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桐子
2024-12-02 19:10:37
4471文字
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この世界はすべて⑨(父水)
幽次郎は声も出さずに泣いていた。
外にはたくさん怖いのがいる。強い力をもつ「とと」や「兄さん」ならともかく、「父さん」では勝てないだろうと分かっていた。
ーーーー分かっていても、止められなかった。
父に言われたとおり、物入れの中でガタガタ震えながら、助けを待つことしかできない。そんな自分が情けなくて仕方がなかった。だが、今出ていけば自分も殺されてしまう。
幽次郎は幼いなりに、死というものを知っていた。桜の木の下で、死ぬまで血を搾り取られた仲間たち。人間たちに手足をもがれ、壊された「とと」の家族たち。
夢の中で彼らの最期を見るたび、幽次郎は怖くてたまらなかった。いつか自分もああなるのだ。この世界は残酷で、恐ろしいものでいっぱいだ。どうしてこんな世界に生まれてきてしまったんだろう。あの暖かくて優しくて落ち着く暗闇の中にずっといればよかった。
そこへ戻れないのなら、ずっと庇護される子どものままでいたかった。
ーーーー父たちに、兄に守られるだけの子どもでいたかった。
「う、ぁ
……
」
押し殺した悲鳴に、幽次郎はハッとした。微かではあるが、父の声がした。それに濃い血の匂いがする。でも、父は悲鳴を上げなかった。多分、幽次郎を怖がらせないために。
『約束だ。絶対に声を出すんじゃないぞ』
声を出さなければ幽次郎は助かるだろう。だが、そのかわりに父は死ぬ。
おいしいご飯を作ってくれて、少し乱暴に頭を撫でてくれて、お風呂に入れてくれて、本を読んでくれて、あたたかい腕で抱きしめてくれる父が。
『いっしょに歌うか?』
低く優しい父の歌が大好きだった。いつか自分も父のように大きくなって、みんなを守れるようになりたかった。でもーーーー今ここで何もしなければ父はいなくなってしまう。父を守れるのは自分しかいないのだ。
「とうしゃん
……
っ!」
幽次郎は嗚咽をこらえ、物入れの中から飛び出した。
「とと」が教えてくれた力の使い方は、今このときのためだったのだ。
『大切な者を守るために、力を操る術を身に付けねばならん』
幽次郎は泣きながら、父に襲いかかる妖怪たちを睨んだ。髪に力をこめる。髪には霊力がたまりやすく操作しやすい。狙いを定めれば必ず当たるのだ。
「えいっ!」
その声と同時に、妖怪たちに向かって針のようなものがいくつも飛んでいった。それは確かに狙い通りに飛び、妖怪たちに突き刺さった。
「ぎゃあぁっ!」
目に針が刺さった妖怪が苦悶の声をあげる。それを見て、いくつかの動物が合わさったような奇妙な妖怪が幽次郎をめがけてとびかかった。
幽次郎はとっさに手を前に出した。組紐が光りながら妖怪を縛り上げる。苦しげに地面に転がる妖怪を見て、他の妖怪たちはようやく幽次郎が危険な存在だと判断したらしい。
「
……
!!」
別の妖怪が、酸のような液体を口から吹き出した。幽次郎はその場から飛び退くと、近くの木の側面に足をついた。反動で大きく跳躍する。その勢いのまま、妖怪に蹴りを食らわせた。
ピン、とアンテナが反応する。後ろから別の妖怪が狙っていることに気がつき、すぐに飛びのく。
だが、後ろから迫っていた妖怪は幽次郎よりも素早いらしい。逃げきれず足をつかまれた。そのまま地面に引き倒される。
「ぐぅ
……
っ!」
背中を強く打ちつけ、息ができなくなる。幽次郎は髪を伸ばして、妖怪の腕に巻き付けた。
「おわっ」
妖怪は驚いて手を離した。その隙をついて、幽次郎は妖怪の手を振り払った。
いつの間にか腕に戻ってきていた組紐が、幽次郎に囁いた。
ーーーー胸に手をあててごらん。お父さんがしているのを見たことがあるだろう。
幽次郎は頷いた。胸に手を当てると、チリッと指先に痛みが走った。
目を閉じて強く念じると、胸に当てた手から、体を流れる血のように、何かが広がっていくのを感じる。
バチバチッ!!
