有🍙
2024-12-03 07:19:47
12087文字
Public ARGN|ふうあお
 

[ふうあお] 世界はふたりのために

 
LRF中、大運動会イベよりは後くらいのふうあお。事後のおふとんでいろいろ喋っているだけのおはなしです。
2021/11/07 結ブの展示作品でした。
【読了目安:約23分】
 

 
 汗がひいたあとの、互いの肌のひんやりした感触はきらいじゃない。背にぴったりと添う肌の奥にはほっとするような体温がひそんでいるし、素朴な綿のタオルケットの下でゆるやかに融けあうふたり分の温度もひどく心地が好かった。
 だからあおいは、風太が背に張りついてきたせいで浅い眠りから引き戻されようがそのまま我が物顔で腕ごと抱きすくめられようが、彼の好きにさせておくことにした。そもそも各々の部屋に設えたベッドはふたりでもぐりこむにはすこしばかり狭く、からだをくっつけざるを得ないということもあるけれど。
 どれほど眠っていたのか判然とせず、あおいは枕に耳をつけたままぼんやりと宙を見つめた。
 部屋は未だ夕暮れ前のあかるいひかりに満ちており、窓の外からは階下の駄菓子屋に遊びにきているのであろうこどもたちの声が遠く近くに聞こえてくる。事を終えた裸の肌を触れあわせているこの空間がひどくふしだらなもののように思えてならなかったけれど、今はその気恥ずかしさよりもからだのけだるさが勝っていた。
 そういえば枕のむこうにころがしてあるはずのスマートフォンは、まだアラーム音を鳴らしていない。もうすこしだけ時間があるのだろうとあおいはしずかに息を吐く。
 オレは起きとるけん、あおいは寝とってもよかよ――なんて。
 普段ならそんな言葉、絶対に信用しない。夕食後の居間で電池が切れたように寝落ちしている彼を頻繁に目にしていればだれだって信用なんかしないし、今日だって信用したわけじゃない。それでもくしゃくしゃのままのシーツに吸い込まれるように眠ってしまったのはほかでもない風太に疲弊させられたからで、ほんとうに、どうして今日にかぎってあんな――とにかく、これくらいが刻限だろうと事におよぶ前にアラームをセットしておいてほんとうによかった。
 いつか風太とこういうことになるんだろうなという予感はずっとあったし、そうなるのなら風太とがいいとも思ってはいた。なのにそれがこうして現実として果たされていることが、今もって信じられないときがある。何度肌を重ねてもそう思ってしまうのだ。背にひたりと吸いついている肌も、そこからじかに伝う体温も、風太のかたちになって鮮烈な余韻を残す腹の底の感覚も、ほんとうに、ほんとうの、現実なのに。
 シーツに投げだしている手を風太にまさぐられても、睡気のせいでろくな反応もできない。あおいの手に風太のそれがそうっと重ねられ、ほどなく風太はやんわりと握り込んだりゆるめたり指のあいだに指を滑り込ませたり、いたずらをしているようないつくしんでいるような、なんとも言えない動きを繰り返しはじめた。それがなんだかたのしげに思えるのでされるがままに放っておき、あおいはふたたびまぶたを閉ざした。
 微睡にとろりと溶けてしまいそうな意識に、ふとちいさな鼻歌が流れ込んできた。襟足の髪をかすかに散らすようなその音階をつい耳が追ってしまう。昨日みんなに聞かせたばかりのメロディとすぐにわかった。この週末から詰めていこうという話にはなっているが、詞もついておらず曲と呼べるほど体裁が整っているわけでもない。あおいが暫定的に組み立てた音をそのままになぞってメロディは流れてゆく。ワンコーラス分の鼻歌を終えると風太は満足げに息を吐き、ことさらにきつくあおいのからだを抱き寄せた。
 さらさらとかすかな衣擦れとともに、肌の上を滑るタオルケットから風太のにおいがした。襟足の髪を鼻先やらくちびるやらで掻き分けられている気配。うなじを掠めるくすぐったさに、思わず肩をすくめてしまった。
「風太、くすぐったいって」
……起きとったと?」
 すこしばかり驚いたような声色だった。寝かせておくつもりだったのにちょっかいをかけたり鼻歌をうたったりしていたのだろうか。風太の行動にあきれると同時に風太だからいいかとゆるしてしまう自分にもあきれる。風太の腕に囲われたままからだの向きを変えると、ごく間近から気遣わしげなひとみに捉えられてしまった。
