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千代里
2024-12-05 08:34:49
13257文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その17
口を開くと、ふわと湧き出る白い煙。ドラゴン族の息吹を思わせるそれが、ノエの視界を掠めて冷えた空気の中に溶けていく。
夜を経て、朝を迎えるまでの薄暮の時間、街は夜の間に冷え込んだ冷気を抱えて、早起きをした人びとを出迎える。
一歩踏み出すのすら躊躇うような寒気だが、イシュガルドでの日々を続けていたせいだろうか。いつのまにか、ノエはこの冷気すらも、日常の一つとして受け止められるようになっていた。
昨晩、子供のようにふざけ合ったおかげで、いくらか気鬱を紛らわせてから眠りにつけた。だが、おかげで体に興奮の残滓が残っていたのか、ノエは明け方の間もない時間に目を覚ましてしまった。
寝直す気分にもなれず、彼はそのまま起きて階下から外へと顔を出したのだった。もちろん、冷気を凌ぐための上着も忘れてはいない。分厚い毛皮から作られた上着であるというのに、冷たい空気は隙間風のようにノエの体へと入り込んでくる。
「時間もあることだし、少し散歩でもしておこうかな
……
」
思えば、この街に来てから一人きりの時間はなかなか得られなかった。
皆といるのが煩わしいと思っているわけではないが、一人きりで考える時間が欲しいと思っているのも本音だ。
考えなければならないことは、今やノエの中では小高い山のようになって聳えている。
オデットの記憶探しをいつまで続けるのか。どこで区切りをつけるのか。仲間たちには、いつまで旅に付き合ってもらうのか。
イシュガルドに残る決意を変えるつもりはないが、それならばオデットはノエの決定をどう受け止めるのか。そして、オデットが出した結論にノエはどのような答えを返すのか。
(
……
気がつけば、オデットのことばかり考えてしまっているな)
自分でも思わず苦笑してしまうほどに、ノエの頭の中は共に歩いてきた少女のことでいっぱいだった。
オデットが何を思い、どう感じるのか。彼女の未来に、自分はどのような形で寄り添いたいのか。
オデットの存在から始まった思索の数々が、昨日からノエの思考の殆どを占めてしまっている。
「いつからだろうな。君は、僕の中にこんなにもたくさんの場所を作っていたみたいだ」
師匠でもあったウヴィルトータよりも、共にいた時間は短いはず。なのに、気がつけばノエの目はオデットの姿を、声を探してしまう。
彼女に幸せでいてくれと願う気持ちは、知らない子供の幸せを祈る気持ちよりも、きっと形も重さも違う。
できるなら、これからも一緒にいたい。共に二人で笑っていられる日々が永遠に続くことを祈ってしまう。
だが、その祈りは、かつてイシュガルドにいたオデットを守ってくれていた誰かから彼女を横取りすることで成立する。
ノエは、その可能性を考えるたびに自問してしまう。果たして、それでいいのか、と。
(結局、それも僕の中にある『常識』に従ってるに過ぎないのだろうけれど)
だからこそ、ミラベルの言葉はノエにあれほど深く突き刺さった。
ノエの行動指針は、世間一般と呼ばれる他者が構築した『良識』を根拠にしたものだ。そんなものに従って何の意味があるのか、と言われて、ノエは返す言葉を見つけられなかった。
だが、今ならこうも思う。
「
……
僕にとって、良識を守るっていうのも大事なことなんだ。それを破って生き続けるような自分を、僕はきっと認められなくなる」
以前、帝国軍に捕虜となったときも思ったことだ。一つを許せば、それは二つに増え、最後にはすべてとなる。守りたいと思った自分の中の掟を無視する己は、きっととても醜い。