強力な雷が幽次郎の体内から放出され、妖怪たちの体を一直線に貫いた。
「はあっ
……
はっ
……
」
幽次郎は地面に倒れ伏して、肩で大きく息をした。妖怪たちは黒こげになり、地面に倒れている。
「
……
っ!」
なんとか体を起こし、父のもとに駆け寄る。父はひどい怪我をしていた。
「とうしゃん
……
」
幽次郎は父の体にすがりつき、ぼろぼろと涙をこぼした。大好きな父が死んでしまう。もう会えなくなってしまう。
「幽次郎
……
」
父はゆっくりと腕を持ち上げ、幽次郎の頭を撫でてくれた。
「おまえが、やったのか
……
すごいじゃないか」
掠れた声でそう言って、父は微笑んだ。そしてぐったりと目をつむった。
「とうしゃん、とうしゃん
……
っ!」
父の名前を何度も呼ぶ。血が止まらない。父を死なせたくないのに、自分には何もできない。
「とうしゃん
……
っ」
「水木」
幽次郎の頭上から声がした。顔を上げると、もう一人の父がこちらを見下ろしていた。名前を呼ばれると、父の目がうっすらと開かれた。
「
……
ああ
……
ゲゲ郎
……
もどったのか」
「水木、ようここまで頑張ったな。幽次郎も」
大きな手が、よいこじゃと幽次郎の頭を撫でた。
「父さんを守って、えらかったのう。後はわしに任せろ」
遠くから、兄が駆け寄る気配もする。これでもう何も心配いらない。
幽次郎はようやく安堵して、わーんと声をあげて泣きじゃくった。
水木の怪我は命に別状はなかった。
さすがに血を流しすぎて気絶してしまったが、駆けつけた砂かけ婆がすぐに治してくれた。
「いやあ、死んだかと思ったぜ」
「お主があの程度で死ぬはずなかろう。幽霊族の後添えじゃぞ」
「それもそうか」
水木は布団に寝かされ、ゲゲ郎と軽口をたたきながら笑った。まだ傷は少し痛むし、貧血で頭がクラクラするが動けないほどではない。あれだけの怪我をおったのに。すっかり人間ではなくなってしまったなあ、と感慨深くなってしまう。
「結局、封印はどうなったんだ?」
「ああ。わしらに恨みをもつ、裏鬼道の末裔の仕組んだ罠じゃったよ」
哭倉村で死んだ裏鬼道の子孫たちは、惨めな境遇におち、その恨みを幽霊族であるゲゲ郎たちに向けたのだ。
そして計画を練った。普段は人間の入れないゲゲゲの森に住む幽霊族を引きずりだして捕らえ、また血を抜いて血液製剤を作り、富を得ようとしていたのだ。結界を破ろうとしたのは陽動で、ゲゲゲの森に住む赤ん坊の幽霊族をとらえるための罠だった。
「操られた妖怪たちの中に、幽次郎のことを知っておる者がおったのじゃ。赤ん坊なら扱い易いと、あやつらを操ってゲゲゲの森へ入り込んだ」
だが、封印を解こうとした裏鬼道たちは鬼太郎とゲゲ郎により捕らえられた。操られた妖怪たちも術が解けて元に戻った。ゲゲ郎の知り合いに「モノワスレ」という記憶を忘れさせる妖怪に頼み、彼らは記憶を消され、路上に放り出された。
「何もかも水木のおかげじゃ。お主がおらねば、今頃大変なことになっておったじゃろう」
「幽次郎も頑張ったな。えらかったぞ」
そう言って水木が頭を撫でると、布団の上で丸まっていた幽次郎がおずおずと顔を上げた。
「とうしゃん
……
」
「ん?」
「ゆじろ、うそついた。やくそくやぶって、ごめんなさい
……
」
そう言って、幽次郎はぽろぽろ涙をこぼした。物入れから出るな、という約束を破ったことを気にしているのだろう。ゲゲ郎は息子をひょいと抱き上げて膝の上にのせた。
