【カブミス25のお題】21.握手/ひれ伏すとき

過去の自分の全てがミスルンに通じないことに、かえって愛しさを覚えているカブルーの話。

 交渉ごとは得意だった。そのおかげで、今の宰相補佐という地位にいると言っても過言ではないくらいには。
 そんな自分になってしまったのは、多分、幼い頃から大人たちに囲まれて生きていたからなのだろう。母は昼も夜も冒険者たちに囲まれて料理屋で働き、そこによく顔を出していた俺は彼らによく可愛がってもらった。
 もちろん、冒険者たち全員がいい人だったわけではない。俺に難癖をつけて母から金を巻き上げようとする者もいたし、だから母は子どもを可愛がりながらも、俺が料理屋に来ることをあまり好まなかったところもあった。それでも俺が通い続けたのはたった一人の肉親であった母の顔を見たかったからで、でも、そこに居続けるためにはある程度酔っ払いの大人をかわさなきゃいけなかった。俺は大人に混じってカードゲームをし(そこで些細な表情の変化を見逃さないことや、ブラフ、いんちきなんかを覚えた)、時には酒まで飲んでその場に馴染んだ。お世辞も、侮辱された時のかわし方も、怒りを抑える術も、今の地位で役に立っていることすべてと言ってもいい。
 ミルシリルと出会ったのも、俺を子どもらしからぬ子どもにしたかもしれない。彼女は頼もしくも優しい義母だったが、俺をどこか猫可愛がりしていたから。様々なことを教えたくせに、俺を危険から遠ざけようとしたから。そんな彼女から離れて迷宮にゆくためには、俺は強制的に大人にならざるを得なかった。もっとも、俺は今ではそれに感謝している。彼女の存在なしには、俺は迷宮にたどり着くこともできなかったろう。どこかでのたれ死んでいたかもしれない。
 でも、どれだけ俺が自分の特技を誇ったところで、それは今の恋人には通用しない。そう、ミスルンさんにはブラフも、いんちきも、俺が今まで恋した人相手にしてきたことすべてが通用しないのだ。俺の今までの人生のすべてが、彼の前にはひれ伏しているのだ。
 
 
 今日は昼から黄金城で、ある国の大使や外交官を招いての会議が行われた。その内容は我がメリニで行われている、交易、特に中継貿易についてだった。ここでは内容を割愛するが、ヤアドなどは血管を浮かせて笑顔を保っていたと言えば大体の交渉は理解してもらえると思う。宰相補佐の俺だって、唾を吐きながら握手している気分だった。もしくは握手をしながら、机の下で蹴り合っているとか。
 俺は交渉ごとが得意だったが、やはり国同士のそれは個人のものとは違って重みがあり、結論から言うと疲れてしまった。こんなのではいけないとは理解しているのだけれど、やはりまだ俺は、この国になくてはならない人材、とまではいかないようだ。当たり前と言えば当たり前だ。俺はまだ二十歳を少し過ぎたばかりの若造で、だから舐められることも多かったのだし。本当は貿易の専門家を大臣に据えた方が早いとは分かってはいたが、メリニは新興国でそれもなかなか難しかった。でも、人材不足を他国が理解してくれるはずもなく、だからヤアドは俺を伴ったのだろう。
「お疲れ様でした。なかなかよかったですよ」
 夕暮れ時、大使と外交官を大使館に送り届ける道すがら、二人きりになった馬車の中でヤアドが前触れもなく言った。俺はそれに少し驚いた。彼が俺を褒めることはほとんどなく(これも当たり前のことだった)、そしてさっきの交渉が上手くいったかどうか、俺にはあまり自信がなかったからだ。
「本当に? あなたの足を引っ張ってなかったらいいんですが……
「嘘じゃないですよ。あなたはここ数ヶ月で見紛うばかりに成長なさった。誇りに思っていい」
 くすぐったいお世辞に、俺は思わず首をかく。嬉しいのが本音だったけれど恥ずかしくもあり、俺はやっぱりもう一度首をかく。
 馬車の中に、傾いた太陽の日差しがカーテンを通って入り込む。俺はそれに目を細め、窓を開く。雪はだいぶ溶けて、春を予感させる日も増えてきていた。窓の外には雪が溶け、黒い大地が見える畑が通り過ぎ、やがて各国の大使館が集まる地域が見えてきた。そこにはもちろんミスルンさんがよく顔を出す、西方エルフのそれもあった。俺はその独特な造りの建物を見つけ、そこに偶然あの人を窓辺に見つける。きっとパッタドルに会いに来ていたのだろう。それか、女王の命が下った何かがあったのか。
 それでも俺は気にしないでミスルンさんに大きく手を振る。交渉ごととか、そんなことは忘れてしまって、ただ愛しい人に手を振る。すると彼は少しばかり困った顔をして、俺に微笑んでくれた。灰色がかった銀の髪はオレンジの光に照らされ、複雑な色味に変わっていた。夜の闇を煮詰めたような黒の瞳も、きらきらと輝いていた。そんな彼を馬車はすぐに通り過ぎてしまったけれど、俺は最後まで彼を見つめていた。ヤアドが早く窓を閉めましょうと言うまで、俺は愛しい人を見つめていた。
 
 
 そしてその夜、俺がミスルンさんの屋敷を訪ねると、彼は呆れたように肩をすくめて「あまりあんなことをしない方がいい、馬車から落ちてしまう」と言った。俺はそれに子どもっぽい振る舞いをしたこと知って、少し恥じて、でも、「それくらいあなたのことが好きなんです」と、滅茶苦茶を言った。すると彼はそんな俺にあきらめがついたのか、お前の分の食事は用意してあるからと俺を食堂に誘おうとした。彼はもう夕食を終えてしまっていたらしい。
 ここでの俺は、彼を誘うんなら素直に応じておくべきだったんだろうって思う。スマートに誘うんなら、もっと大人になるべきだって思う。分かってはいたのだ、でも、もう時刻は九時を過ぎていて、今日の仕事はきつくて、俺は我慢ができなかった。そして食堂を通り過ぎて、驚く彼を引っ張って俺は寝室に向かった。もう待てないって駄々をこねて、彼に熱烈にキスをして。
 ミスルンさんはそれに流されるままに応じてくれたけれど、やっぱり彼は思うところがあったのか、行為が終わったあと毛布にくるまって俺をねめつけた。そんな表情すら、俺には可愛らしく見えたのだけれども。
「ごめんなさい、ミスルンさん。せっかく食事を用意してくれたのに」
「もう冷えてしまった」
「今から食べますから……
「温め直す手間がかかる」
 ミスルンさんの言葉は冷たかったけれど、彼の表情はとても柔らかかった。これまでの俺なら、それをいいことに彼を宥めすかしたことだろう。でもそれはできなかった。俺は交渉ごとが得意だったが、ミスルンさんにはそれは通用しなかった。
「使用人にここまで運ばせる」
 ミスルンさんはそう言って、俺にキスをした。俺はその甘さに、何も言えなくなってしまう。でもようやく「ありがとうございます」って口にすると、彼は笑って「素直でいい」と俺にまたキスをした。俺はやっぱり、何も出来ない。
 ミスルンさんにはブラフも、いんちきも、俺が今まで恋した人相手にしてきたことすべてが通用しない。そして、俺はそれをいやだと思うこともなかった。そう、俺の今までの人生のすべてが、彼の前にはひれ伏しているのだから。それでいいと思えるくらい、俺は彼に夢中だったから。