「それに、そんな風に自侭に生きる僕を見たら、オデットも幻滅してしまうだろう」
飛竜の後を追いかけるとノエが言い出した時、オデットがかけてくれた言葉を思い出す。
もし、ノエが他人のために命を賭けられるような人だからこそ、その姿をオデットは受け入れてくれたのだ。
仕方ないですね、と困ったように笑う顔は、ノエのわがままを許すものであった。だが、そのわがままは誰かのためのものだから赦されたのだ。
もし、ノエが我欲のために行動した時、果たしてオデットはどんな顔をして、どんな言葉を発するのだろうか。それを知りたいようにも思うし、一生知らずにいたいと願う気持ちもある。
相反する答えのない問答を続けていると、
「ノエ?」
不意に声をかけられ、ノエは思わずそちらへと顔を向ける。気がつけば、随分と宿から歩いていたらしい。周囲の景色を見たところ、昨日訪れたヒューイの薬屋の近くまでやってきてしまったようだ。
そして、ノエに声をかけてきたのは、見覚えのあるルビーの瞳と雪のような白髪の少女だった。
「ゲルダさん、ですか?」
「うん。やっぱりノエだ」
ぎゅ、ぎゅと雪を踏み締めて、ノエに近づくゲルダ。彼女はノエの元に駆け寄ると「おはよう」と挨拶の言葉を述べた。
「朝から散歩ですか」
「それもあるし、ヒューイがね。私の診察がしたいから、朝に来てくれって言われてたの」
「ヒューイさんが?」
元々、ゲルダはヒューイの患者だったという話だ。ゲルダの現在の境遇やそれに至った経緯こそ知らないようだったが、医師としてかつての患者の健康状態は気になるのだろう。
だが、なぜそれをゲルダだけに伝えたのだろうか。しかも、こんな早朝に。
ノエの中に芽生えた疑問の答えは、すぐにわかった。
「今日だったらいつでもいいって言われてたんだけど、皆は今日から騎士様とお出かけでしょ? だから、今のうちに行っておこうかなって」
これなら迷惑はかかるまいと、ゲルダはノエに笑いかけてみせる。その自然な表情の作り方は、出会った直後のゲルダにはなかったものだった。
「それもそうですね。朝早くでしたが、ヒューイさんは起きていたのですか?」
「うん。起きてたよ。昨日ね、二人きりで話をしていたときに薬をもらってたの。その効き目を見たかったんだって」
どうやら、ノエの知らない間にそんなやりとりをしていたらしい。ゲルダが服薬をしていたことも、ノエには初耳だった。
「それで、体の具合はどうだったのでしょうか。たしか、エーテルの流れが生まれつき少し人と違うという話でしたか」
「詳しいことは私もよくわからないけれど、ヒューイ曰く特に問題はないって。少し遠くに出かけるって話したら、帰ってきた時にまた顔を見せて欲しいって頼まれたよ」
「では、騎士団の仕事が終わったら、またここに来ましょう。どのみち、錬金薬も補充しなくてはいけないでしょうから」
「ヒューイから貰った薬もそうだけど、薬って何だか変な匂いがするものばっかりだよね。飲んでも美味しくないから、私はあまり飲みたくないなー」
市井の子供でも、病になったら錬金薬を飲むことはある。だが、過去の記憶がなく、ドラゴン族の母といた思い出ばかりが強く残っているゲルダは、錬金薬の味を知る機会がなかったようだ。
(それにしても、ゲルダさんも
……
随分と、ここ数日で振る舞いが変わったな)
改めて彼女と一対一で話して、ノエはゲルダの言動が出会った直後と比較すると、実に豊かになっていることに気がついた。
出会ったときは、緊張もあったのか、彼女の言動にはぎこちなさが目立った。表情も変化に乏しく、無表情でこそないものの、常に淡々とした振る舞いを心がけているかのように見えた。
(まるで、人形みたいな
……
