くだらない愛や欲望の結果で自分が生まれたのだと知ったとき、彼はなにかに絶望したのだという。それは彼の過ぎ去った人生を形どる欠片の一つでしかなかったが、それは今もあの人を支配していることは確かだった。
ミスルンさんがはたして、一体どうしてそんな話をしたのかは分からない。いつものように自傷するためだったのかもしれないし、俺を信用して過去を語ってくれたのかもしれない。
どちらにせよ、ミスルンさんは今も両親、特に母親を許せていないのだろう。自分を不義の子と分かって産んだ母が、きっと許せないのだろう。彼の苦しみのほとんどは、そこから来るものだったから。
でも、あの人はもう泣くことがない。どんなにつらいことがあっても、彼は泣くことがない。過去を憎むことはあっても、悲しむことはない。
俺はそれをかわいそうだと思う。泣いて発散してしまったら楽になるはずなのに、彼はそうはしない。ずっと父や母を憎み、ずっと苦しんだままだ。忘れてしまったら楽になることなのに、彼は自分で自分を傷つけて、その末に記憶を確かなものにするのだった。
雪がおさまった今日、俺は昼過ぎにミスルンさんの屋敷を訪ねていた。
午前中は黄金城で仕事をしていたのだが、ヤアドがなぜか気まぐれに俺に休みをくれ、俺は偶然降って湧いた休みに恋人に会いにゆくことにしたのだ。それは突然のことだったので、もしかしたらミスルンさんはいないかもしれなかった。でもそれだってよかった、彼の気配がするところに行けることを、俺は単純に喜んでいたのだから。
そんな俺を出迎えてくれたミスルンさんは、紅茶でも飲んでいけとこころよく屋敷に招き入れてくれた。俺はそれだけで感じ入ってしまって、玄関先で彼を強く抱きしめた。誰に見られたってよかった、この人が自分のものであることを幸福に思った。そしてミスルンさんはそれに怒ることもなく、足元にある、雪解けの中咲く花々を眺めて、俺の背にそっと手を回してくれたのだった。それがたどたどしくも熱かったので、俺は有頂天になり、扉を閉めてキスをした。甘いハーブの香りがする彼の唇に、熱烈にキスをした。
「……おい、カブルー、苦しい」
「あ、ごめんなさい。あんまり嬉しくって」
胸を叩いて抗議する彼に俺がそう言って笑うと、ミスルンさんは仕方がないと肩をすくめた。俺の詫びはそれで終わって、俺たちは庭が一望できる部屋に行き、使用人のエルフの少女が淹れてくれた紅茶を楽しんだ。いつの間に用意したのだろう、エルフ風のケーキやビスケットもあり、俺はそれも楽しんだ。とにかく俺は気分がよく、突然の休みをくれたヤアドに心の中で拍手を送った。
「突然じゃなかったら、トールマンが好みそうなものを用意できたのに」
俺がケーキを頬張ったとき、ミスルンさんはそう言った。気を遣っているのだろうか? とはいえ俺はエルフ風のケーキで育ったようなものだから、そこいらのトールマンよりもずっと彼らの風土に馴染んでいると言っていい。なのに、どうしてそんなことを言うのだろう。
そう考えたとき、俺は彼にあまり自分の過去について語っていないことに気付いた。彼はよく自分のこれまでの人生について喋ったが、俺はそれを聞くばかりで、自分の過去については触れなかった。ミルシリルのもとで過ごした穏やかな日々でさえ、断片的にしかミスルンさんには話していない。でもそんなことより、俺は未来について語りたいって思うんです。
「このケーキも好きですよ。確かに普通のトールマンはあまり好みじゃないかもしれませんが……」
「確かに、お前は普通のトールマンじゃないな。物好きだ、エルフの中でも私を選ぶなんて」
お前たちが褒めそやす耳も千切れて、目玉もこんななのに。ミスルンさんはそう言って目を伏せる。俺はそれに、彼が自分を卑下していることを知る。こうなればじきにあの話になるだろう。
「おまけに私は不義の子なのに」
ほら、また自分の一番の後悔を語った。俺はそれに「それがどうしたっていいんです」と言いかけ口をつぐみ、「それ以上話さなくていいんですよ」と言う。でもミスルンさんは俺の言葉を聞かないで「喋りたいんだ」と返してくる。そして俺から視線をそらしたまま、こう続ける。
「私たちは子をなせないが、それでよかったんだろうな。ミルシリルみたいに親のない子を育てるのもきっと私には無理だ。今じゃあこんな有様だし、なんてたってあの母の子どもなんだから」
母親を憎むようなそれに、俺は何も言えなくなる。でも、それでも、あなたの母がいなくては俺はあなたに会えなかった。あなたが不義の子だったとしても、生まれてきてくれてよかった。もうあなたがいなくては、俺は立ち行かないのだから。
でも、そんな言葉が彼に届かないのは分かりきっている。だとしたらどうすればいいんだろう? 俺ができることは何だ? ミスルンさんにできることは何だ? 俺が彼のためにしたいこと。それは多分、この国をあなたの住みよい場所にすることだ。だとしたら、それをあなたに伝えなきゃいけない。自分の居場所がずっとなかったあなたに、安らぐ場所を与えたい。いや、与えるって言うのはあまりにも尊大だな。どうか、俺の作った場所で生きていってくださいと言いたいんだ。それくらいしか、俺にはできないから。
「俺はあなたに何かを残せたらいいのにって思ってます。俺はこの国をあなたに残したい。あなたが幸せに生きていける国を残したいんです」
そう言うと、ミスルンさんは顔を上げて俺を見た。その目は少しうるんでいて、俺の言葉が彼を慰めたことを知る。
俺たちは色とりどりの花々を背に、紅茶を飲みながら未来の話をする。俺は今取り組んでいることをさかんに喋り、それがヤアドをせき立てるようなものだったからだろう、ミスルンさんに呆れられる。でも彼はそれでも笑ってくれて、いつの間にか薄暗い目元に浮かんだ、淡い水の粒を指で掬い取っていた。
ミスルンさんは過去に縛られている。そして俺もまだ、過去を引きずってそれをこの人に話せないでいる。そうしたら残されるのは未来の話だけで、俺はしきりにミスルンさんにこれからのことを語しかなかった。夢を語しかなかった。
するとミスルンさんは「口説かれているみたいだ」って笑って、そして俺はそれがあながち間違っていないことに気付かされて、思わず言葉をなくしてしまった。あまりにも恥ずかしくて、あんなに熱烈に玄関でキスをしたくせに、今さらながら自分の行動が読まれていたことが恥ずかしくて。
でも、それでもいい。彼にすべてを読まれていたって構わない。だってそれは、俺がどれだけあなたを思っているかも知られているってことだから。涙を見せてくれなくって構わない。あなたの涙を知るより、俺は未来について語りたいから。あなたに呆れられたっていい。未来を語って笑われても、あなたのものでいたいから。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.