「うー……ごめん、起こしてしもうた?」
「ううん、そろそろ起きなきゃだし」
「もうそがん時間なっとっと?」
 風太が言い終えないうちにくぐもったアラーム音が鳴り響いた。スマートフォンはどうやらベッドマットとヘッドボードの隙間に落っこちていたらしい。手探って鳴動を止め、時刻を確認する。ため息まじりに枕の横に放ると、風太があからさまに眉をさげた。
「もう起きんばいかん……?」
 多少余裕を持たせてアラームをかけておいたとはいえ、そうそうのんびりしていられるわけではない。ないけれど。
「んー……あとちょっとくらいなら……
「ほんとね?!」
「ちょっとだけだからな!」
 ちょっとでもよかよ、とよろこびいっぱいにからだを寄せてくる風太を抱き止めながら、あおいの思考はめまぐるしく巡る。みんなが帰ってくるまでにすべきこと。夕食分のごはんは既にタイマー炊飯を仕込んである。ハンバーグが食べたか! と昨日風太が大騒ぎしたのでそっちは岬が帰宅してから任せるとして、汁ものの下ごしらえと、それから、その前にこの部屋の後始末をしてシャワーを浴びて完全に身支度を整えて――時間的にはまだ大丈夫だろう。
 ぎゅうぎゅうと抱きついてくる風太をたしなめるようにその背に腕をまわした。浮きあがっている肩甲骨をなぞってそっとてのひらを当てると、汗の気配の残る肌がしっとりと吸いついてきた。
「あのさ、風太」
 呼びかけただけなのに、風太はさもうれしそうにあおいを抱きすくめる腕の力を強くした。
「昨日の、もう覚えたんだ」
「よか曲やけんね!」
……そう?」
「んー? あおいは気に入っとらんと?」
「そういうわけじゃないけど……
 よく言えばシンプルでコンパクトにまとまっている。わるくはない。ただ今回、いつものようにおおむね完成させてみんなの前に出すのではなくほぼメロディだけの状態で聞かせたのは、これ以上あおいの手許で捏ねまわしていても発展しそうにないと思ったからだ。
「うーん……無難すぎるっていうか、フウライの曲としてはちょっとものたりなくないかなあって」
「なんね、そがんこと気にしとったと?」
「気にするだろ、フウライの曲なんだぞ?」
「みんなで演奏すればそいはもうフウライの曲やろ?」
「そうだけど、そういうことじゃなくて」
「よか曲ばい。あおいらしかよ」
 あおいらしいだとかあおいっぽいだとか、風太にとっては最大級の褒めことばであるらしいことは知っている。端的にうれしく思うが自信を持って聞かせたわけではないからすこし複雑だ。
「こんサビんとこ、どっ! って入ってばばばーん! ってなるやろ、やっちゃよかたい!」
「う、うん……あ、ありがと……?」
 どうやら本気で褒めてくれている。あまりに感覚的すぎて理解はできないが、風太がこんなことで嘘を言う奴ではないことくらいはわかっている。
 風太がまたサビのメロディを口ずさみはじめた。とんとんと指先で背をつつかれている。どうやらリズムをとっているようだったがくすぐったい。
 風太というフィルタを経るだけでメロディがたのしげに色づいてゆく気がする。あおいがものたりなく感じていたそれを、風太はこんなふうにたのしいものと解釈しているのだろうか。風太が『ばばばーん!』と表現したところは思い切って跳躍させてもいいかもしれない、風太がぎりぎり気持ちよく当てられるところまで上に吹っ飛ばして、そのあとをすこし調整すれば……
……はぁ、たのしみやねえ、新曲」
「ひとごとみたいに言うなよ、みんなで完成させるんだからな?」
 風太の意見――というほど具体的でもないが――のおかげで『ものたりない』を打開できそうな道が見えてきてすこし気持ちが軽くなった気がする。いつもまわりをおいてけぼりに突っ走ってゆく風太に背中を押されたような気持ちになるなんて、ちょっと不思議だ。
「絶対よか曲になるばい! オレ昨日からずうっと聴いとったけん、さっき夢んなかでも歌っとって」
「え、……うん」
「ちっちゃか子がオレんとこ来て、たのしか歌やねって。そんで一緒に歌っとったっさ」