っていうのは、失礼かもしれないけれど)
異端者のリーダーに振る舞いの指導をされていたということも、理由の一つなのだろう。竜と触れ合う機会が長かったゲルダは、人間らしい情動の表現方法が掴みきれないままに、自分がするべき振る舞いを押し付けられてしまったのだ。
異端者から離れたことで、ゲルダは指導された振る舞いも一度捨て去った。だが、今度は『自然な振る舞い』の作法がわからない状態に戻ってしまった。
オデットに出会って、自分と同じ年頃の彼女の様子を見る機会を得たゲルダは、どんな風に自身の情動を表現するべきかを漸く知れたのだろう。ノエは、ひとまず自分の中でそのように結論を出す。
「ねえ、ノエ。ノエは、またミラベルに会いに行くの?」
不意に、先程まで考えていたことを振られ、ノエは言葉に詰まってしまった。今、ミラベルのことを考えるのはオデットについて考えるも同義であり、それは終わりのない袋小路に迷い込むのと同じだったからだ。
「ミラベルって優しくて良い人だったね。私、司祭はみんな悪い人しかいないって思ってたから、びっくりしちゃった」
「確かに、ゲルダさんの目から見たら
……
そうだったかもしれませんね」
竜や異端者のそばにいた彼女にとって、司祭や教会に属する者とは仲間を害する敵であったに違いない。教会が竜との戦いを聖戦のように扱い、教義の一つにもしているのだから、ゲルダが彼らを敵対視してしまうのも自然なことだった。
「ミラベルさんは、孤児院の子供がいなくなったら、夜遅くになっても構わずに探すような、優しい心を持った方でしたね。街の人が長くここにいてほしいと願うのも、わかるような気がします」
そして、そのような高潔で心優しい人物がオデットの兄であるかもしれないのだ。そう思うと、ノエの心にはどんよりとした雲がかかってしまう。
ならば、自分はミラベルと比較できるような、良き兄としていられているだろうか。
己の感情は、彼のような高潔な貴人とは到底言い難い澱を孕んでいる。この腹の底に溜まる感情は、高潔とは程遠いものだ。
「でも、ミラベルが良い司祭なら、どうしてミラベルは嘘をついてたのかな。嘘をつくのは、悪い人だよね」
「
……
ミラベルさんが、嘘をつく?」
思索の泥を真っ二つにしような発言に、ノエは思わず瞳を何度か瞬かせる。
ゲルダは何か確信を持っているように、深く頷くと、
「ミラベルはね、ノエと話しているとき、ずーっとノエを見てたよ。なんだか、意地になって見ているみたいだった。本当は隠したいことがあるけど、顔に出したらバレちゃうから、ノエを睨むことで誤魔化そうとしているのかなって」
「それが、あの時のゲルダさんが感じたことだったのですか」
「うん。だって、ノエとミラベルの二人が話しているだけだったから、つまらなかったんだもの。オデットは、ずっと具合が悪そうだったし」
ゲルダは歯に衣着せぬ物言いをしたが、最近知り合っただけの人物が深刻な話をしていても、話の外側にいた彼女には楽しい時間ではなかっただろう。
しかし、当事者でなかったからこそ、気づけることもある。ゲルダは、ミラベルの挙動に不自然なところを感じ取っていたようだ。
「ミラベル司祭が、隠し事をしている
……
。それは、どの話のときのことでしたか」
「最初から警戒している感じではあったけれど
……
特にはっきり分かったのは、オデットがミラベルがお兄さんだよって言い出した後からだったよ」
「じゃあ、やっぱり
……
そう、なんだろうか」
ノエの言葉は、ゲルダへの返答ではなく、半ば独り言のようであった。
やはり、ミラベルはオデットの兄であった過去を隠しているのだろうか。しかし、それが事実ならなぜそんなことを。
(サルヒさんが言っていたように、思い出すのも辛い過去を封じたままにするために?)
