださいませ。期限は無期限。私が貴方に飽きるまで。少しでも変な真似をすればその時は────」
「その時は?」
ヌヴィレットが唾液を飲み込む。
「フリーナ様ごと私の体を殺します」
女は穏やかな瞳で言った。凪いだ湖水のような雰囲気とは裏腹に言っていることは狂人であることには変わりがない。つまり、ヌヴィレットは既に詰んでいたのだ。フリーナを人質に取られたその時から。
「
…………
分かった。君の要求を飲もう。ただし、君と私が恋人である間、フリーナ殿を害することなど絶対にしないと約束してくれ」
なんとも上手く事が運ぶものだと女は内心、小躍りをした。口元が緩んでしまうのは仕方ない。
「ええ、ええ! お約束致しましょう!」
「号外、号外だよー! なんと、あのヌヴィレット様とフリーナ様の交際がスタートだ!」
「お兄さん一部おくれ」
「おう、にぃちゃん、こっちにも」
「はいはい! 忙しくて困っちまうな〜」
新聞屋の男が号外を配る。その肩を一人の女性が叩いた。
「すみません、一部」
「はいはい〜!
……
っ!?」
女性は美人だった。いや、美人というには顔つきは平凡なのだが、一度見たら忘れられない女性だった。
恐らく、メイクや服のセンスが良いのだろう。磨かれた爪には気品があり、指先の動き一つとっても計算され尽くしていることがわかる。よく手入れされた栗色の髪は緩く巻かれ、太陽の光を反射してぴかぴかと輝いていた。
「あの
……
何か?」
女性が小首を傾げる。男は見惚れていた自分が恥ずかしくなりながら、慌てて号外を手渡した。
「ありがとう」
花が綻ぶように笑う姿すら絵になる。彼女に見惚れていたのは何も彼だけではなかった。
「それでは、ごきげんよう」
女性は仄かにレインボーローズの香りを残しながら去って行った。その後ろで彼女を見つめる瞳があったことにも気付かずに──。
「待て」
背後から自身を呼び止める声に女性は足を止めた。
「
……
最高審判官様が私に何かご用でしょうか?」
振り返ってはいけない。彼ならばすぐに気づいてしまうかもしれないから。
「君は、フリーナ殿だろう?」
ああ、やっぱりキミには気付かれてしまうのか。
フリーナは目を閉じて心を落ち着かせる。
「
……
ふふっ。面白いことを仰いますのね。私がフリーナ様だなんて。フリーナ様に怒られてしまいますわ」
「冗談はそこまでにしたまえ。フリーナ」
ヌヴィレットが女性の肩を掴んで体ごと彼の方へと向かせる。見慣れぬ栗色の瞳がヌヴィレットを睨めつけた。
「最高審判官様が一市民にこんな乱暴を働いてもいいと思っていらっしゃるのですか? 今、私が大声で叫べば、貴方の方が不利だと思うのですが?」
「役になりきる
……
か。相変わらず厄介だな、君の演技は。紳士として、マナーには反するが仕方ない。今だけは私の話を聞いてもらわねばならないのでな。多少の乱暴は多目に見てくれ。私にこの選択をさせたのは君なのでな」
ヌヴィレットはフリーナの口を手で塞ぐ。怯える瞳に罪悪感を覚えつつ、彼女にこの一ヶ月間に起こったことを話した。幸いなことに、フリーナはその話を黙って聞いてくれていた。
「これが、私の話だ。次は君の
……
っ!?」
口を塞いでいた手に痛みが走り、思わず手を離す。その隙をついて、フリーナは走り去ってしまった。
「逃がしたか
……
だが、彼女の今の姿が分かっただけでも収穫はあった」
絶対に、彼女を元の体に戻す。姿は記憶した。
あとは最高審判官の立場を利用して、彼女の正体に迫るだけだ。
偽物のフリーナに気付かれないように。
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