……うん?」
「あおいに似とった」
「へ?」
「ちっちゃか頃のあおい。一生懸命歌っとってかわいか子やったぁ……なあなあ、オレたちにこどもがおったら、歌と楽器とどっちば先に教えてやったらよかやかねえ」
……はあ?」
 いややっぱり買いかぶりすぎた、結局おいてけぼりにされている。
 風太の話が要領を得なかったりあちこちに飛んでいったりするのはよくあることだったが、あおいだって長いつきあいのなかで多少なりともそれを読解するすべは身につけてきたつもりだ。おそらく風太もうたた寝していたのだろう。ふたりして寝過ごすこともなかったのでまあそれはいい。そしてそのときに見た夢の話をしているらしいこともなんとなくわかった。けれど最後のやつはあきらかに前提がおかしい。俺たちのこどもってなんなんだ。
「風太、俺たち男どうしだぞ?」
「そいは知っとっちゃけど、関係あっと?」
「あるだろ……
「なして?」
「だーかーらー! 男どうしなんだぞ、って。産めるわけじゃないんだし」
「オレたちが産まんでもこどもは持てるやろ?」
「っ、え、……
 一瞬にして声が詰まった。
 血の繋がりがなくとも子を持つことができると、風太があたりまえみたいに考えていることに驚いた。
 そうだ。すべてのこどもたちが、産んでくれた親のもとで育つわけじゃない。
 それはあおいこそが身をもって知っていることで、けれど風太が、ちょっと彼のことを知れば家族に愛されてまっすぐに育ったのだろうと簡単に想像のつくような風太が、そんなことを口にしたことにこそ、ことばを失ってしまった。
 風太は自由だ。言動や行動に限った話ではなく、それらの根幹をなしているそもそもの考えかたそのものが。その奔放さが実のところすこしだけ羨ましい――まあ、振り回されることのほうが多いのも事実だけれど。
「うた……
 口をついてそのことばがまろび出た。
「歌、が、先……じゃないかな、みんなで歌えるし……
「うん」  
「その子がひとりで歌えるようになったら、俺たちが演奏して……
「うんうん」
「で、興味を持ってくれるようなら、楽器も教えてあげたらいいんじゃない、かな……
「おおー」
 よかねえと風太は笑っているけれどにわかには想像がつかない。なのに、あり得ないと切り捨てることもできなかった。
 自身を振り返ってみれば、両親はあおいの興味や好奇心のベクトルを削ぐことなく適時に必要なものを与えてくれていたのではないだろうか。やってみたいと言ったことを反対されたりもしなかった。バンドのこともフェスのために上京することだってそうだ。どこの親子もそういうものなのかはあおいにはわからない。ただ自分はそういった点においては恵まれているのだと、折に触れては思う。両親もバンドもあおいにとってはたいせつな、血よりも濃い繋がりだ。そうしてたいせつな人に自分もたいせつにされていると実感できている。これは絶対にすごいことだと思うから。
「風太……そもそも人に教えるとかできんの?」
「なんねバカにしよっと?」
「人に教えるには三倍理解してないとだめだって言うし」
「んん、三倍ってどんくらいね?」
「あー……風太には倍数から教えないとだめかぁ」
 埒もないからかいに膨れる頬を撫でてやると傾ぎかけた風太の機嫌はあっという間にまっすぐになったらしく、あおいはまた抱き寄せられてしまった。
 よりぴったりとからだが密着すると濃厚に風太のにおいがしてなんだかそわつく。こんなにいいにおいがするなんてすこし前までは知らなかったから。風太の首筋に指のさきを滑らせると彼はくすぐったそうに身じろいだ。そのまま首のうしろに手を当て、ゆっくりと、何度も、襟足の髪を撫であげてやる。どうやらこうされるのが好きであるらしいことも最近知った。んー、と気の抜けた声を出して心地好さげに目を細めるさまは、ひなたでまあるくなっている猫みたいだ。
 風太の手指もてのひらも、あおいの背や腰をいたわるように撫であげている。ついさっきまであおいのからだのいろんなところを不埒に探っていたくせに。