雪崩の中に置き去りにしてしまった、というオデットの後悔を慰めるためか。
それともイシュガルドにオデットが長く滞在するのは危ないと思い、彼女が未練を断ちやすくするためか。
どちらにせよ、彼がついた嘘はオデットを守るためであった可能性が高い。そして、それは今のノエの中にある執着とは、真逆のものだ。
「ミラベルのごまかしはね、悪い感じのするごまかしじゃなかったの。前に会った悪い司祭は、嫌な誤魔化しの笑い方をしてたから、すぐにこの人は信じちゃいけないなって分かったんだ」
落ち込むノエをよそに、ゲルダは軽快な声音のまま、会話を続けている。彼女が蹴り上げた雪がぱっと散り、一瞬雪煙の花を咲かせる。
「そしたら、その悪い司祭さんったら、竜の血を飲んだ人を異端者として処刑するって話を得意げに話し始めたんだよ。あの時は知らなかったけど、ノエたちが助けてくれた人を、あの人は異端者だって異端審問官に差し出そうとしてたの。そんなことをしたら、全部台無しになっちゃうって思って
――
」
「
……
え?」
ゲルダのお喋りの中に急に自分の名前が登場して、ノエは強制的に思考を現実へと引き戻す。ノエが守った者の中で竜の血を飲んだ者など、考えられるのは一つしかない。
「それは、もしかして、コーディさんたちのこと
……
ですか?」
果たして、ゲルダは頷いた。
竜の血を飲まされたものの、まだ完全に竜にはなっていなかった人たち。街にやってきたばかりの司祭たちは、彼らの存在を知ると、彼らを異端者として突き出そうと画策した。
それを止めるため、一人の少年が自ら竜になってまで司祭たちを殺そうとした。その末に
――
ノエは竜となり、我を忘れた一人の少年を殺めることになった。
「確かに、あの後、生き残った司祭様は皇都から異端審問官を連れてくると言って街を去って行かれたそうですが
……
」
「じゃあ、その途中で私に出会ったんだね。私も、あの街の方角から来ていた人がどんな人か気になってたんだ」
ゲルダもまた、竜のランドンに協力する一件が片付いた後、異端者たちと共に移動を開始していた。その途中、街道を警備していた騎士団に目をつけられ、ゲルダは彼らの衝突に巻き込まれた。
一時的に争いの場から逃げるため、彼女は単身、街道で立ち往生しているチョコボ車たちの元へとやってきた。旅装の少女が一人紛れ込んだところで、人々は特に気に留めもしない。ほとぼりが冷めるまで、人間の集団に隠れていようと考えたのだ。
その立ち往生をしている人々の中に、司祭がいると聞いて、彼女は異端者を追い回す騎士の目を逸らす機会が訪れたと考えた。
「私と一緒にいた人たちは、教会の連中は卑劣な上に私腹を満たすことしか考えていないペテン師だって話していた。実際、異端審問だって言われて、全く竜と関係のない家族を攫われたって話していた人もいた」
ゲルダにとって、司祭は仲間を傷つける悪の組織の手先に過ぎなかった。しかも、それだけではない。
「お母さんも、教会の人に大事な仲間を殺されたって言ってた。だから、司祭は私の敵。敵だけど
……
敵だからこそ知っていることもあるかと思って、彼に近づいたの」
もしかしたら、山に残してきたコーディたちのことが、街で噂になっているかもしれない。あの街から来た司祭なら何か知っているかもしれないと、ゲルダは一縷の期待を抱いた。
だが、悪の司祭はコーディたちを異端審問にかけるつもりだと語るではないか。
「
……
それで、彼はそのまま皇都に向かったのですか」
コーディたちの身柄については、ノエの父が請け負ってくれた。今更焦ったところでどうしようもないと分かっていても、ノエの中でじわりと焦燥が生まれる。
だが、ノエの危惧に反して、ゲルダはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。竜の血を飲んじゃったから、多分今頃はあの人が異端審問官に異端者だって言われているんじゃないかな?」
「
……
竜の血を、飲んだ? 司祭様が?」
どうして、とノエの中で疑問が湧き上がる。
もっとも竜を忌み嫌う存在でもあるはずの司祭が、なぜそのような真似をしたのか。
