【カブミス25のお題】22.氷/夢をみても

ミスルンに寝かしつけてもらうカブルーの話。

 まるで、冷たい塊を飲み込んだような気分だった。あたりは迷宮からあふれ出したモンスターによって破壊され焼き尽くされ、大切な人たちはもう生前の面影すらなく、思い入れのある建物は崩れ落ちて瓦礫になっているというのに、俺は熱波の中で身体が冷えてゆく思いをした。
 最初のうちは、あの熱い空気の中、どうして身体が冷えたのかは分からなかった。でも、大人になってからようやく分かった。あれは大切なものを失った悲しみや喪失感がもたらした、一種の防衛本能だったってことが。でもだからといって、あのときの俺が救われたわけではなかった。だって今でも夢に見るのだ。身体の中に冷たい何かが入ってくる夢を。そして隣に誰もいないときはかつてのようにがたがたと震えてしまう。隣にあの人がいるときだけは取り乱さず、救われた気になるけれど。
 きっと俺はまだ、あの喪失に向き合えていないのだろう。だから俺は夢から逃れられないのだろう。大切な人ができても、いや、大切な人ができたからこそ、俺はそれを失う恐怖に夢をみるのだろう。
 
 
「またあくび? カブルー、最近ちゃんと眠れてるの?」
 宰相補佐に与えられる執務室で愛用の羽根ペンを握っていると、マルシルがアンブロシアと書類を抱えたまま、器用に扉を開いた。俺はそれに、そんなに無意識のうちにあくびをしていただろうかと思ったものの、彼女に反論するのはよしておいた。マルシルの質問に反論したり、はぐらかしたりするとあとが面倒だ。それを知ったのは、つい最近のことだけれども。
「寝てますよ。ほら、前ライオスさんから寝酒をもらったじゃないですか。あれが役に立ってます」
 この国でとれた小麦を使った飴色のウィスキー。この国の豊穣の証。
 俺はそれをミスルンさんと飲んだが、彼女も口にしたんだろうか? 俺がそんなふうに思っていると、マルシルは大量の書類を俺の机の上に置いた。こんなことは、彼女の地位にふさわしくない雑用なのだが、マルシルはおしゃべりがしたくて自分から引き受けるところがあったから、今日も何かおせっかいをしにやってきたのだろう。そう、俺がちゃんと眠れているかどうか、彼女は気になってしょうがないのだ。
「お酒で寝ても、すぐに目が覚めるでしょう? 駄目だよ、あんまり根詰めちゃ。って、私が書類を持ってきたんだっけ……
 マルシルはそう言って、自分が持ってきた書類をぱらぱらとめくった。でもすぐに興味を失ってしまったのか、それもじきにやめてしまったが。
「あなたも忙しいでしょう。なんてったって、この国の防衛の要なんですから。眠れてますか?」
「もう、私の話じゃなくて、あなたの話! ライオスも心配してたんだからね!」
 マルシルが俺を指さす。俺はそれに、王の前でもあくびをしていたのか、それとも夢うつつなところがあったのかと自省する。でも、そんな記憶はなかった。ライオスさんは魔物が一番好きなようだが、王として見ているところは見ているのだろう。そう思うと、なんだか自分が小さく思えた。
 俺はまだ、過去の傷に囚われている。小さいころの自分が守られなかったことに、まだ腹を立てて傷ついている。それはあの人に、ミスルンさんに抱きしめられると霧散する感情だが、それでだって、俺は傷ついている。
 一体どうしてみなが未来に進む中、俺が一人過去の傷にばかり目をやっているのかは分からない。というか、この国が輝かしい歴史を刻むにつれ、俺はそれが自分にふさわしくない気がして、どうしようもなくなってしまうのだった。
「ねぇ、聞いてるのカブルー」
「あぁ、聞いてますよ。俺は大丈夫ですから、マルシルは仕事に戻って。この国の顧問魔術師はあなたしかいないんですから」
「もう、そうやって誤魔化して! カブルーもあなた一人なんだからね!」
 マルシルはぷりぷり怒って部屋を出てゆく。俺はそれを見送って、仲間に大切にされている自分にくすぐったさを覚えた。俺はただ一人か。そうだったらいいな。俺も取り替えがきかない何かだったらいいな。いや、そんな大それたことは望まない。ただあの人が俺を選んでくれたのなら、それでいいのだ。
 訪問者の気配が消えてすぐ、俺はまた仕事に戻る。早くあの人に会いたかった。そのためには、仕事を終える必要があった。目の前には書類が積み上がっているが、これくらいなら大丈夫だろう。
 俺はそんなふうに呑気に思って、あたたかな部屋で羽根ペンを握った。あたたかなあの人の屋敷に迎え入れられるときのことを思って、インクをつけて羊皮紙にペンを走らせた。
 
 
 ミスルンさんの屋敷についたのは、夕食前のことだった。それでも彼は食事をとるのが遅かったから、春が近いとはいえ、外には光もなかった。
「よく来たな、カブルー」
「言われなくても来ますよ。だってここにはあなたがいるんだから」
 ミスルンさんは俺を出迎えると、コートを預かって廊下にかけ、食堂にまで導いてくれた。俺たちはそこでくだらない会話をしながら、そらまめのスープやケチャップをかけたミートソースパイ、そしてライ麦パンを食べた。それは質素だが美味く、俺は疲れた身体に染み入ってゆくのを感じた。
 それからはともに風呂に入り、お互いをくすぐり合ってキスをし、寝室のドアを開けながらやはりキスをして、ベッドになだれ込んだ。ミスルンさんはいつものように俺を受け入れてくれ、俺は彼の身体に夢中になった。怖い夢をみないでいるためには、この人に溺れる必要があった。怖い夢を見ても自分を取り戻すためには、この人とともにいる必要があった。だから最近は彼の屋敷に来てばかりいる。自分の家には必要最低限のものを取りに変えるだけで、俺の着替えなんかはミスルンさんの屋敷に置いてあった。まるで、同棲でもしているみたいに。
 俺はそれをくすぐったく思う。彼とともに暮らしているようで、嬉しく思う。でも、肝心なところで俺は過去に囚われていて、それからどうしても逃れられない。今日だって、眠るのが少し怖い。あの夢を見てしまうのではないかと、冷たい塊を飲み込んだような気分になるのではないかと、俺は恐れた。でもミスルンさんにそんなところを見せるわけにはいかない。俺はもういい大人だ。恐怖をコントロールしなくちゃいけない。いい加減に、本当にいい加減に。
「眠れないのか?」
 くしゃくしゃになった布団を引き寄せたとき、ミスルンさんが怪訝そうに言った。俺は昼間マルシルに言われたことを思い出し、苦笑してしまった。そんなに俺はわかりやすいだろうか? みなに心配をかけるくらいに? ここで誤魔化すのは簡単だろう。でも、そうはしたくない。でも、これ以上心配をかけたくはない。俺が黙ったままでいると、ミスルンさんは何かを察したのか、俺に毛布をかけてくれた。そして抱きしめ、魔術をかけてこう言った。
「おやすみ、カブルー。悪い夢はこの魔術が食ってしまうから」
 俺はそれに母の寝かしつけを思い出して泣きそうになる。大切にされているようで泣きそうになる。でも涙は出ない。感じ入って、ただそれだけだ。
 多分、今日も俺はあの夢をみるだろう。でも、この人がいれば怖くはない。氷の塊を飲み込むような感覚を得ても、俺は大丈夫だろうから。俺は目を閉じる。暗闇の中でも、恐れるものは何もないと思いながら。