「幽次郎、お主は立派じゃ。とともお主と同じ年のころに、物入れの中に隠れておれと言われたことがあるよ」
「ととも?」
「
……
わしは物入れから出られんかった」
ゲゲ郎は穏やかにそう言った。ーーーーきっと彼の住んでいた幽霊族の住み処が、裏鬼道に襲われたときのことなのだろう。水木も詳しくは聞いたことがないが、ゲゲ郎は母親のおかげで生き残ったと言っていた。
多分、ゲゲ郎の母は水木と同じことをしたのだ。そして幼いゲゲ郎は一人生き延びた。
「お主は勇気がある。わしよりずっと強いよ」
そう言ってわしゃわしゃと息子の髪を撫でる男は、すべての恨みも憎しみも捨て去ったような、穏やかな顔で微笑んでいた。そう思えるようになるまで、いったいどれほどの苦しみがあっただろう。何もかも飲み込んで笑う彼からは想像もつかない。
「それに、修行の大切さが身に染みてわかったじゃろう。明日からまた鍛えてやるからの」
「父さんは結構教育熱心なんですよネ」
りんごの皮をむきながら静かに話を聞いていた鬼太郎が、そう言って笑った。
「それより、今度墓場で運動会があるんだ。兄たゃんと行ってみないか? 楽しいと思うけど」
鬼太郎は何度も幽次郎を誘ってくれているが、他の妖怪は怖いと言って行きたがらなかった。
「うんどうかい」
「そうだよ。兄ちゃんと玉転がししよう。ねこ娘にお弁当を作ってもらってさ」
幽次郎はしばらくしてから、「いく」と呟いた。家から出たがらない幽次郎が、自分からどこかへ行こうとするなんて。水木は驚いてゲゲ郎に抱っこされている息子を見つめた。
「ねこたん、おむしゅびつくってくれるかなあ」
「おかかのやつ、作ってくれるように伝えておくよ」
鬼太郎はそう言うと、水木たちに顔をむけた。
「運動会のあとは僕のうちに泊めるから、父さんと水木さんはゆっくりしてください」
「いいのか?」
「もちろんですよ」
鬼太郎はそう言って笑った。
庭で虫たちと遊んでいる幽次郎と、それを見守っている鬼太郎を眺めながら、水木はぽつりと言った。
「小さい小さいって思ってても、子どもってのはすぐに大きくなっちまうんだなぁ」
「まあ、幽次郎の場合は特別じゃがな」
鬼太郎のときもそうだった。家の中と家族だけが世界のすべてだった子どもが、妖怪の友達を作り、人間社会で生きる術を学びーーーーあっという間に大きくなっていった。
「なあゲゲ郎。さみしいもんだな」
「わしはちいとも寂しくないぞ。水木がおるからの」
そう言って、ゲゲ郎は水木の肩を抱き寄せた。
「あまり無理はせんでおくれ。お主までいなくなってしもうたら、わしはもう生きておれんよ」
「悪かったよ」
そう言いつつも、何度あの瞬間に戻れたとしても、水木は同じことをするだろうと思っていた。命よりも大切な存在があるのだと、知ってしまったから。
だが、命を無駄にしたいわけではない。
幽次郎が大きくなるのを見たいし、鬼太郎が愛する誰かと結ばれて孫ができ、「おじいちゃん」と呼ばれるのを楽しみにしているのだから。
それに、こんな寂しがりやの男を置いてはいけない。
水木は愛する男の胸にもたれかかった。
「ゲゲ郎」
「なんじゃ?」
「愛してる」
珍しい水木からの愛の言葉に、ゲゲ郎は驚いたように目を丸くした。それから、幽次郎そっくりな顔で嬉しそうに笑った。
「わしもじゃ」
外から、幽次郎のかわいい歌声が聞こえてくる。
水木とゲゲ郎は寄り添いあいながら、静かにその歌を聞いていた。
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