その答えは、すぐに分かった。
「私が、飲み物に混ぜておいたの。外から聞こえるぐらいに威張り散らしている人だったし、敵を見かけたらやられる前にやってしまえって、リーダーもお母さんも言っていた。私も、私のお母さんやお母さんの友達を虐める人は嫌いだもの」
「なぜ、そんな
……
あなたは、血をコーディさんたちに飲ませたことを後悔していたのでありませんか!?」
「うん。後悔したよ。ごめんなさいって、今でも思ってる」
信じられないと言わんばかりのノエの声にすら、ゲルダは動じる様子を見せない。
「でも、あの人は、私が大事にしたい人たちを虐める人だったから」
まるで、なぜ太陽が上るのかと聞かれでもしたかのように、ゲルダはさらりと返した。
特段悪ぶっているわけでもなければ、罪悪感に押しつぶされそうになっているわけでもない。かといって、他者への非道に対して、異常なまでに無感動になっているわけでもない。
その証拠に、自然に返したつもりでも、ゲルダの声音はわずかではあれど、先ほどよりもほんの少しだけ上擦っていた。
「コーディみたいに街から攫ってきた人は、何か悪いことをしようとしていたわけじゃない。一方的にリーダーたちが攫ってきて、竜の血を飲ませた。私は、あの人たちが竜の血を飲むせいで、これまで大事にしていたものが全部壊されてしまうって知らなかった」
以前説明したことと同じ内容を、ゲルダは改めて繰り返す。
「知らなかったから、責められたり怒られたりしたとき、間違っているんだって分かった。同じことはしたくないって決めた。でもね。それは、もう今度から、誰にも竜の血を飲ませないってことじゃないの」
ゲルダは一歩、ノエへと近づく。
「竜の血を飲んだら何が起きるか、分かった上で行動する。司祭の人に飲ませたときは、そこまできちんと考えられていなかったかもしれないけれど、少なくとも今の私はそう思ってる」
すなわち、自分は同じ状態に置かれたなら、同様に再び竜の血を飲ませるだろうと彼女は言いたいのだ。
「私自身や、私の友達に何かしたわけでもない人に、竜の血を飲ませるようなことはしたくない。だから、私は異端者の人たちから離れた。これは、本当だよ」
「
……
代わりに、あなたの知り合いやあなたに危害を加えるような相手ならば、竜の血を飲ませてもいい。そういうことですか」
「うん。その時の私にとって、司祭は皆、竜をいじめる悪い人だったから。機会があるなら、先手を打ってやっつけないと。異端者なんてさっさと殺してしまえ、って声も聞こえていたからね」
たとえ、相手がコーディたちを追い詰めようとしている司祭でなかったとしても、竜の血を飲ませる結末は変わらなかった。ゲルダは、そう締め括った。
「ですが、もし
……
そうです、もし、ミラベルさんのように、人々のために尽くす善良な方だったら、あなたはまた過ちを犯すところだったのではありませんか」
「うん、そうだったね。だから、司祭にも優しい人がいるんだって今日知ることができて、よかったなあって思ってるの」
これもまた、ゲルダにとっては知見を広める機会の一つであった。ゲルダは、今回の邂逅をそう受け取っていたようだった。
しかし、ノエの表情は変わらずに暗い。驚きを通り越し、彼は決して相容れない不倶戴天の敵と相対したかのように、ゲルダを見つめている。
「
……
コーディさんたちを守るために行動してくれたことは、僕も嬉しく思います。ですが、僕はあなたの選択を手放しで受け入れることはできない」
「そう? うーん、別に受け入れてほしいわけじゃないから、それはそれでいいんだけど。でも、それなら、ノエならどうしていたの?」
特段、褒めてほしいと考えていたわけでもないので、ゲルダは怒ったり悲しんだりするようなそぶりは見せなかった。それでも、彼女は不思議そうな表情を隠さずにノエを見つめていた。
「僕なら、
……
きちんと、司祭様を引き留めるための言葉を探します。根回しをします。そうすれば」
「ねえ、ノエ。あのおじさんは、私がノエみたいに話をしようとしても、聞いてくれなかったと思うよ」
ゲルダはずいとノエに近づき、下から覗き込むようにして、