 あちこちを風太に撫でまわされてもけだるい肌にはただ気持ちがいいだけで、またまぶたが重たくなりはじめた。あとちょっとだけ、なんて自分で言ったからにはそろそろベッドからおりなくてはならないのに。
 ため息をつきかけたとき、枕の横にころがしたままのスマートフォンがシーツの表面をかすかに震わせた。振動の止んだそれを手にとると、新着メッセージ一件という表示が見てとれた。
「風太、絋にいから……岬たちと合流したから、あと一時間くらいで帰ってくるって」
 いちじかん、とおうむ返しの相槌に頷き返し、あおいは画面のなかの文字列を眺め遣る。予想どおりの相手から予想どおりのメッセージだった。それはいい。いいのだが、ただなんというか、ものすごく気を遣われているように感じられるのだ。
 風太と連絡がつかなくなり虎春にまで世話をかけ絋平が奔走した一件以来、各々の予定やその変更は以前より頻回にやりとりをするようになった。このメッセージもその一環といえばそうだが、おそらくすこし意味合いが違う。
 なんとなれば、メンバー全員のチャットではなくわざわざあおい個人に宛てられているからだ。しかもこれがはじめてではなかった。先週風太と家にふたりきりだったときも、思い返せばその前も、絋平から帰宅時間を知らせる連絡があった。紘平がなにをどこまで察しているのかと思うとそらおそろしくさえある。むやみに咎められるようなことはないだろうが、共同生活やバンドの活動に影響をおよぼすことがあれば話は別だろう。
「風太、そろそろ起きよ。もうあんま時間ないし」
「一時間もあっとに?」
「一時間しかないの!」
「えー、やったらあとごふんー」
「だーめ! さっきちょっとだけって言っただろ、もうそんな時間ないんだからな!」
 ことさらに声を張るのは罪悪感を払拭したいがためだと自分でもわかっているのだ。
 名残惜しいに決まっている。五分と言わずずうっと抱き締めあっていたいし、からだに触れていてほしい。互いをたしかめるために抱きあうことは、なんにもわるいことじゃないはずだ。男どうしだからとかそういうのも関係ない。ほんとうは奇跡みたいなことなんだ。特別な感情を向けていた相手が、おなじ気持ちで振り向いてくれるなんて。同世代の同性と比してつくりがちいさいというだけでやわらかくもなければおなじものがついているこのからだに、真摯に、やさしく、触れてくれるなんて。おなじだけ、風太にも触れていいなんて。
 けれど蜜月はいつも時限で、やさしい時間には必ず終わりがくる。世界はふたりのためにだけ在るわけじゃない。どこかで線引きはしなくてはならないし、ましてこんなことばかりをするために上京してきたわけでもない。
 あおいのなかで勝ちたいという気持ちが強まっていることはみんなとも共有できているはずだ。勝ちたい。自分たちのやりかたで、自分たちのために、前に進むために。そのためにもっと多くの時間を割くべきで、情動のままに求めあっているひまなんて、ほんとうは――
 ぐずぐずと背に縋る風太をなかば引き摺りながら、あおいはベッドの下の床へ腕を伸ばした。脱ぐなり脱がされるなりした衣服が散乱しているはずだ。指先に触れた布をつまみあげる。下着だ。ウエストの内側に『ふうた』と油性ペンの奔放な文字が見えてそっと床に戻しべつのものを掴む。今度はTシャツ。しかもまた風太の。まあいいか。どうせ浴室に行くまでだし。掴みあげてからだを起こした途端、腰に風太の腕が巻きついてきた。
「あ、こら、風太」
 ベッドからおりるのを阻むようにしがみつかれ、縋るような目遣いで見あげられ、ぐらぐらとこころが揺らぐ。
「風太……起きなきゃだめなんだって……
「わかっとるばい」
「わかってないだろ……ちょ、やめろってば」
 風太が鼠経に頭を押しつけてくるものだから髪がくすぐったい。やることが完全に駄々っ子のそれだ。仕方なく襟足をさわさわと撫であげてやると風太はようやく腕をほどき、今度はあおいの腿の上に頭をころがしてまた見あげてきた。
「なああおい、次はいつできるやろ?」
「うーん……いつかなあ……
 はぐらかしているわけではないが結果的にはそうなってしまっただろうか。次のライブの予定は三週間後で、新曲を間にあわせるなら時間はいくらあったってたりないし、風太もそれくらいのことは理解しているはずだ。
