雪洞
2024-12-02 22:11:07
3423文字
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【マレ監♀】火点し頃に落ちる色

夕方の図書館で偶然出くわした日の話。無自覚両片思いな感じ。

 書架に差す日は既に夕焼け――放課後の図書館は橙色に包まれ、自習を終えた生徒たちの影がぽつりぽつりと外へ消えていく。そのさなか、本の背にかかる灰色の手は、この静寂に似つかわしからぬ焦燥に包まれていたのだった。
「ふなぁぁあ~~……!」
「頑張ってグリム~~……!」
 ぷるぷると腕を震わせるこの一人と一匹が目指すは書架の一番上の段。背伸びをしても届かぬそこへとエミリは腕を限界まで伸ばし、彼女の頭の上へと抱え上げられたグリムは目当ての本をどうにか抜き取ろうとしているのだが――
「んなこと言ってもギッチギチに詰まってんだゾ……!」
「そこをなんとか……!」
「誰だぁ、こんな無理やり突っ込んだのは~~!」
 相当強引に詰め込んだのか、引っ張れど引っ張れど本はまるで膠でくっついたかのように出てこない。それもグリムの魔獣の手ではなおさら。だが諦めるわけにはいかない。何と言っても魔法史の課題の行く末がこの参考図書にかかっているのだ。
 片やうんうん唸り、片や腕がそろそろ限界に達しようとしていたその時だった。あれだけ頑固だった本が、油でも差したかのようにするりと抜け出した。あっとグリムが驚くのも束の間、ふわりと浮いたそれは横から伸びてきた手の中に吸い込まれる。
「コラ! それはオレ様たちが先に……!」
 抗議の矢先、「ツノ太郎!」二人は揃って目を丸くした。
 音も気配も感じさせず、いつしかそこにいたのは誰であろうマレウスだった。悪戦苦闘する二人を見かねたのか。エミリがグリムを床に下ろすと、先ほど取ったその本を手渡してくれる。
「随分と難儀していたようだな」
「ありがとう」
「助かったんだゾ!」
 これで課題に取りかかれると喜ぶエミリたちの傍ら、彼はそれにしてもと呟いた。
「お前たちの声が随分と響き渡っていたぞ」
 そう言われて、エミリはようやっと辺りを包む静けさに気が付いた。先ほどまでちらほらと生徒が残っていた気がしたが、今は人っ子一人いない。 
「ごめん……うるさかった?」
「いいや。僕はさっき来たばかりだ」
 入れ違いに皆帰ってしまった、とマレウスはぽつりと呟く。
「お前たちも帰るのか?」
 尋ねられて、傍らの青と目配せしあう。
「んー、課題はオンボロ寮でもできるけどよ」
「このままここでやっていこうかなって」 静かな図書館、集中できそうだし。答えると、「そうか」と一言だけ零し、彼は橙色のホールに目を向けた。

 床に伸びる二人と一匹の影は、ほどなくして大机と一つになった。貸し切り状態のそこで、各々は横一列に座り本に目を落とす。一人は分厚い古書、二人は課題のレポートのための参考図書。文字を視線でなぞる中、差し込む夕日にインクの黒が微かに照る。しんと静まり返った室内にただページを捲る音が小さく生まれた。
 そのうち、どう書き進めようか、エミリとグリムは時折メモのためにペンを走らせ、ぽつぽつと相談を交わし始める。マレウスがうるさくないようにと、エミリの声は殆ど吐息のようなものだった。隣から聞こえるその音は、この静寂に確かに波紋を生むものであったが、マレウスがそれを煩わしそうにする素振りはない。
……ん? これ、どういうことなんだゾ?」
「え? えっと……
 ページを捲る手がにわかに止まったのは、ちょうどエミリたちのペンの動きが滞った頃だった。
「だからほら、政策の……
「あれ? ナンタラ法が……?」
 みるみるうちに声音が分からなさで満ちていく。本のページを遡るも、二人の間にはクエスチョンが飛び交うばかり。
「え、どっち……
「っていうか何書こうとしてたんだゾ……?」
「どこが分からない?」
 左隣から鼓膜を震わせたその声に、え、と思わず声が漏れる。振り向けば、マレウスが少し身を乗り出して、じっとエミリたちを見つめている。
「この薔薇の国の産業ナントカってややこしいんだゾ!」
「ああ、そこか。それなら、法の成立年から考え直してみるといい」
 グリムの声を皮切りに、エミリもさっと視線を本に戻す。法律と産業、そして市井の動きも合わせ、マレウスは一つ一つ二人に確かめるように尋ねては理解を促してくれる。
……そして再びの改正に至るが、何が大きなきっかけとなった?」
「えっと……魔法士による産業組合の再編。あっ、だからそっちの出来事にも繋がったんだね」
「ああ、そうだ。制度の移り変わりを軸に考えればいい」
 落ち着いた声に導かれて、歴史の一端がすっと頭に入ってくる。時代の区切りに差しかかる頃には、まるで絡まった糸が綺麗に張るかのような心地がした。
「ありがとう、ツノ太郎――
 顔を上げ振り向いたそのとき、西日に溶けるグリーンと視線が真っすぐかち合った。気が付けば、肩も触れるか触れないか。いつも自分よりずっと高い位置にあるその目が、今はとても近い。月夜に見ることが多かったその色は、夕日の中にいると黄がかった瞳の中央がまるで揺れる炎のように感じられて――
――吸い込まれてしまいそう。
 一瞬、課題のことが抜け落ちて、ただそれだけを思った。
……分かったか?」
 紡がれた問いに、はっと我に返って頷く。ずっとメモを取ることに集中していたグリムも分かったんだゾと明るく答えた。
「なら、忘れないうちに文章をまとめるといい。引用の作法などはもう習っているな?」
 再度頷き、エミリはそのままただひたすら紙とペンに向き合うことに努めた。隣でたページを捲る音が生まれるのを聞きながら――先ほど交差したその色が、どうしてか瞳の奥に残っているのを感じながら。