「あの人は、私をどうやって好きなように扱おうかなって顔をしてた」
迂遠な言い回しをしていても、ノエもすぐに分かった。司祭がゲルダに見せたという顔
――
そこに隠れひそむ相手の願望に、ノエは反射的に顔を歪めてしまった。
そこに追い打ちをかけるかの如く、ゲルダは言う。
「私は武器を持っていなかったし、扱えるほどに器用でもない。ノエや他の皆みたいに、魔法も使えない。戦うために鍛えてもいない。私の仲間は、皆そろってお尋ね者だった。そして、コーディたちを虐めるんだって宣言する人が目の前にいる」
ノエも想像してみる。
力もなく、権力もなく、剣を扱う才もない自分。それは、かつて、異端者の血縁として異端審問官に引き渡されたときの自分だ。
そのとき、司祭たちや審問官は自分の声に耳を貸してくれたか。彼らの力に、自分は抗うことはできたか。
待っていた結末は、異端審問と称して突き落とされた奈落だけだった。
「だから、私は私が使える唯一の武器を使うことにした。ノエは、その選択が間違っているって思う?」
「それは
……
」
間違っている。
真っ先に、そう思う気持ちはある。自分は、彼女の考えを肯定するわけにはいかないと。その考えが透けて伝わったのか、ゲルダはルビーのような瞳を細めて、
「うん。ノエならそう思うんだろうね。でも、それなら」
ぎゅ、と雪を踏み締める音が響く。
「
――
ノエのいう正しいって、何?」
コーディたちの平穏な暮らしを守れずに、司祭を野放しにしておくことが正しいことなのか。戦う力を持たない人が、唯一隠し持っていた刃で、自分の大事な人を守るために立ち向かうことは、間違っているのか。
「ノエを見てるとね、ノエはすごく優しくて、お母さんの次ぐらいに好きになれる人だなって思う。オデットがね、いっぱいノエのことを話してくれる理由もわかるな」
「オデットが、僕のことを?」
「ノエは強くて、誰かのために剣をとれる人で、いつも一生懸命な自慢の兄さんだって。昨日も、いっぱいお話ししてくれたんだよ」
思いがけなく、オデットからの賞賛をゲルダ伝いに聞かされ、ノエは反応に迷う。
今までなら、素直に照れ臭く思うだけで済んでいただろう。しかし、自分の我欲でオデットを振り回しそうになっていることを自覚した今、オデットの賞賛は過分な評価に聞こえてしまう。
「だけどね。私、ノエを見ていると、ちょっと苦しそうだなーって思うの」
「
……
僕が、苦しそう?」
「うん。さっきも、コーディを守りたいって気持ちと、司祭様に意地悪をするのはダメって気持ちが一緒に並んじゃって、私のことを怒るべきかどうかって悩んでいたでしょ。まるで、自分の首に縄をかけて、自分で両側から引っ張っているみたい」
自分で自分の首を絞めていると自覚しながらも、止められずにいる。そんな風に、ゲルダはノエの振る舞いを受け止めていた。
ゲルダはノエの手をとり、手袋に包まれた自分より大きなそれを両手で包む。
「ノエは、私よりもずっと難しいことを考えている人なんだろうね。私は、自分がそうしたいって思うことをやった後に、ノエみたいに『それってやっちゃ駄目だったんじゃなのか』って悩んだりしないから」
ゲルダがコーディたちに血を飲ませたことを反省したのは、自分の望みがあくまで他人由来だったからだ。深い考えがそこになかったと、ゲルダ自身がそう思ったからだ。
自らが率先してその願いを思いつき、ゲルダが心底から最善の選択をしたと思っていたのなら、ひょっとしたらゲルダはまだ異端者の中にいたかもしれない。
「でも、ノエはもうちょっと、やりたいことをしている自分を見てあげた方がいいんじゃないかな。オデットの話と、今のノエの様子を見てたら、そう思ったんだ」
ゲルダはノエの手を放し、ぽんぽんと彼の胸の辺りを叩く。そこに、ノエが耳を傾けるべき心があると言うかのように。
「オデットも言っていたよ。前ほどではないけれど、やっぱり兄さんは全部自分の気持ちを抱えようとしちゃうところがあるって」
「
……
それを言われると弱いな」
「だから、ミラベルさんのこと、あまり好きじゃないって思っているのなら、そんなノエの心にもノエは耳を傾けてあげたら?」