「んー……あおいは、やらしかことばっかしとる場合やなかって思うとる?」
 妙な勘の鋭さをこんなときに発揮しなくたっていいのに。
 風太の視線がちくちくと痛くても、ここで沈黙すれば肯定にとられるとわかっていても、あおいは今度こそなにも言えなかった。
「なああおい、やったら、オレたちがしたかって思うとる気持ちはどがんなっと? したかことはしたかときにしとかんばいかんのやなかか? 今したかことは今しかできんし、そうせんば楽しゅうなかろ?」
「楽しいと思うことばっかりはしてらんないだろ……
「そうかもしれんけど、オレは後んなってあんときああしとけばよかったって思うほうがイヤばい」
「それはわかるけど風太、俺たちは……
 自分たちが置かれている状況、周囲との折り合い、優先順位――察しろと言ってもおそらく無理だ。風太が感情で物を言っている以上、正論をぶつけても到底響かないどころかますます反駁されるだろう。
 風太は以前、あおいがやりたいようにやって満足したらそれは自分にとっても楽しいことだと言ってくれたことがあった。今それを引き合いに出すのはずるいかもしれない。やりたいことは、あるのだ。満足できるかどうかはやってみなければわからないし、自分の力だけではどうにもならないかもしれない。バンドのことだから。俺たちのたいせつな、バンドのことだから。
「風太、俺はバンドのことがおろそかになるのはいやだ」
 きっぱりと言い放つと、一瞬にして風太の表情が固まった。そんな顔をさせたいわけではない。あおいは風太を見おろし、つとめてやさしくその頬にてのひらを当てた。
「風太とこういうことしてたから時間がなかったなんて思うのはもっといやなんだからな? 欲張りかもだけど、どっちもちゃんとしたいんだ。どっちも大事で、どっちも俺がしたいことだから。それは、わかるよな?」
「うー……
 風太はくちびるを尖らせながら、それでもちいさく頷いた。
「風太だってちゃんとした練習の時間がとれなかったら本番でうまくいかないぞ? そうなったら楽しくないよな?」
「そいは、イヤばい……
「うん、だからさ、しばらくはふたりでこういう時間もあんまりとれなくなるかもって……それも、わかるだろ?」
 風太はくっきりと眉を寄せ、それでもなおあおいを見あげ続けている。納得したかどうかはともかく風太だってこれが理解できないほどばかじゃない。言われずともわかっているはずだ。そしてそのうえでなおあおいとの時間を持ちたいと望んでいることは、あおいにだってわかる。今生の別れを告げているわけでもなんでもない。ともすればふたりのあいだで曖昧なままに目を背けていたかもしれない現実を、言語化して確認しているだけだ。
「あおいの言いよることはわかったけん……いっこだけ聞いてんよか?」
「うん、なに?」
「あおいは、オレとするん好かんと?」
 真摯なひとみがまっすぐに、あおいを見あげている。
 ずるい。そんな訊きかた。そんなわかりきったこと。
 でも言わせているのはきっと、自分のことばがたりないせいだ。
「べ、つに……やじゃない……
「好いとるか好いとらんかって聞いとっと」
…………好きだよ」
「どんくらい?」
「え? どれくらいって………す、すごく……?」
「オレも! ばり好いとったい!」
「うわ、ちょ、風太!」
 あっという間に起きあがった風太に飛びつかれ、ふたりして勢いよくベッドに倒れ込んだ。タオルケットは撥ね飛ばされ、かわいそうなくらいベッドが軋み、スプリングの揺れもおさまらないうちに風太にのしかかられ、くちびるを掠めとられた。鼻先が触れあう近さで焦点も結ばないけれど、風太がはれやかに笑っていることだけはわかった。
「あおい、オレは次はいつってわからんでんよか! 好きどうしやったら約束せんでも次は絶対あっけんね!」
 理論としてはよくわからないが風太は風太なりに自分を納得させたのだろうか。あおいだって風太としたくないわけでは――いや、この言いかたがよくないんだ、誤解のないように、風太にわかるように、もう一回ちゃんと言ってやらなきゃ……
「風太、俺も、ひゃっ」
 口を開いた途端にきわどいところにきわどいさわりかたをされ、裏返った声がまろび出た。