 図書館から出ると、すっかり日は落ち、空は夜の色に染まりつつあった。小さな星も光るその下を、三人は揃って歩いていく。
「どうもありがとう。すっごく分かりやすかったよ」
「なに、課題が無事済んだなら何よりだ」
 そう言うマレウスの小脇には、図書館から借りた蔵書が一冊抱えられている。本当は、それのために訪れたのだろうに。
……ごめんね。長くつきあわせちゃって」
 きっと静かな中で本を読むのが好きだろうに、結局エミリたちに教えてくれる時間のほうが長かった。今日は最初から最後まで助けられっぱなしだ。
「いや、構わない。声をかけたのは僕のほうだ。それに……
 申し訳なさそうな彼女の顔色を払拭するように、マレウスはそっと唇に笑みを乗せる。
「図書館で後輩に勉強を教えるというのも、得がたい経験だった」
 それから。
「僕の好きな場所で、お前と過ごすことも」
 放課後の、日が落ちる前のそのひととき。夕日に包まれた静かな図書館。その空間で、共に過ごせたことが嬉しいと。彼がそう思ってくれたと思うと、胸の奥が仄かに温まるような――そんな熱を感じ、エミリもそっと微笑んだ。
「にゃっはー! ならまた教えられてやってもいいんだゾ!」
「もう、グリム……!」
 課題をこなせたことでご機嫌なグリムの足取りは軽く、調子づくそれを見てマレウスは笑い声を零す。楽しそうならいいけれど――と思ったところで、エミリはふと「ねえ」と彼に切り出した。
「今度は一緒に本読もうね」
 見上げた先のその瞳は、月のようにふと丸くなった後、すぐに浮かぶ笑みと共に注ぐ眼差しを和らげたのだった。


 鏡舎の前で別れた後、マレウスは暫し去りゆく二人の背を眺めた。揺れる金髪とはしゃぐ灰色が、二人の住まう寮へと遠ざかっていく。
 ふと、図書館で見た光景を思い出す。
 窓から差し込む夕日が彼女の金糸に照り映えて、きらきらと輪郭を形どっていたこと。こちらを向いた薄いブラウンの瞳が淡く柔らかく、まるで蜂蜜を溶かしたような色合いに見えたこと。月夜の下で見上げてくるときとはまた違うその色が、胸の奥に宿り、思い起こす度に仄かな光が灯る心地がした。
 文字を撫でる白い指。触れそうになった薄い肩。呼び名を紡ぐ柔い声。あの橙色の空間にあった姿が、切なく胸を過るのだ。
 なぜこう思うのだろう。その理由はまだマレウスには分からない。だが、瞬く間に過ぎ去ったその時間がかくも温かく、静かに満たされたものであったと――それだけは確かだった。
――また……
 夕焼けの刻を共に過ごせたら。今度は、彼女が好む本を知りたい。
 そう思いながら、マレウスもまた微笑と共に家路についた。