ノエ自身、見ないようにしていた自分の側面を飾らない言葉で形にされて、彼は唇を強く引き結んだ。
「
……
ミラベルさんのことが嫌いだなんて、そんな」
「だって、ノエ。ミラベルさんの話をするたび、ちょっと嫌そうな顔をしてるもの」
表情の変化にめざといゲルダは、ノエの誤魔化しを受け取ってくれなかった。
それに、そんなことはないと言おうとすればするほど、それを否定する自分が「嘘をつくな」と意地悪なことを言う。
「
……
認めたくないんだ。そんな、自分の個人的な感情で誰かを嫌いになる、なんて」
コーディやグレンを攻撃した司祭たちとは違う。自分の立場を守るためとはいえ、ノエを家から追放したベルナールとも異なる。
ミラベルは、ノエの見る限り善良な司祭だ。子供たちの安寧を祈り、人手不足の孤児院のために滞在期間を延ばすほどの善なる心を持っている。
突然訪れたノエたちにも、嫌な顔を見せずに良識的な助言までくれた。
そんな彼を、オデットが兄と呼んだという理由だけで嫌うなんて。
お前さえいなければ、オデットはずっと自分の元にいてくれるのになどと、思うなどというのは。
「
……
そんな風に、自分の個人的な感情だけで、良き振る舞いをしている人のことを嫌うのは間違ってる」
正しくない、とノエは言う。
それは、かつてノエ自身を縛っていた正しさという名の錘に似ていると、ノエ自身気がついていたけれど、簡単に振り解けはしなかった。
「私は、私が嫌いだなと思う人は、誰が何を言おうと嫌いになっちゃうな。それに、逆の場合も同じことが言えるもの」
「例の、あなたが血を飲ませた司祭様のことですか」
「その人もそうだけど、一番はお母さんのことだよ」
ゲルダの発言に、ノエは自分の迂闊さを呪った。
ゲルダは、竜を母と呼んで慕う娘なのだ。イシュガルドという同じ土地で生きる人々が、自分の愛する者を敵であると罵る姿を、彼女は外の世界を知ってすぐに思い知らされたのだ。
ノエのように迷う余裕すらない。彼女は、最初から誰に何を言われようと母を愛する選択をしなければならなかった。
そうでなければ、母を裏切り、母を愛する自分自身を裏切ることになってしまうから。
「私が、周りの人と同じようにお母さんのことを嫌いになるなんて、あり得なかったもの。だって、他の人のことはよく知らなくても、私はお母さんのことは知ってたから。同じ理由で、たった一つでも嫌いな理由があるなら、私はやっぱり誰が何と言っても嫌いになっちゃうかな」
だから、血を飲ませたことを後悔をしていない。彼女は、きっぱりと過去の選択を肯定した。
竜に変じたグレンの死をいつまでも引きずり、今も己の行動をどんな形で整理するべきか悩んでいるノエとは、また異なる考え方だ。
「ノエがどうするかは、ノエが決めることだけど、オデットをあまり悲しい顔にさせないでね。私、オデットがノエの話をする時の笑顔が好きなのに、昨日からはずっと困ったような顔になってるんだもの」
「
……
すみません」
「私に謝らなくても良いよ。謝るなら、ほら。あっちのオデットにしてあげて」
ゲルダが指さした方向につられて振り返り、ノエはぎょっとする。その先には、確かに彼女の言う通り、オデットがこちらを見つめたまま、立ち尽くしていた。
ノエが振り返ったのに気がつくと、彼女は何か気まずそうに視線を逸らしてから、急に踵を返して駆け出してしまった。あの方角は、恐らくは宿に向かったのだろう。
「オデット
……
!」
「ノエはオデットの方に行っていいよ。私、まだ外にいるから」
「ゲルダさんは、戻らないんですか」
「私は、もう少しお母さんの声が聞こえるか待ってみる」
そもそも、ゲルダは母と合流するまでの期間、ノエたちと行動をするという話だったのだ。彼女は周りの目があるからこそ、あえて口にはしていないが、今も母を思う気持ちは忘れていない。
(僕は自分のことで頭がいっぱいで、ゲルダさんの気持ちにもちゃんと気づけていなかった
……
)
ノエは申し訳ない気持ちも含めて、一度彼女に頭を下げると、オデットを追いかけた。