「ばっ……どこさわってんだよ!」
「もうなんもせんばい!」
「今しただろ!」
「もうせんけん、あと一分!」
「あと何分ってそれいっつも風太が二度寝で寝坊するパターンだろ!」
 風太は聞いているのかいないのか、シーツとあおいの背の隙間に腕を捻じ入れてことさらにしっかりとあおいを抱き締め、首筋にぐりぐりと額を擦りつけてきた。
「ちょ、風太、ちょっと落ち着けって……
 はねた髪をかきまぜるように頭を撫でてやると息苦しいほどに抱き締められ、これ以上くっつきようもないのにますますからだをすり寄せられてしまった。仕方なく襟足の髪をそろそろと撫であげていると、はしゃいでじゃれついてくる犬をたしなめているような気持ちになってきた。
「んん……あおいぃ……
 ひどくあまえた声を出されるとそわそわしてしまう。べったりとひっつかれているから、風太の顔が見えなくてほんとうによかった。きっと風太は、眉をさげたなさけない顔をしているに違いない。正直なところあおいは風太のその顔にはとてもよわいと自覚がある。あの顔を見せられたらなにもかもゆるしてしまうだろうという無駄な自信すらある。しかしもう時間については譲れないところだ。自分を律するためにも、ここははっきりと言い渡しておかなくてはならない。
「風太、ほんとにもう一分だけだからな?」
「ん……あおいも……
 ないしょばなしよりもかぼそく消え入りそうな声で、その先は聞き取れなかった。なんだよ、と聞き返すいとまもなくからだが潰れるほどに抱き締められてしまい、息が止まりそうになった。
「ちょっ、くるし、風太、……な、なに?」
「あおいにも、ぎゅーってしてほしかぁ……
 どうしてそんなにと思うほどせつない響きに今度こそ息が止まった。くだらなくてたわいもなくて、けれどあおいにしか叶えられない懇願に抗うすべなどあるわけがない。
 縋るように背に腕をまわしてやると風太は、くぅ、と仔犬のように鼻を鳴らした。華奢でもなく屈強でもなく、それでもしっかりと中身の詰まった、すこやかでときどきふしだらでいとおしいからだを、あおいはめいっぱいに掻き抱いた。
 顔を埋めた首筋から風太のにおいとしか言いようのない馨しいにおいがする。大好きなにおい。汗まじりのおひさまのにおい。抱き締められる腕の強さも、いとおしい重みも、あわさった裸の胸と胸のあわいで体温も鼓動もいっしょくたに融けあってゆく感覚も、やっぱり気持ちがよくて、けれど今日はすこしだけせつなかった。
「うー……あおいぃ……
 腕の力を強めてやるたびにやたらと感極まったような声を出されればあおいだって胸が痛い。鼻の奥にまでつんと痛みが広がる感覚で泣きそうになっている自分にも気づいた。離れがたい気持ちはきっと風太もおんなじなんだ。
 けれどなんとなく、なんとなくだけど、すこしだけ思うところがある――いや、まさかとは思うけれど。
「あのさ、風太、ちょっと訊くけど……
 涙の気配に震えそうになる喉を律し、あおいは口を開く。
「えっと、もしかして、今日ずっとこうしてほしかった、とか……?」
 互いをおさめあった腕のなかで、風太がこどもみたいな首肯をしたのがわかった。
 ……あ、マジで。
 たしかに事の最中には、そりゃあ多少なりとも、いやかなりおおっぴらに、しがみついたりはした。けれどそのあとは眠たいからと抱きつかれるままに放っておいたり、動物をじゃらすみたいにあしらったり……あ、あれ? もしかして俺がわるいのか? でも風太にはそのほうがいいのかなってそのときは思っただけでべつにこうしたくなかったってわけじゃ……いや、いやいやそれにしたって。
「言えよ、それくらい……
「はずかしかぁ……
「なんでだよ……
 あおいの首筋から聞こえるくぐもった声はちょっとかわいそうになるくらいよわよわしかったけれど、あおいには風太が羞恥を覚える基準がまったくわからなかった。自分からはべたべたくっついてくるくせに? 自分がしてほしいからあおいにもそれをしていた? するとされるではまた違うものだとか? いや、それにしたってわからない。