冒険者として鍛え抜いたノエの足は、並の人よりも早い。オデットも間の悪さに逃げただけで、本気で逃げるつもりではなかったのだろう。ノエが曲がり角を曲がった少し先で、オデットは足を止めて振り返り、ノエの到着を待っていた。
「いったい、急にどうしたんだい。あんな風に逃げ出して」
「いえ、あの、わたしは、その
……
」
オデットの顔がりんごよりも赤いのは、単に寒さのせいだけではあるまい。その証拠に、彼女の指は落ち着きなくコートの裾をつまんだり、離したりを繰り返している。
「
……
兄さんが、ゲルダさんと二人きりでお話をしていたので、なんだか入りづらくて」
「ごめんよ。友達と話をしたかったのに、僕が先にとってしまったみたいで」
「もう、そういうわけじゃありませんっ」
頬を膨らませ、まるで子供のように不満を見せるオデット。ノエとしては一番考えられそうな原因を口にしただけなのに、オデットは拗ねた子供のようにつま先で雪を弄り続けている。
「わたしは
……
その、兄さんがゲルダに取られたみたいで
……
それが、ちょっと」
「僕が、ゲルダさんに取られる?」
「な、何でもありません! それよりも、皆さんが起き始めたので、朝の散歩はそろそろおしまいにしましょう! ゲルダにもそう言ってきます!」
オデットは大きな声をあげ、ノエの手をぎゅっと掴む。その掴み方は、いつもの手を繋ぐときの掴み方に比べると、些か乱暴であった。
「えっと
……
もしかして、何か怒っているのかい。オデット」
「
……
怒ってませんっ。わたしが怒るとしたら、それは
――
!」
オデットは勢いに任せるままに喋っていた口を止め、不意にノエを見上げる。
今日のノエは、いつものようにオデットを安心させる笑みを浮かべてくれている。だが、オデットにはわかる。
(兄さんも
……
わたしと同じように、昨日のことを引きずっているのでしょうか)
自然なように見えて、口角の釣り上がり方が少しだけ不自然だ。こういう時、ノエは心の片端に何か消化しきれないものを抱えている。
流石にこれだけ付き合いが長ければ、オデットにもノエの気持ちの機微はわかるようになっていた。
「
……
わたしが怒るとしたら、それは、兄さんがわたしのことで何か隠し事をしている時です」
「
……
そうだね。隠してることは、確かにあるよ」
ここで何もないと言い張ってうまく隠し通せると思えるほど、ノエも愚かではない。だが、全てを話すほどの覚悟も、まだノエの中にはできていなかった。。
「だけど、まだオデットにどう伝えたら良いか、自分でもよくわからないんだ。だから
……
時間が欲しい。僕が、僕自身に向かい合う時間が」
「それは、わたしの記憶に関わることですか」
ノエの首肯を見て、オデットの心にもちくりと黒いものが混じる。
「なら、わたし、やっぱり記憶のことは
……
」
「でも、だからってオデットの昔を知る人のことを探さないという選択を選ぶのも、僕は違うと思っているんだ。その気持ちだけは、僕も自分の考えとしてはっきり口にできる」
先手を打たれて、オデットは口をグッとつぐむ。
オデットにとって、昔兄と呼んだ覚えのあるミラベルのことも大事だが、目の前のノエの思い出もやはり捨てられるものではない。
大事なものが二つならんでいて、どちらも捨てがたい。それでもどちらかとなれば、やはりオデットはノエを選びたかった。
もっとも、オデットがそのような逡巡を経て選択をすることを、ノエは望まないのだろうが。
「ゲルダさんを呼んでくるんだろう。遅くなる前に行っておいで。僕は、ここで二人を待ってるから」
「
……
はい」
友人同士の語らいを邪魔してはなるまいと、ノエは小さくなるオデットの背中を見送る。
だが、ノエはゲルダの元に戻らなかった自分の言い訳に、自嘲の笑みを浮かべていた。
(もし、またゲルダさんに、素直になれば良いって言われたら
……
僕はオデットの前でうまく取り繕えるかわからない。だから、今は
……
)
大きく、深呼吸を一つ。ちらちらと降り始めた無数の粉雪を意味もなく数え、それが百を超えたころ、二つ分の小さな足音がノエの元へとやってきたのだった。
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