 人生の大半をともに過ごしてきた幼馴染で、互いのからだをつなぐための部位まで晒しあって、それでもなおわからないことも知らないことも、言えないことだってある。幼馴染としてはベテランだとしても、こころを通わせあって傍にいる相手としてはなにぶん初心者なのだから。
「うん、よしわかった。じゃあ風太、次からはちゃんと言うんだぞ? 言えるよな?」
 さっきよりは力強く頷いて、風太はようやく腕を緩めた。
 あおいの顔の両脇に手をついて上体を起こした風太は、やっぱり眉をさげたなさけない顔をしていて、泣きだしそうに目まで潤ませていて、ほんとうに、ほんとうに、放っておけなくて、ほんとうに困る。
「あ……一分、もうとっくに過ぎとったね……
 あげくこの期におよんで律儀なことまで言いだした。
「いまさらだろ、そんな……
「あおい、ありがとぉな」
 風太はひとみを潤ませたまま、それでもゆるやかに口角をあげた。
「今日あおいと話しとらんかったらあおいが冷たかーとかあおいにきらわれてしもうたとやろかーって、オレ、勝手にいじけとったかもしれんけん、話してもらえてよかったばい」
「うん、俺も……わかってもらえてよかった」
「あおいがやらしかことばすっとが好きってのもわかったけん」
……え?」
「しかも『すごく』って言うたっさ」
「や、あの」
「んー、なんていうたっけこがんと……ゲンチ? とったけんね!」
「言質?! なんでこういうときばっかそんな言葉知ってんだよ?!」
「あははー、ほらあおい、もう起きんば!」
「ちょっと?! バカ風太!」
 一気に背を抱き起こされてしまえば、あっという間に視界が変わる。それでも風太の部屋には違いなく、物が多く渾然としているさまはいつもどおりだ。いつの間にか暮れかけていた空から鋭角にひかりが射し込んでいる。ふたり分の体液を吸わせたくしゃくしゃのシーツの上で向かいあうふたつの影が、床へ長く伸びていた。
「あおい」
 しずかに呼ばわれ、風太の両手に肩を包まれた。しっとりとあたたかいてのひらが上腕を滑り降り、指先が肘と手首の骨をくるりとなぞる。あおいの両手をやさしく握り込む風太の触れかたはもう、性的な感覚を刺激するようなそれではなかった。よく晴れた空みたいな風太のひとみに夕陽のいろが淡く映り込んでいる。その双眸は、握り締めあったふたりの手を一心に見おろしていた。
 するりと、風太の手指が離れてゆく。名残惜しげにゆっくりと、あおいの指先に自分のそれをひっかけながら。その指が、十本の手指すべてが風太の腿の上できゅっと握り締められるさまが、また涙腺を刺激する。
「あおい、シャワー使うんやろ。早う行かんば」
「あ……うん」
 風太はもう気持ちが切り替わっているんだろうか。敢えてわきまえた態度をとっているんだろうか。
 風太がからだを離してしまえば、汗のひいた肌は冷えてゆくばかりだった。あおいはひそやかにまなじりを拭った。かろうじて濡れてはいない。ちいさな身震いと、こころ決めをひとつ。床に足をおろそうとしていた風太の肩口をつんとつついた。
「ん、ちょっと待たんね、今あおいんぱんつば」
「風太、あともう一分……
……へ?」
「い、今したいことは今しなきゃって、風太が言ったんだろ……だから、もう一分、ほんとのほんとに、あともう一分だけ、風太と、ぎゅーってしたい……
「あおいぃ……
「いらないなら、べ、べつに」
「いるったい!」
 求めあう気持ちにこんなにも果てがないことを、あおいは知らなかった。一分だろうが百年だろうが、完全に満たされることはないのだと思う。それでも、有限だからこそ足掻きもするし有限だからこそ尊いのだということは、もうちゃんとわかっている。
 だからあと一分、ほんの一分、世界はふたりのために在ると、その気持ちを、ねがいを、分かちあいたしかめあうくらいはゆるしてほしい。
 慌てて飛びついてくる風太の必死さが可笑しくて途轍もなくいとおしい。ベッドに倒されるのも今日何度目だろう。スプリングに背をはずませながらあおいは声をあげて笑い、力比べみたいな抱擁をからだいっぱいに受け止めた。
 
<了>
 


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